語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-5-18      計43語
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ライエル「地質学原理」、ラ・ベル・アリアンヌの戦い、楽園、癩王ボードワン、ラージャスーヤ、ラ・ストルタの示現、ラーソンとキーラーの嘘発見器、ランゲルハンス島、ラスプーチン主義、ラスプーチンの予言、ランジュバン、ラスコーリニキ、

ライエル「地質学原理」(553)
 ダーウィンが、無給の博物学者としてピーグル号に乗船したとき、出版されて間もないチャールズ・ライエルの『地質学原理』の第一巻を携えていたことはよく知られています。ライエルが同時代のイギリスの科学者に与えた影響の大きさは、ダーウィンが1844年に書いた「私はまるで自分の本は、半ばはライエルの頭から出て来たような気がいつもします」という一節が何よりよく物語っています。実際、ダーウィンやウォレスの自然選択説の最大の知的源泉の一つが、ライエルの『地質学原理』であったことは、議論の余地がありません。重要な点は、ライエル自身が、進化論、特に種の問題に強い関心を示し、関連する主題も含めて、正面から取り組んでいたことです。
 ライエルと進化論という主題を論じるには、彼の見解の変化に従って、四つの時期に分けるのが適当かと思います。第一期は、1826年以前ですが、厳密には、はっきりした文献のある1826年の時点の見解とみた方がよいでしょう。地質学的には斉一説を受容し、地質年代を通じての生命の漸進的発展という考えに同意し、人間が過去と現在の有機界の関連したプランの一部であることを強調しております。第二期は、1827年から52年にかけての期間です。ライエルは、27年に、漸進論的立場を徹底させたラマルクの『動物哲学』を読んだ後、反漸進論に転じます。有機的漸進の観念が人間の尊厳を侵す恐れがあることに気づいたのが、転換の主要な動機の一つでした。しかしこの期間に出版された『地質学原理』は、前に述べましたように自然選択説の最大の知的源泉の一つとなりました。彼自身のこの期間の種に対する見解は次のようなものでした。まず、種は実在するとし、種の交雑不稔性と種間交雑への相互反発という考えをその証明としてあげております。次に、種の地理的分布を考え、種が自然環境によって隔離されるという考えも出しております。さらに、種とその環境の相互作用による種の絶滅の問題なども考察しております。

癩王ボードワン(470)217
(十字軍によってうち建てられたイェルサレム王系はゴドフロア、ボードワン1世、2世、3世、アモーリーと続く。)ヌラディン相手に、ヨーロッパからの助けはまったくない状態で、宗教騎士団と城塞に頼りながらの12年間の、苦労の末に(アモーリーは死ぬ。)代わって王位に就いたのは一人しかいなかった息子である。しかも、ライ病という爆弾を体内にかかえた13歳の王だった。…イエルサレム王ボードワン四世は、死ぬまでの11年間の治世を、病いを理由に王宮に引きこもっていたのではまったくなかった。…戦場では、常に最前線に馬を進め、敵が攻撃してこようと一歩も退かなかった。…、ボードワン四世は、人中に出るときには銀製の仮面をつけるようになっていた。銀の仮面は、古代ローマ時代の騎士が、祝祭の儀式の際につけたことで知られている。それをまねたのか、癩王は、銀の仮面をつけ、馬上の鞍に縛りつけさせても、戦場に出ることはやめなかった。 
 1177年のことであったから、(癩王)ボードワン四世が16歳の年のことであった。二万六千もの兵を率いたサラデインが、カイロを後に北上してきたのである。…ボードワンが率いていた兵力は、イェルサレム王国の騎兵五百と、「聖堂騎士団」の八十騎でしかなかった。…、勇猛で聞こえたサラディン軍も、すんでのところでスルタン自らが捕虜になっていたというくらいの惨状をさらして、このモンジザールの戦闘は終了したのである。

ライカ・スタンダード(61)P.29
 外観的にライカT(C型)と類似しているが、次世代のライカU(UD)の連動距離形 を取り外した普及型モデル。巻き戻しノブが引き上げ式なのが分かり易い特徴。

ライカの謎・謎のライカ(88)
  あとがきに著者自身が「この本を読むとライカがきらいになる。」と書く。きらいにな ったのはライカではなく田中長徳。愚書である。多分、それはご本人がよく分かっている。バカなカメラおたくに迎合せざるを得なかったという言い訳は、職業人としては止むを得ない。

