語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-1-24        84語
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「エチカ」の神、「エチカ」の自己原因、影向の思想、エレガントな戦争、永遠の繁栄、蛭子、永久の戦争経済、エステティーク、エジブトのマリア、エンドゥラ、エラスムスの聖書、エタープ、エチエンヌ・エーミシェン、エクチニヤ、



エア・スペリオリティ(66)
 制空権。最近は航空優勢と訳す。制空権に近い圧倒的優勢状態はエア・シュプリマシィ。

永遠なる未完(404)
 関根正二は大正八年に、僅か20歳と2か月で亡くなった天折の画家である。その生涯は激しく燃焼した彗星のような一生でもあったが、彼の残した作品は永遠なる未完のなかで、いまなお、わたしたちに人間の無垢なる魂は何かを問いつづけている。それはまた、芸術と人生とが表裏一体となった、人間の宗教的な感情の不思議さを示すものである。第十八回吉野せい賞の受賞作品『関根正二の肖像』は、……画家と郷里を同じくした筆者(関河惇)でなければ、なかなか眼のとどかないような、風土の微妙な表情が描かれている。それは画家が生まれ育った福島県南端の城下町白河のことだけではなく、画家の心のなかに養われた風景についても哀惜の念をもって丁寧にたずねたものとなっている。

永遠の繁栄(507)
 あの世界大恐慌として知られる1929年の大恐慌の直前にも、もはやアメリカでは景気循環は消滅したのだとの楽観論が横行したと、景気循環論の草分けで知られる経済学者ミッチェルが述べている。ところが、この「永遠の繁栄」はつづかなかった。上昇をつづけた株価は1929年10月24日の暗黒の木曜日を境に急落し、四年間もの長期におよぶ世界恐慌となった。アメリカからはじまった恐慌はヨーロッパや日本に波及し、その余波がふたたびアメリカ市場をおそうにいたって、アメリカの景気はたんなる不況から真性のデフレーションに転化した。
「われわれはなお目標には到達していないが、神のご加護のもとに過去八年間の諸政策を継続する機会をあたえられれば、遠からずしてこの国から貧困が消え去る日が来るであろう」と第31代アメリカ大統領ハーパート・フーヴァーは、1928年8月12日の共和党大会大統領候補指名受諾演説で述べた。
…中産階級のアメリカ人にとってアメリカン・ドリームの成就はもうすぐだと思われた。巨大工業システムは商品を大量生産し、広告宣伝が消費者の購買意欲をさそい、ほとんど一夜にして、屋外便所はパスルームに、アイスボックスは電気冷蔵庫に、そして馬車は自動車に変わり、ラジオや映画は新しい娯楽を提供した。アメリカのビジネスは国民を永遠の繁栄にみちびく特急列車に乗せたかのようだった。


永久運動(107)
 Perpetual Motion。エネルギー保存則を超えようというのが[第1種永久機関]。クラ ウジウスの熱力学の第二法則は高温から低温への熱移動は不可逆であるとしているが、プ ランクは[火に乗せたのやかんの水が凍る可能性はごく小さいがある]と言う。このわず かな確率によって仕事をするのが[第2種永久機関]。

永久の戦争経済(498)
 戦後、アメリカにおいては、1944年の早い時期から指導的な産業人やアメリカの戦争経済軍部の主脳によって議論されてきた「永久の戦争経済」の必要性が、強力に提唱されたのである。アメリカにおいて資本主義が生き残るためには多額の軍事費の出費が要求されたし、そのためにはアメリカにとっての主要な敵をつくる必要があった。戦後、ソ連はスターリンのもと、西側の自由主義者にはいやがられながらも、見事に経済復興をなしとげた。他方、今や繁栄と拡大の一途にあったアメリカの戦争経済は、実質的に原爆製造によって支えられていたのである。1947年、アメリカの政府要人たちは、原子力委員会の議長に対して、アメリカ軍が1953年までに長崎を破壊した種類の原爆を、四百発分必要としていることを伝えた。百の都会の標的にそれが落とされれば、一つの国家…とくにソ連…を滅亡させるのに十分の効果がある、というのがアメリカ政府の要人の考えであった。
 1948年中、アメリカではソ連に対抗する「防衛戦争」の必要性がさかんに強調された。たとえば、フォン・ノイマンは、ロス・アラモスで、いつもソ連がアメリカの究極の敵であるという見解をとりつづけていたが、次のような強硬な政策をうち出している。……もし君たちが、なぜ明日ソ連に原爆を落とさないのかというなら、私はどうしてきょう落とさないのかと逆にききたいし、また、きょう五時に落とすというのなら、どうして一時にしないのかとききたいのだ。


影向の思想(540)
 わずかに神木の樟だけが、当時の隆盛を語っている。かたわらへよってみると、意外に大きな古木で、後白河法皇が、熊野から移したというのはほんとうの話であろう。「影向(えいごう)の樟」とも呼ばれるが、影向とは、神が宿る、ひいては影を映す、という意味で、少し飛躍していえば、日本の宗教や芸術は、すべてこの影向の思想から発しているといっていい。それは日本人の模倣性ともつながっているといえようが、今さらそれが悪いといってみたところではじまるまい。それより天が与えたものを、十分に伸ばすことの方が大切だろう。都会の喧噪と塵壊にまみれて、堂々と枝を張って立つ樟は、私にそんなことを語りかけるようだつた。

