語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-7-25 計42語
新着語
盲目の男と足の麻痺した男、目的地、モン・スニ峠、蒙古襲来、黙示録の獣ナポレオン、もう一つの技術、モラルサイエンス、物自体、物自体と現象の峻別、目的と手段、森本公誠、モンテヴェルディ、

■蒙古襲来
 日蓮宗は、蒙古来襲と思想的に関連をもっているので、政治的色彩、即ち愛国的情趣・国家主義というようなものを添加している。鎌倉時代を特徴づける一因子は対外性であるので、おのずから日蓮宗のようなものも出来た。そうしてまた他方に伊勢神道の源泉となるべき『神道五部書』が書かれた。両部神道は仏教の方面から神道を見たもの、『五部書』は神道の方から、仏教などによりて外から伝えられ与えられたものを、いわば日本思想的に統一せんとしたものである。…神道思想を刺戟して、自覚を高めしめた一つの外的因子は、これまた蒙古来襲であると思う。平安時代このかた東方アジアの孤島で桃源の夢を食っていた我らの祖先が、急に敵性をもった外カが加わってくるのを見て、自分というものを見直さねばならなくなった。国家に由緒ある神社に祈祷を捧げるもさることであるが、思想的に神社を存在せしめているものはなんだろうかと考えることもまたしなければならなかった。


猛獣使いの役回り(385)
 「我国の歌劇場制度では、毎日公演を行わなければならない。始末に負えない自堕落と根の深い欠陥を至るところで目撃する。いざ上演というときになって最初からやり直さなければならず、苦労はすべて水の泡になるというのは日常茶飯事だ。おまけに僕のレパートリーには、最高の作品だけではなく通俗的な作品も含まれている。しかも大抵は、上演スタッフと観客の愚かさと能力の限界が僕の前に壁のように立ち塞がっていて、僕がやっていることなどシーシュポスの苦役以外の何物でもない。僕の最良の能力ばかりか、命まで消耗し尽くしてしまう。目的も無く、成功もまた無い」 こう嘆いたのはマーラーである。「ウィーン歌劇場においても、またドイツ語オペラの歴史においても、もはや二度と体験されることのない芸術的完成の十年間」を創造した人間のこのような言葉を、現代のオペラ・ファン達はどう読むだろうか。オペラを楽しむことができなければ真の音楽愛好家ではないとオペラ・ファンは言いたがるが、これほど楽天的な自己満足はないということを知るためにも、またオペラ指揮者を華々しい職業と考えるのは幻想にすぎないということを理解するためにも、このマーラーの言葉は銘記されてよい。

猛獣ハンター(413)
 気候のせいなのか人間の蛮行のせいなのか、いずれにせよ世界中で起きた大量絶滅の結果は誰の日にも明らかだ。北米では、更新世後期の大型動物相は今から1万2000年前には消えていた。…ポール・マーティンにとって、納得のいく結論はひとつだった。1967年、彼は『ナチュラル・ヒストリー』誌でそれを公表した。大型動物相が消えたのは、「寒すぎた」のではなく「殺しすぎた」のだ、と。「人類が、人類のみが、更新世後期の独特な絶滅の原因だとわたしは考える」 こうして、目に微笑みをたたえた、茶目つ気のある大柄な紳士が、「電撃戦モデル」の旗手となった。その仮説は、クローヴィス文化の猛獣ハンターたちは、致死力の高い精巧な槍で、新世界の無力な大型動物たちを突き殺しながら進んでいったとする。後に残されたのは、現代でも見られる平凡な動物たちだけだった。

猛スピード(301)
 われわれは、じつに想像を絶する猛スピードで地球とともに旋回し、宇宙空間の闇の中を疾走しているのです。自転が時速1700km(赤道上)、公転が時速11万km。

