語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2016-11-30 計42語
新着語
ローマ7本山、老騎士ハミルトン、ロベスピエールの若き弟子、老人の貢物、老化の拮抗的多面発現説、老化の原因、老化のメカニズム、ロタリンギア王国、労働と職業の新たな思想、労働力の生産費、

ロヴァランダム(318)
 仔犬のローヴァー(さまよう)が月の男に命名されたのがロヴァランダム。ランダムにさまようである。魔法使いアルタクセルクせスによって人形犬に変身させられ、浜辺の魔法使いプサマソス・プサマスィデスによって月に送られる。

老化の拮抗的多面発現説(512)
 進化論者の唱える老化説の一つに、「老化の拮抗的多面発現説」がある。これは、ある遺伝子が、若いときは発達・成長や子孫を残す産卵などに有益に働くが、老化期になると有害に働くというものである(これを多面発現という)。たとえば、ある遺伝子が産卵数と寿命決定に正反対の影響を及ぼし、産卵数は増加するが寿命は短くなるという具合である。この場合、生物は寿命短縮いう犠牲を払っても、発生の期間を短縮したり産卵数を増やすことで、この遺伝子は種の保存に有利に働いていると見ることができる。
…60歳以上の閉経した女性を対象とした解析の結果、女性の寿命は子供の数が多いほど短命であり、第一子出産時の年齢が低いほど短命になることがわかった。出産数の多さによるエネルギーの消耗が寿命短縮を引き起こすと考えると、拮抗的多面発現説による老化と矛盾しない。


老化の原因(512)
 物思学の法則では、世の中に存在するものはすべてエントロピーが増大する方向、秩序ある状態から無秩序な状態になるように向かうとされている。そうした中で、生物はそれに逆らい、秩序ある状態を保持(ホメオスタシス) しようと努力している。そのため、エントロピーを増大させるような環境の脅威(ストレス)に常に脅かされている。これらは外部の環境からだけでなく、細胞の内部で自分自身からも作り出されている。細胞が脅威を感じるものには、熱、紫外線、放射線、化学物質、物理的な負荷、酸素などが合まれる。これらエントロピーを増大させる要因が、老化の原因とは考えられないだろうか? 
…エントロピーを増大させる因子のうち、すべての生物のすべての部位に影響を与え、最も老化に関係ありそうなものに熱と酸素がある。…ところが、生物の身体はそう簡単ではない。

老化の進化(215)
 老化という現象が進化するためには、若いころに実際に利益がある必要はない。自然選択が年とってからよりも若い時期における不都合な影響を抑えるように働くかぎり、若い時期に対する適応は年をとってからの適応よりもずっと効果的に維持されるだろう。したがって、永遠の若さを手にした先の集団がもし存在するとしても、それは不安定なものにちがいない。自然選択はすばやく老人を犠牲にして若い人の適応度を高め、老化という現象がやがて進化してくるだろう。

老化のメカニズム(512)
 代謝の速度は遺伝子によって決められているということである。代謝は、酵素が触媒する化学反応の連続である。つまり、代謝の速度は、そこに介在する酵素の濃度に依存するのだが、その酵素は遺伝子から作られ、またその量は遺伝子によって厳密に調節されている。一方で、活性酸素を除去する抗酸化酵素も遺伝子によって作られているし、これや抗酸化物質の濃度も遺伝子によって支配されている。
 すなわち、ここに存在する多数の遺伝子が老化に関係することは十分に考えられることなのだ。「活性酸素」を老化の一因とするこうした考え万は、これまでばらばらに考えられていたさまざまな老化の仮説を一挙にまとめることができる画期的なものであることが明らかになってきた。
従米、老化のメカニズムは「遺伝子」か「環境」かというそれぞれ別の側面から考えられてきた。だが、活性酸素が老化の主役であると考えれば、「環境=活性酸素」であり、「遺伝子=活性酸素に関わる遺伝子」である。両者を分けて考えることに意味がなくなるのだ。そして、活性酸素を中心に考えると、これまで考えられてきた老化の仮説の多くが、その中にきれいに収まってしまう。


