語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-7-25 計167語
新着語
緩慢の発見、神がサイコロを振る、神の沈黙、カブラル神父の日本人感、過激派宣教師、金粟如来、神島の進講、官費革命、花山院のくるひ、神の欲情、仮土(かりのじょうど)、改心もどし、隠れキリシタン、鎌倉文化、


外化された神秘主義(387)
 文化人類学者のX・ターナーによれば、カトリックの巡礼の主体は、奇跡による病気治癒など、信仰の「外的表現」を求める民衆であった。民衆を中心とする巡礼者は、脱俗儀礼によって世俗社会から一時的に切り離された半俗半聖」の身分となり、巡礼者相互の兄弟愛と団結をもとに、水平性と同質性を特色とする「巡礼講;コフラディア)」のようなコミュニタス(共同体)を組織する。ここでいう水平性と同質性は、社会・経済的格差を常態とする世俗社会からの離脱とほぼ同義である。巡礼講を組織した巡礼者が、来世での救済と奇跡による病気治癒などを願い、聖遺物に触れながら人類史の原点(失われた楽園〉に回帰しようとした購罪の旅が巡礼であり、それは「聖なる中心点」としての聖地において項点に達する。聖遺物の横溢する「聖なる空間」の中で実践された「苦難の長旅」を通じて、巡礼者は回心し、再び世俗社会に回帰するのだ。したがって巡礼は、俗→聖→俗という過程をたどる回心のための通過儀礼であるとともに、聖地での神との直接的交感を求めた 「外化された神秘主義」でもあった。

覆棺論定(TV)  
 死後その棺を覆って初めて、その人間の評価が定まること。ケ小平は「天安門のことは 死後の評価に任せる」といった。

海軍(139)
 海軍は今ふうにいえば商社ですね。イギリスなら当時ジャーディン・マセソンという大 きな商社がありました。それが中国に入っていく。彼らを守るために行動する。そのため に海軍があったわけで、海軍というのは帝国主義のためにあったのです。

改心もどし(527)
 (浦上四番崩れのとき)改宗して早く村に帰った人たちは、家族たちから思いがけない抵抗を受けていた。「信仰を捨てた者は家に入れない」といって締め出され、畑や山に隠れている者、「あなたが家にいるなら私たちが出る」といって出てゆく家族もある。改心もどしとは、一度改宗したことを取り消して、もとの信仰に立ち返ることである。甚一郎ら改宗者たちが悶々としているところに、十月十一日仙右衛門が帰村して一同を元気づけたので、翌十二日、甚三郎ら三十八名が庄屋の門をたたいて改心もどしを願い出で、庄屋の慰問もきかないので、庄屋はやむなくその夜のうちにその人びとの名簿を添えて、口上を長崎代官に届け出で、十三日朝、代官から奉行所に申達した。

解析エンジン(48)
 階差エンジンは何とか動くところまでもっていったバベッジであるが、このエンジンは あくまでも数表の自動作成を目的とした掛け算機であり、これだけでバベッジが現代の電 子計算機の始祖と呼ばれる訳ではない。晩年になって構想設計、部分試作に留まったもの の、この解析エンジンは演算対象の変数と、結果を記憶する記憶部としての歯車レジスタ とミルと呼ばれた演算部を持ち、これをパンチカードによるプログラミング機構により逐 次実行するものであった。 このバンチカードはフランスのジャカールが発明したジャカード織機に使われていた模様 データ入力用の穴明きカードにヒントを得たものである。

階段国道(174)
 竜飛の集落のあいだから崖を上って台地上に出る石段の道があり、家々のひしめくとこ ろに、「階段国道339号線登り口」の案内板がある。

カイバブの悲劇(413)
 カイバブ台地、アリゾナ北部の乾いた峡谷に高く突き出た台地である。北はユタ州の砂漠に縁どられ、南はグランドキャニオンの谷に囲まれ、そこだけが線の島となっている。カイバブとは先住民族の言葉で「横たわる山」という意味だ。
 かつてのカイバブ台地は美しいミュールジカの生息地で、1906年には鳥獣保霞城に指定された。以後、シカの狩猟は禁じられ、シカを捕食する動物はことごとく殺されていった。35年間でおよそ6000頭もの肉食動物が罠で捕えられたり、銃で撃ち殺されたりした。そのなかには800頭のピューマと、カイバブに残っていた最後のオオカミ30頭が含まれていた。シカのほうは浮かれ騒ぎ、その数は4000頭から10万頭に跳ね上がった。
ピューマ600頭を撃ち殺したとされるハンター、アンクル・ジム・オーエンズは、皮肉にもシカを死の淵に追い込んだ生撃的不手際を端的に語る。「おれはシカの数が5頭から5万頭にふくれあがるのを見てきた……シカにかぎって言えば、猛獣、それもピューマをかたっばしから殺したせいで、自然のバランスが崩れちまったんだ。ピューマがいなくなって、シカは好き放題に駆けまわりだした。そうなったらもう終わりだ…やつらは全部食いつくす。後は飢えて死ぬか、病気で死ぬだけだ」


括要算法(64)
 ニュートンと同い年の関孝和(1642〜1708)の和算書。西欧の影響を全く受けずに、独自に三次方程式の解法や虚根の扱いを議論。行列式についてはライプニッツの行 列理理論の発表以前の成果。

快楽(131)
 カミュ「エピクロスの語っている奇妙な快楽は殊に苦痛の欠如のなかに存在する。それ は石の幸福である。……救いを待ち設けるという期待から人間の不幸はすべて生まれる。 この不条理な動きはていねいに包帯した傷口をふたたび開けることほかならない。……幸 福で不死の存在は人間に関係なく人間のためになにも創造しない。」

カイラス巡礼(398)
 「山」は、その山姿の威容とともに畏怖を介して神々や祖霊の住処とされ、祭儀が行われる神聖な場所とされた。なかでも、チベットの聖山「カイラス」(カン・リンポチェ)は、世界でもっとも高い巡礼地であり、宇宙の中心軸を象徴している。同時に、ヒンドゥー教徒はシヴァ神とみなし、また仏教徒は釈迦牟尼仏の仏身そのものとして尊崇している。その巡礼行として、チベットの大地に全身を打ちつけながら聖山に向かう「五体投地」の礼は、俄悔滅罪の願いを込めた巡礼の極致を示している。

カイロの空前の活況(438)
 13世紀末から14世紀前半にかけて、ほぽ半世紀にわたるスルタン・ナーセル〈在位1239-94、1298-308、1309-40年)の治世は、マムルーク朝の絶頂期で、カイロの町並も面白を一新した。
…イブン・ハルドゥーンは1383年の初めにこのようなカイロに移住してきたが、そのときの印象を『自伝』に書き残している。「この世の都、世界の庭園、諸民族の集まれる所、無数の人々の往きかう道、イスラム世界の玄関、王者の玉座、それを私は見た。城や宮殿は高くそびえ、修道院や学校は地平線上に輝き、学僧たちは綺羅星のごとくきらめく。天国の川もナイルの川岸のごときか。天上の水は流れて人々の咽を潤し病いを癒し、その奔流は人々に実りと富をもたらす。私はこの町の通りを歩いてみた。そこは往来する群衆で息もつけず、市場には活気が溢れている。ゆきつくことを知らない文明の窮み、生活の豊かさをもつこの町について、われわれはいつまでも語り伝えるであろう。

カインのしるし(291
 創世記によれは、カインは弟のアベルを殺したために社会から追放されて地上の逃亡者、かつ放浪者になった。会う人に殺されることを恐れたカインは神に訴え、神は「だれも彼を打ち殺すことのないように。彼に一つのしるしをつけられた。」…ところが、その時点で地上に存在しているのは弟殺しの本人と両親だけで、カインを襲うものなどいないということを忘れている。…これに対してフレーザーは、キリスト教圏以外の伝承からの類推で、地上には人間以外の死霊が居て、これへの護符だと解釈した。

カヴール(138)
 小国分立、周辺大国の支配化にあった19世紀イタリアにあって、小国サルディニア王 国の宰相として権謀術策でイタリア統一を実現し、1861年に統一イタリアの初代首相 となる。実行部隊である赤シャツ党のガリバルディのライバル。

カウンター・シェーディング(215)
 全て魚の体表は上面が色が濃く、下面は白色である。これは魚の生存のための適応である。このような配色は、光が常に上面から照射される水中では、どの方向からもその存在を目視しにくくする。

臥雲辰致(136)
 がうんたっち。ガラ紡と呼ばれる紡績機械を明治6年に発明。第一回内国勧業博覧会で 賞を得るが、これが格好の模倣の場となってしまった。その当時発明は何ら法の保護を得 て いなかったために臥雲辰致の努力は彼を貧困から救いだすことができなかった。  これが日本に特許制度の創設の必要性を示すことになった。

カエサル(23)  
 カルタゴの言葉で象を意味する。

カオスの再発見(446)
 気象学者エドワード・ローレンツ(1917--2008)が、気象モデルの単純なシミュレーションをしていてカオス現象を再発見した。ローレンツが解こうとしていた微分方程式は、初期値のわずかなちがいによって結果が大きく異なるという非常な不安定性を示した。つまりこれは、気象というものが初期条件の微少な差異によって大きく変わってしまうことを意味する。
ちなみに数学という学問では、一度放置された研究がまた復活することは珍しくない。カオス理論の場合は、19世紀末にフランスの数学者アンリ・ポアンカレ(1854--1912)が、きわめて不安定性が高く長期的変化が予測不能な決定論的現象の存在を指摘した。しかしこれを理解できる人がほとんどいなかったため、ポアンカレの業績のうちこの部分はずっと無視されていた。


カオリン(228)p.71
 磁土(チャイナ・クレイ)。中国で磁器用の粘土が発見されたという高陵(カオリン)に由来する。成分は珪酸アルミニウム水和物であるカオリナイトで、焼成によって白色になる。

科学(233) J・グールド
 科学は人間が行わなければならない営みであり、それ故、深く社会に根ざした活動である。科学は予感や直感、洞察力によって進歩する。科学が時代とともに変化するのは大部分絶対的真理へ近づくからではなく、科学に大きな影響を及ぼす文化的脈絡が変化するからである。事実とは純粋で無垢な情報の部分ではない。文化もまた、我々が何を見るか、どのように見るかに影響を与える。さらに、理論というのは事実からの冷厳な帰納ではない。最も創造的な理論は、しばしば事実の上に創造的直感が付け加わったものであり、その想像力の源もまた強く文化的なものである。

科学革命の方法((492)
 トーマス・クーンが、その名著『科学革命の構造』(1962)で展開したように、科学であれ、社会理論であれ、その発展は単線的ではない、ひとつのパラダイムが形成されたのち、解きえない新しい現実や問題に直面し、パラダイムの拡充や変容を余儀なくされる。それがその発展であり、この変容と拡充と発展のラセン的くりかえしの中で、パラダイムの変容や拡充をもってしてはどうしても解きえないものが累積しだしたとき、既存のパラダイムを否定し、新しいパラダイムを用意するという科学革命がふきあげる。ケインズが、その主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)で試みたことも、この科学革命のプロセスを地で行くものであった。

科学技術(108)
 「科学と技術」なのか「科学技術」なのかという議論は何故か多い。  
  村上陽太郎 「技術とは何か−科学と人間の視点から」日本放送出版協会(1986)
 佐々木力  「科学論入門」            岩波新書    (1996)
 吉川弘之  「テクノロジーの行方」        岩波書店    (1996)

 
科学と思想闘争(278)
 石原純は1936年にルイセンコを批判して、ナチスがアインシュタインの相対性理論をユダヤ的理論として排斥していることに不信を表明したのち、「ソ連でも同じことがおこなわれている、と指摘して、ルイセンコの正統遺伝学批判を俎上にのせた。一般的にいってソ連の科学は実践にあまりに重きをおきすぎるから、理論の当否の問題と実用性とを混雑して、見当ちがいの攻撃を発するきらいがある。ルイセンコも、遺伝子説がまちがいであることを示す事実をえたのであるなら、メンデル遺伝学は実際に役にたたないという点ではなく、それが誤りだという点を批判するべきであろう。」と書いた。

 ■科学における7つの愚行(107)
 1913年ジョン・フィンの書名。科学的な不可能を探求する行為だが、結果として科学知識の増大をもたらしてはいる。
 1)円の正方化
  2)立方体の2倍化
 3)角の3等分
  4)永久運動
  5)金属の変性(錬金術)
 6)水銀の固体化
  7)不老不死の薬  


科学の暗黒時代(466)
 今日中世が科学史的にみて暗黒時代であったなどとは決して言えない。中世が暗黒であるというのは中世に関する知識が暗黒なのだという意味のことを言ったのは、著名な科学史家ジョージ・サー卜ンである。こと力学に関して言えば、今世紀初頭、フランスの物理学者であり、また科学史家・科学哲学者でもあったピエール・デュエムが、その画期的著作『レオナルド・ダ・ヴインチの研究』においてスコラ末期における自然学の注目すべき発展を明らかにし、このパリのいわゆるノミナリストたちが慣性の原理、落体の法則、運動量の既念、地動説など、一般に十七世紀においてはじめて確立されたとされていた近代科学の諸原理を、すでに十四世紀において先取りしていたことを主張し、近代力学は十七世紀ではなく、まさに十四世紀のスコラ学においてはじまるという革命的テーゼを提出し…。
 その結果十四世紀の「インペトゥス理論」を中軸とする後期スコラの科学思想は、暗黒であるどころではなく、アリストテレス力学をのり超える過程において、一つのピークを示すきわめて重要な内容をもつものであり、ここにすでにある意味において「ガリレオの先駆者たち」が見出されることは、今や疑う余地がない。


