語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-9-30 計75語
新着語
松坂の一夜、間違っていることを証明せよ、マラーノの改宗、マラー、真っ当な死、マンネルヘイムの七五歳の誕生日、マタイ効果、魔法の弾丸、マーリエンバートの悲歌、マネタリズム、マルティン・クヌッツェン、マリヤによる福音書、

枚挙性の高い科学(337)
 人類学は自然史科学のひとつで、いわゆる枚挙性の高い科学であり、短い話を数多く積み上げる。これらの数多い話は客観性の高い部分が多い。事実はその限り客観的である。ひとつの事実と他の事実を繋ぐときに、主観が混入する。…それらの数多い事実を統一し体系を創ることは行われてきたのであるが、過去の試みは時代とともに無効になり、また新しい試みが行われるということが繰り返されてきた。

マイクロガスタービン(246)
 一般のガスタービンはジェットエンジン用など大型であるが、近年アメリカにおいて小型のガスタービンが開発されて注目されている。 コジェネレーションや、ヒートポンプ用の動力源には、ガスエンジンやディーゼルがあるが、これらは部品点数が多い、NOXの排出量が多いという問題がある。
それに対して、MGTは構造のシンプルさ、NOXを排出しないこと、騒音がすくないことから、これらの代替手段として実用化がめざされている。コストと発電効率が開発課題である。また「ボイラ・タービン主任技術者」の常駐が義務付けられていることは家庭用への普及を不可能にしている。


マイクロソフト(256)リーナス・トーバルズ
 …使用許可を与えるとかね。これは、売るよりずっといいぞ。芸術作品を売るのじゃなくて、その作品で何かをする許認可を売り、依然として著作権を持ちつづけることができるんだ。言うなれば二兎を獲てしまうわけ。世界のマイクロソフトがやっているのが、これだ−−−何かを使う権利を延々と売り続けながらも、失うものは何もない。人々がこういう類の財産を持ちたがるのも無理はない。……なんのリスクもないし、たとえその財産に瑕疵があろうとも、なんの責任を負うものではないという旨の使用許諾書を用意することだってできる。……他人の想像力を利用して金儲けをしようという会社。

マイセン磁器(228)p.10
 一人はヨハン・フリードリヒ・ベドガー−黄金を求め、磁器を発見した錬金術師。だが結局、かれはその発見のために人生を犠牲にしてしまった。いま一人はヨハン・グレゴリウス・ヘロルト−冷酷かつ野心的な芸術家で、無比の輝きを放つ色彩と図柄を発展させたが、その陰には踏み台にされた多くの才能ある助手たちがいた。第三の人物は、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー−名彫刻家で、マイセン磁器を用い、新しい形の芸術を生み出した。絵付けのヘロルトからフィギュリンのケンドラーへの世代交代は磁器戦争と呼ばれる。

マクシミリアン一世(119)  
 15世紀末に、不安定なハプスブルグ王朝の版図を拡大し、安定した超民族的国家治を 実現し、その後のオーストリア帝国を基礎を作るとともに、その音楽趣味によって、ウイ ーン文化、その宮廷中心の文化が華開いた。

マクタブ(370)アルケミスト
 「マクタブ」と商人が最後に言った。「それは、どういう意味ですか?」 「これがわかるためには、アラブ人に生れなければならないよ」と彼が答えた。「しかし、おまえの国の言葉でいえば、『それは善かれている』というような意味さ」…「マクタブ」と彼女は言った。「もし私が本当にあなたの夢の一部なら、あなたはある日私のところへ戻ってくるでしょう」…WEB情報によれば、現代アラビア語では「事務所とか机」を意味するようだが…

マクノートン準則(350)
 30年前から、この種の事件はいわゆる「マクノートン準則」にしたがって裁かれてきた。マクノートンというのは、(イギリスで)1843年にサー・ロバート・ピールの秘書を射殺した男の名であり、彼は精神が錯乱しているために正邪の区別ができないという理由で、無罪を宣告された。この準則は、犯罪行為よりもむしろ刑事責任の能力を判断したものだった。

マグダラのマリアの福音書(390)
 マグダラのマリアによる福音書には、あなた自身のなかに人の子を見いだしなさいと記されています。言い換えれば、自分自身のなかに神を探しなさいということです。どちらかといえば仏教の教えに似ていますね。もちろん司祭たちから見れば異端です。彼らに言わせれば、神へと近づく唯一の道は教会を通じて見つけるべきなのですから。しかしこれらの福音書では、人はひとりで、自分自身のなかに神を発見することができるとほのめかしているわけです。教会や司祭はいらないことになります。ただ瞑想するか、あるいは啓示を受ければいいのです。

マグナム(403)
 「マグナム・フォト」とのち名づけられる写真エージェンシー(写真通信社)の構想が、キャパの主導権で生まれたことはよく知られている。彼は『ライフ』がスタッフ・カメラマンの撮った写真のネガと著作権をすべて管理する体制に不信と不満をいだいていた。
…キャパ、ヴァンディヴァート、彼の妻のリタ、それにマリア・アイスナーの四人は、1947年の3月か4月のある日、近代美術館の最上階にある会員制レストランで食事をとりながら、写真通信社設立の最終的な打ち合わせを行った。… この日の話し合いで、通信社の事業内容と「マグナム」という名称が決まった。「マグナム(Magnum)」とは、ラテン語から派生した言葉で、「大きい」という意味である。シャンパーニュやミネラル・ウォーターの壜の形容などに用いられ、普通の二本分、約1.6リットル入りの壜を指す。この日テーブルにシャンパーニュの大壜がのっていたのかもしれない。…会合にはカルティエ=プレッソン、ロジャー、シムが欠席していたが、彼らは構想に基本的に合意していたから問題はなかった。


