語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-8-31               計107語
新着語
教会旋法、ギタンジョリ、帰納科学の歴史、基督は転ぶ、棄教者フェレイラ神父、救出の希望、京都南蛮寺、貴族、キリスト教の相続人、義務的無為、禁ぜられた地上の愛、祇園精舎、金本位制の自動調節作用、均衡理論、

ギアナ高地(7)
 20億年前の地核の痕跡を残すテーブルマウンテン群。日本でいえば霧達布の先に浮か ぶユルリ、モユルリの2島を思い出す。  
  アウヤンテプイ……悪魔の山。世界最大の落差を持つエンゼルフォール
  ロマイラ……………雲に浮かぶ箱船。戦艦大和の船首。
   トラーメンテプイ…[未知との遭遇]のデビル・タワーも真っ青。  
  ネブリーナ…………霧の魔境。

紀伊(201)
 大和型戦艦は昭和12年4隻が同時着工された。大和は呉海軍工廠。武蔵は三菱長崎造 船所で完成したが、横須賀工廠で建造していた三番艦の信濃はミッドウエイの敗北から途 中で空母に設計変更され19年に完成する。また大和とともに呉で建造されていた四番艦 「紀伊」は途中で建造放棄された。  

祇園精舎(511)
 コーサラ国はマガダ国とならんで、全インドの最強国の一つであった。首都サーヴァッティーは北方インドの交通の集合点であり、商業の一大中心地であった。首都サーヴァッティーにスダッタ(須達多、善く施した人の意)という資産者がいた。かれはその名前の示すごとく慈善心に富んでおり、世間で給孤独長者(孤独な人々に食物を給する人の意)ともよばれていた。たまたまラージャガハへ商用で出掛けたとき、ゴータマ・ブッダの一行に会い、仏教信者となり、いつかコーサラ国へお越しくださるよう懇願した。都に戻った給孤独長者は、ブッダの一行をもてなすための精舎の建立を始めた。ジェータ太子が自分の所有する「ジェー夕王子の園」をサンガに寄進し、長者がその敷地内に諸施設を急造して、これまた寄進したから、両者の名をとって「祇樹給孤独園」とよぶ。「祇園」とは「ジェー夕王子の園」の漢訳「祇陀園」の略である。

機械(83)グルジェフ
 人間はほとんど完全に機械的なものである。グルジェフが秘教的宗教の研究から得た結 論。人間は笑い、叫び、怒り、悲しみを感じるがゆえに生きている。この反応は一定の刺 激に対するコンピュータ的な反応、単なる反射以外のものではない。 地上に生命はあるか。答えは[ほとんどない]である。

 ■機械インピーダンス(100)
 機械振動系に作用する交番力とその点の振動速度の力の方向の成分比である複素数。実 部が機械抵抗、虚部が機械リアクタンスである。

機械論と目的論(487)カント
 有名な万有引力の法則によって、宇宙の諸天体の組織を説き明かそうとしたニュートンも、すべてを機械的原因によって説きつくすまでにはいたらず、いくつかの点において機械論的説明の限界をみとめ、機械論的説明の系列の極端に目的論的説明を付加した。すなわち、引力の原因を神の意志にまで還元し、あるいは、惑星の回転運動中に起ると考えられるエネルギーの減少を補うことや、各惑星の密度の決定といったことを、「神の手」 による直接の干渉に帰したのである。
 機械論的説明の系列を中途で断ち切って「神の手」に直接接続するというこのゆき方は、しかし、ニュートンほどにも洗練されていない「篤信者」たちの素朴な目的論的説明を含めて、一般に、かえって神を否定し一切を機械論的説明ですまそうとする「自然主義者」いいかえればエピクロス、ルクレティウスの徒の好餌になりおわる、とカン卜はいう。このゆき方は、「自然」を「奇跡」に変じてしまうものであり、そもそも、「奇跡なしには保持されえぬ世界は神の選択のしるしである安定性という特徴をもっていない」のであり、神の作品たるにはかえってふさわしくない。


軌間戦争(108)
 スティーブンスの最初からの鉄道ゲージは1435mmである。現在の標準軌である。 これに超高速の可能性から2140mmの超広軌で挑んだのが、技術至上主義のブルーネ ル。
 現在のゲージ  日本   1067mm/1435mm  
               中国   1435mm
              ロシヤ  1524mm
            スペイン 1668mm
            インド    1676mm/1000mm/762mm/610mm
スペインとロシヤがヨーロッパの標準軌道を採用しなかったのは、侵略を受けにくくす るという軍事的理由であった。


利き手(196)
 人の優位脳と利き手に関する最近の説は、二遺伝子、四対立遺伝子のモデルが示唆され ており、一つの遺伝子が発生途上の脳のどちらの半球が言語優位になるかを決定し、もう 一つの遺伝子が利き手は言語半球と同側になるか、反対側になるかを決定する劣性と優性 を数えあげると、人の利き手と半球優位に関して遺伝子型に九種類の異なる組み合わせが 生じる。その結果、左利きのなかにも訓練による矯正に対して抵抗の強いものと弱いもの がでてくる。…九つの遺伝因子型の組み合わせがあるということは、左右脳の心的因子の 釣り合いと負荷に違いがあることを表わすもので、そのこと自体のなかに人間の知能構造 に個性の生得性のスペクトルを持っているということになる。左利きの心的構成はIQや 他の検査プロフィルによると右利きとは統計的に異なる一群であることが示されている。 同様に男性と女性との違いが現れる。また母体内で男性化した、あるいは一個のX染色体 を欠いた女性と、正常な女性との違いも現れる。

利き手の発達(295)
 利き手の発達に関する最も精力的な研究は、ゲセルとエイムス(1947)によるものである。それによると出生後数カ月から数年の間は、利き手はかなり動揺し、右利きになったり左利きになったりする。かなりの個体差があるが、一般的な傾向としては、生長後右利きになった者は、生後16週から20週程度で手の好みが最初に観察され、しかもそれが左手になっている。その後両手が同じように使われる時期が続き、右手が主に使われるようになるのは28週ぐらいである。その後さらに左手を使う時期が36週程度まで続き、40から44週あたりでまた右利きになる。こうしたサイクルが何回も繰り返され、その間右手への好みが次第に強くなっていくが、はっきり右手利きに固定するのは8歳ぐらいで、それ以降は変化なくそのまま右利きが続く。

企業(77)  
 近代世界システムの歴史の中で、国家に次いで重要な主体のタイプは企業である。  
   [大商人] 15〜16世紀  フッガー家(アウグスブルグ)  
          17世紀      トリップ家(オランダ)  
          19世紀      ロスチャイルド家(フランクフルト)
   [特許会社]  東インド会社  
             連合東インド会社
      (オランダ…軍、要塞の保持、植民地開拓、条約締結、
                硬貨鋳造の権利まで持っていた。)
   [産業企業] 産業革命で生まれた産業企業家を起源とする多国籍企業。


棄教者フェレイラ神父(549)
 年とった僧侶の姿のうしろに、黒っぽい着物を着せられたフェレイラが俯きながら歩いてくる。小柄な老僧が思い切り胸をそらせているだけに、俯いた丈高いフェレイラの恰好は余計に卑屈に見えた。まるで首に縄をつけられて無理矢理に引きずられている大きな家畜のようだった。
…。懐かしさ、怒り、哀しみ、恨み、それら様々な感情がからみあい胸の裏側にぶつぶつ音をたてていた。(なぜ、そんな顔をする)彼は心の中で叫んだ。(私はあなたを責めるために来たのじゃない。あなたを裁くためにここに居るのではない。私は優者じゃない)
…「そうだとも。私は役に立っている。この国の人々に役に立っている。すべての知識に日本人は富んでいるが、天文学や医学では私のような西洋人はまだ助けることができるからな。この国で私は決して無益ではない。このように有用だ。そうだとも」
井上筑後守の命令で毎日机に向わせられているフェレイラ。かつて自分が生涯かけて信じてきた基督教を不正だと書いているフェレイラ。筆をとっているフェレイラの曲った背中が司祭には眼に見えるようだ。
「むごい」


ギザのピラミッド(28)
 紀元前3000年頃、上下エジプトを統一した初代のファラオ、ナルメルの後、約40 0年後の古王国第4王朝、クフ、カフラー、メンカウラーと続くファラオが作ったピラミ ッド。  
 クフ王……………146m  
 カフラー王………143.5m  
 メンカウラー王…65.5m  

