語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日  2017-8-31 計123語
新着語
聖アントニウス、星客、生物体の粗大さ、生の創造的統一、セント・レジャー・ダニエルズ、善導の浄土教、聖マカリオス修道院、誓約の交換、千人殺せ、清浄な生活の否定、生存の安易さ、善と真理、聖ユトロープ、聖遺物の限界、

聖アントニウス(560)
 修道院は三世紀の中頃エジプトから始まり、次第にシリアから小アジアの方に伝えられた、と考えられております。その創設者は聖アントニウスであるといわれます。その後テーベのタベネシという所ではパコミウスが共同生活の修道院を建て、またアントニウスの弟子のマカリウスとアンモンとはナイル河の下流のスケティスとトゥリアに修道生活をもたらし、これがさらにイェルサレムからシリアをへて、カッパドキア、小アジアというふうに進んでいくわけであります。
聖アントニウスは修道制の父といわれる。中部エジプトのコマという町に生まれ、20歳頃聖書の中の「汝もし全からんと思わば、行きて汝の持ち物を売り貧しき者に施せ、さらば宝を天に得ん。かつ来りてわれに従え」(マタイによる福音書)を聞いてこの世を捨て地下墓地で約15年、さらにピスピルの山で約20年苦行し、晩年はアントニウス山に隠棲しながら弟子たちを指導した。彼と親しかったアレクサンドリアの司教アタナシウスが書いた「アントニウス伝」は西方でも広く読まれて、修道制の発展に貢献した。この長命の隠者が修行中に悪魔や美女に誘惑されたという話は、中世末期から近代初頭の画家たちに好んで描かれる問題となった。



聖アントニウスの誘惑(58)(78)
 グリューネバルトやボスが描くのは西欧人の夢魔の世界である。ベルリオーズの幻想交響曲もそれである。
   ブリューゲル……ジェノヴァのバルビ宮
   グリューネヴァルト……コルマール/ウンターリンデン美術館
   ボス……リスボン国立美術館
   パティニール……プラド美術館
   フラ・アンジェリコ……ヒューストン美術館
 しかし本当のアントニウス(251~356)はエジプト人である。砂漠に隠棲/苦行を 行って古代の墳墓にこもったのだから、そこで誘惑した悪魔とはすなわち半人半獣の古代 エジプト諸神であったはず。キリスト教修道院制度の父とされる。  


聖遺物崇拝(515)
 聖者の墓の上に、追憶の会堂や僧院を建てるのが古代末、中世初期のふつうの風習であった。後には、堂内の台座に棺や遺物箱を据えて、信者に存在を誇示するのがふつうとなる。いまでもヨーロッパの寺院を訪れるなら、ガラス越しに見えるように工夫した遺物箱に、聖者の遺髪や乾からびた腕、ときには正装の法衣に包まれた骸骨の安置してあるのに行きあうことがある。いままで見てきたところでわかるとおり、『巡礼の案内』が私たちに指示するのはいずれも聖者の遺骸の在る所である。この種の遺骸、またはその破片、それがなければゆかりの品を一口に聖遺物という。中世、聖遺物への帰依が民衆の信仰のもっとも標準的な形態であった。聖遺物のある所に奇蹟が生じ、巡礼が集まる。多くの巡礼地点を連ねた長大な旅路の果てには、サンチャゴが、つまり聖ヤコブの遺骸がある。

聖遺物の限界(515)
 大衆信仰が独走して教義の大枠から逸脱することはついになかった。あれだけ流行し、ほとんど着想のおもむくままに発見あるいは創出された、大量の聖遺物にも明確な限界がある。早い話、イエスや聖母についてはゆかりの遺品はあっても、遺骸はおるかその断片すら崇拝された例がない。イエスは昇天しマリアは天に挙げられたので、肉体が地上に残るわけがないのである。ここに、教理による厳しい限界設定の跡を見てもまちがいはないであろう。

星界の報告(466)
 ガリレオは1609年にオランダで望遠鏡がつくられたという噂を耳にし、自分でも倍率9倍のものをつくり上げた。そしてそれをヴェネツィア共和国の統領に献呈し、…その後さらに倍率60倍の望遠鏡を作製し、それを夜空に向けて天体を観測し、驚くべき数々の現象を発見した。まず月面の凹凸(これは天体が完全な球であるというアリストテレスの説に反する〉、無数の星の集合としての銀河、さらに最も著しいのは木星の四つの衛星の発見である。…四つの月(衛星)を自らの周りに回転させながら木星自身が太陽の周りを回るならば、月を自らの周りに回転させつつ地球も太陽の周りを回っていることも可能ではないか。こうした論拠から、ガリレオは彼の新しい観測結果をまとめた『星界の報告』(1610)のなかで、公刊された書物としてははじめてコベルニクスの地動説擁護をうち出すのである。

聖火リレー(TV)  
 オリンピックの聖火リレーはヒトラーのベルリン大会から始められた。ヒトラーはこれ を理由にして、通過する各国に対して、道路情報、橋梁の許容荷重等の情報を要求し、こ のデータを元にして電撃侵攻に成功する。

精機光学研究所(208)p.21
 昭和8年精機光学研究所として発足した現在のキャノンは、コンタックスⅡが発売された昭和11年、ハンザキャノンを発売した。同年、日本精機光学工業として改組され、SEIKI KOGAKU製のCANONとしてニッコールF3.5付き350円で発売された。
「日本の科学、日本の精密機械工業もついにここまで来ました。いたずらに高価な外国製品のみが、優秀であるという観念は、断然訂正されなければなりません。セイキ製品は、新興科学ニッポンの誇りです。」という広告に気負いが感じられる。


星客(557)
 1911年まで2000年の間、中国の宮廷には公式のお抱え天文学者がいた。彼の務めはありとあらゆる天の啓示、予兆がもつ吉凶の意味を注意深く記録することにあった。ほんの束の間天をよぎっていく星はとくに大事に扱われ、「星客」と呼ばれた。これらの記録は、今日の天体物理学者にとっても非常に価値の高いものであることが明らかになっている。「星客」のなかには、彗星や隕石、さらには星の爆発なども含まれていて、その観察記録の信頼性は非常に高い。紀元前139年以降のほとんどすべてのハレー彗星の回帰が記録されているのである。

税金の父(494)
 (ポアティエの戦いで捕虜となった)ジャン2世の身代金支払い、解雇された傭兵隊の撃退、等々と説得力ある要件が重なったことで、シャルル5世は世人をして、公益のための税金という考え方に、徐々に馴れさせていくことができた。1363年アミアン三部会で認められた竈税は、平時に、おいてラングドイル全体に課された最初の直接税になった…。さらに息子のシャルル6世の御世にタイユと名前を変えて、その後も集められ続ける。タイユ(人頭税、直接税)、さらにエード(消費税、間接税)、ガベル(塩税、間接税)という、シャルル5世が一代で軌道に乗せた諸税は、フランス革命にいたるまで国王財政を支える三本柱となるのである。シャルル5世が歴史に「税金の父」とも呼ばれる所以である。

聖甲虫(293)
 スカラベ。タマオコシコガネ。「スカラベ」にあたる古代エジプト語が「生成」という意味を持ち、またこの虫が球状の糞を転がすことから、太陽神・天地創造神の象徴とされた。

性差(253)  
 性差は文化が決めるという見方は、もういい加減、やめるべきだ。いくら目をつぶったところで、生物学的な性差はなくならない。…生物学が男性原理に「汚染」されていようといまいと、統計学が数学偏重の近代の偏向した産物であろうとなかろと、性差が存在することは紛れもない事実だ。…生物学が性差にお墨付きを与えているからこそ、家父長制や資本主義が性差別を増幅し、再生産していくのだろうか?もしその通りならば、生物学がフェミニズムの宿命のかたきとなるのはやむをえない。だが、そうではない。

生産が実存に先立つ(447)p.14
 この物体が何の役立つかも知らずにペーパー・ナイフを造る人を考えることはできないのである。ゆえに、ペーパー・ナイフにかんしては、本質--すなわちペーパー・ナイフを製造し、ペーパー・ナイフを定義しうるための製法や性質の全体--は、実存に先立つといえる。つまり私のまえにある、あるペーパー・ナイフ、ある書物の存在は限定されているのである。すなわちこれは一種の技術的世界観であり、この世界観では生産が実存に先立つのだといえる。

静止社会の崩壊(325)
 暴徒を意味するmobという語は移動を意味するmobileから派生している。昔から英国の指導層が下層階級の移動性を脅威と見ていたのは事実であり、それも理由のないことではなかった。鉄道革命に対する熱烈歓迎の声に混じって、大衆の新しい移動を憂える保守的に声も聞こえていた。というのは、大衆の移動性が、上流階層が既得権益を有する古くからの静止社会を崩壊させる恐れがあったからである。

誠実性(479)
 「誠実性(Wahrhafrigkeit)」が実現されていない限り、いかに外形的な善さが実現されても厳密な意味での「善」は実現されない、とカントは言いたいのである。長いカント研究を経て、私(中島義道)がこの単純な思想に至ったのは、ごく最近のことである。
 カントの言う道徳法則は形式だけであって内容がないというのが定説であるが、それは大きな間違いなのではないか?純粋な形式とは論理学にほかならず、論理学が倫理学の原理になるはずがない。そんな当然のことをカント学者たちはなぜ言わないのであろう?
 道徳法則の形式性の背後には、自然科学の法則の形式性が潜んでいて、たえず後者との類比で思索は進んでいく(「範型論」)。すなわち、道徳法則は--自然法則と同様に--いつでもどこでも、誰にでも誰に対しても妥当するものでなければならない。これが普遍性であり、道徳法則は普遍的なもの以外ではありえないというのが、必然性である。この必然性は「理性の自然本性」に帰着し、つまり理性は道徳法則の普遍性を必然的に要求するからである。


静止網膜像(296)
 ふつう私たちが、眼球を固定させて見ているつもりであっても、実は微細に振動しているのである。プリチャード(1961)が示したように、特殊なコンタクトレンズを用い、眼球の振動にあわせて対象も振動させ、結果として眼球振動を相殺してしまうと、静止網膜像は崩壊してしまうのである。
眼球はカメラの原理として説明されるが、静止視点のカメラしと眼球の認知がまったく異なることを示している。


聖樹崇拝(475)
 「聖樹崇拝と十字架」の問題である。従来、人間にとって樹木は、自然の事物としての有用性だけでなく、人間の限りない想像力と恩沢を育むものであった。事実、樹木は大地に根を張り、幹は天空に高く伸び、枝葉は豊かなひろがりをみせる。その緑陰は憩う者の心を癒し、木上の果実は生命の糧となる。それこそ、砂漠の地ペルシアに発した「楽園」の理想郷でもあった。他面、樹木は、その垂直性と全体的な形状から、宇宙の三つの領域である天上、大地、地下界を一つに結ぶ宇宙軸(世界軸)として考えられた。エリアーデの「植物崇拝」の分類では、「中心のシンボリズム」と命名される。また、その関連から、地母神と同様に、「生命と豊穣のシンボル」ともなった。
…じつは、キリスト教の重要な印である「十字架」は、このような宇宙軸ないし聖樹崇拝の一発展形態である。すなわち、宇宙の中心を形成し、死者の蘇りを約束する「生命の木」を土壌としている。その「真の十字架」こそ、コンスタンテイヌス帝の母ヘレナが探し求め、奇跡的に発見したものである。この十字架は、「エデンの園」の中央に植えてある生命の木で作られた、ともされる。