もう一つの技術(498)
 彼らは、人類の破滅をいう代わりに、積極的に価値の転換を主張した。たとえば、D・ディクソンはその著書『オルターナティプ・テクノロジー』で、次のように主張している。「もう一つの技術」で開発の必要が強調される技術は、非更新性資源の使用を最小限におさえるもの、また環境を汚染せず、地域社会の健康を脅かさないもの、そして一般的にいって、自然の生態系の循環に対する干渉の、できるだけ少ないものである。このような技術は、人間と自然の間の競争と支配の関係でなく、協同という考え方に基礎を置くことになろう。

もう一つの中村特許(326)
 日亜の小山稔氏が指摘する青色LEDに関する「404特許」と並んで重要な特許。「熱アニーリングによるp型化−−発明者=中村修二、岩佐成人、妹尾真雅之−−発明の名称=p型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法」気相成長法により、p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後、400℃以上の温度でアニーリングを行うことを特徴とする…。「404特許」の1年後に出願された。
 名古屋大学赤崎教授は89年に窒化ガリウムのp型化に世界で初めて成功した。低温電子線照射の効果を発見したのである。しかし、p型化に寄与する「熱」効果を見落とした。これに日亜は着目したのだ。最初に発見したのは妹尾で、電子ビームによって過度に加熱された資料が、p型を形成していた。部下の岩佐は、加熱のみでp型化が可能ではないかと思い、アニールの手法が確立していった。これらの実験的事実を中村が、水素原子の寄与を推定した。

■盲目の男と足の麻痺した男(558)
 ジョン(・フランクリン)は戦争中、急激に襲ってくる困難に対して機敏に対処することができないのに悩んだものだった。対処が遅れた経験が、どれほど多いことか! 銃弾の雨に身を曝したのもひとえに、自分は鈍重ではあっても臆病ではないと証明するためだった。
…すぐ近くの踏み荒らされた泥招に、イギリス兵の死体が転がっている。その二歩先にはアメリカ兵、さらにその先にまたイギリス兵。皆が、緊張や怒りに歪んだ顔をしている。…やがてその男の声が聞こえてくる。「見えない!」と叫んでいる。「目が見えないんだ。誰か聞こえるか?」 「ここだ!」と足の麻海した男は叫ぶ。
 盲目の男がやってくるまで、ずいぶん時間がかかる。口元には微笑みをたたえているが、顔の上半分は、まるで絵の具を塗ったように真っ赤だ。盲目の男が言う。「俺をここから連れ出してくれるか?」 「うまく動けないんだ。脚のせいで。だけど、少なくとも目は見える」 「じゃあ、俺が君を背負おう。君はただ方向だけを教えてくれ」 「身に余る光栄だな」と脚の麻埠した男は一言う。盲目の男が、脚の麻痺した男を背負う。


黙示録の獣(395)
 666という数字が何を意味するか、ドストエフスキーは知りすぎるほどに知っていた。彼が愛読してやまないヨハネ黙示録の十三章には、アンチクリストたる二頭の獣のことが語られている。悪魔の化身である龍が、天使たちとの戦いに敗れて地に落ち、そこで、海中から上ってきた獣に、自分の持っている力と権威を譲る。この獣は四十二カ月の間活動するが、やがて致命傷を負う。すると、地中から上ってきたもう表の獣が、前の獣の生きた像を作り、それを人びとに礼拝させる。そして、すべての人間の右手ないし額に、獣の刻印を押させる。この次第を物語ってから、黙示録作者は次のように述べる。
「この刻印はかの獣の名、あるいはその名を表わす数字である。ここにそれを解くかぎがある。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。この数字は人間の名を指している。その数字は六百六十六である」
黙示録の解説書によると、ふつうこの666という数字は、初期キリスト教の迫害者ネロを表わす数であるとされる。彼の名、ネロン・カエサルは、ヘブライ文字では七つの子音(NRWN QSR)で表記されるが、これらの文字のもつ数値を合計すると、666になるというのである。こうして666という数字は、キリスト教の迫害者、アンチクリスト、悪魔を指す数とされた。「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法はしだいに各国にひろまり、それぞれの国のアルファベットに数値を代入して、アンチクリストを割り出すことが、十九世紀にもまだ流行していた。いや、二十世紀になっても、ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーのゲマトリア数が「666」と計算されていたらしい。

