語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-7-25 計104語
新着語
半分の自由、反証可能性、波動方程式の直感性、パンジェネシス仮説、排泄による解放、ハタ・ヨーガ、バルト・ドイツ人、パラディオ(パッラーデォ)の都市、バスチャン暦、破滅的な連鎖反応、ハインリッヒ・メルク、


灰色の狼(209)p.52
 蒼き狼とはチンギス・ハーンである。同じようにトルコ系民族には、先祖となる幼児を育てたのは 神聖な灰色の狼であったという伝説がある。ケマル・パシャが、かつてオスマンが呼ばれたように灰色の狼と呼ばれるようになる。

灰色の放浪者(273)指輪物語
 「わしの名はさまざまな国でさまざまに呼ばれる。」…「エルフの間ではミスランディア、ドワーフにはサルクン、今は忘れられた西方での青年時代にはわしはオローリンだった。南の国ではインカーヌス、北の国ではガンダルフ、東の国には行かぬ。」

π共役高分子(332)
 1977年には白川英樹博士らが化学ドーピングという手法を使い、有機物の中でもπ共役高分子の導電率を一気に高めることに成功した。…ポリアセチレンフィルムにヨウ素を化学ドーピングして導電性を金属並に向上させた。
 共役系と呼ばれるのはそれぞれの骨格原子がある特定の軌道に電子を1個持ってお互いにπ結合している場合である。


廃墟を見た人間(455)
 彼もやはり〈廃墟〉を見てしまった人間だったからだ。廃墟のあとの人間には三つの生き方しかない。廃櫨を固執し、一切を廃墟に還元する破壊的な運動に身を投ずるか、さもなくば廃墟のイメージを内面化し自己自身を無限に荒廃させてのたれ死にするか−−そして今ひとつ、廃墟の中にも営まれつづけた悲劇でも喜劇でもない日常茶飯、朝起きて顔を洗い、歯を磨き、、朝の挨拶をし、自分のそれぞれの勤めを果たし、そして夜眠るという日常の形式を頑固に守りつづけること。どんな悲劇も日常化してしまうこと。

背景のない絵画(441)
 天井画を完成してから24年後の1536年、61歳になったミケランジェロはふたたびシスティナ礼拝堂に戻ってきた。今度は法王パウロ三世の命によって祭壇の壁面に『最後の審判」を描くためである。…まずこの絵には背景がない。ミケランジェロにはもともと肉体的な美しさは精神の高邁さをあらわすというネオ・プラ卜ニズムの信念があり、したがって肉体こそ描くに値するものとして、背景となる風景は最小限度しか描かなかった。…大著『マニエリスム』の者者アーノルド・ハウザー(1892--)の言葉をかりるなら、これは「青春や美の記念碑ではない。これは驚愕と絶望の絵画であり、すべての生きとし生けるものを一飲みにするかの如き悩惜の底からげ湧き起こる救いと贖罪を求める叫ぴ声である。これは新時代を告げる最初の大作であった。それはもはや美であることをやめてしまった。」

排水トン(345)
 タイタニックの正味重量は約2万4600トンであり、満載総排水トンは約6万6000トンだから4万トンの水増しということになる。…総登簿トン数(GRT)は商船について世界的に用いられる単位だが、それは重量ではなく容積、すなわち上部構造を含む船舶内の空間の量にしたがって算出される数字である。GRTから機材、燃料庫、燃料タンク、乗組員用船重などが占める空間を差し引いたものがNRT(正味登簿トン数1すなわち、実際に商業的に使用可能な空間) で、…タイタニッタ号は…、GRT4万6328トン、NRT2万1831トンになっていたが、オリンピック号より一インチたりとも長かったり、幅が広かったり、高さが高かったり、いかなる意味でも「大きい」ということはなく、姉妹船と同じように「世界最大の船舶」という名にふさわしかった。
 各船の重量はその船が満載状態のときに排水する水量によって表現される(戦艦の場合には、常に「排水トン」が参照される)。…タイタニック号は5万2250トンだった。重さの点ではタイタニッタ号は世界最重の船舶だったが、同時に、質的に見ても、世界最高を誇るものだった。積荷満載状態では、両方の船舶ともに、およそ6万6000排水トンだった。


排泄による解放(536)
 排泄による解放は、生理学的なレベルでは「エクスタシー」体験とよぶことができるであろうし、あるいはまた審美的なレベルでは「カタルシス」体験と称することもできる。エクスタシーもカタルシスもともに、ある種の生命エネルギーの放出による精神の快感をあらわしているからである。ただ、あたりまえのことであるが、排泄による身体のカタルシスは排泄物の沈下、下降の運動にもとづいている。だから身体の生命エネルギーも沈下、下降にむかっている。いわば排泄による開放は、エネルギーの身体的下降を象徴する生理学的な信号である。排泄されるものは身体の内部を沈下しつづけ、最終的に肛門や尿道から離脱して宇宙に解放される。下降エネルギーが宇宙と邂逅する瞬間が、そのときおとずれるといっていいだろう。その宇宙が「神」や「悪魔」の顔をもつことがあるのは、さきにのべたとおりである。

廃線跡(284)
 一般の建築物が取り壊されれば跡形もなくなる。そこに何があったかは忘れ去られる。ところが、鉄道は細長くのびている。辺鄙な地域へと分け入っている。だから廃線跡が消滅することはまずない。
かくして廃線跡の探訪は、史跡めぐりと考古学とを合わせたような世界になる。それは、消滅した鉄道を回顧する次元をこえて、現存の鉄道に乗るのと廃線跡をたどるのと、どっちがおもしろいかという境地に達する。


排中律(368)
 M「すべての命題は、真か偽かどちらである」は、「排中律」として知られる標準論理学で欠かせない原理である。より厳密にはM2「すべての命題は、真か真でないかどちらである」。…かりに「真でも偽でもない命題」があるとしたら、それは「真でない命題」の一種であろう。「真でなくてしかも偽でない」なら、当然、「真でない」に決まっているので。
 ラッセル語録……排中律により、「現在のフランス国王は禿である」「現在のフランス国王は禿でない」のどちらかは真でなければならない。しかし、禿であるものを列挙し、次に禿でないものを列挙しつくしたとしても、どちらのリストにも現在のフランス国王は見出されない。


ハイドン(119)
 毎朝ハイドンはエステルハージ侯家の控えの間で、侯が作曲の命令を下すのを待っていた。きょうは交響曲を5曲作曲せよという命令が下れば、一日のうちにそれを遂行しなければならなかった。ハイドンはひとつの作品を休むことなく通して書き上げた。このような苦役的作曲を楽しむことのできたのはハイドンの天才による。

パイプ草(270)指輪物語
 これこそ、ホピットの発明であるとはばかることなく断言し得る唯一の技芸である。…イセングリム二世の時代、ホビット紀1070年頃、南四ガ一の庄の長窪村に住む角笛吹きトボルドがその栽培園ではじめて本当のパイプ草を育てた点については万証の一致するところである。国内産の最上品は現在もこの地域で産出されている。特に長窪印、トビイ爺印、南星印の銘柄で知られている品種がそうである。

