語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-10-30  計82語
新着語
天才のなかった時代、デザイン神学、鉄道忌避伝説、天道、デカルトの神、デカルトの自由、デカルト風の自由、哲学は死の練習、ティンパヌム、テロメア、テーラヴァーダ、ティンリジー、デュルケーム「社会経済論」、

(224)p.50
 片方の手がやっとこ、もう片方の手がハンマーのような形をしていれば、一方はものをはさむように、また、もう一方はものを打つようにできていて、機能が違うのだなとだれしも思う。人類の不可思議なところは、二本の手が形態学的には似かよっていながら、機能的には大いに異なる点にある。

(399)舘野泉
 若いころから思っていました。人間というのは、自分の「手」で何かするということが自然なことだと感じています。おそらく、「手」には不思議な力があるのでしょう。だから僕たちは、親しみを込めて手を取り合ったり、愛を込めて撫でたり、手を合わせて祈ったりするのではないでしょうか。…たとえ左手一本ででも、音楽として表現し、自分の内面も描くことのできる世界に触れてこそ、僕は「まだ生きている」、そして、「また生きている」ことを実感できたのです。

ティアワナコ遺跡(125)  
 海抜4000mのチチカカコ湖の付近の古代巨石遺跡。港湾の遺構もあるし周辺の地層 は海岸の特徴をもっている。ヘルビガーの月の捕捉による赤道付近の満潮による水位上昇 か、アンデスの隆起によって説明するか。

ディオニュソス的(316)
 ディオニュソスのイメージは闇だ。人間の情念にまつわる反理性的なすぺてのものがディオニュソスに帰せられた。生きとし生けるものの生と死、陶酔、人間の根源にある不分明な欲望が引き起こす悲劇や喜劇を司り、音楽の分野でも、情念の極みに達する音色をもつとされた、笛(アウロス)がこの神のものであるとされた。

ディオニュソスの死(316)
ディオニュソスの生誕神話は、荒々しさと残酷さに満ちている。ギリシャ神話の中でただ一柱、死を体験した神がデイオニュソスだ。古代ギリシャ人が、神々と人間とを区別するのに用いた決定的な言葉、「不死なる神々、死すべきさだめの人間」の規範からはずれ、死の苦悶を経て蘇りを得た例外的な神であった。
 ゼウスは穀物の女神デメテルの娘ペルセポネーと密かに交わった。生まれた息子ザグレウスは、ゼウスの嫉妬深い后ヘラの復讐を恐れて、密かにクレータ島に隠された。これを嗅ぎつけたティターン神族は、これを襲って八つ裂きにし、むさぼり食べた。これを見たアテナがザグレウスの心臓を救い、ゼウスはこれを飲み込んだ。ゼウスは第ニの母となるテーバイのカドモス王国の娘セメレーと交わる。これを知ったヘラの策謀でゼウスは雷神の姿を表わし、セメレーは雷光に打たれて焼き殺される。セレメーの腹に宿っていたわが息子(かってのザグレウスの心臓を持つ)を取り出し、自分の腿に縫い込んだ。ここで月満ちた赤ん坊は、ティオニュソスとして生まれた。


ティー・クリッパー・レース(262)
 なかでも1866年におこなわれたティー・クリッパー・レースのレースは、歴史に残るようなデッド・ヒートを演じた。出港地は福州だった。「エアリアル」「テービン」「ファルカン」など11隻が参加した。…ロンドンまでに要した日数は99日間でありその差が十分というのだから、そのレースの熾烈さが想像されよう。

帝国主義(68)
 シュペングラー「帝国主義は純然たる文明である。帝国主義は終末の典型的な象徴であ ると解されるべきだという。エジプト、中国、ローマの帝国、インドの帝国、イスラムの 帝国などの緒帝国は帝国主義の化石として……死骸であり、無形態で魂のない人間群であ り、大きな歴史の廃物である……数百年も数千年も残存し、一征服者から他の征服者の手 に移って行く。」

ティコの体系(264)
プラハのルドルフ二世に召抱えられたデンマークの偉大な天文学者ティコ・ブラーエは若きケプラーの才能を認め、彼の助手とした。プラハでのケプラーの最初の仕事は、ティコの考えた「地球以外の惑星は太陽の周りを回転し、太陽は自らの周りを運行するそれらの惑星と共に地球の周りを回転する」という体系を擁護するための研究であった。