偽書の精神(378)
 私(佐藤弘夫)は本書の第一章で、現在もなおいわゆる鎌倉新仏教と本覚思想は、その思想の本質においても歴史的な意義においてもまったく別のものだ、という強いイメージがあることを述べた。主観を重んじ平然と文献を捏造する本覚思想の論者と、あくまでテキストに則り論理的な思考を重んじる鎌倉仏教の祖師の間には、超えがたい溝があるとされているのである。それに対し、私はその両者の間には一つのある共通する発想法を見て取ることができることを指摘した。…中世社会に遍満する<偽書の精神>が、鎌倉仏教にどのように貫かれているかを具体的に解明してみたい。

犠牲の博物誌(97)
 ギリシャ時代に正しく理解されていた化石の生成理由を、中世キリスト神学は別の理論 によって説明しなければならなかった。ダ・ヴィンチやパリシーの科学的理解にも関わら ず、ノアの大洪水によって化石が出来たという大洪水説のみが、最も合理的説明として支持された。特に18世紀のスイスのヤコブ・ショイヒツァーは大洪水の犠牲になったのが 化石であるとして、この書を表した。

貴賎結婚(480)
 フェルディナントとゾフィーとの結婚は、身分違いの「貴賎結婚」と呼ばれるもので、皇帝フランツ・ヨーゼフは最後まで反対し、それを許可した後も一度も皇太子妃を接見することはなく、彼女は公の席では常に夫と離れた末席に甘んじ、純粋に一代限りの結婚で、生まれた子供たちも皇帝一家の一員としては遇されず、相続初めいかなる特権も享受しないというものであった。
 この夫婦が14年後に、−−しかも結婚式と同じ日に−−サラエヴォで銃殺され、それが第一次世界大戦の引き金となりハプスプルク帝国が滅びたことは、歴史物語としてもできすぎているほど「筋の通った」ものである。
 そのとき、フランツ・ヨーゼフは83歳であり、すでにウィーンを去りミュンヘンに移住していた。ヒトラーは15歳であったが、このニュースを聞いたときの二人の反応は奇妙に似ている。フランツ・ヨーゼフは、失望落胆するどころか「私が維持できなかった秩序が神の手によって再び回復された」と語ったという。そして、ヒトラーは『わが闘争』の中で次のように喜びを表明している。『オーストリア大公の家』は可能な限りチェコ化していた。そして、オーストリアドイツ主義の最大の敵であるフェルディナント大公を弾丸で倒した者たちは、−−その弾丸の鋳造を大公自ら手伝ったのだが−−永遠の正義と仮借のない報復をもたらす神の鉄拳であった。


技術革新(285)
 ピッカリコニカの場合には、小さくまとめるという困難はいくつかあったが、さほどの技術革新を必要としたわけではない。しかしそのような商品はだれも挑戦しなかったし、でき上がってみたらヒット商品になり、今日ではコンパクトカメラの常識になってしまっている。他にこのような例をあげるとすれば、ソニーのウォークマンであろう。技術革新がなかった、などと言える立場ではないが、開発段階では社内に反対の声があり、マーケティングの苦労はされたようである。しかし技術的には、さほど困難なものではなかったといってよいだろう。

技術者の大半(256)リーナス・トーバルズ
 優れた技術者のほとんどは−−そして、さして評価もされていない技術者の大半さえも−−自分がいかに才能に恵まれているかを世間に示したがる。世界平和なんかよりずっと重要な任務で特別大切な役割を果たしているのだと誇示したがる。

技術者の評価基準(314)塚本真也
 特許、製品化の実績、学術論文の数と質以外にない。

技術的改良(457)P.57
 技術的な改良の仕事というものは、ある地点までたどりつくと、あとは職人的な作業に転化する。原理や数式からはなれて、まず試作品を作ってみることが、肝腎なこととなる。青写真の上では遺漏のないはずのものが、実際に作ってみると全然動かなかったり、偶然、予想以上の結果が得られたりすることもある。〈偶然〉や〈思い付き〉という概念は、科学の恥辱のように一般には思われがちだが、実はそうではなく、たとえば薬効のあることが経験的に解っている薬草の一体なにが人体に作用するのかを、あとから分析するのも科学であるように、偶然上手くいった結果の原因を追究することによって、成果が得られる場合もすくなくない。だからこそ、研究が行き詰まっていても、ただ頭をかかえて考えこんでいるよりは、まったく同じものを何度も何度も作ってみる馬鹿根気が必要なのだ。 

技術的世界観(127)
 サルトル「ペーパ・ナイフに関しては、本質すなわちこれを製造し、ペーパ・ナイフを定 義しうるための製法や性質の全体は実存に先立つといえる。つまり私のまえにある、ある ペーパ・ナイフ、ある書物の存在は限定されているのである。すなわちこれは一種の技術的世界観であり、この世界観では生産が実存に先立つのだといえる。 ……人間という概念は神の頭のなかでは、製造者の頭にあるペーパ・ナイフの概念と同一 に考えてよい。」  

技術倒産(181)
 技術の日産といわれながら、実はその技術がすっかりなくなってしまった。今、彼らに 何かやらせたとしても、4年たっても5年たっても絶対に何もできないという変な自信す らある。これが技術倒産である。

技術の問題(457)P.55
 第二次大戦後の急速な技術革新によって、機械が総体に小型化し、それにつれてより精度の高い計器の一般的需要もまた起ってきたからである。…一般的な器具の小型化には、手軽な精密計具の改良もまた必要なのである。ノギスからマイクロメーターへの発展は、計算尺を二つ組み合わせたような、本尺目盛りとバーニヤ(副尺〉との線分平行をネジによっていわば二元交錯化したことにある。従来の形態のままでの精密度の倍化研究と同時に、私は目盛りを三元化し、立体化しようとしていた。原理そのものは簡単なのである。要するにそれは精密なギアーの組合せの問題であり、もう一桁下の目盛りが、時計文字盤のような円盤上に刻まれ、その上を針が回転して指すようにすればいいのである。厳密に言えば、それは技術の問題であって、原理的な発明発見といった領域の仕事ではない。

技術は所得に属する(438)イブン・ハルドゥーン
 私は最初に田舎や砂漠の文明について議論をする。それはのちに明らかとなるように、それが他のあらゆるものより先行するからである。同様にして王権の議論は、集落や都市の議論のまえに置かれる。生計が学問のまえに置かれるのは、生計が必要欠くべからざるもの、必然的なものだからであり、反対に学問の研究は賛沢なもの、便宜的なものだからである。必然的なものは贅沢なものよりも先行する。私は技術を所得とともに扱うことにした。それはあとで明らかなように、文明に関するかぎり技術は所得に属するからである。

 ■傷ついた犬理論(92)
 経度決定のための怪しげでマジメな理論、1687年にパンフレットが発行された。チ ャールズ一世の廷臣ディグビーが発見した[共感の粉]は、万能の治癒剤で、患者の持ち 物に振り掛けるだけで効果があるとされていたが、患者に激しい痛みを伴なった。よって 犬に傷をつけ、これを船に乗せ、傷口につけた包帯は母港に残す。この包帯に[共感の粉 ]を振り掛けるとどんなに遠くに離れても犬は、苦痛で悲鳴を上げる。毎日、定時間に母 港で粉を振り掛ければ、船との時差が分かるという理屈。  

気息(445)
 「ウパニシャッド」では、…しばしば気息は宇宙的原理であるアートマンないしプラフマンと同一視されるにいたる。
1.気息に敬礼あれ。この世のすべてのものはその支配下にある。それはすべてのものの支配者となり、〔そして〕すべてのもの、そのものにおいて確立されている。


貴族(523)
 貴族は全ヨーロッパにわたって、家族関係をもっていた。カース卜関係でむすばれ、教養をひとしくするという関係でむすばれていた。そのために、国民性などという下賎な偏見にたいしては、きわめて哲学的な態度をとることになる。……オーストリアの将軍、あの魅力的なリーニュ大公以上にフランス的なフランス人があるだろうか。……(ヴォルテールをはじめ)フランス哲学はベルリンで君臨しているではないか。イギリスといえば、最も進んだ貴族たちにとって、まさに理想の園、典型的な自由の地だった。彼らにとって、ヨーロッパには二つの国民しかない。紳士と賎民とだけだ。

■ギタンジョリ(554)
 (タゴールの)ノーベル文学賞受賞作品は、英語本『ギーターンジャリ』である。しかし、ベンガル人にとっては、『ギタンジョリ』とはベンガル語本である。…全人類的なものとして最も有名な次の詩がある。
   来たれアーリア人よ来たれ非アーリア人よ
   ヒンドゥー教徒よイスラム教徒よ!
   来たれ来たれ今は英国人よ!
   来たれ来たれキリスト教徒よ!
   来たれバラモンよ!心を清くして
   すべての人の手を取れ
   来たれ虐げられた人よ!
   すべての侮辱のかせはとりはずされよ!
   母の祭りに急ぎ来たれ
   すべての人に触れられ浄められた
   岸辺の水で吉祥の水瓶がまだ満たされてないのだ
   今インドの人類の海の岸辺に!


