左利きの内集団心理と確証バイアス     2000-5-8 


■「内集団心理」とは私の[単語辞書]によれば以下のように説明される。
……我々は自分が属するグループは「よい」グループで、そのグループに属さない人間は「悪い」人間だという固定観念を抱く。心理学的観点から特に興味深いのは、グループのメンバーであることが何か重要な条件に基づいていたり、特別な要因がからんでいる必要は決してないという点だ。自分がグループの一員なのだと考えるかぎり、人間はこうした、内集団対外集団という固定観念を形成し始める。……

■ 左利きの人間は右利きの人間に対して左利きという「内集団」を形成する。その集団は左利きという以外なんらの共通点を持たないのにも関わらず、左利きということでまとまる。一般に「内集団」は外集団より小さく、外集団は「内集団」を意識していない。そのことが一層「内集団」をして、自らの存在感を高揚させ、自己肯定を促進する。そして「内集団」は、それ自体としての絶対的な評価尺度を持たずに、外集団に対する相対的な尺度で論理形成するので、外集団を持たない限り集団としての価値観を持つことができない。たぶん左利きの心理を客観的に分析するとこのようになるだろう。

■ 私は「左利きの著名人の寿命」を調べたが、そこで日本に対して原爆投下命令をしたトルーマンと、A級戦犯の東条英樹が左利きであることを知る。恐ろしいことに彼らが左利きであることだけで親近感を抱いてしまうのは、私だけであろうか。これが「内集団」心理である。

■ しかし同じリストから「渋澤龍彦」「荒俣宏」「養老孟司」という左利きの著作家を見つけることができる。この3人は常に最も高い関心をもって読んできた人達である。そんな彼らが左利きであることを知らず読んできたのは実に不思議な感じがする。左利きには、左利きであることによる[同質の魂]があるのではないか。そう思ってリストを見回すと、これらの左利きの著名人は左利きであることによって、それぞれの実績をあげた、すなわちかれらが左利きでなかったら、このような業績を残せなかったのではないかと感じ始める。

■ このような現象を「単語辞書」では「確証バイアス」と説明する。
……たとえばノストラダムスの予言が信じられるようになるメカニズム。ノストラダムスの 文章はどのようにも解釈できるマルチプルアウトという特徴を持っている。これは当時の 四行詩の韻律を守るために意味のないつながりの文章としたためである。この文章を解釈 しようと努力して、ある文章が特定の事実を示すように信じ込むと、それがバイアスとな って、他の文章の恣意的な解釈をも信念としてしまう。……



【左右の理屈】