ライツ博士特許(287)
 エルンスト・ライツ社はかなり早い時期に<ライカ>をAE化するだけでなAF化したかったのだと思う。<ライカ>をAF化するアイデアは、米国特許としては1967年12月4日に出願されている発明者はルートヴィッヒ・ライツ博士で住所は西独ヴェツラー。エルンスト・ライツ社は同族会社で56年にエルンスト・ライツU世の死去にともない、長男エルンスト・ライツV世が社長を継いだ。これよりさき三男ギュンター・ライツは52年以来、カナダライツの社長をつとめている。次男がルートヴィッヒ・ライツ博士だ。…そのルートヴィッヒ・ライツ特許を読むと、最初にレンジファインダー方式ライカを自動焦点化する話が出てくる。図面から見るとバルナックタイプのライカだ。
 有名なハネウェル特許は、このライカ特許を「インオペラブル」だとして、自らの権利を主張した。失礼な話だ。このライツ特許が公知例であれば、日本カメラメーカは膨大なライセンス費用を払わなくてすんだ。

。…

ライカマウント(95)
 1930年に発売された初のレンズ交換式のライカTCは、ボディとレンズの互換性が なく、下3桁の数字が一致するもの同志でなければ使えなかった。翌年になって、完全互 換のライカマウントシステムが確定した。フランジバック=28.8mm、内径=37. 9mm、外径=38.9mm、ネジピッチ=26本/インチ。

ライカW(95)
 1936年にバルナックは57才で死去する。その年に試作されたのが、ダイカストボ ディ、パララックス補正等倍ファインダー、一軸不回転シャッタを持つライカW。しかし 翌年に発売されたのはライカVb。システムの継承性を重視して、この大革新はM3まで またなければならなかった。

ライノタイプ(80)  
 グーテンベルグの印刷を友人シェファーの鉛とアンチモンの合金による鋳造技術が支え た。植字スピードは毎時200〜1500字。これを19世紀のライノタイプはキーで 1行ずつ活字を打ち込み、鉛を流しこむ方式で5倍の能率を上げた。  印刷機は19世紀までほとんど改良されてこなかったが、ドイツのケーニッヒのシリン ダー印刷機の開発から、ようやく輪転機へつながり新聞の大量印刷が可能となった。

ライフサイクルCO2(246)
 LCCO2とも呼ばれる。温暖化効果ガスであるCO2の排出量を製品の企画から廃棄までの全サイクルでの総和で考える評価手法。ISO14001においてライフサイクルアセスメントとして規定されている。このLCCO2で評価したときに、CO2の総排出量が高いのが建築産業であり、全放出量の36%を占めている。また電気自動車は、一切CO2を発生しない、ゼロエミッションカーと言われているが、製造および充電のために必要な電気の製造過程で大量のCO2を放出する。その巨大な電池の廃棄についても考慮すると、必ずしも理想の自動車ではないことが分かる。

ラヴェンナのモザイック(213)P.222
 その優れたモザイックの残っている遺跡は、まず第一に西ローマ帝国最後の女皇として数奇な運命に弄ばれたガラ・プラチディアの墓である。…もう一つサンタ・ポリナーレ・ヌオボという寺がある。

楽園(514)
 ダンテは、永遠の至福を表現することは彫刻では不可能だということを、非常によく理解させてくれた。彼の「天国」はまさに音楽と光である。霊魂は歌う光である。形態は、太陽の光よりは百倍も舷しい光に呑み込まれて消え失せてゆく。聖の聖なる者は、火の花弁をつけた巨大なばらの花であり、遥か彼方に、聖三位が、炎の三重の環のような不思議な形をして僅かにのぞかれる。
この舷しいヴィジョンに多少の現実性を与えることのできるものは、フラ・アンジェリコのような画家の清らかな色彩だけであろう。色彩というものは、ほとんど音楽と同じくらいに私たちを高みへと引き上げてくれるものである。しかし、彫刻となると、これは半ば異教的な芸術であり、その重い像はいつも原罪の重みを担っているように思われるのだが、彫刻家はいかにすべきか。