ハイブリッドなマリア像(472)
…キリスト疎刑の立会人として…(マタイ伝では)「遠くから眺めている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついてきた女たちであった。そのなかに、マグダラのマリア、ヤコプとヨセフとの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
…キリスト埋葬の立会人として…(マタイ伝では)「そこにはマグダラのマリアとほかのマリアとが墓のほうを向いてすわっていた。」
…キリスト復活の証人として…(ルカ伝では)「女たちはイエスのみことばを思い出した。そして、墓から戻って、11弟子とそのほかの人たち全部に(復活について〉一部始終を報告した。この女たちはマグダラのマリア、ヨハンナとヤコプの母マリアであった。
…大グレゴリウスによれば、「ルカによる福音書』に登場する「罪深い女」と、ラザロとマルタの姉妹であるベタニアのマリア(『ヨハネによる福音書』)とは、何を隠そう、マグダラのマリアその人のことにほかならない、というのである。
「罪深い女」は、ルカの伝えるところでは、パリサイ人の家でイエスが食卓についているとき、イエスの足元に駆け寄り、その足を自分の「涙でぬらし、髪の毛でぬぐい」、さらにその足に「口づけ」して、みずからの罪を悔い改めようとした女性である。
…マグダラのマリアは、もはや、主の生涯の最後の出来事-−磔刑と埋葬と復活−−に立ち会っていただけではない。福音の旅の途上で、何度か、重要な役回りを演じてもいたのである。主の足を涙で洗い、髪でぬぐい、口づけするとは、悔い改めと奉仕と愛を象徴する行為にほかならない。かつての「罪深い女」は、いまや、イエスによって悔い改め、イエスに奉仕し、イエスを愛する者となる。大グレゴリウスが組み立てた、いわばハイプリッドなマグダラ像は、こうして、罪人たちにとって悔い改めと希望の模範となり、キリストへの敬虚な奉仕と瞑想的生活の理想となる。

ハイポキシア(117)
低酸素症。窒息などによる無酸素症はアノキシア。
 
バイロイト・フェスト・シュピール(188)小林秀雄
名高い祝典歌劇場は町はずれの森の中にある。これも全く無表情な建築であり、中に這入ってわかった事だが、劇場といふよりむしろ巨大な喇叭なのである。全オーケストラを下に隠した舞台に向つて扇形にぎっしりて椅子が配置されてゐる。通路もない、柱もない、二階もない。私達は喇叭の脇腹から番号順に詰込まれ、ドアを締められ、電気を消され、息を殺す。私はバイロイトの劇場に来る者は、自分の趣味を家に置き去りにしたワクネリアンといふ白痴になるといふニーチェの言葉を思ひ出してゐた。

ハインリヒ・メルク(496)
 1771年の年末にゲーテはシュロッサーの仲介でヨーハン・ハインリヒ・メルクと知り合いになった。フランクフルトの南方30キロに位置するダルムシュタットには地方伯爵の小宮廷があり、メルクはそこの陸軍主計官であった。ゲーテは自伝その他で自分の生涯に最も大きく影響をもったこの「独自の人物」について多くの言葉をついやしている。教養も高く諸種の学問にも通じていたが、皮肉な毒舌家で、その鋭利な批評でしばしば人の気を悪くしたが、それは反俗的な彼が意図的にしていることであった。ゲーテは「メルクと自分とはつねにフアウストとメフィストフェレスのようだった」と言っている。

パウル・ヴォルフ(95)
 35mmフィルムで全紙に伸ばして粒状が気にならない印画を作成、ライカ写真術の創始者と言われる。1935年日本でもシュミット商店主催の展覧会で話題となる。偶然、露出オーバーのフィルムを現像早仕上げで肉乗りの薄い軟調ネガから画調を荒らさない大伸ばしができることを発見。
 
パウルセン(149)
 1898年ワイヤー式の磁気記録を発明したデンマーク電信電話会社の技師。ヒステリシスによって再生信号が歪むので、入力に直流のバイアスをかけて雑音の低減を図った。テープ式では各国が同時並行的に開発が進行し、日本では東北大の永井らの特許が成立したが、米国では他社の特許が成立した。この永井の特許を所有したのが後のソニーで、この特許により米国製製品の輸入を禁止させ、国内で独占的地位を築いた。
 
馬鹿祭(188)
 マルクスがバイロイト音楽祭をこう罵倒した。ニーチェはもう少し品よく「精神なきスノッブの集まり」と言った。
 

パクス・ブリタニカ(59)
 16世紀のスペイン無敵艦隊、17世紀のスペイン継承戦争、そしてナポレオン戦争を戦う中で勃興した大英帝国によるパクス・ブリタニカは1814年のウイーン会議に始まり、海軍力、植民地、産業革命によりビクトリア女王時代1851年のロンドン万国博覧会で頂点を迎えた。またアメリカ独立戦争、ボーア戦争、スエズ動乱によって衰亡していくが、衰退の真の原因は負けた戦争より勝った二つの戦争(第一次、第二次世界大戦)にある。
 

白山(134)
 ダウラギリもモンブランも現地語で白山である。遠望される白い山は原初の風景を残し信仰の対象となった。 
 

白頭山(25)(237)
 中朝国境の高山。標高2800m弱だが東北アジアの最高峰。。これより北には、北極海までこれより高い山はない。頂上の火口湖は朝鮮建国の祖である壇君が光臨した天池と呼ばれる。火口湖の環状峰「将軍峰」は金日成にちなむ。

ハーグ陸戦条規(310)
戦時国際法は、しばしば軍事的必要と人道的考慮とのバランスの上に成立するといわれるが、これが最も典型的に当てはまるのは、敵対行為の規制の分野である。戦争の目的は敵の兵力を弱めることにあり、そのために必要な手段を用いることは原則として許されるが、必ずしもそれに必要でない害敵手段に対しては人道的
考慮に基づく制限が加えられる。すなわち、交戦者が戦闘の方法及び手段を選択する権利は無制限ではなく、過度の障害又は不必要な苦痛を与える兵器、投射物、物質、戦闘方法を用いることは禁止される。


歯車時計(124)
 それ以前の時計が宇宙的、自然的時間の尺度を示しているのに対して、機械時計の本質はまさに重力を中断し、間歇的にこれを失効させるものであって、地球的時計でもなく、空間的時計でもない第3の時計、知性の産物であって、まさに抽象的、知性的時間を示すことになった。この時計によって、初めて時の等速性が出現した。

激しい怒り(260)
 シャクルトンのケアード号の航海では13日ものあいだ、絶え間ない強風にさらされ、ついには最も手強い暴れ波と闘った。彼らはずっと負け犬で、自分たちに加えられる罰をひたすら耐え忍ぶしかなかった。だが、本気で怒りを感じたとき、相手に立ち向かい、闘いを挑もうとしない生物など、この世にはほとんどいない。激しい怒りが、なんとしてもこの旅を成し遂げるのだという決心を呼んだ。成し遂げてしかるべきだ、という思いがあった。

(405)
 柱は、張りのある胴体のうちに重力に抗する力を満たし、直立の姿勢をもって、梁からの重量を静かに受け止めている。直立する柱の姿にそのような力を感じるのは、われわれ自身が、二本の脚で大地に立つ生き物だからである。直立することは、重力に抗し、全身の筋肉を使って自分自身の肉体を持ち上げ、バランスをとることである。重力は感覚として、われわれの体内に確かに存在する。ギリシア人は肉体の感覚を通して、柱に、直立し自立する自分自身の姿を見たのである。

バシリカ(405)
 身廊と側廊からなる縦長の平面をもつ教会堂の形式を、(トランセプトの有無にかかわらず)バシリカ式と呼ぶ。バシリカとは、もともとローマ時代に会議や裁判などに使われた集会用の建物のことをいい、この形式がそのまま教会堂に転用されたものと考えられている。
(426)キリスト教の教会建築が歴史に登場するのは西暦322年以降のこと。ローマのコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したことから、各地に建てられるようになった。最も多い教会の形はバシリカ形式と呼ばれるものである。バシリカとはもともとは主に裁判所の用途に使われた大ホールであったという。広間の一端に半円形のアプスという凹所を設け、これが判事席であり、その前に神聖を誓う犠牲壇が配された。大広間のまわりは列柱で囲まれ、列柱の外側は側廊と呼ばれる廊下になつている。大広間は側廊に比べて天井を高く持ち上げ、その高くなつている部分に高窓を設けて明かりとりにしている。このバシリカを発展させたのがキリスト教会のバシリカ形式で、袖廊というのをくつつけて、1から見ると十字架に見える形になつている。