科学の方法(400)ポアンカレ
 わたくしはここに、直接間接科学方法論の問題に関連するさまざまの研究をあつめた。科学の方法は観測と実験とに存する。科学者にかすに、もし無限の時間を以てするならば、彼にむかってはただ「観よ、しかして正しく観よ。」とのみ告げれば足るであろう。しかしながら、科学者は一切を観つくすほどの時間、ましてまた一切を正しく観つくすほどの時間をもたない。また下手に観るくらいならば、むしろ全然観ないにしかぬ。よってここに選択の必要が生ずる。それ故に、まず如何にして選択をなすべきか、それを知るのが第一の問題となるのである。…科学者は本能的にこれらの原理に従って行く。故に、数学の将来の如何なるべきかも、この原理を考察することによって予見することができるのである。

鏡の背面(253)
 カントがその生涯を送ったケーニヒスベルグ大学に招聘されたコンラート・ローレンツが、カントの認識論を進化論的に解釈した著作。アプリオリな直観の形式とカテゴリーの形式は、現実の事物を律しているさまざまな法則には還元できないとするカントのアプリオリとは、人間という生物が進化の過程で獲得してきた適応的な形質だという考え方。…脳が認識しているのは、鏡のおもてに映っている像だけである。そこだけを見ていたのでは、鏡に映っていない事物があるのも、鏡の背面があることも、分からない。これがカントのアプリオリ論だ。

各務木骨(111)
 かがみもっこつ。日本の解剖学は山脇東洋によって創始された。その後、世界に例のな い木製骨格標本も作られた。

可逆的バイオスタシス(51)
 生物の細胞と組織を長期にわたって保存し、これを後日細胞修復技術で復元すること。 永遠の生命に実現につながる。

かぎ型書法(295)
 かぎ型の書字方式は、不自由な方向への順応ではなく、むしろ書く手への同側の大脳半球からのコントロールの結果であるとする考え方も提唱されている。レヴィ(1971)は、左利きのうちかぎ型書法を使う人は、言語機能は左半球にあり、使わない左利きは、右半球にあることを示す資料を報告している。

果境不可説(364)
 それは、果境不可説ということである。仏教では、因果を重視する。よき因がよき果を生む。因位は、つまり、菩薩が発願して如来になろうとする境位である。しかし果位は、その因行によって、悟りを開いて、完全に仏になった境位である。この完全なる仏になった境位はどんな境位であろうか。顕教ではこういう境位を、有に非ず、無に非ず、言葉を離れた絶離の境地であるという。すべての顕故について、同じことがいえる。空海は、華厳、天台、法相、三論の経典から、こういう文句を探し出し、そこに、顕教の限界があることを指摘している。このような因位にあらざる果位を、顕教では、否定を通じてしか表現出来ないと考えるが、そのような果位そのものは、否定ではなく、肯定によって表現さるべきものではないか。そして、このような顕教において説きえざる果分を肯定的、積極的に説くのが密教であると彼はいう。これは、なんでもない論理の遊びのようであるが、実は、そこに、仏教哲学のもっとも重要な問題が内在しているのである。なぜなら、仏教は、本来、現世にたいする否定精神を、その理論の根幹にもっている。

確証バイアス(TV 99/2/28)
 たとえばノストラダムスの予言が信じられるようになるメカニズム。ノストラダムスの 文章はどのようにも解釈できるマルチプルアウトという特徴を持っている。これは当時の 四行詩の韻律を守るために意味のないつながりの文章としたためである。この文章を解釈 しようと努力して、ある文章が特定の事実を示すように信じ込むと、それがバイアスとな って、他の文章の恣意的な解釈をも信念としてしまう。

革命(509)
 堯・舜は上古の聖天子と言われる。堯は舜に、舜は禹に、天子の位を譲り伝えた。これを禅譲と称する。禹は位を子の啓に伝え、夏という王朝が成立して桀王に至った。桀王は暴虐だったので、湯王がこれを討伐して殷王朝を開き、約王に至ったが、約王がまた暴虐だったので、武王がこれを討伐して周王朝を開いた。これが前の自序に言う夏股周三代であるが、この殷の湯王と周の武王との武力行使による天子の地位の移動を、禅譲に対して放伐とも革命とも称する。
 古来中国では、天子の地位が賢者から賢者に伝えられる禅譲を政権交代の理想としたが、武力行使を伴う革命については是非の議論が繰返され、暴君は民衆のためにならないからこれを討滅するのは正しいとする立場と、暴虐でも君主である限りこれを臣下が殺するのはよろしくないとする立場とが対立した。下文に出る伯夷・叔斉の話は後者の立場を示す。孟子はその民本主義の立場から革命を肯定し、黄宗義はそれを継承したことになる。


革命のツァーリ(420)
「それなら、いったい誰が皇帝になるの?」「今は、誰もいません」「それなら、もうツァーリがいないなら、いったい誰がロシアを治めるの?」…彼は数百万の人々と同じように聞いた。誰がツァーリになるのか、いつもツァーリがいた国の新しいツァーリに。(1917年の)革命は専制君主を撲滅することができなかった。それは国民の血の中に生きているからだ。だから彼はまた来る。新しいツァーリが。革命のツァーリだが、やはりツァーリだ。
「もうツァーリがいないなら、いったい誰がロシアを治めるの?」


格率(114)
 自らの学問、思想や生を導く規準。

確率(158)ファインマン
 偶然に発生する確率が十分に低い実験結果は何か根拠あるものと考えられる。しかしこ とがおこってから計算しても意味はない。君が特別なものを見つけたということは、つま り君が特別な例を選んだというだけのことだ。 たとえば僕は今夜驚くべき経験をします。ここへくる途中にANZ912といナンバー プレートを見たのです。僕がANZ912というナンバーに出くわす確率をひとつ計算し てみていただけませんか。およそバカけた話です。

隠れキリシタン(527)
 キリシタンが発見されたことは、日本キリシタン史に新しい時代を区切ることになった。すなわちこれで潜伏時代は終り、復活と再建の時代がはじまるのであるが、このとき、宣教師たちを、自分たちが待ちこがれていた伴天連だと認めないで、その指導を受けずにそのまま潜伏をつづけた人びとがある。かれらは幕末から明治初年におよぶ迫害にもそのまま潜伏しつづけ、いまもなお潜伏的宗教形態を持ちつづけている。俗に「隠れキリシタン」(1865年までの潜伏時代における「潜伏キリシタン」とは区別して考えられねばならない)といわれる人びとがそれである。その名称は長崎県下各地で異なり、平戸、生月地方ではふるキリシタン、下五島ではふる帳、上五島、中五島では元帳、長崎、外海地方ではかくれと呼ばれている。彼らの信仰はキリシタン意識が中心になってはいるが、仏教、神道、土俗信仰などと混成したような特殊の宗教形相を持っており、1865年まで幕府の弾圧下に潜伏した「潜伏時代のキリシタン」とは本質的に区別されなければならない。すなわち1865年まで潜伏したキリシタンはこの年以後、宣教師の指導下に入ったカトリック信者と、こんにちなお潜伏しつづける隠れキリシタンとに分裂したということができる。

過激派宣教師(547)
 コエリョ神父は平戸から有馬に行き、切支丹武将にたいして秀吉と戦うよう工作し、そして彼はそれに必要な軍資金、武器、弾薬を提供するとのベ、ただちに多数の火縄銃の買入れを命じ、火薬、硝石、その他の寧需品を準備させた。
コエリョ神父は自分の政治力をあまりに過信しすぎていた。クーデターを奨められた小西行長は、かねてからコエリョ神父の過激な行動と無神経な振舞いを苦々しく思っていただけにその工作にのる筈はなく、有馬晴信も大友義統もまた、首を縦にふらなかった。こうしてイエズス会副管区長が計画した秀吉への反乱は、空しく失敗に終ったのである。
秀吉麾下の切支丹武将を結束させ反乱を起させる企てが実現しないことを知った時、コエリョ神父はフィリピンの総督、司教および司祭に手紙を送り、日本にスペイン兵二百乃至三百を派遣し、日本在住の宣教師のための独立保護地域をつくることを要請した。現実を無視したこの申し出をフィリピン総督が承諾する筈はない。


カサ・ディ・リポーゾ(344)
 「憩いの家」(ミラノ) 1900年5月11日、ヴェルディは20ケ条と補則2ケ条からなる遺言書を作り上げた。…昨年、彼が創設し建築した暮らしに困っている老齢の音楽家のための「音楽家憩いの家」(カサ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジシスティ)には、彼の印税やかなりの寄付金を寄贈した。…1902年に開場し、9人の引退した歌手が入居したが、それ以来、数百人の入居者…あるものは生前相当有名な、またあるものは無名な人たちであったが…ヴェルデイが生前残してくれた親切なもてなしに、皆満足した。…さらに彼の女相続人、養女として家に引取って育てた従姉妹のマリア・ヴェルディに対しては、サンタ・アガタの邸宅を含む財産の大部分を遺産としてのこしたのである。

カザド=デュム(271)指輪物語
 ギムリ「あれなる土地は、昔われらの父祖が営々と働いた所です。そしてわれらはかの山々の姿を数々の石や金属の作品に仕上げ、また多くの歌や物語に歌い上げてきたのです。…あの山々の下に、ガザド=デュムすなわち今では黒坑と呼ばれるドワローデルフ、エルフの言葉でいえばモリアがあるのです。あそこにそびえるのは、バラジンバル、すなわち赤山、無慈悲なるカラズラスです。」

花山院のくるひ(540)
 大鏡の方はかなりつっこんで、意地悪い見かたさえしている。それによると花山院は、狂疾の帝、冷泉院の血をひかれ、「御本性のけしからぬ様にみえさせ給」うことがしばしばであった。
だが、見たところはりっぱな方で、美しい上、義懐など賢臣の補佐を得たので、世人は「内をとりの外めでた」などと蔭口をきいた。ある人が「冷泉院のくるひよりは、花山院のくるひは、すち(術)なきものなれ」と、藤原道長にいったところ、道長は「いと不便なることをも申さるるかな」と、たしなめつつも大笑いしたという。
…寛和二年(986)夏とんでもない事件が起きた。ある夜ひそかに御所をぬけ出し、花山の元慶寺において、突然剃髪されたのである。…そこから花山院は、石川寺の仏眼をたよって、磯長に行き、上人のすすめで巡礼を思い立たれるのだが、それは聖徳太子の御廟の前ではなかったであろうか。…が、実際に巡礼に出られたのはそれから三年後で、その間、院は那智の滝にこもって、行された。その庵室の跡が、今でも滝壺の上に残っている。まったく此世から隔絶した険阻の地で、深手を負った魂には、このような荒療治しか見出せなかったのだろうが、いまだに、凄まじい気魄がこもっているような地形である。


餓死(458)P.64
 だがそれは表現されればたちまち虚偽と化す想念だった。言いあらわすこと自体がもつすべての自己弁明、すべての価値の相対化を拒絶することの極致が餓死だからだ。みずから獲得した認識、みずから積みたてた行為を、自分のカによって、自分の内部にだけとどめて滅することが、飢餓行だからだ。誰に解ってもらおうともせず、憐れまれることも嘲笑されることもなく、まったく人には知られることなく、行き倒れるのが彼の最後の栄光なのだ。

過剰生産(205)
 一つの経済システムとしては資本主義は不安定であるという烙印を押されているが、そ れは主として内部の拡張圧力から発している。……資本は利潤を求めて、蓄積を阻むすべ ての障害を克服しようと努める。しかしこの極限への前進は過剰生産の危機によって妨げ られてきた。なぜなら資本の蓄積は、それを支える諸条件に先んじる傾向が常にあるから である。

梶井基次郎(202)
 埴谷雄高「天才ですね。小天才と日本では言われているけれど、天才なんですよ。」

神島の進講(544)
 神社合祀令(1906年)とは、一村一社を原則とし、その他の小社小祠をこわし、他の神社へ併合させるという政策である。自然保存の中で、南方がとりわけ大切に思ったのは、田辺湾西方に浮ぷ神島(かしま)という三ヘクタールに充たぬほどの島である。この島の小調もまた、合併の対象となったが、南方らの熱心な運動のおかげで、1911年、保安林として保護されるととになった。
…神島の神は近年まで諸人に畏敬されたるをもって、神林が人為の改変を受けしことほとんど絶無なれば、林中の生物思うままに発育を遂げ得、また近地に全滅してここにのみ残存する物多く、往々今までこの島にのみ見出だされて全く他所に見えざるものあり。
 1929年6月1目、天皇が南紀伊へ行幸された時、南方は田辺湾上神島近くで、お召艦長門で進講した。天皇がみずから、南方熊楠の話をききたいと所望された。そのために、反対勢力も打つ手なく、「無位無官の者を御召艦に召さるるは先例なきことにて、県知事や衆議員すら供奉艦に陪乗するも、御召艦へは小生一人限り召さるるなり」という事態になった。

カシャパ(287)
 「国産ライカ」をめざして開発を続けていた精機光学研究所は、装着するレンズをどうするかという根本的な問題に逢着していた。1934年の「アサヒカメラ」6月号から9月号に掲載した有名な<KWANONカメラ>の広告には、カシャパF3.5つきで200円、テッサーF3.5付きで285円とある。…装着レンズにテッサーとうたってもツァイス社と契約ができていたわけでもなく、カシャパに至っては町の職人の磨いたもので開放では使えないという代物だった。

合衆国マンハッタン工兵管区(164)
 ロスアラモス研究所の暗号名。ここから原爆開発プロジェクトの非公式名を「マンハッ タン計画」と呼ぶことになる。  
仮晶(110)
 シュペングラー「すべての文明は、それ以前にあった文明の影響を受けるもので、外来 の手段に屈してこれを我が物にする勇気をもっていた。それを通じて自分の様式を発見し 個性を確立することができた。しかしアラビヤ文明はギリシャ・ローマの影響を我が物に することができず、外来の表皮のなかに自己確立でない仮晶状態にあった。ロシヤもまた 同じ状況にある。」  

