左利きキーボードを作る努力の意味?                        2002-6-7 


■近年の手操作機器の中では、携帯電話とパソコンは、最も左利きに違和感の少ない道具だと思う。マウスの左右位置関係は、左利きサイトでしばしば話題になるが、右手操作のマウスが不便だという意見と、空いた左手でメモを取れるから便利だという意見の二つがある。また、JISのフルキーボードでは、そのテンキー部分が右側がついているので、集中的に数字を打ち込む場合は、右手の方が打ちやすく左利きに不便だという意見と、マウス同様、空いた左手でメモを取れるから便利という意見もあって、そう目くじらを立てる話しではない。

■だから、パソコン用の左利きキーボードが発売されたという、以下の情報がJSCのMLにアップされても、まったく触手が動かない。
http://www.diatec.co.jp/news/dfk901lf2_pr/index.html
良く考えられたまじめな商品であるが、何よりモデルチェンジ前に左右逆配列にテンキーを設計した神経が理解を超える。他の商品開発と同様に、左右逆配列のテンキーを備えた左利きキーボードの発想は、基本的に全ての道具は右利きに便利にできている、だから左利き用にするには、それを左右対称に作り替えなければならないというところからきている。実は道具の設計において、常に左右に十分に配慮している訳ではない。にもかかわらず、全ての道具は左利きに不便であるハズだという信念は、広く左利きの人々の間に固着しているようだ。だから、左利き用キーボードが企画され、多分、どなたかの左利きの意見もいれて、これが発売されることになる。少数ユーザのための努力には感謝しなればならない。

■しかし、現在のキーボードは、実は意図的に右利きに遣い難く設計されたと言われている。それがクワーティ・キーボードである。クワーティとは、QWERTYである。キーボードの上段の左端から右側に並んでいる、その意味不明の順序である。この話しは人間工学やインダストリアル・デザインの歴史の本には、よく書いてある話しである。ここでは、D.A.ノーマンの名著「誰のためのデザイン,新曜社,1990年初版,3300円」から引用する。

■「…現在標準となっているキーボードはチャールズ・レイサム・ショールズによって1870年にデザインされたものである。…その後レミントン社のタイプライターとなり、ほとんどの手動タイプライターの基本形となった。しかし、このキーボードはどうしてこんなに奇妙なのだろうか?…それは、機構上の問題に対処するためである。タイピストが速く打ちすぎると、タイプライターの活字バーがぶつかりあってからんでしまうのだった。それを解決するためにキーの位置が変更された。たとえば、iやeのような文字は続いて打鍵されることが多いので、活字バーがからみあわないようにタイプライターの中で反対側に位置するように配置された。…」 使い易さより、機構上の制約でデザインが決定された。今となって、電子的キーボードにはその制約がないにも関わらず、クワーティ配列を改善する全ての試みが挫折している。使い易さとは、実は従来と変わらないこと、他と変わらないことの方が大切であるという事例である。ワールドロップは「複雑系:新潮社,1996年,3400円」で、「…もてる者はさらに与えられる、すなわち収穫逓増。…だから実質的に永久に<ロック・イン>(固定)されている。」と書いている。(注:同書ではクワーティの発明者をクリストファー・スコールズとしているが…)

■ようするに結果として、右利きのオペレータが速く打てないように設計されたキーボードは、左利きにとっても使いにくいせよ、左手を多く使うということで、右利きよりは、多少操作的な恩恵に浴しているということを言いたかった。要するに社会は、意図的に左利きに意地が悪い訳ではないと言いたかった。 それでは、左利きキーボードを商品化するという努力は無意味なのか。決してそんなことはない。
 どんなに、社会や人が現状に慣れてしまって、不便さを忘れてしまったとしても、永久にそれを放置するのは耐えられないという設計者の気持ちは理解できる。富士通の親指シフトや、トロンのキーボードもその例に漏れない。ここでは、奈良総一郎という人のナラコード普及の努力について書こう。

■1993年8月9日の日本経済新聞に同氏は書いている。まず、キーボードのかな配置が何故、現在のようにその根拠が理解できないような配置になったかを説明する。明治時代の外交官であった山下芳太郎が、英文タイプの威力を知って、カナタイプを開発しようと考え、これを米国のアンダーウッド社に1922に依頼する。ポイントは濁音、半濁音記号を右手で打つとして、濁音、半濁音に変化する[か]、[さ]、[た]の行を左手側に配置したこと。最初は英文タイプの少ないキー数にカナを重複して割り当てた。ところが同氏の死後、昭和初期に英文タイプのキー数が42から48に増加したとき、「ぬ」「ふ」「む」「け」などが、増えたキーに適当に割り振られ、同じ行の他の文字と泣き別れになってしまったということだ。
 その後、新JIS配置が提案されたが、まったく普及しない。そこで、奈良氏は、日本語の音節単位の出現度分析を行い、単音キーの他に、頻出する「しゅう」「ちょう」等の音節を1キーに割り当てた。
ナラコードとは?(http://www.naracom.co.jp/naracode/what.html)
 
■クワーティにしても、カナキーにしても、現時点では、まったくナンセンスな配置でありながら、また断固この方式を死守したいという誰の意志もないのにもかかわらず、これを変えることができない。これこそが、複雑系世界の証拠だなどと落ち着いていてはいけない。だから、これを革新する試みは、それが成功しないにせよ意義がある。左利き用キーボードを作る努力もその延長として理解される。しかし、確固としてロックインされてしまったクワーティやカナキーを超えるためには、同一次元での配置変更では無理だろうな。まったく新たで、まったく便利だと実感できる入力方法で、なにより一気に多数派となるものでなければならない。
 キーワードは片手使用と、複合入力であると思う。片手キーボードは、モバイルにおいて、有力な方法で、両手より操作速度が落ちることが容認される。左手でも右手でも使えるアキラル・デザインにするのは当然。そして、この片手キーボードの操作性を踏襲して、もう一方の手に多機能マウスをもって、マウスと片手キーの複合動作によって文字入力させる。マウスにキーを追加してもいいし、今のままで、ディスプレイにキーボタンを表示するという方法もある。 
 まあ、ちょっとしたアイデアにしかすぎないが、あれが不便だ、これが不愉快だと言うばかりよりは、具体的な提案の方が意味があると思うのだ。



【左右の理屈】