英国の弱気(323)
 最後の段階でヒトラーを救い、ベネシュを絶望の淵に追いやったのは、英国の弱気だった。チェンバレンは、戦争になってもチェコを救うことはできないと、ベネシュ大統領を脅した上、1938年9月に、後に有名になるラジオ演説を行った。「全く見知らぬ遠い国の人々の戦いのために、われわれがここで塹壕を掘ったり、ガス・マスクをつけたりしなければならないとは、なんと恐ろしい、ばかげた、信じがたいことだろう。」

英語を話す神(340)
 19世紀後半、おそらくトレンチ博士は、実在する他の誰よりも言語協会の崇高な野心を体現していた。彼が200人にのぽる他の会員の大半と同様に確信していたのは、英語が世界中に絶え間なく普及していくかに見える当時の状況の背後に、ある種の神の定めがあるということだった。「神」(−−ロンドンのこの階級の人びとには、当然ながらイギリス人であると固く信じられていた−−)は、英語の普及を大英帝国の支配に不可欠な手段として認めていたのはもちろんだが、そこから議論の余地のない必然的な結果が生じることも認めていた。つまり、キリスト教が世界中に発展していくことである。英語が普及すればキリスト教も広まるという考え方は、きわめて単純であり、全世界のためになると信じて疑われない信条だった。

英独同盟(205)
 英独の理解そして英独同盟のために動いたグループはドイツ・イギリスの双方に、19 14年以前も、1940年においてさえ存在した。……多くの歴史家・戦略家が、ドイツ の要求に対抗する際のイギリス人の猛烈さ、アメリカに譲歩する際の従順さについて論評 している。……結果としてイギリスは自らが、自国の力を清算し、その世界的役割をアメ リカに明け渡す代行者となった。

英仏海峡横断海底橋(214)
 ギュスターブ・エッフェルは1889年の万博にエッフェル塔を建設した後、3つの大きな計画を持っていた。それはパリ地下鉄、モンブラン天文台、そしてこの海底橋である。海底橋とは海底トンネルのことであるが、エッフェルにとっては橋であった。鋳鉄で外装されたセメント製の防水チューブとし、その浮力を1とすることで、海中に浮かぶ橋にするという構想であった。いずれの構想も実現しなかった。

英仏海峡トンネル(46)
 全長50.5Kmだから53.9Km0の青函トンネルには負ける。ただし、この見解 には英仏の人たちは海底トンネルは海底下の長さで比較すべきだと言うに違いない。海底 部長では37.9Kmで23.3Kmの青函に勝つ。こう言われたら、日本人としては海 面下深さで勝負。240mの青函が100mの英仏に勝つ。それでも難癖をつけてきたら 、このトンネルは日本の資本と日本のトンネル掘削機で作ったといいってやる。 このトンネルを交直両用、パンタグラフ、第三軌条集電という変則車両のユーロスター は20分で通過してしまう。

エイムズの部屋(296)
 壁、天井、床が台形状であるにもかかわらず、ある特定の位置に作られたのぞき穴から見ると、ごく普通の部屋に見え、部屋の左右の隅に立つ人が、巨人と小人のように見える錯視。なぜこのような錯視が生じるのか。それは、知覚者が、過去最もよくあったことが、今現在も最もありそうだと「無意識的に推論」するからだという。視知覚とは、本来あいまいだったり、多義的であるはずのセンスデータ(もしかしたらキュービズムの絵のような)を蓄積された過去経験にもとずいて推論、解釈するというプロセスだということになるだろう。

栄養雑種(278)
 ルイセンコ学説の基礎となった実験は、1)コムギの播性の変化、2)栄養雑種、3)混合受粉 である。栄養雑種とは、白い果実がなるトマトの枝を、赤い果実をもつトマトの親木に接ぐと、白いトマトの枝に赤い果実が表れ、この果実の種子から育ったトマトの実の多数は赤色であったという。

エウシカラ(365)
 現代ヨーロッパで話されている言語はすべてインド−ヨーロッパ語と呼ばれる語族に属している。例外は、バスク人のエウシカラ、フィンランド語、エストニア語、ラップ語、そしてハンガリー語だ。エウシカラは現存するヨーロッパ言語のなかでも特異な存在で、ほかの言語とはっきり関連づけることができない。

エウロパ
 ヨーロッパの語源となる神話上の女神。エウロパの略奪。

エオウィン(272)指輪物語
 セオデン老王の妹の娘。「静かな憐れみの色を目に浮かべて王を眺めるそのまなざしは沈痛で思慮深げでした。その顔は際立って美しく、長い髪は金色の川のようでした。…こういうわけで、アラゴルンはこの時初めてローハンの姫君、エオウィンを明るい外の光の中で見たのです。
…アラゴルンの前に立った時、彼女は不意に一瞬ためらいを見せ、かれをじっと眺めました。その目は輝いていました。かれは彼女の美しい顔を見おろして微笑を浮かべました。」

エオール機(19)
 クレマン・アデール(仏)は1890年に20馬力の蒸気機関を搭載したコウモリのよ うな形状のエオール機(風神)で50m地上を離れた。ライト兄弟のフライヤーが飛ぶの は1903年である。ラルース百科事典はこれをもってアデールを航空の父と呼ぶ。

エキザクタの自殺(167)佐貫亦男
 1961年にイハゲー社は自殺的モデルチェンジを行う。エプロンおばさんと嘲笑され ることになる横幅を広げた下すぼまりのボディ前板をつけただけの変更をしたのである。 実は私はこのモデルチェンジ機体であるEXAが大好きなのである。  