ガス化溶融炉(246)
 最終処分場のオーバフロー化、焼却炉のダイオキシン発生。この2つの問題を一気に解決できる救世主となると期待されている技術。 従来の焼却炉はごみをそのまま燃やすが、ガス化溶融炉では、ごみをまず低酸素状態で400〜600℃で「蒸し焼き」にする。そのときに発生したガスを燃やして残った炭のようなカスを1300℃以上の高熱で燃焼させる。燃焼後に残るのは、直径数ミリの黒っぽい粒状の灰(溶融スラグ)で、しかもわずかの量しか発生しない。 高温で燃やすため、ダイオキシンの発生量も少なく、燃焼させる時の熱は発電に利用。残った溶融スラグも道路のブロックなどに利用できる。プラスチックを含む一般のごみだけではなく、産業廃棄物や過去に埋め立てられたごみや焼却灰も燃やすことができるそうだ。ダイオキシン規制強化、最終処分場の確保など廃棄物対策に悩む自治体などが、ガス化溶融炉を採用しだしているが、まだ運転実績は少なく、以下のような事故も起こしている。ドイツでシーメンス社のガス化溶融炉から可燃性ガスが漏れる事故があった。

カースト(234)
 4大カーストはブラーマン(僧侶)、クシャトリア(戦士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(従者)である。上位3カーストは二度生まれた者でヴェーダを学ぶ資格をもつが、シュードラはまだ一度しか生まれていない者でいかなる宗教的恩恵をこうむることができない。マヌ法典には「聖典ヴェーダを読む声にシュードラが不届きにも耳を傾けたなら、熱く解けた鉛を耳に流し込んで罰すべし」と記されている。不可触賎民はその下位で、カーストのらち外に置かれた。

カースト制(112)レヴィ・ストロース
 インドは3000年前に人口の増大に直面し、カースト制によって量を質に変換する方 法を求めた。それは人間集団を彼らが並び合って生きていくことが出来るるように分化させるも のである。カーストが異なっているいるが故に平等でありうる、共通に測り得るものを持 たないという意味で平等であり続けるという状態にカーストが到達できなかったことによ ってこの試みは失敗に終わった。

カスパール・ハウザー(55)
 カスパール・ハウザーに関する文章はドイツではゲーテとナポレオンについで多いとい われる。1828年ニュールンベルグに記憶を持たないカスパール・ハウザーという野生 児が出現。出生直後に陰謀によってすりかえられ、長期間幽閉されていたとされる。ナホ レオンにゆかりを持つバーデン公国の大公子であるか、希代の詐欺師であるか、現在まで 議論が続く。  

カス論文(342)
 常温核融合に守り本尊を置くすれば、あの世で本人は苦笑するだろうが、17世紀フランスの偉大な物理学者で、数学者・哲学者でもあったブレーズ・パスカルが最右翼か。彼は途中で科学を断念し宗教の道に進んだが、これはまさしく常温核融合研究者の多くがたどった道である。…ユタ大のボンズとフライシュマンはJEACに「電気化学的に起こした重水素の核融合」という論文を1989年3月に発表。MITのパーカーは「神の賜物」と呼んだ。テキサス大のバードは「カス論文」と呼んだ。フェルミによって真の天才と呼ばれたIBMのガーウィンは「今までみた科学論文のうち最悪のもの」と評した。

化石コレクション(499)
 18世紀のイギリスでは、化石コレクションを所有し、それを展示することは、上品かつ洗練された趣味のしるしだった。…化石をもっていることは、知識欲のあらわれであり、自然科学への意識の高さであり、地球の形成にまつわる神秘的なプロセスを理解したいという熱意を示すものでもあった。そして、この化石ハンティングの世界…この世界でやがて最も名を上げるのがウィリアム・スミスだった…からじょじょに生まれてきた思想をきっかけとして、やがてチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォーレスによる、種の起源に関する深遠な思想が導きだされるのだった。
…熱心な化石コレクターlの多くは「神学者」と呼ばれた。やがて科学的な化石研究がきっかけとなって創造やノアの洪水といったキリスト教信仰の土台が揺るがされることを思うと、このあだ名は奇妙な偶然の一致といわざるをえない。


化石燃料預金(249)  
 われらが宇宙船「地球号」の化石燃料預金は、いわば自動車のバッテリーに相当するのであつて、主エンジンの自動発進機に点火するために、蓄電しておかなければならないのである。したがって、われわれの主力エンジン、つまり、生命維持作用は、風や潮流や水の力、および太陽からの直接の光エネルギーから毎年得られる、莫大なエネルギー源だけに頼って働く以外ないのである。

仮説(268)P.95
 どんなに無数の成功した設計がそこから導き出されたとしても、いかなる仮説も決して議論の余地なく証明されたことにはならない。しかし、仮説の反証はたった一つの失敗で足りるのであり、このことを認識するのは技術者の責任である。

かたち(301)
 この本では、「かたち」を、「かた」と「ち」が結びついた複合的なものとしてとらえなおしたい。「かた」とは、型。たとえば鋳型のように、「同じ形をくりかえし生みだすもの」を意味している。…この規範が強化されると、「かた」は硬さをまし、凝固して、堅いものへ、固まったものへと変化していきます。
 一方の「ち」とは、「いのち」の「ち、」「ちから」の「ち」です。…この「ち」が、血や乳となって、「かた」のなかを駆け巡る。


カタリ派(86)
 フランス中部のアルビが中心であったことからアルビ派ともいわれ、ギリシャ語で[清浄]を意味するのがキリスト教の異端と言われ、権力側から徹底的に弾圧されたカタリ派 。彼らは善と悪の両原理を究極までおしすすめ、宇宙全体は暗黒の王によって創造された と考え、これに対する禁欲的道徳を説き実践した。アルビ十字軍の蹂躪で壊滅。

カタリ派イゾルデ(462)
 ボルストの「カタリ派」のあとで、トリスタンを読むと、サタンとキリスト論以外にも思い当る箇所が少なくない。カタリ派の軌跡をたどってみよう。…カタリ派の教義によると、カトリック教会の秘蹟とされる婚姻は誓いによって確認された姦淫であり、しかも公然と行われるだけに売淫よりなお悪いとされる。イゾルデとマルケ王の関係は、まさにその婚姻によって結ばれている。一方、イゾルデとトリスタンの関係は、姦通という婚姻の枠外でしか成立しえないものである。しかも、一切の性的行為を厳禁する完全者の戒律とは異なり、悪ではありながら許される信者の特権の行使にほかならない。

価値寡い愛(457)P.7
  もし築きあげえたことの成果でものの価値が計られるのなら、私たち(進藤と久米洋子)の間の愛情はまことに価値寡いものだった。また純粋さというものが、第一に尊重されねばならぬ倫理であるのなら、私たちの関係は、その第一義的な真実にも欠けていたことになる。情念の唯一性、献身の美しさ、共に耐えることの連帯、そうした幻想的なヴェールをなにひとつ私たちは持たなかった。一つの家庭、一つの共同体をすら、経済的にも精神的にも私たちは作ることができなかったのだから。私たち、いや私に許されていたのは、思うことそれ自体が苦痛である、その苦痛を甘受すること、それによって一層応過激になる執着に虜われることだけだった。

価値感(196)  
 科学と価値の合体を妨げているのは、価値の問題が本来科学の埒外にあるという従来の理解である。科学はどうなっているかには答えるが、何故には答えないとか、科学はいかにしてある目標を達成するかを告げるが、どの目標をめざせばよいかは行ってくれないと 言われる。…しかし価値は、他の心の現象のように、人間の意思決定機構における因果関係の継起において、客観的な脳の神経過程の最高の制御能力を発揮して統合を行う役割を 分担している。

価値の尺度(430)スミス
 あらゆる物の真の価格、すなわち、いかなる物でも、それを獲得しようとするにあたって本当に費やしたものは、それを獲るための労苦と骨折である。あらゆるものが、それを獲得した人にとって、またそれを売ったり、他のなにかと交換しようとする人々にとって、真実どれほどの価値があるかと言えば、それによってかれ自身がはぶくことのできた労苦と骨折であり、他の人々に課することができる労苦と骨折である。貨幣または財貨でわれわれが買うものは、われわれが自分の肉体の労苦によって獲得するものとまったくおなじだけの労働によって購買されたものなのである。だから、貨幣、または財貨は、実は、この労苦をわれわれからはぷいてくれるのである。それらはある一定量の労働の価値をふくんでおり、その一定量の労働の価値をわれわれは、それと等しい労働量の価値をふくんでいるとみなされるものと交換するのである。

カッサンドラ(24)
 トロイの王女。ギリシャによるトロイの滅亡を予言し、その対策を説くが、誰からも相 手にされない。説得さえすれば、聞きいれられると信じている人のたとえ。
(297)彼女の口にする予言はいつも正しい。しかし誰も彼女の予言を信じないだろう。それがアポロンのかけた呪いだ。おまけに彼女が口にする予言はなぜか不吉な予言ばかりだ。


活性酸素(255)
 活性酸素とは、大気中に安定に存在する基底状態の酸素分子以外の、不安定で反応性に富むラジカルな酸素種であり、近くにある元素分子から電子を奪って安定になろうとする。…呼吸によって取り入れられた酸素のうち、水に変換されなかった残りの2%が、生きるために必須な代謝の過程によって反応性の高い活性酸素に変換され、これが生体中の核酸、たんぱく質、脂質などの細胞構成分子に損傷を与える。…生物の老化の原因の一つと考えられている。

活性酸素(512)
多くの生物が酸素なしには生きることができない。肺から取り込まれた酸素分子は、血中のヘモグロビンを介してすべての細胞に送りこまれる。その98%は、細胞がエネルギーを獲得する過程で行う酸化・還元反応によって生じた水素と結合して水に変換されてしまう。
 一般に酸素というときは、三重項酸素(O2)を指し、その特異な電子配列のために反応性は低い。この酸素分子は、ミトコンドリア内でシトクロム酸化酵素により、四電子還元を受けて大部分が水になる。酸素を取り入れてエネルギーを作る生物は、酸素を利用しない生物に比べて20倍近いエネルギーを得ることができるようになった。酸素を利用する生物は、酸素の供給を絶たれると、たちまち細胞の活動が停止し、死を迎えてしまう。一方、呼吸によって取り入れられた酸素のうち、水に変換されなかった残りの約2%が、生きるために必須な代謝の過程によって反応性の高い活性酸素に変換され、これが生体中の核酸、タンパク質、脂質などの細胞構成分子に損傷を与える。


カッパドキアの三つの星(78) 
 ニュッサのグレゴリウス、ナズィアンゾスのグレゴリウスと聖バシレイオス。服従、従 順と労働を基本とするカッパドキア修道制度を確立した。新プラトン主義哲学の影響も色 濃い。

カティー・サーク(262)
 ティー・クリッパーの海の女王。1869年に進水。その船首には妖精ナニーの彫刻が飾られていた。カティ・サークとはナニーが着ていた「短いシミーズ」を意味する。

家庭崩壊(256)リーナス・トーバルズ
 ぼく(リーナス)とサラが、パパやその恋人と一緒に暮らしたこともあったし、サラはパパと、ぼくはママと暮らしたこともあったしも二人ともママと暮らしたこともあった。そういえば、スウェーデン語には家庭崩壊にあたる言葉がない。

 ■カティリーナ弾劾(23)
 「いつまで乱用するつもりか、カティリーナ、われわれの忍耐を。いつまでしらをきる つもりなか、お前の無謀な行為を。次はどの手に訴えるつもりか、お前の限りない野望を 実現するために。……」  執政官キケロがBC63に元老院の不満分子カティリーナの陰謀を弾劾した名文とされ るもので、ラテン語を学ぶヨーロッパの高校生は必ず訳させられるという。フォロ・ロマ ーナの遺構を、キケロやカエサルが生きていた時代を思いながら歩いた。

カテキズム(145)
 教義問答。信者に分かりやすい問答の形式で神を説く布教方式。ジョイスがユリシーズ の17挿話で使った文体。

カテゴリア(431)
 中世のトマス・アクィナスの範疇超越としてのトランスチェンデンタリア、また、カントの範時論等、およそ哲学を論ずるときに、カテゴリーすなわ範疇を語らないで済ますことは不可能であろう。…カテゴリアというギリシア語は、カテゴレオすなわち「述語する」という動詞に基づく。例えば、「人間は理性的動物である」という命題が成立しているとき、主語人間″は述語理性的動物≠ノよって述語づけられている。この述語づける″という動詞に由来する。…一般化して、究極的なカテゴリーの類型を探してみると、どのようになるであろうか。これが有名なアリストテレスの十の範疇として呈示されたものである。(1)実体(2)量(3)質(4)関係(5)場所(6)時間(7)状態(8)持前(9)能動(10)受動

カデシ・バルネア(130)
 モーゼは約束の地を前にして38年もこのシナイ半島のオアシス、カデシ・バルネアに 止まった。その理由は、奴隷集団では先住民との戦いに勝てないと判断して、その次の世 代が成長するのを待って、ユダヤの厳しい律法によって教育した戦闘集団を育成するため であったとされる。

過渡現象(322)
 プリゴジンがブリュッセル自由大学の学生であったころ、当時の熱力学の最高権威が次のような意見を述べた。「この若者がこれほど非平衡物理学に興味をもっていることに私は当惑している。不可逆過程は過渡的現象にすぎない。何故、もう少し待って平衡状態を研究しないのだろうか?」プリゴジンは「しかし、我々自身が過渡的現象なのです。我々に共通な人間的条件に興味をもつことは、自然なことではないでしょうか?」と思った。

カトリック嫌い(394)
 ドストエフスキーがたいへんなカトリック嫌いであったことは、よく知られている。ローマ・カトリックについての彼の次のような言明を引いておくだけでも充分だろう。「ローマ・カトリックは、地上の支配のために早くからキリストを売り、人類をして自分にそむかせ、このようにしてヨーロッパの唯物論と無神論の最も主要な原因となったのだが、このカトリックこそ当然のことながらヨーロッパに社会主義をも生み出したのである」…この『カラマーゾフの兄弟』でも、「大審間宮」伝説は明らかにローマ・カトリックを念頭に置いて書かれている。ところが奇妙なことに、どう見てもドストエフスキーの宗教的理想を托した人物像と目されるゾシマ長老の描き方に、ことさら彼をカトリックと関係づけようとする節が見られるのである。

