語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-8-31 計82語
新着語
グレゴリオ改革、クレモナのゲラルド、グローステート帰納法、グレゴリオ聖歌、熊野を思う、グランド・シャルトルーズ、クム・ホラ・ウンデティマ、軍隊の散歩、クトゥーゾフの居眠り、君子は器ならず、空間と時間、


(381)
 大乗仏教は、もろもろの事象が相互依存において成立しているという理論によって、空の観念を基礎づけた。空とは、その語源は「膨れあがった」「うつろな」という意味である。膨れあがったものは中がうつろ(空)である。われわれが今日数学においてゼロと呼んでいる小さな楕円形の記号は、サンスクリット語ではシューニャ(空)と呼ばれる。…大乗仏教、とくにナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。−何ものも真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象にすぎない。その真相についていえば空虚である。その本質を「欠いて」いるのである。…無も実在ではない。あらゆる事物は他のあらゆる事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、常住と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆる事物の依存関係にほかならない。

空観(381)
 空観(くうがん)とは、一切諸法(あらゆる事物)が空であり、それぞれのものが固定的な実体を有しない、と観ずる思想である。すでに原始仏教において、世間は空であると説かれていたが(たとえば、「常に心に念じて、〔何ものかを〕 アートマン(我)なりと執する見解を破り、世間を空であると観察せよ。そうすれば死を度るであろう」 『スッタニパータ』)
 大乗仏教の初期につくられた般若経典ではその思想を受けてさらに発展せしめ、大乗仏教の基本的教説とした。…当時、説一切有部などのいわゆる小乗諸派が法の実有を唱えていたのに対して、それを攻撃するために特に否定的にひびく(空)という語を般若経典は繰り返し用いたのであろう。…一切諸法は空である。何となれば、一切諸法は他の法に条件づけられて成立しているものであるから、固定的・実体的な本性を有しないものであり、「無自性」であるから、本体をもたないものは空であるといわねばならぬからである。そうして、諸法が空であるならば、本来、空であるはずの煩悩などを断滅するということも、真実には存在しないことになる。かかる理法を体得することが無上正等覚(さとり) である。
 菩薩は無量無数無辺の衆生を済度するが、しかし自分が衆生を済度するのだ、と思ったならば、それは真実の菩薩ではない。かれにとっては、救う者も空であり、救われる衆生も空であり、救われて到達する境地も空である。また身相(身体的特徴)をもって仏を見てはならない。あらゆる相はみな虚妄であり、もろもろの相は相に非ず、と見るならば、すなわち如来を見る。かかる如来には所説の教えがない。教えは筏のようなものである。衆生を導くという目的を達したならば捨て去られる。


空間と時間(488)
【空間は人間の主観的条件である】空間は、あらゆる現象の形式にほかならない、つまり、空間は感性の主観的条件である。この条件の下でのみ、われわれにとって外的直観が可能となる。それだから、我々は人間の立場からのみ、空間とか拡がりのあるものについて語ることができる。
 じつは、時間も人間の側のものである。時間はそれだけで存立する何かではない。また客観的規定として物に付属しているような何かでもない。したがってまた物の直観を成立させる主観的条件をすべて除きさっても、なおあとに残るような何かでもない。空間と時間はともに、カントによれば、「感性的直観の二つの純粋形式」なのだが、その両者とも、モノに付属するような客観的規定なのでは断じてない。空間と時間は、人間の認識の主観的条件、つまり、直観なのであって、その主観的条件を除いてしまったら、空間も時間も残らない。
 分かりやすく言えば、時間・空間は、ものそのものが成立するための条件ではなくて、ものについての人聞の認識が成立するための条件である。つまり、時間・空間はものの側にあるのではなくて、認識する側にある存在である、ということなのである。つまり、カントによれば、世界についての人間の認識が成立するためには空間・時間は不可欠であるが、世界そのものが成立するためにそれらが不可欠であるとは言えない、ということになる。客観的存在としての時間・空間ではなく、世界を時間・空間という人間認識の枠を通して見る、ということなのである。
では、時間・空間という枠を通さない世界そのものはどんなようすなのであろうか?それこそが物自体であって、そんなもの自体がどんな様子をしているか、などいうことは、我々人間には知りえないのである。我々人間が正当に知り得るものは、時間と空間という枠内にある存在、つまり「現象」だけなのである。


偶然とか天才とか(521)
 「偶然は状態をつくり、天才はこれを利用した。」と歴史は言っている。しかし偶然とは何か?天才とはなんぞや?
偶然とか天才とかいう言葉は、なんら実在のものを言い表わしていない。したがって、定義のしょうがない。これらの言葉は、ただ現象理解のある程度を意味するに過ぎない。わたしは、なぜしかじかの現象が起るかを知らない。また、とうてい知ることはできないと思う。したがって、知ろうと思わない。そこで、偶然なる言葉を用いるのである。また、わたしは一般の人間的資質と釣り合いのとれない作用を起す力を見て、しかもその起るゆえんがわからない。そのとき天才と言うのである。


クェーカー(418)
 クェーカーは、17世紀中葉ジョージ・フォックスの創始した宗派で、フレンド教会の正称がクェーカーの俗称に取って替えられたのは、内的光明の霊感に打たれて信徒が「震える」さまが見た目にいかにも異様だったからである。17世紀の創立期にはさまざまな迫害に苦しめられたが、英国では1689年に宗教活動を公認された。聖書よりは魂のうちなる「内的光明」を重んじる神聖義的性格がやや異様であるとはいえ、18世紀末にはスウェーデンボーリ主義者にも通い合うところのあるいくぷん風変りな新教徒の一派にすぎなかった。

クォーク(62)
 次々に発見されたり理論的に予想される素粒子群を、各粒子間の力を統一し、マレー・ゲ ルマンがクォークと名づけた。この造語はゲルマンがジョイスのフィネガンス・ウェイク に出てくる「ある造語」にならって付けたといわれる。  