エキスパートシステム(268)P.41
 過去にうまくいったからといって、新しいものの設計が成功するという保証は確かにない。成功事例を追うというロジックで動く人工知能、エキスパートシステムや他のコンピュータ設計支援が限られた範囲でしか使えない理由はここにある。…ブロックレイによれば、成功したプロジェクトの説明は存在するが、「そこから学ぶべきものはほとんどない」。… 

エグザエル(TV)  
 積極的自己追放。ケルト的心情である。聖パトリックのように、アイルランドを去って 大陸に伝道に出た人々。

エクスカーションのナポレオン(325)
 トーマス・クックは語った。「私は100人の人間が12人のグループと同様に易々旅行させられない理由はないと思う。ナポレオンが初めて大軍を連れてアルプスを越えたように、100人の観光隊がアルプスのあちこちの峠を行進する日も遠くないだろう。」それから数週間後、彼自身13頭のろばに引かせた大型馬車(ディリンジャス)でアルプスを越え、北イタリアをマス・ツーリズムに向かって開くことになる。そしてさらに数ヶ月後には、クックが「エクスカーションのナポレオン」と呼ばれるに至るのである。

エクス・ラ・シャペル(386)
 今日ベルギー国境に近いドイツ領のアーヘンはシャルルマーニュの西口−マ帝国時代には、エクス・ラ・シャベルといわれて、礼拝堂と宮殿があった。「フランスのエクス」というとき、フランスは、シャルルの全領土の意味であり、東フランクをも含んだ。

エクソダス(130)                                    
 モーゼによる出エジプト。長く英訳では紅海(Red sea)と訳されてきた葦の海 (Reed sea)を割ってシナイ半島に渡ったルートには定説がない。写真家白川は 自ら歩いた実感として、南方説、すなわち大ビター(苦)湖と小ビター(苦)湖の接点を 示すがその文章には説得力がある。  ルートがはっきりしないので、十戒を得たシナイ山も特定できていない。南方説の荒涼 たる岩山ジェベル・ムーサの山頂には小さな教会が立つ。

エクチニヤ(422)
 デマゴギーと嘘は彼(ネチャーエフ)の生活の伴侶となった。そしてもちろん、皇帝暗殺という思想、しかも皇族の大量殺人という思想も。皇族の誰を殺すべきかという質問に対し、彼は薄笑いを浮かべながら 「エクチニヤ」(全部)と答えた(「エクチニヤ」は、皇族のための祈祷で、その中で一族「全員」の名が列挙される)。この一節は若きレーニンを熱狂させた。彼はネチャーエフの夢を実現することになる。

エコール・ド・パリ(30)
 パリ派。各国からパリにあこがれ集まった若く孤独な芸術家たちがヴァヴァン交差点近 くのカフェ[ドーム]や[トロンド]で語り合う中で、新しい絵画の流れを作った。ス ーチン、シャガール、モジリアニ、キスリングら。

エコール・ポリテイクス(93)
 フランスの大学は共通テストのバカロレアに合格すれば入学することができる。グラン ド・ゼコールと呼ばれる専門職養成機関の一部がエリート養成機関となって、この卒業生 が主要なポストを占めている。その一つがこの[理工科学校]、かならずしも技術者では なく総合的なエリート教育を行う。他にもエコール・ノルマル・スュペリエール(高等師 範学校)もある。

エジプトのマリア(472)
 悔い改めた「罪深い女」というイメージに、隠修士ないしは苦行者としてのイメージが合体してくる。そのモデルとなったのが、五世紀に生きたエジプトのマリアで、この聖女は、12歳のときに娼婦となり、17年間この生活を続けていたが、エルサレムへの巡礼をきっかけに、自分の罪の深さに心から打ちのめされ、発心して世を捨て、苦行のなか、以後47年もの長きにわたって、ひとり砂漠で純潔を守って生きたのであった。こうして、「罪深い女」マグダラのマリアは、はっきりと娼婦としての前歴を着せられる羽目にもなり、悔い改めた娼婦として、その後の西洋の宗教や芸術における彼女の運命に、計り知れない痕跡を残すことになる。

エステティーク(488)
 感性論ないし美学

エストロジェン類似作用(246)
 内分泌かく乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)は、動物の生体内に取り込まれた場合、本来動物の生体内で営まれている正常なホルモン作用に影響を与える。それはたとえば女性ホルモンとして機能するエストロジェンに代わってビスフェノールAなどがエストロジェン・レセプター(ER)に作用して、たんぱく質を合成し、主として生殖や成長に関する悪影響を与える。逆に男性ホルモンとして機能するのがアンドロジェン類似作用。環境ホルモンとされるのはダイオキシン、PCB、DDTなど67物質が指定されている。

エスノセントリズム(243)
 自民族至上主義。基本的には社会をより良くしたいという改良願望からはじまった優生学は、アメリカでは自由放任による自然淘汰が受け入れられ、ドイツでは社会管理的側面が共感を呼び、ヒトラーの政策を先鋭化させることとなった。

エソテリズム(379)
 Esoterism  秘教。

エタープ(428) 
 1817年には流刑囚を護送するための組織、いわゆるエタープ制度を設けた。「エタープ」という言葉は、フランスからきた軍隊用語で、もとの意味は軍隊が移動する際、途中で宿泊する兵舎をさした。それがロシアでは、流刑隊が道中で泊まる「宿営監獄」の意味に転用され、これがヨーロッパ・ロシアからシベリアの辺境にいたる全行路に20−40マイルおきに設けられたのである。サンティアゴ巡礼のガイド本上の一日の行程を1etapaと呼ぶ。その意味をようやく知った。巡礼が泊まるetapa毎のアルベルケは「宿営監獄」であったか。