■清浄な生活の否定
 彼(親鸞)が今までのいわゆる清浄な生活--観念性にのみ富んでいて、その中にはなんらの実証的なものを含まない生活--に甘んじなかった事由は、その念仏を人間一般の生活の上に働き出ださんと欲したからである。然らざれば何のための「肉食妻帯」か、わけがわからないのである。彼は聖道門と浄土門との区別を、ただ「肉食妻帯」するとかしないとかいうところ、専修念仏と然らざるところにのみ見んとしたのではないのである。彼は実に人間的一般の生活そのものの上に「如来の御思」をどれほど感じ能うものかを、実際の大地の生活において試験したのである。ここに彼の信仰の真剣性を見出さなければならぬ。彼には出家とか在家とかいうものはなかった。或いはなお当時のイデオロギーを全然脱却し得なかったにしても、彼の念仏観・信心意識には、もはや旧時の「清浄な生活」などいうものはなかったのである。「煩悩織盛」とか「地獄必定」とかいうのは、何も生活形態の外貌にのみついて言われるものではなかったのである。それ故に彼は概念性の生活をなんの躊躇もなく振り捨てたのである。


聖書解釈(449)
(15世紀の)聖書解釈は、聖書には次のような四つの意味レベルがあるとする考えかたに基づいて行われていた。
  (1〉歴史的意味--文字どおりの意味。
  (2〉予表論ないしアレゴリー的意味--(旧約の)ある特定事象が(新約の〉歴史的事象を予め示しているとする。
  (3〉比喰的意味--道徳的教訓を読みとる。
  (4〉秘義的意味--天上の事象と恩寵に結びつく。
こうした方法は古代キリスト教教父に始まって次第に理論化されたものであり、歴史的解釈については聖ヒエロニュムスが、予表論的解釈については聖アンプロシウスが、比喰的解釈についてはニュッサの聖グレゴリウスが、秘義的解釈については聖アウグスティヌスが最高の導き手とされる。


生殖細胞(255)
 精子や卵子の染色体が一般の細胞のように短くなると、数世代後には不妊になてしまうだろう。実際、生殖細胞の染色体は短くならない。短くなったテロメアをもとの長さに戻してしまう酵素が存在しているからである。テロメラーゼという酵素である。…生殖細胞には寿命がないとされている。もし卵子が老化するとしたら、高齢出産の母親から生まれた子供は、若い母親から生まれた子供よりも寿命が短くなるはずである。しかし、子供の寿命は母親の出産年齢に依存しない。…実際には、母親の年齢が上がるにつれて受精率が下がってくるし、受精卵に染色体数が正常と異なるような異常が起こる頻度は増加する。

聖書の地質学(499)
 化石からは二つの可能性を導きだせるが、それは彼(ジョージ・ヤング師)の信仰を根底から否定するものだった。その一つは動物の絶滅であり(生きているイクチオサウルスはいない。ということは、この種は地球上から姿を消したにちがいない)、もう一つは動物の進化だった(この生物と明らかに関連があると思われるワニやイルカはずっと進んだ形をしている。ということは時間をへるにつれて進化したにちがいない。不適合で無能な生物は排除され、取り残されて死に絶えるしかなかった)。当時、聖書を信じる人びとにとって、この二つの可能性を認めることは異端であり、破門されてもしかたがなかった。
 そんなわけで、ヤング師はこの間題になんとか筋道を立てようとして思考の離れ業をやってのけた。その結論は、1840年の著作『聖書の地質学』……この題名からして矛盾しているように思える……で明らかにされた。その主張はあまり論理的とはいえなかった。彼が発見したイクチオサウルスは絶滅していないというのだ。遅かれ早かれ、いつか世界のどこかで、生きた姿のまま発見されるだろう。「…地球上の海や大河をもっとくわしく探索すれば、いまのところ化石でしか知られていない多くの生物が発見されてナチュラリストのもとに送られるだろう」。進化に関してはどうだろう。ダーウィンの進化論が形をとるのはまだ20年先のことだが、ヤングのような人びと(化石界の現実から学ぶ人びと)はすでに、ためらいながらもその近くまで来ていた。


聖人崇敬(387)
 奇跡は神ではなく聖人・聖者・義人に発す。土着的信仰の強い影響を受けたカトリック世界の巡礼者は、神への崇拝と聖人崇敬を区別すべきとした教会知識人の言説にもかかわらず、聖地に祀られた聖人や聖遺物を「崇拝」した。奇跡は神のみに淵源し、聖人はそれを執り成す仲介者にすぎないとの教会知識人の言説は、中近世の民衆の心を捉えることはなかった。民衆からすれば奇跡は神そのものよりも、民衆が直接、救いを求めた聖人に発すると映じたのである。

精神の外衣(514)
 中世美術は極めて象徴的であり、そこでは形態はほとんど常に精神の外衣であった。工匠たちは、物質を精神化することにかけては、神学者たちに劣らず巧みであった。例えば彼らは、アーヒェンの巨大なシャンデリヤに、望楼をめぐらせた城砦都市の形を与えた。この光の都市が何なのかは、銘文がそれを教えてくれる。つまりそれは天国のイェルサレムなのである。選ばれた人々に約束された霊魂の至福は、それぞれの狭間の間の、聖都を守る使徒や預言者の側に表わされている。これは、聖ヨハネの幻視を目に見えるものとしたいかにも見事なやり方ではないか。

精神のリレー(171)  
 同質の魂による精神のリレーであると、埴谷は自身の死霊をドストエフスキーの悪霊に 対して位置付けていた。このことが、後の若い世代が埴谷のバトンを引き継ごうという幻 想を持つことになる。それなのに、埴谷は晩年になって「僕はブレイクやポーやドストエフスキーのやってい る世界文学のマラソンに横から参加して僅かでも伴走したい」という言い方をして、リレ ーの選手から伴走者に自己を貶めてしまった。

聖人も学ぶことで到達できる(453)
 問う、「『聖人も学ぶことによって到達できる』といいます。しかし伯夷や伊インは孔子とは才力がどうしても同じではありません。それを同じように聖人という点はどこにあるのですか 」
 先生いう、「聖人の聖人たるゆえんは、つまりその心が天理に純一で、人欲の爽雑がないところにある。それはちょうど純金の純金たるゆえんが、ただ含有値が十割で、銅や鉛の爽雑がないところにあるのと同じである。人は天理に純一であるようになって、始めて聖人なのであり、金は含有量が十割になって、始めて純金なのである。しかし聖人の才力にも大小の違いがあることは、金の目方に軽量があるのと変わらない。


正戦理論(310)
 どのような場合に戦争が正当づけられるか、戦争の正当原因とは何かを取り扱う。これを正戦理論という。戦争が全面的に不法とされる今日においてもなお、正戦理論の意味は失われてはいない。なぜなら、「国際連合憲章」が、戦争をふくめて、いっさいの武力の行使と威嚇を不法としているにもかかわらず、こうした義務を負うのは国連の加盟国だけであって、すべての国が守るべき一般国際法では、戦争はなお、国際法の認否の範囲外にあるというのが、厳格な実定国際法学者の考え方だからである。この見解によれば、特別な条約によって他の国に戦争をしかけないとか、一定の明確な条件のもとでのみ戦争に訴えるという義務を負っていない以上、どの国家に対しても国際法を破ることなしに戦争をおこなうことができるというのである。

聖俗の一体性(438)
 7世紀初頭にアラビア半島で布教を開始したマホメットの宗教的世界観は、それまでの二大啓示宗教であったユダヤ教やキリスト教と本質的にはほとんど異なるところがない。しかし、その後マホメットや初期のイスラム教団がたどった歴史は、後世のイスラムの思想に大きな影響を与え、イスラムとしての特色を強めることになった。…その間における初期イスラム教徒たちの最大の関心事は、イスラム共同体の最高責任者に誰がなるか、またその人物はそうした地位を占めるにふさわしい権威を有しているか否かという点であった。…これはイスラム共同体が有している聖俗の一体性という体制の性格と深く関連しているのである。マホメットの考えでは、宗教的目的と政治的・社会的目的とは区別されていなかった。したがって彼の共同体では、宗教面と政治面もしくは社会面とが渾然と一体をなしていた。イスラム共同体はいわば教団国家であった。そこにはいわゆる国家とか教会とかの領分の概念はなく、宗教が国家に形態を与え、国家が宗教の執行と保全に当たるというように、両者は相互に入り組んだ関係にあった。

生存の安易さ(521)
 アンドレイ公爵は自分が死ぬことを知っているばかりでなく、自分はいま死にかかっている、いや、もう半分死んでしまったのだと感じた。彼はあらゆる地上のものに対する隔離感と、喜ばしくも不思議な存在の安易さを意識していた。彼は狼狽もせず心配もせずに、目前に迫ってくるものを待ち受けていた。彼が一生を通じてたえず感じていた恐ろしい、永遠不可測な、遠い遠いあるものが、今では彼にとって近いものになったばかりでなく--彼の意識している不思議な生存の安易さによって--ほとんど理解し感覚しうるものとなった。
 もと彼は終焉を恐れていた。彼は二度もこの恐ろしく苦しい死、終焉に対する恐怖を感じたけれど、今ではもうそんな感じは理解することもできなかった。初めて彼がこの恐怖を感じたのは、榴弾が彼の前を独楽のようにまわっている時、刈入れ後の畑や潅木や空を見て、自分の前に死が立ちふさがっているのを知った時であった。彼が負傷後われにかえり、自分を引き止めていた生の圧迫から解放されでもしたように、この人生に左右されない永遠自由な愛の花が心中に開いた時、彼はもう死を恐れもしなければ考えもしなかった。

生存を繰り返す者(511)
 ゴータマ・ブッダも輪廻の存在者であるわれわれが、いかにして解脱の身となるかを理論と実践を通して明らかにしようとした。ブッダは、われわれ人間は迷いの生存をくりかえす者ととらえた。たとえば、地獄に生まれてそこで死に、ついで他の生存をとるから、生死とも輪廻ともいう。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人問、天の六つの迷いの生存)を経めぐって、それから解脱することのできないのがわれわれである。
 それはなぜかというと、いずれの生存においても、われわれは無明(真理・真実を知らない無知)に基づく行いを積み、その悪業の報いが次生の再生の原因となるからである。このように無明に始源がないから、輪廻にも始源がない。要するに、輪廻とはわれわれの無明を時間的・空間的な場に投影して説明するものであるから、われわれが無明の存在者であることをはっきり自覚して、明知の獲得に向かうべきである。この明知に達した境地が解脱であり、もはや再び次生に輪廻しない者となったことを意味する。


