サモス修道院で見たカリクスティヌス写本
Codex Calixtinus


(2014-6-11記述)

 
左写真:Guia del Peregrino Medieval(<Codex Calixtinus>) Millan Bravo Lozano

■サモス修道院は、セブレイロ峠からの長い下りがなかなか終わらずにうんざりする頃、緑の谷間に忽然と姿を現す。まだ時間があるので先を急ごうと思ったが、17時にならないと修道院の中に入れないということで、サモス修道院内のアルベルゲに泊まることにした。これによって、サモス修道院で、いろいろと発見することができた。展示物の中に、カリクスティヌス写本の複製品をいくつか見たし、何よりそれらに並んで池田宗弘先生の「巡礼の道絵巻」が、サモス修道院のページを開いて展示されていたことに、自分の仕事ではないのに誇らしく感じた。また出口の売店では、右の写真のカリクスティヌス写本のカタルーニャ語訳という冊子を入手することができた。

■カリクスティヌス写本のことは、どんなサンティアゴ巡礼案内書にも書いてある。各案内書とも、そこで示す伝承・伝説は、ほぼ全てこの写本に依存している。だからどの案内書を読んでも、同じようなことしか書いていないので、現物を読みたいと思っていた。現在、容易に日本語で読めるのは、「浅野ひとみ:スペイン・ロマネスク彫刻研究,九州大学出版会,(2003)」(以下、文献(1))と、同先生による注解研究の論文である。ただし、これでも、全五書あるカリクスティヌス写本のうち、【第五の書】(巡礼案内記)だけである。
 サモス修道院で、たまたま撮った写真を整理したら写本の【第二の書】~【第五の書】が写っていた。もちろん写本現物ではなく、現代の複製品である。写本が作成されたのは12世紀後半とされる。文中の一部の文章に教皇カリクスティヌス二世(カリクトゥス二世)が書いたという記述があるので「カリクスティヌス写本」と呼ばれるが、ポアティエのアイメリ・ピコーが作成したというのが通説である。
 教皇ウルバン二世が第一次十字軍を発議したのは1095年。その後、数代の対立教皇時代を経てカリクストィヌス二世の在位は1119~1124年。クレルヴォーのベルナールが火をつけた第二次十字軍が1145年に始まるというそんな時代である。カリクスティヌス二世自身は神聖ローマ帝国皇帝との叙任権問題に関するヴォルムス協定を締結している。

Codex Calixtinus
【第一の書】
「祈祷書」及び「ミサ典書」「説教集」
LIBLO Ⅰ
写真なし

【第二の書】
奇跡の書
LIBLO Ⅱ LIBRO DE LOS MILAGROS
聖ヤコブに関する22の奇跡譚。写真のページは、殉教したヤコブの遺骸を弟子達が守って、地中海の嵐を進み、イリア・フラビアに漂着するという話だろう。
【第三の書】
トランスラチオの書
LIBRO Ⅲ LA TRASLACION DE SANTIAGO
中世、寺々は聖遺物が伝わった由来を記録していた。奇跡によって発見したいきさつ、遠方から携え帰った次第、時には盗んで来た経緯を記録した。聖遺物というものは、その圧倒的多数が聖者の遺骸ないし断片だから、入手して改めて葬ったわけで、この種の記録を「移葬記」(トランスラティオ)という。
寝ている誰かにヤコブが現れる写真には楽譜が描かれている。
【第四の書】
シャルルマーニュ伝
(偽テュルパン年代記)

LIBLO Ⅳ LAS CONQUISTAS DE CARLOMAGNO


二つ目の写真には「HISTORIA TVRPINI」と書いてある。TVRPINIはテュルパンだが、なぜ偽テュルパンと呼ぶのだろうか。
【第五の書】
巡礼案内記
LIBLO Ⅴ GUIA DEL PEREGRINO

写真のページの地図はフランス側のパリ、ウェズレー、ル・ピュイ、アルルからの4ルートを示している。
目次は以下のようになっている。
赤字は文献(1)に訳文あり。

Ⅰ 聖ヤコブの道
Ⅱ 
ヤコブの道の順路
Ⅲ 
ヤコブの道の町々
世界の三つの良き建物
Ⅴ 
聖ヤコブの道の現場監督の名前
Ⅵ 
ヤコブの道の苦い水、甘い水
Ⅶ 
サンティアゴ巡礼路沿道の土地と人と気質
Ⅷ 
ヤコブの道途上の聖人のご聖骸と
       聖エウトロピウスの受難

Ⅸ 聖ヤコブの町と教会の特徴
Ⅹ 聖ヤコブの祭壇の捧げ物はいかに施されるか
Ⅺ 聖ヤコブの巡礼者は
      いかに相応しく迎えられるべきか

 

■上の写真は、ロス・アルコスの町の入口で見つけた巡礼用の給水場である。脇に銘板が貼ってあり、カリストィヌス写本と書いてあったので、写真を撮っておいた。第四の書、第6章の文章とある。これを文献(1)の訳と、カタルーニャ語訳と対比すると次のようになる。

 …ロス・アルコスと呼ばれている所には死をもたらす川が流れている。そして、ロス・アルコスを後にして最初の救護所(すなわち、ロス・アルコスと救護所の間)にその水を飲む人や動物を死に至らせる川が走っている。

…Por la villa denominada Los Arcos discurre una corriente de agua mortifera; y despues de Los Arcos, junto al primer hospital,es decir,entre Los Arcos y el mismo hospital,pasa una corriente de agua mortifera para las caballerias y los hombres que la beben.

 これでようやく、この銘板の持つユーモアが理解できることになる。すなわち「古く巡礼案内記では、ロス・アルコスの水は飲んではいけないと書いてありますが、AGUA POTABLE(飲めます)よ」と。 



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