洛陽の紙価(3)
 祭倫から200年しかたっていない晋代。文人の左思の[三都賦]が評判を呼んで、人々が争って筆写したために紙の値段が上がった。ベストセラーと同義。

ラスパドゥラ運河(223)p.210
 人文学者のフンボルトは周航の中の伝聞としてパナマ地峡のダリエン湾に注ぐアトラト川と太平洋に注ぐサン・ファン川をつなぐ小運河がすでに存在することを著述した。今はそれが存在しなかったか、あるいはその後自然に戻ってしまったかは分からない「ラスパドゥラの失われた運河」である。

ラジダーニ特急(230)
 ニューデリーとカルカッタ・ハウラー駅間1440kmを約18時間で走破するインドの最優等列車。「首都特急」の意。

ラージャスーヤ(445)
 祭祀のシンボリズムからみて、王はいわば世界の豊穣力を一身にそなえたコスミックな中心として、換言するならば世界の豊穣力そのものとして、祭祀の中でふたたび新たな王として確立するというアイディアのもとに成り立っている。ラージャスーヤを構成するいくつもの祭祀の個々において、王は象徴的に死に、そして象徴的な誕生をくりかえすのである。こうしたところに、J・フレイザーがその有名な著書『金枝編』の中でとりあげている「王殺し」のもつ意味の一端をみることができるであろう。すなわち、現象世界のすべてに責任をもっ王は、その力が弱まると活性づけられる必要がある。そのため王は、この時点において新たな力をもったものとして再生しなければならない。その再生の前提となるものは、王の死である。玉は、その意味で、祭祀的に殺害され、そしてふたたび祭祀的に生まれねばならないのである。
 そしてこの祭祀のもっとも中心をなすクライマックスの部分は、種々の手続きをもって集められた水を王の頭から注ぎかける儀礼である。これはアピシェーカとよばれ、シンボリズムの上では王の再生の瞬間に当たるであろう(このアピシェーカという語は仏教、とくに密教でも用いられ、「濯頂」と訳される)。そしてこの水こそ、「ラージャスーヤ」(王を生むものの意〉とよばれるのである。


ラスコーリニキ(395)
 このようなポリフォニックな命名の最初の例が、この小説の主人公ラスコーリニコフであった。ラスコーリニキという姓は、一見、きわめて一義的に見える。この姓は、17世紀にロシア正教会から分離した「ラスコーリニキ」(分離派)に由来するものだろうと、ロシア人ならだれでも直観されるからである。ドストエフスキー自身も明らかにそのことを意識していた。創作ノートには、主人公の母親の言葉として、次のように記されている。
「ラスコーリニコフというのは立派な姓なんだよ。おまえのお父さまは教師だったけれど、ラスコーリニコフ家は二百年来、有名な家系でね」「二百年来」という言葉に注目してほしい。この小説が書かれた1865−6年から200年を遡ると、ちょうど分離派運動の発生期に一致するからである。
ニコン総主教がアレクセイ皇帝の支持を得て、分離の因をなした典礼改革(たとえば、それまで人差指と中指の二本の指で切っていた十字を、親指を添えて三位一体を象徴する三本で切るように改める等々)に着手したのは1653年だった。この改革は長司祭アヴァクーム、モロゾワ公爵夫人らをはじめ、広範な層からの反撥を招くが、教会側は徹底した弾圧に踏みきり、1666年の主教会議で反対派をすべて破門に付した。これが分離派のはじまりで、『罪と罰』の書かれるぴたり二百年前である。
 ロシアの分離派運動は、一名「古儀式派」とも呼ばれるくらいで、保守的な要素を多分に持っていたが、それが教会、国家の権力強化に反対し、農民暴動などとも結びついたかぎりで、一面、奇妙にラジカルな民主的傾向をもそなえていた。宗教的ファナチシズムもたいへんなもので、17世紀末には数万人規模の焼身自殺の例を残している。