聖堂騎士団の誕生(470)1118年
 言い伝えによれば、イエルサレムの王位に就いたばかりのポードワン二世の許を、ある日二人の騎士が訪れた。そして、その二人のうちの年頃は五十近くと見える騎士は、フランスはシャンパーニュ地方生れのユーグ・ド・パイヤンと名乗り、そばに控える同志も同じ地方出身で、ゴドフロア・ド・サンメールであると紹介した。そして、自分たち二人の他に七人の同志がいると言い、この九人で宗教騎士団を結成し、ヤッファからイェルサレムまでの道の防衛をまかせていただきたい、と申し出たのである。
…(王)は大変に喜び、イェルサレムの市街の東南部に位置する、紀元前のユダヤ時代の聖堂跡を、この男たちの本部として提供した。十字軍の歴史を語るに欠かせない、テンプル(聖堂)騎士団の誕生である。この騎士団の名称が「聖堂騎士団」となったのも、古の聖堂跡に本部を置いたことからきている。…宗教騎士団となると、王や領主の配下にはならない。武器を持って闘おうと身は修道僧である以上、修道院がその地方の司教の下に位置せずに直接にローマ法王の管轄下にあるのと同様に宗教騎士団も、諸侯や王や皇帝や司教から独立した存在になる。


正統と異端(475)
 本来、正統と異端の関係は、相互否定的な対立概念に帰するものではない。いうまでもなく、正統は異端に対して正統なのであり、おのずから異端の存在を前提としている。重要な点は、両者はあくまでも根本を共有する「同一範疇」に属していることである。その意味で、異なる「神々の闘争」である「異教」とは区別される。
…通常、支配的な正統の座は、なにぶんにも伝統的な権威と教条主義に呪縛され、創意を欠いて自己維持的になりやすい。いまや「ローマの国教」として歴史的な制覇をとげたキリスト教は、本来の使命である価値問題の内的変革というより、すべての暖昧な現実状況をもつつむ「埋没化」の危険性に身を投じることになる。正統の基本問題として、その歴史的な果実とともに、現実を組みこむ「順応過程」と「全面的な客観主義」といった負の遺産も見落とせない。
一方「異端」は、正統と同一の啓示にあずかりながらも、とくに原典にそくした合理的解釈に固執し、そのラディカルな復帰を主張する。その意味で、現実軽視の理想主義として一般社会の同調も乏しく、また信徒も少数にとどまることが多い。いわゆる絶対真理への潔癖さが高じて「一面的主観主義」となる。反面、異端はなによりも正統に課せられた歴史的重圧から自由な立場にある。いわば、既成の体制化した教会や修道院の危機に際して、伝統批判の生命力となり、また福音書の原点回帰と再創造の道を拓くことになる。歴史上、最大の異端から「宗教改革」が生まれている、ともいえよう。その意味で、異端の存在と生産的な比重も重い。


成長加速期(63)
 人の成長に固有の特徴は、新生児がまったく無力な状態で誕生し、さらに少年期の短期 間で急激な身長の増加をもたらす成長加速期を持つことである。これらの特徴は人類が類人猿から決別するための脳容積の増大に関連する。すなわち歩行適性の限界から骨盤の開 口部の拡大は一定のところで停滞し、結果として大人の1/3程度の脳容積を持つ子供を 産まざるを得なくなった。このような特徴はホモ・エレクトゥスにすでに現れ、体力とし て大人に劣る状態に長期間置き、その間弱い子供を守りつつ、知識を伝承し、社会生活を おこなう文化が生まれた。

聖なる槍(469)
 バルトロメオの夢の中に現われた、聖アンドレアのお告げは、次のようなものだった。…アンティオキアの中央通りに建つ聖ぺテロの教会の床下に、十字架にかけられたイエス・キリストの脇腹を突き刺した「聖なる槍」が埋まっているから、それを掘り出すように言われたというのである。その「聖なる槍」を先に立てて闘えば、トルコ軍を撃退できると。
…「聖なる槍」の発見者として有名人になったバルトロメオは、サン・ジルの軍に加わってここまで従いてきたのだが、…将兵の中から、「聖なる槍」なんて偽物だという声があがった。それにバルトロメオは、ならば「火の試練」によって真物であることを証明してみせる、と見得を切る。…。兵士たちが群れる中で行われたこの行事の結果は、バルトロメオの大やけどで終わった。哀れなこの男は、この九日後に死ぬ。…この六年後に彼(トゥールーズ伯サン・ジル)が死んだ後、なぜかこの「聖なる槍」は四本に増える。この四本の行方は、この種の聖遺物の運命を示して興味深い。
・一本は、今なおアルメニアの教会に保存されているもので、パレスティーナから直接に持って来られた品と言われている。
・二本目は、第七次十字軍を率いたフランス王ルイ九世がパレスティーナから持ち帰ったとされる品だが、…フランス革命の混乱の中で行方不明になった。
・三本目は、十五世紀末にオスマン・トルコのスルタンがときの法王に贈ったとされている品で、ヴァティカンのどこかにまだあるということだが、見た人はいない。
・最後の一本は今なおウィーンに保存され、…一昔前までは、神聖ローマ帝国の権威を象徴する聖遺物として、大切に保存されていたのであった。

聖年贖宥(261)
 …この時、法王は聖年贖宥(ジュビレ)を宣布する。記念のため、この時の巡礼には格段の贖罪効果を認めるというのである。50年ごとのローマの聖年全贖宥はカトリック世界全体にわたる大きなイヴェントだが、各地の巡礼寺にも小規模な贖宥の年があった。もちろん、参詣人を集めるには絶大な効果がある。

青年の志(458)P.34
 子供の無垢よりも惜しむべきは青年の志である。なぜなら一切の価値と意義は、自覚的な人間の意志を基礎とするからだ。苦悩も悲劇も、その志のあるところ、志を内にもつ存在にのみ起りうる。それゆえに、もし飢えてどちらかが死なねばならないなら、嬰児の無垢は、青年の志の生贄に供されてもいい。かつてたしかに俺(村瀬狷輔)はそう考えていた。

性の進化(215)
 性のもともとの機能は、それぞれの遺伝子がもつ遺伝子情報の信頼性を守ることだった。コードのコピーを2種保存し、これを対照することで、いずれかの誤りを校正することができるからである。一方で、性は新しい遺伝子型を創生することで、子に多様性をもたらす。新しい世代が不安定な環境に直面するならば、このことは適応的である。

■生の創造的統一
 タゴールは、理想主義者で、リアリストであり、したがって具体的観念論者であると称せられ、国際主義者でもあり、民族主義者でもあった。彼が内外の多様性を認めたのは、生の全人的な多様な調和的発展という観点からであったが、さらにタゴールは論理的には本来、相矛盾する二者択一の理念を同時に受容しようとした。すなわち、たとえば不二一元論と制限一元論の両者を同時に肯定した。そればかりか、一元論と二元論、ヴェーダーンタ哲学とサーンキヤ哲学の両者をも最終的に肯定した。これをタゴールの調和思想と言う。調和とは普通より高次の概念によって統一されているものであるが、彼にとっては論理的矛盾はあるがままにして、生の発展と躍動と流動とに役立つと実感し、予感すれば十分であった。それらが、いわゆるタゴールの「生の創造的統一」と称せられ、それを可能にするのが愛の思想である。


聖パトリックの煉獄(281)
 人びとの信仰心は、現実にある島の洞窟を聖パトリックの煉獄と特定した。アイルランドの北西部ドニゴール県にロッホ・ダールグと呼ぶ小さな湖がある。この湖に浮かぶひとつの島にある洞窟が、十二世紀の頃より煉獄への入口である聖パトリックの洞窟として有名になった。
当時の巡礼たちは、煉獄の責め苦を味わうために24時間その洞窟の中にこもった。その際眠り込むと悪魔に地獄に連れて行かれるとされた。彼らは暗黒の中で眠らずに不気味な一夜を過ごすが、その間に彼岸の世界をかいま見たのだろう。


聖バルトロマイの抜け殻(258)
 システィナ礼拝堂の側壁面に描かれた最後の審判に描かれた。12使徒の1人である聖バルトロマイは生皮をはがれて殉教したとされる。この最も悲惨な造形に、ミケランジェロは自分の顔をえがいている。彼の背徳的な人生に対する自分自身への処罰と考えられている。

性比(11)  
 有性生殖をする生物の性はオス/メスの2種しかない。3種目は存在しない。オスは1 個体で多数の精子を持つので、種にとってはメスより少数の存在で十分であるのに、一般 にはその比率は1:1である。個体の遺伝子を利己的に継承するには単性生殖がよいが、 わざわざ有性生殖するのは遺伝子を組み替えるためである。

生物学的決定論(233)
 主として人種、階級、性別など人間のグループ間に見られるそれぞれの行動規範や社会的、経済的差異などは遺伝的、生得的な区別から生じるものであり、その意味で社会は生物学を正確に反映しているものだと考える。全ての差別に論理的理由を与える学問。

生物体の粗大さ(555)シュレージンガー
 物理学や物理化学の法則はぽ√(n)分の一の程度の確率誤差率の幅をもってその範囲内で不正確なものです。ただしnというのは、その法則をもたらすのに参与する分子の数…何かの理論的考察または何か特定の実験に当って、問題となる時間的あるいは空間的あるいはその両者の領域内で、その法則の妥当性をつくりだすために参与する分子数…であります。
右のことから再び、生物体は比較的粗大な構造をもっていなければ、内的な生活と外界との交渉との双方において、かなり判然とした法則の恩恵を蒙ることができないことがわかるでしょう。なぜなら、もしそうでなくて、参与する粒子の数が少なすぎたなら、「法則」は不精密になりすぎてしまいます。


聖ブランダン(281)
 イルベニアで生まれた修道院長。ある時一冊の本を手に入れましたが、その中に神が天と地でなされた大いなる不可思議が書かれているのを見ました。…修道院長はこのようなことを信じようとはせず、例の本を火中に投じてしまいました。
…「ブランダンよ、そなたはなぜ真実を火中に投じたのか。書物で読んだよりさらに偉大な不可思議を、神がおできになるとは知らないのか。生ける神にかけて、私はそなたが旅立ちの準備をするよう命じる。…そなたが真実を燃やしてしまったことを悟るように、まるまる九年間海上を航海しなければならない。」

聖母マリア(450)
 どの国もどの国も、特別な聖人を自家用に使っております。独特な霊験が与えられ、おのおの別々な典礼が献げられています。ある聖人は歯の痛みをなおしてくれますし、別の聖人は産婦の苦痛を和らげてくれます。盗品を見いだしてくれる聖人、難破者を救ってくれる聖人、家畜の群れを保護してくれる聖人、以下これに準ずです。まったく一つ一つ並べたてたらきりがありませんからね。ある聖人たちは、いくつもの力を兼ね備えていますが、とくに聖母マリアがそうでして、普通一般の連中は、ほとんど主キリスト以上の力が聖母マリアにあることにしておりますね。