マグヌス

マグリブ(438)
 アラビア語で通常「マグリプ」、すなわち「日の没するところ」と呼ばれる北アフリカが、イスラム圏に組み入れられたのは、7世紀半ばから8世紀にかけてで、アラプの大征服の一環としてなされたものである。
…670年、北アフリカ征服の軍事基地としてのカイラワーンの建設を経て、ウマイヤ朝が派遣した将軍ムーサ・ブン・ ヌサイルが、モロッコを征服したのは710年のことで、その間70年間を費やしていた。しかし、ベルベル人のうちから進んでアラブに協力するものが現われるようになると、それは新たな勢いとなって対岸のイベリア半島、さらにはピレネー山脈を越え、南フランスの征服へと発展したのである。

マクロファージ(302)
 リンパ節は、リンパ液に取り込まれた異物を検査し、濾過する。リンパ節にはマクロファージ、T細胞、B細胞が層をなして幾重にも重なっている。このリンパ節において、最初の防護壁になるのがマクロファージで、ギリシャ語の「大食漢」に由来している。すなわちマクロファージの基本的な働きは掃除役であり、正常組織と異なるもの全て、自身の老朽細胞などの不要な自己成分も含めて貪食する。さらにマクロファージは、外来異物に細菌病原体が混入していたら、これを自分の表面に提示する。これを監視しているT細胞は、リンフォカインを放出して、B細胞に抗体の産生を促す。抗体は血液循環を介して体中に広がり、抗原を見つけて結合する。今度は血中のマクロファージが、抗体の結合物を認識するレセプターを持っているので、これを発見して、これを分解する。

負ける建築(隈研吾)
 流動する生活を強引に凍結して記念し、周囲の環境を圧倒する20世紀型の「勝つ建築」は、いまやその強さゆえに人々に疎まれている。建築はもっと弱く、もっと柔らかいものになれないだろうか。…高く積み上げる途とは別の途はないだろうか。象徴にも、視覚にも依存せず、私有という欲望にも依存しないで何が可能かさぐっていきたい。「強い」建築を立ち上げる動機になった、それらのすべての欲望から、いかにしたら自由になれるか。突出し勝ち誇る建築ではなく、地べたにはいつくばり、様々な外力を受け入れながら、しかも明るい建築というものがありえるのではないか。

正木厳法主義(454)
 かつて、私がうちたて、日本の、そして世界の刑法学界に衝撃をあたえた〈確信犯理論〉は、その発想の一点において、なお〈永遠なる法〉の観念のうちにあり、古風なものであった。保護刑説によれば確信犯の処罰は不可能である。その壁をつきやぷる理論は、期待可能性、忌避可能性、あるいは社会的責任論にはない。法の存在とその必要を何らかのかたちで認めるかぎり、すべての犯罪は、たとえそれが、白痴、癲癇者、狂人、嬰児、動物によってなされるとも、すべて確信犯とみなす、というただ一つの道だけである。人の意識そのものが、フッサールも言えるごとく、すべてノエシス・ノエマ的相関体である以上、すべての行為には、所与性とともに能作性がある。何もしないでいることにも、過失の中にも、試行錯誤の中にも。人が自由であることを認める以上、すべての行為の行為責任は、その行為をなした行為者に帰せられねばならないからだ。純粋現象学的法理論、世にいわゆる正木厳法主義は、かくして一世を風靡した。だが、その理論も、ある一つの契機を見おとした誤謬の、やぶれかぶれの拡大ではなかったか。私はなにか間違っていたのではなかったか。

魔術師再生の試み(418)
 通常なら魔術師はその身体をみずからこなごなにしてレトルトに入れ、一定期間を待って助手に再生した嬰児の姿で取り出してもらうのである。そしてその場合大抵は、好奇心の強い助手が早目にレトルトの蓋を開けて外気を入れ、そのために折角生成しかけていた再生者を虚無の淵に差し戻してしまう。伝説では、魔術師ヴュルギリウスもシモン・マグスもパラケルススも、ほとんどすべての偉大な魔術師がこうした不幸な末期を迎えた。正統キリスト教の厳格な秩序観からするならば、キリストの復活以外に真の復活はあり得ないので、魔術師の復活の試みはいずれにせよ未生のまま水子のように闇に葬られるのでなければならかったからだ。
…わが主人公(カリオストロ)の現身も公式書の上ではやはり教会埋葬を忌まれ、復活の望みのない悪魔の墓場に葬られた。だが、精神はどうだったのか。…彼がヨーロッパ各地に播いた精神の種子が一つだに実らなかったとは言い切れない兆候がやがて現われてくる。


マスケット銃(251)p.343
 マスケット銃はフランス語のmouchetからきた。この語はイワヒバリを意味する。

マスタバ墳(221)p.39
 古代エジプトの初期王朝の墳墓は、エジプト人が家などで使っているマスタバと呼ばれるベンチに似ていることから、マスタバ墳と呼ばれる。ジュゼル王の大臣イムホテプは、このマスタバを階段状に積み上げ、ピラミッドを作った。

マセラシオン(319)
 収穫したぶどうはぶどうの果梗をつけたまま、発酵槽に送られ、アルコール発酵が行われる。その後、1〜2週間は、マロラクティック発酵(乳酸発酵。リンゴ酸→乳酸)前のマセラシオン(醸し)が行われる。ボルドーではマセラシオンを行う間、発酵途中のワインの表面に果皮が浮き上がってくるので、下から抜いたワインを再び果皮の上に注ぎ、循環させるルモンタージュという作業を行うのが一般的である。渋みなど赤ワインの骨格を作るタンニンは主に果皮に含まれている…。…これに対してブルゴーニュでは、ワインを循環させずに、ピジャージュといって、上から棒状の器具でかき回すだけにとどめるのが伝統的なスタイルだ。

マセラシオン・カルボナック(47)
 炭酸浸漬法。ボジョレーを若飲みできるようにするワインの促成熟成法。これがボジョ レー・ヌーボになる。ボジョレイはガメイ種で、果実香、さわやかな酸味が特徴であるが 、コート・ドールで栽培されると金属的な味になるが、ボジョレイの花崗岩土質がその不 快な味を洗い落とす。