ディシプリン(267)p.56
規律。しつけ。…カントはディシプリンは、あくまでも秩序や規則を守るようにある種の強制をすることだ、と考えた。フーコーによれば、デイシプリンが支配的な方法となったのは、17世紀から18世紀にかけてなのです。…以下の三つの道具で成り立っている。一つめは、視線によって拘束する仕組み。まなざしによってひとを拘束する仕組みの根源にあるのは、すべてが一望のもとに見渡せる「透明な」社会というルソーの啓蒙思想につながっているのです。二つめは、メンバーの規格化をおこなう処罰。最後が「試験」。試験とは何でしょうか。試験とは「規格」を中心とするものの考え方のことです。一定の水準に達しているか否かをみるための儀式です。…こうして1人の個人は、文書の中に納められた一つの事例して扱われるのです。

ディスレクシア(227)
失読症。どうしても書かれた文字を読むことのできない人たちのいることは1890年代から知られていた。しかもそれが患者の高い知的能力と矛盾しないことが分かってきた。オートンは失読症患者の特徴として第一に両手利きが多いこと、その一族に左利きが多いことを指摘している。

停滞(91)
吉本隆明の反核異論。「君たちは人類としてそんなに生存が心配なのかと、君たちは誰 からも非難や批判を受けなくてすむ正義を独占した言語にかくれて、そんなにいい子にな りたいのか。そして誰からも非難されることもない場所で「地球そのものの破滅」などを 憂慮してみせることが、倫理的な言語の仮面をかぶった退廃、限りない停滞以外のなにも のでない。」

ディダクション(113)
deduction  演繹。一般的な命題から特殊な命題を、また抽象的な命題から具体的な命題を、経験に 頼らないで論理によって導くこと。 「人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。すなわちソクラテスは死ぬであろう。」という 三段論法もその例。

ティタノマキア(257)
ギリシャの神々の系譜の頂点にはゼウスがいる。混沌の空間(カオス)に、母なる大地(ガイア)が生まれ、ガイアは天空(ウラノス)と、蒼海(ポントス)を生み、ガイアとウラノスからクロノスらの巨人が多数うまれ、このウラノスと姉妹のレダから生まれたのがゼウス。ゼウスが権力を取ることになったのが、親であるクロノスの一党の巨人神族(ティタネス)との戦いティタノマキア、さらにガイアが生んだ巨人(ギガンテス)との戦いギガントマキアである。これによってゼウス一統の神々の系譜が今日までつながることになる。

ティティウス=ボーデの法則(446)
 1772年に、ヨハン・エレルト・ポーデ(1747--1826)がある法則を発表した。ポーデは天王星の名付け親(発見者はウィリアム・ハーシェル〉としても知られるドイツの天文学者である。ポーデが発表したのは、太陽系の惑星の太陽からのおおよその距離は簡単な数列で表すことができるという法則で、…。ちなみにこの法則は6年前にヨハン・ダニエル・ティティウスが発見していたことが判明したため、現在はティティウス=ポーデの法則と呼ばれている。この法則で示される軌道半径の式(4+3*2n/10)中の定数nは、金星が0、地球が1、火星が2、木星が4、土星が5、法則発表後に発見された天王星が6となって、よく当てはまる。しかしそうなると、火星と木星の間にあるべきn=3の惑星が見当たらない。

ディーテュランボス(316)
 ディオニュソスは、権威と秩序の破壊者であったので、最初はこの権威と秩序の中で抑圧されていた女性によって熱狂的に支持された。しかしディオニュソスを賛える歌、ディーテュランボスは男だけで歌われた。

ティニャネロ(358)
TIGNANELLO。イタリアを代表する赤ワイン、キアンティ・クラッシコの生産地区内で、キアンティ用のサンジョヴェーゼ種を主体につくられているにもかかわらず、カベルネ・ソーヴィニョン種を全体の15%を超えてブレンドするため、原産地呼称を敢えて名乗っていない。また、この地方の伝統を破って、フレンチ・オークの小樽で熟成されている。秀逸なワインをつくろうとする生産者の情熱が、原産地呼称法を逸脱してしまう一例。…1993年産、750mし レミー・ジャポン輸入、希望小売価格6,400円)