クォンタム・ファンド(133)  
 ホロコーストを金と知恵で生き延びたジョージ・ソロス(元のハンガリー名:デュード ゥ・ショロッシュ)が1969年設立したオフショアのヘッジ・ファンド。クォンタムと は量子である。ハイゼンベルグの不確定性原理は、原子未満の要素の行動を予測すること は不可能だという、その考えは市場がつねに不安定で流動的であるというソロスの信念に 合致している。それから名づけた社名。  

鍋貼(36)
 クォ・ティエ。焼き餃子。  

苦行(390)
 信仰に導かれた理性に従うことで聖化は達成される。苦行とは、この聖化の妨げとならないように、自然の衝動を意図的に抑制することである。イエス・キリストはおのれに付き従おうとする者たちに、自分を捨てるように言われた(ルカによる福音書第9章23節)。それゆえ苦行は、キリストに属する者を特徴づけるしるしとなった。…救済のためには苦行が不可欠であるという点で神学者の意見は一致している。なぜなら人は、この世にある三つの欲(肉の欲、目の欲、生活のおごり)や堕落した人、悪魔によって悪に流されがちであり、これに屈すれば必ず重罪を犯すからである。

グスコードブリ(198)  
 宮沢賢治「グスコードブリの伝記」  

グスタフ・アッシェンバッハ(186)  
 「ベニスに死す」のマンはマーラーに会って、その芸術家としての人となりに感銘を受 け主人公の名にグスタフとつける。ヴィスコンティは映画化に当たってマンに会い、主人 公アッシェンバッハをよりマーラー的に描くことを了解させる。   

崩れ落ちる兵士(101)
 スペイン人民戦争コルドバ戦線で1936年9月に撮影されたキャパの代表作。パリを 立つ時、キャパはライカを、ゲルダはローライフレックスを持参したと記録されている。 このライカで、本来は全くの無名の死が歴史的記録となったが、この写真が単にポーズ を取らせたものだとの議論は多くある。その根拠は、ほぼ同じ時刻、同じ場所で別の兵士 が倒れる写真が存在し、しかも他の兵士が写っていないことによる。    

クックのツアー(325)
 トーマス・クックの始めたパッケージ・ツアーに対する攻撃は、より大きな的である英国人の俗物性攻撃キャンペーンの一部でしかなかった。「無知で野蛮で傲慢なイギリス人は、ヨーロッパの各都市で欠陥をさらけ出している」とサッカレーは毒づいている。「この空の下で最も面白みのない動物の一種が、ヨーロッパを大手を振って歩き回っている。芸術の知識はフランスの靴磨き以下しかないくせに、肩で風をきって美術館をのし歩く。」

屈身拝礼(70)  
 メタニア。陶酔的礼拝は無意識化する。メタニアとは常に目覚めて祈ることを助ける。 他の宗教の苦行とは異なる。  

屈折ピラミッド(129)  
 クフ王の父、第4王朝初代のスネフル王がダハシュールに築いた途中から角度が変わる ピラミッド。石積みをはじめて途中で、このままの角度では崩壊することを恐れて、角度 をなだらかにしたと言われる。   

グッタペルカ(61)
 ラッカがボディに一貫して使用している人造皮革。ゴムエラストマーである。
(334)ヴェルナー・ジーメンス(1816-92)は、1847年に大陸間を電信で接続する海底電信線のために絶縁と耐水圧機能をもった銅線をグッタペルカという樹液で覆うことにより、絶縁を確保し、それに鉄線を巻くことにより強度を満たすケーブルを発明した。


グーテンベルグ屋敷(116)  
 当時のマインツの都市貴族はその得た屋敷によって名を名乗ることがあった。グーテン ベルグも、ゲンスフライシュという本名であったが、13世紀末にグーンンベルグ兄弟の 所有する屋敷を手に入れたことで、縁もゆかりもないグーテンベルグを名乗ることになっ た。  

クトゥーゾフの居眠り(518)
 はじめ軍事会議の評議員たちは、クトゥーゾフがわざと寝たふりをしてると思ったかもしれぬ。しかし、攻撃案の朗読ちゅう、彼が鼻から出した響きは、攻撃案とか何とかいうものに対する侮辱の念を示そうという希望より、はるかに重大なものが、このとき総司令官の心を占めていることを証明した。−−それは睡眠というおさえがたい人間的要求であった。彼は、実際、眠っていた。ヴァイロ−ターはたとえ一分たりとも時の消費を惜しむ多忙な人の身ぶりで、ちらとクトゥーゾフを見やったが、彼の寝ていることを確かめて、書類をとりあげ、大きな一本調子な声で、きたるべき戦闘の作戦命令書を読み始めた。
…クトゥーゾフは目をさまして、重々しく咳ばらいし、将軍たちを見まわした。「皆さん、明日の、いや、今もう一時だから、今日の(アウステルリッツの戦いの)作戦命令をいまさら変えるわけにはいかないですよと彼は言った。「われわれはもう命令書を読んで聞かしてもらったから、めいめい自己の本務をつくせばよろしい、戦闘の前になにより大切なのは、ぐっすり寝ることだ。」

グナイゼナウ(1760〜1831)
 シャルンホルストを継いでプロイセン軍の参謀長となる。ナポレオンとの戦いでロジステ ィクス的アプローチで消耗戦を行い、再三破れ、破れながらも相手を消耗させ、最後はワ ーテルローでウエリントン軍を支えて、ナポレオンを敗走させる。ドイツ参謀本部が組織 として定着する実績を作った。  

グノーシス(86)
 グノーシスとは知識以外の何ものであろうか。ギリシャ語のGnosisは知識を意味 するにほかならない。人間に彼自身を啓示し、人間の中に神および万物についての智慧を 明らかににしながら人間に救いをもたらす、別の言葉でいえばそれ自ら救いである、知識 のほか何があろうか。グノーシス派とは聖書の中の象徴にかくされ、使徒や聖女によって 非公開的に伝達された完全な救いの知恵の受託者をもって任ずるグループ。彼らの思弁は 「このように不完全で有限なる世界が、一体如何にして無限で完全な神によって創造され たか」に向かう。 共通的な教義は @知識の信仰に対する優越。 A多くの媒介者(アイオン)の手を経て宇宙の流出がなされ、このアイオンの低次の 造化の神が現世界を創造した。 B入社者は自らの神性の芽を発達させることによって最初の源泉に復帰できる。 魔術師シモン、セリントス、バシリデス、ヴァレンティノス、マルシオン等の哲学者が いる。  

