わたしの彼は左きき           2004-5-5 



VICTOR   SV-1147 (ビクター音楽産業株式会社)

■1970年代、まだ左利きへの偏見が残っていた時代に、その左利きの地位向上というのは大袈裟にしても、左利きであることが「かっこいい」と感じる雰囲気ができたのは、プロ野球での王選手の活躍、それにこの麻丘めぐみが歌った「わたしの彼は左きき」という歌のヒットではなかったかと思う。しかしながら、私の妻にとっては「わたしの彼は左きき」であったはずだが、この曲が話題になったことはない。また、この歌によって、良い思いをしたとか、嫌な思いをしたとかの記憶もない。
 この曲に関心を持ったのは、数年前、箱崎総一先生の「左利きニュース」(No.38,39,40合併号・1974年6月発行)に次の記事を発見したからだ。以下に全文を引用する。
 せっかくだから、レコードを手に入れてからアップしようということで、たまに行く中古レコード屋であれこれ探していたが、手に入れることができなかった。最近ふと気が付いて、YAHOOのオークションを調べてみたら、何件もの出品があって、簡単に手に入ってしまった次第。
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                麻丘めぐみのヒット・ソング売り出し秘話     箱崎総一
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 ある日、私のオフィスに全然知らない人からの電話がかかってきた。私自身はあんがい人みしりの傾向があるので一面識もない人とは普通は逢いしないことにしている。だから、その電話による面会依頼に対しても、私はいそがしいという理由でおことわり申し上げたのである。だがその時、少しばかり記憶に残ったことがあった。その人は何とかいう芸能事務所の人で、私があまり聞いたことのない歌手のマネージャーをしているとかいう話であった。
 初夏にさしかかり、その電話のことなどすっかり忘れてしまった頃、某大手広告会社の知人を通じてビクター・レコード会社の社員と是非遭って頂きたいという依頼であった。
 「実は最近、ビクターで左利きにかんするレコードを売り出す企画があるんですが、ついては左利き問題の現状についてお話しを聞かせて頂きたいということなんですが…」と、いった調子の電話であった。
 私は机の上の予定表をめくって、6月19日午後4時にお遭いするように約束した。数日後、約束の時間に私のオフィスにやって来たのは、まだ童顔の残る若いビクターの社員と、眼光のするどい中年のせいかんそうな人物のふたりづれだった。ビクターの社員はすぐに名刺を差しだしたが、その眼光のするどい人物は名刺を出そうともしないでこんなことを言った。
 「この前、直接お電話したんですがお遭いできなくて残念でした。私は麻丘めぐみという唄い手のディレクターをしている者です」と、じっと私の目を見すえながら自己紹介して、その時、私にプレゼントしてくれたレコードには、”私の彼は左利き”という題がつけられていた。
 
 そこで早速、レコードをプレーヤーにかけてみると、なかなかリズム感のある可愛いい唄だったが、はたしてこのレコードがどの程度売れるものかの見当はまったくつかなかった。
 「近くこのレコードの全国的な大規模な宣伝キャンペーンを始めることになっているのですが、レコードの題名にに”左利き”という文字が入っているのが気がかりです。”左利き”という文字によって反感を感じる人があるかもしれませんからね。」
 と眼光するどいマネージャ氏がドスのきいた声で話したのである。
 「そこで左利き問題に造詣の深いあなたにお遭いしようと思ってお電話したんですがアッサリことわられてしまったので、○○広告会社を通じてアポイントメントをしてもらったんです」と、ニコニコ笑いながら人なつこそうな童顔の残るビクター社員が話をついだ。
………アッサリ面会をことわられたました、の一言は非常に気が弱い私はこの言葉にはすっかり参ってしまった。何べんもくりかえしおわびを言ってから、数時間にわたって私の知っているかぎりの左利きに関するあらゆる知識をこの2人の訪問者に洗いざらいお話し申しあげたことはいうまでもない。
 話し疲れたので、われわれ3人は原宿の表参道にある私のオフィスの近くの喫茶店でコーヒーをのんでから別れた。日の長い初夏の陽もかげり始める時刻だったことを覚えている。

 「今のお話を唄い手、麻丘めぐみにも教えてきかせることにします。いずれ大キャンペーンが始まればマスコミのインタビューもあるでしょうから左利きに関する知識がどうしても必要になるのです」と、別れしなに眼光のするどいマネージャ氏が私に言った。
 このとき私がお話し申しあげた左利きに関する知識がどのくらいこの流行唄のキャンペーンに役立ったのかわからないが、原宿の表参道に面したビクター・レコード社のビルには間もなく巨大なたれまくが張られ、”私の彼は左きき”と書かれていた。
 それから一ヶ月ほどして、童顔のビクター社員さんから電話があった。「おかげさまで例のレコードが記録的なヒットです。もう30万枚突破です。この調子だとどこまで伸びるかわかりません。どうもありがとうございました」とのことだった。
 昭和48年の暮、例年のごとくNHKの紅白歌合戦のテレビ番組を見ていると、そこで初めて私は問題の唄い手・麻丘めぐみと、彼女が”私の彼は左きき”を唄うところをみたのであった。
 このようにして少しづつわが国でも左利き問題がいろいろな角度から脚光をあび始めたことは喜ばしいことだと私は思っている。

■1番 ■2番
   小さく投げキッス する時もする時も
   こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も
   いつでもいつでも 彼は左きき
   あふれる泪を ぬぐうのもぬぐうのも
   やさしく小指を つなぐのもつなぐのも
   いつでもいつでも 彼は左きき
     あなたに合わせて みたいけど
     私は右ききすれ違い 意地悪意地悪なの
   別れに片手を 振る時も振る時も
   横目で時計を 見る時も見る時も
   私の彼は左きき
   背中にいたずら する時もする時も
   ブラックコーヒー 飲む時も飲む時も
   いつでもいつでも 彼は左きき
   いつでもいつでも 彼は左きき
     あなたの真似して みるけれど
     私の右きき直せない 意地悪意地悪なの
   短い手紙を 書く時も書く時も
   誰かに電話を する時もする時も
   私の私の彼は左きき…………


■しかし、上の歌詞は少し変だ。この左ききの彼氏は、腕時計を左腕にはめているし、電話も左手で取るようだ。言うまでもなく、右ききの人は左腕に腕時計を付けているし、オフィスではペンを右手に持つから、受話器は左手で取る。この二つの事象は、左ききをかならずしも特徴付けていないのだ。何気なくこのように作詞した方は、充分な観察力を持っていなかった。作詞は千家和也という人である。
  


【左右の理屈】