老騎士ハミルトン(531)
 だからハミルトンなどは(ナポリに)立派な住まいを作って、晩年の生活を楽しんでいる。彼がイギリス趣味にしつらえた部屋は実に立派なもので、角の室からの眺望は恐らく天下一品であろう。眼下は海で、むこうにはカプリ島がみえ、右にはポジリポ、近くにはヴィラ・レアーレの散歩道、左にはイエズス会の古い建物、その背後にはソレントの海岸がミネルヴァ岬まで連なっている。
 イギリス公使としてこの土地に住んでいる騎士のハミルトンは、ずいぶん長いあいだ芸術愛好と自然研究をつづけた後に、自然と芸術との頂点を示すところの一人の
美しい乙女を発見した。歳のころ二十歳ぐらいのイギリス婦人で、このひとを彼は自分の家においている。非常に美しい、そしてよく発育した女である。彼はギリシア風の衣裳を作らせて彼女に着せているが、それがまた彼女によく似合う。そのうえ彼女は髪を解いて、肩掛を二つ三つかけ、態度、物腰、容貌をいろいろと変えるので、それを見る人はほんとうに夢を見ているのではないかと思うほどである。何千人もの芸術家がどうかして造りたいと思っていたものが、運動と驚くべき変化とを示しつつ、彼女のなかに完成しているのを見ることができる。…彼女はいろいろな表情に応じて具合よく肩掛の襞をえらんで変化させる術を心得ていて、同じ肩掛で無数の髪飾を作り出すのである。この老騎士は手にした灯火でそれを照らして、全心をあげて彼女に打ちこんでいる。

労苦と骨折(430)スミス
 「労働」は、人間生活にとって「苦痛」を意味するものでもあった。「労働」がしばしば「労苦と骨折」だといわれている所以である。このことは二つの意味があったであろう。すでにのべたように、18世紀的な人間生活においては、「働く」という人間のいとなみは、人間にとって「苦痛」であり、人間はつねに怠惰を好む性向を共通にもっているものだと考えられていた。労働者は…できるだけ少なく働き、ひと握りの金が手許にある間は、精を出して働こうなどとはしなかった。賭博と競馬とコック・ファイティングとジン酒場とが、かれらの生活を特徴づけていたし、それは18世紀の知識人を慨歎せしめた生活態度だったのである。年間180日というすくない労働日数が下層の労働者の生活を特徴づけていたし、それもけっして能率のいい作業ぶりとは言えなかった。スミスが「分業」による労働の生産力の増進にかぎりない期待をよせていたのもそれに関連があったと言えるだろう。
 …「労働」や「働く」ことは、自分の幸福や自由をそれだけ犠牲にすることであり、雇用労働のばあいには、それらを他人に売り渡すことにほかならない。またそれだけに、「労働」が…「価値」をもっているのであり、かつ「価値」の大小の尺度にもなるのである。


牢獄(131)
 カミュ「牢獄のなかにあって、魂が服従のモラルでないモラルをうちたてるほど強靭なら ば、たいていは支配のモラルをうちたてる。孤独の倫理は全て力を予想する。だから社会 から残酷に扱われるとそれだけ社会に対して残酷な復讐をする。サドがいい例である。 ……だが彼の至高の勝利の瞬間に夢は消え奇矯で異常な想像力によって産み出された唯一者は囚人の方に還り、彼と一身同体となる。」  

聾瞽指帰(377)ろうこしいき
『三教指帰』(さんごうしいき)三巻には別本が存在する。『聾瞽指帰』一巻がそれである。『三教指帰』には写本や刊本が多数現存するが、『聾瞽指帰』は、空海の自筆本として国宝に指定されている写本が唯一の現存本で、高野山の御影堂の宝庫に秘蔵されてきた。その筆勢に若さと堅さが感じられ、後年の空海の書のような円熟した技巧は認められないものの、一般に空海筆と認められている。ただ真筆説に対する疑義もないわけではない。…『三教指帰』の序文は、まず心の悶えを晴らすため、詩文を作って、自らの志を明かすと断った上で、若年より青年期にいたる生い立ちを述べる自伝的な回想が主題となっている。両書の序文を比較すると、『聾瞽指帰』の序文には、詩文に対する若者のほとばしる熱気は感じとれる。しかし序文と亀毛先生以下の本文との連結感は希薄である。それに対し『三教指帰』の序文は、若き日の自らの心の煩悶から、仏教を最終的に選びとった精神遍歴を窺わせる本文の叙述へと、さしたる抵抗感もなく繋がっていく。

