語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-6-10 計110語
新着語
この世のはかなさ、コナトゥス、乞食をやとうな、効果、幸福なる地方、古典のミイラの街、今度こそ死ぬ、黄宗義の生涯、心の欲する所に従い、孔子の人間主義、別天つ神、国際法の優等生、

効果(531)
 ホメロスに関しては、眼の蔽いが取れたといった観がみる。描写でも比喩でもいかにも詩的な感じをうけ、いうべからざる自然味を有し、しかも驚くほどの純粋さと熱誠とをもって書かれている。きわめて奇妙な虚構の出来事といえども、自然味を持っているが、描かれた対象いを眼のあたりに見て、私はなお更その感を深くした。私(ゲーテ)の考えを手短かに述べると、彼らは存在を描写し、われわれは通例効果を描写する。彼らは物凄いものを表現したが、われわれは物凄く表現する。
 彼らは愉快なものを描き、われわれは愉快に描くのである。それゆえに極端なもの、不自然なもの、虚偽の優美や誇張されたものは、すべてここに由米するのだ。というのは、効果を出そうとし、また効果を狙って創作する場合には、その効果をいかに読者に十分感じきせようとしても、なお足らぬを覚えるからである。私の言うところは新しくはないにしても、最近の機会に私は切実にそれを感じたのだ。すなわち私はこれらすべての海岸と岬、湾と入江、島と海峡、岩石と砂浜、潅木の茂った丘、なだらかな牧場、美しく飾られた庭園、手入れの行き届いている樹木、垂れ下っているぶどう蔓、雲に包まれた山といつも晴れやかな平野、断崖と浅瀬、そしてこのあらゆるものを囲繞する海を、千変万化の装いをつくしてわが心の中に生き生きと把持しているがゆえに、オデッセウスは始めて私に生命ある言葉を語りかけるのである。


公開代償説(136)
 特許に独占権を与える根拠として、特許を受けた発明が公開されることを代償とするという考え方。
 
交換(195)
 ヒトはなぜ社会を作るか。レヴィ=ストロースは交換のためだと言う。中でも言葉の交換が、女性、物財の交換と並んで、人類社会を成立せしめたと言う。ではなぜ交換をするのか。その基盤を成すものは脳である。脳は信号を交換する器官である。 エルンスト・カップは言った。「ヒトの作り出すものはもヒトの脳の投射である。」

交換(430)スミス
 交換によって結びつけられる人間と人間との関係は、その拡がりの広いほど、個人的な利便も大きいが、社会的な富の総量もそれだけ大きい。だが、その富裕の根源である人間同士の「交換」にあたって、個人はそれを他人の仁愛ないし燐懲の情に期待することは意味のないことである。そこではむしろ個人相互の「利己心」=「自愛心」がものをいうのであり、それの対決と妥協によって、「交換」が進行するのである。
 「…人間は、いつもその仲間の助力を必要としているが、それを仲間の仁愛だけに期待するのは徒労なことである。それよりも、もしかれが、自分に有利になるように仲間の自愛心を刺激することができ、かれが仲間に求めていることを仲間がやってくれることが、仲間自身の利益にもなるのだということを、仲間に示してやることができるなら、そのほうがはるかに自分の目的を達しやすい。他人にある種の取引を申し出るものはだれでも、こういう風にやるのである。


公共投資(492)
 だが今日の土木建築業のように、高額な機械装備が必要とされてくると、好景気になったがゆえに公共投資を縮小するというと、金利負担そのほかにおいて、土木建築業は経営困難に陥る。しかも税収入は潤沢にあるとすると、これを公共投資に向けるべきであるという声が起こるのは当然である。このことが土建業と政治との癒着を生み出したのであり、それが、戦後資本主義の最大の病を日本において作り出していったと言ってもいい。
この結果、ケインズ的な景気政策は、現実においては土建屋予算と化し、政府財政はブキャナンが言うように、国債累積の中に破綻をもたらしていく。これが日本での現実でもあるということに、ケインジアンは注意する必要がある。


交響曲(236)p.34
 形式の厳密性と、諸動機間の内的統一性を尊重する同時代の作曲家シベリウスにマーラーは異議を唱える。「いや交響曲は世界のようなものでなければなりません。それはすべてを抱擁せねばなりません」と。まさにそのようにして、シベリウスの交響曲がしだいに簡潔に、短くなってゆくのと正反対にマーラーの交響曲はますます長大になっていく。

交響曲第9番(186)
 シューマンは言う。「この交響曲にはただの美しい歌とか、いままでに音楽が何百回となく表現してきた、ありふれた喜怒哀楽を超えるものが秘められていて聴く人をある国にいままで行ったことがあるとはどうしても思い出せないような国にさそっていく。この交響曲はどんなベートーヴェンの交響曲にもなかったような感銘を与えた。永遠の青春の萌芽を含んでいる曲である。」メンデルスゾーンはウイーンのシューベルトの兄の家を訪れ未整理の楽譜の山からこのハ長調「グレート」を発見し、初演した。

皇后テオドラ(410)
 ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会で侍女に囲まれてひときわ輝く皇后テオドラのモザイックを見ることができる。
 夫のユスティニアヌスは6世紀にゴート諸族を攻め地中海を「ローマの湖」として回復するとローマ法典編纂の事業を行い、その結果できたロ−マ法大全は古ローマ人の実際的英知の結晶で、この法典のもつ歴史的意味は、はかりしれないはど大きい。ユスティニアヌスはまた彼の政治的、軍事的偉業を記念するため、首都にハギアーソフィア寺を建てた。
 ユスティニアヌスの政治には皇后テオドラの影響が強かったといわれる。彼女はもと動物の調教師の娘で、一時はヌードーダンサーにもなり、全裸にならなかったのはそれを禁ずる法律があったからにすぎないというゴシップまである女だった。ところがテオドラは生まれながらの政治家で、ユスティニアヌス以上の支配者であったらしい。ともかくも「ニケの反乱」という大暴動が起こり、ユスティニアヌスが絶望し逃走を考えたとき、暴徒に屈服するよりは柴袍(帝王の衣)を着て死んだ方がよいと、夫と廷臣をほげましたのは彼女であった。


皇国救世軍(456)P. 209
 ドイツでは新しい国民政党であるナチスが急速に勢力をのばしつつあり、第一次大戦の敗戦によって沈滞・腐敗したドイツの国民精神に活を入れるべく、従来の女性的教義としてのキリスト教を補う、第五福音書をみずから創造し付け加えようとしているといいます。…そうした情勢下にあって、われわれ宗教人のなすべきことは何か。それは政党が第五福音書を作ろうとするのを待つことではなく、日本の土着の宗教が、刷新さるべき国民精神の新たな模範として、仏教をはじめとする無気力・無抵抗の宗教を革新し、内側から国家を指導することであるはずであります。われわれ皇国救世軍こそは、資本主義によって毒された民衆の私利私欲の精神の汚れを洗いきよめ、神の正義、人類の平等のために身を挺する〈義の心〉を築こうとするものであります。

孔子の人間主義(508)
 孔子の思想は一種の人間主義につらぬかれている。その関心は極度に人間の問題に集中していた。この特徴は『論語』をひもとくだけで簡単に知られる。神の物語もなければ奇蹟の話もなく、神秘的な要素に乏しいことは『聖書』と比べてすぐに気づかされる『論語』の特色である。「天」ということばが何か意味ありげにあらわれでも、それについて深入りすることはなく、現実の人間生活についての問題だけがくりかえしてのべられる。人はそのことにむしろ一種の物足らなさを感ずるかも知れない。神の問題とならんで、『論語』にはまた自然についてのことばが驚くほど少ない。『論語』の全体は、おおむね人間と人間の社会とに関することばで埋まっているのである。自然に対する孔子の関心はきわめて薄かったようにみえる。

攻城戦(469)
 だからこそ、歴史上でも名将として知られた人たちは、例外なく攻城戦を嫌っていたのである。何らかの策を用いて敵を城壁内から誘い出し、城壁の外での会戦に勝負を賭けるほうを好んだのだ。イッソスやガウガメラでは五倍十倍の敵を相手にしながらも大勝できたアレクサンダー大王だが、城塞都市ティロスを陥とすのには手こずっている。オルレアンを陥落させるのに苦労したユリウス・カエサルだが、その七倍の敵を相手に闘ったアレシアの会戦では、数日で勝負をつけていた。そして、ポエニ戦役の最後の幕を降ろすことになったカルタゴの攻防戦では、当時最強のローマ軍でも、陥落には三年も要したのである。これが歴史の教訓である以上、オリエント最大の都市の一つとしての長い歴史をもつアンティオキアが、容易には陥とせないことは誰にでもわかることであった。