また生きたい(373)
 「また生きたいって思い始めてるのよ、エドアード。勇気がなくて、いつも犯してみたかった過ちを、犯してみたいのよ、またやってくるかもしれないパニックに立ち向かいながら。その存在はたんにわたしを落ち込ませるだけで、そのために、死んだり、失神したりしないのは分かってるから。新しい友だちを作って、賢いままでいるために、どうやって狂ったままでいられるのか教えてあげられる。きちんとした行動のマニュアルに従うのでなく、自分の人生、欲望、冒険を発見して、生きろ″ って教えてやるの。伝道の書からカトリック、コーランからムスリム、トーラからユダヤ教、アリストテレスから無神論まで引用するわ。二度と弁護士にはなりたくないけど、その経験を、わたしたちの存在の真実を知っていた男女についても講演できるし、その書籍はたったの一語で表現できるわ。生きることよ。もし生きてれば、神もあなたと生きるわ」

マタイ効果(427)
 有名な科学者が無名あるいは若い科学者を犠牲にして名誉を独占する場合も多々ある。科学社会学者のロバート・マートンは、これをマタイ効果と名づけた。新約聖書の「マタイによる福音」第25章29節にある「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」という教えからとった名前だ。1974年、英国ケンブリッジ大学のアントニー・ヒューイッシュ教授は、高速で回転する中性子星のパルサーを発見した功労によりノーベル物理学賓を受賞した。しかし、理論天文学者のフレッド・ホイルは日刊紙『タイムズ』 にヒューイッシュがジョセリン・ベルの研究を盗したとする寄稿文を載せた。事実、パルサーを発見したのはベルだった。ヒューイッシュがベルの指導教授だつたことからノーベル賞受賞の資格はあったかもしれないが、少なくともベルを共同受賞者にさせるか、授賞式にべルの寄与を言及しなくてはならないと指摘された。

マータダム(139)  
 殉教者。大勢のために命を棄てる人。

まだらの染み(390)
 「最後の晩餐」の保存状態の悪さにも触れておくべきでしょう。あまりにひどすぎて、何を調べたくても、制作時のままであるとおぼしき基本的な構図以外は、あてにならないのです。完成からわずか20年後、ダ・ヴインチ本人が存命中のころから剥落がほじまり、損傷はどんどん進んで、見る影もなくなりました。16世紀の画家で美術史家のヴァザーリが、もはやまだらの染み″でしかないと嘆いたはどです。…1799年には絵の飾られた部屋がナポレオン軍の兵舎や厩舎として使われ、1800年には洪水の被害を受けました。その後、出入り用の扉を設けるために絵の下部が削られました。…どの人物の顔も、まともな検証ができるはど原形をとどめていません。たとえば、キリストの顔はすべて現代に描きなおされたものなのです。

間違い主義(113)  
 アブダクションは「ソクラテスは人間である。ソクラテスは死んだ。」という二つの事 実をもとに、より広い法則「人間は死ぬ。」を導く。しかし「死ぬのはソクラテスだけで ある。」という結論も出しうる。このようにアブダクションは常に間違う可能性がある。 これをパースは間違い主義として重要視し、この間違うということが人間としての実在感 の根源的な根拠だ、間違った自分が存在していることを通じてのみ、自分の存在を確認す ることができる。デカルトに対する根本的な反論である。

間違っていることを証明せよ(557)
 新たな事実が報告され、既存の理論を支持、もしくは異を唱える主張がなされると、最初の立証責任はその主張をした科学者に帰せられるということ、である。疑似科学の典型的な戦略は、これをひっくり返し、「間違っていると証明してみろ」という暗黙の挑戦とともに何か画期的な主張をするところにある。まだ人を動かさずにはおかない、という段階まで行っていないのであれば、もっともらしい例を挙げなくてはならないのは挑戦者のほうなのである。そうしてはじめて、科学界が理にかなった対応をして新たなアイデアを尊重することになる。

マチルデ・シェーンベルグ(120)  
 ウイーン世紀末のフェム・ファータルはアルマ・マーラー。その師ツェムリンスキーを 夢中にさせ、マーラーと結婚後も、ココシュカ、クリムト、グロピエスと恋愛関係にあっ た。そしてもう一人がこのマチルデ・シェーンベルグ。シェーンベルグの妻となったツェ ムリンスキーの妹。

マッサビエルのグロッタ(152)  
 1858年少女ベルナデッタの前に聖母マリアが出現した洞窟。泉が湧き、盲いが開眼 するという奇跡のルルドである。

マックスウェルの悪魔(71)  
 マックスフェルは自ら[マッスウェルの悪魔]という架空の生き物を想定し、それによ ってエントロピーの法則と相反する現象が起こることを立証しようと試みたが、失敗に終 わった。同じくボルツマンも自らよって立つ古典力学を守るために[H定理]を構築した 、自らの矛盾を証明したにすぎなかった。

マックスウェル方程式(227)
 この方程式はニュートンの法則よりも大きな成功だった。ニュートン力学は低速度と短距離で成り立つ近似に過ぎないことが証明されており、完全な一般性を得るためにはアインシュタインの相対論的見方が必要だった。これにひきかえ、マクスウェルの方程式は、相対論と量子論によって導入されたあらゆる変化の中を生き延びた。この式は一世紀前に導入されたときとまったく同じように正しい式なのだ。マックスウェルはファラデーの直感的イメージを数学的に表現したのであった。

マックスウェル模型(169)  
 レオロジーの基本モデル。バネとダッシュポットが直列に結合。高速ではバネだけが追 随し、低速ではダッシュポットだけが追随する。これに対して並列モデルはフォークト模 型。これらを複合すると粘弾性を示す物質の挙動を表現できる。