老人の貢物(516)
 (クセノポン著『ソークラテースの思い出』)もし私が、これ以上生きているとしても、おそらく「老人のみつ、ぎ物」を、いやおうなく納めさせられるだけだろう。つまり、目はかすみ、耳は遠くなり、考える力はにぶり、物覚えは衰え、物忘れはしきりとなり、昔は自分のほうがすぐれていた人々に劣るようになるだろう。こうしたことに気がつかずにいられたとしても、生きていることが重荷だろうし、これに気がつくとしたら、どうして、思まわしい味気ない生活にならずに済まされよう…。…敬慶な彼は、自殺は神の計らいに背くことであると考えていたようである。ということは、彼は自殺によって「老人のみつぎ物」を避けることはできないのである。とすると、裁判による死刑宣告は「老人のみつぎ物」を避ける絶好のチャンスでもある。実際彼は、裁判は楽に生命を絶つ好機であると見ていたようでもあって、
(クセノポン著『弁明』)どんな風にしてでも無罪を獲得する方策を見つけ出さねばならないと私たちが考えていた時には、弁明演説による可能性を私が探ろうとするのに神々(彼の心の中の声)が反対したのは正しいことであった。
なぜなら、もし今私に有罪の判決が下されれば、裁判を担当している連中が、一番楽な、また残された者たちにも一番面倒が少ない死に方を、あっちの方で勝手に裁決してくれて、その通りの死に方を私にさせてくれることははっきりしているからだ。


労賃(448)p.36
 わが善良なる織布工ももちろん労働用具の仲間であって、彼は機と同じように、生産物または生産物の価格の分前にはちっとも与らない。だから労賃は、労働者によって生産された商品における労働者の分前ではない。労賃は、資本家がもって一定量の生産的労働力を買取るべき、既存の商品の一部分である。…だが労働力の実証たる労働は、労働者自身の生命の活動であり、彼自身の生命の発現である。そしてこの生命の活動を彼は、必要な生活手段を確保するために第三者に売るのである。だから彼の生命の活動は、彼にとっては、生存しうるための一手段にすぎない。

労働と職業の新たな思想(467)
 (教会)の各員は賜物と必要性の度合いに応じてたがいに交流する。この相互協力はきわめてよくつり合いのとれたものであり、美しい調和を保っている。ある者たちはより多く所有し、ある者たちはより少なく所有し、賜物は不平等に分配されてはいるけれども。(カルヴァン:コリント人への第二の手紙註解)
 この、各人に与えられている賜物は不平等であるが、しかしかけがえのない価値をもっているという認識から、どんな職業も神の召命としての意義をもつものとして尊重される。召命とは呼びかけという意味でもある。この呼びかけとは、神が指でさし示して各人にこういうことである。「あなたはかくかくのように生きなさい」と。これが私たちの「身分」 とよんでいるものである。

労働の価値(438)
 国家が強大で領土も広い地方の住民が富裕であるのは、都市の場合とまったく同じ理由で、やはり労働力が豊富だからで、ある人々が主張するように、古代の諸民族、が残した金を専有しているからだとか、金鉱山が他の地方より多いからだとかではない。金と銀の二つの鉱物が重要な意味をもつのは、あらゆる富の価値尺度となっているからである。…このように、イプン・ ハルドゥーンは人間の生産活動における労働の役割を非常に重要視する。所得についても同様で、それは人間の労働力が生み出した価値量であるという。この観点から彼は、「たいていの場合、労働力が加えられたという事実ははっきりしていて、多かれ少なかれ商品の価値の一部は労働が占めている」と述べ、商品の価値の原因をそこに費やされた労働に求める。そして商品は「労働の価値」を媒体として交換されるのであり、さらにはこのような労働の価値によって権威も交換の対象となるという。