恒常的な死(206)p.232
 1858年、ウォーレスはジロロ島のテルナラで、マラリアの発作に苦しむなかで、マルサスの「人口論」のことを思い出した。病気、事故、戦争、そして飢餓といった増加に対する積極的阻止が、未開の人種の人口を低く維持している。……このとき私は、これらの原因が動物の場合にも継続的に作用していることに気がついた。それぞれの種の個体数が抑えられるには、毎年これらの原因で死ぬ数は相当のものになるにちがいない。このことが暗に意味する大量の、しかも恒常的な死のことを漠然と考えていたとき、それではなぜあるものは死に、あるものは生きているのかという問題に気がついた。回答は明白であり、要するにもっとも適したものが生きているのである。このような自動的なプロセスがかならずや品種を改良するだろうことがひらめいた。すなわち、最適者の生存である。

洪水主義(125)
 地層から化石が発見されることが、キリスト教的科学者の悩みの種であった。この化石は聖書の大洪水の犠牲者の遺物であるという18世紀のショイヒツァーの説。彼はこれを証明するために、古代の地層に人間の骨を発見することに執念を燃やしたが、トカゲの骸骨を初期の人骨と見誤っただけであった。

構造主義(263)
 言語における体系と構造こそが科学の対象であり、それをなさない、個々のアトミスティックな歴史的事実の断片を扱うのは科学ではないというソシュールの思想から発して展開したいくつかの流れが構造主義と呼ばれるのは、まさに、「構造」に関心の中心があったからだ。
構造とは本質的に非歴史的であった−−なぜなら、それが歴史的な要因を含むとしても、常に非歴史化されることによって構造となり得るのだから−−。その構造は何によって生まれるかといえば、ソシュールのばあいは、話す主体の「心的活動」のゆえである。そのことをソシュールは、「およそ言語の中で、心的でないものは何もない」と言い表したが、それは「共時体系を生むものは話し手の意識である」と言うのにひとしい。


構造主義(289)
 構造主義の最も基本的な認識は何かといわれると、それは「反実体論」です。すべては「記号」であって、実体を考えることは妥当ではない、これを最初に強力に推し進めたのがソシュール。…これは言語を使って物事を考える以上「実在や実体」は問題にできないという意味です。構造主義の対象は、ソシュールが指摘したように「関係」です。関係こそが「構造」であり、関係をもとにして様々な事物の分類が行われます。「男性」という概念は、「男性」という実体そのものを指し示しているわけではなく、「女性ではない」「女性の対立概念」としての意味を持つものです。つまり「関係」が存在しなければ「分類」は存在しない。ある一つの分野における「関係」の集合を「構造」と呼ぶので、構造主義は専ら「概念と概念の間の関係」を扱うのだといっても過言ではありません。

黄宗義の生涯(509)
 父を獄死に追いやった一味の審問に立ち会い、激情にまかせて仇敵の鬚を引き抜き、錐を揮って流血の刃傷沙汰に及ぶ。清の江南侵入に抗して、郷里の子弟数百を率いて武力闘争に立ちあがり、遠くわが長崎にまで援軍を求めて来航する。清朝支配下に遺老としての節を守り雌伏数十年、死に臨んでは厚葬に従うことを好まず、速やかに朽ちることを願って棺桶を用いずに埋葬される。
 以上は黄宋義の生涯におけるエピソードだが、同じ時期に明清鼎革の激励の渦中に生きた人々にとっては、とりわけ目立つ体験ではない。



構造と機能の分離(195)
 死体があるからこそ、人は素朴に身体と魂の分離を信じたのであろう。これを生物学の文脈で言えば構造と機能の分離ということになる。このことから、説得力が強く、かつ非常に長期にわたって存続する大きな誤解が生じた。構造と機能の分離が「対象において存在する」という信念である。唯脳論では構造と機能は脳において分離するだけだと考える。死においては対象側に構造、機能ともに順次失われるのである。

航走沈下(97-7-21朝日)
 ベルヌーイの定理によって、大型船が浅瀬を航行するとき船底と海底間の水の流速が上がり、船を海底に引きずり込む力が発生すること。先日のタンカ座礁の原因とする説。
(流速)2/2+圧力/密度+重力加速度×高さ=一定


皇太子プッチーニ(344)
 プッチーニと同じルッカ出身のカタラーニはある程度の音楽的成功を収め、熱心な支持者であった若きトスカニーニは、娘にそのヒロインの名前をつけた程であった。…そのカタラーニの悲憤慷慨は、しかし1889年夏、ある友人に書き送った手紙の中ではっきり現われている。「今や音楽界にも、王朝支配というものがあり、ぼくはプッチーニがヴェルディの後継者にならねばならないことを承知しているけれどもね。…ヴェルディは立派な帝王みたいに、時には皇太子を夕餐に招いている」。この時点でプッチーニはオペラをわずか2曲しか書いていなかったが、…リコルディは、かれらの前に、まだ越えねばならぬ数年が横たわっていようとも、やがて本当の収穫が必ず見えてくることを期して、財産を賢明に投資していた。

剛体蛇腹(104)
 戦時中に蛇腹の素材である羊の皮の輸入が制限されたとき、ミノルタが採用したのがベークライトの3段蛇腹。これを搭載したのがミノルタ・ベスト。その外観の類似から別名大阪城カメラと呼ばれ、人気を得る。

紅茶のシャンペン(262)
 ダージリン茶は、「紅茶のシャンペン」といわれるくらいさわやかな風味となおかつ渋味とがあって、その香りは世界三銘茶の中に入るといわれる。
 
肯定(155)ニーチェ
 肯定することはそれ自体本質的に複数で多元論的なものであり、否定することは単一で重々しく一元論的なのである。反動的な諸力においては否定が最初であり、否定することによって見せかけの肯定に至るのである。 
 
肯定者(408)原口統三
 ニーチェは重荷を担いで苦しまぎれに威張り散らす。「汚濁の過去。屈辱の過去。これを肯定してよりよき生を築く」と。しかしここには一つの虚偽がある。ニーチェの眼に、全き肯定者の姿が見られたか。彼の心は、絶えず不安と後悔とにつきまとわれていはしなかったか。この不安には男らしくないものがある。…ここにはある一種の安定感。…「ここまで来たのだ」という無用の自慰の弛みがある。彼は土台を必要としたのだ。

膠泥活字(116)
 グーテンベルグの鉛と錫の合金による活字の発明以前に北宋時代の中国で、すでに泥を膠で固めて文字を彫り、これを焼き固めた活字がすでに発明されていた。また朝鮮の太宗はグーテンベルグの半世紀前に銅鋳造活字を大量生産させた。 漢字がアルファベットより字数が多く、大量生産ができなかったために、印刷の発明の栄誉をグーテンベルグに譲ることになった。
 
高度宗教(110)
 シュペングラーは文明の末期に世俗化した無宗教の文化的状況の中に「第二の宗教心」が現れることを見抜いた。トインビーはさらに、文明の末期には文明が固有の領域を越えて、他の文明の領域に広がり、征服された文明が政治、文化的に自己を蚕食され、その苦しみのはてに高度宗教を孕むと解した。ギリシャ−ローマ文明は世俗的に勝利したが、キリスト教、ミトラ教、マニ教、キベレー教など、高度宗教と認められるものは、征服された側の文明の産である。
 
弘仁仏(211)P.124
 天平文化の金銅仏、塑像、乾漆像と、国風文化の寄木造りの過渡期の仏像で、一本造りを特徴とする木彫仏である。(いわゆる弘仁・貞観時代) 土門拳は「天平の金仏が盛期をすぎてもはやだめになり、といって木の時代の木彫仏がはっきりとして容姿を持つ前の過渡期、うんと唸り声をあげて、拳を振り回すような活気にあふれた、それがなにやら見当がつかない……」と後日述べるが、室生寺への訪問でこの弘仁仏を発見し、「古寺巡礼」につながっていく。 