エチエンヌ・エーミシェン(423)
 1920年、フランス人技師エチエンヌ・エーミシェンは、…烏や昆虫の翼の仕組みを、3年にわたって研究した…。エーミシェンは翼の研究の一環として、ヘリコプターの簡略な図面を描いていた。驚くべきことに、エーミシェンの最初のヘリコプターは、ソーセージ型の気球をてっぺんに取り付けていた。1921年1月15目、このセミヘリコプターは…自由飛行を行なったが、気球がなければ歴史的偉業の栄誉を得ていたにちがいない。この動力付きヘリコプターは、乗員を除いた自重を離昇させたのである。
エーミシェンが記録を樹立した4日後に、ラウル・パテラスペスカラ侯爵が、まったく斬新な設計のヘリコプタで、その記録を破った。


「エチカ」の神(541)
 「エチカ」の第1部は「神について」である。そして存在そのものとしての神を表わす「自己原因」の定義から始まる。スピノザの神は、まず聖書の『出エジプト記』の神と同じく、「われはありであるものなり」であった。無神論者として非難されながら、実はそうでなく、むしろ伝統的な神の観念に従いつつ、それからいわゆる宗教色をぬぐい去り、合理化していったのがスピノザの神である。神の非人格化は、その一つの結果である。神は自己原因でもあり「実体」でもある。人聞が神を知ることができるのは、その「属性」においてであるが、属性は神の永遠・無限の本質を構成する実在である。また神は万物の第一原因とみなされるが、それは超越的な原因ではなく、内在的な原因である。神はこのことによって、万物を自己のうちに包容する汎神論的な神となる。
 万物を自然と名づけるならば、神はその原因であるから、「能産的自然」であり、神から産出されたすべてのものは神の「様態」といわれ、「所産的自然」を形成する。様態には、無限様態と有限様態とがあり、後者がいわゆる個物である。神はいっさいの個物を、無限様態を介して必然的に産出する。この必然的な産出のゆえに、いっさいは必然的であり、偶然や目的観念、意志の自由の成立する余地はない。
「様態は実体がなければ存在することも、また考えられることもできない。それゆえ、様態は神の本性のうちでのみ存在し、また、それによってのみ考えられることができる。だが、実体と様態以外には、いかなるものも存在しない。それゆえ、いかなるものも、神なしには存在することも考えられることもできないのである」。こうして「存在するものはすべて神のうちにある」しかも「神以外にはいかなる実体も存在しえないし、また考えることもできない」このようにして自然のうちには、神あるいは実体しか存在しないことになる。以上のことから、「神が唯一のものであること、…言いかえれば、自然のうちには唯一の実体しか存在しないこと」が帰結される。


「エチカ」の自己原因(541)
 自己原因と他の存在とが異なるのは、後者が存在しないことも可能であるのに、前者は、存在するとしか考えられない、必然的存在であるということである。このような必然的存在が実体といわれる。
「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである。一言いかえれば、その概念を形成するために他のものの概念を必要としないもののことである」(つまり寸実体の本性とは存在することである」自己原因としての実体は神でもある。神とは「絶対無限の存在者、…言いかえれば、そのおのおのが永遠・無限の本質を表現する、無限に多くの属性から成りたつ実体」だからである。


エックハルト(187)  
 13世紀の神秘主義的ドイツ神学者。「神は無である。人間もそこから引き出された存 在であるから、自らの内に神の本質の閃きを持っている。」  

エッケ・ホモ(232)
 Ecce homo(この人を見よ)。鞭打たれ、茨の冠をかぶされて民衆の前に引き出されたイエスに対してピラトの言った言葉。

エッシェル(280)ル・コルビジュ
 彼は寸法を測ることで秩序をもたらした。測るために彼は自分の歩幅を腕を指を利用した。彼の足や手の持つ秩序を導入することで一定のモジュールをつくり彼の作るものを調整した。そして作られたものは、<彼の寸法>に合致し、使いよく、住みよく、彼の<エッシェル(尺度)>が与えられる。

エッセネ派(27)
 ユダヤ教エッセネ派。反ユダヤ教的イエスの教えの先駆となる労働と祈りと瞑想を信条 とする原始共産主義的共同体。さらに過激な反ローマ武闘派がゼロタイ派。これらの派閥 の中にイエスが受け入れられる以前に、何人もの敗北したメシアが存在した。

エーデルヴァイス海賊団(286)
 ヒトラー政権下のドイツ、主として第二次世界大戦中に自然発生的に出現し禁じられた活動を展開した少女を含む少年労働者たちのグループの代名詞。彼らが互いに仲間であることを確認しあい、また他の人間に対して自分たちの存在をアピールするための目印として好んで使用したのが、エーデルヴァイスの徽章であった。その目的意識はヒトラー・ユーゲントに敵対することであった。ナチ当局は、ヒトラー政権下になって教育をうけたはずの若者たちのなかから、このような集団が生まれてきたことに狼狽した。近年、反ナチ・反戦運動として再評価が進んでいる。