労働力の生産費(448)p.45
 彼の生涯に必要な生産費は、ほとんどただ、彼の労働可能な生活を維持するために必要な商品だけに限られる。だから、彼の労働の価格は、必要生活手段の価格によって決定されるであろう。…簡単な労働力の生産費にも、労働者種族が繁殖して消耗労働者を新労働者と取換えうるための繁殖貨が加算されねばならぬ。だから労働者の消耗は、機械の消耗と同じ仕方で勘定に入れられるのである。だから、簡単な労働力の生産費を総計すれば、労働者の生存=および繁殖費となる。この生存=および繁殖費の価格は労賃を形成する。こうして決定される労賃は労賃の最低限と呼ばれる。

ロカイユ(185)  
 ヨーロッパ庭園のグロッタ(洞窟)を構成する人工の岩。貝殻や石を石膏で固める。グ ロッタにつきものは噴水であり、噴水つきのグロッタはニンフェニウムと呼ばれる。

ロシア出島(300)
 アレクサンドル一世のロシアで、海軍軍人クルーゼンシュテルンは世界周航計画を計画した。この計画に露米商会のレザーノフが割り込み、遣日全権大使としてナデージュダ号に乗り込む。大西洋を横断し、ブラジルに立ち寄り、さらにホーン岬を回って1804年10月に長崎に投錨した。半年の間、幕府との交渉を求めたが、その間、三方が海に面した人工の岬の「梅が崎屋敷」に監視下に置かれた。これがロシア出島と呼ばれる。

ロシアの起源(410)
 包囲されたヨーロッパが「孤立」の状態におちいり、外部への発展よりは内部の充実に忙しかったころ、ひとり縦横の活躍をつづけていたのはノルマン人だった。彼らのヨーロッパ中心部にむかっての侵入はまえにのべた。彼らの他の一派、スウェーデン人は、バルト海奥から黒海にむかう古代の商業路沿いに活躍し、伝説によると彼らの一首領リューリックは862年スラグ諸族に招かれノヴゴロドに国をたてたという。

10世紀までに、彼らは従来の無統制な群国状態から、キエフの首長(リューリックの子)の下に従うゆるやかな国家的結合をつくりあげた(キエフ・ロシア)。この間、彼らと支配下のスラグ人との混血も進んだらしく、リューリックからかぞえて3代目までスカンディナヴィア名だった首長の名は、4代目からスラブ名になってくる。この4代目スヴィァトスラヴの子が、マケドニア王朝のバジル2世の妹をめとり国内のキリスト教化を行なったウラジミール大公ということになる。

ロシア千年祭(422)
 農奴制廃止後1周年の1862年、19世紀で最も重要な記念日が祝われることになった。ロシアの千年祭である。 皇帝(アレクサンドルU世)は家族とともにノブゴロドを訪れた。千年前このノヴゴロドの土地に、ヴァリヤーグ〔ノルマンの古代ロシア名〕の公たちがロシアの国を作ったのだ。身内争いの果てに疲弊していたスラグ人たちが戦闘的なヴァリヤーグの公たちのもとへ使いを出し、驚くべき要求を伝えたのであった。… 「わが国土は肥沃にして広大なり。されど秩序はなし。願わくば、来たりてわれらを統べ治めよ」…これは歴史上まれに見る選択であったが、…「大ノヴゴロド」はほとんど四世紀間、自由な共和国のまま残った。ノヴゴロドの市民集会は自分の公たちを雇用し、法を採択した。この大ノヴゴロド共和国を独裁的なモスクワ国家の皇帝たちが滅ぼした結果、ロシアに残された唯一の道は専制となったのだった。

ロスリン研究所(240)
 ウォルムットとキャンベルが、3年間凍結保存されていたポール・ドーセット種の成体の雌羊の乳腺細胞から、他の種の卵子を使ってクローン羊ドリーを1996年に誕生に誕生させたエジンバラ郊外の研究所。