ディノサウリア(99) 
恐竜。ギリシャ語で、ディノは恐ろしい、サウリアはトカゲ。イギリスのオーエンが化 石爬虫類の総称として恐竜という言葉を作った。

ティマイオス(125)  
プラトンの宇宙創造に関する記録。BC9600にアトランティスがヨーロッパを征服 したが、その後アトランティスは洪水に呑み込まれたとする。同じ「クリティオス」にも アトランティスに関する記述がある。これらが後のアトランティス伝説につながる。

ティヌヴィエル(270)指輪物語
中つ国に君臨したエルフの王シンゴルの娘、ルシアン。死すべきさだめの人間であるベレンは、彼女を見初めてティヌヴィエル(夜鶯)と名付けた。二人はサウロンからシルマリルの一つを奪い返す。…そういうわけで、エルフ一族の中でルシアン・ティヌヴィエルだけが実際に死んでこの世を去ったのだ。
…しかしルシアンから古代のエルフ王たちの血筋が人間に伝わったのだ。…裂け谷のエルロンドもその血を受けた者だ。なぜなら、ベレンとルシアンからシンゴルの世継ディオルが生まれ、その娘、白きエルウィングが、エアレンディルの妻となった。…このエアレンディルからヌメノールの王たちが出て来た。それが、西方王朝だ。


ティリアンパープル(141)  
天然の紫染料。地中海で取れる貝9000個で1グラムの染料が得られるという高価な もので、エジプト以来、王家だけが使用することができた。これによって紫が高貴さを現 すこととなった。キニーネを合成しようとしていたパーキンが偶然、合成の紫染料モーブ を発見して一般でも使用できるようになった。

ディール・アル・バハリ(221)p.59
テーベ、現在のルクソールの西岸に、半円形の崖がまるで屏風のように空に向かってそびえたっている場所がある。ディール・アル・バハリの地である。エジプト第18王朝BC1500年頃にトトメス一世の娘、トトメス二世の妻ハトシェプストは寵臣センムトの力をも得て初めての女帝となる。その彼女がこの地に3層のテラスからなる自らのためのハトシェプスト祭葬殿を建設させた。

ディレッティシマ(14)  
取り付き点から最大斜度線をたどって頂上にいたる直登ルート。

ティントレット(441)
ヴェネツィア派にも偉大なマニエリストが現われる。父親が染物屋(ティントーレ)だったのでその息子という意味でティントレットとよばれたヤコポ・ロプスティである。
…墜落のイメージ…
 ティントレットの描いた『囚人を救い出す聖マルコ』の画面央上部に描かれた天から翔け降りてくる聖者の表現に、この絵が描かれ十年前の1543年に出版されたコぺルニクスの『天体の回転について」の影響があらわれていることを指摘している。まっきかさまに落ち込んでくる聖者の姿は、まさにコペルニクスの新理論によって宇宙の空間に投げ出された人間のイメージである。地球はこれまでのように宇宙の中心でもなく、万物の堅固なる基礎でもなくなった。地球の中心に位置していた人間もとうぜんその座を失ってしまい、人聞は底なしの宇宙空間に放り出されてしまった。


ティンパヌム(514)
 フランスで生まれたあの見事なティンパヌムは、我が教会のもつ美の一つである。視線が先ず引き付けられるのはそこである。それらは瞑想を誘う。そして信徒の心をみじめな日々から引き離し、聖域に入る準備をさせる。人口を通過する前に、信徒はすでに別世界の空気を呼吸するのだ。聖人たちに囲まれた「栄光の聖母」で飾られた入口の一つに、次のような文が読まれる。「ここに入る者よ、天のものを目指して昇れ。」このように、ロマネスクの彫刻家たちは、この半円形の石の中に大いなる思想を吹き込むことに努めたのである。
 彫刻されたティンパヌムを創り上げた南フランスの作家たちは、一つの難問を解決しなければならなかった。人間の姿を巧みに半円形の中に配置するにはどうすればよいか。その場合、中央に配置される大型の像が他の像すべてを支配することがどうしても必要だと思われた。それゆえ、ティンパヌムには勝利の栄光を示す場景が組み込まれなければならない。つまりそこには何か荘厳なものが表現されるべきことが、予め決まっていたわけである。
 それは南フランスの彫刻家たちがよく理解していたことだった。彼らは三つの類型の聖堂入口を創り出したが、それら三つとも、荘厳という性格をもっている。その第一はモワサックの聖堂入口で、黙示録のキリストを表わしている。第二はトゥルーズのサン・セルナン聖堂のもので、天に昇るキリストを表わしている。第三はボーリユのもので、人々に審判を下すために出現したキリストを表わしている。