松坂の一夜(561)
 (「群書類従」を編纂した盲目の国学者)塙 保己一(はなわ ほきいち)は和学の講談所を立てて門下生を育てるということもやっています。目が不自由な人がこれほどの書を編纂し、弟子まで育てたという情熱に驚きます。弟子たちは保己一の志を引き継ぎ、のちに「続群書類従」を完成させました。
 保己一の師であった賀茂真淵には、たった一度の出会いによってその志を後世に受け渡したという逸話が残されています。それは「松坂の一夜」と題して昔の教科書によく載っていた話で、賀茂真淵と本居宣長との出会いを描いたものです。ある夏の夜、宣長が松坂に滞在していた真淵のもとを訪ねます。すでに大家だった真淵に、宣長は、「私は「古事記」を研究したいと思っていますが、いかがでしょうか」と尋ねます。真淵はかねてから「古事記」を研究したいと思っていたけれど、その前に「万葉集」をやるので手一杯だったと話します。…「あなたはまだ若いから、「古事記」の研究をやりなさい」とすすめました。二人が出会ったとき、真淵67歳、宣長34歳。

真っ当な死(516)
 確かに最後の方は心電図の線の触れ幅が徐々に小さくなり、結局は平坦になり、静かに消えるように死んで行ったのである。確かにそれは、世間的には自然で真っ当な死の形の一つではあったし、最後は「安らかな死」と言えないこともなかったが、そうなる前の数時間は多分地獄であったろうと思う。結局、本人にとっても、親族にとっても、医者にとっても、「良い死」であるとはとても思えなかった。
この時に、医者も親族も、この種の問題では頼りにならないということを、私は身をもって思い知ったのである。
つまり、本人を含め誰も責任をとらない上に、誰も責任を間われないのである。それは世間的には「真っ当な死の様式」ではあったとしても、私には「神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制での死」にしか見えず、苦い思いとともに私には未だに心に引っかかっているのである。


 
魔笛(9)
 モーツアルト最後のオペラ。シカネーダの台本による。 ヨーゼフ2世のフリーメーソン擁護政策とマリア・テレジア公妃の確執を描いた。

マテーラ洞窟都市
 「キリストはエボリに止まりぬ。」エボリはマテーラに近い都市。戦後スラム化した悲惨 な生活を、そう表現した。その後廃虚となっってしまったが、2000年前から人が洞窟 に住みつき、中世には洞窟修道院としてビザンチン文化が栄えた。崖の全体が彫り込まれ た異観の都市として、コンスタンチーヌ、トレド、ロンダに並べて旅への思いをそそる。 南部イタリア、長靴の土踏まずの辺り。近くには、同じように面白いアルベロベッロがあ る。

マトゥラ(143)  
 仏陀を像として表現することを否定していた仏教は侵略者クシャーナ帝国時代のガンダ ーラにヘレニズム的仏像を作るようになった。現在の仏像的なものはマトゥラーにインド 人の感性で初めて作られる。次のグプタ王朝にグプタ・マトゥラー仏として盛期となる。

マニエリスム(441)
 ではまた、なにゆえに調和より不均衡を、統一よりも分裂を、自然らしさよりも人工性を、明快さよりも謎めいた晦渋さを特徴としたマニエリスム様式が生まれたのであろうか。そして、それが現代になって再評価されるようになったのはなぜであろうか。…このような問題を考えるばあいには、「稚拙」、「洗練」、「爛熟」といった、いかなる様式もたどらねばならない様式自体の運命・発展段階のことを考慮に入れなければならない。しかし、不安と混乱の時代に、生よりも死を思って生きた芸術家たちの心情を色濃く反映したマニエリスム美術のぱあい、様式と時代背景との関係がいっそう重視されなければならない。マニエリスム様式の諸特徴のあるものは、時代背景を抜きにしては考えられないといってもいいのである。

マニカルニカー・ガート(177)  
 ガンガーの聖地バナーラスの火葬場(ガート)。遺体を沐浴させた後、井桁に積み上げ られた薪の上で荼毘に付され、遺骨をガンガーに流す。ガンガーは天界から降下した川で あり、この聖なる水によって生前の罪は清められ天なる世界に昇って行く。

マニ教(429)
 マニ教を始めたのはペルシア人で、バビロニア生まれのマニ(216頃--277頃)である。彼は若いときに、二回ほど神の啓示を受けたといわれ、それにより自分が神の真理をもたらす預言者であると確信する。両親のもとでペルシアの宗教を教えられ、インドで仏教を学び、また「マニ、イエス・キリストの使徒」という表現を好んで用いるほど、キリスト教にも親しみ、これらの宗教思想と自らの体験をもとに独自な宗教を創出したのである。語学の才能に恵まれた彼は、詩的表現の巧みな雄弁家であるばかりではなく、学者でもあり、また画家として著名であった。
彼はペルシア王シャープール一世と会見し、王の同意を得て、ペルシア国内でマニ教の自由な布教活動をなし、大きな反響を呼んだ。しかし、二代後のバーラーム一世の治下になると、他の宗教家たちの反感をかい、迫害を受けた。マニはそれに屈することなく宣教活動を続けたために捕らえられ、拷問の後277年ごろ殺害された。彼の弟子たちはこれをイエス・キリストの受難にたとえる。マニの死後も信者の数は増え、百年後の327年にはローマ帝国が禁止令を出すほどまでに各地域に入りこみ、勢力を広げていった。アウグスティヌスのころも依然としてマニ教は伝えられており、しかも多くのインテリをひきつける活気ある宗教であった。
 古代の有力な宗教思想、グノーシス主義の発達した形態とみなされるマニ教の基本的な特色は二元論にある。それによると、永遠に対立し、かつ共存している二つの原理として光の国と闇の国がある。双方に属する人間はこの二つの原理の入りまじった、不協和音的存在である。人間にとり大切なことは神と人間についての知識をもつこと、つまり神認識と自己認識である。
 マニ教によると、光の国の又配者である神と、闇の国の支配者である悪魔は対立している。神から送り出された五つの要素、光、空気、風、火、水を悪魔は攻撃する。光を闇で包み、空気を煙で汚し、良き火を凶火に転じ、さらに風を暴風に、水を泥沼に変えようとする。このような光と闇の対立、抗争の場として世界は創造された。
 人間も、神と悪魔の抗争過程で闇の国の業として創られ、善なる要素も有してはいるが、それは肉体のなかに閉じ込められている。人間は自己の内部で光と闇の原理が戦っていることも、救いの道も知らない。そのため神は預言者を派遣する。アブラハム、ゾロアスター、仏陀、イエスなどはみな預言者である。そして最後に救いの完全な知識を人間に与えるためにマ二が出現する。人間は神の使者のもたらす光で心を照らされ、真の知識に目を開かされ、自己の精神状態について悟り、また救いの道を知るようになる。けれども人間は肉体を有する限り、悪の支配下にとどまる。闇の力と戦い、それに打ち勝つためには救済者が必要である。また信徒は禁欲的な生活をする必要があり、肉食、飲酒、情欲などを避けなければならない。もっともこのような禁欲的な倫理は選ばれた聖者たちにのみ要求されるものであり、一般の信徒(聴聞者)は聖者に仕えることにより、信仰の道を歩むことができる。アウグスティヌスは聴聞者として372年から約九年間を過ごした。

