日本的「左の優越」論                2001-10-27 


右の優越性は、歴史的に古今東西共通であるとされ、その文化人類学上の研究はフランス人のエルツ(Robert Hertz)が1909年に発表した「右手の優越−−宗教的両極性の研究−−」から始まるということは、多くの本が指摘している。同じように、このような右優越の世界にあって、実は古代日本は左優越であったと書く本も多い。そこに示される事例には、以下のようなものがある。

■古墳から出土する埴輪などからみて、日本では古代は男女ともに左前に着物を着用していたことが推察される。(1)

■神の化生では、イザナギノミコトが「左のみ目を洗いたまうときに成れる神の名は天照大御神。つぎに右のみ目を洗いたまうときに成れる神の名は月読命」と二神が誕生する。(1)

■大化元年(645)に左大臣、右大臣が定められ、大宝律令以降、太政大臣のつぎは左大臣、そのつぎは右大臣で、左が上位となった。(1)

■今日の地図では、東は右、西は左であるのに、京都では左京が東で、右京が西である。(1)

■左は日足や日垂とも表され、さらにはヒ(日)ダ(出)リ(方向)と解釈される。これは天使が南に向かって立つときその左手のほうから太陽が昇ることを表していると思われます。(2)

■「めづらしき君を見むとぞ左手の弓とる方の眉根かきつれ」という歌です。これは恋人が左の側の眉根をかゆいのを、吉として喜んでいる情景です。(2)

■わが民族は左を直とし、右を曲と考えたが、ヒダリはヒタ=直、ミギリ(右)はマガリ=曲という語義からきたものだという。(3)

■歌舞伎の舞台では舞台から観客席に向かって左方が上手であり、右方が下手である。そして両側の桟敷とその張出しについては、上手を東、下手を西と呼称する。(4)

■天子南面の思想は、日本にあっては、神社や賛同、鳥居、拝殿、仏教寺院に踏襲され、西方浄土に対して本尊や金堂を位置づける浄土教以外は同様である。(4)

    <引用文献>
      (1)内林政夫:右の文化と左の文化,紀伊国屋書店,(1998)
      (2)西山賢一:左右学への招待,風涛社,(1995)
      (3)左利きの世界:箱崎総一,読売新聞社,(1968)
      (4)美術における右と左:中条義宗・他,中央大学出版部,(1980)

■以上、古代日本における左優位の基本は、太陽が出る東優位から来たことが分かる。そしてそれは、人が南を向けば確かに、東は左となるが、逆に北を向いたら、東は右となるという相対的なものであった。上下は重力によって定まるが、左右は見方で変わってしまう。よって左右については、その対象を見る側を定義しなければならない。通常、左と呼ぶ場合は、言葉を発する側が視点となり、相手側の視点に立つ場合は「向かって左」という表現をする。
 だから、日本における左優位な現象といわれるものを自分の目で眺めると、左優位な配置は、逆に右優位に見えるということになってしまう。基本的には、左右とは向かって見える方向ではなく、対象そのものの「即身的」に表現されているということを忘れると混乱してしまう。

■さて着物の「右前」について見てみよう。あなたが男であれば、あなたのシャツのボタンのかけ方をよく見てみよう。左側、あえて言えば左手側が上になっています。これを「右前」というのですよ。何故か着物については、むかって見た側で左右を表現している。また左上位の典型とされる左大臣であるが、これもまた、天子が南面したとして西側の、即身的には右側にいて、向かって見る臣下からは左側に見えるということになっている。(この文章を長くアップしていたが、06/1時点でこれを撤回する。)

■完全に混乱している。私には左右が判らないといつも言っている。日光菩薩は月光菩薩よりすこしばかりえらいから、仏から見て左側、ということは私から見て右側に配置されている。歌舞伎を見に行ったら、向かって右が左優位だから上手なのだな。だけど右大臣よりえらい左大臣は向かって左に座っているのだな。そして着物の場合も、向かって見た側の表現なのだな。ここまで書いて判った。私が悪いんじゃない。日本文化そのものが、まったく左右を適当に解釈してきただけじゃないか。



【左右の理屈】