偽ディオニシオス(187)
 使徒パウロの弟子のディオニシオス・アレオパギタが著述したとされる書簡や文書は、 中世世界において聖書につぐ権威を持っていた。これらは偽書であることが判明するが、 その内容はプロティノスに始まる新プラトン主義とキリスト教を融合させた神秘神学であ った。神との合一には肯定と否定の道がある。光(神)が出て、やがて拡散していく闇へ と向けて存在の全てを否定していくと、光源(神)の背面に回帰できると考えた。「聖暗 の神秘家」偽ディオニシオスのこの思想は建築的にはゴヂック建築として表現されていく。

キネエクサクタ(94)
 ドレスデンのイハゲー製のベスト版のエクサクタを映画用フィルム用(ようするにライ カサイズ)にしたのでキネと呼ぶ。1936年発売。フィルム巻き上げは左手のレバー巻 き上げ。(ローライ35も同じ。)1950年発売のバレックス(変わり型の意味)は、 交換可能なペンタプリズムを装着した。

帰納科学の歴史(553)
 ヒューエルは貧困の出であり、博学で、ケンブリッジの鉱物学の教授であった。彼は、ダーウィンがケンブリッジの学生のとき、すでに、地質学会の会長であり、のち、トリニティ・カレッジの学寮長になった。
歴史的にみて、『歴史』は、体系的な科学史書のはじまりである。それは、科学の歴史、プラス、科学の方法の両方を考察しており、ギリシアの自然哲学からはじまり、十八世紀末の動植物学と地質学までを扱い、さながら百科全書のようである。ダーウィンの『歴史』への書き込みは、全部で四十三ケ所のうち、二十八ケ所が、第三巻の生物、地質学の篇に集中し…。その内容はヒューエルの考えを批判しているものが多い。
結局、ヒューエルは本質的に自然神学者であった。話をヒューエルに戻すと、彼は『帰納科学の哲学』(1840〉で、経験は命題の真理を証明できないといい、今日のポパーの哲学に接近している。彼が、ダーウィンにとり、導きの糸であったか、反面教師であったかは微妙であり、今後の検討を待たなければならない。


キノコアリ(254)
 自分たちの食料を管理して生産する生き物は、あまり多くない。今のところ知られているのは、キノコアリと人間だけである。キノコアリは「菌類を栽培するアリ」として脚光を浴びたが、…共生関係の方に近い。

キノテッサー(61)  
 バルナックは1911年ライツに入社して最初は映画用カメラを開発していた。このフ ィルムを使って、映画1コマと同一寸法のスチルカメラを試作した。そのときつけたのが 50mmのキノテッサー。結果的には原版が小さすぎてバルナックを納得させなかっ た。ようするにこれが現代のハーフサイズカメラの元祖ということになる。

貴腐菌(49)(97)
 ポトリチス・シネレア。1847年、リュル・サリュース伯爵は自分が戻るまで決して 収穫してはならないと言い置いてロシアに赴いた。帰国の予定が大幅に遅れ、伯爵ゅが自 分の領地に戻ったきた頃には熟れ過ぎて腐敗の始まったぶどうが収穫されないままに放置 されていた。この腐ったブドウが並外れたワインを生み出すきっかけとなった。これがソ ーテルヌのシャトー・ディケイムが生まれた伝説。(97)によれば、これはあくまでも 伝説で、それ以前にハンガリーでは同様の甘口ワインが生産されていて、今日トカイとし て有名であるが、これが17世紀末にソーテルヌに伝わったらしい。

 ■ギフォード・レクチャーズ(110)
 エジンバラ大学主催の宗教学アカデミーによる定例の連続記念講義。宗教アカデミーにおける 最高行事。1952年トインビーも招聘される。  

ギブスの相律(227)
 統計力学を空間的イメージ表現で研究したが、その難解さによってアメリカ国内では理解されなかった。視覚思考のできるマックスウェルはギブスを理解することができた。ギブスの最大の業績は相律と呼ばれるものである。相の数と成分の数からその系の温度、圧力の自由度が決定するということ。

キブラ(177)  
 イスラムの聖地メッカ、この礼拝の方角。モスクのドーム型の天井には同じく聖地の方 向を示すミフラーブと呼ばれるくぼみがある。 

キブロテ・ハッタワ(130)
 モーゼに率いられた60万人のユダヤ人がシタイ半島の砂漠で飢え、モーゼに不信をあ らわにしたとき、空からウズラが大量に落ちてきて、これを飽食した結果激しい疫病が流 行し多くの死者がでた。これが[欲心の墓場]である。近年ナワミスに発見された無数の 墓石がギブロテ・ハッタウではないかとされる。

規模の限界(268)P,45
 「モデルは再現なくスケールアップすることはできない。」…機能に対する大きさ、すなわち規模の効果ほど、よく知られていながらしばしば忘れられる設計原理は恐らくないだろう。
…19世紀のランキンに劣らず古代の人々も懸念した規模の効果は、現在でもなお失敗の原因である。多分それは、数学モデルやコンピュータ・モデルに頼りすぎる設計者が、規模の効果という物理現象に対する明確で十分な理解を欠くためであり、…要するに彼らは、十分に実践と調和させることなく理論にしがみついているのだと思われる。


帰無仮説(366)
 統計学では、ある命題を証明するためにはそれと反対の命題をわさわざ立てて、それを数学的に否定する。この否定される命題を帰無仮説という。命題を肯定するより、否定する方が易しいからである。例えば、カイ自乗検定では「血液型ごとの「はい」の回答数はすべて同じである」という帰無仮説を立てる。…観測度数が期待度数の分布と同じなら、計算した値はカイ自乗分布をする。算出したカイ自乗値が分布のたとえば5%以下なら、帰無仮説の方が間違っているとして、逆に95%の信頼度で有意差があることになる。

義務的無為(518)
 聖書の伝説によると無為−−遊惰は堕落まえの原人にとって、幸福の基本条件であった。遊惰の本能は天国を追われた人間にも、依然として残ってはいたけれど、神の呪いはたえず人間の心を圧しひしいでいる。ただに額に汗してパンを得なければならぬというだけの理由ばかりでなく、精神的傾向においても、われわれは無為にして括然たることができないのである。秘密な内心の声は、お前は無為ということにたいして責任を持たねばならぬぞと、こうわれわれにむかってささやいている。もし人間が無為の身でありながら、自分は他人にとって有益な人間である、おのれの義務を遂行しつつある、と感じうるような位置を発見することができたら、それは原始的幸福の一面を発見したものである。こうした天下晴れての義務的無為の状態を、全階級こぞって楽しんでいるのは(ニコライ・ロストフの属する)軍人社会である。しかも、この天下晴れての義務的な遊惰こそ、軍務のおもなる魅力なのである。過去もそうであったし、未来もまたそうであろう。

キメルジャン隆起(47)  
 シャブリのシャルドネ種を他のブルゴーニュのシャルドネからその性格を際立たせてい る瀝青質粘土土質。シャブリは緑のきらめきをひそめた黄金色で、低温環境のためよほど の当たり年でないかぎり香りは弱い。新鮮ですっきりした火打ち石のような風味が特徴。

偽問題(171)
 Pseudo problem。カントが「純粋理性批判」ですでに理解したように、自我の自由な活 動を極限に推し進めることによって作ることが出き、考えることもできるが、解くことは 不可能な形而上学的問題。例えば虚体の概念。埴谷雄高はこのような偽問題を次々に作り 、これと格闘するドラマとして創作を選んだと鶴見俊輔は考えた。  