マニケイズム(203)  
 物事を悪玉か善玉にはっきり分けないと安心できない思考形態。

マヌーバー(352)
 迂回行動。

マネタリズム(492)
 フリードマンによって代表されるマネタリズムについて言うならば、彼らは自由放任の経済政策がいちばんよい、完全雇用政策を実施しても自然失業率なるものに至ってしまうのであり、それを引き下げることはできないという。そして経済政策は貨幣量の伸び率を一定に保つ以外にないのだということである。もし貨幣量の伸び率がこの適正な率を越えて伸びるならば、やがて何年かのちに、それは物価上昇となって現われると主張する。
…ケインズ主義者は利子率の動きを重視し、貨幣数量の動きを無視したとフリードマンは言うけれども、ケインズこそ貨幣数量の伸びによる経済のコントロールを重視したのであって、貨幣量の伸びを無視したという非難をケインズに浴びせることはできない。


マーの計算理論(38)
 たとえば視覚認識の過程で、網膜からの情報が視覚野に入るまでに情報が計算されて修飾されるという1969年ケンブリッジ大の数学者マーが提唱した。仮説。プルキンエ細胞と平行繊維とのシナプス伝達効率が可変的すなわちシナプス可塑性があることで脳の神 経回路がコンピュータとして機能する。

マハーヴィーラ(380)
 インドには仏教と並んで発展した宗教としてジャイナ教というのがある。…仏教の姉妹宗教のように見なされているが、異なった点も少なくない。ジャイナ教とは「ジナ(勝利者)の教」という意味であるが、勝利者とは煩悩にうち勝った人という意味である。戦場で敵に打ち勝つよりも、自分の煩悩にうち勝つことのほうがもっと難しいというのである。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラは厭世観をいだき、業に束縛された悲惨な状態を脱して永遠の寂静・至福の状態に達するためには、極度の苦行を実践して、霊魂をきよめることが必要である、と教えた。…初期のジャイナ教の行者は無所有の戒律を厳守した。いっさいの所有を否定した結果は、衣類を身につけることも禁じることになる。

魔法の弾丸(500)
 1910年に梅毒の治療法に革命的な進展がみられ、フレミングが手を染めはじめていた梅毒研究は大きな刺激を受けた。それまでは、大半の不治の病気と同じく、そのつど流行するものの効果のない数多くの治療法があった。ドイツのフランクフルトでパウル・エールリッヒは、人体に対するよりも梅毒スピロヘータに対して毒性の強い新化合物を探す組織だった研究を始めた。エールリッヒは、特定の標的のみをやっつける、自らいうところの「魔法の弾丸」を捜し求めていたのである。605の新物質を繰り返し試験した後に彼が見出したのは、梅毒スピロヘータに対しては高い毒性を示すが、人体に対する毒性ははるかに少ない砒素の誘導体であった。これはジオキシ・ジアミノ・アルゼノベンゼンという物質で、彼はこれを「606」、後に「サルバルサン」と呼んだ。

魔法の森(139)司馬遼太郎  
 日本という国の森に大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとた たいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。…魔法の森からノ モンハンが現れ、中国侵略も現れ、太平洋戦争も現れた。…国というものを賭博場の賭け の対象にするひとびとがいました。…魔法をかけられてしまったひとびとの心理だったのではないか。ペーパテストで陸軍大臣になれるし、総理大臣にもなれる。そういうことで出てきた人 たちが昭和期になって明治のひからびた思想を利用した。明治人はそれがみな、ひからび た思想だということを知っていたと思います。そのひからびた尊皇攘夷を持ち込み、統帥権という変な憲法解釈の上にのっけたのではないかと。それが魔法の森なのではないかと 思うのです。

幻の白い崖(134)  
 地上最美の地、南極半島は、紺碧の海に浮かぶアルプスと呼ばれる。紺碧の海の中に純 白の氷の島が点在するさまは、まさに天国の楽園を想わせる風景で、浄土の世界を彷彿さ せる。これ以上清浄に美しい風景はこの地上では望むべくもない凄さだった。  圧巻はウエッデル海側のラルセン棚氷に1000mの垂直の壁になって落ちる全長数百 kmに及ぶ白い断崖である。

マムルーク朝(438)
 このころエジプトを支配していたのは、マムルーク朝(1250−1517年)と呼ばれる王朝である。マムルークとは、もともと奴隷を意味するアラビヤ語の一つで、とくに9世紀以後は、カリフなどの親衛隊を構成するトルコ系の軍人奴隷を指していた。マムルーク朝の前代はアイユーブ朝(1171−1250年)という、12世紀末には十字軍にかなりの打撃を与えた王朝で、そのスルタンはクルド族出身であったが、この王朝の軍事力の中核はマムルークと呼ばれるトルコ人の奴隷軍団であった。マムルーク朝は、こうした奴隷出身の軍人が権力の座に君臨した王朝である。