幸福なる地方(531)ゲーテ
Campagna felice この地方全体が「幸福なる地方」の名誉ある名を何百年にわたって保持しているかを考えるならば、この地方(ナポリ)の生活のいかに安易であるかは容易に理解できることである。
総じていわゆるラッツァローネ(賎民)なる者は、他の階級の人間と比較していささかも怠惰ではないのに気がつくであろう。しかし同時に彼らはその分に応じて、単に生活せんがためではなく享楽せんがために働いており、労働をしていることをでも生活を享楽しようとしている事実を、窺い得よう。かくていくたの事柄は明白にされるのだ。すなわち職人は北国と比べると概して非常に劣っていること、南国には工場は建設されていないこと、弁護土と医師をのぞいては人間の多い割合に学問のある者は少ないこと、それからナポリ派の画家にはその道に徹底的に精進して大成したものは未だ曾てないこと、僧侶は何ら仕事をせずに安楽な生活を送っていること、また上流の人々はその財産をただ官能的快楽や賛沢な装いや気晴らしにのみ用いることなどがわかってくる。

降伏論(352)
 この難問を大胆な(ナンセンスな)発想の転換によって一挙に解決しようとしたのが、森嶋通失ロンドン大学教授である。森嶋は七九年三月九日付の北海道新聞に寄稿した論文のなかで、「不幸にして最悪の事態が起れば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。三十四年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である。アメリカに従属した戦後が、あの時徹底抗戦していたよりずっと幸福であったように、ソ連に従属した新生活も、また核戦争をするよりずっとよいにきまっている」 と書き、激しい論争をひき起こした。

拷問の正当な理由(434)
 どのみち罪人は天の国でふたたび申し開きをしなければならない。ほとんどの犯罪が死刑で罰せられた時代では、少なくとも「正午の太陽のごとく明白な」証拠がないかぎり、神の審判を差し置いて地上で裁きをくだす勇気のあるキリスト教徒の裁判官はいなかった。…裁判官には罪に問われた者を拷問する権限が与えられた−−自白は「証拠の女王」−−として扱われたからだった。理屈の上では、拷問には罪に問われた者の魂を救うという正当な理由があった。神に誓って潔白だと言っておきながら、その誓いが偽りだったのであれば、死後は地獄ではるかに過酷な責め苦に遭うことになる。また、拷問は真実を告白する助けになるとも信じられた。つまり、真実とは本人の意志で語られるものではなく、つい口に出てしまうものだと近世の法学者は考えていた。

氷宇宙起源論(125)
 地球の天変地異は地球が氷におおわれた月を捕捉し、最終的にこれが衝突するというヘルビガーの説。ナチスによって学説として認められた。月が近づくにつれ、地球の海水が赤道付近に集まり、重力の軽くなった地域で聖書に記述される巨人が出現する。大洪水は月の衝突によるものであるという。
 
コギト・エルゴ・スム(114)(195)
 我思う故に我あり。ほんの少しでも疑いをかけ得るものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきである。感覚は時にわたくしたちを欺くから感覚が想像させるとおりのものは存在しないと想定する。わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判定して、以前には論証とみなした推理をすべて偽として捨て去った。わたしは、それまでに自分の精神のなかに入っていたすべては夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう。しかし、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えるわたしは必然的に何ものかでなければならない。 養老孟司はもっと単純に「デカルトは要するに私は脳であり、脳は存在すると言ったらしい。ソクラテスが「汝自らを知れ」と言った時、お前の頭を使えといったのである。」と言う。
 
呼吸(72)
 肺で酸素と二酸化炭素を交換するのは外呼吸。生化学での呼吸とは細胞内で酸素を用いて行われている分解作用を言う。
      C12+6O→6CO+6H
 グルコースという大きい分子が分解することによる発生エネルギーが生物の生活作用を営んでいる。光合成はこれと逆の反応である。

 
護教(110)
 トインビー「護教とは回答がドグマとして出され、その回答をいかに経験に下って論証するかという知的作業である。経験から原理を作り出すのではなく、原理は「啓示」のなかにドグマとして出されてしまっている。たとえば資本論を鵜呑みにして、それを弁証するのは神学である。」

虚空(392)
、虚空に「虚空」という名称を適用する根拠はなにか。西暦紀元後五世紀初頭の古いヴァイシェーシカ論書である『勝宗十句義論』では、それは特殊であるという。特殊というのは、独立のカテゴリーとして立てられているもので、それが内属する個体から他のすべての個体を排除し、その当該の個体のみを顕わにするものであるとされる。虚空に内属する特殊は、単一の個体である虚空のみを顕わにし、虚空以外のいっさいのものを排除するはたらきをする。

虚空蔵求聞持法(348)
 ここに一の沙門あり、余に虚空蔵聞持の法を呈す。其の経に説わく、もし人、法に依って此の真言一百万遍を誦すれば、即ち一切の教法の文義暗記することを得。ここに大聖の誠言を信じて飛焔をサンスイに臨む。阿国大滝(たいりょう)岳にのぼりよぢ、土州室戸に勤念す。谷、響きを惜しまず。明星来影す。

国王の否(ナイン)(154)
 ヒトラーのノルウェー侵攻時、国王ホーコン七世は、ファシスト傀儡政権を受け容れよとの最後通牒に対して「ナイン」と一言で答えた。これが歴史的にも始めて行われた北極圏での戦争へのノルウェー人の決意となった。その誇りはナルビクの戦争博物館で強く感じられた。ヒトラーに最初に勝ったのはノルウェーではないか?
 
国際消尽(136)
 特許を持つAがBに物を販売した段階で、その特許権が消滅するので、BがCに販売してもBもCも特許侵害にならないというのが消尽説。これを並行輸入に適用するのが国際消尽説。まだ判例として確定していない。

国際通貨基金(492)
 ブレトン・ウッズ協定は、この国際通貨基金協定と、アメリカが独自に提案し、この会議で決定された国際復興開発銀行(いわゆる世界銀行〉に関する協定との、両方からなっている。これらは、イギリスでもアメリカでも、容易に議会の承認を得られなかった。…彼(ケインズ)の意図からかなり距った国際通貨基金(IMF)協定を、「雑種の犬のほうが丈夫でもっと役に立つかもしれない」という苦しい表現で、推奨する演説を行わざるをえない立場に立たされたのであった。…ケインズがアメリカでの三ヵ月におよぶ交渉の末ようやくかち得た借款(いわゆる米英金融協定〉の供与がきまった、1945年の暮れであった。
IMFは、基本的には、ケインズ案のような信用創造機能をもっ国際中央銀行ではなく、国際収支の不均衡の是正のための好ましくない諸措置(デフレーション政策、平価切り下げ競争、輸入制限など〉を回避し、対外均衡の実現に努力する時間的余裕を赤字国に与えるために、短期の貸し付けを行うという、単なる為替安定基金にすぎなかった。


国際法(310)
 国内社会は、集権化された社会であり、法の制定についても、立法機関によって行われる、国際社会は、分権的な社会であって、条約にしても、国際慣習法にしても、国家間の合意を基礎として定立される。
国際法の形式的法源としては、条約と国際慣習法があげられる。しかし、今日では実質的法源の重要性が増大している。実質的法源として、通常あげられるのは、判例、学説、条理などである。また「文明国が認めた法の一般原則」を条約と国際慣習法につぐ、第三の法源とする考え方もある。


国際法の優等生(502)
 この時代の日本人ほど、国際社会というものに対していじらしい民族は世界史上なかったであろう。十数年前に近代国家を誕生させ国際社会の仲間入りをしたが、欧米の各国がこのアジアの新国家を目して野蛮国とみることを異常におそれた。さらには幕末からつづいている不平等条約を改正してもらうにはことさらに文明国であることを誇示せねばならなかった。文明というのは国家として国際信義と国際法をまもることだと思い、その意思統一のもとに、陸海軍の士官養成学校ではいかなる国のそれよりも国際法学習に多くの時間を割かせた。(坂の上の雲 第一巻)