黙示録の獣ナポレオン(520)
 黙示録の第13章18節にこう書いてある、「ここに智慧あり。才智ある者はこの獣の数を算えよ。獣の数は人の数なり。その数は六百六十六なり。」それから同じ章の五節にはこう書いてある、「この獣また大言と(穢)言とをいう口を与えられ、四十二か月のあいだ働きをなすべき権威を与えられる。」
フランスの文字は、へブライの計数法にしたがって、最初の十文字を一の位とし、残りの文字を十の位で算えていくと(a=1,k=10,l=20,m=20,……z=160)、 次のような意味をおびてくる。…このアルファベットによって、「L`Empereur Napoleon(皇帝ナポレオン)」という言葉を数字で書くと、この数の総計は666となる。したがってナポレオンは黙示録に予言された駄だということになる。そればかりか、このアルファベットによって「Quarante deux(42)」という言葉、すなわちこの獣に大言と(穢)言を発する権威を与えられた期限を書いても、この数字の総計は、やはり666に等しい。これによってナポレオンの権力のきわみは、フランス皇帝の齢四十二を過ぎた、1812年と帰結されるわけである。

■目的地(558)
 奇妙だった−−目的地に近づくほどジョンは、目的地などもう必要ないと感じるようになっていった。まったき静寂、完全な時間の超越−−真面目な話、そんなものがなんの役に立つというのだ? ジョンは艦長で、船を持っている。もはや岸の一片になどなりたくなかった。北極はジョンを惹きつける。それは間違いない。だがそれは、北極に着いたあと、すべてを新しく始めたいからではない。もうすでに始まっているのだ! 目的地が重要だったのは、そこまでの道のりに到達するためだったのだ。いまジョンはその道のりにいる。その道のりをジョンは進んでいる。そして北極は再び地理上の概念となった。ジョンの渇望はただ、旅を続けることのみだった。まさにいまのように、人生の終わりまでずっと発見の旅を続けたい。それは、人生と航海におけるフランクリンの流儀だった。

目的と手段(481)ガンディー
 あなたは手段と目的との聞にはなんら相関関係はないと信じていられるようだが、それは思い違いもはなはだしい。そうした思い違いをするものだから、宗教的と思われていた人たちまでが、とんでもない罪を犯してきたのです。あなたの論法は、毒草を植えても薔薇を花咲かせることができると言うのと同じです。わたしが大海を渡りたければ、船を使ってはじめて海を渡ることができるのです。その目的のために馬車を使ったのでは、馬車もわたしも、たちまち海底の藻屑となることでしょう。「神を信じる者は神のごとし」とは、よくよく考えてみなければならない箴言です。その意味をとりちがえて、人びとは道を踏みあやまってきたのです。手段を種にたとえ、目的を樹にたとえることもできます。目的と手段のあいだには、種と樹のあいだにあるのと同じ冒しがたい相関関係があるのです。

モサラベ(307)
 イベリア半島を中心にイスラム支配下にあった、すなわちレコンキスタの時代のキリスト教様式。一般には石造のカテドラルをイスラム方式のレンガ積みのムデハル様式としたのも一例である。

モースブルッガー(197)
 ムジール「特性のない男」に現れる奇怪な性犯罪者。  

モーゼ(55)
 フロイトは歴史上最重要の捨て子伝説に着目して「モーゼと一神教」を書く。そこでモ ーゼはヘブライ人ではなく、エジプト人であるとし、その名もヘブライ語のモーゼ(水か ら引き出されたもの)ではなく、エジフト語のモーセ(子)に由来すると考えた。彼は次 のような大胆な仮説を提示する。アテン神を唯一神として宗教改革をおこなったアメンヘ テプ4世が没すると、その信徒たちは弾圧され追放された。このときユダヤ人を率いてエ ジプトを出たのがアメンヘテプの王子であるとする。時期的にはおかしくはない面白い話 し。