エーテル音楽(375)
 …測定装置の計器に接続する出力のところにヘッドホンを接続してみた。するとガスにかけられる圧力や温度変化に呼応して、ヘッドホンから聞こえるピッチ(昔の高さ)が上下した。…ガス誘電率を測定する装置にヘッドホンを接続するという、いささか突飛とも思える行為は、…なによりもテルミンならではの直感により導き出されたものであろう。来たるべき未来社会にアンテナを備えたその形態は、楽器というよりラジオのように見えた。可変コンデンサーにおける電極の片方をそのアンテナに、もう片方を人間に置き換えることにより、楽器に対して手を近づけたり遠ざけたりすることで、両者の間のコンデンサー容量を変化させ、音の高さの変化を導き出すものであった。…空間にかざした手の動きで、非接触で演奏するという、演奏形態の概念をも変革する可能性を秘めていた。1921年10月に第8回全ロシア電子技術会議で公表された。
 「テルミン・ヴォックス」、ラテン語でテルミンの声″という意味である。ロシアでは現在でもこの呼び方で通っている。日本や欧米では単にテルミン(Theremin)″と呼ばれるのが一般的だ。また、当時、エーテルは光を伝搬する物質と考えられていたが、あたかもそのエーテルをつま弾いているかのごとき演奏スタイルから、エーテルフォンと呼ばれることもあった。テルミンによるコンサートはしばしばエーテル音楽″と称された。


エネルギー消費(33)
 1977年にロビンスが調査したアメリカにおける最終エネルギー消費の実態。
  100度以上の熱を得るため………35%
  100度以下の熱を得るため………23%
  機械的運動………………………38%(31%が自動車、産業用電動機は4%)
  電気を必要とする部門…………… 4%
結論は電気エネルギーとして供給する必要のあるエネルギーは全体の8%にすぎないこと を示した。


 ■エネルギー通貨(72)
 発酵や呼吸によって生物は有機物を分解してエネルギーを利用するが、これを貯えるの がアデノシン3リン酸(ATP)。生体のエネルギー交換の中心的役割をになうことから ATPをエネルギー通貨と呼ぶ。ADPが[〜P]という高エネルギーリン酸結合してA TPになることでエネルギーを貯え、これを運動や代謝に利用して、再びADPに戻る。

エネルギー密度(245)
 単位重量(あるいは体積)あたりのエネルギー量。電気自動車がガソリン車に追い払われたのは、鉛蓄電池のエネルギー密度がガソリンの300分の一でしかなかったからである。

蛭子(505)
 イザナキとイザナミが最初にもうけた子は、ひるこ(蛭子)だった。ヒルコという名前は虫の蛭からきており、体が不完全な赤ん坊を意味する。イザナキとイザナミはヒルコを葦船に乗せて海に流してしまう。…ヒルコは、流れ流れて現在の西宮神社に漂着して、そこで神様として信仰されるようになった。…なぜ蛭子を「エビス」と読むのだろうか。昔から漁民の間では、岸に打ち上げられた漂流物、海獣の死体、水死体などを、「エビス」と呼ぶ風習があった。

エピタキシー(326)
 半導体基板結晶と同一結晶軸を持つ単結晶薄膜を成長させること。(エピタキシーで得られる薄膜結晶は,バルクの結晶に比べ結晶性,純度ともに優れており,また極めて薄い結晶膜や複雑な多層の結晶構造を作り出せることから,特に化合物半導体の分野では不可欠な技術である。)

エピファニー(145)
 ジョイスの文学創造のインスピレーションの源泉。キリストの降臨、すなわち神聖で超 自然的存在による顕示。カトリック信仰を棄て、母の死の床でも祈ることをしなかったジ ョイスであったが、トマス・アクイナスの神学をよりどころとしていた。

エピメテウス(146)
 プロは「前の」、エピは「後の」、メテウスは「考える」。プロメテウスの弟である。 前もって考えるプロメテウスは、ゼウスから火を盗むだけでなく、数々の技術をもたらし た。それとは逆のエピメテウスは地上に下った最初の女性パンドラを妻とするが、パンド ラは壷を開け、諸悪を地上にもたらした。

エポケー(20)  
 判断停止  

エポニミー(210)
 科学史において法則、現象、装置などにそれを発見したり発明した人の名前を冠すること。

エミール・ペイノー(358)
 醸造コンサルタントの先駆けは元ボルドー大学教授のエミール・ペイノーで、1940年代末から活動した。ペイノーの最大の功績は、ボトルのなかでマロラクティック発酵が起こり、赤ワインが徴発泡性を帯びるという欠陥が少なくしたことである。「若くてもおいしく飲め、長い熟成にも耐えられるボルドーの赤ワインをつくる」というのが彼の口癖で、こうしたペイノーの意志は現在のワインメーカーたちの中にも脈々と流れています。「よいワインはよい葡萄から」「赤ワイン用葡萄は完熟させる」「発酵温度を徹底的に管理する」といった現在の常識は、すべて彼が提唱したものです。 また、ペイノーは「選別」に異常な情熱を見せたひとでした。健全な果実のみを収穫し、醸造は葡萄樹の樹齢や区画が異なる毎に分けて行ない、質が劣るとみなされたロットはすべてセカンド・ワインに格下げしました。1970年代後半に、当時低迷していたシャトー・マルゴーを復活させたのは明らかに、この 「選別」 でした。ペイノーの功績は彼自身のコンサルティングによるもののみではなく、彼に師事した生徒たちが世界中で高品質のワインを生産していることからも明らかです。しかしながら、醸造技術が強くワインに現れ、その地域性が失われてしまったという批判は根強くあります。