国富論(430)
 すべてのことが「事物自然のなり行き」に放任され、しかもそのばあいに、個人の「利己心」ないし「自愛心」がなんら他から制約されるようなことがなければ、分業と自由競争の効果の結果、資本にしても労働にしても、おのずからもっとも効率の高い仕方で、つまり一国にたいし、いちばん雇用量が多くなるように、また付加価値がもっとも大きくなるような具合に、配分が行われる。だから、重商主義政策などが、この「事物自然のなり行き」や人間本有の「利己心」=「自愛心Lを抑制するようなことがなくなれば、どの国も、国富がもっとも豊かに、またもっとも低廉に生塵されることになるだろう、そうスミスは考えた。
 そうなれば、国家にとっては、ただ三つの任務だけが残される、つまり第一に国土防衛の義務、第二に、厳正な司法行政を実施する兼務、そして第三に、個人ではとうてい採算のとれない、ある種の公共的施設を維持経営する義務。

国民詩人(497)
 もともとプーシキンは、矯激な自由思想家として、皇帝や宮廷の反動派たちからは、ひどく危険視され、忌避されていた。ところが、その彼が、1834年というから結婚後三年目だが皮肉にも、突然皇帝の侍従職という任命を受け、若干かの俸給を給せられることになった。…その職に、たとえ名前だけにせよ、34歳の国民詩人が任命された! さっそく口さがない社交界は取沙汰した。要するに任命の真の狙いいは、(妻)ナターリアに刻し自由に宮廷に出入りする資絡をあたえるためにすぎない。詩人にあたえられた地位と俸給は、いわば皇帝の愛妾寵愛料の形を変えたものにすぎないというのである。

(196)
 人間の心には高次の意味も含めてそれ自体の意義を知ろうとする生来の傾向が認められる。これが生得的な推理能力と対になって、その組み合わせから人の価値体系における理性的認知の上部構造が出てくる。

心と病気(302)
 心/脳が免疫系の仲介によって、体の様々な臓器系に多くに影響を与えているかもしれないという考えは、1960年代に行われた慢性間接リウマチ(RA)に関する一連の研究によって注目された。RAは遺伝性の自己免疫疾患であるが、RAの患者は一致して「堅苦しい」「気難しい」「神経過敏」であると報告された。同じリウマチ因子を持つ姉妹であっても、性格がことなるとリウマチを発症しない。心が、ストレスを知覚し、それに反応することで外来の病原体に対する体の免疫反応に直接影響を与えうる。
 免疫系は、脳によって産生される科学的メッセージを受容するための受容体を持っているばかりでなく、脳もまた、白血球の間でやり取りされるリンフォカインのメッセージを監視するための受容体を持っている。


心の深淵(457)P.99
 自分自身の心の中を覗き込んでみるとき、私を支えている原理はあまりにも恥かしかった。人の心に深淵などという比喩を用いることは文学的な粉飾か欺瞞にすぎない。底の浅い欲望が、ごまかしょうもなくうごめいているだけなのだった。…私はひそかに…に執着しつつ、しかしこれまでの生活の形態を何一つ変えるつもりのない自分をはっきりと意識した。

心の単位(219)p.251
 プラトンやデカルトの身心二元論は20世紀の西欧の科学者にとっても疑問の余地のない真実と受け止められている。脳外科のペンフィールドやノーベル賞を取った生理学者のエルックス卿は明確な二元論を主張する。エルックスは言う。大脳皮質において、樹状突起からなる単位をかれはデンドロンと呼ぶが、それと心の単位であるサイコンとが、相互作用するのである。

心の哲学者(429)
 M・シエラーは言う、「哲学は今日まで、歴史的にはその起源を古代の思考法にもつ偏見に屈している。その偏見は、精神の構造に全くふさわしくない『理性』と『感性』の分離のうちに存する。‥ごくわずかな思想家だけがこの偏見をゆさぶった。…そのような思想家のうちで私は、アウグスティヌスとプレーズ・パスカルを挙げる」(飯島他訳)。このため心情の思想家、心の哲学者という呼称がアウグスティヌスに当てられる。…彼は知識よりも愛を重んじた。知識は人を高慢にするが、愛は人を謙虚にするからである。彼は教会の堕落をラディカルに非難するドナトゥス派に対して、愛による寛容を説いた。『神の国』の中では自己愛を中心として生きる危険を指摘し、神への愛と隣人愛をすすめた。聖書の教えの中心が愛であることを彼はくり返し強調している。A・ニグレンは、アウグスティヌスにおいてギリシア的愛エロスとキリスト教的愛アガペーが混合されていることを批判する。しかし、両者の総合こそ彼の貢献である。

心の中のこども(374)コエーリョ
 私たちは、心の中の子どもが私たちに言うことに、もっと注意を払わなければなりません。この子どもにぴっくりしてはいけません。この子どもを怖がらせてはなりません。まなぜならこの子どもは独りぼっちで、しかも、ほとんど一度も注目されたことがないからです。私たちはこの子どもに、自分の人生のかじを取らせなければなりません。この子どもは、一日一日が他の日と違うということを知っているのです。私たちはこの子どもに、もう一度、愛されていると感じさせてあげなければなりません。この子どもを喜ばせてあげる必要があるのです。たとえそのために、今までと違った、他人には馬鹿げて見える行動をしなければならないとしても。

心鈍き者(450)
 パウロは自分のことを語って、「あなたがたは喜んでおろかなる者を忍ぶ」と言い、それと逆の言いかたで「私をおろかなる者として受け入れたまえ」と述べ、また「私は今神によって言っているのではない、おろかな者として言っているのだ」と述べ、さらに別のところでは「私たちは、キリストゆえにおろかなる者となった」と言っています。痴愚女神が讃美されているではありませんか! またそれは、なんというひとの口からでしょう!パウロはさらに一歩進めて、痴愚こそ救いに不可欠であると断じて、「あなたがたのうち、みずから知者だと思っている者は、知者となるためにおろかな者となりなさい」と言っていますよ。またルカによりますと、キリストはエマオの道で会ったふたりの弟子をば、「心鈍き者」と呼んでいるではありませんか? これは少しも驚くにはあたらないと思いますね。なにしろパウロは、神ご自身にも痴愚めいたところがあるとしているのですからね。

心の欲する所に従い(508)
 【子日はく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩を撤えず。】
 孔子が晩年に自分の生涯をふりかえったことばとして、きわめて有名な章である。「志学」「而立」「不惑」「知命」「耳順」ということばは、それぞれの年齢をあらわす意味で今も使われる。「天命を知る」ということばは、朱子学の解釈に従って、内在的な道徳的使命の自覚とみる説が有力であったが、実は皇侃の疏で「天命とは窮通の分をいう」といわれているように、人生がゆきづまったりうまくいったりするその分限、つまり運命としての意味が強い。五十歳の半ばに、政治社会での転変をへて亡命の旅に出ることになった孔子は、そうした転変を通して、大きな運命のカとそれをうけとめる積極的な主体のカとを自覚するに至ったのであろう。この自覚があって初めて「耳順」がそれに重なってくる。そして、「心の欲する所に従って、短を蹄えず」は、孔子のゆきついた最高の境涯で、道徳の極致ともされる。それは内外の合一であり、自由と規範との一致であった。


乞食をやとうな(533)
 モーツァルトはなぜイタリアに永住しなかったのだろうか。ローマ教皇から黄金拍車勲章「黄金の騎士」を授与されるなど、生涯に二度とない栄誉に輝き朝野の絶讃を浴びたではないか。イタリアでの作曲の報酬は記録によるとかなりよかった。なぜ彼ら父子は「イタリアを去ることは辛い」といいながら春浅いブレンナー峠を北に向かい、二度とイタリアに戻らなかったのだろうか。イタリア貴族たちのモーツァルトへの熱狂ぶりはすさまじいものがあった。しかし、北イタリアは18世紀の当時オーストリア帝国領だった。オーストリア領以外の地にも、オーストリアのハプスプルク家系の貴族たちがたくさんいて、彼らが政治的な実権を握り、宮廷音楽家採用の決定権も持っていた。彼らオーストリア系の貴族たちはモーツァルトに冷たかった。
 音楽之友社から出版されている『イタリアのモーツァルト』(戸口幸策訳〉を読んで私ははじめて女帝マリーア・テレーlジアの親筆の手紙の写真を目にしたが、彼女の書簡にはっきり書かれていることばによると、オーストリアの王家と貴族にとって、モーツァルト父子は金銭を求めて走りまわるさもしい「乞食」でしかなかっ女帝はそう断定している。ここに理由がある。そんな乞食をやとうな、と女帝は書いていたのだ。