バスチャン暦(527)
 厳重なキリシタン検索制度が二百数十年も励行され、毎年毎年五人組の組頭は、キリシタン邪宗門取締りについての五人組帳を読み聞かされ、一歩外に出れば高札場には「切支丹宗門は累年御禁制たり…」という高札が目につくのである。…それにもかかわらずキリシタンはいた。幕末に長崎地方はもちろん、仙台、高槻、久留米、天草その他の場所にキリシタンが潜伏していたことが知られている。私は彼らを潜伏キリシタンと呼び、今日のいわゆる隠れキリシタンと区別した。厳重な仏教国教政治の下で、仏壇に祀った観音像に、潜伏キリシタンたちは、サンタ・マリアのイメージを求めて祈り、1624年の日ぐり(パスチャソ暦と呼ばれるこよみ)によって、一年中の教会暦を繰り出し、ナタラ(クリスマス)、悲しみ節(四旬節)、上り(復活祭)をはじめ、聖人の祝日を記念していたのであった。かれらが伝えていた洗礼方式も、ほぼ確実であった。この洗礼が授けられつづけたことは、実質的にキリシタンが存在しつづけたことを意味し、さらにキリシタンの教えの本質であった愛、すなわち神と人とに対する愛の精神が伝承されていたことは、キリシタンの信仰が生きつづけたことを示す。

ハース版(75)
 朝比奈隆の芸術の方向として「ロマン的な表出主義と逆行した方向に進む美学がマーラーでなくブルックナーに向かうのは当然な成り行きであろう。神経質なほど細かい指示で(演奏者を信用していない)一杯のマーラーよりは殆ど何も書かれていないモーツァルトさながらのブルックナーのスコアに−−改訂版のコメントを復活させたノヴァーク版ではなく、より簡潔なハース版に向かうのも自明の理だ。それは究極の姿としてテンポの指定すらない、つまり言葉による指示の全くないバッハの楽譜に行き着く。」 

パスポート(325)
 クックのツアーでも、ヨーロッパ大陸に行くとき、男はパスポートの名前をチェックされるのに、女は数を数えられるだけだった。

ハーゼンエールの法則(416)アインシュタインP.62
第一次世界大戦に敗れたドイツに、彼らの許すべからざる敵として反アインシュタイン運動が出現した。国粋主義者にしてノーベル賞受賞者であるフィリップ・レーナルトがその先頭に立った。その彼らに一つだけ具合の悪いことがあった。それはアインシュタインの「馬鹿馬鹿しい」理論から導かれる質量とエネルギーの間の関係式 E=mc2という関係は彼らがいつも考慮に入れておかなければならなかったからである。…そこでレーナルトとその一派はこの法則は実はアインシュタインが初めて見出したものでなく、それより前にオーストリアの物理学者ハーゼンエールによって見出されたと主張して、ハーゼンエールの法則と呼んだ。

機を織るペネロペ(450)
 オデュッセウスの妻ペネロペは、夫の不在中、二十年間空閨を守ったが、言い寄る男を退けるために、機を織り、織りあげたら意に従おうと答え、夜、織った布を解いてしまい、永久に仕上げられぬようにした。

ハタ・ヨーガ(536)
 観念のヨーガが身体のヨーガへと席をゆずっていったのである。中世期になって形成された「ハタ・ヨーガ」すなわち不壊の身体をつくるヨーガがそれである。「ハタ・ヨーガ」を体系化したのが、さきにふれたゴーラクナータである。それは錬金術が卑金属を賞金属に変成せしめるように、動物的な肉体を神聖な身体へと改造するための技術を追求するヨーガであった。そのための基本的な方法は、坐法と呼吸法の独自な組みあわせにあり、それによって生命エネルギーを上昇させて純化し、エクスタシーを実現しようとするものであった。
「ハタ・ヨーガ」の肉体観は、肛門と生殖器の中間に位置する会陰部への注視から出発する。そこには、クンダリニーと称する動物的な性エネルギーが、とぐろを巻いた蛇のイメージでうずくまっていると考えられた。坐法と呼吸法による瞑想は、まずもってこのクンダリニーを刺激し、そして上昇させることにむけられたのである。この動物的な性エネルギーは、上昇するにつれて身体内部のいくつかの生命中枢(チャクラ)を通過していく。それは上昇するにつれて純化され、…頭頂から外界へと放出される。その瞬間、それは宇宙のエネルギーと合体すると考えられた。


爬虫類脳(37)
 人間の脳の最も古い部分。5億年以上かけて進化してきた。脊髄の上、延髄から中脳の部分、脳幹のこと。この部分の形は爬虫類の脳の全体とそっくりなことからこう呼ばれる。呼吸や心拍の生存に必要な基本身体機能を調整。

発情(306)
 青々とした夏の木の葉は消え、ムースの餌は小枝と樹皮中心の冬場の食料に変わりつつあった。食料の変化は、発情をひきおこすホルモンの変化とあいまって、オスの飢餓衝動を抑制した。ヤナギの茂みを見ても、餌として食べるのではなく、茂みに頭を突っこんで枝の反発する力を角に感じたい欲望の方が誘発された。角で茂みを突くと首の筋肉に圧力が加わり、体全体に快感が広がった。オスは鼻を上げ、長い上くちびるをめくりあげてえなった。

発生する機械(215) 
 われわれは、本来それに備わっている過程によって複雑なかたちになるような「胎児」型の機械を作っていない。なぜわれわれは「発生する機械」を作らないのだろうか?生物が解明してきた発生の過程はあらゆる種類の器用さよりも格段に難しいからだろう。木と鉄を用意しておくだけで金づちが発生するような金づちの胚を作ることはわれわれの能力をはるかに超えている。

ハッブル定数(34)
 1929年エドウィン・ハッブルは遠い銀河からのスペクトルが赤方偏移していることを発見、これは銀河が遠ざかるドプラー効果によるもので、遠方の銀河ほど高速で後退している。宇宙が膨張している証拠。後退速度は距離に比例し、この比例定数がハッブル定数で、(20Km/S))/200万光年とされる。これを過去にたどるとビッグバンの時期が分かる。

果てしないリスト(421)
 主人(スターリン)が疲れも知らずに作業に熱中し、有罪を予定されたかつての国の指導者や有名な芸術家たちの果てしない 「リスト」 に日を通していた……。主人はすべての党規の厳守に努めていた。リストの検討は仲間の幹部たちと一緒に行ない、署名も一緒にした。誰よりも多く主人と連署したのはモロトフだった。主人は疲れも知らずに数千の名を読み、時々コメントまで書いた。…自分の敵たちを覚えていた。一人残らず覚えていた。しかし弾圧を厳しく督励しながら、彼は欺かれたオセロの役にとどまろうと努めていた。だからエジョフはたえず旧い党幹部たちの裏切りの証拠を彼に渡さなければならなかった。彼の役割は−−目をみはり、人々の卑劣さに驚き、確認を要求することだった。ところがエジョフが確認を始めようとすると…‥直ちに−「決定」−主人の命令。「確認の要なし、逮捕すべし」 法秩序のゲームができるのは主人だけだった。下男のエジョフの仕事は実行だった。そしてエジョフはせっせとそれを実行した。
1938年11月12日。エジョフは汚い紙の切れはしに急いで書いた (時間がなかった−−統殺は夜も昼もつづいていた)。「スターリン同志へ。第一級審判(銃殺刑) に相当する逮捕者のりストを送ります」。そして決定。「3167名全員銃殺。スターリン、モロトフ」…稀にだが、彼が恐ろしいリストから削除することがあった。こうして彼はパステルナークとショーロホフを削除した。まだ事業に役立つからだ。