モーゼの十災(6)  
 神の啓示を受けたモーゼがエジプト王にユダヤ人奴隷の解放を要求して行った脅迫的な 奇跡。最初は王杖を蛇に変えた。十番目が全ての初子を殺す、ただし子羊と酵母の入って ないパンを焼き食べ、子羊の血を鴨居に塗った家は見過越していくという神の告知。これ が後に「過ぎ越しの祭り」となる。

モーツァルトクーゲル(31)
 モーツァルト玉。ザルツブルグ郊外グレーデッヒ村のミラベルというチョコレート工場 が元祖。

モーツァルトのハ短調(226)
 モーツァルトの協奏曲でただ一つ、まあ、あの曲しか好きになれないんだ。(24番のこと。他の短調は20番のニ短調)あの録音で文句を言いたいのは、通奏低音演奏が充分にできなかったことだ。ぼく(グールド)が付け足したのだとコメントした輩は、明らかに間違っている。モーツァルトが自分でやったのは文献上も事実だ。…ほかのだれがやってもよいとモーツァルトは当然の如く考えていたのだ。

モテット(435)
 ノートル・ダム楽派の音楽家たちの幻想力は、オルガヌムの技法を武器に、もっと奇抜な着想にまで発展していった。それは、モテットとよばれるジャンルをうみだすのだが、モテットとは、要するに、グレゴリオ聖歌からとった定旋律の上に、二つのまったくちがった旋律をつけ加えることによってできる。しかも、その定旋律…には、それに独特のあのリズムの自由さを、スコラ的な厳密さからわりだした、リズムの形におしこめてしまう。…最低部におかれた定旋律の厳格で、まったく生気をうばわれた規則的な反覆のうえに、二つの高い声部が…何の関係もなしにおかれる。…ラッソーは、ネーデルランド楽派の対位法を完全に集約して、そのうえに、ルネッサンス・イタリアの詩味と色彩とデッサンの調和をなしとげ、さらに、彼のあとに盛期をむかえるバロック様式さえものにした。特に、彼のモテットは700年の全歴史を通じての最高峰と言われる。モテット「わが心は悲し」は美しい。老いたる巨人の悲しい顔が美しいように、美しい。ラッソー晩年の最後の完成された洗練が深い感動にうらづけされて、一度きいたら忘れられない感動を残す。

モデュロール(123)  
 建築は住む機械であるとするモダンの建築家ル・コルビュジェが提唱した人間の身体を 基準とした建築の寸法体系。

元田永孚(300)
もとだえいふ。明治イデオロギーの最大の課題のひとつは「天皇をいかにつくるか」であった。天皇はもとより天皇という存在だったが、その内実は、むいまだ収斂されておらず、混沌であった。この課題に老儒元田永孚は、儒としての回答を与えた。そして彼の骨髄には、遠く朝鮮儒者の理想が浸みとおっていたのだ。
 巷で征韓論の沸騰するその同じ時代に、朝鮮の理想を鍵にして新生日本をつくろうとした男。その理想によってつくられた日本が、その理想の朝鮮を滅ぼすことになる。現在、元田は悪名高い「教育勅語」の著者としてのみ知られている。


モノ(289)ボードリヤール
 「消費社会の神話と構造」より。「そのおびただしい数、そのさまざまな形態、流行の作用、さらにはその純然たる機能を超えたあらゆる性質によって、モノは今なおひたすら社会的価値を装う」「人びとはけっしてモノ自体を(その使用価値において)消費することはない。−理想的な準拠としてとらえられた自己の集団への所属を示すために、あるいはより高い位置の集団をめざして自己の集団から抜け出すために、人びとは自分を他者と区別する記号として(最も広い意味での)モノをつねに操作している。」