ゴシック(57)(183)
 パリ郊外を北に行ったサン・ドゥニの修道院教会堂が、それ以前のロマネスク様式から脱却したゴシック様式の発祥とされている。1140年に建築がはじまった。(57)
ガラスなしに壁を多用した空間を暗く内部に閉じ込めた巨大な穴倉とも言うべきロマネスク様式の聖堂は非連続の臨界点たる死をただひたすら思うところであった。ゴシック様式ではカタルシスからエクスタシスへの連続構造を建築によって視覚化した。それが天へ高く昇っていく尖塔であり、空間を押し上げるアーチであり、ステンドグラスであった。


ゴシック(405)
 「ゴシック」という言葉は、ルネサンスの人々にとっては、ローマ帝国を打倒した野蛮な「ゴート人の」という意味(ゴシックの語源はここにある)であったが、17世紀以前のイギリス人にとっては、建築用語であるよりも、まず、彼らの祖先が退廃したローマからヨーロッパを解放することによって獲得した、政治的自由を意味したという。

ゴシック建築(405)

枯草熱(302)
 こそうねつ。Hay fever。枯草熱に関する記述は紀元前にまでさかのぼる。1819年、英国の内科医ボストックは、そのがアレルギーの発症と季節に関連があることに気づいた。これが花粉症である。

古代エジプトのナポレオン(293)
 トトメス3世。前1490年ころ〜前1436年に在位した第18王朝第5代の王。義理の母ハトシェプスト女王に長い間実権を奪われたが、女王の死後実権を握りパレスチナ・シリアに17回も出兵してカデッシュなどを制圧し、ミタンニを撃退した。古代エジプトのナポレオンと称される。
 
コダック・エクトラ(95)
 米国のライカ・コピーは戦時中やむを得ずトライしたカードンだけである。アメリカがライカに挑戦して独自のスタイルの頂点となったのが1941年のエクトラ。50〜254mmのズーム・ファインダー、1/1000布走りフォーカルプレーン、インナーカセットによるカラー/モノクロ使い分け等で機能的にはライカ以上のものをもっていた。

牛腸茂雄(269)p.97
 牛腸茂雄という1983年に36歳で死んだ写真家を再評価する特集を、ある季刊誌が組んでいる。…一度会えばほとんど忘れがたい人である。それは何より、彼が3歳の時に胸椎カリエスを患い、下半身を長い間ギプスで固定し終日石膏ベッドの上で寝たきりの日々を送り、結果として体の成長が止まった小さな姿形の人だったからである。…アーバスは「傷つくことを恐れながら生きている」私たちと違って、すでに傷つき「試練をもう超えている…貴族」として「奇形の人たち」を語っていたが、「三流程度の写真家で終わるようであったなら、ぼくは写真家をやめたい」と姉への手紙に書いた牛腸茂雄も、その”貴族の末裔”を意識していたに違いない。

コックスの永久機関(107)
 ただ一人だけ例外として永久機関を作った男がいる。ロンドンの時計師ジェームス・コックスである。微小な気圧変動による水銀柱の移動でワンウエイクラッチを介してネジをまくことで、永久に動く時計を作った。

コックピット(179) 
 闘鶏場。闘鶏シャモが籠から首を出してキョロキョロする姿に似ていることから名付けられた。

ゴッド・ギャップ(401)
 主流派や福音派という区別を無視して、教会に通う頻度と共和党支持率を比較してみると、次のページのグラフのように、非常にきれいに正比例している。教会によく行く人は信仰の深い人であり、信仰が深い人ほど共和党支持傾向が強いということだ。逆に、教会にあまり行かない世俗的な人ほど民主党支持傾向が強い。この傾向はゴッド・ギャップ(神のなせる格差) と言われ…。

固定ド唱法(292)
 園田高広をはじめとして、園田清秀の絶対音感教育を受けた子どもたちが記憶した音名は、イタリア音名のドレミである。これは、日本音名のハ音をドと固定した読み方をする、固定ド唱法という。一つの音には一定の周波数が対応し、一つの名前がつけられる。1939年のロンドンの国際会議で定められた基準音によれば、A=440ヘルツがラであり、C=約261がドに対応する。
それに対し、文部省主導の義務教育における音楽は、原則として移動ド唱法を採用している。移動ド唱法においては、ドレミは音名ではなく階名といい、何調であっても長調であっても長調の主音はド、短調の主音はラとなる。しかし絶対音感を固定ドで記憶した人は、こういう歌い方はなかなかできない。


古典(430)
 一つの書物が古典であるということ、…それが繰返し読むに値するものであるということは、それがその時代の支配的体制やその体制を支持している既存の学問にたいして、批判的であることのうちに示されている。その点は宗教でも学問でも同様である。国家公認の宗派や権力と結びついた学問は、当初はともかく、その支配や権力が続くあいだに、しだいに特権や権力になれ、それを喪うことを怖れるようになり、初期の新鮮さと誠実さと大衆性とをうしない、しだいに現状維持的、守旧的なものになり、黎廃的なものになっていく。この体制保守的な権力やその背理に正面から対抗し、すべてのことをその原点にもどそうとするものが、古典の名に値するのである。
 だから体制批判的な古典は、いつの時代にも、つねに時の権力から迫害され、学界からは閉め出されるものであるが、スミスの『国富論』のばあいには、かれはその著作の全巻をあげて、時の支配的理論や政策的実践や企業のビヘービアにたいして闘争をいどんだにもかかわらず、『国富論』は出版と同時に広く歓迎され、単に学界のみならず、時の政界からも、スミスの所見はおおいに歓迎された。これはまことに不思議なことでもあり、スミスにとっては幸運なことでもあった。あるいはスミスが『国富論』で論難の対象とした政府の統制や独占会社のやり方や、それらを支えてきた従来の「重商主義」的な主張は、すでにひさしくその矛盾を露呈しており、また学問としてゆき詰まっていたのだから、それらはスミスの『国富論』のひと押しでたちまち葬り去られてしまう運命にあったのだ、と言えるのかも知れない。


古典のミイラの街(526)
 シュタイナーは、ゲーテの精神による一種の文化刷新を目指していたのである。しかし、そのような彼の努力を理解するものはほとんどいなかった。共に編集に携わっている人々の大半は、職人の組合意識に似た意識をもち、人間全般についての深い関心を欠いていた。細かいことだけを気にするものもいて、それがシュタイナーを苛立たせ、傷つけた。ワイマールでは人は改革することではなく、維持することを求めている、と彼は思った。一年半前、大きな期待を抱いてこのゲーテの街にやってきた彼は、すでに1891年3月には、手紙にこう書いている。「ここ、古典のミイラの街ワイマールでは、私には人生や仕事が冷たく、よそよそしいものに感じられるのです。」

別天つ神(505)ことあまつかみ
「古事記」上巻は、次のような一文から始まる。「天地初めておこりしときに、高天原に成りませる神の名は、アメノミナカヌシ」と。
 続いてタカミムツヒ、カムムスヒという二柱の神が生まれる。しかしこの三柱の神は男でも女でもない。「独り神」だったために、子孫を残すこともなく姿を消してしまう。いっぽう、地上はまだ固まっておらず、やわらかい泥がクラゲのように海面にプカプカと浮いて漂っている状態だった。この泥のなかから、葦の芽が萌え出るように出現したのがウマシアシカビヒコヂと、アメノトコタチなる二柱なる神だが、彼らも「独り神」だったために姿を消してしまう。ここまでの計五柱の神々を「別天つ神」と総称する。


孤独と欠如(385)
 そして多くのグールド・ファンは、彼の孤独に自分自身の孤独を投影することによってグールドを偶像化し、グールドを偶像化することによって自らの欠如を慰撫している。グールドを論ずる者の多くが「孤独」に言及し、グールドを語るのと同じ程度に自分自身を語りたがるのが、その何よりの証左である。ところでこの「孤独」 こそ、グールドが制作したラジオ・ドキュメンタリーの基本モチーフにほかならなかったことを考えれば、グールドをめぐるさまざまな言説は、グールドが発散した餞舌に自ら進んでからめ取られることによって、グールドという自己の分身を「複製」している、と言っても間違いではないように思われてくる。たしかにグールドが予期したように、情報技術は新しい種類の聴き手を生み出しはした。しかしそれは、「解放」 ではなく新しい種類の欠如をも生み出したということを、我々は忘れるべきでないだろう。