客観的世界はない(479)
 客観的世界は私よりはるかに確実に「ある」ように思われる。だが、なぜなのか?その根拠はどこにあるのか?問うても問うても、ただ「そう思われる」という以上の答えはない。
 客観的世界はやはり語の正確な意味で「現象」にすぎない。とはいえ、それに対立するものは、叡智界でも道徳的世界でもない。まさに「私の存在」である。
 あえて読み込めば、カントは、まず世界全体を睥睨する私(超越論的統覚)を想定し、その私が森羅万象を「いかにして」構成するかを精轍に描き尽くした結果、私自体はその「うち」にないこと、その意味でその「そと」にあることを自覚したのである。


逆望遠レンズ(191)  
 レトロフォーカスのこと。通常のレンズの前に凸レンズを置くことでバックフォーカス を長くできる。ミラーの回動部が必要な一眼レフの広角レンズには必須の方式。

キャラクター(434)
 筆跡鑑定士によれば、文字の書き方には書き手の性格がはっきり表れる。性格(キャラクター)という言葉は、刻印に用いる先のとがった坊主意味するギリシャ語が語源である。

旧約聖書(6)  
 イスラエルの建国史。アブラハムに始まり、イサク、ヤコブ、ヨセフと続く伝承。ダビ デ、ソロモンの黄金時代。この旧約こそがイスラエルの選民(選ばれた者)という強烈な 自意識を植え付け、今にいたる世界史のキーとなる存在としたと思われる。

キュヴィエ(97)
 大博物学者ビュフォンの後、古生物学に比較解剖学的原理を持ち込み、従属と相関の原 理から、例えば歯のような部分から全体を想定しうることを示した。また、化石からは決 して、現存する生物が発見されないことに対する疑問に対しても、もし生物が変化するなら移行期の生物が発見されるはずだとの信念で生物不変説を唱え、進化論の発見に至らなか った。  

旧エルマー50mm(61)P.21  
 ライカTは1925年にエルマックス付きで発売されたが、後群3枚構成のコストが高 く、これを2枚構成にしたエルマー50mmf/3.5付きに変更された。ほぼテッサー と同じ構成である。ガラスはゲルツ社のものであったが、ゲルツが1926年にツァイス に吸収されてしまい、ガラスの供給を受けられなくなり、イエナのショット社からのガラ スに変更して、これを新エルマーとなった。

球形な地球(438)イブン・ハルドゥーン
 かつて世界の状態について観察した学者たちが、著書のなかで明らかにしているところによると、地球は球形であり、その表面は水におおわれ、ちょうど水に浮かぶ葡萄の実のようである。そして地球上の一部では水は退いているが、これは神が露出した地表の部分に動物を創造し、そのあらゆる動物に対する神の代理
者として、人類をそこに住まわせることを欲し給うたためである。このことから、人によっては大地の下に水があると考えがちであるが、これは誤りで、地球本来の「下部」というのは、地球の中心、すなわちあらゆるものが引力によって引きつけられている地球の核のことである。地球上の他の部分はすべて水でおおわれているから、水が上部にあることになる。地球上から水が退いている地表の部分は、地球全表面の半分を占め、円形をなし、その周囲を水が海となって取り巻いている。これを「周海」と呼び、別名ラプラーヤともいわれ、第二番目のラが強く発音される。またオケヤヌスとも呼ばれ、これらはアラビア語にない言葉である。(コロンブスの航海の100年以上前に、アラビヤの知識人は球形の地球とその引力さえ理解していた!!


急行「越後」(331)阿房列車
 余りに快適なので、乗っていて色色の事を思う。大きな、飛んでもない大きなソナタを、この急行列車が走りながら演奏している。線路が東京から新潟に跨る巨大な楽器の絃である。清水隧道のある清水峠はその絃を支えた駒である。雄渾無比な旋律を奏しながら走って行く。

救出の希望(535)
 「救われる望みはただ一つしかない」と説得する。「それは出撃を敢行し、最後の手段を試すことだ」
ガルパは百人隊長らをよび集め、彼らを通じ、すばやく兵士らに告げられる。「しばらくの問、攻撃の手を休め、ただ飛んでくる飛道具を楯で受けとめるだけにし、疲れを回復させておけ。号令があったら、一同陣営より打って出ょ。救出の希望をただ勇気のみにかけるのだ」


キュッペンベンダー(85)
 1932年ライプチヒの見本市でデビューした[コンタックスT]の設計者。バルナッ クのカメラを凌駕すべく、@バイヨネット・マウント、A基線長の長い連動距離計、B巻 き上げノブ連動シャッタチャージ、C金属幕フォーカルプレーンシャッタ、D着脱式裏蓋 を採用。ライカの単純な頑健さに勝てなかったが、レンズはいまだに評価が高い。 キュッペンベンダー自身は、その後、ツァイスの経営に参画し、戦争による2社分断の 悲劇を体験する。  

キュード・スピーチ(222)p.95
 手話と話しことばを併用する方式。キューは個々の音素にではなく複数の音素のグループに対応する手指記号で、グループ内の各音素の弁別は読話(唇の形)による。キューという手がかりをつけた話し言葉である。日本国内の聾学校でも言語獲得の手段として普及している。

キューナード社(345)
 1907年、…その会話は、ベルファストの造船会社、ハーランド・アンド・ウルフ社の会長ビリー卿と、彼を招いたホワイト・スター社の社長1・ブルース・イズメイのあいだで交わされた。ビリーが、これまで造られたどの客船よりも大きくて賛沢な三隻の船(オリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号)の建造をイズメイに申し出たのだった。イズメイはこの提案を受け入れたが、それは、イギリスとアメリカを結ぶ北大西洋航路を支配するキューナード社(現クイーン・エリザベス号の所有社)を打ち負かすには、そうするしかなかったからだった。キューナード社は当時もいまも、国際的な旅客船業界でもっとも重要であるだけでなく、強力な競争力を誇る企業である。

キュニョーの蒸気車(433)
 重くて定置式の蒸気機関を,小さくて軽いものとして,走行機械の動力源に適当なものにしようとする考えは自然である。フランスの外務大臣シュワズウル・アンボアーズの発案で,フランス人の技師ニコラ・ジョゼフ・キュニョー(1725−1804)は,1769年に蒸気駆軌4人乗りの三輪走行機を初めてつくるのに成功し,何回かの満足できる試験走行を実施した後,基本構造でさらに大きい改良型の運搬車ファルディエを,1771年につくった。…伝承によれば.監視されていない状態で役所の職員が試験走行を実施し,自動車にとって最初の交通事故を起こしてしまったといわれる。…ファルディエは世界最初の動力による走行機械(自動車)であるとともに,最初の前輪駆動車であり,最初の自動車事故発生車でもあった。

キュブラー=ロス(20)  
 ターミナル・ケア(終末医療)とサナトロジー(死の科学)の提唱権威者で、大量の臨 死体験者ヒアリングを実施して[死ぬ瞬間]を著作。  

帰輿(453)
   百戦帰り来って白髪新たなり、青山これより閑人となる
   峰あつまれば尚ほ憶ふ蛮陣を衝くかと、雲起これば猶ほ疑ふ虜塵を見るかと
   島嶼微茫たり蒼海の暮れ、桃花爛漫たり武陵の春
   而今始めて信ず還丹訣、却って笑ふ当年、識未だ真ならざりしを


今日一日に見たもの(493)トルストイ
 聖像の前には、赤ガラスの小さい燈明がともっていた。ネフリュードフは服をぬぎ、油布ばりの長いすの上へ格子じまの膝掛けを敷き、自分の革の枕をすえて、横になると、胸のなかで今日一日に見聞した、いっさいのことを思いかえしてみた。彼が今日一日に見たもののうちで、何より一ばん恐ろしく思われたのは、一囚徒を枕にして、糞尿桶から流れでる液汁の上にねむっていた男の子であった。

驚異博士(187)  
 ドクトル・ミラビリス。13世紀にキリスト教世界に経験科学の概念を導入したロジャ ー・ベーコンその人である。ベーコンは二人いる。17世紀の「新機関」のフランシス・ ベーコンとこの人である。ところがロジャーの方がフランシス会の修道士であったことで 混乱しやすい。