蜂の寓話(430)
 スミスが内心深く影響を受けたろうといわれている、オランダ生まれのイギリス人マンドゥヴィルは、『蜂の寓話。一名・私悪は即ち公益』(1714年)のなかで、こんなことを書いている。…蜜蜂社会のなかの一匹一匹の蜂は、どれもみな貧慾で、おのれの腹を蜜でいっぱいにすることだけに専念し、そのためには仲間の蜂を追いのけて自分だけの利益を図ろうとしている。自由競争の支配するこの蜂の社会は、一見したところこれによって無秩序な混乱が起るように思われるかも知れないが、実はそうではない。おのおのの蜂が自由に競争し合ううちに、競争における一定のルールが生まれるようになる。そのルールの下においては、どの仲間の蜂も、自分の貪欲を満足させながら、同時に仲間の蜂の貪欲をも充足させるようになる。このようにして、それぞれの蜂が、一定のルールの下で自分の本能をみたそうと互いに競争し日日闘いあうことによって、結局、一群の蜂仲間のすべての欲望が最大限にみたされることになる。

波動方程式の直感性(556)
 古典物理学の伝統のもとで教育を受けた一部の老大家たちに、シュレーディンガーの描像は熱狂的に受け入れられた。ヴィリー・ヴィーンは、「量子の解明にとって最も重要な一歩」だと語り、もはや「中途半端なあるいは完全な量子の連続性の沼であがかなくてすみ」、また再びより厳格な物理的思考」が優勢になるであろうと期待した。若い物理学者たちの判定はその逆であった。彼らにとって、シュレーディンガーの半古典的な解釈は一つの挑戦であるとし、「物理学の原理的問題において…波動力学の通俗的な直観性は、一方ではアインシュタインとド・プローイの仕事によって、他方ではポーアと量子力学によって開かれた真っすぐな道からそれる」ものであると確信していた。
そこで、的を射た辛辣さで知られるヴォルフガング・パウリは、他の批評家同様、物理的・数学的にみて、シュレーディンガーの論文を「最近書かれたもののなかで最高の一つに数えている」のだが、短く「チューリッヒの田舎の迷信」と皮肉った。

ハドリアヌスの壁(78)
 2世紀にハドリアヌスが築いたスコットランドの長城。ローマの版図の北限を示していた。それより北はケルトの地、ドルイドの地であったが、5世紀には「アイルランド人の使徒」と言われるパトリックの伝道によって、中世前期の最も東方教会的キリスト教の伝統を守る民族となり、逆に大陸へ影響を及ぼすまでになった。

パナマ鉄道(282)
 1850年に始まった工事は5年後に完成。全長77キロメートルに、8000万ドルの資金と9000人の労働者の犠牲が払われた。…その枕木の数だけの労働者が犠牲になった。このパナマ鉄道こそ、日本人が初めて汽車に乗った鉄道である。1860年(万延元年)の遣米使節である。

パナマックス型(223)p.374
 パナマ運河を通過できる最大の船型。長さ320m、幅32m、喫水11m。欧米の軍艦はこの規格に従って設計されたが、大和はパナマ運河の通過を想定しないために、当時世界最大の戦艦となった。

バーナム効果(366)
 誰にでも当てはまるような一般的な性格記述を、自分だけに当てはまるとみなしてしまう現象。…このバーナム効果は、フォア効果、主観的妥当化効果、個人的妥当化効果、確証バイアスなどとも呼ばれる。…フィニアス・テイラ・バーナム (1810〜1891)はアメリカの興行師で、人をだます名人だった。牧場生まれだが、都会にあこがれた。1835年、盲目で歯のない黒人女を買い取って、ジョージ・ワシントンの乳母で161歳だとして、見せ物にして成功を収めた。バーナムはショー・ビジネスの世界こそ天職だと悟った。アフリカ象を「ジャンボ」と名付けて売り出して大成功する。…バーナムは「おめでたい奴はどんどん生まれてくる」と語った。

ハネウェル特許(69)
 1987年ミノルタをパニックに陥れたオートフォーカス特許。ミノルタはα7000の開発で350件もの特許を出願しながら165億円の和解金を支払わなければならなかった。キャノン70億円。ニコン57億円。オリンパス42億円。ペンタックス25億円。ハネウェルの特許は確かにハネウェルに巨利をもたらしたが、この発明者名が話題になることも、またこの発明者が、オートフォーカス・カメラの真の発明者として評価されることもない。 
 

バノックバーンの戦い(118)
 イングランドの過酷な支配の元で、その独立を失ったスコットランドの歴史で、スコットランドがイングランドに勝利し、その国家的自負の源泉ともなった戦い。1314年、エドワード一世の支配に対してロバート・ブルースが立ち上がり、地の利を生かして重装騎兵を湿地で打ち破った。

パノプティコン(267)p.65
 初期の映写機にパンプティコンというものがある。これはギリシャ語の「全ての」「目」で全てを見わたせる眼を意味するが、これをまったく違った意味で使ったのがベンサム
ベンサムは…この刑務所改造計画に熱中します。周囲に円環状の建物が造られ、その中心には塔が設置されています。…中央の塔にいる監視人からは、独房にいる囚人が…くっきりと映しだされる。
フーコーが、パノプティコンとは「権力の自動化」だと述べるのは、そこでは囚人がひとりひとり孤立化され、見張られているのですが、監視人を見ることはできない…。「完全なまなざしの支配」


バーバリー(260)
 シャクルトンの1914年の南極探検での装備。……おおかたの隊員は、丈夫なバーバリー・デュロックスのブーツを履いていた。これはくるぶしまでの皮製のブーツで、ギャバジンの膝丈の布ゲートルがついている。……厚手のウールの下着に、ウールのズボン、ゆったりした分厚いセーターの上に、軽いギャバジンでできたバーバリーの作業着を着ていた。頭にはニットの帽子とバーバリーの防水帽をかぶり、…

バピーアムジークARCHIV198 006/07
机上の音楽。フーガの技法は唯一の主題から如何に多様なフーガが作れるか、その可能性を極めようとした作品である。当時バッハの音楽の傾向を古くさいものとして難じた人たちも、ここで示された比類のない対位法技術には賞賛の言葉を惜しまなかった。しかしその反面、この作品の技術的高さのみが問題とされて、そ精神的内容を理解したものはいなかった。すなわち、人々はこれを対位法技術の見事な範例としか受け取らず、演奏されえないバピーアムジークと呼んで、人間の心に語りかける音楽とは考えなかった。

ハビエル城(237)p.86 
 ザビエルが生まれたバスクの城館。バスク人というのは起源不明の民族で、その言語はヨーロッパのどの言語とも類縁がない。バスク人が世界史になした大きな貢献はイエズス会の設立である。ザビエルとともにイエズス会を創立したロヨラもバスク人であった。

パピルス(293)
 ナイル川に岸辺に、葦の一種カヤツリグサ科の多年草が無数に生えていた。エジプト人は、この茎の外皮を薄くはいで、長い筋をつくった。それを縦横に交互に並べ、圧搾して乾燥させる。この表面を石などでみがいてから字などを書いた。

バビロン捕囚(BC586)
 イスラエル滅亡のきっかけとなるバビロニアによる破壊とバビロンへの捕囚化。BC40にヘロデ王によって王国は再建されるが、70年には、ついによりどころとする国を失う。次に国を持つのは、数多くののホロコーストをくぐり抜けての1948年のイスラエル建国まで待たなければならない。

バフォメ(360)
 最近のある研究家によると、これはアフリカの未開民族によくある「乾し首」であって、真の人頭の骨をぬいて乾燥し香料で腐敗を防いだ、人皮面であったのだという。…この存否不詳の偶像は、当時「パフォメ」という名で呼ばれ、その由来は近東のイスラム教の異端派アサシンにあるとも、シドン、チルスあたりの古い民族宗教にあるともいわれる。一説によると、「パフォメ」とは、洗礼者ヨハネの名とマホメットの合わせ綴りで、ヨハネは神殿騎士の守護聖人(守り神)であり、他方騎士たちが近東に永く住んでマホメット教を信ずるようになって、その二人の宗教的人格を結合したのだという。洗礼者を息味するBAPTISTの頭三字をとり、マホメットMAPHOMETの終わり五字をとってくっつけるとBAPHOMETとなり、これをフランス語流に読むとパフォメとなるのである。