ティンリジー(507)
 ティンリジーと呼ばれた箱型の自動車は、一家族が乗れて、個人が運転してケアできるくらいの大きさで、運転も修理も簡単で、厳しい条件のもとでも、信頼できるものでなくてはならなかった。フォードはT型車生産開始から六年後の1914年には、労働者の最低日賃金を当時の2.3ドルから5ドルに倍増するという冒険を開始して、世間を驚かせた。
 フォードが動く組み立てラインを導入したのは、1914年、ハイランド・パーク工場においてだが、組合運動を嫌っていたフォードは、スパイや私警団を雇い、労働者を厳しい監視下においた。この新方式によって労働者の転職率、欠勤率は減少し、ラインのスピードは速くなり、生産性も向上し、高賃金にひかれて多くの労働者が職を求めて応募してきた。
 賃金が上がって製品価格が急速に下がったために、フォード工場の従業員がT型車を購入することもできるようになった。T型車を購入するには1909年には平均的労働者の賃金の22ケ月分を必要としたが、1925年にはわずか三ヵ月分で足りるようになったのである。
…このようにして「アメリカ的生活様式」は自動車に乗ってやってきたのである。


デウス・エクス・マキナ(423)
 ギリシャ悲劇で使われるメカネという大げさな機械仕掛けは錘を使う回転式のクレーンのようなもので、いっぽうの人間が力を加えることによって上下する。ギリシャで建物を造るときに石や木を持ち上げるのに使ったゲラノス(クレーン)を改良したものだとされる。マシーンという英語の語源は、このメカネというギリシャ語であるし、…ローマの劇作家たちもこの装置を採用して、ラテン語で「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)と呼んだ。

テオトコス(257)
マリア崇拝は東方教会から始まり、400年頃、マリアに捧げられた聖堂が建てられるようになった。431年にエペソスの公会議で、マリアはテオトコス(神の母)として認められた。

テオトコス(神の母)(475)
 キリスト教会史上では、「エフェソス公会議」(431年)で「神の母」(テオトコス)宣言が採択された。それは、教義上「聖母マリア」という呼称の正式な承認であり、異教の地母神信仰から脱皮する最初の重要な契機となる。…しかし、まだ当時のキリスト教会では、いわゆる「原罪」の誘因となったエパに発する女性蔑視の風潮が強かった。その後マリア崇拝が一般化するのは、とくに十字軍後の宗教熱が高じる12世紀である。それ以降、聖母マリアは「永遠の女性」として絶大な崇敬対象となり、マリアへの献堂が行われ、美術作品が数多く制作された。とりわけ、西方の甘美な「白いマリア」像が、ひそかに地母神の面影をのこす「黒いマリア」像に対して、決定的な勝利を収めることになる。ちなみに、色彩としての「黒色」は、とくにオリエント世界において、エジプトのイシスやエフェソスのアルテミスのように「大地母神」を象徴する。

テオトコプーロス(183)  
スペインでギリシャ人(エル・グレコ)と呼ばれた男の本名。

デカダンス(82)  
ホフシュタッターの「象徴主義と世紀末芸術」は書く。「……洗練の極致に達してその ためにとめどない没落へと衰弱していくひとつの文化に帰属しているという感情に基づく デカダンス意識は世紀後半象徴主義の考え方や感じ方の決定的な基盤である。」 たとえば死や腐敗、罪などに対する深い関心や怪奇やグロテスク、悪魔性への執着、性 的な要素の強調などは、そうした夢や極端に感覚的な体験への志向の具体的内容であり、 ブルジュアの頑迷な道徳や虚偽に対する批判でもある。 ロセッティ、バーン・ジョーンズ、ギュスターブ・モロー、ビアズリー、クリムト、シ ュトゥック、ロップス、デルヴィル、ファブリ、ムンク、クノップら。