聖マカリオス修道院(536)
 かつてはナイルの支流の一つがここを流れていた。いまは川床が露出していて、貧弱なオアシスが遠くに点在してみえる。…聖マカリオスは、四世紀のころ砂漠ではげしい修行をしたアレキサンドリア出身の隠修士であった。
 この修道院は、10メートルはある高い塀によって円形状に囲まれ、そのなかの広々とした敷地に、教会や礼拝堂が建てられている。そして塀そのものが仕切られていて、蜜蜂の巣のような僧房のつらなりになっている。これが、千数百年もの迫害に耐えて生きつづけてきたコプト・キリスト教の記念碑なのだ、という感慨が私の胸をしめつける。コプトとは、古代のエジプト人という意味だ。ローマ帝国による迫害と、数知れない殉教、そして七世紀以降には、イスラーム教を奉ずるアラビア人によって破壊と殺裁がくりかえされてきた。

聖マラキ(369)
 1094年誕生。…アイルランドの聖職者で、カトリックの総本山から聖人に列せられたのは、マラキが最初だろう。列聖に際して、綿密な調査が行なわれたのは言うまでもない。それだけに、ローマのマラキへの信頼は厚かったといえる。…マラキは、たくさんの予言を後世に残している。マラキの予言は『生命の木』という本に記されていたが、それは450年ものあいだ、人の目に触れることなく隠されつづけてきたのだ。…現在もマラキの予言書は、門外不出の極秘文書としてバチカンの奥深くに秘蔵されている。バチカン内部でもこれを読むことができるのは、法王ただ一人だったという。歴代法王を予言するこの予言書は、12世紀の第166ローマ法王クレティヌス二世からはじまり、未来までの122人のローマ法王にどんな人物が即位するのかを、すべて予言している。

聖マルタン(マルティヌス)(515)
 「ロワールの岸辺では、聖マルタンの尊い遺骸に参詣せねばならぬ。聖者が三人の死者を蘇らせ、また癩者、悪魔慿き、不具の者、物狂い、悪霊慿きその他の病者を願いのままに癒したのは、まさしくこの地である。トゥールの町にほど近く、聖者の巡骸を安置した櫃は、金銀宝石で輝き、数知れぬ奇蹟で飾られている」。いうまでもないが、聖者の遺骸はいまなお奇蹟を起しつづけているとの意味である。
聖マルタン(マルティヌスと言えば、『案内』の指摘をまつまでもない。四世紀ガリアのキリスト教化に力を尽した第三代トゥール司教、フランスの代表的な聖者である。国民的な尊信という点では、スペインの聖ヤコプに匹敵し、献ぜられた会堂はフランス全土にわたっている。ノルマンディという限られた地方だけをとってみても、641の教区教会がサン・マルタンの名を冠しているが、これは聖母への献堂(872)に次ぐ数で、聖ペテロのそれよりも上まわっている。


生命は過程である(498)
生命は過程であり、実体ではない。ぞれは、時間的にも空間的にも相互に関連しあう、膨大な数の動的な構造を包含している。生命は、その限界が経験的に見出された秩序の規則によって示されている複雑なグループの行動からできあがっている。

生命の運命(196)  
 この惑星上の生命の運命は突如として、進化の物差しからみるとまったく突然に、人間 の脳の仕組みに基づいた全然新しい形式の保障と制御に委ねられるようになってきた。  現代の著しい特徴は、生物界の制御に根本的な変化が起こったことで、多元的で時間 をかけてチェックし、自然と調和するように織りなした広大なマトリックスから、比較に ならないほど恣意的で一元的で、あまり試練を経ていない人間の脳の知力と衝動へと移っ たことである。

生命の独立(498)
 ミシェル・フーコーは言う。「………事実、18世紀末までは、生命というものは実存しない。ただ生物があるのみだ。生物は、世界のあらゆる物の系列の中で、一つの分類階級、というよりむしろ、いくつかの分類階級を形成している。そして生命について語ることができるとしても、それはただ、諸存在の普遍的分布の中での一つの特徴としているにすぎない。」さらにつづけて「……やがて、18世紀の末に、一つの新しい価値があらわれ、それによって、博物学の古い空間は、近代の眼には決定的に混乱したものになるであろう。一方において、批判は位置をかえ、それが誕生した地盤から離脱する……ところが、この同じ時期に生命は、分類上の概念から独立したものとなる。そして生命は、他のものと同等の認識対象になる。」かくして、生命は、分類学上の制約から解放され、理性の対象になった。

生命のフリーズ(82)  
 ムンクがパリで印象派のゴッホやゴーギャンの作品に接して帰国した直後、1992年 から数年間に描かれた連作の名。叫び、不安、思春期、等が含まれる。 ムンクは日記に書く。「ある夕べ、わたしは小路に沿って歩いていた。一方に街がひらけ ていて、フィヨルドがその下にあった。わたしは疲れていたし、病気だった。わたしは立 ち止まりフィヨルド越しに向こうを見渡した--陽は沈もうとしていて、雲は血のような 赤い色に変りつつあった。わたしは、ひとつの叫びが自然を貫いて通過してゆくのを感じ た。」

生命連鎖(362)小浜逸郎
 自分は死んでも、その肉体は巨大な生命連鎖の一部として循環のプロセスに組み込まれる、といった「物語」は、人間は遺伝子の乗り物にすぎないといった考えと同じように、一見現代的な意匠をまとってはいるが、現世否定の宗教思想と構造的には変わらないのであって、その意味で、科学的知識に素材を借りた単なる「信仰」にほかならない。私たちは、時代のイデオロギーからまったく自由に生きることはできないが、その支配的なパラダイムに対する懐疑と批判の精神だけは失ってはならないのである。

誓約の交換(529)
 教皇庁の東バルトへの関与を決定的なものとしたのは、最盛期の教皇とされる、貴族出身のインノケンテイウス三世(在位1198~1216年)であろう。なみいる教皇のなかでも、この人物の政治行動は傑出している。彼は、神聖ローマ皇帝オットー四世を破門し、フランス国王フィリップ二世に対しては離婚を禁止し、マグナ・カルタで有名なイングランドのジョン王に対しては破門、廃位を命じて臣下の礼をとらせた。さらに、
 彼は、ドミニコ修道会とフランチェスコ修道会を認めると同時に、異端撲滅に乗り出し、フランス南部のカタリ派を絶滅するためにフランス国王にアルピジョア十字軍を派遣させて、数十万もの人びとの命を奪っている。
 この偉大な「政治家」、インノケンティウス三世は、教皇位についたその年に「北の十字軍」をただちに認め、…それに参加した者たちには「罪の赦免」をあたえること、そしてすでにエルサレムへの十字軍に参加することを誓った者たちについては、リヴォニアへと向かうことを「誓約の交換」として許し、エルサレムへの十字軍と同一の効果をあたえることを認めた。

聖ヤコブ像の三類型(515)
 ガリシアの一角に生れた聖ヤコプ伝説が何らかの普遍性を獲得したのは、ログロニョに近いクラビホの合戦(844年)の奇蹟を通じてであった。激戦のさなか、キリスト教徒がたが切り立てられあわや潰滅という決定的な瞬間、どこからともなく現われた一人の騎士が単身敵勢に斬って入り、これを混乱させる。これに力を得た強者たちが勢いを立て直し死力を尽して戦った結果、ついにイスラムがたを敗走に追い込むことができた。戦おわって、例の騎士を探したがどこにも見あたらない。あれこそ聖ヤコプが現われて危難を救いたもうたのだと思いあたり、人々は脆いて祈りを捧げた。この時以来、聖ヤコブはイベリア半島再征服の、戦闘の精神的支柱となる。
現在コンポステラの町では、大聖堂をはじめ多くの場所に聖ヤコブの像を見ることができる。たとえば、大聖堂の南口、金銀細工師の門には書物を抱えた立像があるし、正面石階から見上げるエル・オブラドイロには巡礼姿の聖ヤコブがいる。大聖堂の真向い、王宮の軒には勇み立つ駿馬を御しながら剣を振りかざす聖者の姿が見られる。
…要するに聖ヤコブの図像には、書物を抱えた福音伝道者、自身も巡礼の姿を借りた巡礼守護者、イスラムを斬り伏せる猛次しい戦士という三類型、およびその変形と組合せがある。


聖ヤコボ詣(450)エラスムス
 なにか目新しい計画に血の道をあげる人がいるいっぽうでは、もっぱら壮大なことばかりに夢中になっている人もいます。そして、なにも行く必要がないのに、エルサレムやローマや、あるいは聖ヤコボ詣でに出かけて、自分の家も、女房も、子どもも、ほったらかしにしている御仁もおりますよ。

聖ユヴェルト(サン・チューヴェルト)(515)
 オルレアンでは、まずサント・クロワ聖堂に詣でねばならぬ。そこで「聖十字架の木片と、司教にして証聖者たりし聖ユヴェルトの盃を見ることができる」。盃については、その由来が誌してある。
「ある日、聖ユヴェルトがミサを唱していると、神の手が祭壇の上、中空に出現した。参列者の目には人の手と同じ形に見えた。聖なる手は、司教が祭壇の上でするのと同じしぐさをした。彼がパンと盃の上で十字を切ると、それも同様に十字を切り、パンと盃を捧げもつとそれも等しくまことのパンと盃を持ち上げたのである。聖祭が終るや、救主の聖なる手も消失した」。「通例、信者が望むならば、サント・クロワ聖堂でこの盃によって聖体を拝領することができる。土地の者であれ、異国の者であれ、区別はない」。


聖ユトロープ(サン・チュートロープ)(515)
 サントのユトロープもガリア教会黎明期の聖者である。『案内』は、パリ教会の建設者サン・ドニの筆になるという彼の伝記を併せ載せている。「同じく東方の人であったサン・ドニはユトロープ殉難のしだいを、法王クレメンスを通じて、ギリシアなる一族のものに書き送った。さきに私は、コンスタンティノープルのギリシア人の学校にて、この報せがある書物のなかに収められてあるのを見出し、ギリシア語よりラテン語に翻訳した。それには、以下のごとく誌されている」。
「ユトロープは、バビロニア太守クセルクセスと妃ギヴァの子」。「若くしてカルデァとギリシアの書を学び、聡明と向学の心では王国に並ぶ者もなかった。ヘロデ王のもとに珍しいことはないかと考えて、王の宮廷、ガリラヤの国へとおもむいた。ここで救世主の奇蹟の噂を耳にし、町から町へと尋ね歩いた…。
三度イェルサレムに来た時は、すでに主は十字架に着けられた後であった。ここで彼は使徒から洗礼を受ける。「聖霊に満たされ、キリストの愛に燃えてバビロニアに帰ったが、途上ユダヤ人に遭遇するや、かならず剣をもってこれを殺した。彼らが主を十字架に掛け、主を辱しめたことを思い出したからである」
彼がフランスに来たのは、ローマで聖ペテロの助言を得たからである。「サントと呼ばれる町に入って見れば、全市残るくまなく古き城壁で囲まれ、高き塔を備え、美しき地形を占めて長さも広さも不足なく、富み栄えていた。食糧もあり余り、周囲には美しい牧場、清らかな泉、大きな流れがあり、菜園、果樹園、ぶどう畠は豊かに稔り、さわやかな風景、広場や街並承は誰の目にも快かった。この美しい町を邪まな偶像の礼拝より転じてキリストの訓えに従わせようと神の望みたまうことを、聖者は理解したのであった」。