ロゼ・ダンジュ(321)
 ソーミュール市からアンジェール市にかけてのロワール河流域。ぶどうは主としてグロロー(Groslot)が使用されている。色は濃いが気候的に糖度が上がりにくく、酸味が多い。そのひために軽やかなタイプのワインに仕上がる。…ロゼ・ダンジュはマセラシオンによる果皮接触を行わず、ただちに圧搾し、果皮の色素を搾り出す方法(プレスュラージュ・ダイレクト)が用いられる。残糖分を残すために一般には無水亜硫酸によって発酵が止められる。

ロゼッタ石(66)
 1799年ボナパルトのエジプト遠征で、ラーシードの町(ロゼッタとヨーロッパ人は 呼んだ)で発見された碑文石。ヒエログリフ、民衆文字、ギリシャ語で同じ内容が記述さ れていることから、ヒエログリフ解読を可能とした。

ロタリンギア王国(494)
 フランスとドイツは常に隣り合ってきたわけではない。843年のヴェルダン条約でフランク帝国を三分割したときには中央フランク王国、シヤルルマーニュの孫ロタールが支配した、いうところのロタリンギア王国があった。…。我こそ「ロタール」の継承者と自負するロレーヌ(ロートリンゲン)公ルネ2世、アルザス諸都市、そしてスイス諸州といった勢力、…ドイツ領内の話となれば、神聖ローマ皇帝も傍観しない。

ロッシーニを聴くな(384)
 ロッシーニの音楽は、ナポリ派の美しき伝統の破壊から始まっている。リズムもテンポも人の度肝を抜くことで大衆を驚かし、品の悪いアチャラカ音楽で金を稼いでいるとんでもない奴、とナポリ派からは思われていた。パイジェルロの直系である(ヴェルディの教師である)ラヴィーニャは、相当きつくロッシーニを批判していたに違いないし、そういえばヴェルディの初期の作品にもあまりロッシーニの影響は見られない。ナポリ音楽院で「ロッシーニを聴くな」と命令されて育ったベッリーニにも、同様なことがいえるだろう。

ロッヒェル式(166)  
 アプト式のような通常のラックレールでは噛み合い歯が外れてしまうような急勾配用に 考案された二つの歯車でラックレールを挟み込む方式。480パーミルという世界一の急 勾配のピラトゥス鉄道(PB)に採用されている。

ロバート・キャパ(101)
 1936年パリで少しづつ成功してきたアンドレ・フリードマンは、恋人で ありマネージャであるゲルダとともに架空のアメリカ人の写真家ロバート・キャパという存在を作り出し、その名で写真を高く売りつけるという方法を取った。彼らの無国籍性を象徴する名前。

ロベスピエールの若き弟子(523)
 傍聴席は、人民は怒り、この公憤の代弁者としてモンターニュ派が立つ。寛容な、穏和な中間的な立場はもはや不可能となる。モンターニュ派の先陣をうけたまわって初陣の若武者、二十四歳のサン・ジュストがゆっくり議上にのぼる。師のロベスピエール以上のぎくしゃくとした歩き方。…そして女性的な唇がひらくと、激烈な国王断罪がはじまる。ゆっくりと、リズムをもって、仮借なく−−あたかもギロチンの重い刃が落ちるように。
「ながながと国王を裁判などすべきではない。ただ殺すべきだ。国王を殺すべきだ。国王を裁くべき法はない。国王みずから法を破壊してしまったのだ。国王を敵として殺すべきだ。法が裁きうるのは市民のみ。暴君を裁くには、まずこれを市民に変えねばならぬ。…はなばなしい登場−−このロベスピエールの若き弟子が、師とともに歩み、やがて師の先を進み、ついには師の危険なライバルとなる日が訪れよう。
「革命を中途でやめる者は、けっきょくみずからの墓穴を掘っているのだ」これはサン・ジュスト、革命のいちばん先まで進んだサン・ジュストの言だ。真の革命の名に値するには、政治革命にとどまらず宗教革命、社会革命まで進まなければならない。そこまでいかないかぎり革命の自滅だ。


ロホタース要塞(99/6TV)
 17世紀にムガール帝国を破り、15年間パンジャブに勇を唱えたツールがイスラマバ ードの南に築いた巨大な城砦。アジアの石造城砦の遺構として原型をよく止める。