ラ・ストルタの示現(437)
 ある日、ローマへ着く前、数キロ離れたある教会で祈っていると、心の中に深い感動を覚え、同時に父なる神が自分をおん子キリストといっしょに置いてくださるのを見た。…ラ・ストルタと呼ばれる小さな教会での神の出現の記事である。この「ラ・ストルタの示現」を、イグナティウス・デ・ロヨラの敵は勿論信じないであろうが、敵も味方も二つの事実をばみとめざるをえない。それは第一に、「イグナティウス・デ・ロヨラは聖母マリアに、あるいは聖母マリアと共に、何かを願い祈る」という信仰上の行動様式−−人聞が全く孤独で神に向って直接語りかけ祈るのではなく、人間と神との間に、あるいは祈っている人間のかたわらに人間聖母マリアが存在している祈りの様式をイグナティウス・デ・ロヨラがとっているという事実である。…人間である自分と神との間に聖なる人聞を置くということは、その人間の徳をみとめることである。神と自分との問の無限のへだたりをみとめながら、その間を徳のある人間でうずめつくし、その頂点として聖母マリアをあがめ愛し、そこで超越神そのものであるイエズス・キリストと接しようとするのである。

ラスプーチン主義(419)
 いまや「権力への道」は、レストランの個室や売春婦の部屋から始まるようになった。皇帝は総司令部にいるため、政府を組織する全権を皇后に譲り、皇后はそれを読み書きのろくにできない「ムジーク」に委ね、「ムジーク」はそれをさらに取り巻きのペテン師たちに任せた。そして半封建国家の抜け目のない資本家たちは権力をあっさり金で買おうとした。彼らは皆互いに戦い、待ち伏せ、巧みに罠をかけ、誹謗し合っていたのである。彼らは皆互いを滅ぼしあう技術を完全に身につけていた。

ラスプーチンの予言(419)
 ラスプーチンは、宮廷における自分の主要な役割を鋭く認識していた。それは「お利口さん」、つまり限りなく意志の強い女性アリクスが心の奥底で何を欲しているかを見抜き、それをあたかも自分の予言、ないし神のお告げのごとく述べることだった。…皇帝の子供たちの教育係ジリヤールは、長年皇室に暮らしてアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后をよく理解していたが、その彼が回想録の中でラスプーチンのことを次のように記している。「…彼の予言の言葉はほとんどの場合、単に皇后自身の秘められた願いを言明しただけのものだった。彼女は、自分では気付かぬまま『霊感の主』に霊感を与えていた。彼女の個人的な願いが、ラスプーチンを通過することによって、彼女の目の前で神の啓示としての力と権威を得たのだ」

ラーソンとキーラーの嘘発見器(434)
 ジョン・ラーソン(1892−1965)はアメリカ初の博士号を持つ警官であり、カリフォルニア州バークレーの警察署長オーガスト・ヴォルマーの支援を受け、最初の実用的な「嘘発見器」を開発した。…カレッジホール事件で嘘発見器をはじめて捜査に使ったが事件はラーソンの人生を大きく変えることになる。
…オーガスト・ヴォルマー(1876−1955)は1906年から1932年までバークレーの警察署長をつとめ、アメリカの近代警察の父とたたえられた。ヴォルマーは、ラーソンとキーラーの嘘発見器を使えば、サード・ディグリー「第三度(熱傷)」と呼ばれる暴力的な尋問のかわりに、もっと科学的で合法的な尋問の技術を確立できると考えた。
…レナード・キーラー(1903−1949)はレオナルド・ダ・ヴインチにちなんで名づけられた。アマチュアの手品師でもあったキーラーは、バークレーの高校にかよっていたころにラーソンの機械の虜になった。特許を取得した「キーラー・ポリグラフは、キーラーをアメリカの嘘発見器の代名詞にした。


拉致(308)
 ロシア人は結局、家族だけを帰国させることには慎重であった。何よりも、これまでの経験からして、独身者や単身で拉致されてきた者の方が、家族持ちであるがゆえに慎重に振る舞う者りも、はるかに扱いが面倒であったという事情がある。

ラッセルの逆理(195)  
 集合論で自分自身を要素として含まない集合の集合」というもの。この集合にこの集合自身は含まれるか。含むとすると定義と矛盾する。逆に含めないと、この集合は自分自 身を要素として含まないから、定義からは含まれるべきという循環的議論となること。

ラッダイト運動(8/1TV3)  
 産業革命下の19世紀初頭、ランカシャー、ヨークシャーを中心とする機械打ち壊し運 動。力織機の発明による繊維産業の構造変革が、大量の失業者を生み、かれらはその原因 を機械に求めこれを破壊した。
 (325)靴下製造機械を手工業者の職を奪うとして破壊したネッド・ラッドに因む。