過鈍(163)
 オーティズム(自閉癖)は感覚癖である。感覚の脳への伝達障害として、過敏、過鈍、 系統内雑音の3パターンがある。便を体や壁に塗りつけたりする子供がいる一方で、排便 を拒否し、便を貯めこもうとする子供がいる所以である。

金粟如来(544)
 南方の自称は、「維摩居士」、「金粟如来」(維摩の前身)、「浄名居士」(維摩居士のもう一つの名)、「新門辰五郎事南方熊楠大菩薩」などである。とりわけて南方が自分と同一視することを好んだのは、維摩であった。維摩とは、釈迦と同時代人で、インド、ビハール州ヴァイシャーリーに住む金持ちで、「仏教教理に通達し」た、「大乗仏教の理想的人間像として描かれた在家の信者であった」。維摩はサンスクリット語で、浄名、無垢の意である。南方は維摩を、釈迦の弟子ではなく、釈迦と同時代に、「前代の仏教を釈迦とは別の師より得るか、または自習自発見したるものにて、たまたま釈迦の出でて法を説くに及び、大いに協賛同助せしことなり」と評価している。

カナダ併合(522)
 1775年9月、大陸会議はボストン包囲戦と並行して、カナダへの侵入作戦を認めた。なぜ独立の戦いのそもそものはじめから、十三植民地以外のカナダへ愛国派は軍を進めたのか。背景はもっと複雑である。実は大陸会議はこの決定以前に、カナダを十三植民地の仲間に加えるため、代表を送らせようと政治的交渉を行なったが、この交渉は失敗に終わっていた。その結果として、軍事上の侵入作戦がとられたという事実は、独立戦争がその当初から、たんに十三組民地の郷土防衛のための戦いであっただけでなく、少なくとも北はカナダから、西はミシシッピ川まで、南はフロリダをもふくめる広大な領土の獲得と確保を望む植民地人の希望をあらわした侵略戦争の側面をもっていたことを示している。この侵略性は一般にブルジョア革命期の戦争のもつ一側面といえるであろう。

カナタラ配列(25)  
 ハングルのアカサタナ。  

可能性のめまい(490)
 ハイデガーは、『初期著作集』の序文に、キルケゴールを読んだのが1910--1914の間であったことを記している。…不安は可能性のめまいと言われ、可能性のないところには起こらない。大戦勃発の直前に、不安の概念を世界の思想史上初めて、しかも類なく深く分析した思想家の主要著作が翻訳出版されて広く読まれたというのは、世界戦争の可能性に対するぷきみな予感の然らしめたことだったと言えるのかも知れない。それはとにかく、あのシュレンプ訳のキルケゴールが、ハイデガーやヤスパースの実存哲学を、またバルト神学を育て、これらの思想が戦後のひととき世界諸国の哲学界、神学界を風靡するかに見えたほどの影響を及ぼし、ひいてはその源泉としてのキルケゴールが、…一種のプームを捲き起こして、キルケゴール・ルネサンスが口にされるまでになった…。

カノッサへの道(410)
 1076年のクリスマスの直前、ドイツ国ハイソリヒ四世の一行、すなわち王妃、王子と数名の従者は、ライン中流のシュバイエルをあとに、ひそかにプルグンド王国に向かって旅立った。それは異常な寒波がおそった冬で、どの年代記もー致してのべているのは、ライン川が歩いて渡れるほどに凍りつき、アルプスの南でも雪がひどく、ロンパルディアではポー川が凍ったくらいだったということだ。…かずかずのアルプスの峠はもう法王側の諸侯の手におちていたので、残ったのほモン・スニだけだった。こうして、「厳冬のモン・スニ越え」という冒険が敢行されたのである。…ハインリッヒはゆくゆく同情者をあつめ、その一行はやがて遠征軍にもかわらないほどに膨張した。驚いたのは法王グレゴリーだった。…硬城、アペニン山脈北端の要害カノッサにとじこもった。
…ハインリヒ四世のカノッサ行は、法王グレゴリー七世が俗人の聖職者叙任権を否認したのが出発点だったと考えられている。カノッサへの道は叙任権問題以上のものをもっていた。それは一言でいえはキリスト教的ローマ皇帝と法王権とのヨーロッパでの最高権威をめぐる争いなのだ。その意味では、カノッサへの道は、オットー大帝の帝位獲得以来、いやカール大帝のローマ帝国復興以来予定されていたといわなくてはならない。言葉をかえていえば、それはヨーロッパ世界の成立そのものに結びついて起こった問題なのである。


カバラ主義(86)
 グノーシスから薔薇十字団までキリスト教(的)思想家たちに影響を与えたユダヤの秘伝的律法教師の神知論的思想の集積が語源的には伝統を意味するカバラ。 文字置き換えのゲマトリア、ノタリコン、テムラー、テルブの技法で聖典を寓喩的に解釈し、創造の神秘に迫ろうとした。 思索の原典になったのは8世紀の「セフィル・エッチラ」(天地生成の書)、13世紀 の「セフィル・ハ・ゾハル」(壮麗の書)。

カバレッタ(333)
 オペラ中の短い歌で平易な形式を取り簡潔なのが特徴。旋律も伴奏もリズムも変化しないもが多い。アリアや二重唱の終わりの部分の速い同一リズムの部分をいう。

カブラル神父の日本人感(547)
1570年−−つまりヴァリニャーノに先だつこと九年前に日本に来たこのカブラル神父は常常日本人を偽善的だと考えていた。彼には政治的目的、もしくは富国強兵策のために宣教師を利用しようとする日本領主たちの打算が鼻についたにちがいない。「日本人ほど傲慢、貧慾、不安定で偽装的な国民を見たことがない。彼等が共同の、そして従順な生活ができるとするならば、それは他に何等の生活手段がない場合のみである」とカブラル神父は書いている。
…そう考えたカブラル神父はいかなる日本人も教会のなかで抜擢し、また将来、神父として育てるべきではなく、修道士や神父を助ける同宿(伝道士)程度の地位におくべきだと主張していた。日本に到着したヴァリニャーノ巡察使はこのカブラル的な考えに日本人修道士や日本人信徒が大きな不満を持っていることをいち早く見ぬいた。しかも彼の直接の眼を通して見た日本人は鋭い理解カを持ち、すぐれた才能に恵まれていた。「中国人は別として(日本人は)全アジアで最も有能で教育された国民であり、天稟の才能があるから、教育すれば、すべての科学を多くのヨーロッパ人以上に憶えるだろう」と彼はその『インド要録』のなかでのべている。


ガブリエル・ドゥ・ロルジュ(494)
 1559年、パリのサン・タントワーヌ通り特設会場で、その騎馬槍試合が行われた…。三試合目の前に、サヴォイア公が王(アンリ2世)に自分の馬を貸した。「不幸」という縁起でもない名前だったが、確かに頑健な軍馬だった。
 アンリ2世が次に指名したのが、モンゴメリー伯ガブリエル・ドゥ・ロルジュだった。 ノストラダムスはかつて王宮に仕えていた占星術師で、この四年前に『諸世紀』という書物を出版していた。その詩集に、こうあるのだ。
    「若き獅子、老いた獅子を打ち倒さん
    戦いの場にて、一騎討ちの勝負により
    金色の固いのなか、男は目を破られる
    ふたつがひとつに、それから死が訪れる
 突いた衝撃でモンゴメリーの槍が折れた。槍は折れたというより砕けたのだ。弾け飛んだ木片は、くるくると宙を舞った。それが面頬を下から潜り、アンリ二世の金色の兜のなかに飛びこんだ。

ガブリエル・プリンチブ(209)
 1914年6月28日サライェヴォでオーストリア皇太子を暗殺したセルビア青年。第一次世界大戦を引き起こすことになる引鉄を引いた学生の名前。

果分可説(377)
 空海は『弁顕密二教論』二巻を著作し、その中で顕教に対する密教の特色を、法身説法果分可説、即身成仏教益殊勝の四点にまとめて世に問うた。中国仏教において行なわれていた教判論を、日本密教にも取り入れ、密教の優位性を理論化して、新たに打ち出したのである。…仏教の術語で、因分とは迷いの世界、果分とは悟りの世界を指す。顕教では、悟りの奥深い内容については、言葉で説明することは不可能と考えている(果分不可説)。それに対して密教では、悟りの世界といえども、象徴的に表現することは可能であり、また瑜伽の観法を通じて、その内容を会得することができるので、果分も可説と見倣すのである。

貨幣賃金(492)
 好景気過程における賃金の上昇は単に賃金率が上がるだけではなしに、より多く物価を上げることになる。かくて貨幣賃金の上昇という好景気過程は、実質賃金を考えると、貨幣賃金よりも物価の増大が大きく逆に実質賃金は低下することになることに注目する必要がある。 ケインズが貨幣賃金と実質賃金の変動とは逆に動く、このことは周知の事実であるという具合にいったのは、実は周知であるというよりも、新古典派の理論を前提するならば、当然貨幣賃金と実質賃金は逆に動くということにならざるをえないということをいおうとしたのである。逆に不景気の過程のように、貨幣賃金が下がる場合には、生産量も下がり、物価は一層下がることによって実質賃金は上昇する。

カペー王朝の聖別(494)
(カロリング王朝の血統が途絶えたとき)、ランス大司教アダルベロンは国王は世襲でなく、選挙で定められるべきだと主張した。年代記作者リシェが伝えるととろ、…「この問題を考えるとき、王位は相続の権に基づくのでないということ、王国の頭には肉体に秀で、精神の美質に富み、名誉に推され、大器に支えられるような人物を上げるべきだということを理解しなければなりません」
 西フランクの王位に特権的な要素があるとすれば、かねて宗教的な後光が挙げられたからである。クロヴィスに遡る故事で、このメロヴィング朝の王がランスで洗礼を受けたとき、天から聖油がもたらされ、その霊験で身体を「聖別」されたとされたというものがある。聖別された後の王は常人でなくなり、病人を手で触れただけで治せるなどの神通力を備える。
 そのありがたい聖油であるが、保管されたのがランスのサン・レミ大修道院だった。そのランスは西フランクの領内にある。西フランク王だけが聖油を使える、つまりは本当の聖別に与かることができる。「敬慶なるキリスト教徒たる王」として、クロヴィスの後継者を任じることができるのは、ひとり西フランク王だけだったのである。
 ユーグ・カペーに戻せば、この新しい王にはカロリング王朝の血統という後光がなかった。それだけに宗教的な後光が輪をかけて重要だった。この文脈でランス司教アダルベロンの支持は決定的ともいえるほどで、ユーグ・カぺーは王家の血を受け継いだことでなく、その伝統である聖別を授けられたとによって、正統の王たることを主張できたのである。…987年7月3日、ノワイヨンで国王戴冠式を挙げた。

カペー朝の断絶(494)
 1328年、シャルル4世も僅かの治世で崩御した。今度も息子は早世していた。それでも王妃ジャンヌ・デヴリューは妊娠中で、新王の誕生が期待された。が、生まれたのは今回は女児だったのだ。
 摂政の任についていたヴァロワ伯フィリップ、つまりは戦上手で知られたヴァロワ伯シャルルの息子が、フランス王フィリップ6世として即位することになった。すなわち、その先はヴァロワ朝の歴史であり、ここでカペー朝は断絶だった。三百年を超える時間を、父から子へ、そのまた子へと確実に王位を受け渡してきた王朝が、あれよという間に断絶に追いこまれる。それも子供がいないでなく、成人に達した男子が三人もいて、なかには息子に恵まれた者までいて、合わせて四人が王位を継いだにもかかわらず、ことごとくが天折したあげくの断絶である。

■鎌倉文化(524)
 武家の強さは、大地に根をもっていたというところにある。武家はいつも大地を根城としていたのではない。武家は腕力はある、武家と腕力とは離れられぬ。が、大地に根ざさぬ限り、腕力は破壊する一方だ。公卿文化は、繊細性の故に亡ぴる。武家文化は、その暴力性・専横性などの故に亡ぴる。腕力と大地とは一つものではない。腕力だけしかないものもある。公卿たちでも大地が顧みられていたら、平安時代のようなことはあるまい。この点を深く考えなければならぬ。平安時代に取って代った鎌倉武士には、カもあり、またそのうえに霊の生命もあった。カだけであったら、鎌倉時代の文化は成立しなかったであろう。鎌倉文化に生命の霊が宿っていたということは、その宗教方面に見られる。平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい。

神がサイコロを振る(556)
 アルベルト・アインシュタイン、マックス・プランク、マックス・フォン・ラウエも、物理学の究極的な基本としての統計的法則は断固拒否するという、より保守的な量子論の解釈を出発点としていた。アインシュタインと同様、シュレーディンガーも「神がサイコロを振る」ことを信じようとはしなかった。このようなとらえ方は、コペンハーゲンとゲッチンゲン側からまことに激しく批判された。当時のシュレーディンガーの仕事の多くはこの論争にかかわるもので、すべて、コベンハーゲン解釈(相補性原理、不確定性関係、統計解釈)による量子論は、決して以前議論されていた矛盾を最終的に解決したのではなく、依然として物理的認識論的意味で一時的なものにすぎない、と証明することを意図していた。もっとも、効果はほとんどあがらなかった。


神から身を引く
 われわれは真理の探求においても、善の遂行におけると同様に、人間の真の自律性を見出す。ただし、それは単に人間が無である限りにおいてだけである。人間が神から逃がれうるのは、人間の空しさによってであり、人間が〈無〉、〈悪〉、〈誤謬〉にかかりあう限りにおいてである。なぜなら、神は存在の無限の充実であるから無を理解することも統御することもできぬからである。神は私のうちに積極的なるものを置いた。神は私のうちに存在するすべてのものの責任ある作者である。
 しかし私は、私の有限性とさまざまの制限とによって、すなわち、私の影の部分によって、神から身を引くのである。もし私が無差別の自由を保持するとすれば、それは、私が認識しないもの、あるいは私が間違って認識するもの、すなわち、切りとられ毀損され混乱した観念、に関してである。これらすべての無に、私もその無のひとつなのだが、これらに私は否ということができる。すなわち、私は行動し肯定する決心をしないことができる。もろもろの真理の秩序は私の外に存在するのであるから、今や私の本質たる自律なるものは、創造的発明ではなく、拒否である。われわれがもはや拒否しえなくなるまで拒否することによってこそ、われわれは自由なのである。