聖ヨハネ騎士団の変貌(470)1118年
 聖ヨハネ騎士団のほうは十字軍が攻めこんでくる半世紀以上も前からイェルサレムに存在し、十二世紀初めというこの時期にゼロから創立されたのではないからだ。それがこの時期を境に、戦士集団に衣更えしたのである。初めから戦士集団として誕生した、聖堂騎士団に刺激されたにちがいない。また、創立時の事情もちがった。テンプル騎士団はフランス人の騎士が集まって結成されたが、聖ヨハネ騎士団のほうは、イタリア人の商人によって創立されたのである。…(アマルフィ)の商人マウロは、カリフに、…当時はエジプトのカリフの支配下にあったイェルサレムに巡礼に訪れるキリスト教徒のために、診療所を建てることを認めてくれと頼んだのだ。…「病院」と通称される彼らの本部も、巡礼たちがイェルサレムに入ってくる「ヤッファ門」から、巡礼たちにとっては最も重要な聖所である聖墳墓教会に向う道筋に建設されたのである。

西洋の没落(68)  
 緒論の一行目は「歴史をまえもって規定しようという試みのなされたのは、本書がはじ めてである。…… 」非常に読みにくいギリシャ、ローマから直線的につながるヨーロッ パ文明という概念を否定し、さらにその現文明の没落の必然を証明する本。何度もトライ して読めなかったが、それがヨーロッパ鉄道旅行の車内で読み切った。ヨーロッパをその 目で見ながら読むと、実感として伝わってくる。ヨーロッパ旅行必携のガイドブックであ る。

生来神なき者(510)
 律法と戒めの聞に「無」の問題があり、自分の徹底的な「無信仰」の自覚から恵みとしての「信仰」へと生くべきことは、…自分流に苦闘しつつ歩みつづけた結果、次第に明らかになってきたことである。律法に死んで戒めに生きるといってもそう簡単なことではない。それはことに日本人として生来神なき者--それが聖書的には戒めなき者ということである--たることに苦しんで分かってきたことなのである。契約における神との関係を「信仰」というとすれば、人とのあるべき関係は「愛」として総括されうるであろう。信仰なきことの苦しみは愛なきことの苦しみであったのは当然で、この「無」の問題は一応「有」から出発する旧約を日本人としてどう受けとりなおすかの問題でもあった。次第に分かってきたことは旧約自身の中に有と無の問題が存在することであった。

セヴァストポリ(473)
 何ヶ月にもわたって超人的な精力的な生活でわきたっていたセワストポリ、何ヶ月にもわたって次から次へと交代しては死んでゆく英雄たちの姿を見てきたセワストポリ、何ヶ月にもわたって恐怖と憎悪をわきたたせ、最後には敵の歓喜をわきたたせたセワストポリ--、そのセワストポリの稜堡の全線にわたって、もはやどこにも人影は見えなかった。すべては死にたえ、荒涼としていて、おそろしかった。けれどけっして静かな、おちついた風景ではなかった。すべてがまだ破壊されたままであった。新しい爆破で掘りかえされた土のなかには、いたるところに、ひん曲がった砲架がころがっていて、敵味方の兵隊の屍体をおしつぶしていたり、おそろしい力で溝のなかに放りこまれて半分も土にうづまっている、もう永久に沈黙してしまった重い鋳鉄砲、砲弾や、銃弾や、それから屍体なぞがころがっていた。そちこちに穴があいていたり、丸太の切れ端が散らばっていたり、掩隠蔽の残骸があったり、また灰色や青の外套を着て黙りこくっている屍体がころがっていたりした。それらのすべてのものが、ときどき、まだ大気をゆるがせつづいてる爆破のまっ赤な炎にてらしだされて、身ぶるいをした。敵は、このおそろしいセワストポリに、何か不可解なものが生まれてきたのを見た。…

セヴラック音楽祭(399)
 7月20日が、僕の大好きなセヴラックの誕生日です。ラングドック地方のセヴラックの生家がある村、サン・フェリックス・ロウラゲで、セヴラック音楽祭が2007年開かれました。この村はトゥール-ズから40キロほど東の田園地帯にあり、中世からのたたずまいをいまだに残したところです。一面のひまわり畑と麦と葡萄の畑が広がるなかに、あちこちに鐘楼があります。その向こうには、ピレネーの山脈が連なっています。セヴラックの音楽にはよく、婚礼や葬式のときなどに、嵐がきたことを告げる鐘の音が出てきます。
 ラングドック地方を中心にオクシタンという民族が現在でも200万人くらいいるそうです。独立した国家を持たず、スペインやイタリアにも住んでいるそうですが、言語はフランス、イタリア、スペインのどれにも似ています。古いラテン語の民族なのですね。このオクシタンの民俗音楽がセヴラック音楽祭では大事に取上げられています。


世界肯定(364)梅原猛
つまり、ここで、仏教そのものが、釈迦以来その内面に深くもっていた世界にたいする否定の意志を、ほぼ完全に放棄するわけである。もとより、世俗の世界を構成している欲望がすべて肯定されるわけではない。あの、人間を不幸におとし入れる欲望は否定され、浄化されるが、しかし、欲望そのもの、浄化され、普遍化させた欲望そのものは、大欲として肯定され、そして、世界そのものは、かつて仏教の歴史において存在しなかった強い全面肯定の感情で、ほぼ全面的に受け入れられるのである。世界というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。人はまだよくこの無限の宝を見つけることが出来ない。無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。汝自身の中にある、世界の無限の宝を開拓せよ。そういう世界肯定の思想が密教の思想にあると私は思う。

世界国家(110)  
 トインビー「世界国家ができるためには、ナショナリズムと文明の違いを越える最低限 の文化の等質性が必要である。ディアスポラはナショナリズムを越える。インテリゲンチ ヤは文明を越える。この二者が世界国家を推進する階層となる。」なおトインビーはディ アスポラとシオニストとはまったく異質の階層であると定義している。

世界システム(77)  
 地球上に存在する社会システムのうち、自らより上位の社会システムを持たない最上位 システム。地球上の他の部分とほとんど交渉のない社会システムは、それ自体世界システ ムである。[自分の世界]というものを本当に作ることは、一切他と交渉を絶つことによ って実現できる。
 
世界創造(392)
 二元論では、精神原理である自己(真実の自己)が、非精神原理である根本原質に関心をいだいて眺めることが、世界が流出を始めるきっかけであると説明される。しかし、かつて根本原質に関心をいだいたことのなかった自己が、なぜ世界の始まりとなる時点ではじめて関心をいだくことになったのであろうか。自己はなぜ永遠に自己の内に沈潜していることができなかったのであろうか。そうするとまた、自己が自己完結できなくなるようなさらに別のものが必要となり、二元論は崩壊する。
キリスト教も神による世界創造を唱えるが、これにも、今述べたような難点がついてまわる。世界創造以前、神はなにをしていたのか、また、なぜ神は世界を創造したくなったのか、これはおいそれと答えることのできない難問である。この難問を力ずくで消し去ろうとしたのがアウグスティヌスであり、かれは、「神は世界とともに時間を創りたもうた」と述べた。つまり、始まりの時点を含めてそれ以前、という時間領域を考えることを禁止したのである。しかし、これは神学であって、信者でない者を説得できない。
 ビッグバン宇宙理論が、科学の装いをとりながらも、きわめて神学的な態度を取るというのも、その理論が流出説であるからにほかならない。…時間はビッグバンとともに生じたのであって、ビッグバン「以前」(と本当はいってはいけないのだが)には時間は「虚時間」としてあったと主張し、ローマ法王庁からお褒めのことばをもらっている。
 カントもクリスチャンだったので、世界は始まらないとはいえず、かといって世界が始まるとすると解決不能の問題が生ずることがよくわかっていたので、世界の始まり問題については二律背反として、問題の核心から逃げたというのが真相かもしれない。


世界的度量(110)  
 トインビー「中国文明は世界主義的傾向が濃厚である。漢帝国以来、時々の寸断はあっ たといいえ、文明を一丸とする「世界国家」を維持してきた。このような文明は現存する 文明になかには一つもない。この世界的度量は精神だけでなく政治的資質をいうもので、 分裂でなく統一を、激動でなく安定を作り出す能力でもある。」

世界、人間、神の三分(487)カント
 ここには、存在者とその規定をめぐるもっとも基本的な諸概念としての存在をあつかう一般形而上学としての存在論を冒頭において、宇宙論、霊魂論、自然神学という特殊形而上学が、中世キリスト教形而上学以来の世界、人間、神という三分法の枠を忠実にまもって配列されている。ところで、カントがさきにあげていた三つの問いとそれに対応する哲学の各領域のうち最初の三つのもの、すなわち、
  l.私は何を知りうるか……形而上学
  2.私は何をなすべきか……道徳
  3 .私は何を希望してよいか……宗教
が、おおよそのところ、右の世界、人問、神という三分法に対応するものであることは、あらためて説くまでもなくあきらかだろう。


世界の成立(488)カント
 人間の都合で存在しているカテゴリーが、なぜ(それとは無関係に存在しているように思われる)世界を説明認識する場合に、きちんと役に立つのだろうか?というものである。そして、カントの答えは、まさに、世界(カントの場合は〈現象〉〉の成立そのものに、人間の主観的原理であるカテゴリーがそもそも関与しているから、というものである。世界が、人間とまったく関係のない〈物自体〉のことだったなら、確かにカテゴリーは世界の説明にア・プリオリに妥当するものではないだろう。しかし、世界とはカントによれば、〈現象〉のことであり、この現象は、時間・空間という直観と、カテゴリーによって、そもそも初めて成立するものなのである。

責任(127)サルトル  
 実存が本質に先立つものとすれば、人間はみずからあるところのものにたいして責任が ある。したがって実存主義の最初の手続きは各人をしてみずからあるところのものを把握 せしめ、みずからの実存族について全責任を彼に負わしめることである。人間はみずからに責任を持つという場合、それは人間は厳密な意味の彼個人について責 任をもつということでなく、全人類に対して責任を持つという意味である。

関根正二(404)
 11歳の夏からの無二の親友伊東深水の画集の年譜にも、彼の名をみつけることが難しい…。…しかし正二の存命中も無視されていたかというと、そうでもない。在野の美術集団「二科会」で新人賞に値する樗牛賞を受賞したことで、毀誉褒貶の評価が新聞雑誌を賑わせたが、なかでも、大野隆徳や中村不折からは嘲笑されていた。一方、正二に惹かれた人、…そして、仲間だった伊東深水、今東光、久米正雄、村岡黒影らは彼の画業を絶賛していた。

赤白二渧(379)
 山折哲雄氏も「性愛の秘儀化と即身成仏」(先述「真言立川流」)として「そもそも人間には三魂七魄がそなわっており、死を契機にして、三魂は去って六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)をさまよい、七魄は現世にとどまって遺骸(ドクロ)に住みついて鬼神となる。そこで、行者は女性と交わり、赤白の二渧(……)を採取してこれをドクロに塗る。すると赤白の二渧にふくまれていた三魂が、ドクロに籠っている七魄と結合して、そのドクロが生身の本尊となって蘇る。赤白の二渧を和合水ともいい、これを八年牢にわたってドクロに塗りつづけると、ついにドクロ本尊が語り出すという」と、…心定の『受法用心集』によって、ドクロ本尊について語っている。要するにこの場合、ドクロは人間生命の強力な再生装置と見立てることにより信(カルト)を成り立たせている。「性愛の結晶をドクロに注入して、死者の再生を実現しようとするものであった。性愛(エロス)と死(タナトス)を回路とする、独自のエソテリズム(秘教)といってもいいだろう」と結んでいる。