エメラルド表(41)
 ヘルメス哲学の初祖、ヘルメス・トリスメギストスの錬金術文書。エジプトの洞窟発見 された。下なるものは上なるもののごくく。

エメリック・ピカード(367)
 1123年にコソポステーラまで歩き通したフランス人、エメリック・ピカードのおかげで、今日の巡礼者が歩く道筋は、その昔、シャルルマーニュ、アシジの聖フランシスコ、カステーリヤのイザベル女王、そして最近では法王ヨハネス23世が歩いた道とまったく同じなのである。ピカードは彼の体験を5冊の本に著している。5冊ともサンチャゴの熱心な信者であった法王カリクタス二世の著作であるとされ、後にカリクタス古文書として知られるようになった。この五冊の本の中で、ピカードは道筋に沿って、各地の自然の様子、泉、病院、避難所、都市等について詳しく記している。当時、「サンジャックの友」と呼ばれる特別の協会が組織され、ピカードの注釈に基づいて、道筋の自然の目印をそのまま維持し、巡礼の人々を助けるようになった。

エラスムスの聖書(449)
 1516年2月エラスムス『校訂新約聖書』パーゼルのフローベン書店より上梓。教皇レオ十世宛ての献詞序文が添えられていた。大きな波紋を巻き起こし、十六世紀の間に二百二十九版を数える。
…敬度な読者に対して何度も呼びかけているように、エラスムスの真意は聖書の価値を貶めようとするものではなく、むしろ聖書もまた生き生きとした人間の書物であることを強調する点にあったに違いない。『校訂新約聖書』は不幸な書物である。同時代の知識人層からは、ウルガタ訳を冒とくしたという理由で非難された。後代の聖書文献学者からも、底本としたギリシア語写本が、ありふれたピザンティウム本文の、それもかなり時代がくだってから筆写された粗悪な写本であったという理由で、ひどい場合には無視さえされている。しかし、ルターの独訳聖書の底本とされるのも『校訂新約聖書』第二版であるし、またギリシア語聖書の「公認本文」の基礎となったのもこのエラスムスの聖書である。



エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(341)
 イエス十字架上の言葉「主よ、主よ。なんぞ我を見棄てたまうや。」は決して絶望の叫びではなかった。それは「すべてをみ手に委ねたてまつる」という信頼の呟きにつながる始まりにすぎぬ。

エルネマンの血(85)
 ツァイス・イコン社はエルネマン社の血を引いている。すでにエルネマン社によってつくられた小型カメラのウネッテとボベッテはコンタックスの先祖だといっても過言ではない。

エルノスター(191)
 エーリヒ・ザラモンの政治家のスナップはエルマノックスのF2レンズのおかげで撮影 がてきたものだ。このカメラのレンズがエルノスターF2。トリプレットの前側の空気間 隔に凸のメニスカスを入れるとレンズの明るさが増す。このアイデアをエルネマン社のル ートヴィヒ・ベルテレは、前群の2枚を凸のダブレットに替えてみることでF2を達成。 ベルテレ23歳、全く独学の成果であった。

エルマックス(61)
 エルンスト・ライツとレンズ設計者マックス・ベレクの名を取った50mm/f3.5 レンズ。ライツ一号機であるライツ・ライカ・カメラとして1925年ライプチヒ見本市 に出展されたA型ライカ毎に搭載。まだレンズ交換不能。後群3枚の製造コストがかかり 後に旧エルマーと呼ばれる後群2枚の3群4枚レンズに変更された。

エルマリートR35ミリF2.8(192)
 全ての一眼レフ用広角レンズの中で、最も優れたものの一つではないか。全ての点にお いて最高、特に発色がよい。その凄さは使ってみないとわからない。絞り開放からトーン もコントラストもよく、必要十分なシャープネスを兼ね備えている。一段階絞ったあたり からすばらしい切れ味が出て来て、絞りをマイナス補正にしていっても暗部がつぶれにく く、赤の発色が保たれ続けるのである。

エルロンド(271)指輪物語
 「だが、わたしの記憶は上古の時代にまでさかのぼる。エアレンディルがわが父である。わが父は没落後のゴンドリンで生まれた。わが母は、ドリアスのルシアンの息子、ディオルの娘、エルウィングである。わたしは西方世界の三つの時代を見てきた。」

エルンスト・アッベ(85)
 1840年アイゼナッハに貧困な工員の子として生まれる。精密工学ではアッベの測長 器で知られる。ゲッチンゲン大学の助手時代にカール・ツァイスに出会い、ツァイスの光 学設計理論の基礎を築く。特に[分解能理論]が有名。ツァイスとの契約で研究成果の公 表禁止と、ツァイスの独占が規定されていたので、自身の手で論文や著作を発表できなか った。 ただしツァイスの事業的成功で、経営権の一部を得、さらにその権利を投げうっ てツァイスを財団化し、従業員全体の福利と権利を重視する経営形態を作る。

エレウシスの密議(86)
 秩序、調和、均衡を愛好するアポロン的精神の裏にあってギリシャの秘伝、密議の原点 は[不死の酒]のディオニソス崇拝である。これと対になる女神デメーテルを祭るアテネ の近傍のエレウシスで行われる密議はゼウスとデメーテルの結婚、すなわち天国と地上の 結婚の再構成である。