紙テープリーダ・ライタの発明(334)
 1837年に美術教授のサミュエル・モールスが、電磁石の研究家ジョセフ・ヘンリーの協力を得て、モールス式電信機を開発したが、送信速度の低さが問題とされた。それに対して、1955年にニューヨーク大学のデビッド・ヒューズ(1831-1900)が、印刷電信機を発明した。これは活字を電磁石で作動して印字するタイプ印刷式電信機である。当時としては機構が複雑であったが、ヒューズの友人であるフランス人フロマンによって改良され、フランスを中心に普及した。1分間に200〜300文字の送信が可能となった。
 これを発展させたものが、フランスの電信技師ボートにより開発された5単位符号電信(1974年)。この通信は5ケ所の穴の開閉を文字に対応させるもので、いわば5ビットによる表現方式といえよう。
 イギリスでは1859年に、ホイートストンが、モールス符号に応じて紙テープに穴をあける装置を開発した。このテープをあらかじめ作製しておけば、逆にこれを作動することにより、送信ができる。この送信速度は1分間に500文字程度と当時の水準を大きく越えるものであった。


神になろう(523)
 人間は、三つの姿をとって出現した。…モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー。正しき者の三人の代弁者である。モンテスキューは、権利について書き、解説した。ヴォルテールは、権利のために泣き、叫んだ。そしてルソーは、権利を建設する。
…ルソーは、まだ居眠りをつづけている、弱く、力なく、躍動を知らぬ世界に向かって言った。いや、言わねばならなかった。「一般意志、これこそ権利であり、理性である」。あなたたちの意志、それが権利なのだ。目ざめよ、奴隷たち! 「あなたたちの集合意志、それが理性そのものなのだ」。それは、あなたたらが神なのだ、と言うに等しい。そして、自分を神と信じないで、偉大な事業をなしうる者があろうか。神となろう! 不可能は可能となり、容易となる。世界を転複することは、些細なことである。


神の自由(517)
 ここにおいて、デカルト説の意味するところは全く明らかとなる。自由の慨念は絶対的自体性の要求を含んでいること、自由な行為とは、その胚珠が世界の前の状態のうちに含まれ得ないところの絶対的に新たな生産であること、従って自由と創造とはただひとつのものにほかならぬこと、これらのことをデカルトは完全に理解していたのである。神の自由は、たとい人間の自由に似てはいても、それが人間的外衣の下にもっていた否定的様相を失い、それは、純粋な生産であり、それによって神が、ひとつの世界、ひとつの善、もろもろの永遠真理、を存在せしめるところの、超時間的な永遠な行為である。ここにおいて、すべての理性の根は自由な行為のうちに求めらるべきであり、真理の基礎をなすものは自由であり、さらに、真理の秩序の中にあらわれる厳格な必然性はそれ自身、ひとつの創造的自由意志の絶対的偶然によって支えられているのであり、かくて、この独断的理性主義者は、ゲーテのように「はじめに言葉ありき」ではなくて「はじめに行為ありき」ということができるのである。

神の沈黙(549)
 臆病者のこの愚痴がなぜ鋭い針のようにこの胸にどんなに痛くつきさすのか。主はなんのために、これらみじめな百姓たちに、この日本人たちに迫害や拷問という試煉をお与えになるのか。いいえ、キチジローが言いたいのはもっと別の怖ろしいことだったのです。それは神の沈黙ということ。迫害が起って今日まで二十年、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる。

神の欲情(536)
 マグデプルグのメヒティルド(1210頃--1285頃)の場合はどうだったであろうか。かの女は学問の素養は何もない宗教的女性であったが、その著『神秘性の流れる光』によって女性神秘家としての名声をえた。そこでは神との愛の感情が恋愛や婚姻の表象のなかで語られ、性的な幻想や感覚のなかで流露している。神との口づりを生々しくよみがえらせているかと思うと、愛の臥床のなかで神の欲情に身をまかせる神体験が、きわめて具体的かつ濃厚に描写されているのである。不可視の神との交わりのなかで、「着物を脱ぎなさい」という神のことばをきくとき、その神との合一体験は、ほとんど変態性欲の陶酔にきびすを接しているといっていいだろう。

神はそれを喜ぶ(371)コエーリョ
「アブラハムは見知らぬ人たちを受け入れ、神はそれ富んだ」というのが返答だった。,エリアは見知らぬ人を好まず、神はそれ喜んだ。ダビデは自分のしていることを誇りに思い、神はそれ喜んだ。洗礼者ヨハネは砂漠に向かい、神はそれ喜んだ。パウロはローマ帝国の大都市に向かい、神はそれ喜んだ。何が全能の主に喜びをあたえるのか、どうして人にわかるはずがあろう?〜あなたの心の命じることをなさい、神はそれを喜ばれるだろう」

神の意思的な死(516)
 竹内信夫氏は「大学と菩提心」(『知のモラル』東京大学出版会)という論文で釈迦自身も「意思的な死」であると主張している。そして、モーリス・パンゲ氏もキリスト教において「神自身、神の〈意志的な死〉によって死んだように思われる」と述べている。

紙の上のスイス人(416)アインシュタイン P.24
アインシュタインは21歳になり、スイスの市民権を得てはいた。しかし、彼はスイスの市民権を得たばかりであり、スイスの愛国者たちが「紙の上のスイス人」とよんでいたものであり、さらにユダヤの出であるということが、彼がスイス人として受け入れられる邪魔をした……。この窮状からアインシュタインを救ったのは、彼にしばしばノートを貸してくれたマルセル・グロスマンで、…ベルン特許局の長官フリートリッヒ・ハルレルに紹介してくれた。…長官はアインシュタインが特許局の役人としての訓練は何ら受けていないが、それに補ってあまりあるくらい自由に物を考えることができる人物であり、したがって特許局の役人の地位を得るのにふさわしいと…、その地位を与えてくれた。見習い技官、三級職がそれであって、年俸は3500フランであった。特許局における仕事は、特許を得たいと提出された発明の予備的な調査することであった。…この時代に三つの論文、特殊相対性理論、ブラウン運動の理論、そして光量子の理論に関するものが生まれた。通算7年間ベルンの特許局につとめたことになる。

神の像(かたち):カルヴァン(467)
 この間題の証明は「人間が「神の像(かたち)』につくられた」といわれていることから、たしかに結論される。すなわち、外的な人間においても神の栄光は照り輝くけれども、かれの「かたち」の据えられる場所が「たましい」にあることは、疑う余地がないからである。わたしは、われわれを動物たちと区別し・分離させている限り、「外形」もわれわれをいよいよ近く神に結びつけるものだ、ということを否定はしない。
…もしオジアンダーの作り上げた説が受けいれられるとすれば、人間は、キリストの人間としての型・もしくは原型にもとづいてのみ、つくられたことになる。こうして、アダムがかたどられた理想像は、肉をまとうべきである限りにおけるキリストだ、ということになる。しかし、聖書はそれと遥かにことなる意味において、アダムが「神の像」に造られた、と教える。…「たましい」が人間なのではないが、しかし、人間が「たましい」との関連において「神の像」と呼ばれるのは不条理ではない。だが、わたしは、さきに立てておいた原則を固持する。すなわち、神の姿というのは、人間のすべての卓越性に及ぶものであって、この卓越性によって、人間の性質はすべての種類の動物たちの中で、抜きん出ているのである。


神の酒(316)
 「葡萄酒を注いで癒す者」。ディオニュソスの名前に含まれる意味の解釈の一つに、そのような救済を暗示したものがあると聞く。事実、古代の人々は、この神の酒による人間の救済を詠っている。およそ酒ほど、人間にとって特別の関わりをもつ飲み物はないだろう。酒は、舌から胃の腑に行くのではなくて、舌から心へと沁み通っていく。酒のことを−−肉体とともに魂をも温めるもの。そう言ったのは、かのプラトンだった。

神の千の名称(482)ガンディー
 「子供のころ、わたしは、ヒンドゥー教の聖典に神の千の名称としてあげられているものを謡ずるよう教わった。しかし、神の干の名称は、けっしてそれだけで終わるものではなかった。思うに、神はその創造物の数と同じだけの名称があってしかるべきだと考える。したがって、わたしたちはまた、神は無名だとも言えるわけである。また、神は多数の形をもっているのだから、神はまた無形である。神は多くの口を介してわれわれに語りかけるゆえに、無言だとも言える。…わたしは、『神は愛なり』と言う人たちとともに、『神は愛なり』と言っていたが、心の奥では、神は愛かもしれないが、なんといっても、神は真理であると言っていた。人間の言葉でもって神を完全に言い表わすことが可能ならば、神は真理であるというのが、わたしの至った結論である。二年前には、一歩進んで、真理は神である、と説いた。

神の存在の証明の不可能性(490)キルケゴール
 この未知のものはなんであるか。それは未知のものである。つまりそれは、彼が知っているようなだれかある人間でもなく、あるいは、彼が知っているような、そのほかの事物でもない。そこでわれわれは、この未知のものを、神と名づけよう。これは、われわれがつけた、たんなる名前にすぎない。この未知のもの(神〉が存在することを証明しようとは、悟性は思いつきもしないであろう。すなわち、神が現に存在しないならば、その存在を証明しようとしてもそれは不可能であるが、しかしまた、神が現に存在するとすれば、それを証明しようとすることは愚かなことである。なぜなら、証明をはじめるまさにその瞬間に、私は神が現に存在することを前提しているのである。しかもそれを疑わしいものとしてではなく−−というのはそれは前提なのだから疑わしいものはどうしても前提にはなりえないから−−むしろ既定の事実として−−なぜなら、もし神がそもそも存在しないならば一切が不可能になってしまうことははじめからわかりきっていて、証明をはじめようなどという気も起こらないだろうから−−前提しているのである。それに反して、もし私が神の存在を証明するという表現で、現にそこに存在する未知のものが神であることを証明するということを考えているとしても、あまりうまくいいあらわしたことにはならない。なぜならその場合には、私はなにごとかを、ましてあるものが現に存在することを証明したのではなく、むしろ概念規定をしてみせたにすぎないからである。いったい、なにものかが現に存在することを証明しようというのは、むずかしい問題なのである。

神の左手(371)コエーリョ
 「呪いのあらんことを」と神父も唱和した。「二十年以上にわたって、私はこの土地を祝福しようとしてきたが、誰も私の呼びかけを聞く人はいなかった。同じ二十年の間、私は人々の心に善をもたらそうとしてきたが、その結果ついにわかったのは、神が自らの左手として使うために私を選んだということだった。彼らが悪をなしうることを示すために。…

神の不可視(510)
 並木浩一氏は旧約における視覚の問題をギリシアとの対比で述べているが、「イスラエル、ギリシア両民族とも神の不可視性を前提としていた。また、視覚を精神化するという点においても両民族は共通である」といわれ、「しかし、ギリシア人が神もしくは神的なものを見ることによってそれらに照らし示されて不死なるものに上昇するのに対して、旧約では神に見られることによって神を見ることができた、あるいは神に知られることによって神を知ったのだ」という、きわめて興味深いことを結論的に述べておられる。このような命題を掲げて、「ヨプ記」四二章五節を引いておられるが、この論文はモーセの見神についてはふれられていない。ところが私は、並木氏がヨプをもち出して主張されていることは、モーセの場合に違う状況であるけれども同様にいえると思うのである。というのは、シナイにおいてモーセが、見ることのできない神と民との聞の仲保者として立ったという事実は疑いがないのだから、神に見られ、知られたということはヨプ以上にはっきりしていると思うのである。

ガムビア・ベイ(287)p.10
 「ニコン75年史」では日本光学が製造した大和、武蔵の15メートル測距儀の威力によって、初弾を空母ガムビア・ベイに命中させたとある。…しかし、米軍側の資料によると、撃って撃って撃ちまくり1時間10分もたってやっと一発命中したという、日本軍にとっては実に情けない話である。しかもその命中弾を与えたのは巨大戦艦「大和」ではない。
…角田秀雄(のちにアサヒカメラ編集長)は「いくさには役立たなかったが、ニコン、キャノンなど、世界的な名カメラは、これら光学兵器をつくった技術からうまれでた。」と総括している。


仮名乞児(348)
 空海24歳のときに書きあげた思想劇「三教指帰」(さんごうしいき)では、上巻は儒教を代表する亀毛先生が立身出世の道を説き、中巻は道教を代表する虚亡陰士が不老不死の神仙道を教える。下巻では仮名乞児(かめいこつじ)が入れ替わって登場し、慈悲のはたらきですべての人びとを救済する仏教を説く。このみすぼらしい乞食スタイルの乞児こそ山岳修行者としての空海の自画像にほかならない。

カメラ(269)p,113
 むろんカメラは窓であると同時に鏡であって、鏡であるということはその向こうが見透せないひとつの遮蔽物であるということだ。写真が虚構であることは、プリントとなった写真は、まずもってこの鏡という虚構の機能で存在するからだ。鏡の世界は実際とは左右が逆転しているから誰でも注意すれば虚構だと気づくのだが、写真は逆転したネガを正像に直してプリントされるから、現実の忠実な相似と思われやすい。

カメラ・オブスキュラ(141)
 暗い部屋。ピンホール暗箱が光学像を作ることはダビンチがすでに記述しているし、そ の後も風景のトレース用に使われていた。だからダゲールが発明したのはヨウ化銀を蒸着 した銅版を水銀で現像する方法。これはニエプスがアスファルトで像を作った最初の写真 につぐもの。初期の写真家たちは水銀中毒に苦しむことになった。