デカルコマニー(170)
ガラス板に絵の具をたらし、上から紙を押しつけてはがすと、そこには想像を超えた奇怪 な形象風景が現出する。これがデカルコマニー(転写術)である。シュールリアリストの オスカー・ドミンゲスが考案した。潜在意識による心象図形表現技術である。

デカルトの神
 ところで、デカルトの神は、人間の思惟がつくり出した神々のうちでもっとも自由なものである。創造的な神といえるのはデカルトの神だけである。実際、この神は原理にも−−それが同一性の原理にであろうとも−−従属せず、また最高善に従属してそれの単なる執行者となるようなこともない。デカルトの神は、単に、その意志に外からおしつけられる規則に従って存在者を創造したのではなく、もろもろの存在とその本質とを、世界と世界の法則とを、個体と第一原理とを、同時に創造したのである。

デカルトの自由(517)
 換言すれば、それは、私は存在するものすべてを括弧に入れることができる、ということである。すなわち、私自身が空虚であり無であることによって、その私が存在するものすべてを無にするときに、私は自らの自由を完全に行使していることになるのである。懐疑とは存在との接触を断つことである。懐疑によってこそ、人間は、存在する宇宙から自己を解き放し、宇宙を突然高みから幻像の単なる継起として眺める不断の可能性をもつのである。この意味において、懐疑は人間の支配のもっともはなばなしい肯定である。
…自由は、存在するものとしての人間、すなわち、いわば空隙のない世界において他の充実者とならぶひとつの充実した存在者としての人間、から生ずるのではなく、反対に、存在しないものとしての人間、有限であり制限されているものとしての人間、から生ずるのである、ということを、デカルト以前には誰も教えはしなかった。
…奇妙な自由だ。結局、デカルトの自由はふたつの場合に分解される。第一の場合には、彼の自由は否定的であり、それが自律的である。しかしその自由は、誤謬すなわち混乱した思想に対するわれわれの同意を拒否することに帰する。第二の場合には、彼の自由は意味を変じ、それは積極的な同意であるが、しかしそのときには意志はその自律性を失い、悟性のもっている大きな光が意志をつらぬき決定する。
…、独断的な学者でありよきキリスト教信者であるデカルトは、永遠真理の予定された秩序によって、また神により創造された価値の永遠の体系によって、圧倒されてしまうのである。
…。デカルト的人間、キリスト教的人間は、悪に対して自由であって善に対して自由でなく、誤謬に対して自由であって真理に対して自由でない。


デカルトの方法論(114)  
論理学を構成している夥しい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという不 変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。  1)明証性の規則…真実のみを受け入れる。  2)分析の規則……アナリシス。必要な小部分に分割する。  3)総合の規則……シンセシス。思考を順序従って導く。  4)枚挙の規則……見落としのないことの確認。

デカルト風の自由(517)
 自由はひとつであるが、事情に応じてさまざまのあらわれ方をする自由というものがあると主張するすべての哲学者に対して、あらかじめひとつの質問を発することがゆるされるであろう。すなわち、いかなる特殊の状況において、あなたはご自分の自由の経験をなされたか、と。実際、行動の地平において、すなわち、社会的ないしは政治的企画とか芸術における創造とかいう地平において、自由を経験することと、理解し発見する働きにおいて自由を経験することとは、別のことである。
…さしあたりは形而上学者であるデカルトは、問題を他の端によってとらえる。彼の最初の経験は、無からの創造的自由の経験ではなく、何よりもまず、すでに存在するもろもろの本質の間の知的な関係を自己自身のカによって発見するところの自律的思惟の経験である。それゆえ、三世紀このかたデカルト風の自由によって生きているわれわれフランス人は自由意志という言葉によって、暗黙のうちに制造的行為による生産よりもむしろ独立的思惟の行使を理解する。


できない(289)
「未来永劫に」できないことを証明することは、確実に不可能ですし、節約律からいっても「できないこと」の証明はあまり意義がないといえます。「できない」は現状の基礎理論の適用限界を示しているという言い方も可能です。