グノーシス(390)
 このようなキリスト教徒たちは、現在グノーシス主義者と呼ばれているが、この呼称はギリシア語のgnosis(グノーシス) に由来し、通常knowledge(「認識」)と訳されている。究極の実在は知り得ないと主張する人々のことをagnostic(不可知論者− 字義通りには、「知らないこと」)と呼ぶが、他方、そのようなことを知り得ると主張する人々のことをgnostic(グノーシス主義者−−字義通りには「知ること」)と呼ぶ。しかしグノーシスは、元来、合理的認識ではない。ギリシア語では、科学的ないしは反省的認識(「彼は数学を知っている」) と、観察や経験を通して知ること(「彼は私のことを知っている」) とが区別されており、後者がグノーシスなのである。グノーシス主義者がこの用語を使う場合、われわれはこれを「洞察」と訳すこともできるであろう。というのは、グノーシスは自己を認識する直観的過程を意味するからである。また、彼らの主張によれば、自己を認識することは、人間の本性と人間の運命を認識することである。

グノーモン(185)  
 日圭。示影針。BC6に哲学者アナクシマンドロスが発明したと言われる日時計のこと。  

熊野を思う(537)中上健次
薄暗闇の中に、それらのものはいた。それら固まり、もぞもぞとうごめくものをみつめていた。異様な群だった。猿がいた。蛇がいた。犬も獅子も牛も馬もいた。それらがことごとく人間の顔をしていた。いや、人間がけものの形をしていた。
夢だ、と思った。熊野にもどりたくってたまらず、熊野を想いながら眠り込んだから、こんな夢をみる。それまでも度々あった。疲労しきったり、人と喧嘩したり、やることなすことうまくいかなかったりするたびに、夢でよく、熊野の山中で道に迷って死に果てようとする自分の姿をみた。山また山の道をゆき、いつからともなく有難い読経の声がきこえる。


クム・ホラ・ウンデティマ(529)
 伝道によってカトリック・キリスト教世界を拡大することは、盛期中世のローマ教皇にとっても最重要の課題であった。政治・経済的利害は別としても、ローマ教皇は、キリスト教徒だけでなく、全人類の救済に責任を負う、という基本理念が存在したからである。それは、とりわけ1235年に出され、15世紀にいたるまで繰り返し確認されたグレゴリウス九世の教勅「クム・ホラ・ウンデティマ」にはっきりと表現されている。
 すなわち、「洗礼者ヨハネとともに選ばれた人びとは、霊的な生活の純粋さと知性の優美さを多数の言語と国王のもとにある人びとや種族にもう一度、予言しなければならない。なぜなら、イザヤによって予言された、イスラエルの残りの者たちの救済は、使徒パウロによれば、まずすべての異教徒たちが救われなければ、実現されないからである」。パウロの「ローマ人への手紙」第11章の「すべての異教徒たち」に関するこの言葉のゆえに、キリスト教会は伝道を重大な使命とした。


休息(353)
 私はある一点においてニーチェと完全に意見が一致した。「あれこれと計画を立て目論むことは、さまざまな快い感情をもたらす。もしも生涯にわたって計画を立てること以外には何もしないだけの力をもった人がいたなら、その人はたいそう幸福な日々を過ごすことだろう。しかし、そんな人もときにはこの活動から休息をとる必要があるだろう。つまり計画を実行に移すのだ。ところが、そうすると腹を立て、興ざめするのである。」

クラインの壷(244)
 メビウスの輪の3次元版。円筒をその両端を結合したものがトーラス。両端の円弧にそれぞれ逆方向の回転方向を考え、この回転方向を一致させるようにねじって接合したものがクラインの壷。

クラウゼビッツ(1780〜1831)
 戦争とは我々の意志に従うことを敵に強要する暴力行為である。 戦争とは他の手段をもってする政治の継続以外の何ものでもない。 流血をいとう者はこれをいとわぬ者によって必ず征服される。 戦争は厳しいものであり、博愛主義のごときの婦女子の情が介入する余地はない。 戦勝国の地位は必ずしも安定せず、武力の追加支出を必要とする。  

クラウンガラス(191)  
 18世紀、初期のレンズ用ガラスは吹きガラスの方法で作っていた窓ガラスにたまたま できる厚いふくらみ(クラウン)を用いたものである。フリントは、砂の代わりに火打ち 石(フリント)を用いて、さらに酸化鉛を加えて、分散と屈折率を増加させた。

クラック・デ・シュヴァリエ(360)
 ロワール河畔の城砦建築を基本として考案された聖ヨハネ騎士団の…「クラック・デ・シュヴァリエ」は…今日も風雨や地震に耐えてなかば廃墟と化しながら800年前の名残りを留めている。その規模の堆大さ、その防禦カの強固さはいくら筆舌をつくしても、実物を見るまでは誰にも想像できないほどである。…壁と塔とはさらに高く熱い青空にそびえている。…すべて固い岩で築かれており、掘りくずされることはなかった。ここにこそ、骨抜きにされていない中世があった」 それはトリポリ伯領の北部に位置し、十字軍領土のきのこ型の傘と柄のつなぎ目、シリアのイスラムが深く海岸部に進出している地点の防備を担当していた。

グラックス兄弟(151)  
第三次ポエニ戦役に勝ち、帝国が肥大するとともに無産者が増加しローマ市民が減少す るという社会矛盾が顕在化してきた。護民官は当時、元老院を目指す通過点としてみなさ れていたが、ティベリウスとガイウスの兄弟は、貴族の身でありながら、農地改革によっ て自作農の復活を目指したり、小麦法、公共事業法によって弱者救済、新植民都市によっ て経済規模拡大を吸収するという政策を護民官という元老院と対抗する立場で行ったが、 旧守派によって若くして殺害される。結局この社会矛盾はスッラらによって職業軍人とい う形で吸収され、それが一層ローマを混迷へと導いていく。