セクエンティア(435)
 アレルヤの唱法では「アレルヤ」の一語を、ひきのばし、くり返し、旋律がつきることなく、天駆ける。…これに西方の教会の聖者たちは、不安と恐れを感じたらしい。そうして9世紀以降、この長くひきのばされた旋律に、新しくつくった詩をあてはめて…。これをセクエンテイアあるいは続唱という。…手放しの恍惚のうちに、はしりまわる旋律を、人間の知性の掌のうちに、おさめたかったのだ。

セザンヌの構図(403)
 構図について語っておこう。構図はイタリア的な不動の遠近法とはちがって、絵画の造型上の要求に身を屈する。視覚上の幻覚の不安定性と装飾上の必要性という二つの本質的用件の
みを考慮して、個々の実験のたびに姿を更新するのだ。定規をとって、この作品〔《たんすのある静物》〕の机の部分に当ててみょう。すぐにそれが机の右の部分とまっすぐにはつながらないことがわかる。一本の線のこうした切断は、セザンヌの作品のうちで1880年ころから認められるもので、つまり、彼の物を見る眼がこのころに独特の質を帯びはじめるのだ。水平線はその途中をある物体にさえぎられると連続性を失い、互いにつながらない断片に分断されるという、この奇妙な現象に彼は初めて注目したのである。


世代損失(226)
 ダビングを繰り返して情報が失われていくこと。

ゼツェッション(178)  
 1897年ウイーンで結成された分離派。彼らの作品を展示するためにつくられたのが ゼツェッション館。

舌下神経管(484)
 人類学の研究によれば、化石人類の段階で言語能力が身についた可能性が高いので、類人猿の言語能力は事実上ないと見なせるであろう。ヒトがチンパンジーから分かれたのは、アルブミンというタンパク質の類似性から推定すると五百万年前であり、DNAの類似性から推定すると七百万年前で、少し聞きがあるが、化石人類よりも何百万年か昔であることは確実だ。
 特に注目すべき最近の発見によると、舌下神経管の太さ(断面積)を頭骨の底部から測定したところ、現代人は類人猿や猿人よりも約二倍太く、約三十万年以上前の化石人類は現代人並みだった。舌下神経は舌の筋肉を支配する運動神経であり、舌の運動神経が急に発達した直接の原因は、「話す」ことにあると考えられている。ネアンデルタール人は、約十万年前から三万年前にかけて生存したと言われているので、それよりもさらに昔の人類が話をしていた可能性がある。


セック(97)
 禁酒法が廃止されて、アメリカでは最初はソーテルヌのような甘口のワインが好まれた が、その先は辛口(セック)がもてはやされ、セックをシック(粋)とまで呼ぶようにな った。

設計(50)
 技術とは[物作り]である。アナリシスとしての科学に対して、シンセシスが技術の方 法論である。蒸気機関が熱力学を作り、飛行機が空気力学を作ったのであり、決してその 逆ではない。設計とは「作ろうとしているものがまだものとして存在していない内に科学 を適用することである。」「設計は科学になれないくらい創造的な作業である。」

設計(425)
 古代原子論は、(自然を非神格化して)物質と運動とによって変化が生じるという信念を、(17世紀の)機械論哲学と共有していたが、原子論は自然のなかにおける設計を認めていなかった。しかし機械装置は設計により生まれるのである。…機械論哲学における設計の原理は、事物の「本性」にでなく、神がそれらに与えた性質に起因しているのである。…生きた有機体は、内在的目的因という考え方を暗示しているが、機械の存在理由は、機械製作者の設計のなかに、つまり機械自体の外部にある。世界としての有機体は「生み出された」のだが、機械としての世界は「作り出された」のである。後者の世界のほうが、「聖書」的世界感によりぴったり適合している…。

設計手法(123)  
 設計は最適化への不断の改良プロセスであり、実験により実証されない段階では、全て の設計手法は仮説であること、逆に実証された場合には実験データとしてデータになる。 すなわち設計はあらたな文脈の創出のための知的探索の過程として定義される。

設計と発明(351)ファーガソン
 あらゆる技術的な問題には代替の解--複数の場合が多い--があることを示している。私にとってよくわからなかったのは、より多くの機械を要する解決策を斥けて、その分の重量を、より単純なシステムをさらに強化するのに利用するというダグラスの答であった。車輪スピナーという私のアイデアは、「低レベルの発明」とでも呼ぶものの一例である。それは機械設計であり、技術者が容易にそしていつでも行える類いのものである。設計と発明とは一つの連続体を構成していて、知的な取組みをはとんど必要としないお決まりの設計から、特定の問題への取組み方を将来にわたって変えてしまう独創的かつ根本的な発明にまで広がっている。哲学者のカール・ミッチャムは、次のように主張して、設計と発明を事物の体系の中に適切に位置づけた。「発明とは、アイデアから事物を生じさせるものである一方、科学は、観察からアイデアを得て、世界を思想に従わせるものである」。

設計の不確かさ(351)ファーガソン
 どんな場合でも、技術の分野における設計というのは、その進行とともに不測の厄介事にぶつかったり影響を受けたりしやすい 「不確かな」過程である。この過程の最終的な帰結を、最初の目標から正確に導き出すのは不可能である。いくつかの教科書がそう思わせようとしているのとは違って、設計は、ブロック線図で要約できるような形式に則った連続した過程ではない。…ブロック線図が暗黙のうちに示しているのほ、設計は、次の段階に進む前に「処理する」ことのできる個別の部分に分割されるということである。多くの設計者は、設計とは、たとえそうなっていなくとも、このようにあるべきだと考えているが、どんな規則的なパターンも、設計の無秩序的な進展とは似ても似つかないことは明らかである。設計の核心をなす構想は、多くの場合、要求が明確にされるはるか以前から設計者の心の中に存在している。…設計の各段階はすべて、ほとんど同時に進行すると理解すべきである。

 ■設計方法論(113)  
 設計方法論はいくつかの設計・開発事例から帰納的に得られたものであり、設計のプロ セスをある側面から説明しているが、それにどのような意味があるかは疑問がある。どう してその手順がよいかの説明ができないからである。いくつかの事例を観察し、それを説明する一般則を導きだすのは自然科学の立場に則っ た手法だ。自然法則は一般には再現性の観点から評価可能であり、その是非を論証するこ とができる。しかし設計方法論において得られたモデルは自然法則とは性質が異なってい る。  設計や開発のプロセスの背後にあってプロセスを支配しているものが設計者に内在する 知性に深くかかわっており、その本質が自然現象を支配する仕組みとは異質だからである 。

設計ミス(268)P.3
 設計ミスとそれが引き起こす失敗にひそむ最大の悲劇は、その多くが実際には十分避けられるように思われるにもかかわらず、技術上の信頼性を高めるのに1番有効な手段であったはずのものが、真っ先に無視されてしまったように見えることだ。…失敗という概念は設計プロセスの中心となるもので、失敗を避けようと考慮することではじめて、設計の成功が成し遂げられる。…成功した設計がどのように成しとげられるかだけに設計の研究を集中すると、設計プロセスの根本的な側面のいくつかが見逃されてしまうことになる。

接続詞(408)原口統三
 悪魔の語法はいつでも同じた。「それ故に」は真っ平だ。それは次の「それ故に」を生むだろう。僕にはもう接続詞の用はない。僕の文章はばらばらの断片だ。正確な連鎖は決してあり得ない。

絶対音感(292)
 絶対音感とは特定の音の高さを認識し、音名というラベルを貼ることができる能力であり、音楽創造を支える絶対の音感ではないことはすでに何度も述べた。…作曲家の池辺晋一郎をはじめ何人かの音楽家が「音楽性とはまったく関係のない物理的な能力」という回答をくれた。


絶対音感と言語(292)
 絶対音感を持つ多くの音楽家が、音楽がドレミで聴こえるのが普通だったと語る。…絶対音感と言語のメカニズムの共通点については、多くの学者たちが指摘することである。なぜなら、どちらも耳という器官を通じて獲得され、それに名前を与えることによってカテゴリー化し、他のものと異なる意味を与えるからである。

絶対非演出の絶対スナップ(211)
 土門の戦後のリアリズム写真に対して、乞食写真との批判が高まった。土門は保守派のスナップを、「現実から逃避して個人的な主観のなかにあぐらをかいた写真道楽」と論断し、自らの立場を絶対非演出の絶対スナップと明らかにした。

絶望(303)ヘルマン・ヘッセ
 この絶望を知らずに生きているのが子供たちであり、この絶望を乗り越えたところで生きているのが目覚めた人たちです。

絶望のこの形態(490)キルケゴール
 自己を失うというこの最大の危険が、世間では、まるでなにごとでもないかのように静かに行なわれる。これほど静かに行なわれる喪失は他にはない。無限性を欠くことは、絶望的な偏狭さ、固陋である。絶望的な偏狭さは、素朴さを欠いていることである。あるいは、自分の素朴さを捨ててしまうこと、すなわち精神的な意味で自分を去勢してしまうことである。…絶望のこの形態には、世間ではほとんどまったく気がついていない。このような人間は、このようにして自己を喪失したからこそ、商売や取り引きをうまくやってのける達者さ、つまり世間で成功をかちとる達者さを獲得したのである。

絶望モデル(243)p.201
 実験に使う動物の病態モデルはどのようにして作るか。たとえば鬱病モデルは、マウスやラットを逃避不可能な水槽に入れ、ついに水から逃れられないと諦めさせ無動状態になったものを使う。これが絶望モデルである。

説明拒否(444)ウィトゲンシュタイン
 ベートーベンのあるソナタにおいて価値あるものとは何なのか。ある音の系列のことか。ちがう。それならたくさんある音系列の一つにすぎない。ベートーベンがこのソナタを作曲していたときに抱いていた感情さえ、何か別の感情よりも価値があったわけではない。同様にして、それが他のものより好まれているという事実も、それ自体価値あることではない。価値とは一定の精神状態なのか。それとも何らかの意識所与に付随している形式なのか。わたしは答えよう、ひとがわたしに何といおうと、わたしはそれを拒否するだろうが、それはその説明が虚偽だからなのではなくて、説明であるからなのだ、と。

絶滅(207)p.76
 同じ方法で同じ食物をとる二種の生物は、一本の試験管や一個の岩やひとつの島で共存することはできず、どちらか一方が絶滅に追い込まれる。これこそがダーウィンが考えた競争のあり方であった。中間の枝は死に絶え、生き残った枝は互いにできるだけ異なる方向へ進んで競争を減らそうとする。人間世界でも同じことが起こっている。