テクネー(425)
  「技芸」を意味するギリシャ語。テクネーは、測量や計算の技能、法律を制定すること、絵を描くこと、パンを焼くこと、などの意味を元来もっていた。

テクノロジー外部費用(71)  
あらゆるテクノロジーは環境をより無秩序化する。それを回復する費用が外部費用であ る。ジャック・エリュールは[技術社会]の中で「技術が連続して生まれるのは、それ以 前の技術が必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けられているからだ」と書く 。それこそがエントロピーの法則であり、周囲の世界を技術で満たせば満たすほど物事に 機能不全を来たし、ばらばらになってしまう。

テーゲルベルク山(180)
ノイシュバンシュタイン城の絵葉書写真を撮るためには、この山のロープウェイの途中 からシャッターを押すしかない。頂上からは城を見ることはできない。横向きの城はマリ エン橋から撮る。

手細胞(38)
1968年ハーバードのグロスらによって偶然発見された。猿の視覚刺激に対する細胞 の反応を調べていて、何の反応もないので、さよならのバイバイをしたら、その細胞が強 く反応した。特定の細胞がそれぞれ具体的な形状に反応する。同じように顔細胞もある。 これは6階層からなる視覚野の中枢のAIT野(マコーレイ本ではTE野)の細胞で行わ れる。

デザイン神学(553)
 ケンブリッジの教育をつうじて、もうひとつ、ベイリー神学との関係が問題になる。ウィリアム・ペイリー(1743--1805)はイギリス国教会の牧師で、その学説は「自然神学」あるいは「デザイン神学」とよばれた。自然界に存在する生物の形質には、環境への絶妙な適応がみられる。これほど精巧きわまる現象が、ただの偶然で生じたとはとうてい考えられず、神の意志と計画にもとづく設計(デザイン)のあらわれにちがいない、というのが、その主張の骨子であった。もちろん年齢的にみて、ふたりの個人的接触はなかった。しかしダーウィンは神学部の学生で、ベイリーの神学が卒業試験の必須科目になっていた。その論理的な思考方法にダーウィンが啓発されたことは、さきに引用した自伝の記事からもあきらかである。
 近年、科学はキリスト教文化圏たる近代ヨーロッパで成立したのであって、その出現にはキリスト教的自然観がさまざまな意味で役だっているという主張が、しだいに有力となりだしてきた。自然現象が統一的法則の支配下にあるという見かたや、自然物のなかで人間を最上位におく発想など、キリスト教から科学へ忠実に継承された遺産にほかならないとする意見が、だんだんつよまってきている。


デザギュリエの分子説(87)
1734年イギリスのデザギュリエは、当時フランスで確立していた摩擦の凸凹説の常 識に対して予言的に[摩擦力は表面が滑らかなほど高い]と分子力の影響を指摘した。2 0世紀になってハーディ卿らによって摩擦の凝着説として認知されていく。

デザート・キャッスル(126)  
砂漠の城。8世紀ころのウマイヤ朝時代に多く建設された都市からはなれた砂漠にカリ フの滞在用に建設された館。シリア、ヨルダンに多く残り、小さなドームを持つアムラ城、 矩形の要塞風のハラナ城等、規模は小さいが個性ある遺跡。

テシェッキュレデリム(177)  
サンキュー、メルシー、グラーツィエ、シェーシェーといろいろあるが、トルコ語のテ シェッキェレデリムは中でももっとも発音しにくい「ありがとう」ではないか。

デジャヴュ(174)  
始めて訪ねる土地で、ここは前に来たことがあると感じる既視感。

手塚治虫(258)
システィナ礼拝堂を訪れた漫画家の手塚治虫さんが冗談まじりに語った。「ミケランジェロは動物はあんまり見ていませんね。象も愛しも魚も蛇も、人間以外なら僕でも対抗できそうだぞ。」預言者ヨナが怪魚に食われる場面で、その魚の口は豚の鼻のように見える。

