左と右の区別が出来ない                2001-8-12 


■本項は、「左右の理屈」の表紙ページにHP開設当初から使っていた写真と文章である。たまには表紙を変えようというわけで、こちらに移動させました。

■ エッシャーの「描く手」(1948年、リトグラフ)の4種の反転画像を作ってみた。左上がオリジナルであるが、他も不自然に感じることはない。左右の等価性、あるいは左右の相対性の所以である。これらの手がペンを持っているからよいけれど、この手にケシゴムを持たせると、手が手を消すというウルボロスのへび的な気味な絵になるし、ましてナイフを持たせると危険なことになる。

■自分の左右認識能力の欠落を自覚したのは、小学校の低学年の頃であった。右向け右、左向け左、回れ右ができないのである。或る日、教室で「右向け右」の練習をさせられた。教壇に立った教師と向かい合った生徒が、右向け右をやる。生徒から見て、窓側が左であった。教師が「左向け左」と言うと全員が窓側を向く。次に私一人が生徒側に向かって教壇に立たされて、「左向け左」をやらされた。私は教師がやった通りに窓側を向いたのである。私は教師にやったことを忠実に真似たのであるが、その時の当惑したような軽蔑の表情がかすかに記憶に残る。その頃は向かい合った人間にとって左右が逆転するという理屈などわかる訳なかったのである。

■左利きの多くの人が、この左右認識能力の欠落を告白している。特に車に乗っていて、道案内するときの言い間違えが多いようである。この特質は左利きに固有なものと考えたくなるが、根拠を示すことはできない。



【左右の理屈】