左手のためのピアノ−館野泉さん           2005-1-16 




「シグネチャーVol.44-No.11」より

■左手のためのピアノ曲という小さなジャンルがある。プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第4番/左手のための」や、ラベル「左手のためのピアノ協奏曲」、リヒャルト・シュトラウス「パレルゴン」などである。このジャンルは第1次世界大戦で右手を失ったパウル・ウィトゲンシュタインが作ったといってよい。あの難解なる「論考」の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄である。講談社選書メチエの「ウィトゲンシュタイン:グレーリング著」に以下のような左利きネタを以前見つけた。

■世紀末から20世紀前半、ウイーンの大富豪ウィトゲンシュタイン家はウイーンの社交と文化の中心となっていた。一家の文化的、音楽的活動の中心となったのは、八人兄弟の末っ子ルーヴィヒの母親レオポルディーニであった。彼女のまねきでブラームスやマーラーがたびたびウィトゲンシュタイン家を訪れている。兄のパウルは母親の勧めでコンサート・ピアニストになった。そのパウルは第1次大戦で右腕を失なったが、大パトロンであるウィトゲンシュタイン家のために何人かの作曲家が左手のためのピアノ曲を作った。ちなみに、同性愛者にして苦行者、ノマド(遊牧民)であったルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、旧来の哲学の主題「存在・知識・真理・価値」とは言語を誤解した結果、それから生じた幻の問題であると主張して、哲学は自分たちの思考と言語の本質を明らかにするこであると考えた。「およそ語られうることは、あきらかに語られうる。そして語りえないことがらについては、沈黙しなければならない。」「たしかに言葉にできないことはある。それはみずからを示す。それは神秘的なるものである。」 何か音楽について語っているようなのは、母親の音楽教育の影響なのかなと思う。

.■たまたまダイナース・クラブの最近の会誌「シグネチャーVol.44-No.11」でピアニスト館野泉さんの「北欧の調べに乗って」という文章を見つけた。
「ピアノの過度の練習から右手に運動障害を起こし、生涯その後遺症に悩まされたロシアの作曲家・スクリャービン。……ラヴェルの<左手のためのピアノ協奏曲>−−2001年の演奏会中に倒れてしばらくの間は、この曲だけは弾くものかとちよっと意固地になっていとところもあります。」
 北欧ピアノ音楽の発掘者として知られる館野泉さんは、2001年フィンランドのタンペレのリサイタル直後に脳溢血で倒れ右半身に麻痺が残ったが、リハビリによって、2004年左手のためのピアノ作品で復帰を果たしたそうだ。

■言うまでもなく館野泉さんは左利きではない。パウル・ウィトゲンシュタインも左利きではない。しかし、たまたま右手の機能を失うことで左手の存在、右手が使えないことの困難さを知った方だ。ただちょっと右手がぶきっちょな、普通の左利きよりはるかに困難であろうと推察される。このような本来、右利きであって後天的に左手を使っていただいている方も「左利きの仲間」だ。そのような人は少なくない。
 ただしこのような方たちは、長い時間がたってしまうと、どなたが誤解してしまって、左利きの著名人としてリストアップされてしまう恐れがある。トラファルガーのネルソン提督がよい例である。1794年にコルシカ島のカルヴィ要塞を攻略した際に敵弾の破片で右眼を失明し、さらに後年カナリヤ群島のサンタ・クルーズ港で上陸部隊を率いて戦闘中に負傷して右腕を失った。そのネルソンは、その後、トラファルガー海戦で歴史的勝利を収める。これはネルソンが左利きであったから偉大な業績を上げたのではないのである。カーライルも同じだ。だから、いずれ館野泉さんは「左利き」だというような俗説が発生しないためにこの文章を書いておく。それより上に引用したダイナースの5月のコンサートには是非はせ参じなければならない。



【左右の理屈】