狂王シャルル6世(494)
 シャルル6世は歴史に「狂王」の名前で残る。賢王シャルルの息子が狂王シャルルとは、悲劇というよりは喜劇だが…。誰に診せても王の病は治らなかった。悪魔払いまで呼んだが、芳しからぬ結果は変わらない。正気を取り戻したときは王自身が心を痛めて、モン・サン・ミシェルだの、ピュイだのと巡礼の旅に出たが、その功徳も報われない。
 1392年に最初の発作を起こしてから、遂に崩御してしまう1422年まで、王は前後の見分けもつかない錯乱状態になり、かと思えば急に正気を取り戻しと、それを42回も繰り返したのだ。

教会旋法(560)
 グレゴリオ聖歌は一本の旋律によって歌われる単旋律の音楽である。それから音階ですが、われわれのいうところの長調、つまりドレミファソラシドとか、あるいは短調、つまりラシドレミファソラという音階ではなくて、それ以外の、なにか日本の民謡にも共通したような音階で動いております。詳しく申しますと、レミファソラシドレというようなレの音を主音としたようなドリア調とか、あるいはミファソラシドレミというミの音を主音としたフリジア調、あるいはファを中心としたリディア調とか、ソの音を中心としたミクソリディア調などというものがあるわけで、要するに、そのような教会旋法というものでメロディが律されていたわけであります。
 ですから、なにかグレゴリオ聖歌を聞いていると、どこかで聞いたような、つまり、われわれの日本の古い民謡を聞いたようななつかしさを感じることがありうるわけであります。


教会の庭(490)
 「彼は、かつて小さな少年のころ、ユーランのヒースの野に出て行って、羊の番をしていたとき、非常に苦しい目に会い、飢え、疲れ果てて、ある丘の上に立ち神を呪った==そしてその男は、82歳になったときでも、それを忘れることはできなかったのである」
 父ミカエルは、ユーラン半島の西部の町リングケビングの南東にあるセディングという小さな村の出身である。キルケゴールという名前も、教会(Kirke)の庭(Guard)、すなわち教会の付属墓地または付属教会領を意味する名詞からきている。


教科書的仏教史(348)
 奈良仏教は学問仏教、平安仏教は貴族仏教、鎌倉仏教は民衆仏教、室町・江戸仏教は庶民仏教である。また奈良仏教は中国直輸入の仏教であるから、非日本的である。平安仏教は鎮護国家を標榜し、貴族階級を相手どった呪術仏教である。鎌倉仏教は新仏教を開いた祖師たちによって仏教の精華が発揮され、ここにはじめて真の日本仏教が誕生した。しかるに、室町から江戸時代にかけて教団仏教は世俗化し、堕落の一途をたどった。だから、日本仏教を取り上げるとすれば鎌倉仏教しかなく、なかんずく親鸞、道元、日蓮によって代表される云々、と。

業感縁起(443)
 (ヴァスバンドゥの)『倶舎論』の「世間品」には宇宙の生成と形態、およびそこに住む生きものの種類について詳しく論じられ、それまでの仏教的宇宙観が巧みにまとめられている。生きものが生棲する大地を支えているのが風輪・水輪・金輪の三つの円輸体である。このうちまず最初に風輪が形成され、つづいてその上に水輪が、さらにその上位に金輪が生成する。注目すべきは、これらの、いわば宇宙の基盤体が形成される原因である。『倶舎論』ではその原因として「あらゆる生きものに共通する業の力」が考えられている。「業感縁起」ということばでいい表わされるように、仏教はあらゆる現象は生きもの(有情〉の行為(業)によって生成されると主張する。このうち、ある個人が、男性あるいは女性のいずれとして生まれるか、からだは大きいか小さいか、長命か短命か、などといった個人とのみにかわる現象は、その個人に特有の業が原因となって生成されるが、自然界、広くは宇宙という、あらゆる生きものが共有する現象は、あらゆる生きものに共通の業によってひきおされるという。

教皇アレクサンドル六世の線(60)  
 スペイン北西部の町、トルデシリャスの条約で、地球の東半分をポルトガルに、西半分 をスペインのものとして分割、これを教皇に認めさせた。この東西の線がアレクサンドルの線。  

狂気(373)
 「狂気とはね、自分の考えをコミュニケートする力がないことよ。まるで知らない外国にいて、全て周りで起こってることは見えるし、理解もできるのに、知りたいことを説明することもできず、助けを乞うこともできないの。みんなが話してる言葉が分からないからよ」「わたしたちはみんなそう感じてるわ」「だからわたしたちはみんな、なんらかのかたちで、狂ってるのよ」

狂気と彼岸(450)
 痴愚の女神は「敬慶な人々の期待している最高の報賞は、一種の狂気にほかならない」ことを、証明しましょうと言い放つ。正しい信仰が、狂気と結びつけられている。つまり、神は知恵で世を正すことができずに、愚かさを救済の手だてとしたという聖パウロの思想が深く反映しているのだ。…「キリストご自身も、この人間たちの痴愚狂気を救うために、みずからは神の知恵の具現であったにもかかわらず、『人の形で現われたもう』ベく人聞の本性を担われたときに、いわば痴愚狂気をみずからもまとわれたのです」

共時言語学(484)
 比較言語学が言語の歴史性を重視していたのに対し、現在の言語のあり方そのものを研究の対象にするという「共時言語学」の考えが、スイスの言語学者であるソシュールによって、二十世紀はじめに広まった。ソシュールの言語観では、形式という記号表現(シニフィアン)と意味という記号内容(シニフィエ)からなる体系(ラング)を、実際の発話から区別する。ソシュールは近代言語学の祖と呼ばれているが、このような用語の定義そのものをめぐって論争があるくらいで、「ラング」が何を意味するかを「解釈」すること自体は、科学的な議論ではない。チョムスキーの率直な意見によれば、共時言語学がなくとも言語学の歴史は今と変わらなかっただろうという。

教条(263)
 あらゆる革命が、教条なしに着手されたことはなかった。革命にとって教条が必要になるのは、いまだ実現されない未来の像に実体を与えるものであり、またその未来に至る道が現実につながり、可能であることを示すためである。ところがふしぎなことに、革命は未来をめざしていながら、求められる教条は必ず過去に属するのである。

強制辮髪(414)
 女真人の人口はまことにすくない。清朝″と称してはみたものの、…女真人の人口はせいぜい5、60万人で…この人数で中国大陸を征服しょうとしている。ここまでくれば征服しかなく、もし長城外の故郷へ退きかえせば、士気がおとろえ、それにひきかえ旧明の勢力が勢いをえて逆にこの辺境の少数民族を押しっぶすだろう。征服するには、強制辮髪しかない。いままでも投降した旧明の兵はことごとく辮髪させ、…辮髪がふえればふえるほど、清兵がふえるというふしぎな数字を演出した。
 さからう者はこれを殺す。殺すべき者が、ひとめでわかるのである。ひとびとは殺されまいとして辮髪にしたし、以後もそうなるであろう。群髪がふえれば、そのぶんだけ清の民がふえることになる。「辮髪」なんと異様なものであろう。それにしても、髪形を国是とし、それでもって領域をひろげて行った帝国は、世界史にない。…もって数億の中国を治めたのは、奇跡というにちかい。


共同事業の哲学(393)
 その名はニコライ・フョードロフ(1829--1903)−、死後に弟子たちによって編まれた『共同事業の哲学』という本のなかで、彼は、死を人間の根源的な悪とみなし、その克服にキリスト教の奥義はあると書いた。しかし彼は、死を避けがたい宿命とみ書ことなく、自然界を統御することで死を克服し、ついには「死んだ父祖たちを蘇らせる」ことにキリスト教の真の復活の意味はあり、その延長線上に、ゴルゴタで十字架に架けられたキリストの肉体的復活は可能になると考えた。そして男女の性愛は、この大いなる事業の実現をはばむものとして否定された。フョードロフは、この復活の事業をなしとげる原動力として祖先崇拝を挙げ、同胞が力を合わせることを訴えた。
 フョードロフが「共同の事業」として残したプロジェクトには、驚くべきアイデアが披露されていた。そのもっとも偉大な理念の一つが、散乱した死者の分子を集めて新たに人間を合成するという、現代にいうクローンにも似た発想であり、また、彼の自然統御の理念は、のちにロケット工学の父ツィオルコフスキーのロケット開発のアイデアに道を開いた。ペテルソンを通じてフョードロフの思想に衝撃を受けたドストエフスキーは、…「その思想家のなかでもっとも重要なのは、疑いもなく、かつて生きていた祖先たちを復活させる義務ということです。その義務は、もしそれが果たされたならば、生殖ということが停止され、福音書や獣州示録で最初の復活として示されていることが起こることになります」