エレガントな戦争(522)
 フリードリヒ大王の戦術には18世紀的な限界(横隊戦術}のなかではギリギリの緊張と果敢さがあり、その教訓は観念的ながら少壮将校のあいだに夢のような機動性をもっ軍隊の理想像を生だ。啓蒙主義的な知的サロンの人気者であったギベール伯は、『戦術論(1773)』などで、早くも「国民戦争」、火力と機動性の増大を予言している。1751年から77年にかけて完成した陸軍士官学校で、ナポレオンもこれを学んだ。
「散兵」ということは、火力の増大にともない今日では軍規の一部をなすほど重要であるが、当時はむしろ軍紀違反と考えられていた。フリードリヒ大王の軍隊の強さも、規律厳重な横隊が頑強に守られた点にあるとされ、これこそが18世紀戦術のポイントであった。
 フランス軍は敗北するほど戦ってさえおらず、ただ自己崩壊したといってもよいのである。相手のオーストリア軍は一八世紀の行儀を守り、追撃戦でフランス軍を壊滅させようとはしなかった。エレガントな限定戦争だけが予定されていたのである。

エレヒの石(274)指輪物語
 エルロンドからアラゴルンへの伝言「予見者の言葉と死者の道を忘るなかれと。」
「フォルノストの最後の王、アルベデュイの御世に予見者マルベスはかく語った。」と、アラゴルンはこう歌いました。
 長き影、地をおおいて、暗黒の翼、西の方にとどく。
 塔はゆれ動く。王たちの奥津城に滅びの日、近づく。死者は目醒まさる。
 そは、誓言破りし者らに時いたればなり。
 エレヒの石に、ふただびかれら立ちて、丘に角笛の高鳴る音を聞かん。
 角笛はだけりものぞ? かれらょ呼ぶはだれぞ? 淡き薄明の中に、忘れられし民を呼ぶは。
 その民の誓言せし者の世継なり。
 その者、北より来らん、危急に駆られて。かれ、死者の道への戸をくぐらん。

エーレンフェルト事件(286)
 1944年11月10日には、エーレンフェルトのエーデルヴァイス海賊団員の少年たち、および戦争やテロに反対するその他の闘士たちを含む13人のドイツ人が、裁判の判決もなしに、ゲシュタポおよび親衛隊の手によって、ここで公開絞首刑に処せられた。…ケルンのエーレンフェルト駅近くでのことだ。…最も若い処刑者は16歳のバルトロメウス・シンクという屋根職徒弟であった。

エロティシズム(183)
 エロティシズムとは死を賭するまでの生の賛歌ではないだろうか。性欲にはすべて死が 前提として含まれている。生殖するとは消滅することにほかならない。  エロティシズムの歴史は反抗の歴史である。生産社会をその無生産性によって脅かす文 明批判の暗黒の力である。

エロンゲーション(183)  
 マニエリスム絵画において女性を表現する上の特徴である「細長さ」。もう一つは「蛇 型」である。優雅さの追求を極端に推し進めた結果である。逆に男性を表現する場合はミ ケランジェロに見える筋肉の誇張として現れる。

演技(290)
 そもそも演技という言葉に付随する欺瞞的イメージは、「本当の自己」を仮定するところから発する。それは、演技された自分と本当の自分との区別、あるいは、演技している自分と、その背後にあって冷静にそれを見つめているもう一人の自分との区別である。演技の背景に「本当の自己」を仮定したとたん、社会的ふるまいは本物と偽者に分かたれることになる。…本物の自分を仮定しなければ嘘の自分もない。「本当の自己」の実体は「本当」という役割を担わされ、本物というペルソナをつけて自分自身に向けられたもう一つの自分であるともいえよう。

エンザイム(72)
 ドイツのキューネが[酵母のなかに存在するもの]という意味で名付けた。Enzyme。酵 素。酵素は、それ自体が変化することなく物質の分解、合成を促進するという意味で生体 触媒ともいわれる。

円周率を計算した男(343)
 円周率の研究は西洋では、16世紀の終りごろから始まっている。17世紀の最高記録はオランダのコーレンが計算した小数点以下35桁である。同時代に生きたニュートンでも、1676年に14桁までしか計算していない。和算の世界では寛文3年(1663年)、村松茂清が「算俎」の中で21桁を示した。関孝和の弟子の建部賢弘は1722年、πの無限級数展開を求めた。西洋ではオイラーがベルヌーイに宛てた1937年の書簡に初めて見られるものと同じであった。

厭世家(303)ヘルマン・ヘッセ
 私はこれらの厭世家たちに、こう書いてやったのです。私は自殺を決して許容しがたいものとは思わないが、決行された自殺に対してだけ、ほかのあらゆる死に方に対すると同じように、敬意を表する価値があると思っている。しかし私は、厭世観や自殺の意図について会話することを、まったく彼らの望みどおりには本気に受け取ることはできないうえに、このようなことを話すこと自体、かなり不躾な、一種の同情の強要と考えると。

エンデュアランス号(260)
 シャクルトンによる1914年の南極横断探検に利用された。ウエッデル海で、氷板に閉じ込められ、10ケ月間氷板とともに移動したが、夏季の解凍に伴う大圧迫によって、沈没。その後は6ケ月間、氷板にキャンプを張り、氷板とともに移動。ようやく海水面にたどり着き、最後は救命用のボートを漕いで、出発地のサウスジョージア島に、1人の死者をださずに生還した奇跡的冒険であった。船の名はシャクルトン家の先祖伝来の家言である「不屈の精神で勝利する」から取られた。