 ■カメラの耐寒処理(134)  
 白川義員の南極撮影機材はリンホフ、ペンタックス6×7、ペンタックスLXで、これ らマイナス50℃で動作できるようにした。シャッターは1絞り分露出オーバになるが、 フィルム感度が低下して相殺する。フィルムはマイナス30℃から急激に色調が変化して 使い物にならないものが多いが、彼はコニカクロームのR100を使った。

 ■カラクリ屋儀右衛門(109)  
 田中久重。1799年久留米生まれ。機械式時計「万年自鳴鐘」を作り、日本の精密機 械技術者の元祖であるが、先行するワットが職人技術から工学へ飛躍したような技術の普 遍化をなし得ず「奇器」を作るからくり師にとどまった。晩年、佐賀藩で蒸気船を製作。 東芝の原点、東京芝浦製作所を起こしたのは養子の大吉。

 ■ガラス玉遊戯(62)  
 1943年、ヘルマン・ヘッセの最後の小説。遠い未来社会に、音楽家たちによって演 じられたある遊戯について書いている。ガラス玉でできた算盤で、ガラス玉を上下に動か して、そのテーマに対するありとあらゆる対旋律、変奏曲を編んでいく。この単純な遊戯 が時を経るにしたがって聖職者的知識人の一団が管理するきわめて精巧な楽器へ進化して いく。GAの創始者ホランドが、この小説にある種の啓示を受けた。  

カラスの音域(406)
 事実それは恐るべきもので、軽快なコロラトゥーラから、ノルマや『トロヴァトーレ』 のレオノーラやイゾルデにおける、最も熱っぼく幅の広いドラマティック・ソプラノまでの拡がりをもっている。そしてその中間にあるライト・ソプラノ (『セヴィリヤの理髪師』のロジーナ) も、リリック・ソプラノ (トスカやアイーダなど) も完璧に出すことができるのである。…オリヴィエ・メルランは、マリアが「喉の奥から出る高音と、いくらか不安定な中音と、トレモロをともなった低音と」事実上三つの声をもっていると書く。しかし欠点もまた無視できないものがあった。それには二通りある。一つは練習によってたやすく矯正できる、いわば音の粗さである。これは声量にたいするコントロールが不充分なため生じる欠点で、要するに声量が盛大すぎて、うっかりすると暴走してしまうということである。もう一つは声の性質そのものに内在する、声の幅の広さに起因する欠点であるため、矯正はきわめてむずかしい。…問題は各声域の間、つまり高声と中音、中音と低音といった移り目に断絶があることだ。

カラスの欠点(406)
 彼女の声の欠点については、すでに何度か述べた。声域間の亀裂、高音にまじる耳障りな昔、最低音のうつろな感じのする響き、がそれである。歌声はつねにかわらず澄んでいて美しくあらねばならないと考える人にとって、カラスはたしかに異端に見えるかもしれない。彼女にくらべると、レナ一夕・テパルディやジョーン・サザーランドのような歌手は、つねに安定し均斉がとれている。テパルディ、サザーランド、あるいはカバリェですら、その昔だけを取りだしてみればたしかに美しい。そしてその昔をつなぐレガートは完璧に流れる。その歌を聴けば、たちまち恍惚のきわみに連れ去られ、その悦楽を破るようなアクシデントはなにも起こらない。反対に、カラスの歌を聴くということは冒険にひとしい。彼女がくりひろげてみせる音の断崖絶壁をよじのぼってゆきながら (『ナプッコ』のクレシュンドがその好例である)、その先に何が待ちかまえているか、わからないのである。ただし彼女の芸歴の初期の段階では、顕著なアクシデントは稀にしか起こらなかった。しかしそうしたアクシデントが起こったとき、驚嘆すべきことは、カラスがその豊かな音楽性によってアクシデントを補修し、むしろそれを芸術的効果に変えてしまうことである。そのために高音にときおりまじる耳障りな甲高い晋は、カラスが意識的に作りだすべつの音楽的実質となる。あたかも彼女は新しいドラマティックなアクセントだけでなく、新しい声を創造しているかのように聞こえる。新しい声。新しい歌唱法。それこそがカラスのものなのである。カラスの歌を聴くことは、彼女が完全に消化した役柄の、千変万化する多彩な面を一つ一つたどってゆくことにほかならない。そうした体験は、またそれだけに、万人の好みに合うとはかぎらないのである。

カラスの五大役(406)
 ヴィオレッタはカラスの5大役のうちの3番目のものとなる。第1と2はトスカとノルマであり、ヴィオレッタのあと、やがてルチア、メデアとつづく。この5大役というのは、カラスがとくに熱を入れて歌い演じたということだけでなく、その出演回数にもあらわれている。すなわち、『ノルマ』89回、『椿姫』63回、『ルチア』45回、『トスカ』33回、『メデア』31回。1951年初めのフィレンツェから、1958年のダラスまで、彼女はヴィオレッタの役づくりをよりいっそう深めてゆき、彼女がヴィオレッタに変身する。椿姫はカラスとともに歩み、カラスの人生に同化するのである。

カラスの伝記(406)
 なぜカラスの伝記を書くのか。それは彼女がオペラを蘇らせたからである。永年のあいだ忘却され、あるいは等閑視されていた歌の芸術の伝統を継承したからである。彼女がはじめて、オペラは演劇であることを発見した。カラスの歌声、その音楽性、音色、色調を超えた彼方に、もうひとりのカラスがいる。それはヴィーラント・ワーグーとともに、オペラに従来とは異なる道を切り拓いてみせた、女優マリア・カラスである。マリア・カラスの出現以後、もはやオペラはそれまでのオペラではなくなったのである。

ガラズリム(271)指輪物語
 なぜなら木の枝の間に住むのがロリエンのエルフたちのしきたりでしたから。おそらく今もそうしているのかもしれません。それでかれらのことをガラズリム、木に住む者と呼ぶのです。

ガラビ高架橋(214)p.94
 1875年、リスボン−オポルト間に架けられたドーロ川橋によって認められたエッフェルは、より困難なカンタル山岳地帯のマルヴェジョル−ヌサルグ線の高架橋の建設を行うチャンスを1880年に得た。これが後に300m塔につながるガラビ高架橋である。深さ122mの谷に、高さ90mの橋脚を持つアーチを架けた。

カラマーゾフシチナ(394)
 ドブロリューボフの命名にかかる有名なオブローモフシチナ(オブローモフ気質)の向うを張る意図がドストエフスキーにあったか否かは別として、作中人物の名を作品そのものの中でこのように扱うのは、すくなくと19世紀文学においては稀有のことに属するだろう。これは作者が「カラマーゾフ」という言葉を一種の普通名詞として登録しようとする意図を自分から明らかにした行為とみなしてもよいものだと思う。その意図を受けてだろうか、1934年に刊行されたウシャコフの『ロシア語解釈辞典』には、「カラマーゾフシチナ」という名詞が登録され、次のような語義が出ている。「極度のモラル感の欠如、無抑制の情熱にともなわれ、道徳的堕落と高揚した精神的衝動との間の不断の動揺を特徴とする、風俗的、民族的、ないし心理的現象である」

カラマーゾフ力(393)
 フョードルは、カラマーゾフシナ、ないし「カラマーゾフカ」の原初的な体現者であった。「大地を汚させてもいいのか」というミーチャのセリフとはうらはらに、彼は大地の論理で生きているのだ。まさにパフチンのいうカーニバル感覚の体現者であり、道化=トリックスターであった。修道院での、執念深い道化的なふるまいは、支配者としての顔をもつ道化のふるまいである。道化の死は、つねに不気味なカーニバル的気分を誘いだす。
 フョードルは、サディズムを身上とし、アリョーシャの母やスメルジャーシチャヤなど、無垢な「神がかり」をおとしめることをいとわない。スキャンダルは生命力の源泉でもある。彼からは、聖なるものを受け止めるためのアウラが喪失している。救いようのない二重性ともいえるが、根本にあるのは、激しい生命への執着、つまり「カラマーゾフカ」である。


絡みあった土手(477)
 自然や宇宙に対する擬似神秘的な反応は、科学者や合理主義者のあいだでよく見られるものだ。それは、超自然的な信仰とは何のかかわりもない。少なくともわが牧師は少年のころ、『種の起源』の樟尾を飾る有名な「絡まり合った土手」という文章のことなど知らなかっただろう(私も知らなかった)。「小鳥たちが茂みで囀り、さまざまな昆虫が飛びまわり、湿った土のあいだをミミズが這いまわる」。もし知っていれば、彼はきっとそれに共感したはずで、そうなれば、聖職者になる代わりに、すべては「私たちの身のまわりで作用している法則によってつくりだされた:::」というダーウィンの見方に導かれたかもしれない。

カリウム・アルゴン法(39)
 大気中の放射性炭素(原子量14の炭素同位元素)の割合が一定なら、これを取り込ん だ生物のそれも一定である。死滅すると半減期5730年で崩壊していくので、含有率の 計測で死後経過年数が分かる。この方法では約4万年まではさかのぼれるが、それ以上は 原子量40のカリウム放射性同位元素(半減期13億年)の岩石中の残留率で計測する。 遺跡の地層に火山等の堆積がある場合に利用される。

カリガ(135)  
 ローマ兵の編み上げサンダル形式の軍靴。ドゥルーススの長男であるゲルマニクスの三 男ガイウスは、ゲルマニア戦線の前線兵士のアイドルで、幼児用のカリガを履いていた。 ちびっこカリガすなわちカリグラがガイウスの愛称となった。ティベリウスのあと第3代 ローマ皇帝となるネロと同じ悪名を残す。

ガリカニスム(494)
 1301年、教皇(ボニファキウス8世)は勅書「オウスクルタ・フィリィイ」を発して、パミエ司教の即時の釈放を求め、また全フランス司教のローマ召集を告知した。負けじとフィリップ4世も翌年、パリのノートルダム大聖堂に異例の聖職者会議を開催した。席上、国王尚書ピエール・プロットの演説に「王国とガリカン教会の改革」という言葉が現れるが、これがフランス圏内の教会は国際組織ローマ・カトリック教会に属しながら、なお一定の自立性を保持するという考え方、いわゆるガリカニスムの最初の表明だとされる。

カリスマ
 「神からの賜物」を意味するギリシャ語。制度や組織による権威でなく、個人の持つ超 越的な力による権威。マックス・ウエーバーが社会学的な支配の形態として概念化。

カリスマ(510)
 カリスマというのは神の霊的賜物である。これはヴェーパーの使っているひじように重要な用語で、「支配の社会学」の中でカリスマ的支配という支配の形態を重んずるが、ヴェーパーのカリスマというのはきわめてキリスト教的な概念で、新約聖書のカリスマという概念からきている。であるから「神の霊的賜物」と訳すのが正しいと思うが、そういう意味でモーセに与えられたカリスマが出エジプトにおいて決定的であった。

カリタス(261)
 「愛憐」(カリタス)とは、いうまでもなくチャリティの語源だが、その響きの何と異なることか。路上に斃死した仲間が、あるいは見知らぬ兄弟が野犬の餌食となることだけでも防ぎたいという愛憐。進んでは、行路の難をたすけ、せめて今日一日だけ貧者の命を支えようという愛憐。効果から見ればほとんど取る造りないが、強靭な精神なくしては不可能なことであった。この種の行為には多く修道僧や隠修士が当ったが、俗人にも手を貸す者は少くなかった。

仮土(かりのじょうど)(525)
 自力のはからいをさしはさみ、善悪の分別に拘泥して、善は往生の資助となり悪は往生の障碍となるというように二様に振分け、その悪を止め善を作すための道具として名号を称えるように心得るのは、善も悪もへだてなく救うてくださる誓願の不思議を信じないことになる。請願を信じないものであるから、自分の手元で往生の業因をつくろうと励んで、他力の名号をいつのまにやら自力の修行に取来してしまうのである。かような人は、ただ懇願の不思議を信じていないばかりではなく、せっかく名号を称えながら、実はその名号の不思議をも信じないことにもなるのである。
 それでも、ありがたいことには、たとい自力にもせよ名号を称えるものを仏はおすてにならずに、辺地け慢、疑城胎宮という化土(かりのじょうど)に往生させてくださる。


ガリレイ・ニュートンの相対性原理(416)アインシュタインp.124
 ニュートンの運動法則が成り立つような座標系を慣性系とよぶことにしよう。…一つの慣性系に対して、一定直線上を一定の速度で運動している座標系はやはり一つの慣性系である。…(この二つの座標はvtによって変換できるが)この慣性系の変換は、ガリレイ変換とよばれる。ニュートンの運動法則は、ガリレイ変換に対して不変である。このガリレイ・ニュートンの相対性原理では「すべての運動法則は、互いに等速並進運動をするすべての慣性系に対して、同一の形式で与えられる」。これに対してアインシュタインの相対性原理では「すべての物理法則は、互いに等速並進運動をするすべての慣性系に対して、同一の形式で与えられる」と言っている。…この原理を、力学的な現象ばかりでなく、光学的な現象にまで、そして他のすべての物理現象にまで拡大した点でアインシュタインの相対性原理が画期的なのである。

カルヴァンの神政政治(437)
 政治的現世的権力を宗教者の手元に近くおくことを重要視するジャン・カルヴァンが歴史の表舞台に現れる。…ジュネーヴ市全体が無報酬の説教者からいつのまにか「牧師」となっていたカルヴァンを頂点とする独裁的神政政治への道を必然的に歩むこととなる。…義務教育や市民の日常生活に対する厳重な監視計画が立案され、綿密に実行にうつされはじめる。論理的に明断で透明な知的美しさはあるが、事実は冷酷な無慈悲な、その上個人的憎悪がからんだ一種のスパイ政治、恐怖政治が、ヨーロッパで最も富裕な都市ジュネーヴで発生する。…カルヴアンの神政政治は、カトリック教会にとって、全く新しい反対者、宗教改革のもっともおそろしい第二波が発生したと感じられたことであろう。