物自体(488)
 カントは客観には二つあると言う。一つは、「現象としての客観」であり、もう一つは「物自体としての客観」である。 物自体は、単に〈現象の背後になんとなく隠れている本質みたいなもの〉という局面をもつだけでなく、実は、意志の自由、霊魂の不死、神の存在などを表す場合にも、「物自体」という言葉が使われることになるのである。例えば、「現象としての我々−対−物自体としての我々」などという対比も出てくる。とにかく、解釈史上、「物自体」は常にいつも批判の対象であった。フィヒテ、シェリング、一番徹底的に物自体を拒絶したのが、へーゲルなどのドイツ観念論。自我や精神の邪魔物はいらない、というわけである。

物自体と現象の峻別(488)
 もっとも重要な前提が、〈物自体〉と〈現象〉との峻別、という発想である。私たちの認識が関わるのは、〈物自体〉ではなく、私たちの感性と悟性とが成立させる〈現象〉であり、まさにそれゆえに、現象の認識は、客観的妥当性を主張しえるものとなるのである。
 つまり、誤解をおそれず、カントの基本的立場をラフに述べれば次のようになる。
   1.主観が世界を成立させる。
   1.その世界は物自体の世界ではなくて、現象の世界である。
   1.現象の認識は客観的だが、物自体についての認識は主観的なものにすぎない。
 この一見パラドキシカルに見える発想が、どのようにして可能となるのかについて、『純粋理性批判』の全思考が費やされたのである。


モノマフの王冠(422)
 この(イパーチー)修道院の庵室に彼の先祖が、すなわちツァーリの位に就いた最初のロマノフが暮らしていたのだ。
延々と続いたロシアの動乱時代、皇帝暗殺や外国軍の襲来が続いたあとに、全国会議は前王朝と姻戚関係のあったロマノフ家の弱冠16歳の少年ミハイルを、皇帝に推挙したのであった。…かつて1613年に、この凍れる川の氷の上を、この修道院の壁めがけて、長い行列が行進してきたのだった。行列の先頭に立つのは豪華な袈裟と金銀の箔で覆われたイコンを輝かせた聖職者たちであった。人々はミハイル・ロマノフ少年が帝位に就いてくれるよう、イパーチー修道院へ要請に行くところであった。…そのときこのアレクサンドルの先祖はどうしたか? 実はミハイル少年は泣きだして、
「みなさんの皇帝になんてなりたくありません」と叫んだのだった。…少年はモノマフの王冠〔キエフ大公ヴラジーミル・モノマフ以来18世紀はじめまで受け継がれたロシアの統治者のシンボル〕が自分の子孫にとっていかに重いものとなるかを予見していたかのようである。

モラトリアム(290)
 「大人にならない」若者たちの出現である。変わり身が速く、明るくて陽気であるが、物事に真剣にコミットせず、自己中心的かつ無責任で、精神的に未成熟であるとアイデンティティ人間から批判される。…実は、現代社会への適応として至極まともなものである。「大きな物語」を失った社会のなかで、社会の方が可変的自己の自在性を要求しているのである。アイデンテイティ人間のような固くて強い自我を持たない彼らは、他者や状況に対して開かれた感性を持つがゆえに、敏感でソフトな存在である。アイデンテイティの支柱を持たない人間が、その傷つきやすい自我を防衛するためには、このような戦略をとるしかない。…「物語」としての社会なしに「物語」としての自己や人生を構想することはきわめて困難である。