マヤーク核災害(415)
 ロシア連邦チェリヤビンスクのマヤーク・プルトニウム製造企業体で核兵器開発の最中、核廃棄物公害などにより周辺住民に甚大な体内汚染が発生した。特にテナャ川の核汚染による流域住民のストロンチウム90による内部被曝は世界に例をみない災害となった。…1949年に、南ウラルにおいてソ連の原爆プルトニウムの生産が始まった。これは、内務大臣ペリヤが建設責任者としてつくったソ連最初の核施設マヤークである。
…1993年、ロシア政府は、はじめてこのウラル地方の放射能汚染の実態を公式に発表した。ロシア閣僚会議幹部会によれば、工場周辺に放出された放射性廃棄物の放射能総量は3700万テラベクレル以上に達し、「チェルノブイリ原発事故の20倍」にあたる。この間、約45万人が被曝し、そのうち強度被曝者5万人中1000人が発病した。


マヨン火山(305)
 標高2421メートル、ルソン島最南部の火山。世界でもっとも均整のとれたコニーデと言われるだけあって、残念ながら富士山よりも形が整っている。完璧に近い左右対称で、頂上から裾野への曲線も起伏がなくスラリとしている。

マラー(523)
 歴史の不吉な転回がはじまり、革命の原則は裏切られるのだろうか。焦燥感から実力行使によって革命を前進させようとする動きが生まれる。口火を切ったのはマラーであった。彼の『人民の友』は毎号毎号、革命の裏切り者にたいする人民の復讐を叫びつづけた。マラーはサルジニア系、スイスのヌシャテルの近くに生まれた。そして同郷のルソーの栄光と悲惨に感激した。牧師の父と教育熱心な母によって第二のルソーたれと励まされ、猛利な勉強に日を送った。
 他の新聞のように、民衆にわからない抽象論におちいることはけっしてない。具体的事実ばかり、情報とスキャンダルと人身攻撃で、『人民の友』は最高の人気を博した。「破廉恥、悪党、鬼畜」−−いつも同じ悪口雑言のあと、いつも同じリフレインは「死刑にせよ」。 マラーは革命的ジャーナリズムの典型であったが、彼らのあいだの過当競争は、とめどのない急進化を生むこととなる。その帰結の一つが恐怖政治にほかならなかった。


マーラー・アンサンブル(120)  
 マーラーが支配人であった時期のウィーン宮廷歌劇場はその黄金時代を築く。しかしマ ーラーの絶対主義は、ハンス・リヒターはじめ旧時代の実力者にとって居心地の悪いもの で、彼らは次々にウイーンを去った。マーラーは旧来の声の美しい歌手よりも劇的な表現 力に優れた新人を発掘してマーラー・アンサンブルを作り上げた。

マラッカ・ポルトガル人家族(437)
ポルトガル(のマラッカ経営においては)兵士とアジアの婦人聞の通婚によって、利害と血液がポルトガルとかたく結びつく混血児を現地で生みだし、マラッカでヨーロッパ系(従ってカトリック系〉の官吏、兵士、職人を教育することが計画され、実行されたのである。彼らはポルトガル人と同じ運命共同体に属するという意識と同時に、また、マラッカを彼らの真の祖国として愛する運命の児であったわけである。…1641年…一年以上にわたるオランダ人とアチン人の連合軍によるマラッカ市の完全包囲、そして半年あまりもつづいたオランダ軍によるマラッカ要塞への強烈な攻撃の後、本国からもゴアからも救援の全く来ないマラッカは、ついに降伏する。……ただ単に生き残っただけではない。「マラッカ・ポルトガル人家族」は彼らが16世紀に得た純粋なカトリック信仰を……その信仰とフランシスコ・デ・サピエルが深くかかわっているわけであるが……オランダ、イギリスのプロテスタンテイズムの圧力にたえ、マレーシア政府のイスラム優先政策にもおかされず、現在もなお保ちつづけている。…複数民族国家マレーシアの中での、最少数民族の一つとして、最底辺に近い物質生活をしながら、精神的には極めてゆたかとも思われる状況で、16世紀以来の古い純粋なカトリックの信仰、家族生活、独特な話し言葉、そして共同社会としての統一性を保ちつづけ、熱帯の太陽の下に、白い肌をかがやかせながら、現在もなお生きつ,つけている。

マラノス(27)
 キリスト教に表向き改宗したかくれユダヤ人。コロンブスもその一人。  

マラーノの改宗(541)
 (スピノザの)当時のアムステルダムのスペイン・ポルトガル系ユダヤ人は、宗教裁判の恐怖をのがれ、信仰の自由を求めて移住してきた、と一般には考えられている。彼らはもともとスペイン、ポルトガルにおいて、ユダヤ教からキリスト教へと強制改宗を余儀なくされた人びと(この人たちのことをマラノという)の子孫である。キリスト教は彼らにとって課せられた宗教であったため、彼らはそれに真の信仰を見出すことができず、内面では依然としてユダヤ教への憧憬を捨てきれないでいた。
 彼ら移住者たちは、アムステルダムにおいてユダヤ教に改宗した。だがそのもって生まれた世俗性をたずさえての、ユダヤ教への、しかも自分たちの先祖とはなんの縁もない東欧のアシユケナジー系のユダヤ教に改宗していったのである。ここに問題が起こらぬわけがなかった。