クラッスス(23)  
 騎士階級(エクイタス)というのはローマでは経済人をさす。エクイタスを代表するロ ーマ一の金持ちクラッススは、政治的にもスパルタカスの反乱の鎮圧で影響力を強める。 借金王カエサルの最大債権者でもあり、この債権を回収するためにカエサルに協力せざる を得ず、カエサル、ポンペニウスと共に三頭政治を担う。パルティア征服に向かうが、テ ィグリスを前にしてパルティアの貴公子スレナスの才知に敗れて死ぬ。

グラッツェル法(85)
 1960年代に発達したカメラ・レンズのコンピュータ自動設計法の代表。コンタック スのグラッツェルが開発。主としてRTS用レンズ開発に利用された。他の設計法にはワ インの減衰最小自乗法、鈴木達郎に鈴木法がある。

グラッドストーンのクラレット(97)
 ボルドー・ワインのこと英米人はクラレットと呼ぶ。バーガンディと比べると、常に辛 口でやや渋味が強いということになっているが、ボルドーもメルロー主体のサンテミリオ ンやメドックのサンテフテフとなるとバーガンディとの違いを言い当てるのは難しくなる 。英国でのボルドーブームは大蔵大臣グラッドストーンがワイン輸入関税を大幅に下げた ことにより19世紀中続いた。クラレットとは赤と白のブドウを混ぜて作るワインのフラ ン語クラーレのなまったもの。

グラール(86)
 聖なるエメラルド杯。最後の晩餐で使われ、さらにイエスが百夫長ロンギノスの槍で脇 腹を刺された傷口から流れ落ちた血をアリマタアのヨセフが受けとるときに用いた。 グラールの喪失は叡智の喪失を意味する。アーサー王のグラール探求とは、失われた叡 智の回復に他ならない。

グランド・シャルトルーズ(536)
 グランド・シヤルトルーズは、1084年に聖ブルーノによって建てられた、隠修士の修道会である。今日では、厳律観想修道会の最右翼とでも称すべき聖地といっていいだろう。一般修道院の共住生活と、一人一行主義をとる砂漠の隠修士の生活とを、独自の形式で統一しているコミュニタスである。徹底した独房主義、肉食の禁止、白衣の修道服、苦行用の毛シャツ、それに深夜における睡眠の中断。この睡眠の中断は聖務日課の、真夜中における分割であり、中断の時間は三時間にもおよぶ。それがシャルトルーズ、すなわちカルトジオ会の厳密なる戒律の中核をなしているのである。
 ヴォワロンに着いた。グルノープル駅まであと十数分ほどのところにある寒村だが…そこは、むしろ魔の住む世界といったほうがよい。山は森や林とともに山としての姿をあらわしているのではない。そのグロテスクな連鎖は、森の静寂から切り離されて獣のごとく咆哮しているようであり、悪魔が住みついているような雰囲気を、かもしだしている。ふと、あのトーマス・マンの小説『魔の山』のイメージが、脳裡に浮かんできたのである。

クリヤストーリ(405)
 内部は、身廊と呼ばれる幅の広い中央の部分と、その両側の側廊と呼ばれる幅の狭い部分からなり、身廊と側廊は列柱で分かたれる。身廊は側廊よりも天井が高く、列柱の上方には壁(身廊壁)が立ち上がる。この壁の上部にアーチ形の窓をあけて、身廊への採光を確保する。この窓をクリヤストリー(高窓)という。

クーリエ・スード(309)
 第一次世界大戦後、航空機は航空郵便という実用性が評価され、このルート開拓に、激烈な競争が開始された。この頃、自身も郵便飛行機操縦士であったサン=テグジュペリはアンデス山脈で苦闘する<南方郵便機>(クーリエ・スード)の様子を克明に描いた。

クリエンテス(135)  
 英語ではクライアント。ローマ帝国の拡大の中、征服したり、友好関係を結んだ敵対国 や部族と結んだ被保護関係。  

グリ湖の歪んだ王国(413)
 ベネズエラに巨大な水力発電用のダムが出現し、…このラウル・レオニ・ダムのせいでカロニ川がせき止められ、谷間に幅80キロ、深さ150mの湖が誕生した。丘陵地の高い頂が島となって残り、周囲には湖に飲み込まれた木々のてっぺんが墓標のように並んだ。誕生した大小さまざまの島は、それぞれ見捨てられた動物たちの棲みかとなっていた。ターボーの心を引きつけたのは、島の大半は狭すぎて、世界を動かしているはずの大型捕食者が棲めないという事実であった。…サルも消え、アリも消え、木も消えた。「このプロセスが進むと、最後に木がほとんどなくなり、島は一面つたに覆われ、踏み込むことさえできなくなる」。「すべての人にグリ湖を見てほしい。」グリ湖の歪んだ王国で、ターボーたちはヘアストン、スミス、スロボトキンの「緑の世界」が逆転するとどうなるかを目の当たりにした。ターボーが描くメルトダウンのシナリオは、グリ湖の小さな島々の生態系を全滅させた残酷な連鎖−草食動物が野放しになり、ホエザル社会が崩れ去り、ハキリアリが森を略奪し、島全体がトゲだらけのつる植物に覆われる−が、「緑の世界」を土気色に変えたというものだった。

クリステイ戦車(139)  
 ユダヤ系米人クリステイが発明した戦車。アメリカ軍が採用せずにソ連が購入。ノモン ハンで、日本の89式、97式戦車と衝突。火力と装甲の圧倒的な差で、日本軍を撃破。

クリストフ・バタイユ(122)
 1993年フランスの読書界は彗星のごとく出現した弱冠20才の小説「安南」に話題 をさらわれた。翌年、紙上最年少のドゥ・マゴ文学賞を受賞。簡潔で精密な文章であるが 言葉を惜しむ晦渋さはなく清明で対象への愛情があふれる。

クリスプ集合(*)
 ファジー理論は1965年にカルフォルニア大のザデーが提唱した「あいまいさ」を持つ情報を扱う理論で、「暑い」「暖かい」「涼しい」「寒い」というような自然言語で表現される量の境界をメンバーシップ関数という分布関数で中間的な値も定義できるようにした。これに対して従来の特定の集合に属する場合を(1)とし、属さない場合を(0)というように、明確に定義するのをクリスプ集合という。