モラルサイエンス(492)
 1932年、L・ロビンズが『経済学の本質と意義』なる本を著し、「経済学は諸目的と代替的用途をもつ希少な諸手段との間の関係としての人間行動を研究する科学である」と定義した。この定義は今日サムエルソンの『経済学』の中においても引き継がれ、希少な資源をどのように配分するのがもっとも効率的であるか、これを考えるのが経済学であり、その方法は自然科学の方法と変わるところがないと考えられている。
…しかしケインズの反対はより根本的なものであったといえよう。彼は言っている。「ロビンズのいうところとは反対に、経済学は本質的にモラル・サイエンスであって自然科学ではありません。すなわち経済学は内省と価値判断とを用いるものです。さらに経済学は、動機、期待、心理的不確実性を取り扱っているものです。われわれは素材を不変で同質的なものとして取り扱うことのないように絶えず用心しなければなりません」と。


モランボン(25)  
 ピョンヤン郊外の地名。牡丹峰。革命博物館のある万寿台に接する。  

モリア銀(271)指輪物語
 モリアの富は黄金や宝石にあったのではない。そんなものはドワーフのおもちゃじゃ。あるいは鉄でもない。鉄はかれらの下僕じゃ。…しかし、世界でここだけにしか見いだせないものにモリア銀があった。…エルフの言葉でミスリルじゃ。…これでイシルディン、すなわちあんた方が扉の上に見た星月を作ったのじゃ。

森の気配(177)  
 日本の神は森の気配と呼ぶべきような存在であった。神を祀る社には、目に触れるもの とて何もなく、せいぜい鏡が目につくぐらいであった。一方、システィーナ礼拝堂の空間 を許さない壁面をおおいつくす肉体の驚きがある。神と神。日本の神には本来かたちがな く、その姿を見ることができなかった。インカネーション(受肉)の思想を日本の神祇信 仰は、本来持っていなかった。

森本公誠(438)
 1934年、姫路市に生まれ1949年、東大寺に入る。1964年、京都大学大学院文学研究科(東洋史学)博士課程修了。1961〜1962年、カイロ大学に留学。初期イスラム史専攻。文学博士。…訳書「イブン・ハルドゥーン歴史序説」

森林太郎(108)  
 ドイツ理論医学を信奉する陸軍医、鴎外である。日清、日露戦争で、陸軍は3万人以上 の脚気死亡者を出した。一方海軍は1人の死者もない。米麦混食を採用したからである。 森を筆頭とする帝国大学医学部の権威主義が、この悲劇を生んで、さらにこの史実を隠蔽 した。

モルドールの歯(273)指輪物語
 これがキリス・ゴルゴル、すなわちモルドール国への入口、幽霊峠なのです。…サウロンに呼び出された者か、あるいはモラノンすなわちこの黒門を開く秘密の合言葉を知る者でない限り、何人もモルドールの歯の間を、噛まれずに通り抜けることはできませんでした。

モルヒネ拮抗剤(37)
 シナプスから放出される神経伝達物質を受け止める受容体(レセプタ)の特定のものは 阿片の有功成分であるモルヒネと鍵と鍵穴のように分子的に合致する。この受容体はもと もとモルヒネを受容するためではなくエンケファリンの受容体であったが、末端分子構造 がエンケファリンとモルヒネで極めて類似しているために受容され、鎮痛、快感効果を発 揮する。このモルヒネに拮抗する合成物質がモルヒネ拮抗剤で、ナロキソンが典型例。

モンゴル人の北帰(414)
 明は日本の室町の将軍義満のころ、蒙古帝国である元をほろぼすことによって中国を統一した。中国を支配していたモンゴル人たちは、占領地に執着せず、潮がひくように馬に騎って漠北に去った。ひとびとはこの奇現象をモンゴル人の北帰とよんだ。北帰したモンゴル人は遊牧生活にもどり、その後、しばしば辺境を侵した。英雄が出ると、その勢力が強大になり、英雄が死ぬと衰えた。

文殊(143)  
 マンジュシュリー。仏弟子の一人として問答した。山西省五台山を文殊常住の霊場とす る文殊信仰が後年広がった。普賢菩薩が象に乗り、文殊が獅子に乗った姿で釈迦の左右で 従う構図で多く作成された。