言葉なしの思考(351)
 20世紀の初め、著名なアメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズは、自分が同僚とよく討論しあったお気に入りの話題は「言葉なしでの思考は可能かどうかだった」と述べている。ジェームズの言では、それは全く可能で、人は各自各様の方法で思考する。「ある人については視覚的なイメ−ジが支配的だし、別の人については触覚がもたらすイメージが支配的である」。二十世紀後半の科学史家たちは、ルードヴイッヒ・ボルツマン、アルバート・アインシュタイン、ニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルクなどの人々が、現代物理学を展開するに際して、絶えず心像を利用していたことを証拠立ててきた。アルバート・アイソシュタイソは、自分はともかく言葉で考えることはめったになかったと述べた。彼は視覚的な「粗削りの」イメージを、「骨を折って」型どおりの文字と数式による言葉に変換しなければならなかった。

言葉のフェティシズム(218) p.14
 言葉はあらかじめ存在しているモノに与えられた名称ではない。そもそもモノはあらかじめ存在などしていない。世界は言葉によって切り取られ、はじめてある同一性を与えられ、モノとしての存在を主張しはじめるのである。ところが人はモノの存在を絶対的なものとみなし、モノを崇拝してやまない。これぞ根元的なフェティシズム(呪物崇拝)である。
 
子供(225)p.17
 ジャン・ピアジェは言う。子供が前へ動くとき、動くことによってかれの後で生じる風が、かれをさらに前へ押し出す。ロックにとっても、「子供」は自分が動くことによってまきおこる風にのって全身していく、力そのものである。上の手が子供を押し出すのではない。ロックが家庭教師として、子供のうちに発見した「自然」とはこの子供自身の力である。野獣性と傲慢。身体の自然な動きと活力。教育は理性の監視によって、この野獣性を正しい作法へとみちびき、身体の自然性をのばしていくものと考えられた。ロックの紳士の理想がそこにある。

子ども(393)
 …忌まわしい兆候が、幼児虐待の現象であった。ドストエフスキーは、この虐待がロシアのいたるところで行われ、「きわめてありふれたこと」と化している事実を憂えて、次のように書いている。「子どもたちを尊敬しなければならない。彼らの天使のような顔や無垢にたいして、感動を与えるその頼りなさにたいして、尊敬の念をもって接しなければならない」

コドン選択(79)
 分子生物学という歴史的には生まれたての学問が誕生した後に教育を受けた方々は、コドン選択という考え方をすでに確立した事実として教わったであろう。これは遺伝子塩基配列がランダマイズされた、混沌を代表する塩基配列から蛋白をコードするように自然淘汰されて生まれたから、自然淘汰の対象となったコドンが遺伝子の情報伝達単位であるという大幻想によって生まれた迷信にすぎない。

コナトゥス(541)
 スピノザの場合、感情もまた自然の産物として、他の自然物と同様に冷静に、客観的に考察されねばならないことが強調される。もろもろの感情のうち、まず「欲望」「喜び」「悲しみ」の三つの基本的感情をあげ、これらのいずれも自己の存在を維持する「努力」(コナトゥス)、換言すれば自己保存の努力に関係している。この「努力」は、形市上学的には事物の「現実的本質」とみなされているが、感情の場合、これが精神によって意識されたとき「欲望」となる。そしてこの努力がより完全なものになるとき喜びの感情が生じ、その反対のとき悲しみの感情が生じる。

この世のはかなさ(552)
 「あの日本人たちは・・私の長い滞在生活でわかったことですが…この世界のなかで最も我々の信仰に向かぬ者たちだと思うからです」
神父はその時、皮肉な苦笑を頬から消して、今度は悲しそうな眼差しでベラスコを眺めた。「日本人には本質的に、人間を超えた絶対的なもの、自然を超えた存在、我々が超自然と呼んでいるものにたいする感覚がないからです。三十年の布教生活で…私はやっとそれに気づきました。との世のはかなさを彼らに教えるととは容易しかった。もともと彼らにはその感覚があったからです。だが、怖ろしいととに日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っているのです。その能力があまりに深いゆえに彼らはそとに留まることのほうを楽しみ、その感情から多くの詩を作っております。だが日本人はそこから決して飛躍しようとはしない。飛躍して更に絶対的なものを求めようとも思わない。彼らは人間と神とを区分けする明確な境界が嫌いなのです。彼らにとって、もし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかはなれるようなものです。たとえば彼らの仏とは人間が迷いを棄てた時になれる存在です。我々にとって人間とはまったく別のあの自然さえも、人間を包みこむ全体なのです。私たちは、彼らのそのような感覚を治すととに失敗したのです」
司教たちは思いがけないヴァレンテ神父の言葉に重く沈黙した。遠い国に送られた宣教師のなかでとれほど絶望的な言葉を洩らした者は今までなかった。


この病は死にいたらない(490)キルケゴール
 キリストがそこにいるということが、この病が死に至るものでないということを意味しないだろうか!
またラザロが死人の中からよみがえらされたとしてす、結局は彼が死ぬことで終わるのたとすれば、それがラザロにとってなんの役にたつというのか−もしキリストが、彼を信じるすべての人にとってよみがえりであり生命であるような方でないとすれば、それがラザロにとってなんの役に立つというのか! いな、ラザロが死人の中からよみがえらされたから、この病は死に至るものではないといえるのではなく、むしろ、キリストがそこにいるからこそ、この病は死に至らないのであるというのは、人間的にいうならば、死はすべてのものの最後であり、また人間的にいうならば、生命あるかぎり希望があるのである。しかしキリスト教的に理解するならば、死はけっしてすべてのものの最後ではなく、死もまた、すべてのものかそこで存在する永遠の生命の内部における一つの小さな出来事てあるにすぎない。またキリスト教的に理解するならば、端的に人間的にいって、たんに生命があるというだけではなく、この生命が健康と力に満ちている場合よりもはるかに多くの希望が、死のうちにあるのである。


コパン(TV)
マヤの科学宗教都市。ニカラグァ湖のオメテペ島には6000年前の岩絵が残る。

子羊の即位(396)ヨハネ黙示録
 そして私は、一人の力強い天使が、大声でこう触れているのを見た、「この小巻物を開き、その封印を解くにふさわしい者は誰か」。天上でも地上でも、また地下においても、その小巻物を開くことも、その内側を見ることもできなかった。これを聞いて、私は泣きに泣いていた。
…すると、私は玉座と四匹の生き物の問、24人の長老たちの真中に、屠られたような小羊が立っているのを見た。その小羊は七つの角を持ち、七つの目を持っていたが、それら七つの目とは、全世界に遣わされた神の[七つの]霊であった。
…彼らは、次のように歌詞を口ずさんで、新しい賛美の歌を歌った、
  「あなたは、小巻物を受け取り、その封印を解くにふさわしいお方、
  なぜなら、あなたは屠られ、あらゆる部族とあらゆる国語の違う民と
  あらゆる国民とあらゆる民族の中からあなたの血潮によって、
  人々を神のために購われ、彼らをば私たちの神に仕える祭司たちとなし、
  そして彼らが支配する王国を造り上げたからです。


コピーレフト(256)
 GNUのリチャード・ストールマンが広く使いだしたものでソフトウエアの、「複製や再配布の自由」を主張するもの。コピーレフトの主張は著作権(copylright)に基づいた当然の権利だという。一般公有使用許諾書(GPL)と呼ばれる。GPLの規定によれば、お金は問題ではない。誰かが払うというなら、100万ドルで売ってもいい。でも、ソースコードは公開しておかなくてはならない。そして、買った人ももらった人も、作者と同じ権利を有さるばならない。リナックスは、この考えによる著作権表示がされている。

コプト教(221)p.35
 エジプトで定着したキリスト教の異端的一派。元々イエスが処刑された後復活する話はエジプトの宗教観が出ている。古代エジプトの宗教観の最大のポイントは「復活」である。毎年ナイルの氾濫での復活再生、太陽神ラアが夜になると死し、朝復活する思想はイエスを強く印象つけ、自分が死しても復活することを確信したのだろう。またイシス女神がオシリスの子を処女懐胎する話はそのままマリアの伝説に使われる。このようにキリスト教はエジプト文化の影響を受けて発展し、コプト教としてエジプトに戻った。