クリスマスカード風(236)
 マーラー交響曲第4番に対する福島章の表現。この曲を一言で言ってこれ以上はない最高の一言。

クリスマスツリー(402)
 キリスト生誕の地イスラエルには樅の木は存在しない。ツリーは本来、北欧ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭りで飾られたのだ。冬が終わり、草花が芽吹く新春を迎えるため、真冬でも若々しい緑を保つ針葉樹を生命の象徴とした。…だからイギリスからアメリカに釆た清教徒たちはツリーを知らなかった。ツリーはドイツからの移民によってアメリカにもたらされたが、最初、清教徒はツリーを異教のものとして禁じていたのだ。
 さらに言えば、キリストの誕生日はいつかわからない。古代ローマ人はキリスト教化された時、太陽神ミトラスを祭る日だった冬至をキリストの誕生日とした。ここでも芽生えの季節と幼子キリストの誕生が結び付けられたわけだ。サンタクロースもオランダ移民によってアメリカに輸入されたが、白い縁取りのある真っ赤な服という衣装は30年代にアメリカで作られ、コカ・コーラの広告で一般的に認知された。


クリーナープロダクション(246)
Cleaner Production(CP) 
大気汚染や水質汚濁、廃棄物処理技術は、汚染を排出口において、汚染防止処理を行うという意味で、エンド・オブ・パイプ技術と呼ばれるものであった。これに対して、1992年の地球サミットで採択されたアジェンダ21では、原料の採取から製品の廃棄、再利用に至るすべての過程において環境への負荷を削減しようする考え方に基づき、従来の個々の対策技術(ハードテクノロジー)だけでなく、システムの管理手法的な技術(ソフトテクノロジー)をも包含した「クリーナープロダクション」の推進がとりあげられている。個別の対策ではなく、製品のライフサイクルさらには産業連関までも配慮して、そのトータルで環境負荷を低減するとともに、結果としてコストの削減も目指すという考え方。


クリフォード・ビーアズ(162)  
 アメリカ精神衛生運動の創始者。エール大を卒業後、発病し、3年間の当時の悲惨な精 神病院での体験の中で、精神病者の地位向上のために一生をささげることを決意する。精 神の病の中にあっても、事実を的確に認識し、健全な意志をもつことができることを証明 している。ある種の熱意の発露と狂気はギリギリ接触している。

クリプト(261)
 地下祭室(クリプト)と言えば、ヴィクトル・ユーゴーが、聖堂は「いずれも半身を地下に埋めている」と書いている。「まるで岸べにある森や山が、湖水の面にさかさまに影を映すように、地上の山なす階層の下には、同じような階層が作られているのだ」。「地上の本堂の下に、低い、暗い、神秘的な、目もなければ声も出さない、いわばもう一つの大聖堂があったのだ。ときには、これが墓であることもあったのだ。」

グリューネヴァルトのキリスト(307)
 人間には現世のキリストを、あのように醜悪無残な姿にまで追いつめざるをえないというところがあるんだな。あんなふうにまで追いつめなければ、人間が、人間を超えたものの実在を自覚し得ないと言う、厄介なことになったんだ。死んだキリストの姿かたちを、絶対的に神の救いや愛から切り離されたものにしてしまわなければ、神から切り離されたおのれの救いへの願いを、キリストに託すことができなくなっちまったんだ。…おれたちと、おれたちを超えたものとあいだには、グリューネヴァルトのあのキリストのごときものが動かしようもなく横たわっているのさ。

グリーン関数(100)
 微分方程式の境界値問題に定義される関数で、積分方程式への変換などに用いられる。

グリンツィング(186)  
 ウイーン郊外、ハイリゲンシュタットの白ワイン村。新酒ホイリゲを飲む酒場もホイリゲ。

クル・アーン(177)  
 コーラン。朗誦を意味する。  

クルーガー(179)  
 翼型を拡大して揚力係数を増加させる前方の補助翼。後方はフラップ。

グールドの逆説(226)
 ここに究極といえるグールドの逆説がある。聴衆から遠く孤立し、孤立によって聴衆と触れあい、自らを音楽に没入させ服従させて、音楽を表出する、音楽と人間を全体像としてわれわれに与える、という逆説。

グレイマン(165)   
 オックスフォードの学生間での最低の悪口。ようするによい成績をとるために勉強する 学生のことを灰色人間と呼ぶ。努力せずによい成績を取るか、自分の限界をさとって低成 績に甘んじることの方を潔しとした。

クレオパトラ(28)
 クレオパトラ7世で、エジプトのプトレマイオス朝の最後の王。アレキサンダー大王の 死後、エジプトを統一したのがギリシャ人でアレキサンダの武将であったプトレマイオス 。だから実はクレオパトラはギリシャ人。シーザーの間に生まれた子がシーザリオン。

グレゴリオ改革(560)
 教会内にはびこった悪の根源が世俗権力による教会支配にあるとしたのが、グレゴリウス主義者であり、その改革がグレゴリウス改革としますと、その改革の具体的プランは何をおいても世俗権力の聖職者任命権の除去ということになります。そこで聖職者の任命権の争い、正確な表現ではありませんが、いわゆる叙任権の争いがグレゴリウス改革の焦点になってくるわけであります。
 クリュニュー修道院が誤ってグレゴリウス改革の主流と考えられるようになったのは、教会改革者として知られるドイツ皇帝ハインリヒ三世がこの修道院と密接な関係があったためなのです。グレゴリウス改革をはじめたのは、ローマ法王レオ九世でありますが、このレオ九世をローマ法王に任命したのがハインリヒ三世だったのです。この人の王妃アグネスは、つまりクリュニーの建設者であったアキアキテーヌ侯の娘であります。
 グレゴリウス主義者の考え方によりますと、シモニスト(聖職売買者〉の行なう叙品はまったく無価値である。だから、正しいカトリック的聖職者によってやり直さなければならぬ、ということになります。一見もっともらしくみ与えるこの主張は、しかし、ローママ教会の秘蹟論に基礎をおいたアウグスティヌス以来の伝統を根本から否定する異端的考えなのです。
 1122年に妥結した叙任権闘争の結末はどうなったのでしょうか。この妥結をしたのは皇帝側はハインリヒ四世を窮死させたその子息ハインリヒ五世であり、現実に目ざめた皇帝でした。これに対した法王は、ウルパヌス二世と同じクリュニー出身のカリクトゥス二世でした。妥協の結果は双方に利益を与えるものでした。しかし、現実政治上の利害は長期的にみた精神的利害を考慮するものではありませんでした。その点からみると、法王権は皇帝権に勝ったのです。それというのも、皇帝側は、オットー一世以来久しくつづいていた教会に対する精神的支配権を放棄しているからです。具体的にいうと、皇帝は司教叙任に際して行なわれる司教候補への指輪と司教杖の授与という、ともに司教の精神的支配権の象徴を放棄し、世俗的支配権の授与だけで満足したのです。