ローマ7本山(532)
 当地に集まってくる巡礼者たちは、いずれも上述の本山をかならず巡礼してまわらなければならないのであり、しかも一日の間にまわらなければならぬので、各本山の間の距離が遠いため、実際またもや骨のおれる旅路をゆくのと問様に思われるのである。さて、七つの本山というのは、聖ピエトロ、サンタ・マリア・マッジョーレ、市壁外のサン・ロレンツォ、サン・セパスティアヌス、ラテランの聖ヨハネ、イェルサレムのサンタ・クローチェ、て市壁前のサン・パオロである。
この地にすむ信者たちも、上述の巡礼をば復活祭の前週に、ことに受難の金曜日に行うのである。が、信者たちは巡礼することによって免罪をえられるという宗教的な利益にかてて加えて、肉体的な享楽をも受けうるために、この点で巡礼の目的は一そう魅力あるものとなるのだ。

ローマ・カトリック(27)
 ローマの権力がイエスを十字架にかけ、パウロを打ち首にし、ペテロを逆さ吊りにした 。それがコンスタンティヌス帝によって国権と帝王崇拝に結びつけられ、国家的権威と普遍的教理とが結びついた。これにユダヤ教徒のみがひれ伏さなかった。

ローマ神話(146)  
 ローマの神話はギリシャ神話とは別個のものであったが、ローマ文化がギリシャ文化の影響を強く受けるなか、融合してしまい、神々の名前のみが異なるだけにな ってしまった。
   ゼウス    →→ ジュピター(ユピテル)
   ヘラ      →→ ジュノウ
   アフロディテ →→ ビーナス(ウエヌス)
   アポロン   →→ アポロ
   アテネ    →→ ミネルヴァ
   エロス    →→ キューピィードウ(クピード)
   ヘルメス  →→ メルキュリウス
   ポセイドン →→ ネプチュナス

ロマネスク芸術の成立(261)
 「主の降誕の第1000の年を過ぐることおよそ三年、ほとんど全世界にわたって、なかんずくイタリアとガリアの各地にて、あまたの寺の改築を見た。その多くはまだ美しく、何の改修の要もなかったのである。キリスト教世界の住民は寺の豪華なることを求めるあまり、隣にまさる優美な寺を建立せんと、たがいに競い争うかに見えた。こう言ってもよいであろう。実に、世界は身を揺すって古き襤褸を脱ぎ棄て、教会という白き衣をまとわんとしたのだ、と」(ラウール・グラベル「年代記」)…未曾有の建築熱、ロマネスク芸術の成立を語ったこのくだりは、今では余りにも有名だ。
…ラウールは、改築の開始と聖遺物出現続発の始まりの間に、五年の開きを置いている。…しかも改築を先、発見を後に置いた点は我々の注意を引く。聖遺物発見が信仰を鼓舞し大改築が実現するのも事実だが、他方では会堂ができて聖遺物が必要となるから発見される、信仰が高揚するから遺物が出現するという論理が同時に進行したことも確かだからである。


ロマン主義(131)  
 カミュ「ロマン的な英雄はまず善と悪の深刻な、いわば宗教的な混同を行う。この英雄 は宿命的である。宿命は善と悪を混同するが、人間にはどうすることもできないのである 。宿命は価値判断を斥ける。」