コプロラリア(373)
 音声チック、卑猥な暴言を抑えられずに吐き出してしまう症状。似た言葉にコプロファギーがあるが、これは食糞行動。

コペルニクス仮説(264)P.54
 コペルニクス仮説はヨシュアの奇蹟についての「聖書」の記述と矛盾するかに見える。すなわち、戦いの時間を長引かせるために太陽を停止させることをヨシュアが神に願ったところ。太陽は神の命に従って天の中空に止まって動かず、一日の長さが倍になったというのである。太陽が動くのがあたりまえだとする考えがこの記事に含意されていることは明らかである。しかしケプラーの立場からすれば、ヨシュアの願いを知った神が地球の運動を停止させたために、ヨシュアには太陽が止まったかのように見えたのである。

コペンハーゲン解釈(242)p.53
 電子は粒子としてしか現れないのに、そのふるまいは波として捉えなければ説明することができない。現在一般的に受け入れられているのが、ボーアが「波の収縮」とボルンの「確率解釈」に基づくのがハイゼンベルグらのコペンハーゲン解釈。シュレディンガーの波動関数は、波として表される。各点での波動関数は波として広がっていて、電子はA点で発見されるか、B点で発見されるか、観測されるまで分からない。しかし同じ状況で観測を繰り返すと、各点で発見される確率はその点の「波の高さの二乗」に比例する。

コモリン岬(230)
インド大陸最南端の岬。

小山稔(326)
 1934年生まれ、東京理科大卒後、スタンレー電気に入社。東北大西澤研との共同研究を足がかりに、赤から黄緑までのLEDの開発・実用化のリーダを努めた。93年、日亜化学に技師長として入社し、中村修ニが取り組んでいた青色LEDの製品化を指揮。01年66才で退任した。青色LEDの製品化貢献に一人中村の名が上げられるが、もう一人上げるとしたら、この名前か。

■コラーゲン
(424)
 身体の中の特定のタンパク質を補うために、外部の特定のタンパク質を摂取するというのはまったく無意味な行為なのである。…私たちはしばしばこのような欠乏の強迫観念にとらわれがちである。…コラーゲンを添加された食品の中には、ご丁寧にも「吸収しやすいように」わざわざ小さく細切れにされた「低分子化」コラーゲンというものまである。…食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。…コラーゲンを構成するアミノ酸はグリシン、プロリン、アラニッといった、どこにでもある、ありきたりなアミノ酸であり、あらゆる食品タンパク質から補給される。他のアミノ酸を作り替えることによって体内でも合成できる、…もし、皮膚がコラーゲンを作り出したいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子化したものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなりえないのである。

■コリンヌ・メンツェロプーロス
(358)
 「あるシャトーで高品質のワインが生産可能かどうかは、所有者がどれだけ愛情をそそぎ込み、財政的なバックアップをしてくれるかにかかっている。特にシャトー・マルゴーは、そのワインがともすれば軽く、味わいの薄いものになってしまいがちな繊細なスタイルであるために、最も所有者の愛情を必要とする」 …現在のシャトー・マルゴーはコリンヌ・メンツェロプーロスという美しく献身的な女性の愛情を一身に受け、毎年ボルドーを代表するワインを生み出しています。

■ゴルフ・ジョアン
(138)
 エルバ島に流されたナポレオンが脱出し、1815年フランスに再上陸したカンヌの東の地。そこからグルノーブルまでの330キロを「鷲は鐘楼から鐘楼へとはばたきやがてノートルダムに達する」と語りつつ7日で走破し、民衆の歓呼の声の中復活を遂げる。これがワルテルローで決定的敗北をする100日天下の始まりであった。 
 
コルンバ(118)
 アイルランド王国の一員、他の12人とともに「聖コルンバの兄弟団」として、6世紀にスコットランドにキリスト教を布教したケルト僧。

これだけのことなのだ(493)トルストイ
 《すると、つまり、これだけのことか?》とネフリュードフは、これらの言葉を読みながら、とつぜん声にだしてこう叫んだ。と、彼の全存在の内部の声が、こう言った…《そうだ、これだけのことなのだ》
 《だが、どうもこの問題が、こう簡単に片づけられるはずはない》と、ネフリュードフは自分にに言った。


コロス(297)
 ギリシャ劇にはコロスと呼ばれる合唱隊が登場するのだ。彼らは舞台の背後に立って、声を揃えて状況を解説したり、登場人物の深層意識を代弁したり、ときには彼らを熱心に説得したりする。

コロッサス(194)
 ナチスの機械式生成法による暗号エニグマを解読するためにイギリスの数学者テューリングが開発したコンピュータ。

コロナッハ(333)
 ケルト人の習俗の歌で葬式に歌われる哭歌。とくに種族の長や、それに匹敵する者の死の時に歌われ、故人の生前の徳や思い出を、詩的な文句で朗読ふうに歌う。比較的正確なリズムで聖歌のように敬虔に歌われる。

ゴロホヴァヤ通りの家(419)
 そして毎日ゴロホヴァヤ通りの家で、彼(ラスプーチン)の恐怖を鎮めるために、眩惑的な狂乱と陶酔の舞踏が行われたのだった。…1916年11月の末、ゴロホヴァヤ通りの家の雰囲気はますます緊迫したものになっていった。外面的には同じせわしない騒ぎが続いていた。電話のベルが絶え間なく鳴り、応接間や食堂や寝室では、女たちが老いも若くも、青白い者も化粧した者も、蜂のようにぶんぶん群れをなして、やって来たかと思うと立ち去り、山のようなお菓子や花や、何かの箱を持って来た。その全てが散乱していた。ラスプーチン自身はよれよれの姿で眼をきょろきょろさせていたので、時折、追い詰められた狼のように見えた。…この怪しく殺風景な家に何かが迫っている。…ジュコフスカヤはこう回想している。

コロラトゥーラ(333)
 colorature(伊)。速い経過句や走句、トリルなどのような技巧的で華やかな旋律。
(356)花飾りの意。


コロリョフ(375)
 ある日「シャラーシカ」(研究開発特殊収容所)のテルミンのもとに一人の若い助手が送り込まれてきた。後にソ連宇宙開発計画の中心人物となる若き日のコロリョフであった。…また、二人は共同で航空機の実験用模型を作るなどした。きれいな図面を引き、ロケット理論に精通し、テルミンをして驚くべき人物と言わしめたコロリョフも非凡な才能の持ち主であった。ソ連宇宙計画の父と称されるコロリョフは、その卓越した指導力によりスプートニク計画、ヴォストーク計画等を成功に導いたソ連宇宙開発計画の立て役者である。社会主義労働英雄の称号を二度授与され、レーニン賞も授与され、クレムリンの壁にその名が刻まれている国家的英雄だった。1966年、結腸癌の手術中の事故で落命してしまうが、ソ連が有人月着陸計画に失敗したのも、そのプロジェクトの進行中にコロリョフを失ったことによるところが大きいと考えられている。

コロンブスの卵(17)
 中谷宇吉郎の「立春の卵」に、卵を立てる実験の話が載っている。卵が立たないというのは、立てようと努力しないことと、コロンブスの卵の逸話を信じ込んでいるだけにすぎない。カラの表面のザラザラが3点突起となって立つ。

コンキュピサンス(467)
 アンブロシウス、アウグスティヌス、ロンバルドゥスなど先人によってよく使われたこの語は、「邪欲」とも「むきぼり」とも訳すこと、ができる。それは人間性の奥底にひそみ、これを侵す無意識的な欲望、とでも解することができようか。
(カルヴァン)は『キリスト教綱要』で、人間の本性をコンキュピサンスとよんだ人々は不穏当なことばを使ったわけではないと述べ、その理由は、「人間のあらゆる部分が、悟性から意志にいたるまで、魂から肉にいたるまで、この邪欲に染まり満ち満ちていて、一言でいうなら人間それ自体邪欲にはかならない」からであるといっている。

根源植物(496)
 彼が自然について言った言葉は非常に多いが、その中に自然は私にとって神だという表現もある。それには彼の熱心に読んだスピノザの影響もあるが、その神がほとんど生命、生長ということと同意義であるのは彼の思想の大きい特徴で、これは近代現代において有力な自然機械観とは正反対の思想である。
 具体的な自然観察の眼目は…動植物がおのが固有の性質を保持しつつ環境に弾力的に適応して驚くべき多様性を生ずる変化の有様を、自然の示す形態に即して把握しようということにあった。…比較は個物の特殊な相を越えて、その根原にある共通のもの、同一的である根原的典型を指示する。その典型に糊ろうと努力し、また予感されるその典型から多様な個物へ発展するさまを跡つけようとするのが彼の意図である。いわば大自然の創造作用を追体験しようとするのである。彼の根原植物という思想もそのことの明白な表明である。