マリア霊場(398)
 中世の人びとにとって、大罪を犯して地獄の終わりなき呵責をうけることは最大の恐怖であった。いまや、その絶望の淵からかすかな希望の光が射しこむことになる。とりわけ、慈愛にみちた聖母やマグダラのマリアへの思慕がつのることになる。当時の有名なマリア霊場として、フランスのシャルトル、ル・ビュイ、ロカマドゥール、またイギリスのウオルシンガム、ドイツのアーヘンなどがあげられよう。こうして、巡礼は多くの民衆の熱狂的な支持を集め、中世キリスト教会の不可欠要素として定着することになつた。その巡礼の道行きには、一部の女性や貧者たちも参加している。いわば、男女の性的および社会的な差別の解消ともみることができよう。

マーリエンバートの悲歌(496)
 カールスパートからワイマルへの帰路の馬車の中で、ゲーテは138行の長詩のあらましを構想した。
    われわれの胸の清い深みに波打っている強い励みがある。
    より高いより清い未知のものに
    感謝の心をもって内発的に身を捧げ
    永遠に名づけられないものの謎を解こうとする。
    われわれはそのことを敬度と呼ぶ。
    そのような至福な高みにわたしはあずかることを感ずる、
    あのひとの前に立っときに。
この恋を、いや真実の恋一般の精髄をこのように深く高く歌った詩句は少ないだろう。この節を頂点としてこの詩の結末は、そのひ とにもはや会いえない自分には、一切が、そして自分自身、が失われてしまったと歎いている。この体験が彼にはそれほどまでに重大であったのかと驚かされるほどである。


マリヤによる福音書(472)
 マグダラをめぐる葛藤が、もっとはっきりとしたかたちで投影されているのが、二世紀にグノーシス主義の強い影響のもとで成立したとされる一連の外典である。とりわけ、『マリヤによる福音書』『トマスによる福音書』『フィリポによる福音書』『ピスティス・ソフィア』などがそれである。このうち、女性の名前を冠した唯一の福音書である『マリヤによる福音書』は、文字どおりマグダラのマリアに捧げられたもので、女性の主導権や使徒としての役割をめぐる原始キリスト教時代の論争が、如実に映し出されたものとして読むことができる。この福音書において、マグダラのマリアは、幻視を見る力に恵まれた預言者のような存在として、また、男の弟子たちを励ましさえする使徒のなかの使徒として登場する。

マーリン・エンジン(19)
 ロールスロイス社製エンジン。アーサー王の魔術師マーリンから名付けられたと考える のが自然。出力1410馬力でスピットファイヤ等に搭載され、マーリン・エンジンによ って英国はドイツに勝利したとまで言われる。

マリタ遺跡(157)  
 イルクーツク近郊のモンゴロイド旧石器時代遺跡。人類のシベリア進出、さらにベリン ギア渡過の歴史的証拠。マンモス・ハンターとして北を目指したと考えられる。

マリー・デュプレシ(335)
 <トラヴィアータ>(道を踏み外した女)の原作は、アレクサンドル・デュマ・フィス。文豪デュマの息子(フィス)である。24歳の時にドゥミ・モンド(裏社交界)を描いた「椿を持つ女」という処女小説を書いて、ベスト・セラーとなった。カメリア(椿の花)は娼婦という意味も含まれている。この物語には実在のモデルがいた。彼の恋人であったマリー・デュプレシである。パリで最も人気のあったコーティザンだった。1824年極貧のうちに生まれ、お針子として暮らしを立てていたが、裏社交界で成功する。一時フランツ・リストの恋人になり、その後伯爵婦人となったが、23歳で胸の病でひっそりと息を引き取った。

マルタン・ゲール(200)  
 ラングドック、アルティガ村に起きた歴史的訴訟となった偽亭主事件の主人公。

マルチン・ルター夫妻(437)
 ゲルマンの原野では、前半生をアウグスティヌス修道院の最優等生として苦行貞潔不犯のうちにすごしたルターや在俗(教区)司祭の最優等生の一人ツヴィングリらが、自らの破戒を公表公開し、新しい信仰理論で、それを正当化しようと大まじめにこころみる。そして、結婚生活と司牧職が両立しうるものであることを論証しえたとしてこわだかに宣言する。…カタリーナ夫人との聞にもうけた6人の子供、それに11人の養子にかこまれて、いわば裕福な市民的家庭生活の先どりのような団禦の中にとけこんでいた晩年のマルチン・ルター夫妻を1527年の時点で想像することはできない。…解放された修道女の1人、正式結婚後、日の浅いカタリーナ・フォン・ボラ夫人の女性を犯し、…同時に、神にそむいているというおそれにおののいていたと想像するのは、ルター像を冒涜することになるであろうか。

マルティン・クヌッツェン(487)
 37歳の若さで早世したこの人物は、…敬度主義とヴォルフ哲学を二つながら奉じていたが、学者としても教師としても才能に恵まれ、世間に知られていた。…伝記者ボロフスキの「カントは、クヌツツェンの授業に残らず出席した」という証言を額面通り受け取ることにすれば、カントは、この員外教授から、数学、哲学汎論、論理学、討論演習、実践哲学、天文学、合理的心理学、自然哲学、自然法、修辞学、記憶術、誤謬論、代数学、無限解析といった、今日の常識からすれば途方もなく多方面にわたる科目についての教えを受けたことになる。(もっとも、後でも見るように、カント自身の後年の大学での講義科目も、多彩さにおいてこれに劣るものではない)
 クヌッツェンの論理学提要には、まったく経験論的な、(ロックをおもわせると同時に)すでに後年のカントをおもわせもするつぎのような章句、がみられる。「知性のなか、さらには一般的にいって人間のすべての認識のなかで、すでにある意味からして感覚のなかになかったものは一つとしてない。われわれのすべての認識の源泉は、内的なまた外的な経験である。」

マロラクティック発酵(321)
 (…マロラクティック発酵と呼び、リンゴ酸を乳酸菌によって、乳酸と炭酸ガスに変える。これは赤ワインの標準工程である。)…ブルゴーニュの白ワインでは、このマロラクティック発酵を行うことで、減酸する同時に、香りも複雑性を帯びて、味わいは乳酸、例えばヨーグルトの酸のように、まろやかで横に広がる感覚があります。(この工程を行わない)ボルドーの方はリンゴ酸によって爽やか印象がよりスマートさを与えるような感じがします。

