三人のマリア


(2014-7-24記述)



サングエッサ:サンタ・マリア・ラ・レアル教会(扉左側の「三人のマリア」)


エステージャ:サン・ミゲール教会(扉右側の「三人のマリア」)

■サンティアゴの巡礼路教会では聖母子像に毎日出会う。聖母マリアは、卑近な比喩で例えれば観音様だ。サンティアゴ巡礼は観音巡礼に近いなと思うと、非キリストであるばかりでなく不信心の徒としての疎外感から若干解放される。聖書等いろいろ読んでいるとマリアという名は各所で現れ、どうやらマリアはたくさんいるのだなと気が付いてはいた。
 代表的なのは3人のマリアだと理解したのは、2009年アラゴンの道サングエッサでサンタ・マリア・ラ・レアル教会で出会った「三人のマリア」で、聖母マリア、マグダラのマリア、ヤコブの母マリアである。今年2014年にはフランス人の道エステージャでサン・ミゲール教会に立ち寄ったときも、だからこの三人の女性がイエスの復活の場面に立ち会うシーンが「三人のマリア」だと気が付いた訳である。

■サンティアゴ巡礼のフランスにおける主要出発地はパリ、ウェズレー、ル・ピュイそしてアルルである。そのうちパリとル・ピュイはノートルダムだから聖母マリアに捧げられたカテドラルから出発する。ウェズレーはマドレーヌだから、マグダラのマリアに捧げられたカテドラルからの出発になる。ただしアルルの教会は聖トロフィームに捧げられている。
 同じマリアでも聖母マリアは神の母としての絶対的慈愛の存在であるのに対して、マグダラは穢れた存在から自らの過酷な信仰によって昇華させた美しき理想の信仰者であり、同じマリア信仰として括るわけにはいかない。再び比喩的にいえば、聖母マリアへの信仰は大乗的、マグダラへの信仰は、自らもマグダラたらんとする小乗的なもののように感じる。


■今年の巡礼の前に中公新書で「マグダラのマリア−エロスとアガペーの聖女:岡田温司のマリア」読んで、以下のあたりをメモしておいたので、引用させていただく。
…キリスト疎刑の立会人として…(マタイ伝では)「遠くから眺めている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついてきた女たちであった。そのなかに、マグダラのマリア、ヤコプとヨセフとの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
…キリスト埋葬の立会人として…(マタイ伝では)「そこにはマグダラのマリアとほかのマリアとが墓のほうを向いてすわっていた。」
…キリスト復活の証人として…(ルカ伝では)「女たちはイエスのみことばを思い出した。そして、墓から戻って、11弟子とそのほかの人たち全部に(復活について〉一部始終を報告した。この女たちはマグダラのマリア、ヨハンナとヤコプの母マリアであった。
…大グレゴリウスによれば、「ルカによる福音書』に登場する「罪深い女」と、ラザロとマルタの姉妹であるベタニアのマリア(『ヨハネによる福音書』)とは、何を隠そう、マグダラのマリアその人のことにほかならない、というのである。
「罪深い女」は、ルカの伝えるところでは、パリサイ人の家でイエスが食卓についているとき、イエスの足元に駆け寄り、その足を自分の「涙でぬらし、髪の毛でぬぐい」、さらにその足に「口づけ」して、みずからの罪を悔い改めようとした女性である。
…マグダラのマリアは、もはや、主の生涯の最後の出来事-−磔刑と埋葬と復活−−に立ち会っていただけではない。福音の旅の途上で、何度か、重要な役回りを演じてもいたのである。主の足を涙で洗い、髪でぬぐい、口づけするとは、悔い改めと奉仕と愛を象徴する行為にほかならない。かつての「罪深い女」は、いまや、イエスによって悔い改め、イエスに奉仕し、イエスを愛する者となる。大グレゴリウスが組み立てた、いわばハイプリッドなマグダラ像は、こうして、罪人たちにとって悔い改めと希望の模範となり、キリストへの敬虚な奉仕と瞑想的生活の理想となる。


■マグタラのマリアは、上のように混交的存在として理想化されてきたが、初期教会では、マグダラのマリアに対するイエスの偏愛をペテロら男性使徒が嫉妬し、意図的にマグダラを周辺的存在にして、男性社会としての教会を組織化していったと見える。時代を経て女性のシンボルとして聖母マリアへの思慕と尊崇が強まるなか、マグダラへの敬愛も深まっていく。マグダラは長い髪がシンボルであり、3人のマリアの中で、髪が長く描かれるのがマグダラである。

■さてヤコブの母のマリアである。12使徒にはヤコブは二人いる。サンティアゴは大ヤコブであり、もう一人は小ヤコブ。ゼベダイの子、大ヤコブは、ガリラヤ湖でイエスに呼ばれ、兄弟であるヨハネと共に弟子になった。小ヤコブはアルファイの子である。ここに出てくるヤコブの母マリアのヤコブは大ヤコブでないことは確かだが、異説が多く特定できない。


サンティアゴ巡礼