哲学(114)デカルト  
哲学については、次のこと以外は言うまい。哲学は幾世紀もむかしから、生を享けたう ちで最もすぐれた精神の持ち主たちが培ってきたのだが、それでもなお哲学には論争の的 にならないものはなく、したがって疑わしくないものは一つもない。  わたしは真らしく見えるにぎないものは一応虚偽とみなした。  次にほかの諸学問については、その原理を哲学から借りているかぎり、これほど脆弱な 基礎の上には何も堅固なものは立てられなかったはずだと判断した。

哲学(392)
「哲学」とはなにか。それは、知りたいがために知ることを希求する知的営みのことである。なにかしらの実利(政治、経済など) のための知的営みは、「思想」(考えられたこと)とはいえても「哲学」とはいってほしくない、と僕は考える。では、「知りたいがために知ることを希求する知的営み」がきちんと行われるためにはなにが必要なのか。それは、みずからの知的営みに用いる論理にたいする自覚的反省、つまりメタ論理としての論理学である。古く論理学を樹立した民族は、ギリシア人とインド人だけである。だから、世界の哲学は、ギリシア哲学とインド哲学とを起源とする。ゆえに、近代にいたるまで、たとえば中国思想や日本思想はあっても、中国哲学や日本哲学はないのである。

哲学者の石(187)  
ヘルメス学でウルボロスを哲学の石と呼んだ。将来、「賢者の石」になる素質はあるが 現在は単なる可能性に止まっている存在。マテリアである。水銀こそウルボロスであり、 哲学者の石となった。ティンクトゥーラ。

哲学的民族(442)
 キリスト教が、「哲学」として解釈されたことは、驚くにあたらない。ユダヤ的−キリスト教的一神教の現象が、何になぞらえうるかを、ギリシア人の立場になってちょっと考えてみればよい。ギリシア思想の中で、それに対応しうるものは、哲学以外には見当たらないことは、容易にわかるであろう。ギリシア人とユダヤ教の両者は、前三世紀、アレクサンダーl大王の死後まもなくアレクサンドリアにおいて初めて躍起した。当時、ギリシア人の作家たち、アブデラのヘカタイオス、メガステネス、テオフラストスの弟子であるキュプロス、ソロイのクレアルコスなどは、ユダヤ人の第一印象を「哲学的民族」と述べているのである。「

哲学の歴史(155)ニーチェ  
哲学の歴史は、ソクラテス学派からヘーゲル主義者に至るまで、人間の長い服従の歴史 であり、その服従を正当化するために人間が自分に与える数々の理由の歴史なのである。  こういう退化の運動は哲学のみに関わるのではなく、歴史の最も全般的な生成を侵し、 悪影響を及ぼしている。

哲学は死の練習(516)
もし私(須原)の説が正しいとすれば、古代、中世、近世、現代と思い込まれていた哲学に対する過剰期待は完全に裏切られてしまうことになる。そして、「哲学は死の練習」であるというソクラテス以来定着した言い草は根拠を無くしてしまうことになるのである。なぜなら、ソクラテスが自らの不愉快な老衰過程を避けるために刑死を自分に招き寄せ、そのような質の低下した生活を避け得たことをうれしく思い、したがって喜んで死んで行ったのだとすると、ソクラテスは、日頃みずからの魂の世話に努め、善き生活を保ち、最終的には死によって魂は完全に浄化されることを日頃の研績の成果として心の奥底から信じることができる段階に達しており、したがって彼は従容としてと言うよりも、むしろ喜んで死を迎えることができたのだ。
それはあのプラトン著『パイドン』を読めば歴然とわかる。したがって、我々もいざ死に直面してあわてないように、日頃から哲学をすることによって、つまり「死の練習」をすることによって、喜んで死んで行けるようにしなければならない。という哲学の教科書的前提が崩れてしまうからである。


滴骨血(453)
「私のこの良知のニ字は、実に千古の諸聖が相伝してきた一点の滴骨血である」と答えている。滴骨血とは、六朝時代に行なわれた血縁検出法で、生者の血を死者の枯骨に滴らせて、骨にしみ入るようであれば、その死者は血縁者であると判断されるという。すなわち良知は一切の真偽邪正を識別する、生ける道徳原理にほかならないのである。

