1992年 ナルビク→カスカイス |
1992年9月12日〜1992年9月28日(17日間) |
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■入社して20年目、しかもその前年に設計部門を離れて、若干の時間的余裕ができた。そこで、長年の夢であったヨーロッパ鉄道旅行を試みた。そのスタート点をナルビクにしたのは、宮脇俊三さんの「汽車旅は地球の果てへ」の影響である。スタートがほぼ地球最北(ロシアのムルマンスクの方が北だけれど)の駅なので、目的地もヨーロッパの果ての地にしなければならない。ヨーロッパの西の果てロカ岬に至る最西駅、それがカスカイス駅である。 ■17日間に、飛行機5回、鉄道30回、バス3回、地下鉄12回、タクシー2回、ケーブルカー1回を乗り継ぎ、鉄道での移動距離は7300kmとなった。自己満足と言ってしまえば、それだけのことだが、実に大きな達成感を感じた。 |
ナルビク駅(北緯68度30分) ヨーロッパ最北端の駅 |
NORDPILEN(北の矢)号 ナルビク→ストックホルム |
北の矢号 2等寝台(下段) |
日 付 | ルート | 宿泊 | ポイント |
1992年9月12日(土) | 成田→ロンドン | ロンドン | |
1992年9月13日(日) | ロンドン→オスロ→ボーデー→ナルビク | ナルビク | ヨーロッパ最北の駅 |
1992年9月14日(月) | (鉄道) ナルビク→キルナ→ | 夜行 | ロンバーケンフィヨルド |
1992年9月15日(火) | (鉄道) →ストックホルム→ | 夜行 | 帆船ヴァーサ博物館 |
1992年9月16日(水) | (鉄道) →ハンブルグ→ヴュルツブルグ | ヴュルツブルグ | マインフランケン美術館 |
1992年9月17日(木) | (鉄道) ヴュルツブルグ→フュッセン→ホーエンシュバンガウ | ホーエンシュバンガウ | ノイシュバンシュタイン城 |
1992年9月18日(金) | ホーエンシュバンガウ→(鉄道) オバーアマガウ→インスブルック→クール | クール | ミッテンバルト鉄道 |
1992年9月19日(土) | (鉄道) クール→ツェルマット | ツェルマット | 氷河特急 |
1992年9月20日(日) | (鉄道) ツェルマット→シュネーブ→ | 夜行 | ゴルナグラット登山鉄道 |
1992年9月21日(月) | (鉄道) アルル→ナルボンヌ→カルカッソンヌ | カルカッソンヌ | アルルの跳ね橋 カルカソンヌ城郭 |
1992年9月22日(火) | (鉄道) カルカッソンヌ→フィゲラス | フィゲラス | ダリ美術館 |
1992年9月23日(水) | (鉄道) フィゲラス→バルセロナ | バルセロナ | ガウディ建築 |
1992年9月24日(木) | (鉄道) バルセロナ→ | 夜行 | ガウディ建築 |
1992年9月25日(金) | (鉄道) →マドリッド→リスボン→カスカイス→ | 夜行 | ヨーロッパ最西の駅 |
1992年9月26日(土) | (鉄道) →マドリッド | マドリッド | プラド美術館 |
1992年9月27日(日) | マドリッド→ | 機中泊 | |
1992年9月28日(月) | →成田 |
ジュネーブ→マルセイユ(1等コンパートメント) 座席を引き出して寝られるようにしたところ |
ポート・ボー駅 (フランス−スペイン国境駅) 標準軌→スペイン広軌へ自動ゲージ変換 |
マドリッド(シャマルテン)駅の寝台車両 ESTRELLA LUSITNIA |
カスカイス駅(ヨーロッパ最西北端の駅) レールの終端 |
カスカイスの浜から望む 大西洋 |
【事前計画と実際の違い】
ナルビクの絵葉書
カスカイスの絵葉書