グレゴリオ聖歌(435)
 本来、純粋に旋律だけの単旋律の歌であること。キリエのようなギリシャ語もあるが、ラテン語の歌詞によるアクセントに従っているので、そのリズムが自由で、不規則であること。1シラブルに1音符という形だけでなく、2ないし4の音符のつくネウマ型、さらに多くの音のつくメリスマ型と3種あること。8つの旋法をもつこと。われわれに親しい長調や短調と同じくオクターヴは、7つの音に分かれるが、半音の位置がそれぞれちがう。単唱と斉唱である複唱の応唱ないしは、複数と複数の交唱という対比をもつ…。
 これらの性格が、この単旋音楽を、非常に特殊なものにした。それは、この音楽が、ヨーロッパ人にとって、いわば<霊性>の直接的な表現となっているからである。…グレゴリオ聖歌は、そのロマネスク建築に対応する音楽である。「広い平面の、調和のとれた壁面長方形の輪郭、丸いアーチで柔らげられた真直ぐな線は、厳粛で深い宗教観にみちた聖歌がこだまする時、生き生きとした生命によみがえる」


グレゴリオ聖歌(560)
 6世紀の末から7世紀の初めにかけてグレゴリウス一世というローマ教皇が活躍しておりました。この教皇は、教会史の上でも、また政治史の上でもあらゆる点で非常に重要な存在でありますが、このグレゴリウス一世が聖歌を制定したといわれております。そのためにグレゴリオの歌という意味でグレゴリオ聖歌、あるいはグレゴリウス聖歌などと呼ばれるというわけであります。
 今日残っているかぎりのグレゴリオ聖歌は、グレゴリウス教皇の時代にまで遡ることはできない。どんなに早くても九世紀から十世紀のころ、そして多くは十一、二世紀のころ、つまりこのシリーズで私たちがあつかっている時代に、しかもローマではなくてむしろアルプスの北のガリア・ゲルマン世界で成立したものである、という見解が有力になっております。つまり、グレゴリオ聖歌というのは、地中海あるいは東洋の音楽ではなくて、やはり純粋に中世ヨーロッパに生まれたヨーロッパの音楽である、ということであります。


グレーゴル・ザムザ(459)
 グレーゴル・ザムザがある朝、夢にうなされて目を覚ましたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わっていることに気づいた。甲殻のような固い背を下にして横たわっていたのだ。そして少しばかり頭をもたげてみると、幾本かの弓形の梁で支えられたように褐色の腹がこんもり盛り上がっているのが見えた。お腹の天辺にかかっている蒲団は、すっかりずり落ちそうになりながら、かろうじてふみこたえていた。ふだんの大きさに比べると悲しいほど細い肢がたくさん生えていて、それがかれの目の前で頼りなげにふるえていた。

クレデンザ(149)  
 アコースティックな録音は300〜2500ヘルツであったものが、電気録音では10 0〜5000ヘルツへ周波数特性が拡大した。その当時、電気録音はできても再生側を電 気化できなかった。この電気録音をアコースティックで忠実に再生するための最高級再生 装置がビクターのクレデンザ。

グレート・ジャーニー(157)  
 ホモ・モビリタス(移動する人)という概念を提唱したのは京大の片山である。同じ種 の生物が自らの意志で世界の全大陸・海洋を制覇した例がないからである。なかでも陸地 の70%の大陸に進出したモンゴロイドの「はるかなる旅」こそその概念を特徴つけるも のである。

クレマン−マイヤーの仮説(337)
1960年代に、マイヤーは骨を切断した断面から海綿質小梁配列の解明に取り組んでいた。偶然、マイヤーの作った大腿骨の断面を見たクレマンは、それが梁の主応力線図にそっくりであることに気がついた。この偶然から「骨海綿質小梁の配列は主応力線方向に従う」という仮説的法則が成立し、これはバイオメカニクスの最初の法則の発見といえる。

クレーム(317)
 トヨタ流は、クレームは「問題を明確にする」ものであり、問題を解決することで、モノやサービスは向上すると考える。特許では「請求範囲」をクレームという。まさに「問題を明確にするもの」である。

クレメンス5世(319)
 シャトーヌフ・デュ・パプの名前は14世紀にこのアヴィニヨンの地に法王庁が置かれ、時の法王だったクレメンス5世がワイン作りを奨励したことに始まる。…伝統的なシャトーヌフ・デュ・パプは、グルナッシュを中心に、13のぶどう品種で作られる。…シャトー・ラ・ネルトは、13種のぶどうをすべて使ってワインを作ることで知られる。

クレモナのゲラルド(560).,
 もう一人の「12世紀ルネサンス」のチャンピオンであるといっていいのはクグレモナのゲラルドであります。このイタリアのロンバルディア出身の精力的な学者は、はじめはやはりラテンの学問を身につけたのですが、そのうち、プトレマイオスの『アルマゲスト』というギリシアの第一級の理論天文学が読みたくなり、それはまだ西欧世界には知られていないというわけで、アラビア語を勉強して、それを翻訳しようという意図で、トレドにおもむきますが、そこであらゆる領域にわたる醇爛たる無数のアラビア語の学術書を見出し、七十三才でその地に没するまで、先のプトレマイオスをはじめ近代科学の源流のアリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、アポロニオス、メネヲラオス、ガレノス、アル・キンディ、アル・ファーラビー、アヴィセンナ、アルファーゼンなどというギリシャ・アラビアの 重要な書物を七十一種もアラビア語からラテン訳するという、非常に巨人的な活躍をしました。西欧世界はこのクレモナのゲラルドの空前絶後ともいうべき翻訳活動によって、ギリシア・アラピアの第一級の学術の精華のほとんどすべてを自分のものになしえたといってよいのでありましょう。