モンジュア(261)
 モンジュアとはは歓びの丘の意で、ローマやサンチャゴなど諸所の霊場の近くにこう呼ばれる丘がある。苦しい旅を続けて来た巡礼は、そこではじめて目指す寺院を望見したのだ。

モンジョワ!(386)
 シャルルマーニュ軍の勝どき。「モンジョワ!」の叫び挙ぐ。彼等とともにシャルルマーニュあり。

モン・スニ峠(533)
 マルセイユの北のグルノーブルから直っすぐ東へ、イタリアのトリノに行く道。これはすでに海沿いでなく、険しいアルプスを越えなくてはならない。プリアンソンで高いモンジュネーヴル峠を越えていく。この峠から直線距離ではほんの3、40キロ北東に、同じアルプス越えのモン・スニ峠がある。古くからリヨン経由イタリアへ行く峠道として知られているが標高2084メートルもある。カルタゴの将軍ハンニパルが大軍を率いてこの峠を越えてローマに向かったと伝えられている。紀元前218年、彼はスペインを発ち、兵9万、馬1200頭、象50頭の大軍団で秋のアルプスを越えたというのだ。第二次ポエニ戦争である。

問題解決(249) フラー
 最後になって考えてみればという、言い古されたいい方ではないが、緊急な問題が何であるかを最初から認識して適当な額を支出するならば、問題解決の費用はつねに最少限ですむ。

問題の所有者(317)
 「私はめったに怒ったりしないのですが、部下の提案に対して評論家のような口をきく管理者だけは許せないんですよ」という人がいた。「部下に何か命令なり指示を出すときには、自分もその命令・指示を受けたと思って考えろ」というのが大野耐一氏の持論であり、トヨタ流の考え方だ。

問題の変換(253) 佐倉統
 「人はなぜ道徳的でなければならないか。」これは、おそらく問の立て方が不適当なのだ。「なぜ人は道徳的でなければならないと<思う>のか?」と問わなくてはならない。これによって、問題は倫理学の問題から心理学の領域へと変換できる。そしてさらに、「なぜ人は道徳的でなければならないと思うように<できている>のか?」と問うことで、自然科学で扱える問題となる。

文底秘沈(378)
日蓮は…釈迦が地涌の菩薩に授けたという法が『法華経』 の題目であると解釈した。さらにその弘通(教えを広めること)を委託された地涌の菩薩とは、日蓮とその一門にほかならないとした。…釈迦が末法の衆生を救うためにあらかじめ用意し、地涌の菩薩に託した法が題目なのだから、それを唱えさえすれば誰でも等しく救われる、そう日蓮は主張するのである。しかし、この日蓮の経典解釈には明らかに無理がある。釈迦が仏滅後の衆生救済のために残した法が『法華経』 の題目だというはっきりとした証拠が、『法華経』をどのように読み込んでも見出せないのである。…日蓮ももちろんそのことに気づいていた。そこでそのギャップを埋めるためにもちだされた論理が、釈迦が題目を『法華経』(の本門である「寿量品」)の「文底」に「沈め」たというものだった。

モンテヴェルディ(435)
 モンテヴェルディこそは、16世紀から17世紀にうつる時期の最大の天才であり、オペラは、彼の手によって真の芸術品になり、マドリガルは、彼の筆を通して永遠のジャンルのうちに位置を獲得した。また彼は、音楽による劇的性格描写の最初の実現者であるとともに、近代的な大規模のオーケストラ−−というのは、楽器の固有の音色と性能のあくなき操作とそのさまざまな組合せの変化を通じて得られる音響効果を想定する卓越した想像力と大胆さ、という点で−−創始者であり、また、新しい旋律=音程、和声の実験と適用で臆することを知らない前衛芸術家だった。…精神の世界の第一級のパイオニアだった。




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