共同体異分子法(286)
 ナチ政府の用意した共同体異分子法は成立することはなかったが、…若者たちに関する限りは、1944年の4月から5月にかけて…法的な効力を持つことになった。…ナチズムによる異分子排除といえば、よく劣等とされた民族や「障害者」のみを対象としていたかのように思われがちであるが、「共同体異分子法案」は、社会的に順応しないドイツ人の排除をも目的としていたのである。少年保護収容所とは、その目的を実現するため…。

京都南蛮寺(527)
 1560年、ザビエル去って八年目の1月6日、将軍足利義輝が住む妙覚寺に、長身の南蛮人と、小身でびっこの日本人の二人づれが入って行った。南蛮人はビレラ神父。日本人はロレンソ修道士である。京都布教を開始するために上浴したのであったが、…このみすぼらしい風態で、将軍に差上げる献上品といえば、それまで自分たちが使用していた砂時計一個であった。将軍は快く二人を引見し、念願の京都布教許可が与えられた。そして1576年8月15日、ザビエルが鹿児島に上陸してから28年目の記念日に、京都の「ご上天のサンタ・マリア教会」は未完成ではあったが初ミサが行なわれた。三層の高楼で京都の名所になった。

共犯者橋本一明(408)
「僕達は彼の墓を作ってしまった。…僕達は山に入って白樺の木を伐って来た。白い皮を切り幹を創って書いた。「墓碑名の一考案」をそのままに。」 僕宛親展の遺書に見える通り、この跋の初めの部分は、共犯者たる僕の嘘である。その頃…<僕は、自分の虚偽をすら忍んだのだ。では、他人の虚偽に耐えること位、君にも出来るようになってくれたったいいではないか。>…彼の日頃の口調そのもののような遺書の数行を、忠実に履行した僕であった。

狂奔(372)高群逸枝
 私は心細くなってきた。でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある。私は信念を得たい、驚異を得たい、歓喜を得たい、さもなくば狂奔を得たい。兎に角苦しみ悶え泣き喚いていく裡には例え方なき尊厳な高邁な信仰に到達するであろう。

教養に対する侮辱(385)
 トスカニーニを世界でもっとも偉大な指揮者、歴史上最高の音楽解釈者と賞賛し続けたアメリカの音楽界は、彼の最晩年に至って、そのレパートリーの狭隘さと、解釈の硬直化を批判し始めた。…夢から醒めた後でトスカニーニ・カルトを批判しえたのも、やはり新世界人の率直さと健全さだったと言うべきだろう。大御所ヴァージル・トムソンは、もっぱら観客の心理に与える劇的効果として音楽を理解するトスカニーニの姿勢を批判し、それを「教養に対するある種の侮蔑」と呼んだ。トムソンがイタリア・オペラを嫌っていたかどうか、僕は知らない。しかし、もし彼が現代に蘇りベートーヴェンの『荘厳ミサ曲』の録音にドミンゴを起用したジェームズ・レヴァインの暴挙を知ったなら、その無教養を口を極めて批判するであろうことはおそらく間違いない。トスカニーニが本来オペラ指揮者であること、彼が活躍し始めた19世紀末のイタリアに交響楽団というものは存在しなかったこと、そして彼のカリスマ性を神格にまで祭り上げたのが、文化新興国アメリカの音楽産業とそのスター・システムだったことは、トスカニーニの「教養」を問題視するトムソンにとって議論の前提にすぎなかったが、そういう前提すら学ぽうとしなかった日本の音楽批評は、いまだにトスカニーニを歴史的に相対化することができないでいるように見える。

極移動(217)P.17
 古代気候の調査結果はたとえばヨーロッパは熱帯気候であったが、これらは極の移動によって説明しやすい。一方、大陸も移動するので、この二つの移動を絶対的に再現することは困難である。たとえば特定地点の緯度・経度変化は極移動と大陸移動の和である。ウェゲナーはアフリカを固定させた相対的に移動として作図している。

■ 極相林
(174)  
 始めは一種類の林から長い年月のあいだに次第に植物相が交替していって、もうそれ以上変化しない極相に達している森林。たとえば犬吠埼の渡海神社(天然記念物)。

極北の生態系(306)
 熱帯雨林では、利用可能なエネルギーは信じられないほど多種多様な動物のあいだで分配される。温帯の森は熱帯よりも動物の種類が少なく、極北の森ではさらに少ない。…エネルギーのインプットが少なければ、生物のアウトプットも少ない。…北極・亜北極地方では、草食動物ニ・三種、肉食哺乳類一・ニ種、腐食動物一・ニ種の生命を維持するのが精一杯である。

魚形章(390)
 魚は、最後の晩餐からキリストの復活にまでかかわる多様な意味を担っていました。最後の晩餐を描いた最も古い絵画にも魚は登場します。初期のキリスト教において魚は多くの意味を持っていましたが、やがて忘れ去られ、ようやく二十世紀後半になって魚形章(イクティス)が象徴として見なおされるまで、日の目を見ませんでした。キリストを表す最初の象徴は、十字架ではなく、魚だったのです。十字架がキリストの象徴として使われるようになったのは四世紀か五世紀のことです。魚はギリシャ語ではイクティスですが、キリスト教最古の祈りのことばイエス・キリスト、神の子にして救い主≠ギリシャ語で綴り、頭文字をとると、ICHTHYS、すなわち魚になるのです。ユダヤ教やキリスト教の聖典には、魚と救世主を結びつける記述がいくつか見られます。人間をとる漁師≠ニいうたとえがその代表例ですが、初期のキリスト教でも水、魚、釣り、船に関連したことばが使われました。

巨人の肩(108)  
 ニュートンの謙譲表現「私が遠くを見ることができたのは、巨人の肩に乗ったからです 」は、英国王立協会の先輩学者フックへの手紙にある。フックこそ巨人であると言うこと である。実験学者フックは、多くの業績を残したのにも関わらず、ニュートンと彼の権威 主義をよしとした英国社会によって、その多くを抹殺された。ダーウィンに対するウォー レスに似ている。  

虚体(171)(202)  
 これまでもなく、これからもないもの。この虚体を産み出すために埴谷雄高「死霊」の 登場人物は延々と議論する。「自同律の不快」と並ぶ二大概念。  死霊第三章「屋根裏部屋より」でラズーミヒン的黒川建吉がラスコーリニコフ的三輪与 志の目指すものを代弁した。 「おお、それはこうです。もし人間をその内部に含んでいた存在が、或るとき、或る窮極 の、時間の涯のような瞬間、怖ろしい自己反省をして、そこに嘗て見慣れた存在以外のも のを認めたとしたら、永遠に理解しがたいようなものがそこに残っていたとしたら、ばっ くりと口をあけ虚空の空気が通うほど巨大な傷がそこに開いているとしたら、そのものは 人間からつけ加えられたものだ。それは時期知れぬ、何時の間にかつけ加えられた。それ は、それまで見たことも予想したこともなかった。まるで奇妙な、存在が不動の存在であ る限り決して理解しがたいものの筈です。おお、それこそ……その名状しがたいものこそ、 虚体です。」    

距離計(69)  
 戦艦三笠は英国バー&ストラウド社の二重像合致式測距儀を用いて勝った。この三角測 量式距離計は遠距離になるに従って精度が落ちるという問題を持っていて、レーダに取っ て代わられた。この近距離で精、遠距離で粗という三角測量方式のありようが撮影レンズの特性にぴっ たりマッチしているのだ。  

キラリティー(141)  
 ギリシャ語で手。分子構造の鏡像性を指す。手袋はキラルであるが、靴下はアキラルで ある。  

キリクムケリオーネス(78)  
 巡回僧とかゴロツキ僧と言われるが、自らは神の戦士と称したドナティスト運動を支え た修道士たち。5世紀ごろのローマの属州支配への北アフリカ非抑圧階級の抵抗運動を体現。  

キリスト教的時間(124)  
 キリスト教の世界感のなかでは時間の概念は永遠から切り離されている。永遠は神の属 性であるのに対して地上の時間は始まりと終わりがある。しかもその時間は神の創造とい う、地上の歴史を人類の救済の歴史として説明するという構想を持つドラマ性を持ってい る。古代的な時間の円環的性格は払拭され、こうして最終目標に向かって進行するという 直線的な時間意識が支配的になっていく。

