もし右と左がなかったら              2001-5-26 


■もし右と左がなかったら、このサイトの存在の意義を失う。だから本当はこまるのだが、「もし」という仮定をなしにして、左と右のない世界があるという話しを読んだ。それが
   【もし「右」や「左」がなかったら:井上京子,大修館書店,1998年初版,1500円】
である。このことは、右と左という概念は、トポロジーにおけるオリエンテーションという決定的に重なり合うことのない空間形状であるという見方とは異なり、左右は実は同じなのだ、あるいは左右というのは人が自己中心的(エルゴセントリック)に世界を勝手に分別しようとしているのだという新鮮な見方を提供することになる。おもしろい。

■なにしろ「右」と「左」という概念がないのだから、もちろん「左利き」や「右利き」という概念もない。「右はどっち」と言われて、分からなくてもバカにされない。そんな世界が本当にあるのだろうか。

■ 「人間はこの世に生まれたからには、まず自分の身の回りに何があって、自分はその中でどの位置を占めているかということを認識しなければならない。…すなわち地球上の空間におけるモノの位置関係を人間がどのように見、頭にインプットし、頭の中で整理しているのかを明らかにしたい、と考えている一群の研究者がいる。…オランダのマックス・プランク心理言語学研究所に設置された認知人類学研究グループの活動である。」(井上)

■右と左という語彙が存在しない言語を発見したのは、現存するマヤ族の一つで、グァテマラ国境に近いメキシコ山岳地帯に住むテネハパ族であった。その母語ツェルタル語には右も左もないというのだ。テネハパ村は東西は狭く、南北に長く、さらに南側が山の高い方になっている。この立地条件そのものが、左右という概念を不要としてしまった。
 彼らは南を「上り側」、北を『下り側」と言う。しかし東西に対応する語彙を持たない。それはただ「横」である。テネハパ族が離れた物同士の位置関係を表すには、その距離がたとえ1センチであろう1キロであろうと関係なく、「上り側」「下り側」「横」という表現で事足りる。彼らにとって、「上り側」「下り側」の区別が重要であって、狭い左右はどうでもよいらしい。このような例は、たの民族にあつて、例えば「海側」「陸側」しかない言語もあるという。

■テネハパ族は、方向を示すときに「上り側に曲がれ」という表現を用いるという。どうも平坦な土地がないためにこれですんでしまうらしい。さて世界の多様な民族において、方向は東西南北という空間そのもので定まる絶対的な表現をする人々と、自分を主体的に捕らえて、自分からの方向で表現する人々がいる。自分から見なければ、右とか左という概念はなくなってしまう。不便にも思えるけれど、自分たちのように左右の概念を持つ言語が高等であるということはできない。

■ある民族が、この相対的方向と絶対的方向のどちらを利用しているかのテスト方法が「一列並びの動物ゲーム」で以下の図を見ていただければ、すぐに分かります。

[テーブル1]には、ぶた/うま/うしの順に並んでいる。これを見て、180度振り返って、同じように並べよといわれると、我々日本人は、[テーブル2]の相対的と書かれているように並べます。ところが、絶対的方向を使っている人々き絶対的と書かれているように並べるのだという。おもしろい。



【左右の理屈】