エンドゥラ(462)
 カタリ派の教義から発して、悪の原理の支配する現世に屈服しないことが、その倫理の至上律である。現世に屈服することとは、端的にいうと、肉食と肉慾という二つの「肉」に屈服することにほからない。肉食と肉慾の否定形式である断食と独身制が、彼らに与えられた課題になる。チーズも卵も牛乳もブドー酒も禁じられた。魚だけ許されたのは、水から湧き出ると考えたからである。大きな年次祝祭や、この共同体の一員となるべき試練期間には、長い断食期が課せられた。一方、独身制とは婚姻の拒否である。彼らは、あらゆる種類の性交を否定する。ことにカトリック教会の秘蹟にあげられている婚姻による性交は、公然と行われるだけに、売淫よりなお悪いとする。断食による肉体の衰弱と、徹底した独身制による種族の根絶の行きつくところは、必然的に死である。時には、「エンドゥラ」と呼ばれる自由意志による餓死さえ選ぶ者の例も、少なからず報告されている。

エンドレ・フリードマン(101)
 1913年ブダペスト生まれのユダヤ系ハンガリー人。エンドレ・エルネー・フリード マン。キャパの本名である。エンドレのハンガリー風の愛称バンディと呼ばれた。192 9年の大恐慌にともなうハンガリー経済の混乱でベルリンに着の身着のまま亡命。言葉を しゃべれない者がジャーナリズムにつくのにもっとも手っ取り早い方法は写真家になること だという理由が、彼を戦場カメラマンの英雄にした。

エントロピー(71)
 エントロピーは全ての科学にとっての第一法則であるとアインシュタインは言った。ク ラウジウスは”閉ざされた系のなかではエネルギーレベルに違いがあれば常に平衡状態へ 向かう”ことを発見しこの平衡状態をエントロピー最大の状態とした。この過程は不可逆 である。熱力学の第一法則をエネルギー不滅の法則と呼ぶのは誤りである。  物質とエネルギーは一つの方向のみに、利用可能なものから利用不能なものへ変化する。 すなわち宇宙のエントロピーは刻々と増大し、利用可能な残エネルギーを減少させている。

エントロピー弾性(169)
 ゴムひもを唇に挟んで、急激に引っ張ると唇に発熱を感じる。この現象はゆっくり引っ 張っても起こらない。外部と熱の授受のない断熱変化によるゴム内部の熱発生によるもの である。ゴムの分子鎖はミクロブラウン運動をしていて、その分子長さの存在確率の最も 高い位置に戻ろうと、すなわちエントロピーの増加する方向に戻ろうとする。
以下、どこかの学生さんからの問合せに答えて……
 この言葉と説明は、「やさしいレオロジー」:村上謙吉,産業図書,昭和61年,(1500円)からピックアップしています。(この本を図書館で借りるのが早道ですが。) やさしい本には「ゴムのおはなし」:小松公栄,日本規格協会,(1993),1400円があります。
 多分、一番きちんと説明しているのは、以下の本だと思います。パラパラと見た範囲では、私には理解不能の難解な本でした。  ゴム弾性[初版復刻版]   理学博士 久保亮五 著   A5判/176頁/本体価格2500円+税/1996年6月   ISBN4-7853-2807-X (裳華房)
 数式としてきちんと把握するには「ゴムの事典」:奥山通夫・他,朝倉書店,(2200円)がいいと思います。
 私のつたない説明
  >高分子の弾性は、エントロピー弾性で、
  >金属の弾性は、エネルギー弾性だから、本質的に異なる
 高分子でも、常温でガラス遷移温度以下であるような(ようするに常温で硬い)プラスチックの弾性は金属と同じ弾性挙動になり、ゴムのようにガラス遷移温度が低い(例えば−70℃程度)高分子は常温で、極端な伸び縮みができ、この弾性挙動は、金属の結晶の弾性とは機構が異なり、これをエントロピー弾性と呼ぶ。
  >ゴムが伸びたり縮んだりするときには、
  >フックの法則は使えないということなのでしょうか。
 フックの法則は、そのものの歪と応力が比例するといっている訳ですから、エネルギー弾性による金属でも、降伏点以下での鉄鋼はフックの法則に従うけれど、アルミなどは厳密にはフックの法則に従わない。たしかにゴムは、大きな歪範囲ではフックの法則に従わないけれど、狭い範囲では実用的にはフックの法則に従っている。ということは、エントロピー弾性とエネルギー弾性の問題と、それぞれの弾性による変形がフックの法則に従うか従わないかは別次元ということになります。
  >エントロピー弾性と、エネルギー弾性について
  >分かりやすく教えてください。おねがいします。
 一般化すれば、全ての弾性は以下のようになりますが、金属の結晶ではエントロピー項がゼロになり、常温のゴムではエネルギー項がゼロとなるということですね。
     弾性=エネルギー弾性+エントロピー弾性
すなわち、エネルギー弾性は、物質の各原子が結晶的に並んでいて、外部から力を与えられると、この結合に歪が起きて、原子間の結合エネルギーが変化し、このエネルギーが小さくなろう(元に戻ろう)とする弾性です。一方、ゴムはたとえばイソプレンが100万分子もヒモ状につながって、これがこんがらがったような構造して、ガラス遷移温度以上であると、これらの分子がブラウン運動をしている。だから、各分子間距離は固定値ではなく、例えば正規分布のように確率的な分布状態にあり、この点が金属の結晶と異なる。このゴムが引っ張られるということは、先ほどの分布の存在確率が小さい方向に変化するということであり、この確率が元の高い位置に戻ろうとする(これがエントロピーの増大)ことによって弾性が得られる。






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