キリスト教の相続人(523)ミシュレ
 革命を、わたしは定義する。法の即位、権利の復活、正義の反撃。革命の生みだした法は、それまでのキリスト教の法と似たものか、反対物か、つまり、革命はキリスト教的なものか否か、これが基本問題だ。これをぬかしては、革命史家は一歩も前進できまい。
 キリスト教は、究極において革命と和解しうるものであろうか。キリスト教の古い原理は、革命のなかで若がえったのであろうか。つまり、世界はたちさわいだようにみえても、じっさいは不動であって、そこではたらいたのは、ただ一つキリスト教だけであったのか。それならば、ドラマはなかったということになる。事実は、二つの闘争者があったのだ。
 革命はキリスト教を継続する。そして反対する。革命は、キリスト教の相続人にして同時に敵対者である。


キリスト教右翼の父(402)
 2007年5月15日、「キリスト教右翼の父」と呼ばれるジェリー・フォルウェル(73歳)が、死んだ。
 フォルウェルはアメリカの運命を振る男だった。…彼を政治に向かわせたのは、1973年、女性に妊娠中絶の権利を認めた最高裁判決だった。「このような神を恐れぬ判決が出たのは政教分離のせいだ」フォルウエルは怒り狂った。「政治と宗教の分離は悪魔の計略だ。アメリカの国政は我々キリスト教徒がコントロールするべきだ」
 フォルウェルはキリスト教徒によるネットワーク「モラル・マジョリティ」を結成し、聖書に基づく政治を求めて政治家に圧力をかけ、信者の投票を組織した。南部や中西部の人口の過半数は福音派なので、彼らがアメリカの国政を左右し始めた。まず、福音派のジミー・カーターが大統領になったが、民主党の彼はリベラルな政策を進めたので、失望した福音派は80年の選挙で共和党のレーガンを支援して当選させた。これ以来、福音派は共和党の最大の支持基盤になった。2000年の大統領選挙では、共和党の候補指名を争っていたマケイン上院議員がCNN出演時に「福音派が政治をコントロールしている現状は政教分離の原則に反している。フォルウェル師はアメリカを分断している」と批判した。これに腹を立てたフォルウェルは全力をあげて信者を動員してマケインのライバルのブッシュ (福音派)を勝たせた。フォルウェルは「2008年の選挙でも我々の力を見せてやる」と宣言…。


キリストに接樹(467)
 「神の像はアダムの罪によって私たちの内にはいわば拭い去られている。しかし神はそのかぎりない憐れみによって私たちを再生し、主イエス・キリストにおいて私たちを子として受け入れ、神の像を私たちの内に再び刻みつける」
 私たちが救われるのは自分の義によるものでないことを強調するために、カルヴァンは兄の変装をして老父から長子の祝福を奪ったヤコブの例をもち出す。盲目の父に兄と思わせるためヤコブは子やぎの毛皮を身にまとい、毛むくじゃらの手を父にさし出した。「ちょうどそのように、私たちは、神の顔前に義の証言を獲得しうるため、私たちの長兄キリストの上衣の下に自身を隠す」「キリストを着る」とか「キリストに接樹される」などといった比喰的表現も、同じことをさしている。私たちは本来救われる資格はないのだけれども、キリストに連なることによって、義とみなされるのだ、というのである。これが宗教改革の標語である「信仰による救い」の内容である。

キリストの墓所の守り人(469)
 (1099年の)7月15日の朝、十字軍側は、…(イェルサレム)市内になだれこんできたのだった。…この狂乱の中で、ロレーヌ公ゴドフロアだけは少数の兵を従えただけで、聖墳墓教会に直行した。そして、イエス・キリストの墓の上に建てられたというその教会の中で、ひざまずいて静かに祈りをあげていた。…ノルマンディー公の聴聞僧だったド・ローが、十字軍下では最初のイェルサレムの大司教職に就いたのであった。…。彼らはまたも、聖なる都イェルサレムを、王の名で俗界の人間が統治するのは許されない、との主張を持ち出してきたのだった。ロレーヌ公ゴドフロアは、…自分は「王」ではなく、「イエス・キリストの墓所の献身的な守り人」と名乗りたい、と言ったのである。ラテン語では、「アドヴォカートゥス・サンクティ・セプルクリ」「王」ではなく、「守り人」になる、と言ったのだ。

基督は転ぶ(549)
 お前が転ぶと言えばあの人たちは穴から引き揚げられる。苦しみから救われる。それなのにお前は転ぼうとはせぬ。お前は彼等のために教会を裏切ることが怖ろしいからだ。このわしのように教会の汚点となるのが怖ろしいからだ」そこまで怒ったように一気に言ったフェレイラの声が次第に弱くなって、「わしだってそうだった。あの真暗な冷たい夜、わしだって今のお前と同じだった。だが、それが愛の行為か。司祭は基督にならって生きよと言う。もし基督がととにいられたら」
フェレイラは一瞬、沈黙を守ったが、すぐはっきりと力強く言った。「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう」


義理人情(151)  
 ローマにおけるパトローネスとクリエンテスの関係を塩野七生は義理人情と定義する。 このものの見方こそ西欧の歴史家が持てない視点であり、彼女のローマ人の物語を日本人に受けいれさせることとなる。マリウス、スッラ、さらにポンペイウスもカエサルもこれを理解した。彼らと彼らの兵との関係は「私兵」ではなく義理人情であることを彼女は喝破した。  

キリー・モータ(107)  
 永久機関に関する歴史的詐欺。一滴の水の分解によって得られるエーテル力によって、 巨大な動力が得られると信じさせて、キリー・モータ株式会社を設立。 

義利両全説(168)  
 実業という言葉は、江戸時代の賤商意識を排除するために明治政府が始めて使った。こ れに澁沢栄一は、単なる私利追求から、義にかなった利益の追求、すなわち公益を重視し 道義に基づく経営を推奨し、実業の精神として、その後の経営者に影響を与えた。  

ギルガメッシユ叙事詩(80)  
 ニネヴェのBC7世紀頃のアッシリア王アシュールバニバル王の図書館から発見された 粘土板に記録されていたホメロスの先駈けとなる人類最古の文学。シュメールが発明した 楔形文字でウルクの英雄王の伝説的生涯を記録した。
ギル=ガラド(270)指輪物語
 ギル=ガラドというのはエルフの言葉で「星の光」ということだ。
…「ギル=ガラドは、エルフの王なりきと、竪琴ひきは、悲しく歌う。
  海と山との間にありし、美しき自由の国の、最後の王なりきと。
  …そのかみ王は、馬にて去りぬ。いづちにか、知る人のなき。
  むべぞかし、王の星おちて、影の国モルドールに消えたれば。」

ギルベールの断崖(490)キルケゴール
 ギレライエは、シェーラン島の北端にある保養地で、北海につづくカッテガート海峡をへだてて、はるかにスウェーデンの陸かげをのぞむ小さな村である。「宿を出て、黒橋(そう呼ばれているのは、ベストが流行した当時、ここまでで流行がとまるようにということからである)をわたって、海にそって一本の木もない草原を約一マイル北へ行くと、一番高い地点にたどりつく。そこがギルベールである。この地点は、いつもかわらず私の好みの場所の一つであった。そして私がある静かな夕暮れにそこに立つとき、海は深く静かな真剣な面持ちでその歌をかなでており、はるかな水平線までただ一つの帆かげも見えず、海は空を、そして空は海を区切っている。」
 このギルベールの断崖、200メートルもある断崖に打ち寄せる北海の荒波を見つめつつ、この偉大な自然のスペクタクルの前に立って、人間の、自分の小ささと、しかも小さなとるに足りないこの自分の、無限に貴い価値を知ることによって、彼はこの実存の原体験に達したのである。それは、すべての若者が、なんらかの形で出会う若き日の自己との出会いにほかならなかった。「私に欠けていることは、完全に人間らしい生活を送ることであり、ただたんに認識の生活を送ることではなかったのである。このようにしてこそ、私は私の思想の発展を−−客観的と呼ばれるものの上に−−つまりいずれにしても自分自身のものでないものの上に基礎つけるのではなく、私の存在のもっとも深い根につながっているもの、いわばそれによって私が神的なものに根を下ろし、たとい全世界が崩れ去ろうともそれにしっかりとつかまっているものの上に基礎づけることができるようになるのである。…真理とは、理念のために生きること以外のなんであろうか。…見よ、私に欠けているものは、まさにこのことなのだ。私はそれを求めて努力しよう」。