ラッフルズ(TV)  
 ボルブドゥール仏教遺跡を発見した博物学者。シンガポールのコロニアル文化の象徴で あるラッフルズ・ホテルの創業者でもある。

ラ・パヴィヨン(97)
 アンリ・ソールの経営するニューヨークのレストラン。1960年以前はまったく無名 だったポムロールのシャトー・ペトリュスを見出した。彼の客は、ケネディであり、オナ シスであり、その著名さにより、ペトリュスの名もまた高まった。

ラパッロ(186)  
 華美に流れず、水際まで緑の覆われた岩山が迫る静かな入り江には漁船が投錨し、それ が色彩豊かな家並みにまるく囲まれて、絵のような風景をつくり出す。夕暮れに海から階 段を昇って古城に立って見るラロッパ湾は夕陽に映えて、静かで夢のように美しかった。 リヴィエラの港町である。第一次大戦後、ドイツとソヴィエトがここで手を結ぶラパッロ条約を締結したことで衝撃を与えた。

ラピス・ピロソポールム(228)p.17
 賢者の石。地中に含まれている物質で、鉱物はその中を通って金に変成すると練金術師は信じた。従って、この物質を発見するか、つくり出すかし、惑星や神の助けを借りて自然力をあやつり、実験室で通常の成長過程を速めれば、いかなる鉱物も金に変容する可能性があるのだ。

ラピスラズリ(259)
 非常に高価な天然顔料。油絵の濃紺になる。

ラビュリントス(146)  
 ダイダロスが設計しミノタウロスが住むクレタの迷宮。アテネの王子テーセウスが怪物 退治にこの迷宮に入るが、ミノス王の皇女アリアドネが糸玉の糸を手繰ってこれを無事に 導く。アリアドネにこの知恵を授けたのはダイダロスであった。この罪によって獄にとじ こめられ、息子とともに羽根を作って脱出した。その時太陽に近づきすぎてロウが溶けて墜落したのがイカロス。

ラファエル前派(82)
 The Pre-Raphaelite Brotherhood。PRBと略す。ラファエル前・兄弟団と訳すべき。 1848年、ハント、ロセッティ、ミレーによってラファエルによって洗練される以前の フレスコ画の画法に戻ろうと、ウイーンのルーカス同盟(ナザレ派)の影響も受けて結成 された。産業革命の直中、物質主義的な矛盾に満ちた社会風潮への反発からの回帰現象。 作風を特徴つけるのは自然に対する誠意と、それにもとづく細密描写、これと切り離す ことのできない中世/神話趣味である。評論家ラスキンの支持を得て、当初は酷評、嘲笑 されたが、徐々に評価されていった。印象派が紹介される以前に明治時代の文化人にも強 い影響を与えた。

ラブカナルの事故(246)
 大量の化学物質が埋め立てなどで廃棄処理され30年以上たってから大規模な土壌汚染につながって大問題になる。「アメリカ史上最初の人間が作った災害」と当時のカーター大統領が宣言。1980年のスーパーファンド法(包括的環境対処補償責任法)の制定につながる。ナイアガラの近くの町の事件。

ラブラーシュ(344)
 ルイージ・ラブラーシュ。…ドニゼッティ「愛の妙薬」の食わせ物のドクター・ダルマカーラの役柄が、このナポリの偉大なバス歌手の喜劇的才能に申し分なくピッタリであった。…ラブラーシュの名声は国際的であった。シューベルトはリートを3曲彼に献呈している。ヴァーグナーはラブラーシュのレポレッロを絶賛し…、また彼はベートーベンの葬儀の際、モーツァルト<レクイエム>の歌手として招聘された。

ラ・ベル・アリアンヌの戦い(522)
 (1815年)6月18日の戦いの記述に「ワーテルロー (英語ではウォータルー)」という名が一度も出てこないのを、読者は不審に思うであろう。実は、ワーテルローは戦場となった場所よりずっと北のほうにある村の名である。ウェリントンが自己の司令部をおいたのにちなんで、戦後勝手につけた戦闘名である。ウェリントンを援けて、勝利に決定的な寄与をした(プロイセンの)ブリュッヘルにはこれが気にくわない。それで、自分が攻撃して戦いの勝敗を決したところの名をとって「ラ・ベル・アリアンスの戦い」と名づけた。彼の故国ドイツでは今でもこの名のほうが通りがよい。