節約律(289)
 一つの現象を二つの方法で説明が可能な場合、構成概念が少ないほうが優れている。

瀬戸内海(325)トーマス・クック
 日本の地中海、瀬戸内海は「島と山々のちりばめられた湖のような海という知識からクックが予想していたいかなるイメージをもはるかにこえる美しさだった」…奇妙な形をした山や丘陵のいくつもの集合は、どれも藪や茂みや樹木に豊かに覆われて、光輝く緑の絨毯のような空隙地と調和を保ち、それらのたたずまいが間を縫って走る狭い水路や湾や入江をあまりにも魅力的に見せ、もっと奥を見たいという誘惑に耐えるのは容易でなかった。我々はあまりにも豊かな自然の恵み、次々に移り変わって終わることを知らない景観の美しさに呆然としてしまった。

セナンク修道院(426)
 マルセイユを北上しアヴィニョンヘ、そこから東へ折れ、30キロほど進みゴルドの村へ出る。さらに北西へ2キロほど進んだ森のなかヘ青年は案内される。スナンコル川の谷間、鬱蒼としたその森を抜けると、ラベンダーが広がる野原に出る。そこにセナンクの修道院があった。…有名な観光名所になってしまったが、安藤青年が訪れたその頃はまだ人里離れた静寂の揚であり、修道院は人目を忍ぶようにひっそりと佇んでいた。建物はすべて石でつくられている。少し灰色がかった粗削りな石である。なかへ入るとまず寝室がある。修道僧たちは藁布団で寝たというが、冬場はそうとう寒く過酷な環境だったことだろう。聞いた話では修道僧たちは皆弱冠30歳ほどで亡くなったという。中庭回廊を歩いて、教会へは身廊から入る。壁も床もそして屋根までがすべて近くで採れる切石からできている。壁画など装飾は一切ない。わずか柱頭に彫刻が見られるのみである。ガランとした石だけの空間。全体の形も簡潔、つくり手による余計な操作は一切感じられない。ひたすら素朴。

ゼノフォービア(342)
 新しいもの嫌い。

セー法則(492)
 もうこれ以上労働供給はありえないという完全雇用の天井以外ないことになる。このような特殊な場合はどのような場合であろうか。このような場合こそ新古典派が暗黙のうちに前提したところのセー法則の妥当する世界である。リカードがその理論の上に暗黙のうちに取り入れたセー法則--それを継承したジョン・スチュアート・ミル、マーシャル等々の体系は、供給はそれ自ら需要をつくる。したがって社会全体の需要量のことは論ずる必要はないとリカードはいったけれども、そのようなセー法則が成り立つ社会をもし前提としたならば、それは雇用量を増大して生産量を増やすならば、必ずそれは需要供給が一致し、供給量の増大はそれ自ら需要をつくりだすのである。 需給は企業者が利潤極大を続けながら拡大し続けることになる。このような前提をとるならば、この生産量の増大を阻止するものは、完全雇用の水準以外存在しないことになる。

セレナーF1.8(69)
 中心解像力280本の初代ズミクロン50mmF2よりハロやフレアが少なく画像の抜 けが良い、キャノン「不滅の傑作」となった50mmレンズ。後にF-1開発のプロジェ クトリーダとなった伊藤宏の設計。

セルデン特許(433)
 ジョージ・ボルドウィン・セルデンは彼のバギーを1979年に特許申請し1895年になってようやく認可された。これを根拠に彼はエンジン車の発明者であると主張し、他の自動車メーカからライセンス料をゆすり取ろうとしていた。1904年に彼の考案した構造で走行可能であることを証明するため特許に記載されたバギーをつくらなければならなかった。そのバギーは一度も走らなかった。1911年ニューヨーク最高裁判所はセルデン特許の無効を宣言した。

セレンディピティー(141)  
 「セレンディップの三人の王子」というおとぎ話で、王子たちが偶然にしかもうまいぐ あいにいろいろなものを発見していくことから、偶然による科学的発明発見をこう呼ぶよ うになった。

善悪混じり合った教会(429)
 ドナティストと同様、アウグスティヌスも聖なる普遍的教会を重んじる。問題はその内容理解である。教会は聖なるものであるが、現実の教会は完全な聖さを有してはおらず、むしろ罪や悪をそのうちにもっている。アウグスティヌスはこの事実に注目し、善悪混じり合った教会という表現をする。そして、この現実は不本意な憂うべき状態というよりは、この世に在る教会の本質にかかわるものと受け取る。善も恵も含んでいることが地上にある教会の本質に属するとすれば、教会はまさしく善悪の混合体にほかならない。このような理解は教会の聖性を否定するものではない。善悪をともに持つ教会と聖なる教会は二つに分離さるべきものではなく、二つの異なる視点からとらえられ、表現された同一の教会的現実をさすのである。…サクラメントはそれを授ける人間の聖性とは関係なく聖く、かつ一度行われたら、それは有効であり続ける(『洗礼論1ドナトウス派に対して』第一巻)。サクラメントは神と人間がふれ合う場所であるが、人間がサクラメントを聖くしたり、有効にしたりするのではなく、サクラメントはそれ自体、神の業として有効であり、そしてサクラメントを通して人間が神の聖さにあずかるのである。

全関係(自己)(490)キルケゴール
 このような派生的な、措定された関係が人間の自己であり、関係自身に関係するとともに、関係自身に関係することにおいて他者に関係する関係なのである。このことから、本来的な絶望には二つの形式が成立しうることになる。もし人間の自己が自己自身を措定したのであれば、その場合には、自己自身であろうと欲しない、すなわち自己自身から脱れ出ようと欲するというただ一つの絶望の形式しか問題になりえず、絶望して自己自身であろうと欲するというものは、問題にはなりえないのである。すなわち、この定式は、全関係(自己)が依存的であることの表現であり、自己は自己自身によって均衡と平安に達しうるものでも、またそのような状態にありうるものでもなく、むしろ自己自身と関係することにおいて、全関係を指定したものに関係するということによってのみ、それか可能となることの表現である。まさに、この絶望の第二の形式(絶望して、自分自身であろうと欲すること)は、たんに絶望の一つの独特な種類を示すだけといったものではけっしてなく、むしろ、あらゆる絶望が結局はこの絶望に解消され、還元されうるようなものである。

先カンブリア時代(391)
 先カンブリア時代は地質学的区分のなかで最も長い時代で、約40億年続いた。その間、最初の生命体である単純な構造の細菌が海洋中に誕生する。その後、光合成をおこなう生物が出現し、光合成によってつくられた酸素が大気中に放出されるようになったため、さらに複雑な多細胞生物や海生無脊椎動物が進化するようになる。

潜在的自我の自動作用(400)ポアンカレ
 潜在的自我は通常純粋に自動的なものであると考えられている。しかるに、我々は、数学上の仕事は単なる機械的な仕事ではなく、いかに完全な機械にもせよ、機械にまかせておくことは出来ないことを見て来た。単に規則を応用するとか、或る固定した法則にしたがってでき得るかぎり多くの組合せをつくるとかいう問題ではない。かくの如くにして得られる組合せはいたずらに数多く、ただ無益にして煩雑なばかりであろう。発見者の真の仕事は、たくみに選択を行なって、無益な組合せを除外すること、或はむしろ、かゝる組合せをつくるが如き労を費やさないことにある。そして、この選択を指導すべき規則はきわめて微妙であって、正確な言葉をもってあらわすことはほとんど出来ない。言葉に述べるよりもむしろ感得すべきものである。
 そこで次のような第一の仮説があらわれて来る。すなわち、潜在的自我は何等意識的自我におとらず、純粋に自動的なものではなく、識別力あり、横略あり、微妙きあり、選韓をし、洞察力をもつというのである。
 幾分長い無意識的活動の後に突然一種の啓示の如くに精神にうかんで来る組合せが、一般に有用でみのり豊かな組合せであることは確実であって、かかる組合せは最初の選り別けをした結果であるように思われる。このことから、潜在的自我は、微妙な直観によってこれらの組合せの有用なことを洞察して、それ以外のものをつくらなかったのである、と結論できるであろうか。…この第二の見地をとれば、潜在的自我の自動作用の結果、すべての組合せがつくられるのであるけれども、ただ興味ある組合せのみが意識の範囲にはいって来るのである、ということになる。

戦時技術の弱点(16)
 計画性の欠如。高度な専門技術者の不足。研究推進のマネージメントの不足。量産技術の未熟。技術の芽をただしく 評価する評価者の不在。現代日本でもあまり変わっていない。

全質変化(450)
 聖体の秘蹟において、パンはその形色や味や重量などの「偶有物」を持ったまま、パンとしての「実体」を失って、キリストの肉体という「実体」に変化し、ぶどう酒も同じく、その「偶有物」は持ちながら、ぶどう酒の「実体」を失って、キリストの血という「実体」に変化する。このいわゆる「全質変化」を認めるか、それともこれを象徴的なものと解するかは、当時カトリック神学者と改革派神学者との最大の争点のひとつだった。

千住真理子(292)
 千住真理子が最年少の15歳で日本音楽コンクールに優勝したとき、……師の江藤俊哉はいった。「あなたはもう完璧だ。弾けないものは何もないはずだ。これからあなたに求められるものは、音楽という名の芸術だ。いつの日か、あなたの演奏で僕を感動させてください。」…「私はテクニックが100%あるということで、自分に無いものを完璧にさらけだしてしまったのです。何の表現をしたいという自分もいなかったのです。」

選択と行為(447)p.19
 われわれが、人間はみずからを選択するというとき、われわれが意味するのは、各人がそれぞれ自分自身を選択するということであるが、しかしまた、各人はみずからを選ぶことによって、全人類を選択するということをも意味している。
…じっさい、われわれのなす行為のうち、われわれがあろうと望む人間をつくることによって、同時に、人間はまさにかくあるべきだわれわれが考えるような、そのような人間像をつくらない行為は一つとしてない。あれかこれか、そのいずれかであることを選ぶのは、われわれが選ぶそのものの価値を同時に肯定することである。というのは、われわれはけっして悪を選びえないからである。


前適応(105)  
 進化論を認知させる上での1つの壁で、比較的説得力のある反論は、翼や保護色など完 成され、洗練されて初めて役に立つような構造をその初期から途中はいかなる淘汰によっ て説明できるかというものである。翼のない動物にわずかに突起ができたとして、何ら役 に立たないので、これが自然選択で優位にはならないとすると、その突起がさらに大きく なる理由はない。これに対する答えば前適応の概念で、翼はその当初から飛翔を目的として進化したのではなく、たとえば温度調整のラジエータとして別の目的で進化したものが 、あるとき飛翔能力を持ったというものである。

