朝青龍の左手                                                                          2004-4-9 


■スポーツ選手に左利きが多いということは知られている。「左利きの有名人」サイトに、多くのスポーツ選手の名前を見ることできる。私も、少ないながら左利き著名人のリストを作っているが、スポーツ選手は、そのリストに上げていない。未だに左利きへの偏見が残っている現代社会において、スポーツ界では、むしろ左利きであることは有利と見られたり、場合によってはかっこよいと見られたりしている。要するに左手を戦略的に活用している訳で、左手の優位さを利用するために右利きがあえて左手を使うという事例も多い。よって外見からだけでは、左利きであるかは決定しにくい。それに私はスポーツに興味が少ない。それが、私のリストにスポーツ選手が登場しない理由である。ところが、掲示板に以下のような書き込みをいただいた。

どうもはじめてメールするものです。自分も左利きなのですが今日気になる記事を見つけましたのでお知らせします。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20040329&a=20040330-00000061-mai-spo
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29日に開かれた横綱審議委員会(横審)で、2場所連続全勝優勝を果たした横綱・朝青龍に対し、内館牧子委員(脚本家)が「(懸賞金を受け取る際)左手で手刀を切るのはおかしい」と注文をつけた。
 朝青龍は春場所では214本(手取り642万円)の懸賞金を、すべて利き手の左で受け取った。右手が慣例で、内館委員は「守る伝統は守るべき。このままでは、ハイヒールを履いた女性が土俵に上がるようなことになる」と話した。
 内館委員は横審の席上、北の湖理事長に「右手で取るように明文化した方がいい」と進言したが、理事長は苦笑い。日ごろ「土俵の上では勝つことで精いっぱい。自然な流れで、ああなる」と話している横綱。あれこれ注文を付けられるのも、非の打ち所のない強さのゆえか。【上鵜瀬浄】
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なんですかこの内館牧子委員という人は?あまりにも左利きの人をバカにしていませんか?しかもハイヒールを履いた女性が土俵に上がるものなどと次元の違う論理を展開している。このまま放って置くことが出来ません。なんらかの抗議をしたいと思ってあなたのサイトを発見しました。ぜひとも検討のほど宜しくお願いします。

■この話を聞いて、朝青龍よりも内館牧子さんという人に関心を持った。この人、もしかして元「左利き」ではないか。なぜ、そう思ったか…。そもそも一般的には、右利きには、左右問題に関心が少ない。このようなことに敏感に反応するのは、左利きである。左利きが左手刀を否定するとしたら、成長の途中で使い手を右に変換した元「左利き」だろうという推論である。いうまでもなく根拠はない。ただ、この思いつきが面白いから書いた。氏を貶める意図はないが、つまらないバカげた発言をするから、つい悪口を書いてしまった。氏は朝青龍が嫌いに違いない。嫌いである前提での発言という意味では、私の発言も同等である。
 読売新聞のニュースサイトに以下のような記事を発見した。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/kikaku/053/9.htm
……親しい編集者とカイロに行った時のことだ。現地でバスのドアに右手をはさんで悲鳴をあげた私に、彼は、「バ、バカッ!はさむなら左手にしろッ」 と叫んだのである。そりゃ右手を怪我(けが)しちゃ小説が書けないとはいえ、……
 氏がペンを右手に持つことは事実であろう。

内館委員は「守る伝統は守るべき。このままでは、ハイヒールを履いた女性が土俵に上がるようなことになる」と話した。
 これは、太田さんという女性の大阪知事へのあてつけであることは明瞭である。キリスト教に改宗したユダヤ人は「マラノス」と呼ばれ軽蔑された。こういう「マラノス」は、本来のキリスト教徒以上にキリスト教徒として振舞いたがる。旧来社会は男性のものであった。それに対するフェミニズム運動があるが、一部の力のある女性がその男性社会を一定の地位を築いた場合、普通は社会が女性に開かれたと表現するが、多くの場合そうではない。その女性が男性化したのである。だからそういう女性はフェミニズムが嫌いだ。むしろ男性社会を守るように発言したり、行動する。だからこそ、その彼女が男性社会に受け入れられているのだ。横綱審議会の初の女性委員だそうだ。氏を「マラノス」と呼ぶのは非礼にしても、つい対比したくなった。

■さて朝青龍が左手で手刀を切ることが、「伝統を破る」行為なのか、あるいは「守るべき伝統」とは何か。伝統というものが、固定的でないことは明らかである。むしろ社会や環境の変化の中で自ら変わりながら、社会の中に根付いたものが伝統である。「右手で手刀を切る」ことを明文化することが伝統的であるなら、「横綱審議委員は男性のみにする」ことも伝統的であるかもしれない。これを両方やるなら、私は「右手で手刀を切る」ことを明文化することに賛同する。相撲というものにとって、手刀という行為は一つの様式伝統であるが、右手を用いるという根拠が、「左は不浄」という旧弊概念であるなら、これは「守るべき伝統」に属さない。朝青龍さんには、是非とも左手刀を続けていただきたい。そして内館さんには、「左手で手刀を切る」ことが伝統を破る行為であるという論理を、きちんと書いて欲しい。一般に新聞記事は、必ずしもご本人の考えを明確に反映していないことが少なくないからであり、少ない記事の言葉から、全面的な否定をおこなうことは失礼になるからだ。




【左右の理屈】