ハプスブルグ国家(323)
 (心中したルドルフ皇太子の発言)ドイツ人には全く理解できないらしい。オーストリアにおいて、ドイツ人、スラブ人、ハンガリー人、ポーランド人が、ひとつの王冠の下で一緒に暮らしていることが、どんなに意義深く重要かを−。ハプスブルグ国家は、フランスの作家ヴィクトル・ユーゴーのヨーロッパ合衆国という理想を、小規模ながら、早くから実現している。

ハーベイ・ロードの仮説(76)
 シュンペータが資本主義は企業者の技術革新による能動的な発展過程であると考えたのに対して、ケインズを底の浅い理解をすると、政府が社会全体の有効需要の動きを操作する、すなわち一部のエリートが公共の利益を考え、政府の政策をコントロールすることにより経済活動は発展させられるとの考えになる。ケインズが住んでいた街路の名にちなんだ仮説として近年批判の対象となっている。 
 
バベッジ(48)
 2つの革命の子。チャールズ・バベッジ。産業革命による工業技術の飛躍と、フランス革命の啓蒙思想に影響を受ける。解析機関の発明者として不遇な道楽研究者と見られることも多いが、生前はイギリスを代表する知識人として評価されていた。技術をバカにしていた当時の科学者たちの中にあって、職工の技能、産業技術の重要性に注目。主著「機械類と製造業の経済について」で、技術の進歩が労働者と資本家の双方に利益を与えると主張。マルクスもこのバベッジを丁寧に読んだと言われ、資本論にも引用されている。
 
ハミルトンのIF(11)
 ダーウィンの自然淘汰が個体にのみ働くなら、利己的な形質のみが進化することになる。生物の利他的な行動を説明するのが血縁グループ全体としての適応度(inclusive fitness)を高めるという考えで、個体としての遺伝子ではなくグループの持つ共通な遺伝子を相続する戦略。ハミルトンが1964年に提案した。

破滅的な連鎖反応(500)
 1914年6月28日に、オーストリア皇帝の継承者である皇太子フランシス・フェルディナントがサラエヴォで暗殺された。すぐにセルビアの陰謀が疑われ、ドイツの支援を得たオーストリアはセルピア政府に、事実上受諾不可能な最後通牒を送りつけた。回答は満足できないものとみなされ、オーストリア政府は7月18日にセルピアに宣戦布告をした。しかし、セルピアはロシアと同盟を結んでいたので、ロシア皇帝はオーストリア国境への軍隊の集結を命じた。この動きはオーストリア・ドイツ同盟の発効につながり、ドイツはロシアからの脅威に対抗するという名目で動員令を発した。一方フランスは、ドイツとロシアとのいかなる衝突に際しでもロシアを支援するという協定を結んでいた。実際、フランスに対するドイツの侵略の意図は疑うべくもなかった。フランスも動員令を発したが、ドイツは8月3日に宣戦布告して、北方からフランスを攻撃するために直ちにベルギーに侵入した。この破滅的な連鎖反応の最終段階は、ヨーロッパ列強の雄、大英帝国によるベルギーの中立保証条約であった。イギリスはドイツ皇帝が「反故同然の条約」とふみにじった条約を尊重して、8月4日ドイツに宣戦布告をした。かくして、数日のうちに、オーストリア、ドイツ、フランス、ロシア、大英帝国が四年間に及ぶ戦いに突入し、800万人を超す若者を殺し、何百万人もの人々を不具にし、ヨーロッパの大部分を荒廃させてしまった。

バー・メドック(97)
 オー(南)・メドックに対する「低メドック」。ジロンドの河口に近く、沖積層土壌でオー・メドックより品質が劣る。そのためバーメドックという呼称を、単にメドックと呼称して販売している。

ハーモニー(NHK-TV)
 石をすきまなくきちんと積み上げること。これがハーモニーの語源であると、今NHKの深夜テレビで言っている。アテネのパルテノンの立柱は、小さな円柱を積み重ねたものである。

バライタ紙(313)植田正治
ハロゲン化銀の感光乳剤の下にバライタ層と呼ぶ硫酸バリウム・ゼラチン液を塗布することによって白色度や光沢度を出した現在のRCペーパ以前の標準的印画紙。
私ども、馴らされたとはいうものの、RC紙の光沢面のイヤらしさ、なによりも鮮鋭のようでなんとなくボンヤリしているようなしまりのない描写には、いまも満足していないはずてあります。…かってバライタ紙1000点の中の一点だけのRC印画が、きわだって見えた時のことを思うと、こんどはバライタ紙が光って見える…。


バラ戦争(57)
 1455年〜1483年。赤バラのランカスター家と白バラのヨーク家(プランタジネット王朝)との王権を争い。ランカスター家のヘンリー6世にヨーク家のリチャードが挑戦。100年後、シェークスピアは、[ヘンリー6世 ][リチャード3世]で、陰謀と愛欲の面から描く。

パラダイム(263)
 文法学における主として動詞の格による「変化表」のこと。だからパラダイム変化というような語法は、ようするに変化変化ということになる。

パラディオ(パッラーデォ)の都市(530)
 話が創作と模倣といずれに及ぼうとも、きまってパラディオの名が持ち出されたことは怪しむに足りない。…パラディオは実地応用に貢献するところ、ヴィトルヴィウス自身よりも偉大である。それは彼が古人と古代とを徹底的に研究して、それをわれわれの必要に近づけようと努めたからであると。
(以下はヴィキペディア)
 パッラーディオは職業建築家としては最初期の人物で他の芸術活動には携わらなかった。平面図を基本にして空間を設計した最初の建築家と考えられており、それまでの彫刻家や絵描きが建築を創る手法と本質的に異なる手法である点で、最初の専業建築家またはプロ建築家ともされる。活躍した時期は、一般的には後期ルネサンスからマニエリスムの建築家と分類されている。古典建築の形態要素であるオーダー・アーチを用いながらも、その構成方法は年齢によって差がある。彼の手法で有名なのは「セルリアーナ」またはパラディアーナと呼ばれるアーチと柱を組み合わせた開口部の表現である。特に「パッラーディオの都市」と案内書にもうたわれるヴィチェンツァには豊富な邸宅群がある。


波羅蜜(143)
 菩薩行、菩薩の修行すべき行い。

パラールダ(392)
 じっさいインド人ほどよく数を数えてきた人々はいないだろう。彼らは、インダス文明の頃から十進法を用いていたといわれており、さまざまな文献の中で途方もない大きな数を数えていたのである。ヒンドゥー教系の最古の文献『ヴェーダ』の中には数詞のリストがあり、そこにある最大の数はパラールダといわれ、1012である。後になって、西暦700年頃のヒンドゥー教系の天文書ではパラールダは1017となった。実在論哲学の学派であるヴァイシェーシカ学派の文献の中にもこのパラールダが最大の数の名前として出てくる。ちなみに、古代ギリシアでは。10までの名称しかなかったということであるから、インド人がいかに労をいとわず数を数えてきたかがわかるだろう。

パランティアの石(272)指輪物語
 ガンダルフがピピンに語る。「はるか遠くを見るものの意味じゃ。オルサンクの石もその一つじゃ。…サルーマンが作ったものでもない。サウロンの技でも及ばぬものじゃ。パランティアの数々はさいはての西の地のかなた、エルダマルから渡来した。ノルドールたちがこれを作った。もしかしたらフェアノール自身が手を加えたかもしれぬ。年で数えることなどできぬ遠い遠い昔にな。だがサウロンに悪用できぬ物は何もない。」

パランの摩擦円錐(87)
 平面上の物体の垂直反力(N)と、水平の摩擦力(F)の合力(R)の内角θが摩擦角。(摩擦係数 μ=tan θ)さらにこれを回転したものが摩擦円錐。この内側に加わる力は、物体を移動させることができない。アモントンと同時代、マルクスが「製粉業は摩擦の研究と歯形の研究を発展させた」と書いたマニュフアクチャの発生時代のパランが発見した。