カルヴィニズムと資本主義(467)
 ウェーパーは「合法的利潤を職業として組織的・合理的に追求する精神的態度」を「資本主義の精神」と規定する。したがってそれは歴史上常に存在する単なる「営利欲」とは区別されるわけである。ついで彼は、そのような精神的態度がカルヴィニズムの教理と倫理に由来するところが大きかったことを説く。
 カルヴァンの職業観は、職業を通じて隣人愛を実践し、神に仕えるというルターのそれを継承したものであるが、それは、中世におけるように修道院の中でではなく、俗人としての生活の中で厳しい禁欲を守るべきことを説くカルヴァンの倫理と結びつく時、浪費を避けて職業に専心する生活態度を生み出す。しかもカルヴァンは、神がある人々を永遠の生命に、他の人々を、氷遠の死滅に予定したとの、いわゆる予定説をも説いたが、そのような教えは、自己の救いについて確信をもちえない一般の信徒の間に、いよいよ職業に専心して成果(利益)をあげることにより、自己の救いの予定を測り確信しようとする気風を促し、ここに「合理的利潤を職業として組織的・合理的に追求する精神的態度」が形成されることになった、というのである。


カール大帝(265)p.226
 …このように、中世のあいだに、カール大帝はフランス人にとってはフランス人とみなされ、一方ドイツ人にとってはドイツ人であるとみなされるようになった。カールが生きていた時代には、そもそもドイツという国もフランスという国も存在せず、またドイツ人という概念もフランス人という概念もなかったという歴史的事実は、完全に無視された。…ナポレオンはフランスにおいてカール大帝の再来とされる。ドイツにおいてはヒトラーであった。

カール5世(494)
 1519年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が崩御した。…さておき、その領地領国については子孫が相続したが、皇帝の位だけは世襲ではない。1356年の金印勅書で定められた通り、ドイツで選帝侯と呼ばれる七人の領邦君主が選挙を行い、その結果で決められる。マクシミリアン一世の死後には、二人の候補者が名乗りを上げた。ひとりがスペイン王カルロス一世で、きちんとハプスブルク家の血筋で、前皇帝の直系の孫である。もうひとりがフランソワ一世で、フランス王として初めて、というより空前絶後の振る舞いとして、皇帝選挙に出馬した。
1519年6月、19歳の若者(カルロス1世)は「カール五世」の名前で神聖ローマ皇帝に即位した。フランスを取り囲むようにして、スペイン、ドイツ、イタリアの各地に君臨する、超国家的政治体の主の誕生だった。

カルチャー(385)
 「耕作」や「栽培」を意味したcultureが、人間の精神や能力の「修練」から、「洗練」や「教養」へと派生し、やがて「文化」という語義を獲得するのは、Oxford English Dictionaryによればやっと19世紀になってからのことである。Artは、限定辞を付けずに用いた場合、絵画、彫刻、版画などを含む「美術」を指すのが現在もっとも一般的だが、この語義は1880年以前の英語の辞書には見当たらないという。

 ■カール・ツァイス(85)
 1816年ワイマール宮廷の旋盤工長の子として貧困の中で生まれる。アッベの協力を 得て、高精度の光学顕微鏡の量産技術を確立し、ツァイスの基礎を作るが、カメラの設計 や製造は行っていない。カメラは、第一次大戦後の大不況の中で中小カメラ・メーカが合 併してできたツァイス・イコン社からスプリングメカメラ、イコンタとして発売されたの が最初。  

カルトゥーシュ(66)
 ヒエログリフで王名を明らかにするために区分された長円の囲い。この長円の中の文字 を分析することにより、長く表意文字としてしか理解されていなかった聖刻文字が表音文 字として使われることがシャンポリオンによって証明された。  

カルパ(177)
 永劫の「劫」。仏教では75分の1秒が「刹那」であるが、ヒンドゥー教のブラフマー神 の一昼夜とされる2400万年がカルパである。

カルバヴリクシャの渦(301)
 それはカルバヴリクシャの渦と呼ばれるもの。恐るべき複合性をもった渦のかたちです。西アジアか、古代インドを起源とし、このような「渦の極致」へと成長しました。カルバヴリクシャとは「願いごとをかなえる巨大な樹」を意味しています。つまりこの渦は、あらゆるものを産みだす樹木のざわめきであった。そのざわめきとは、「樹木が吐く息」の風。樹木が生みだす「新鮮な酸素の風」の流れです。…渦が生きものを生む。豊穣の渦、生命を生みだす渦がある。その根源に、植物の呼吸、酸素の吐息があるということ。
 日本に渡来した唐獅子にも、そのたてがみや尾に、逆巻く渦が力強く印されています。これが獅子舞の唐草となり、さらに唐草模様の風呂敷となって現在にいたる。


カルフォルニア・マンデイツ(245)
 1990年カルフォルニア州が独自に定めたZEV(排気ガスゼロの自動車)の導入義務付けの州法。カルフォルニア州で販売する自動車に占めるZEVの比率を1998年から2%、2001年から5%、2003年から10%とすることを義務つけた。かってのマスキー法は、法で目標を示すことで技術開発を促進するという成功体験であったが、二度目はうまくいかず、当面の目標は撤回した。mandateとは公式の指令という意味。

ガルポリの悲劇(59)  
 ドイツ側についたオスマントルコ帝国を叩こうとチャーチルの主導でダーダネルス海峡 からコンスタンチノープルに攻め込もうという作戦、この海軍作戦に頓挫した。これをトルコ側で指揮したのがケマル・パシャ。そこで海峡からの突入を断念して陸路を、トロイ の対岸であるガルポリ半島からANZACと呼ばれるオーストラリア/ニュージーランド 軍を進ませようとして、結果としてこのANZAC軍をガダルカナル的飢餓に陥らせた悲劇。

カルリスタ戦争(476)
 中世から近代のバスクの歴史をふり返ると、このスペインとフランスにまたがる小さな七つの地方が、それぞれの歴史を持ちながら共通しているのは、国王、あるいは領主といった上からの支配に対して、自らの『法(フェロ)』の尊重を求め、それと引きかえに支配を認めることを伝統としてきたということである。1479年にカスティーリャとアラゴン両王家が合体し、スペインが成立して以来、スペインがつぎつぎと、段階的にカスティーリャに権力を集中していった中で、バスク、ナバラが19世紀までその独自性を守っていくことができたのは、この 「法」の尊重を権力者に認めさせたからに他ならない。しかし、19世紀になると、二度のカルリスタ戦争でカルリスタの側についたことを理由として、…バスク、ナパラの自治を保証した「法」が廃止されてしまった。それ以来、この『古い法』の回復が、バスク・ナバラの人々の悲願となった。
 1833年にフェルナンド七世が死亡し、イサベル二世が三歳で王位を継いだ時、それに反対し先王の弟カルロスを担いで反乱がおこった。これがカルリスタ戦争である。イサベル二世側は自由主義者の勢力を味方につけたため、ナバラ、バスクはより保守的なカルロスを応援し、その力で古くからの特権的な「法」の保証を得ようとした。


ガレアッツァ(312)
 レパントの海戦はガレー船によって行われた最後の接近戦であった。ヴェネツィアが発明した帆船とガレー船の合いの子のようなガレアッツァ(全長45m、吃水高10m)は、帆走だけでなく漕ぎ手による自律走行もでき、全方向に発射可能な大砲を備えていた。レパントの海戦では緒戦にトルコのガレー軍船を砲撃で破壊するという効果があったが、ガレー船同士が接近してしまうと攻撃力を発揮できなかった。

カロリング・ルネッサンス(265)
 どうしてもカロリング期に、ルネッサンスという呼称を与えようとするならば、それはいわば寛大な気持ちのしからしむるところである。…けれども、カール大帝の時代にフランク王国の文化が活況を呈するようになったことは明白である。カールと宮廷聖職者たちが学問を奨励しようとしたのは、根本的には聖職者たちに聖書とキリスト教の理解を深めさせ、教会をさらに発展させることにより、フランク王国の基礎を築くことにあった。

カロン・セギュール(97)
 ハートマークのお洒落なワイン。メドック北部サンテフテフ。当時、ラフィットやラト ゥールの所有者でもあったニコラ・セギュールは「ラフィット、そしてラトゥールにても 我ワインを作りしが、我が心、このカロンにあり。」

簡易真切(453)
「良知を致す工夫(修行〉は簡易真切でなければならぬ。真切(誠実・真実)であればあるほど簡易であり、簡易であればあるほど真切である」…王陽明のいう良知は、身心内外、すなわち内界と外界を貫き、動静を貫く根本実在であると見なされたが、良知そのものは、実は自ら工夫しながらつねに向上していく本体と考えられた。ただ良知が向上していくということは、良知がその本来性に復帰するに外ならないのである。だから良知を致すということは、向上の工夫であると同時に復帰の工夫でもあるといってもよいであろう。このような致良知の工夫は、内容は異るが、禅の心法での往還の相に似たところがある。

考え方の誤り(349)
 「事実に関する虚偽」は科学の進歩にとってきわめて有害である。なぜならその影響が長く続くことが多いからである。しかし「考え方の誤り」は、それがなんらかの証拠にもとずいているならば、さしたる害にならない。なぜならその誤りを証明することに誰もが健全な喜びを感じるからである。

環境(74)
 レイチェル・カーソンは「地球が誕生してから過ぎ去った時の流れを見渡しても生物が 環境を変えるという逆の力はごく小さなものにすぎない。たいてい環境のほうが植物、動 物の習性をつくりあげてきた。」と書く。しかし地球環境にとってもっとも重要な酸素は 生物が作ったという意味で、現在の人間がとことん経済活動をおこなった結果、いかに地 球環境を変えていくのかというのも驚くべきことではないか。

還元主義手法(62)
 この世界を可能な限り小さく単純な断片に刻んでいくことで、理想化した設定での解を 求める。これが科学の断片化、視野狭窄を招いた。

還元不能な複雑さ(477)
 もっとも手強い難点は、ダーウィンの言う「極度の完成と複雑さに達した器官」、すなわちときに「還元不能な複雑さ」と誤って表現されるものである。ダーウィンはとりわけ厄介な問題をつきつけるものとして眼を取り上げた。「さまざまな距離に焦点を合わせ、さまざまに異なる量の光が入るようにし、球面収差や色収差を補正するための、ありとあらゆる比類のない仕掛けをもつ眼が、自然淘汰によって形成されることができたと想定するのは、このうえなく馬鹿げたことのように思えることを、私は率直に認めよう」。創造論者たちは、この文章を何度も繰り返して、得意気に引用する。言うまでもないことだが、彼らはそのあとにつづく言葉をけっして引用しない。

観光(325)
 観光(ツーリズム)とは、良く知っているものの発見だということである。これに対し、旅行(トラベル)とはよく知られていないものの発見であり、探検とは知られていないものの発見である。ということは、良く知られた事項は、何であれ−人でも物でも、難破船でも滝でも、山でも都市でも−観光魅力になり得るということである。そして知名度とは、ある程度まで広告によって作り出されるものである。

神沢杜口(412)
かんざわとこう(1710〜1795)京都町奉行所の与力を退職し、ライフワークに没頭する独り暮らしの晩学者。…江戸時代の中ごろ、京都に神沢杜口という文学者がいた。彼は膨大な量の随筆集『翁草』(二〇〇巻)や『塵泥(ちりひじ)』(五〇巻)葺き遺した人として記憶されている。代表作の翁草』は、戦国時代以来の記録を自分流の視点で蒐集し、それに自らの足にまかせて書いた世事見聞録をくわえた超大作の読みものである。四〇〇字詰め原稿用紙に換算すれば優に一万枚を超えているだろう。ところが、…鴎外の『高瀬舟』『興津弥五右衛門の遺書』、菊地寛の『入れ札』などの原話として、もしくはモチーフとなった原典として、かすかに好事家のあいだで記憶されているにすぎない。歴史辞典をひもといても名前すら出てこない有様だから、もとより伝記などはない。

完熟フリーラン(358)
 日本にも、国内の葡萄を100%使用して申し分のないワインをつくっている尊敬すべき生産者がいる。「おたる・ミューラー・ドゥルガウ完熟フリーラン」(北海道ワイン株式会社1997年産価格1750円)である。湿度が低く寒冷な北海道はドイツ系葡萄品種の栽培に適しており、この地の126haに及ぶ広大な自社畑から、世界に通用するワインがつくられている。フリーランとは葡萄を圧搾せずね破砕しただけで流れ出る果汁のみで醸造したワインのことでねよりクリーンなワインとなる。

勧請(177)  
 日本の神、白山神や八幡神は、仏教の護摩修法のときに、なぜか勧請される。日本の 神は勧請というサインがあれば、望まれる地へ、どこへでも時空を超えて飛んでいくこと ができる。  

感性と悟性の合一(488)
 カントの主張が従来の観念論と異なるのは、主観が世界を成立させるゆえに、現象の認識は客観的である、という点にある。これがパークリー的観念論に陥らないためには、さらにどんな発想がカントには必要だったのだろうか。
…あらかじめ、『純粋理性批判』の決定的に重要な個所を示しておこう。「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である。悟性はなにものをも直観しえないし、また感性はなにものをも思惟できない。感性と悟性とが合一してのみ、認識は初めて成立するのである。」
 「われわれの全ての認識が経験と共に始まることには疑いはない。しかしだからといって、われわれの認識がすべて経験から生じるわけではない。」
「ライプニッツは現象を知性化したが、ロックは悟性(知性〉概念をすべて感覚化した。」
「(カントの立場からすると)悟性(知性)と感性とは、それぞれ表象を生じさせる二つのまったく異なる源泉であり、しかも、この両者が合一してのみ、物に関して客観的に妥当する判断をなし得るのである。ところがこの二人の偉大な哲学者は、いずれもこのことに思いをいたさず、これらの表象と源泉のうちいずれか一方のみに固執し、他方の源泉は、それぞれ、前者を混雑させるか整頓するにすぎないと考えた。知性を重要だと考えたライプニッツも、感性が重要だと考えたロックも、それらは直接、物自体を把握できると考えていた。」