クレールヴォーのベルナールの外観(470)
 ベルナールはなんとも早熟な子供であったらしく、村の司祭が教師役の初等と中等の教育が終わるやいなや、まだ十一歳でしかないのに兄弟五人を誘い、父所有の山荘にこもって共同生活を始める。祈りと黙想に徹する生活にはたちまち共鳴者が増え、一年後には三十人にも増えていたという。…1115年、25歳になっていた修道士ベルナールは、十二人の同志とともに、親族の一人が贈ってくれた地に独自の修道院を建てて移り住む。川に沿う緑豊かなその一帯を、ベルナールは「クレールヴォー」と名づけた。「清らかな谷」の意味だった。…このベルナールが現われるときは、痩せ細った身体を粗末な僧衣に包み、杖に頼ってよろよろと歩いた、と当時の記録にある。しかし、栄養満点の身体に重ね着した皇帝や王と対するや、この貧しく弱々しい外観が強力な武器になるのだった。

■クレルモンの奇術(360)
 1095年11月27日クレルモンの公会議で、ウルバヌス二世が十字軍を呼びかけ、熱狂を持って迎えられた演説。まさに手品師の技であった。「……みなさんの住む土地は十分に広いとはいえないでしょう。十分豊かだともいえません。そのため人々は互いに争い、互いに傷ついています。それ故、あなた方の中から外へ出て行く者をとめてはいけません。ふだんキリスト教徒同士の私闘を行なう習慣のある者は、これを間もなく始まる異教徒との戦いに導くのがよいのです。永らく盗賊であった者も、今日からキリストの兵士となるのです。親族間で戦っていた者は今度は蛮族と戦うことになる。低い給料で働いていた者は、これから永遠の報酬を受けるのです。身体をすりへらし、魂を疲れ果てさせていた人々も、今や肉体と霊魂の栄光のため働くことになるのです。エルサレムの乳と蜜の流れる国は、神がみなさんに与え給うた土地であります……」

クレンペラーの孤峰(385)
 クレンペラーの指揮する(マーラー)の七番などは、一度はまり込んでしまうと抜け出すのがなかなか難しい。…クレンペラーの孤峰のような演奏がいやましに高く準えているように感じられるのである。
 珍しいテノール・ホルンの暗澹たる旋律で開始される第一楽章は、七度の主題が執拗に反復される中で、テンポと調性が目まぐるしく変わり、さまざまな卑俗と喧騒を呑み込んで、様式感はほとんど収拾がつかないまでに解体している。スケルツォと二つの《夜曲》に続く最終楽章は、ティンパニーに導かれたハ長調のファンファーレで始まり、突如けたたましい祝祭と凱旋の音楽が展開されるが、先行する三楽章との形式的な齟齬は払拭されず、聴き手は肩透かしを食ったような感覚の中に最後まで取り残される。この交響曲が失敗作と考えられてきたのはこのような不統一のゆえであり、また、近年になってマーラーが脚光を浴びるようになったのも、じつは一切の規範と指標とを喪失した我々現代人が、自らの混沌と惑乱と不安とを、彼の破調の音楽に投影しているからにほかならない。


グレンリビッドの戦い(64)
 長篠の戦いの20年後ころのイギリス戦国時代の戦い。旧来の刀剣を主とする武器による ハイランダーに対して、火器を主力としたローランダーが徹底的な勝利を収めた。長篠の 戦いがいかに近代戦の発祥として意味が高いかの比較として例。

 ■黒い絵(236)
 人間が世界を認識する上で、聴覚は背景の認知に決定的な重要性を持っている。聴覚を失うということは、自分の視野が達しないかぎりのすべての世界を失うことを意味する。ゴヤの晩年の「黒い絵」の背景はすべて漆黒に塗りつぶされている。これは大患以後まったく耳が聞こえなくなった天才画家の世界のありさまをあらわしている。聴覚を失ったベートーベンの作品を画になぞらえていえば一種の「黒い絵」である。

黒い聖母(398)
 12世紀は、とくに「マリアの世紀」と呼ばれる。いわゆる、聖ベルナールや聖フランチェスコなどによる「キリスト教の革新」に導かれつつ、「永遠の女性」としてのマリア讃歌が唱えられる。もはや白い「マリア」は、かつての不動にして荘厳な「神の母」という面影より、むしろ人間的な情感を秘めた理想的な「一人の女性」として莞な崇敬対象となった。
 他方、大地母神の系譜をひく黒い聖母は、時代思潮としての母権社会の衰退や父系的宗教との闘争にもまれながら、さらに一神教的なキリスト教の勝利やマリア信仰の定着などによって、しだいに公的宗教から遠のくことになつた。いわゆる、中世における「聖女」の誕生と「魔女」の創出の淵源である。しかし「黒い聖母」は、その後異端的な存在として地下に潜行しながらも、一般民衆のあいだで根強く残存している。大地母神の初源的なイメージに連なる「黒い聖母」は、人間の合理的至元性では解明しえない、自然宗教の超合理的な存在の神秘を告げるのだろうか。


グローステートの方法論革命(560)
 こうしたことをやりはじめましたのは、オクスフォードのロパート・グローステートという人でありますが、グローステートというのは大きな頭、つまり「頭でっかちの」ロパートというあだ名であります。この人は、1214年にオクスフォード大学の学長になった非常にすぐれた学者であります…。
 経験的なものから原理にさかのぼっていく。これは演縛推理ではなく、「」直感の飛躍」によって到達するものですから、得られた原理が直ちに絶対的に正しいとは限らず、そこではあくまでも仮説が見つけ出されるのですが、今度はその見つけ出された原理を組み合わせて、そこから命題を導き出し、これを経験、実験によってチェックします。この原理から命題を導出する過程は数学的な演縛と同じようなものですが、これを「合成」(コンポシティオ〉と呼んでいます。この「分解」と「合成」によって、いいかえればはじめ仮説として提出された原理から数学的に演縛された結論を実験的に検証することによって、数学的演縛と実験的検証とを結合した科学方法論をつくり出してくるわけです。これは今日では「仮説演縛法」といわれているもので、通常の近代科学の方法論になってしまいましたけれども、その起源はこのグロlステートによってはじめでつくり出されたのです。