ロヨラの妖気(432)
 この名は地名でもあり、人名でもある。さらには聖人の名でもある。信念家というより偏執的な、自分の信念を他に押しつけるためには蛇のように相手を凝視し、魅入ってゆくような気味のわるさがある。ロヨラというバスク地方の小さな町の城主の子にうまれたイグナティウス・デ・ロヨラ(1491?〜1556)については、その城が聖堂に改造されて、ごく地方的な知名度ながら観光資源になっていて、尼さんや小学生たちが参観にくる…ロヨラは傷痍軍人として生家のロヨラ城にもどった。片足の自由をうしなった以上、もはや軍人として立つことはできず、何をすべきかになやんだ。かれは、献身という甘美でかつ激しい行為につよい憧憬をおぼえるたちだったようにおもえる。
 …しかし、フランシスコ・ザヴィエルのほうは、どうやら生理的な嫌悪感をロヨラにもっていたらしい。禿げあがって、目がするどく、しかも暗く燃えて、偏執者を思わせる人物が好きだという青年はまずいないのではないか。ロヨラのほうは、狙っていた。 かれの考えているイエズスの騎士の道を仕遂げるには、軍隊のように指揮官をもち、勇者をもち、人数をもたねばならない。会を結成せねばならないが、それには人材が必要だった。ザヴィエルをロ説いてこれを僧侶にし、命も名も要らぬ勇者に仕立てねばならなかった。かれはモンテーギュ学院から、ザヴィエルの聖バルブ学院に転校してきたのである。さらにはザヴィエルの部屋の同室人になった。…かれが手にとった粘土のなかで、かつてなかったほどに固くてむずかしかったのは、青年フランシスコ・ザヴィエルだった。説得四年にしてようやく「人」になったのである。 ヨーロッパには、古くから回心という精神現象をあらわすことばがある。人間が、ある動機によって精神的変化をおこし、いままでとは全くちがう精神世界に入る。


ローライドスコープ(94)
 フランケ・ハイデッケのロールフィルム用ステレオカメラ。ステレオだからレンズが 2本ついて、別々のフィルムに撮影できる。片方のレンズから撮影機構を取り払ってファ インダにすると二眼レフができる。これがローライフレックスの前身。

ロラン伯(385)
 シャルルマーニュの甥として、『ロランの歌』の主人公であるが、歴史の示すところは、フランス領ブルターニ辺塞国(ベディエは実在せずという。)を治める伯爵ということと、ロンスヴォーで778年8月15日に戦死したといぅことだけであり、他はすぺて伝説による。

ロリス=メリコフ憲法(422)
 (1880年になって)国家の最高機関に初めて、国民代表制というヨーロッパの基本原理を導入されようとしていた。「憲法」が準備されているといううわさが、秋から世間に流布するようになった。改革について知らなかったのは、おそらく国外に暮らしていた彼だけだっただろう。ぺテルブルグ在任の 「人民の意志」党員たちは、全員、非常によく知っていた。そして彼らは、間近に迫しく改革を恐れるという、大きなパラドックスが生じた。ロリス=メリコフの改革は、ロシアから革命を完全に遠ざけてしまうかもしれなかったからだ。二つの互いに憎み合う陣営の利害は一致した。そしてこの二つの陣営とも、今や事を急がなければならなかったのである。(こうして改革者アレクサンドルU世は、改革をなすことなく暗殺され、憲法もまた葬られた )

論考(98)
 ウットゲンシュタインが第一次大戦の収容所で書き続けた、前期哲学の成果「論理哲学 論考」。ラッセルとの議論の中から生まれた。 哲学上の問題は言葉の働きを正しく理解することにより解決される。ギリシャ以来の哲 学は「存在・知識・真理・価値」を議論してきたが、言語を正しく理解しないままの幻の 議論であるとする。「たしかに言葉にできないことはある。それは自らを示す。それは神 秘的なものである。」「今日、多くの者たちが意味のない無駄口をたたいていますが、・ は本の中で沈黙を守ることによって、それらすべてを明確にしている。」 コンマでツリー化され構造化ソフトウエアのように構成された[論考]は執拗に言葉の構造を追う。冒頭で世界の構造を次のように示す。
1 世界は起こっていることの全体である。
1・1 世界は事実の総体であって、ものの総体ではない。
2 起こっていること、すなわち事実とは諸事態が成立していることである。
2・01 事態とは諸対象(ことがら・もの)の結びつきである。
2・02 対象は単純である。
「論考」はエレガントな数学と同じ種類の対称性や単純さや外見上の厳格という特性に よって、ことがらをひどく単純化してしまったと自ら「哲学探求」で批判する。

