左利きの道具はユニバーサルデザインではない          2001-7-16 


■設計者は基本的にユニバーサルデザインを目指している。ユニバーサルデザインという言葉が普及する前からそうだった。それは、そうした方が大勢の人に使ってもらえる、すなわちたくさん売れるからである。ところが、右利きと左利きの双方に使いやすい道具の設計は難しい。そこでどちらの人達に使いやすくするかと考えれば、左利きの自分であっても、右利きに使いやすいように設計せざるを得ないというのが実態。そこで不便さを感じている左利きの人のために左利きに使いやすいように設計された道具が求められ、いろいろなカタログが溢れることになる。しかし現在の左利きの道具の設計には疑問を感じさせるものが少なくない。

■また「左利きのハサミ」を例にとるが、ハサミを使い始めるときから、左利き用のものを使えば、左利き用のハサミの方が使いやすいのだろう。理解ある親は左利きの子供に左利き用のハサミを買い与える。その子供は、その左利き用のハサミで切れるように指の運動が記憶されてしまう。そうなると、もうまったく右用のハサミではモノを切ることができなくなる。ところが、常にそのハサミを持ち歩く訳にはいかない。世の中には右利きのハサミが溢れている。これが使えないともっと困るのだが、それに気付かない。
 うまく説明できないので、のこぎりにたとえてみたい。日本ののこぎりは引くと切れる。アメリカののこぎりは押すと切れる。右利きの人がのこぎりを引くように右利きのハサミを使っているのに対して、左利きの人はのこぎりを押すようにして右利きのハサミを使っている。これを不自然と感じるのは、右利きの人の動作が正しいとするからである。別に右利きの動きが正しい訳ではない。ただ違うだけだ。

■道具の使いやすさは、実は人間工学的に考えぬかれた使いやすさより、「その道具がみな同じである」ことの方が重要なのである。パソコンのキーボード配列はQWERTYと呼ばれるもので、まったく使い難いが、これを改善する全ての試みが失敗に終わっている。みなが一旦、このQWERTYキーボードに慣れてしまうと、より効率的なキーボードが提案されても、それに慣れるための負担を厭うことになるからである。もし覚えてそれを使っても、ごく一部にしかそれが存在しないと、他の場面では古いQWERTYを使わなければならず、便利さは半減し、使い分けするよりは昔のままでよいということになってしまう。

■左利きのハサミもまさにそのようなもので、左利きがハサミを必要とする全ての場面で左利き用のハサミが出現することが保証されるなら、左利きのハサミの存在意義がある。1ケの左利きのハサミを手元に持っていて、その便利さを実感しても、他の多くの場面では右利きのハサミを使わざるをえないとすると、左利きハサミになれた指では右利きのハサミを扱うことはできなくなる。それなら、別にいつも右利きのハサミを使っていた方がいいことになる。

■この話しにはかなり異論があることは、お断りしておく。成人になって初めて左利きのハサミを使って、あまりの切れ味に感激したという信じられない話しは、よくWEBにも書かれているし、職業として、常時同じ道具を使う左利きの専門職には、左利きの刃物はなくてはならないからである。以上の見解は、左利きであっても、一応は右利きのハサミを使うことができた人間のものである。もう一つ、蛇足を書いておくと、実は右利きでも右利きのハサミで、きれいに切れない人は一杯いるということ。以上、くどくどとハサミを例にしてきたが、書こうとしていた本筋からズレてしまった。

■言いたかったことは、左利きの道具だからといって、何でも左右対称に設計すべきではないということ。そして本当に書きたかったことは、左利きの道具がユニバーサルデザインではないということ。障害の有無、年齢、性別、さらに各自の身体的特徴に関わりなく、誰にでも使いやすい道具や社会環境を生み出そうというユニバーサルデザインあるいは共用品のコンセプトには、左利きにも使いやすくあるべきだという考えが含まれている。だからこそ、このユニバーサルデサイン運動に賛同する左利きが多い。

■であるなら、左利きの道具が、今度は右利きに使い難いのではユニバーサルデザインの精神に反してしまう。左利きは、右利き用に作られた道具の使いにくさを知っている。だったら、左利きの道具が右利きに使い難いのも分かるはず。それでも左利き専用にこだわるのは、右利きへのちょっと屈折したユーモアとしての扱いでしかない。たとえば、左勝手に注ぎ口のついたシャモジ。右と左に注ぎ口に絞り加工すれば、左右共用になる。コストも知れている。それでも右用の注ぎ口をつけないという「こだわり」が理解できない。フェリシモのカタログには、左右共用のフライパンやナベのたぐいがリストアップされている。左利きだからこそ、右利きでも左利きでも使えるように考えたい。それが被害者としての左利きという意識を、余裕に変えることになるのだ。そしてさらに障害のある方や高齢者にも使いやすいように考えることが出来たらもっとすばらしい。



【左右の理屈】