パリサイ派(436)
 パリサイ派は「分離者」を意味するヘブライ語「ペルーシーム」に由来するといわれ、彼らは実際、律法を守らないもの、いわゆる「地の民」(アム・ハ・アレツ)を「罪人」として差別し、このような人々の不浄から自己を分離することによって、宗教的清浄の理念を世俗内に貫徹した。…しかし「地の民」を広義にとれば、「律法を知らない」政治的支配勢力(ローマ当局)の傀儡的存在であった大祭司、、祭司長、長老たち、とりわけ経済的支配機構の末端にあった「取税人たち」まで含まれることになる。この…ローマの傀儡的支配勢力と密着することにより、体制を思想的に擁護する役割を果たしたのがサドカイ派である。…彼らは伝統主義・保守主義の立場をとり、「モーゼ律法」ないしは、「モーゼ五書」のみを正典として、…パリサイ派による律法の敷衍を一切承認しなかったのである。

ハリジャン(129) 
 ガンジーは不可触賎民の改善向上運動のために、不可触賎民をハリジャン(神の子)と名付けた。しかしブラーマンであったガンジーはカースト制度そのものを否定する意思はなかった。

パールサカルタ(129)
 ギリシャ人がペルセプトリス(ポリスの破壊者)すなわちペルセポリスと呼んだアケメネス朝ペルシャの都。ペルシャ人の故郷パールサの都という意味。BC6頃ダリウス1世それを継ぐクセルクセス1世、アルタクセルクセス1世らによって建設された。アレキサンダーの遠征によって破壊され、5500トンの金銀が持ち去られた。
 

バルサック(97)
 ガロンヌ川に注ぐシロンの清流の南がソーテルヌで、北がバルサック。この地区はソーテルヌと呼称できるので、バルサックの業者は都合次第でバルサックでもソーテルヌとの名乗ることができる。とは言え、バルサックは少しばかり花か香料のような華やかな香りを持っているのに対して、ソーテルヌは豊潤できめの細かく甘みも強いのが特徴。

バルト・ドイツ人(529)
 リヴォニアとは、現在のバルト三国のラトヴィアとエストニアの一部からなる地域で、当時はそれが一つの大きな国家的、民族的単位であった。また、ドイツ騎士修道会は、プロイセンを征服し、バルト海沿岸地方を支配した騎士集団だった。ドイツ騎士修道会の植民政策がいかに強固なものであったかは、十七世紀以後、プロイセンが、ドイツ史の一つの中心軸となったこと、1710年以来ロシア領となったバルト地方でも、その社会・経済的支配階層はドイツ人でありつづけ、タリンやリーガでは、市民階層の言語も二十世紀にいたるまで主としてドイツ語が用いられていたことからも明らかであろう。この「バルト・ドイツ人」は、第二次世界大戦をへて、散り散りになってしまい、現在では「事実上消滅したにひとしい」といわれている。

バルトロメイ・メレッリ(335)
 スカラ座の支配人であったメレッリは、オットー・ニコライが断ったので引受け手がなくなったソレーラの台本を、霧のミラノの街角で久しぶりに出会ったヴェルディに、有無を言わせず相手のポケットにこの台本をねじ込み、持ち帰らせた。これがヴェルディ出世作「ナブッコ」(1842年初演)である。 ニコライは逆にメレッリがヴェルディから断られたロッシの「追放者」を作曲するが失敗に終わる。

パール博士(73) 
 東京裁判で判事団を構成した11ケ国のうちインド代表となった法学者。文明の名のもとに裁くと言い、ニュルンベルグ裁判の引写し的に勝者が敗者を裁くことに、日本国内でさえ疑問を呈さない中で、一人、戦争は法の圏外にあり、裁判所条項(チャーター)は事後法禁止から無効であるとして全員無罪を主張した。

バルバヤータ(344)
 「ヴォルタが電池を発明した1800年、彼はゆたかな天分を発揮して、コーヒーやチョコレートに泡立てた生クリームを混ぜ合わせるという大変高級な秘伝を考案した。これ以来「バルバヤータ」という不滅の言葉の中に記念碑をうち建てたのだ」。ミラノの貧しい家庭に生まれたドメニコ・バルバイア(1778--1841)はオペラ劇場支配人としてナポリ時代にロッシーニを使ったり、王室の後ろ盾で焼失したサン・カルロ劇場を再建したりの後、スカラ座だけでなくミラノの多くの歌劇場の支配人として初期のオペラ時代を仕切った。

ハル・ノート(73)
 日本の真珠湾攻撃に対応する米国の開戦のボタンとして受け止められる最後通諜。1941年11月27日に通告された。真珠湾の10日前であった。
 
バルバス・バウ(201)
 大和型で試みられた球形船首。造波抵抗減少に有効であった。
  
バルハフティク(53)
 カナウスのリトアニア日本領事館杉原千畝に通過ビザを迫ったユダヤ人リーダ。モーゼである。戦後イスラエル建国に参加し、宗教大臣にまでなる。杉原の名誉を復活してくれた人。
 
バルバロッサ(43)
 神聖ローマ帝国皇帝、フリードリッヒ一世の通称、赤髭王。1187年十字軍遠征中に水死。ハルツ山系キフホイザー山に葬られる。後世の英雄待望から神聖化される。いとこのバイエルン大公ハインリヒは獅子公と呼ばれる。

バルボアの見た大洋(223)p.11
 アメリカ大陸から西への出口、すなわちインドへの海路を求めて、コロンブスは4度目の航海でノンブレ・デ・ディオスの入江まで到達した。彼はここがアメリカ大陸の最狭隘部であることに気づくことはなかった。1513年バルボアはこの地からジャングルを横断して太平洋を発見した。現在のパナマ運河よりずっと南のサン・ミゲル湾に到達した。往復4ケ月の最悪の行軍であった。

ハルマゲドーン(396)
第5の天使が自分の持っている平鉢の中身を獣の王座の上に注いだ。…第6の天使が自分の持っている平鉢の中身を大ユーフラテス河に注いだ。…私はまた、竜の口から、獣の口から、また偽預言者の口から、蛙のような三つの磯れた霊が出て来るのを見た。これらの霊は徴を行なう悪霊どもの霊であって、全世界のもろもろの王のもとに出向いて、全能者なる「神の大いなる日」における戦いのために、彼らを召集する。…心せよ、私は盗人のように来る。目を覚ましており、裸で歩き回って、人々にそれを見られて恥をかいたりすることのないよう、自分の着物を身に着けている人は幸いである…。そして、かの三つの霊は、ヘブライ語で「ハルマゲドーン」と呼ばれる場所にもろもろの王を集合させた。
 ハルはヘブライ語で「山」を意味するが,これは黙示録の典拠であるエゼキエル書38−39章で,ゴグが「イスラエルの山々を襲う」とあることから示唆され、「マゲドーン」はおそらく地名「メギド」のギリシア語転写とする説が最も有力である・メギドはイスラエル史における何度かの決定的な戦争が戦われた場所として旧約聖書で言及され、集結した軍勢を襲う災禍の象徴となっているし、パレスティナからメソポタミアに至る道筋という地理状況にも適合する。しかし、メギドは平地にあって山という呼称には合わない。そのため、その性格づけに照らして、エリアとバアルの預言者たちとの対決の場となったカルメル山、…などさまざまな提案がなされている。


パルミスト(367)
 十世紀までのキリスト教徒もまた、三つの聖なる巡礼の道があると信じていた。どの巡礼の道も、その道をきわめる者に対して、一連の祝福と免罪を与えるとされていた。第一の道は、ローマの聖ペトロの墓への道であった。ワンダラーと呼びならわされているこの巡礼の道への旅人たちは、十字架をその印としていた。
第二の道は、エルサレムのキリストの墓へ詣でる道であった。この道を行く者たちは、パルミストと呼ばれ、そのシンボルはやしの枝だった。キリストがエルサレムに入城した時に、やしの小枝によって迎えられたからである。そして、第三の道が、使徒の一人であるサンチャゴの遺骸に詣でる道であった。こうした旅人はビルグリムと呼ばれ、ほたて貝の貝殻がそのシンボルとなったのだった。