「論考」の序文(444)
 この書物は哲学的な諸問題を扱っていて−−わたくしの信ずるところでは−−そのような問題の問いかたがわれわれの言語の論理の誤解に由来することを示す。ひとはこの書物の核心をほぼ次のようなことばで把えることができよう。およそ言いうることは明断に言い得、語りえざることについては沈黙しなくてはならない、と。それゆえ、本書は思考に対して限界線を引こうとする、あるいは、むしろ−−思考に対してではなく、思考の表現に対して限界線を引こうとする。なぜなら、思考に対して限界線を引くためには、かかる限界線の両側を思考することができなくてはならない(それゆえ思考することのできないことを思考できるのでなくてはならない〉からである。
…わたくしにはここで開陳された思想の真理性が犯しえず決定的であるように思われる。それゆえ、わたくしの意見では、諸問題をその本質において究極的に解決したつもりである。もしわたくしがこの点で過っていなければ、この著作の価値は、これら諸問題が解決されたことに伴なって、いかにわずかのことしか達成されていないかを示している点にある。


ロンコーレ(344)
 イタリア北部エミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャから北へ、ミラノ方面へ向かって行く途中のパルマとピアチェンツァの間の田舎の小村。行商人や旅芸人が往来したところで、ここにヴェルディは生まれた。その父カルロは旅人目当ての食料品・雑貨も商う小さな旅籠を営んでいた。ヴェルディは10歳の時、近くの大きな町プッセートに移った。プッセートの卸売り商人で音楽に大変関心の深かったアントニオ・バレッツィの援助で靴屋に働きながら学校に通う。最初の妻マルゲリータはバレッツィの娘であった。

ロンスヴォーの悲劇(265)p,76
…パンプローナの町に軍を進め、市壁を破壊すると、ピレネー越えにさしかかった。そこでカールは(バスク人によって)歴史的な敗北を喫することになったのである。…後に「ローランの歌」として後世に語り伝うられ、神話化された778年の8月15日の出来事…。「ロランの歌」では「…シャルルは臥し給えど、ローランを偲びても悲し。血にまみれたるままロンスヴォーに残し来し。…」

ロンダニーニのピエタ(TV)  
 ミケランジェロは29才でダビデ像を作り上げた。そのゴリアテを倒そうとする瞬間を 緊張感と豊かな人間臭さで表現したのとは対極に位置するのが、このピエ タ。最晩年の諦観に満ちた稚拙とも言うべきノミの跡、ミケランジェロの内面を垣間見せ た未完の彫刻。ミラノのスフォルツァ宮殿で会うことができる。

ロンダニーニのピエタ(441)
 死の6日前まで刻んでいたといわれる未完成の「ロンダニーニのピエタ」を観るとき、人はこの巨人がこの矛盾を突き詰め、その限界に達していたのに気が付くであろう。解決すべくもない生の矛盾は、形態のうちで解決できるはずはない。大理石に刻み込まれたのみの跡は、巨人の悲劇的な格闘−−恐るべき人物の恐るべき時代との格闘−−の跡である。ルネッサンスの美しい自然の模倣を棄て、模写的なものを越えて情念に、理念に形を与えようとする芸術家には完成はあり得ない。未完成もありえない。あるのは非完成だけである。

論文のない教授(427)
 黄(ファン・ウソク)教授は2004年の「サイエンス」論文を通して彗星のごとく現れた人物ではない。世界で初めてヒトクローン胚からES細胞を作り、さらに培養したとする、この 『サイエンス』論文が発表されたとき、黄教授はすでにクローン乳牛の「ヨンロンイ」、クローン韓国牛の「ジこ」、遺伝子組み換えの豚や無菌豚、BSE耐性牛など、数々の研究成果を立て続けに発表してきたスター科学者だった。彼はまた、大山農村文化賞、獣医学術大賞、科学記者クラブ年間科学者賞、大韓民国政府紅條勤政勲章、国会科学技術賞、世宗文化賞、韓国の顔五十五人賞、韓国科学文化財団が選定した「憧れの人」科学技術人賞、ソウル市文化費、心元学術大賞など、数多くの賞を獲得してきた。報道によると、1988年に受精卵の移植による牛の生産に成功し、93年に国内最初に試験管の子牛を誕生させ、95年には受精卵を0. 割球分割方法でクローニングして双子の牛を作り、ついに「ヨンロンイ」「ジニ」の生産に成功した。ところが、不思議なことにそれらに関連する論文が一つもない。


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