マンジュ(414)
 女真族など、もともと山林の走獣か飛鳥のようなものだったのだ。大明国という巨大な文明に挑む力はありうべくもなかったのだが、ヌルハチという巨人が魔術を演じた。散居する女真人を組織づけ、さからう同族を殺し、従う者どもには威をもって統御し、これに軍令をあたえ自在に進退させた。…ヌルハチに従っていた者の多くはその武を怖れただけのことで、女臭に心服していたかどうかわかったものではない。ヌルハチは、武で興った自分の基盤のもろさを知っていたにちがいない。かれは宗教をもって統御しょうとした。
「わしはマンジュ (満洲・満住)だ」と、かれがしばしば言ったのは、むろん女真族のなかでのマンジュ部族だという意味なのだが、同時に、文殊菩薩だ、という語感を加味させていた。

曼荼羅(348)
 曼荼羅はサンスクリット語のmandalaの音写語で、さまざまの訳語があるが、輪円具足という語が曼荼羅の本来の意味をよくあらわしている。一箇の輪がさまざまな部分、要素から成立つていて、それじたい全体的な総合性をもっているものにたとえている。つまり、密教の深秘の生命的世界をさまざまな人格的表現をもって示したものである。空海は密教の世界は奥深くて、普通の言葉をもってしては説くことができないから、かりに図画をもって示す。これが曼荼羅だといっている。
 仏教は釈尊を開祖とする。密教はもちろん仏教の発展形態にほかならないが、その教主は釈尊ではなく、大日如来であるとする。大日如来はこの全宇宙わもって身体とするところの宇宙の霊格であり、したがって万有一切によって象徴されている仏身である。その造形化されたものを曼荼羅という。
 空海密教では金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅との二種の曼荼羅が説かれる。本来、一者であるべき宇宙生命の世界がこのように二面性をもつのは、前者が智慧のはたらく差別の世界、または現象を、後者が慈悲のはたらく平等の世界、または理法を表現するものとされているからである。


マンディリオン仮説(41)
 信憑性を疑われるトリノの聖骸布のルーツとして紀元6世紀のトルコに聖遺物として出 現する。奇跡によってキリストの顔が刻印された布で、アケイロポイエトス(ギリシャ語 で人の手で作られたものでない)と呼ばれた。

マンネルヘイムの七五歳の誕生日(513)
  ヒトラーはフィンランドに対する策を打った。1942年6月4日、マンネルヘイムの75歳の誕生日を祝うため、ヒトラーは突如、フィンランドを訪問したのである。
 …ヒトラーにとっての戦争目的は、彼らにとって不倶戴天の敵、ボルシェビキ、ソ連の撃滅であった。ヒトラーはこの戦い仁、イタリア、ハンガリー等多数の同盟国を誘い込んだ。同じくドイツとともにソ連と戦った国に、フィンランドがあった。フィンランドは第二次世界大戦の緒戦で一方的にソ連から攻撃され、敗戦の憂き目を見ており(冬戦争)、ソ連にたいするうらみは深かった。
…ドイツは戦争に勝てないかもレれない。この事実にフィンランドはいち早く反応した。(1941年)12月21目、フィンランド軍の総司令官マンネルヘイム大将(後に元帥)は、リュテイ大統領に「力タスト口フが始まった」と語った。彼は戦略を完全に転換させ、すべての攻撃行動を止めさせた。戦争はつづいていたが、フィンランドはドイツとも連合国とも関係を悪化させない綱渡りをしながら、講和の道を探ったのである。

マンネルヘイム防衛線(439)
 ソ連の大軍は雪崩をうって、フィンランド国土に侵略を開始した。時に1939年11月30日の払暁のことである。…しかし衆目の一致するところ勝敗の帰趨は初めから明らかであった。フィンランド国民がいかに健闘しても、ソ連の軍門に降るのは旬日のうちと予想された。しかし、フィソランド国民は、ソ連の大軍を前にして怯むことなく敢然として受けて立った。全国民あげてマンネルヘイム元帥のもとに馳せ参じ、祖国防衛のために戦った。主戦場はカレリア地峡であった。そこに深厚20マイルのマンネルヘイム防衛線があった。それはマジノ線のような強力な要塞線ではなく、旧式なトーチカ群や塹壕綱の集りに過ぎなかった。数においては比較にならないほど劣勢であったが、祖国のために身を挺して戦ぅ勇猛果敢なフィンランド軍の前にソ連軍の前進は食い止められた。それは世界の人々にとって奇跡としか考えられなかったようである。チャーチルも『第二次世界大戦回顧録』の中で、フィンランド国民の英雄的奮戦に対し、筆を惜しまず讃辞を呈している。

満杯作業(97)
 ボルドーではワインの樽材はリムーザンかアリエールのオークである。新酒を樽に入れ ると酸化によって炭酸ガスが発生し、中身も蒸発によって目減りするので、週2回ワイン を補充して、常に満杯になるようにする。翌年の初夏、木栓で密閉され熟成に入る。

マンリーコ歌い(335)
 Di quella pira「見よ、恐ろしき炎を」(トロヴァトーレ第3幕のマンリーコのカバレッタ)ここで通常歌われるハイC音は、ヴェルディの書いた楽譜には記されていない。1853年のローマのアポッロ劇場での初演で、マンリーコ役のボーカルデが勝手に変えて歌ったのである。これは聴衆の熱狂的な支持を得たのだが、さらに当時の最高のドラマテイック・テノール、エンリーコ・タンベルリックがこのハイCを定着させた。またフランコ・コレッリはこの役を歌うために生まれてきたような理想的なマンリーコ歌いで、その激情的かつ悲劇的な役作りは定評があった。




【語彙の森】