バレックス(167)
 変形という意味。エキザクタがファインダーに5角プリズムを採用したときの型名、エキザクタ・バレックスである。アメリカ輸出用は商標の関係でVXとかVと呼称した。 バロックとは「ゆがんだ真珠」であった。だからバレックスはバロックなのである。
 
バローコ(185)
 バロックの語源。ポルトガル語でゆがんだ真珠。風変わりで不均衡なものの、古典主義からの逸脱をバロック芸術と呼ぶようになった。
 
バロック中のバロック(185)
 澁澤龍彦は1970年、初のヨーロッパ旅行を体験する。その中でのバロックの極致として次を挙げた。……私がヨーロッパで見出した、もっともモニュメントと称するにふさわしいと思われるものを次に列挙してみよう。もとより、駈足旅行のことゆえ私の見聞の範囲は限られている。
 1)ミュンヘンからバスで行ったバヴァリア王ルードヴイヒ二世の城ノイシュヴァン
   シュタイン。ならびにその途中にあるヴィース教会。この教会の内部はまさにバ
   ロックのごてごて趣味の極致ともいうべきものである。
 2)マジョーレ湖の島イゾラ・ベッラの庭園。島全体がテラス式のバロック庭園にな
   っていて、海を見下ろすテラスのもっとも高いところにグロッタと階段式噴水と
   石造彫刻がある。
 3)マドリッドからエル・エスコリアルを通って少し奥に入った山中にあるサンタ・
   クルス・デル・バーレ・ デ・ロス・カイドス(戦没者の谷)。岩山をくり抜いた
   洞窟の教会で峨々たる岩山の上に青銅製の巨大な十字架と巨大な彫刻群
   がそそり立っている。
 4)ローマのバルベリーニ広場の近くにあるサンタ・ マリア・デラ・コンチェツィオ
   ーネ教会(骸骨寺)の石窟。1528年から1870年までに死んだカプチン会
   修道士四千人の骨を石窟の天井や壁や廊下に、みごとなデザインで装飾的
   に配列してある。
 5)イタリア中部の町ヴィテルボの近くにあるボマルツォ村の怪物庭園。(……マン
   ディアルグの写真集で知られるようになった貴族オルシニ家の庭園。澁澤は「聖
   なる森」と呼んだ。)
 6)プラハのモルダウ川のカレル橋、ならびに市庁舎の自動人形時計(この種の時計
   はミュンヘン、ストラスブール、ベルンでも見られた)。
 7)ローマのナヴォーナ広場の噴水。ベルニーニ作の巨大な噴水がある。
 8)ディヴォリのエステ荘(ヴィラ・デ・エステ)の階段式噴水。ならびに乳房から
   水を噴き出すイシス女神、スフィンクスなどの彫刻。
こうして書き並べると、ひとは私の趣味の悪さに辟易とするであろう。アカデミックな美術史学者や、良識派の教養主義ならば決してこんなものに興味をいだきはしないのである。しかし古典的完成美の枠のなかにおさまり切らない、美術の教科書や解説書のなかに少しも触れられていない、このような悪趣味のモニュメント、このような逸脱と倒錯の芸術作品に、昔から私が異常な興味をいだいてきたのは事実なのである。……


繁栄への道(492)
「管理された金本位制度」ともいうべきこの(ケインズ)構想も、『貨幣論』出版の一年前に始まった世界経済恐慌の嵐の中で、1931年9月にイギリスをはじめ多くの国々の金本位離脱が続いたことにより、十分な討議を受けないまま忘れられていった。ケインズ自身は、この新事態を心から歓迎し、「自分たちを縛っていた黄金の枷がはずされて喜ばないようなイギリス人は、ほとんどいない。われわれは、ついに分別のあることを行いうる自由裁量を手にするようになったと感じている」と当時の新聞に書いている。とはいえ、その後の不況の推移は、ケインズの当初の予想をもはるかに超えて長期化・深刻化の一途を辿り、各国は未曽有の生産縮小と慢性的な大量失業に苦しむようになり、国際的にはこれを克服するための各国の為替切り下げ競争やブロック経済の形成などによって、貿易・国際金融の両面でいちじるしい混乱が生じた。
 このときケインズは、これを彼の年来の提言を実現すべき絶好の機会と考えて、さっそく筆をとって『繁栄への途』を著し、会議(ロンドン世界経済会議)での討議を期待した。ここで、ケインズは、まず、乗数の概念をはじめて使用することにより、赤字公債発行にもとづく公共事業支出によって圏内需要を増大させることこそが、深刻な不況下で生産と雇用を拡大させうる唯一の方策であることを、明らかにしたうえで、各国がこの政策を同時に足並みをそろえて実施するよう訴えた。

万学の祖(431)
 欧米に於けるアリストテレスの学問的位置の重さは、その長い思想的伝統に培われている。たとえばカトリック国に於けるトミズムの絶対的な位置を考えるだけでも、その背後にあるアリストテレスが、今日でもむしろプラトンをしのいで第一の哲学者と考えられるようなこともあるのであり、また、日本のように、19世紀の末に、近代的な科学の成果を取り入れたという場合と異って、幾世紀もかけていろいろな科学を分科的に展開させてきた西洋諸国にあっては、アリストテレスに於ける学問の統合的多様性、すなわち、そのもとに政治学、倫理学、心理学、詩学などという文科系の学問や、動物学、植物学、生物学、気象学、天文学、自然学等の自然科学系の学問、さらに、これら両系の学問を一つに統一する方法論としての論理学、そのすべての祖として、つまり万学の祖としてのアリストテレスという巨大なる像は、打ち倒しがたい権威としていまだに評価されているということを忘れてはならない。

ハンガリー4人組(164)
 ブダペストの同じ地区に生まれ、同じ学校に通って、同じ頃渡米した4人のユダヤ系ハンガリー人が、他人の手をほとんど借りずに原爆を作ったという伝説。レオ・シラード、ウィグナー、フォン・ノイマン、エドワード・テラーの4人である。誇張されてはいるが事実に近い。 

パンゲア(217)P.205
 ウェゲナーが超大陸パンゲアの存在を主張としたと、後の多くの学者が引用している。しかし彼の主著「大陸と海洋の起源」の最終版にはパンゲアという言葉はでてこない。

盤古(301)
 古代の神話世界では、世界を創造する神々の、左右二つの眼が太陽と月の光を放つ、という例がいくつとなく存在します。そのひとつが中国の盤古です。左眼に太陽、右目に月。この日・月を合わせると「明」の字形が生まれる。この宇宙開闢神の盤古は混沌として世界に生まれ、一日に9回変身し、一丈ずつその背丈を伸ばした。途方もない大きさに成長した盤古は、一万八千年後にはそのからだで天と地を押し分け、混沌たる世界に秩序をもたらした。天と地が凝固すると、盤古は死に、その遺体からさまざまのものが生まれた。彼の左眼は太陽の輝きを放ち、右目が月になった。

反抗(131)
 カミュ「形而上的反抗とは人間がその条件にたいして、また全創造にたいして立ち上がる行動である。それは人間と創造の目的を否定するが故に形而上的である。……反抗的行動は彼のうちで光明と統一の要求として現れる。どんな基本的な叛逆でも逆説的にいえば秩序への希求を現している。……反抗者は否定するよりも挑戦する。もともと彼は神を除け者にはしない。ただ神と対等に語るのである。」

犯罪(458)P.19
 生れてはじめてみずから決断しみずからのカによって成し遂げたことが、たとえ犯罪であっても、その成し遂げたことの誇りが残っているかぎり、彼は罪人ではない。多くの人間にとって、がんじがらめにしばられたこの世の中で、みずからの決断によって成しうることは犯罪ぐらいのものなのだから。しかし、…彼のなしたことの意味は彼の手からぽろりとこぼれ落ち、その行為の影響圏外に彼は幽閉され、そしてついに、彼は結局なにもなさなかったこと、米粒ひとつ弾いたわけでも、笛ひとつ吹いたのでもなかったことを思い知らされる。

