空海が作った満濃池
(2006-7-25)




■1週間後に5日間の区切り打ちに出発だ。色々と期待感は高まるが、中でも上の地形図の満濃池を実際に見ることがとても楽しみ。図は南東を望む鳥瞰図であるが、地平からはこのようには見えない。ただし湖畔に立つためには善通寺から12.5km余計に歩く必要があり、同じだけ戻る。それでも行って見よう。下の司馬遼太郎「空海の風景」の書き出しの部分の描写を読んだら、自分の足で歩いて自分の肌で風景を感じとらずにはいられない。


■少し長文だが、そのまま引用させていただく。
…すこし、満濃池の地形の印象をのべておく。池畔を一周すると、浸蝕谷だけに形状が複雑で、地図でみれば掌のような形状の岬がいくつも池心にむかってつき出ており、ぜんたいのまわりが20キロもある。まわりの三十六の谷々から水が落ちて池の水は枯れることがないところからみて、上古以来、自然の貯水がおこなわれていたのであろう。ただ雨がふると水が汪々とふくれあがってどっと下の野に落ちるために、この池の下の野をひらいてきた水稲農民たちはこの水をありがたがりつつも、雨季になれば逆に自分たちの生活を根こそぎに流してしまう凶暴な力としてたえずおびえておらねばならなかった。そのくせ一面、この池は季節になると池畔のいたるところにおそろしいほどの量の蛍をわかせ、夜の池を夢幻のようにいろどるのである。この池が、密教でいう能動の世界である金剛界と変容の世界である胎蔵界のふたつをあわせもつという、空海が感得した自然の秘奥を知るための妙材料であるようである。空海は幼少のころこの山中の池まで何度も遊びにきたはずであり、池畔の一木一草までなじみのふかいものであったにちがいない。
 堰堤は、さきにふれたようにアーチ型である。空海が、堰堤が水圧に堪えるためにはこのかたちでなければならぬと考えついたといわれている。その堰堤の上に立って池をみず、池の水を背にして北方の野をみると、樹間をとおし、足もとのはるか下に野がひろがっている。…




歩き遍路