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サンティアゴ巡礼・歴史年表 |
| ■聖ヤコブとサンティアゴ巡礼の歴史は歴史的事象というよりは、伝承や奇跡という形でカトリック教会によって権威化されたものが多い。その意味で、年代等、資料によって異同が多い。厳密な年表としてではなく、流れを概観するためにこの表を作成した。 | |
| 用 語 注 | |
| 【モサラベ】 | イスラム支配下のキリスト教徒。モサラベ様式とはイスラムの影響を受けるか、イスラムへの妥協を行ったキリスト教徒の文芸や建築の様式。 |
| 【ムデハル】 | キリスト教徒支配下のイスラム教徒。ムデハル様式とはキリスト教の影響を受けるか、キリスト教への妥協を行ったイスラムの文芸や建築の様式。 |
| 【モリスコ】 | キリスト教に改宗したイスラム教徒。 |
| 【コンベルソ】 | キリスト教に改宗したユダヤ教徒。 |

| 年代 | 事 績 | 関 連 |
| 1世紀 | <44>ヘロデ王により聖ヤコブがイェルサレムで殉教。これは12使徒のなかで最初の殉教であった。ヤコブの遺骸を守って弟子達は小舟で逃げ、これがイリア・フラビアに漂着。ヤコブはコンポステーラに埋葬されたとする。 | <30頃>イエスの死と復活。(1) |
| 2世紀 | ||
| 3世紀 | ||
| 4世紀 | <4〜5世紀>この頃から、ヤコブがスペイン布教しとたとする(偽)文書が現れる。 | <313>ミラノ勅令:コンスタンティヌス一世がキリスト教を公認。(4) <325>ニケーア公会議でアリウス派を異端化する。(1) <395>東西ローマ帝国に分裂。(1) |
| 5世紀 | ゲンマン民族の大移動によって、イスパニアに西ゴート王国が成立。 <479>西ローマ帝国崩壊。(1) <481>クロービスによりフランク王国建設。(メロヴィング朝)(1) |
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| 6世紀 | <6世紀>西ゴート王国がトレドに首都を移転。(4) | |
| 7世紀 | ||
| 8世紀 | <776>ベアトゥース「黙示録注解」でヤコブのイスパニア布教説を流布。 <778>ロラン伯、ロンスボーで戦死。 |
<711>西ゴート王国がムーア人(ウマイヤ朝)に滅ぼされる。(1) <732>トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム軍の西進を食い止める。(1) <751>小ピピンがカロリング朝を開基する。(1) <768--814>カール大帝在位 |
| 9世紀 | <814頃>隠修士ペラーヨに天使が現れ聖ヤコブの墓のある地を指し示す。イリア司教テオドミロが大理石で覆われた墓を発見。アストゥーリアス王アルフォンソ2世が、それをヤコブの墓と認める。。 <844>クラビーホの戦いで天から白馬にまたがる聖ヤコブが出陣し、イスラム軍を撃破し、ムーア人殺し(マタモロス)と呼ばれるようになる。(1) <900>イリア・フラビアからサンティアゴへ司教座移転。 |
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| 10世紀 | <951>記録に残る最古の頃サンテイアゴ巡礼。ル・ピュイの司教ゴデスカル。(3) |
<910>クリュニュー修道院が設立され、教会改革を主導、巡礼も推奨。 |
| 11世紀 | <1077>現在のコンポステーラ大聖堂建立。 <1095>イリア・フラビアからサンティアゴへ司教座移転。(4) |
<1095>クレルモン公会議でウルバヌス2世が十字軍を宣言。(1) |
| 12世紀 | サンティアゴ巡礼の最盛期 <1118>ヒュー・ド・ペインズら9人の騎士がポンフェラーダの城塞で、テンプル騎士団を発足させた。(2) <1123>ポワティエの司祭エムリー・ピコーがフランス人の道を歩く。(2) <1130頃>ピコーが「サンティアゴ巡礼案内」を表す。 <1139頃>コーデックス・カリクスティスヌス(聖ヤコブの書)編纂。 <1179>教皇アレクサンデル三世によってサンティアゴ教会は「聖年(ジュビレウス)布告特権を確認される。ヤコブの殉教日(7月25日)が日曜日に当たる年が聖年と定められる。 |
<1100頃>ロランの歌「オックスフォード写本」 |
| 13世紀 | <1213-15頃>アッシジの聖フランチェスコがサンティアゴ巡礼を行う。 | |
| 14世紀 | <1378>錬金術師ニコラ・フラメルがサンテイアゴ巡礼を行う。(3) | |
| 15世紀 | <1417>コーモンの領主ノンパール2世の巡礼。(3) <1434>ドン・スエロ・デ・キニョーネスがオールビコ橋(名誉の橋)で決闘によって多くの騎士を打ち破り、巡礼守護を誓わせる。(2) <1492>RAM教団が8人の騎士によって発足。(2) |
<1478>カトリック両王はセビーリャに異端審問所を開設。(4) <1492>ユダヤ人追放令。(4) |
| 16世紀 | <1589?>サンテイアゴ教会が聖ヤコブの遺骸を隠匿、その後忘れられる。(4) | <1502>ムデハル改宗令。(4) スペイン黄金時代 <1516--56>カルロス一世在位 <1556--98>フェリーペ二世在位 |
| 17世紀 | ||
| 18世紀 | ||
| 19世紀 | <1879>枢機卿パイヤ・イ・リコがコンポステラ大聖堂にヤコブの遺骸を再発見する。(3) <1884>教皇庁はヤコブの遺骸を聖遺物として認定。(3) |
<1858>ルルドで少女ベルナデッタにマリアが現れ奇跡の泉が出現。 |
| 1901− | <1917>ファティマの3人の子供の前にマリアが現れ、三つの預言的メッセージを伝える。 | |
| 1920− | ||
| 1940− | <1946-->サンティアゴ教会の第二次発掘調査。(4) <1947>フランコによる聖ヤコブ像を奉じた宗教行列。(4) |
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| 1960− | <1965>コンポステーラ巡礼者は200万人。(4) | <1975>フランコ体制崩壊 |
| 1980− | <1982>コンポステーラ巡礼者は600万人。(4) <1986>パウロ・コエーリョがフランス人の道を歩く。(2) <1995>「星の巡礼」コエーリョ(地湧社)刊行。 <1999>コンポステーラ巡礼者は1100万人。(4) |
<1991>メッカ巡礼者は250万人。(4) |
| 2001− | <2004>「聖年」 <2010>「聖年」 <2021>「聖年」 |
| 資料の引用元 (1)詳説世界史研究:木下康彦・他,山川出版(1995) (2)星の巡礼:パウロ・コエーリョ (3)巡礼の道・星の道:ヒエール・パレ・他,平凡社(1986) (4)スペイン巡礼史:関哲行,講談社現代新書(2006) |