パンジェネシス仮説(553)ダーウィン
 パンジェネシスの仮説は、いま論じたさまざまな範囲の事実に適用したように、疑いもなく非常に複雑であるが、諸事実もまた複雑である。主な仮定はからだのすべての単位は自己分裂による一般に認められている成長力のほかに、からだ中に分散する小さなジェミュールを放出するということである。この仮定があまりにも大胆であると考えることはできない。なぜならば、接木雑種の場合、植物の組織にある種の形成物質が存在し、それが他の個体にあるものと結合することができ、また生物のすべての単位を生じうることを知っている。しかし、さらにつぎのような仮定がなされる必要がある。すなわち、ジェミュールは成長し、増殖し、芽や性要素の中に集まるし、他の発生初期の細胞あるいは単位と結合することにより、それらが発育するということである。また、それらは地中の種子のように休眠状態でつぎの世代へ伝えられうると信じられている。
 高等動物では、からだ中のそれぞれ異なった単位から放出されるジェミュールは想像できぬほど数多く、微小であるにちがいない。われわれは、ある種の昆虫が少なくとも二十回の変態をすることを知っているが、からだの各部分のそれぞれの単位は発生の過程での変化に従って、そのジェミュールを放出するにちがいない。


反証可能性(557)
あの筋金入りの反疑似科学論者マーティン・ガードナーは、「まぎれもない疑似科学の連中の偏執的傾向が現われる五つの特徴」を次のようなリストにしている。
 1.自分を天才だと考えている。
 2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
 3.自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
 4.もっとも偉大な科学者やもっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
 5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
これらのリストでは重要なものがひとつ抜け落ちていて、それはカール・ポパーの言う「反証可能性」に関するテストである。科学的理論に本質的に欠かせない要素のひとつが、その検証が可能だということである。もしも理論から演繹される重要な結論が正しくなかったら、その理論は少なくともそのままの形では誤りであると証明されたことになる。「反証可能性」を欠いていたがゆえに、オヴァートン判事は創造科学は真正の科学と見なされるべきだという主張を不当なものとしたのである。


繁殖価(254)
 人間を遺伝子の乗り物と見れば、人間のその点での価値は繁殖価という形であらわされる。…ある生命個体がどの程度のコピーを残せるかという潜在的期待値を、その固体の繁殖価ていう。…同じように、ミームの乗り物としての側面から、ミーム繁殖価とでも呼べる尺度を付け加えることができる。これはある年齢の人がどれだけのミームを次世代に残しうるかという潜在的な能力である。
 
反対称(294)ロジェ・カイヨワ
 「反対称」(デイシメトリ)は、私の全著作のなかで、量は圧縮されていて短いが、恐らく内容は最も広範囲にわたり、また、明証を求めているが、意図は最も大胆で向こう見ずな作品といえるであろう。宇宙の内奥の構造、原子より小さい粒子から出発して、修辞学や詩的イメージの法則にまで及んでいるるこの書物は鏡像の対称、すなわち、左右の二つの手が同一なのに重ね合わせることができない事実に、思い切った賭けをしている。
 熱力学の法則と生物の進化の法則、カルノーとダーウィンのあいだには矛盾が存在する。この書物はこの矛盾を解こうとするものである。私は反対称を、物理学の法則から生物を解放し、複雑にし、多様にした基本的原理であると考えている。


半島の朱子学(414)
 ホンタイジが(朝鮮国王の弟である捕虜 )李覚にあたえた美服は、朝鮮において国王しか用いない格別なものだったのである。またその随員の侍郎たちにあたえた服も、明の大官が用いるもので、藩国の官吏としてこれを用いるのは明に対してはなはだ借越の沙汰というべきものだった。朝鮮側は、青ざめてしまった。
 この半島国家においては、朱子学がゆきとどいている。朱子学は儒学のなかでも正義体系(イデオロギ)の濃密な学派で、正潤や大義名分という秩序論をはげしく論ずることで知られていた。朱子学的な文明感覚では、正潤を知らず、名分をわきまえぬ者はすなわち野蛮人ということになる。朝鮮からみれば、女真は、野蛮の徒でしかない。ただ、当今は女真の力があふれているために、朝鮮としてうわべで屈しているにすぎず、それでもなお、服制をわきまえぬこのような下賜に対しては、李覚もその侍郎たちも、秩序論の上から抵抗せざるをえなかった。

 朱子学は、哲学の面においては宇宙のあらゆる運動(気)のなかに法則(理)が内在しているとし、その理を知り、気をきわめることが学問である、とする。また歴史を観るにおいては、ただ王(皇帝)のもとで統一されている天下を考える。考えるについては、王を中心とした天下の倫理的秩序を尊び、これについての大義名分をあきらかにする。まことに正義の体系として苛烈である。当節、明の官僚は、科挙の合格前には朱子学という強烈なイデオロギーによって鍛えられながら、実際に廟堂に立つと、帝権の独裁性や官官の跳梁にはばまれ、朱子学的行動をとらない者がすくなくない。 それに対し、朝鮮における朱子学は、利刃のように硬くするどかった。

半分の自由(558)
 ハルでジョン(・フランクリン)は、豚の頭の煮こごりを食べながら、自由について考えたのだった。人が自由だと言えるのは、計画していることをあらかじめ他人に言う必要がないときだ。またはその計画をあえて黙っているときだ。事前に計画を打ち明けねばならないときは、半分の自由。なにをするべきかを人にあらかじめ指図されるときは、奴隷状態だ。


般若(143)
 完全な知恵。
 
般若豊(202)
 1910年1月1日生まれ。本籍は福島県相馬郡小高町岡田字山田315番地。
 
パンハルモニコン(119)
 メルツェルが1804年に見世物用につくった自動オーケストラ。管楽器と打楽器のを自動機械オルケストリオンを拡大し、弦楽器の音もでるようにした。ベートーベンの「ウエリントンの勝利」の一部はこの自動楽器のために作曲された。
 
パンプティコン(194)
 1881年、エジソンはキネトグラフ(撮影機)、キネトスコープ(覗きからくり映写機)を出願する。キネトグラフは拒絶され、これを助手のジクソンが投影型にして別会社で商品化したのがパンプティコン。スプロケット送りに対して発明者の名前から「レイサムの弛み」と呼ばれるたるみを設けて、長尺フィルムの送りを安定化した。エジソンは別にアーマットのバイタスコープの特許を取得したが、他のライバルも多く、500件以上の特許紛争を勝ち抜かなければならなかった。結局、ライバルを糾合して、映画特許会社を設立し、撮影機と撮影したフィルムにライセンスを与えるというやり方で映画産業を独占した。

パンを投げたジェラルド(470)
(第一次)十字軍に攻めて来られた1099年当時のイェルサレムの総督は市内からキリスト教徒を全員追放したが、聖ヨハネ修道会の「病院」で働く修道士だけは残した。…城壁をはさんでの激闘になると、この人々も防衛に駆り出された。城壁をはいのぼってくる十字軍兵士に向って、石を投げ落とせというのである。とはいえ彼らも、キリスト教徒である。それで、ゆったりした仕立ての僧衣のふところに入れるのは、石ではなくパンにしたのだった。つまり、石を投げ落とすのではなく、パンを投げ落としたのである。
…パンで有名になったこのジェラルドは、ボードワン二世が即位した二年後に死んだ。そして、この北イタリア生れの修道士の後を継いで聖ヨハネ医療修道会の会長になったのが、レーモン・ド・ピュイという名の南仏生れのフランスの騎士である。第一次十字軍に法王代理として参加していた司教アデマールとは、縁つづきであったということだが、いずれにしろこのフランス人の貴族がトップに就任したことで、巡礼への医療サーヴイスを目的に設立され運営されてきた聖ヨハネ医療修道会も、1118年からは宗教騎士団に変貌するのである。




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