ラマ・サバクタニ(131)  
 カミュ「ゴルゴダの夜が人間の歴史のなかで重要性を持つのは、神が暗黒のなかで伝統 的特権を堂々と捨てて、絶望をいだきながら最後まで死の苦悩を生きたために他ならない 。瀕死のキリストのラマ・サバクタニ(何ぞ我を棄て給いしや)という恐ろしい疑惑はそ のように説明される。」

ラマピテクス(63)
 1961年イェール大学のサイモンは、上顎の化石から歯列特徴の人類との近縁性を推 論し、これが似ているなら他の特徴もあるはずというセット理論をもって、1500万年前 の猿人ラマピテクスを人類の始祖とするとしたが、最近の分子遺伝学(タンパク質の突然 変異の速度から、逆に分岐点までさかのぼった)の成果から否定されて、最初の人類の出 現は500〜700万年前とされる。

ラマルクの進化論(96)
 キュヴィエの晩年に、無名の古生物学者ラマルクは化石の変異から、生物が進化すると いう確信をもち、1809年「動物哲学」で生物変遷説を唱えたが、受け入れ なかった。ダーウィンは1859年に種の起源を刊行するが、このラマルクの進化論を再 発見したものだとフランス人の著者は書くが、適者生存こそが進化論の概念であり、進化論をラマルクのものとするのは無理。

ラムドール論争(182)  
 フリードリッヒが北ボヘミアのテッチェン城の礼拝堂のために描いた「山上の十字架」 <テッチェン祭壇画>を巡る論争。保守的な批評家ラムドールは、「風景画が教会に忍び 込み祭壇に這い上がろうとするのは不遜」であり、風景画家には宗教的感情や思想を表現 する権利は無いとして論争となった。

ラリー・バローズ(102)
 キャパのノルマンディ上陸作戦の写真をダメにしたのは、写真の凄さに興奮した暗室助手で当時18才だったラリー・バローズが乾燥を急いで乳剤を溶かしてしまったというこ とになっている。彼は後に「ライフ」カメラマンとしてスエズからベトナム戦争まで、や はり戦場で死亡するまで写真を撮りつづけた。ただしこの暗室作業の伝説は正しくない。 またキャパによって撮影されたのはエドワード・リーガンと特定されている。

ラ・リューシュ(30)
 蜂の巣。そこそこに成功した彫刻家ブッシュが、新進芸術家のために作ったアトリエ。 1990年のパリ万狽ナギュスターフ・エッフェル設計末ア所が設計したぶどう酒館を買 い入れモンマルトルに移設したもの。山梨県長坂町の清春芸術村にコピーがある。

ランゲルハンス島(424)
 腎臓を顕微鏡でのぞくとちょうど珊瑚礁が広がる海にぽっかりと丸い小さな島が点々と浮かんでいるような光景を見ることができる。これが、世界で一番小さな「島」、ランゲルハンス島である。先に述べたように、腎臓の主要な仕事は消化酵素の生産である。それは「海」が担当している。インシュリン生産は「島」の仕事である。…この小さな美しいラングルハンス島こそがブドウ糖の出入りを制御する司令塔である。消化管から吸収されたブドウ糖は血管に入り、血管は集合して大きな流れとなって腎臓になだれ込む。

ランジュバン(416)アインシュタインp.40
 フランスの物理学者。(1872〜1946アインシュタインはのちにもし自分が相対性理論を発見しなかったらば、ランジュバンがそれをしたであろうと言っている。

ラング(263)
 ソシュールによって取り出された、ある一つの言語共同体のメンバーが共通にもつ概念。それは異なる歴史的な相を混在させぬことによって純粋であり、また個人の外に立ち、個人に外から課される社会的事実として均質である。歴史を含まぬラングこそは、言語の中に真の体系を見出す概念装置である。

ランドヴァッサー橋(172)  
 RhBレイティッシュ鉄道の観光名所である石造アーチ橋。氷河特急、サンモリッツ方 面に行くと通る。

ランバート氷河(134)  
 南極にある地上最大の氷河。全長1200km。あまりに広大で飛行機からの撮影でも 形があるものがとらえられない。


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