キルケゴールの「左手著作」って何?           2001-7-20 


■JSCのMLで紹介のあった平出隆の「左手日記例言」(白水社、2800円)を読んだ。右利きの詩人が、その右手を傷付けたことから、左手で書くという行為にこだわり、その着想によって身辺雑記を詩文としてしまった。どうということもないことが書き連なっているし、左利きに関する記述は検証が不十分であるように感じるが、なぜか引き込まれる。その違和感は自分自身が左利きであるから感じるものであるとすると、同書が読売文学賞を受賞した理由は、右利きの選者が感じた別の感覚が評価されたのだろう。その感じは左利きの私には多分分かってない。
 
■逆に左利きの詩人が左手が使えなくなって、右手で同様な詩文を書いたとき、左利きの自分にとって右手で書くという違和感が、実は社会の中では何の関心ももたれない当り前のことであるとすると、同書と同じ表現水準にあっても、少数者の屈折した心象ということになってしまって、世間の評価はまったく違ったものとなるであろう。

■さて、同書の「例言」という言葉の意味を調べようとWEBを検索していたら、[左手 日記 著作]というキーワードで、興味をそそる文章にヒットした。それが以下の文章である。
  ………キルケゴールが、『あれか−これか』から始まった左手著作の一応のまとめと して………
なんだ、左手著作とは、どうも右手著作もあるらしい。キルケゴールが左利きであったという記述も見たことがない。この「左手著作」という言葉が気になって、図書館で、何冊かの書籍をめくったが、索引にも現れず、その意味するところが分からずにいた

■その意味は、「思想の世界」(http://ww7.tiki.ne.jp/~kosoegawa)より「逍遥の人−キルケゴール」という項で、ようやく分かった。長文だがそのまま引用させていただく。

  > レギ−ネとの婚約を破棄した後、キルケゴールは精力的な著作活動にはいった。
  >レギーネに読んでもらうためである。すぐに『あれか−これか』の執筆に取りかかり、
  >2年の歳月を経て、1843年2月に刊行した。
  > キルケゴールは、初めから、常に二種類の書物を同時に出版するように計画して
  >いた。すべては、もちろん自費出版であるが、一方は、彼の実名で「信仰的・建徳
  >的著作」を出し、もう一方で、様々な仮名で「この世的、非信仰的著作」を出したの
  >である。彼はこれらをそれぞれ右手(聖なる手)の著作と左手(俗なる手)の著作と
  >呼んでいるが、「信仰的・建徳的著作」の方は、今と同様、当時も、ほとんど読まれ
  >ることはなかった。最初に右手の著作として出されたのが『二つの建徳的講話』で、
  >左手の著作として出されたのが『あれか-これか』である。
  > 彼の著作活動は、この実名著作と仮名著作の二重性の中で行われている。右手
  >は徹底して宗教的であり、左手はこの世的である。1847年までの前期の著作活動
  >は、左手のこの世的作品を次第に高尚にして行くことによって、最終的には右手の
  >作品と結合させる目的で書かれている。それは彼の人間理解と密接に関係してい
  >る。今では有名になった例えであるが、彼は人間を地下室と一階、二階がある三
  >階建ての家に例える。一番下の地下室とは美的・感覚的世界であり、一階は倫理
  >的世界、二階は宗教的世界である。彼によれば、人間はこの三層の家のようなも
  >ので、どれも欠かすことのできないものであるが、何故か人間は地下室にのみ住
  >みたがる。この三階建ての家の階段を上って行くこと、これが彼の左手の著作活
  >動の目的だったのである。

■キルケゴールが実際の左手で書いたなら、平出隆の詩文は、二番煎じになるかと思ったが、そうではなかった。あら捜しもいかがなものかと思う。キルケゴールは左手著作も右手著作も右手で書いた。しかし、キリスト者として出発したキルケゴールが、あえて聖なる右手ではなく卑俗な左手で書くと言った思いは、右手では旧弊で価値観から抜け出せないと感じたからであろう。かなり強引なこじつけだが、多くの宗教世界にある左手卑賤説に対して左手こそ自由な手であると宣言した哲学的言明であると解釈できる。



【左右の理屈】