記録廃棄法(194)  
 1943年米国で制定された公的機関の廃棄を促進するための法律。その後、1950 年には連邦機関記録管理法が、1980年にペーパーワーク削減法が制定され情報調整局 が設置された。たとえば1970年代には、米国政府は年間1000億ドルのペーパーワ ークを行っていた。このような文書削減のための法律であった。

議論(140)  
 太宰治「私は議論をして勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ 自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。さうして私は沈黙する。」

キングズベンチ監獄(499)
 ロンドンにあった三つの大きな債務者監獄は私立の施設だった。法人が所有し、利潤のために運営され、牢番として雇われた人びとは多額の年収を得ていた。債務者監獄のシステムにおいて解せない点の一つは、監獄に入るのに金がいることだった。債務者監獄に入所するときには囚人自身がその間の滞在に必要な経費を支払わなければならない。 牢番は囚人を金づると見なしてまともに扱うようになり、さまざまな特権を与える。そのため、キングズベンチやフリート監獄を居心地のよいホテルのような避難所と考える債務者も多かった。借金取りも高い壁に固まれたここまでは押し寄せてこない。

均衡財政否定政策(492)
 ケインズは完全雇用のために従来の均衡財政至上主義を捨て、伸縮的財政政策を主張した。知性による財政コントロールである。ケインズの『一般理論』が出た1936年以前、スウェーデンにおいて成立した労働党内閣は、若き経済学者ミュルダールの指導のもとにおいて、このような均衡財政否定の政策を打ち出していた。1932年、世界的不況のもとで政権を保守党から奪った労働党は、33年、34年、財政を赤字にし、それによって大幅な政府投資を行い、それを誘い水とし、景気を反転させ、景気が上昇に転じるや赤字財政をやめ、35年、6、7年と、景気上昇による財政黒字によって、不況期の赤字を相殺してゆくのである。そのような意味においては、ケインズの理論はすでにスウェーデンにおいて、労働党によって、先行されていたと言っていい。

均衡理論(506)ワルラス
 均衡理論が最も典型的なかたちで発達をとげたのは、ミクロ経済学においてであった。ミクロ経済学で均衡浬論が発達したのは、経済現象の中心に市場という経済的交換の場所があって、そこには需要と供給というあい反する諸力が作用しており、しかも市場における売り手と買い手はこのあい反する諸力が事後的にバランスすると考えられることによる。
…市場に作用している諸力に代数的な表現を与えてこれを連立方程式体系としてあらわし、均衡をその連立方程式の解として定式化したものが、経済学における一般均衡理論といわれるものである。一般均衡理論が最初に定式化されたのはスイスのローザンヌ大学教授であったレオン・ワルラスの『純粋経済学要論』においてであった。
…マルクス主義は予盾とか対立とかの契機に着目してそれらを変動の原動力とみなす。生産力と生産関係の矛盾、および資本家と労働者の階級対立は、そのような変動の原動力として言及される二大契機である。そしてこのような考え方にコミットする人びとの理解によれば、均衡理論はこれとは逆に、調和とかバランスとかの契機に着目する理論であって、調和やバランスは一度形成されればそれ自体をつきくずすような内部的原動力をその内部に含んでいないから、変動を説明し得るような原理をもちあわせてはいない、とされる。


禁ぜられた地上の愛(518)
灯明の光に照されている救世主の大きな御像の、どすぐろい顔にじっと目をそそぎ、いく分かのあいだ両手を組んだまま、じっとその前に立ちつくした。(ボルコンスキーの妹)マリヤの胸には苦しい疑惑があった。はたして自分には愛の悦び、男性にたいする地上の愛の悦びが可能であろうか? 結婚のことをさまざまに思いめぐらしたマリヤは、家庭の幸福と子供ということも空想した。が、彼女の一番おもな、もっとも力づよい秘密の空想は、地上の愛であった。この感情は彼女が他人に、いな、自分にかくそうとつとめればつとめるほどますます強くなっていった。
「神様!」と彼女は言った。「わたしの心の中にあるこの悪魔のような考えを、どうして征服したらよろしいのでしょう? 穏やかにあなたの御心にしたがって、このよく伝い望みを永久に断念するには、どうしたらよいのでございましょう?」
彼女がこの間いを発するか発しないかに、早くも神は彼女自身の胸の中で答を与えた。『おのれのために何物をも望むな。求めるな。心を動かすな。羨むな。人間の未来もお前の運命も、お前にとって未知であらねばならぬ。とはいえ、いっさいにたいする覚悟と用意とをもって生きよ。もし結婚生活の義務をもって、神がお前を試みようと欲したなら、お前は神の御心を果すだけの用意をしておればよいのだ。』こういういくぶん慰謝をふくんだ想念をいだき、彼女はそれでもやはり自分に禁ぜられた地上の愛が与えられるかもしれぬと一縷の希望をつないでいるのであった。


近代の超克(139)  
 真珠湾の戦勝気分に沸き立っていた太平洋戦争の緒戦時、当時の代表的知識人、川上徹 太郎、小林秀雄、亀井勝一郎らによる文学界という雑誌に掲載された座談会。ヨーロッパ 近代を止揚して、別の次元にいこう、そこには戦勝気分によるヨーロッパ文化へのコンプ レックスの解放があり、戦後批判にさらされる。

近代哲学の真理感(488)
17世紀の哲学においては、理性や知性は「永遠の真理」の領域に属しており、この永遠の真理は神的精神と人間精神とに共通のものである。したがって理性の力によって我々人間は「神のうち」に真理を観るのである。すなわち、理性・知性・悟性などは、人間が真理を獲得するための高い認識源泉であるのに対して、感情・感性・想像力など総じて感性的なものは人間自身に根づくものとして、いわば仮象や誤謬の源泉であるという考え方は、近世哲学の真理観をつらぬく根本的な図式なのである。デカルト、マールプランシュ、スピノザ、ライプニッツなどにおいて、感性的なものは下位の認識能力とされるか、あるいは真なる認識をさまたげる誤謬の原因とされた。

金本位制の自動調節作用(507)
 「金本位制の自動調節作用」という言い方がされる。国際経済との関連からある一国の貿易収支が赤字になると、その国は決済のために国庫に準備してある金を用いる。金本位制では国内の通貨量も金の総量に連動して増減するので、金の流出は国内の通貨量を減らすことになる。当然、国内物価は下がる。これは調整のためのデフレともいいかえることができる。
 第一次大戦前には、中心国のイギリスが世界各国からの輸入貿易をふやし、したがって貿易収支赤字を甘受して、自由貿易を支えた。イギリスが寛大に他の諸国に資金援助を惜しまなかったことが、世界金本位制の安定を支えていた。
 ところが第一次大戦後になると、イギリスは自らも相当の債務を背負ったために、最後の貸し手の役回りを演じることが以前より困難となった。戦前の長期資金にかえて戦後は不安定な短期資金に頼ることが多くなった。また、戦後、世界の金保有の半分に近い量がアメリカとフランスに集中し、1920年代後半になるにつれて、集中の程度は強まった。

禁欲教育(402)
 10代の妊娠を減らすことは国家的使命となった。そして絶対禁欲教育が、対症療法的な包括的性教育に代わる抜本的解決策として注目を集めたのだ。
 さらに、94年、議会の上下院を共和党が制した。福音派を支持基盤に取り込んでこの勝利を成し遂げた共和党は、福音派の望む絶対禁欲教育の公立学校への導入を実現するため、政府から援助金を出す法案を議会で通過させたのである。政府が規定する「禁欲教育」とは以下のとおり。
「性交渉の自制によって実現する社会的、心理的、衛生的利益を教えることに限定される」
「就学生徒に期待される基準として、婚外の性交渉の自制を教える」
「未婚の妊娠と性病を防ぐ唯一確かな方法は禁欲だと教える」
「性交渉は、互いに貞淑な一夫一婦の婚姻関係で行うことが望ましいと教える」
「婚外での性交渉で心理的、肉体的に傷つくことが多いと教える」
「婚外で子どもを持つことは、子どもと親と社会にとって悪い結果をもたらすと教える」
「性交渉を拒絶する方法と、アルコールやドラッグが拒絶を難しくすることを教える」
「性交渉を行わずに自尊心を獲得することの大切さを教える」




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