コンスタンチーヌ(10)
ヌミディアの古都。世界にはじつにさまざまな都市があるが、コンスタンチーヌは私が見聞たどの都市よりも、異様な度肝を抜くようなたたずまいを見せているのだ。ルンメル川が岩山をえぐって深い渓谷を作り、その谷の両側に町が作られているのである。市街は断崖絶壁に接しており…。
 
コンタックスS(167)
 戦後の東独ツァイス・イコン社が完成した世界初のプリズム式一眼レフ。Sはシュピーゲル(反射鏡)。アメリカではペンタコン(五角コンタックス)の名で発売された。画期的なのに妙にデザインがつつましい。ただし交換レンズは豊富だった。
  カール・ツァイス……イエナ
  マイヤー………………ゲルリッツ
  エンナ…………………ミュンヘン
  キルフィット
  イスコ…………………ゲッチンゲン
  ローデンシュトック…ミュンヘン
  シャッハト……………ウルム
  シュナイダー…………クロイツナッハ
  シュタインハイル……ミュンヘン

 
コンタフレックス(204)
 ドイツ一眼レフの最多発売台数120万台を20年間で記録した戦後ツァイスの代表機種。シャッターボタンを押した後の動きは忙しい。押すとシヤッターが閉じ、絞りが絞り込まれ、ミラーと遮光板が退避し、シャッターが開いて閉じる。最も複雑な機構を持つカメラである。設計としての合理性はフォーカルプレーンに分があるが、ツァイスがコンパーとプロンターという二大シヤッターメーカを吸収したことで、これを使う必要があった。
 1953年 コンタフレックスT……テッサー45mm コンパー
 1954年 コンタフレックスU……Tにセレン露出計を取り付け
 1956年 コンタフレックスV……テッサー50mm コンパー
 1956年 コンタフレックスW……Vにセレン露出計を取り付け
 1957年 コンタフレックスアルファ……パンター50mm プロンター
 1956年 コンタフレックスベータ………アルファにセレン露出計を取り付け
 1958年 コンタフレックスラピード……テッサー50mm レバー巻き上げ
 1959年 コンタフレックスプリマ………パンター50mm セレン露出計
 1959年 コンタフレックススーパー……テッサー50mm 追針露出計
 1962年 コンタフレックススーパーB…テッサー50mm AE露出計
 1964年 コンタフレックススーパーノイ…外観はスーパーB 追針露出計
 1965年 コンタフレックススーパーBC…テッサー50mm CDS−AE露出計
 1967年 コンタフレックス126……カセットフィルム対応
 1968年 コンタフレックスS…スーパーBCに特殊スプール。ロゴ変更。

  
コンツールファインダー(95)
 両目で見る単体ファインダー。ファインダーの対物面は黒い板で遮られているが、画面枠の線の部分だけは透明になっているので、ファインダーを除いた片目は透過する輪郭線だけを見ることができる。もう一方の目が被写体を見るので、両目の画像が合体して、枠付の画像となる。これがブライトフレームの原形となる概念で、戦前からすでにあった。

コン・ティキ号(365)
 ポリネシア人たちがアジアからやって来たとすれば、彼らは風と海流に逆らわなければならなかったはずだ。逆にアメリカからやって来たとすれば、そうした自然現象に助けられながら航海をつづけたことになる。太平洋を探検した最初のヨーロッパ人はスペインの航海者だったが、彼らも東から西への一方通行しかできなかった。…ポリネシア人の起源にかんするヨーロッパ人の意識論争は、二百年もつづいてきた。考古学的、言語学的証拠と、ポリネシアで見られる家畜と植物のタイプはすべて、彼らの発祥地が東南アジアであることを示している。ところがその一方で、ポリネシア人の起源をアメリカ大陸とする根強い伝統が残っている。最近では、ノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールがその説を蒸し返している。
ブライアン・サイクスは、たまたま休暇で立ち寄ったポリネシアのラロトンガ島でバイク事故を起こし、治療滞在中に、島民のミトコンドリアDNAを採取、これをきっかけにして、ポリネシア人は中国か台湾の沿岸から出発したという結論を得た。


今度こそ死ぬ(520)
 ただ彼(アンドレイ)自身、すなわち彼の心に関するものであった。この観念の頂きから見おろすと、(ボロジノの戦い)以前自分を苦しめたり、自分の心を支配したりしていたすべてのものは、突然ひややかな白光に照らし出されて、そこには影もなければ、遠近もなく、また輪郭のけじめさえなかった。彼には全生涯が幻灯のように思われた。彼はそのレンズをすかして人工的な光線で、長いあいだ人生を眺めていた。ところが、いま急にレンズをとって燦然たる真昼の光で、この拙劣に塗りたくられた絵を見たのである。『そうだ、そうだ、これが俺を興奮させたり、驚かせたり、苦しめたりした、あの偽りの木体なんだ。』自分の幻灯のような生活のおもなる光景を心のうちにくりかえして、それを今このひややかな白昼の光−−死に対する明白な考察で照らして見ながら、彼はこうひとりごちた。『これだ、あの美しく神秘らしく見えたものも、この拙劣に塗りたくられた映像にすぎないのだ。』

コンドラチェフの長波(77)
 ロシアのニコライ・コンドラチェフが1920年代に発表した50年周期の景気循環論。上昇の直前に技術革新等の経済条件を大幅に変える出来事が起こる。上昇期の間に戦争、革命が多く発生。下降期にはとりわけ農業部門で長期の恐慌が起こる。 シュンペータはこの長波の動因としての断続的で密集する技術革新の役割を重視して、
 第一のコンドラチェフ(1780〜1842)……産業革命
 第二のコンドラチェフ(1842〜1897)……蒸気機関と鉄鋼の時代
 第三のコンドラチェフ(1897〜    )……電気、化学、自動車の時代
とした。 

 
ゴンドワナ大陸(34)
 ウェゲナーが唱えた大陸漂移説で現在の各大陸が合体した超大陸。マントルの対流で説明する説もあるが、地球の物質が凝固するとき、その方位によって磁化される方向が決まので、現在の岩石の磁方向を調べて、それが現在の磁北極とズレていると、それが大陸移動の説明となるという説もある。
 

コンピュータ(48)
 電子計算機はだれが発明したかの議論は多い。大勢はペンシルバニア大学ムーア校のENIACに軍配をあげている。基本となる4大概念は、電子式、2進数、プログラム内蔵、逐次演算とされ、これを後から整理したのがフォン・ノイマンで、なぜかノイマン・コンピュータと呼ぶようになった。 最近では後者2概念をより重要視することから、ケンブリッジ大学のエドサック、マンチェスター大学のベイビー・マーク2を上げる意見が多い。

コンピュータ(249)バックミンスター・フラー
 人間はいまや、スペシャリストとしては、そっくりそのままコンピュータに取って換られうとしているのである。そして、人間自身は、生来の綜合的な能力を回復し、活用し、楽しむようにならなければならない。

コンプライアンス(100)
 力学的振動系を電気機械音響類似で考えるとき、容量に対応する量Cmで、各振動数ωとして、機械インピーダンスは 1/jωCm=−j/ωCm である。

コンポラ写真(269)p.29
 1966年12月にニューヨークで行われた「社会的風景に向けて」という写真展は"Contemporary Photographers" (同時代の写真家たち)という大タイトルの大タイトルの第一部で、……この第一部の写真集が日本に入ってきて若い写真家の共感を得はじめていた。大辻清司は、報告の中で「コンポラ写真」を、現象的には横位置が多く、それはカメラ機能を単純素朴に使おうとする態度の表明であり、ありふれた何気ない事象を、誇張せず1歩下がって、広々とした日常性とともに撮り込む、いくらか自閉的な表現と分析し、「主義としての明確な論理は見付からない」としている。

コンメルスブーフ(CD)
 酒宴歌集。1858年イェーナ大学の創立300周年記念に編纂されたドイツ学生愛唱歌集。宴席でビールをこぼしても、表紙が濡れないように表紙の四隅に鋲が打ってある。



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