クロズリ・デ・リラ(30)
 モンパルナス大通りの東端にあるテラスのあるカフェ。文学者、画家が多く集まった。 ヴェルレーヌ、ストリンドベリ、ダリ、トロッキー、レーニン、アポリネール、ピカソ、 等々。

グロッソペトラ(99)
 石の舌。化石の由来が明らかになる以前の中世には、化石は、秘密めいた効能を持つ薬 として珍重されていた。さめの歯の化石は、「石の舌」と呼ばれ、解毒作用と悪霊払いの 効能があるとされ、当時の食卓には「舌吊り台」という石の舌を吊るす台が置かれた。

グローテフェント(66)
 1802年にメソポタミアの楔形文字を、ペルセポリスの碑文から1802年にゲッチ ンゲンのギリシャ語教師のグローテフェントが解読。楔形文字の場合はロゼッタストーン のような辞書がなかった。単に文字の繰り返しのパターン、何某、大王、王の王、何の王 、何某の子というきまり文句から表音アルファベットを発見。楔形文字は左から読む。ス ラッシユが単語の分離記号として使われている。

クロード・イーザリー(385)
 エノラ・ゲイの爆撃手に原爆投下を指示したことを悔い、のちに自身の行動を断罪し続けた原爆投下指揮官クロード・イーザリーを、精神錯乱者として強制的に病院に収容した<民主主義国>アメリカ。

グローバル・システム(218)
 資本主義というのは歴史的にも地域的にもグローバルなシステムではない。極めて原理的にいえば、資本主義は複数のローカルなシステム間の差異を駆動力にする利潤追求システムなのである。したがって資本主義が成立するためには複数のローカル・システムの存在が前提となる。このローカルシステム自体はもちろん資本主義ではない。資本主義は世界大のレベルで安定的かつ自律的な唯一のシステムとなることを原理的に閉ざされている。

クワーティ・キーボード(62)
 上段左からQWERTYと並んだキーボード。1873年スコールズという技師が、タ イピストの手を遅くするために考案した配列。当時のタイプライタはあまり速く打つと動 かなくなるためであった。これをレミントン・ソーイング・カンパニーが量産して以来、 この不便なシステムにロックインされている。

軍艦づくりの神様(212)
 八・八艦隊の一、二番艦「長門」「陸奥」の主任設計者が平賀譲で、軍艦つくりの神様と呼ばれた。後に海軍技術研究所の所長から東大総長に転ずる。若き日、大正12年に完成した軽巡「夕張」によって列国の設計者の注目を浴びた。

郡司成司(283)
 予備役の海軍大尉郡司成司は、「報效義会」(ほうこうぎかい)を組織して、海軍の退職下士卒を主体に無人の千島へ移住し、拓殖事業を目差した。郡司は幸田露伴の実兄ということもあって、資金的なバックも多く、北極探検を独力で計画していた白瀬中尉は、まず予行演習として、この計画に加わった。明治26年、郡司を隊長とする千島探検隊が出発し、各孤島での分散越冬を行い、壊血病を元に9人の死者を出した。しかし郡司はさらに翌年、白瀬ら5人に再度の越冬を命じ、食料補給もないまま孤島に置き去りにして、結果としてさらに3人の死者を出すことになる。白瀬はこれによって強く郡司を非難した。

君子は器ならず(508)
【子日はく、君子は器ならず。】
「君子は道具ではない」…道具というものはそれぞれの限られた働きを持つだけだが、君子のばあいはその働きは広いというのが、古注新注通じての解釈である。つまり君子は一つの才芸に通ずるだけの人ではないということ、さらに根本の把握ができているから、単なる手段的なものとして使われるだけのものではないということも、含まれている。『礼記』の学記篇には「大道は器ならず」とある。君子は小道ではなく、大道を行なう人物であった。


群像7月号(202)  
 昭和40年埴谷雄高は政治論文から「死霊」執筆への帰還を宣言した。しかし「死 霊」第五章はなかなか世に出なかった。帰還宣言から10年たった昭和50年「群像」7 月号に「死霊」第五章が一挙掲載された。第四章での中断から26年ぶりのことであった。 人々は改めて埴谷雄高の強靭な精神の持続力に驚嘆し、掲載誌は発売当日で売り切れ るという、この年最大の文学的事件となった。

軍隊の散歩(523)
この反(フランス)革命軍がコブレンツやトレーヴのあたりをのろのろと行軍してゆく、そのありさまはまさに見ものである。もっとも、りっぱな軍隊ではある。国王の、また数知れぬ諸候の軍勢が列をなし、よく組織され、すばらし輜重を十二分につれた豪勢な軍隊である。総司令官のブラウンシュヴアイグは言っていた、「これは軍隊の散歩だ」と。プロシアの国王は、愛人たちと別れてこの散歩に来ていた。
…とりわけ目だつひとりの君主がいた。ワイマール公である。そして、彼の友人、ドイツ思想の君主、すでにわれわれのふれたかの有名なゲーテがそのなかにいた。彼は戦争をみにやってきたのだ。そして途々、運搬車の奥で『ファウスト』の第一稿を書いていた。


群民兵(310)
一般に戦闘に参加できる交戦者は、@正規軍、A正規軍に属さない民兵、義勇兵で、(@)部下のために責任を負う一人の者が指揮すること、(A)遠方より認識できる固有の特殊標章を有すること、(B)公然武器を携行すること、(C)戦争の法規慣習に従って行動していることの、四条件を満たすものと規定されている。
しかし占領されていない地域の住民で、敵の接近に当たり、侵入軍隊に抵抗するために自発的に武器をとる者で、前記A(B)(C)の条件を満たす者、これを群民兵と呼び、これも交戦者として特例的に認められている。





【語彙の森】