前千年王国説(401)
 「ヨハネの黙示録」などには、この世が終末を迎える前に、キリスト教徒の受難の時代があり、キリストがこの世に戻ってきて、サタン陣営が敗北し、キリストと生き返った殉教者たちが統治する至福の千年王国が実現する、と書かれている。ところが…キリストが戻ってくるのは千年王国が実現する前なのか後なのかが、明確でない。
…「後千年王国説」に立てば、人々と教会は努力を積み重ね、社会を改善し、一歩一歩千年王国に近づいていかなくてはならない。それは逆に言えば、人間が社会を良くしていく努力は報われるという「楽観主義」につながっている。主流派や福音派の考え方はこちらの方だ。ところが、「前千年王国説」の立場に立つと、キリストの再臨が近づくにつれて人々の倫理は失われ、人間が社会を良くしようとする努力は徒労に終わる。社会が最悪になったところで、キリストが戻ってきて、すべてを裁き、千年王国を樹立することになる。だから人間は、ただ、悔い改めてキリストの審判を待つしかないという強い「悲観主義」につながるのである。前千年王国説は、原理主義者の特徴的な考え方である。


戦争サイクル(77)  
 トインビーが[戦争の研究]で指摘した1世紀ごとに一般戦争が繰り返すというサイク ル。一般戦争→休息期→補足戦争→全面的平和→一般戦争。コンドラチェフの長波の2倍 のサイクル。1周期は4世代にわたる。一般戦争の経験は若い世代に深い傷痕を残し、こ の第一世代は平和を維持する。次の第二世代は平和の時代に育ち、再び戦争を起こしやす くなるが、一般戦争のかすかな記憶がこの時代を補足的戦争に止める。この戦争を記憶す る第三世代は平和を享受し、この平和の時代に育つ、戦争の記憶を痕跡に止めない第四世代が、1世紀ぶりの一般戦争を起こす。
 1494~1525  イタリア戦役
 1568~1609  スペイン対イギリス・オランダの戦い
 1672~1713  ルイ14世の戦争  
 1792~1815  フランス革命・ナポレオン戦争
 1914~1945  第一次・第二次世界大戦
これからすると、我々は第二世代。共産主義の崩壊までの補助戦争の世代ということにな る。孫の世代が一般戦争を起こすのか。


戦争と平和の法(310)
国際法の概念に大きな影響を与えた17世紀の自然法学者グロティウスの主著。 
・諸々の人民の間に、戦争に訴えるか否かに関しても、戦争のさなかにも、ひとしく妥当する共通の法が存在することを私は確信する。
・自然法だけを考慮に入れるなら、人を殺すことが許される場合、その人を剣で殺そうが毒で殺そうが変わりはない。しかし、古くから諸国民の法は敵を毒によって殺すことは許されないとしてきた。


戦争の下請け(402)
 ブラックウォーター社は米海軍特殊部隊の元兵士たちによって97年に結成された。業務は紛争地帯における政府や企業の要人の護衛。03年のイラク戦争以来、ブラックウォーターはアメリカ政府から約700億円に上がる契約を受け、世界最大の警備会社、いや傭兵派遣会社に成長した。これは立派な軍隊だ。兵士を2万人、戦闘ヘリなど航空機を20機以上擁し、装甲車まで自社開発しているのだから。イラクにはこのような「警備会社」が世界中から50以上参加し、約5万人が働いている。彼らはみんな除隊した元兵士だ。冷戦が終わってアメリカ軍は縮小されたので、正規軍の兵員不足を埋め合わせる民間企業が増えている。戦争の下請けだ。問題は、彼らが国家の管轄外にあることだ。米軍には建前とはいえ「イラクの人々を救いに来た」という大義名分があるが、彼ら傭兵には金以外に目的はない。

戦争を助長する写真家(403)サルトル
 戦争を助長する写真家がいる。彼らは文学をつくっているからだ。彼らは他よりも一層中国人らしい中国人を探し求める。そしてついにはそれを探し出す。そして彼にいかにも中国人風のポーズをとらせ、まわりに中国趣味の品物をあしらう。彼らはフィルムの上になにを定着したのか。ひとりの中国人か。いや、ちがう。中国という「観念」を写しとったのだ。カヵルティエ=プレッソンの写真は、決しておしゃべりをしない。それは観念ではない。私たちに観念をあたえるのだ。

ゼンダ・アヴェスタ(411)
 この偉大な古代宗教の開祖ゾロアストルが、トルキスタンの生れであることは確かである。伝説によるとパクトリアの生れだという。時代は前7-6世紀と思われる。ゾロアストルの教えは、聖典『ゼソダ・アヴュスタ』に伝えられている。ゾロアストル教は明暗、善悪の対立を説く二元教であり、人間は光と善を代表するアフラ・マズダのために暗と悪に対して戦うべきことを教える。この宗教では、農業と牧畜は神聖な職業とみなされ、商業はいやしめられている。ゾロアストルは、このようにオアシスの貴族階級の宗教であったが、これが東イランに伝えられ、ペルシア人の支配階級の信仰となり…。

全体史(311)
 ブローデルの考える歴史では、空間的に大所高所から見ること、しかも時間的に長期的な視点で見るということが極めて重要である。そういう見方に従った歴史のことをブローデルは全体史と名付けている。ブローデル以前にマルク・ブロックは「フランスの歴史などはない、存在するのはヨーロッパの歴史だけだ」と言ったが、ブローデルは「ヨーロッパの歴史というものはない。存在するのは世界の歴史だけだ」と述べている。

センチネル( )  

戦闘員の定義(502)
 捕虜待遇の対象となる戦闘員の定義は、以下の四条件であり、ハーグ条約によって明確に定められた。
 ①人目に分かるように公然と武器を携行している
 ②遠方から兵士と見分けられるように固着の軍の標章を身につけていること
 ③部下のために責任を負う上官により統率されていること
 ④戦争の法規慣例に従って行動していること

善導の浄土教(542)
 善導が大成した浄土教は、浄土経典の中では『観無量寿経』(以下『観経』と略称)を中心としたものである。北朝において曇鸞が『観経』に深い意義を見出して、これに準拠してから、この経典は次第に重視され、南北朝末期になって末法思想の盛行ともかかわりつつ、南北の仏教界全体に広く流布されるようになった。 善導は、こうした『観経』 重視の仏教界を背景として『観経疏』を著わしたのである。
(善導は)日ごとに羅什訳『阿弥陀経』を三遍(後には十遍)読誦し、阿弥陀仏を三万遍念じて、心をこめて願ったところ、その夜に西方浄土の諸相を夢に見、その後毎夜夢の中で一人の僧から教示され、さらにこの書脱稿後に三夜にわたって霊夢を見たという。


善と真理
 「あなたは、よく行為するにはよく判断するだけで十分である、ということ、を否定される。しかしながら、学院哲学の通常の説は次のごときものであると私には思われる。すなわち、意志が悪に陥るのは、ただ、その悪が悟性によってある善の見地において示される限りにおいてのみであり、それゆえに、すべて罪を犯すものは無知なるものである、といわれるのである。従って、もし悟性が意志に対して実際は善でないものを善として示すことが決してないならば、意志はその選びにおいて仕損ずることはあり得ないであろう」と。今やデカルトの主張は全く明らかである。善の明断なる直観は、真理の判明なる直観が同意を強制するように、行動を強制する。なぜならば、〈善〉と〈真理〉とはただひとつのもの、すなわち〈存在>にほかならぬからである。そこでデカルトがわれわれは善をなすときほど自由であることは決してない、というような場合には、彼は、行動の価値による自由の定義、すなわち、最も自由な行動とは最も善い行動であり、宇宙の秩序に最も適合するところの行動である、という定義を、自律性による定義の代わりにおいているのである。

セント・レジャー・ダニエルズ(545)
 殴られたのはG・セント・レジャー・ダニエルズという男で、よく(大英図書館の)閲覧室の南方の近くの席で勉強していたという。当時、五百人ほどの利用者が思い思いに読書をしていた閲覧室は、この事態に一時騒然となった。そして監督官たちが止めに入ったものの、なかなか収拾がつかなかったことが、「暴行者(つまり南方)の制止、同閲覧室からの退去に手こずった」という議事録の記録から推測できよう。たまりかねて図書館長のW・トムソンまでが仲裁に出てきたのだが、日記によれば「予タムソンを罵し」と、熊桶はこれにもくってかかる始末であった。
 毎日のように英国博物館の閲覧室に通う南方には、しょっちゅう顔をあわせる同類の利用者がいた。そしてその中には、それ見よがしに袈裟を着て博物館に出入りしたりするこの高慢な日本人のことを悪く思うものもいたのであった。熊楠の方も、他人の態度には極度に神経質で、ちょっとした侮蔑にもかっとする男である。


船舶(280)ル・コルビジュ
 もし一瞬でも運輸の道具だという考えを伏せて新しい目で船舶を眺めるならば、これが大胆不敵な、秩序正しい、調和した、静かで、神経質で、力強い美しさのものであることを感じるだろう。
まじめな建築家は、建築家(有機体の創造者)として観察するならば、船舶の中に旧来ののろわれた桎梏からの解放を発見するだろう。


千人殺せ(525)
「これで思い知らねばならぬ、どんなことでも思う存分にできるものなら、浄土へ往生するために、千人殺せといわれたら、そのとおり千人を殺しうるであろう。けれども一人でも殺せる業縁のないときは殺せないものである。殺さないからといってもそれは自分のこころが善いから殺さないのではないのである。またその反対に、殺すまいとおもうていても百人も千人も殺すことがあるかもリれぬ。」と仰せられた。この仰せは私たちが宿業ということに気ずかず、ただ自分の心にまかせて善いとおもうことをすれば、往生するのに都合がよい、悪いことをすれば往生するのに都合が悪いとはかろうて、他力の本願の不思議なおはからいひとつで救われるということに気ずかないことを、反省させてくださるお言葉でおったのである。

賤民(124)  
 ヨーロッパ中世における賤視のあり方は、はじめは畏怖の感情から生じていることを見過ごすことはできない。死刑執行、墓掘り、皮剥ぎ、煙突掃除、粉挽き等、死と大宇宙の 火と土と水に関わるなりわいは、日常生活と大宇宙の非日常的な接点であり、共同体の秩 序の成立の中で、この狭間を担う者への蔑視が始まった。

専門家(249)バックミンスター・フラー
 自然の全体系の中で人間が専門家であることを強いられているだけならば、人間は眼をひとつと、それに付属した顕微鏡を与えられて生まれてくれば、それで済んだことだろう。
専門分化とは、実際には、奴隷状態の高級な形式にすぎないのである。そこでは、「エキスパート」は、だまされて自ら奴隷状態を受け入れていのだが、その代わりに、社会上、および文化上、好ましい、しかるがゆえに、大変完全で、終生失うことのない地位にあるという幻想をもたされているのである。


線量閾値(415)
 放射線被爆は二つに分けられる。それは確定的影響と確率的影響である。一つめの確定的影響は、ある閾値以上の線量を被曝した場合にのみ発生する。例えば、脱毛や、皮膚が赤くなる、白内障などの影響である。症状の現れ方には多少の個人差はあっても、線量の大きさによって同じような症状が現れる。この確定的影響には次の特徴がある。
  ・同程度の線量を被曝すると、誰にでも同じような症状が現れる。
  ・症状は閥値以上の線量で現れる。
  ・症状の重さは、線量の大きさに依存する。
 二つめの確率的影響は、閾値となる線量がなくて、わずかな線量を被曝しても、一度きっかけができると、この種の障害が発生する確率が生じると考えられている。放射線による発ガンや、遺伝的障害がこの例である。




【語彙の森】