完全音階(292)
 人間の生得的な制約とは、ピタゴラスの時代から知られていた。周波数比率が2対1のオクターブと3対2の完全5度、4対3の完全4度の関係をいう。これは、楽器ごとに測定値が不安定な一部の民族楽器をのぞき、世界中の音楽に共通する音程関係である。度とは音程をあらわす単位で、一つの音から次の音に含まれる幹音(白鍵)の数で示す。なかでも、耳に心地よく完全に協和する音程を完全音程という。
…こうして分割されたオクターブ、完全5度、完全4度の、さらにその間をどう細かく区切るかによって、世界中にさまざまの音階が生まれたのである。たとえば西洋音楽の12音階、日本の伝統の5音階、琉球音階、ジャワのスレンドロ音階、等だ。


完全言語(98)
 ラッセルの「記述の論理」は、たとえば「現在のフランス国王は賢明である。」という 文を以下のように完全に論理的に記述する形式を示した。
(山x)((Kx&(y)(Ky→y=x))&Wx


完全数(357)
 ある数の約数の和がその数自身よりも大きければ、その数は過剰数″と呼ばれる。12は過剰数である。なぜなら、その約数の和をとると16になるからだ。ある数の約数の和がその数自身よりも小さければ、その数は不足数″と呼ばれる。10は不足数である。なぜなら10の約数(1、2、5) の和は8にしかならないからだ。もっとも重要で、しかもめったに存在しないのが、約数の和がその数自身と同じになる完全数≠ナある。6は約数として1と2と3をもち、1+2+3=6になるから完全数である。6の次に現れる完全数は28である。その約数を加えれば、たしかに1+2+4+7+14=28になる。6と28の完全性はピエタゴラス教団にとっては数学的な意味で重要だったが、教団以外にも、月が二十八日で地球を周回することに気づいた文化や、神が六日で天地を創造したと主張する文化ではその重要性が認められていた。

乾燥叙唱(333)
 レチタティーヴォ、セッコ。レチタティーヴォは旋律を美しく歌っていくアリアに対して歌うより語る方に力点が置かれている。状況説明やストーリ展開に用いられる。レチタティーヴォ、セッコは和声をチェンバロやピアノで支えるだけのもので、スピーディーな会話のやりとりのような形はオペラブッファにおいてもっとも重要な働きをした。

簡単なクイズ(368)
 ラッセルのパラドックスを理解するためのクイズ。
<問題1>A「この犬は、吠える」 B「犬は、吠える」 この二つの文のうちどちらが真か。
<問題2>A「この犬は、存在する」 B「犬は、存在する」 この二つの文のうちどちらが真か。
<問題1の答え>Aが真、Bが偽。
<問題2の答え>Aが偽、Bが真。


カントのコペルニクス的転回(239)
 認識論の大転換となったカントの「純粋理性批判」の序文。
「…これまで人は、すべて私たちの認識は対象に従わなければならないと想定した。しかし、こうして私たちの認識を拡張しようとする試みは、この前提ではすべて潰え去ったのである。そこで、対象が私たちの認識に従わなければならないと私たちが想定することで、もっとうまくいかないかどうかを、一度試みてはどうだろうか。」


カントの断念(487)
 カントはコペルニクス的転換や道徳律の確立において人間理性の自律を確信すると同時に、その自律の裏面、人間理性が形而上学を求めるかぎり、必ず陥る二律背反に人間理性の「特殊な運命」をみていたのである。すなわち自律への確信と理性への不安は表裏一体をなす。そしてカントは学としての形而上学を断念し、形而上学を実践哲学の領域に改めて見出そうとする…。
 カントの形而上学の断念ということは、ぞれが仮象の論理としての弁証に基づくという、カントの弁証法に対する消極的姿勢を論拠としている。弁証法とは理性推論による有限から無限への上昇的論理を意味するが、有限と無限(人間的理性と神的理性といってもよい〉は非連続的な断絶をなし上昇的な連続的関係に立ちえないというのがカントの弁証法拒否の理由である。それにもかかわらず、人間理性は本来的に神的理性に達することを求め、そのため弁証法は人間理性にとって不可避的な論理となる。カントの解決法は、さきにみたとおり、弁証法的推論を捨てて道徳的実践に向うことであった。


カントのカテゴリー表(488)
 経験をそもそも可能にする主観的条件としての〈純粋悟性概念(カテゴリー)〉のことが、まず理解されなければならないだろう。カントによると、このカテゴリー表は、悟性のすべての働きを網羅した12個の判断形式から導出されたものであり、単なる思いつきゃ寄せ集めからできあがっているアリストテレスのカテゴリー表のような帰納的なものではない。
 【カテゴリー表一覧】
   1.分量−−単一性/数多性/総体性
   2.性質−−実在性/否定性/制限性
   3.関係−−付属性と自存性/原因性と依存性/相互性
   4.様態−−可能と不可能/現実的存在と非存在/必然性と偶然性
【およそ結合であればすべて悟性の作用】ところで、多様なもの一般の結合は、感官によって我々のうちにやってくることはないし、感性的直観の純粋形式のうちに含まれていることもない。なぜならば、〈結合〉というのは、表象能力の〈自発性〉の作用だからである。すべての結合は我々がそれに気づこうと気づくまいと、悟性の機能なのであって、我々はこの働きに綜合という一般的な名称を与えるであろう。
…カテゴリーを有している私たち人間にとって特有の認識形態なのである。つまり、世界それ自体の側で、そうなっているかどうかはまったく分からない。あるいは、他の知的存在者が、〈因果関係〉という手法で世界を認識するのかも、まったく分からない。しかし、この〈結合〉は決して世界の側に存していたのではなく、悟性という主観の自発性が、読みいれ構成したものなのである。

カントとドストエフスキイ(487)
 埴谷雄高のつぎのようなことばも、あながち主観的容意的なものとはとてもおもえなくなるのである。
「形而上学を否定する哲学と一つの形而上学たらんとする文学、私にとってはカントとドストエフスキイは同じものに思われた。形而上学はその探究の本来の目的に対して、神、自由および永生という三種の理念のみを有する、といってその位置を追求しはじめるカントと、自身の裡に一つの形而上学をうちたてた人物を必ず破滅せしめてしまうドストエフスキイ、そこに見られる操作は、もし誰かが新たな作業を巧みに行えばさらにまた新たな逃げ道を見出し得るかもしれないと思わせた。」


カンネーの戦い(10)(24)  
 第二次ポエニ戦争でハンニバルが7万のローマ軍を壊滅させた戦史上でも特筆される大 勝利。(10) 6千の騎兵の内370騎、8万の歩兵のうち3000しか生き残らなか った。(24) BC216年。結局はローマのスキピオに破れる。これによってスキピ オ・アフリカヌスと呼ばれる。  

観念論(488)
 「そもそも真理のなかには、心にきわめて身近であり、また、あまりにも明白なので、この真理を悟るためには、ただ眼を開きさえすればよい、というものがいくつかある。そして私は、次の重要な真理はこの種類のものであると考える。それは、ほかでもない。天の群れと地の備えの一切、つまり世界という巨大な作りを構成するすべての物体は、心の外には存在しない。すなわち、物体が在るということは知覚されること、知られることである。従って、物体が私によって現実に知覚されないとき、換言すれば私の心に存在しないとき、それらの物体はまったく存在しない。」これが観念論の代表者パークリーの意見である。…このパークリーの著作(『人知原理論』(1710--34))は、近代の観念論の立場を大胆に主張した古典的名著である。

旱魃税(97)
 原産地名呼称規制法(AOC)で指定されたフランスのワイン産地は、その品質の維持 のために厳密な規制を受ける。灌漑の禁止もその一つであるが、1976年の夏、一滴の 雨が降らない大旱魃の時でも、それが適用され、産地保護のために旱魃税を取った。その 1976年は、結果としてビンテージイヤーとなった。

官費革命(543)
 留日学生の急増。中国人留学生の来日は、日清戦争以後のことであり、とくに日露戦争にともなう日本の国際的地位の上昇と中国における科挙制度の廃止(1904)の影響をうけて、その数は急激に増大した。呉玉章はこのことについて「とくに1904年以後、科挙が廃止され全国各地に学校が開設されるようになると、急いで教師が必要だということで、各省各県はみな人を日本に送って速成師範に入学させた。このため留日学生はいっそう増加した。1905年には中国の留日学生の総数は一万人以上に達していた」と述べている。彼らは海外にあって祖国の危機に敏感に反応し、結果としてそれが反満意識と表裏の関係にあったこと、すでに拒俄義勇隊事件においてみたごとくである。「官費革命」なる語が生まれるのも、このような状況においてであった。

韓非子(489)
 彼の法治学説は、政敵である李斯にも評価され、秦代の王朝体制のバックボーンとなった。秦始皇を承継した二世皇帝を盛りたて、李斯を倒して中丞相となった超高はかねて『韓非子』を教科書として二世皇帝を教育した。即位の後『韓非子』を金科玉条として、法律による専制政治を強行したため、人民の大叛乱をまねき、わずか二代で秦帝国は崩壊してしまった。韓非は反秦運動に破れて死刑に処せられたが、かれの著書である『韓非子』が秦二世皇帝と越高に影響し、広大な秦帝国を極端な専制主義によって統治しようとした結果、中国人民の信頼を失わせ、秦王朝の滅亡を招いた。愛国者である韓非は生前に秦国の支配に抵抗しようとして失敗し、韓国を救うことはできなかったけれども、死後には著書『韓非子』によって秦国の没落に導いたことになったのはまことに皮肉な歴史的運命であった。

ガン=ブリ=ガン(274)指輪物語
 老人はその平たい顔にも黒っぽい目にも何の表情も見せませんでしたが、その声は不満げにむっつりしていました。「原地人野生のまま、自由。しかし子どもでない。」と、かれは答えました。「わしは大酋長、ガン=ブリ=ガン。わしはいろいろのもの数える。空にある星、木にある葉、暗闇にいる人間。あんたたち二十を二十倍してそれの十五倍よ。」

神部駅(256)
 砂礫敷きの細長いプラットホームがなんの飾りもなくのびる駅に降り立ったとき、鮮明な雲の輝きが、少年(千葉潔)の胸を撃った。胸に、白い布でつつんだ遺骨壺をつりさげていたからだろうか、その見知らぬ駅とその町とが、あたかも故郷であるかのように少年には思われた。
…「「投げられてい虚空を飛ぶ石に意識があれば、自分で飛んでいると思うとしても、隕ちる場所などは選べません」…父母未生以前汝が本来の面目如何。…今、私にはあの公案は解けた。未だ生れざる父母は私が腹中にあり。母を食って生きのびた私は、やがて我が子に食われるだろう。これこそが私の本来の面白。そして悟りとは血を流しながら血の中に生きること。


カンポフォルミオ条約(186)
 1797年ナポレオンはこの条約によってヴェネツィアをオーストリアに割譲した。

カンマラーノ(344)
 サルヴァトーレ・カンマラーノは、ナポリの有名な作家、画家、俳優たちを輩出した家族の出身である。働くことに余りはっきりした積極的姿勢を示さなかったけれど、彼も並々ならぬ非凡な男であった。無数のオペラ台本を制作し、批評家や作曲家から高い評価を受けたし、ヴェルディに対しても、<アルツィラ><ルイーザ・ミラー><レニャーノの戦い>そして<イル・トロヴァトーレ>(完成前に死去)の台本を書いた。ヴェルディ以外にも書いており、その中にはドニゼッティ<ランメルモールのルチア>がある。

緩慢の発見(558)
(フランクリンの恩師であるオーム博士が残した)包みの中身は二本の原稿だった。一本目の題名はこうだ。『速度による個人の成立、もしくは神が個々の人間に植えつけた独自の速度に関する観察。卓越した実例において』 二本目はこうだ。『緩慢な目に特定の動きをまことしやかに見せるのに適した有効な方法について。信仰心を高め、教訓を与え、主の言葉を告げることに応用可能」
…「歴史を扱う場合、緩慢さは長所だよ。歴史研究者は、恐るべき速さで通り過ぎた昔の出来事を、自分が理解できるところまでゆっくりと引きのばすものなんだ。そうして研究者は、歴史上最速の国王にさえ、戦闘において本当はどう行動すればよかったのか、あとから証明してみせることができるというわけだ」
…「歴史というのは、偉大さや持続性と関わり合うことだ。歴史は我々を、時間から超越した存在にしてくれる」
「でも僕は船乗りなんです」とジョンは答えた。「でも、君の船はいったいどこにあるんだい?」 ジョンは考え込んだ。緩慢さが美徳となる領域など、滅多にあるものではない。時間を超越する−−これも魅力的だ。
 海軍での経験からジョンは、自分自身が重要でなくなれば人はどうなってしまうのかを、嫌と言うほど知っていた。そうなるともはや、迅速さに逃げる以外なくなるのだ。人と同じことを人より速くこなすことでしか、自分の優越性を示せなくなるのだ。そして人より速くなる可能性は、ジョンにはなかった。
 オーム博士は、いくつもの難しい言い回しを使っていた。たとえば、「人間どうしの相違は、一定量の知覚可能な個々の現象において測定された視覚の完全性の度合いによるものである」といった具合だ。オーム博士は、人間どうしがそれぞれ異なる理由を、目や耳の機械的な特徴といったものではなく、脳の状態に見ていた。「生徒Fは遅い人間である。それは、一度目に映ったものを、非常に長いあいだ見つめねばならないからだ。目に映る像は、徹底的な究明のために動きを止め、それに続く各像は、Fの目には映ることなく通り過ぎていく。生徒Fは、具象性のために全体性を犠牲にする。頭脳のすべては具象のために使われ、次の具象のための場所が空くまでには、しばらく時間がかかる。それゆえ遅い者は、事物の迅速な展開を追うことはできない−−」
 だけど自分にはなにも見ないという意志も、固定した視線もある、とジョンは思った。どうしてオーム博士はそれに言及しなかったんだろう? −−だが、あらゆる独自の事象と、緩慢な展開とを、よりよく把握することができる」





【語彙の森】