テッサーF6.3(85)(191)
1902年ツァイスのルドルフが、彼のウナーの前玉と、プロターの後玉を結合させ、 周辺の結像がシャープで高コントラストなレンズの開発に成功した。この3群4枚のレン ズがその後のテッサー・タイプの原形。ルドルフが取得した特許請求範囲は「それそれが 2枚のレンズからなる二つの群が絞り幕により分けられ、一つの群には一組の向かい合っ た面があってその屈折力は負であり、他の群には貼り合わせ面があり、その屈折力は正で あるようなレンズ4枚からなるシステムで球面収差、色収差、非点収差を補正したもの」

デッサウ・バウハウス造形学校(NHK)
バウハウスとは建築の家という意。グロピウスのバウハウス宣言によって産業技術と芸 術が始めて出会った近代合理主義的デザインの発信地。ワイマールからユンカースの工場 のあるデッサウに移り、今日、近代建築の資産として世界文化遺産に指定された学舎を残 す。バウハウスそのものの第一次大戦後の1919年に発足し、ヒトラーの台頭する19 33年に解散に追い込まれる。

鉄道忌避伝説(546)
 岩槻は、日光御成道の重要な宿場町で、岩槻藩という小藩の城下町でもありました。ところが、日本鉄道、今の東北本線ができるときに町の近くを鉄道が通ることに反対した、という言い伝えがあります。こうした「鉄道忌避伝説」の多くは、史料的には確認できていません(青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』、吉川弘文館、2006年)。しかし、中山道の宿場町だった大宮は鉄道誘致に熱心だったため、そこから東北本線が分岐する形となって鉄道は岩槻のはるか西にそれました。その結果、岩槻は人の流れから取り残され、いまではさいたま市に併合されています。

鉄と写真214)
鉄と写真の関係は、建築と絵画の関係に相似である。エッフェルらによって、建築の世界に鉄が持ち込まれると、石こそ建築の唯一の表現手段と考えるガルニエらによって、「鉄は手段であってけっして原理たりえない」と強い抵抗を受けた。ボードレールは写真に対して「科学と芸術のつつましい召し使いであることが役割」とした。この19世紀中葉に生まれた2つの技術は、建築と絵画という2つの芸術の価値観から軽蔑され拒否された。

デニス・テーラー(191)  
 18969年ころ彼は長い間空気に触れていたため曇った古いレンズの中には、新しく 磨いたレンズより光をよく通すものがあることに気がついた。これがレンズ・コーティン グの発見であった。

テニュア(197)  

デフォト(101)
 ロバート・キャパが暗室助手として勤めたベルリンの通信社。ここでコペンハーゲンに 講演にくるトロッキーを取材するチャンスを与えられ、ライカによるノーフラッシュでの 劇的なスナップを撮りデビュー。トロッキーは暗殺を恐れ、ボックスカメラやフラッシュ 撮影を嫌っていたのである。しかしベルリンはヒトラーの台頭によってユダヤ人には危険 となり、ふたたびパリに亡命。

手袋(294)ロシェ・カイヨワ
 この時に私ははじめて、二つの手袋の対称と振り子時計の二本の支柱の対称のあいだには、底の知れない深いみぞが存在するのに気づきました。どちらも同じようにいわゆる対になっています。……対になっている二つの手袋のほうは、どんなにしても重ね合わせることは不可能です。
 ここで思い出されるのはエマニュエル・カントです。同一であるにもかかわらず重ね合わせることができない物体というこの奇妙な事実から、彼は空間の本質に関する重要な結論を引き出しました。彼は理性のアプリオリな形式を問題にしました。しかし、久しい以前から哲学者たちは、もはやこれらの概念を使って推論することをやめてしまっています。

デモーニッシュ(385)
 判で押したように「デモーニッシュ」という言葉を使いたがり、ベルリン・フィルとのライヴでなければ彼の真価は発揮されないと信じ込んでいるフルトヴェングラー・カルトがいまだに一部では根強く残っているようだが、そのような純血主義とゲルマン崇拝こそがナチのヴァンダリズムを生んだことに気づかないほど、フルトヴュングラーはナイーヴでも無教養でもなかったということを、我々は忘れるべきではないだろう。「ユダヤ的精神によるドイツ的なるもののコントロール」の喪失を危倶したのは、けっしてマン一人ではなかったのである。フルトヴュングラーがベルリン・フィルを振って見事な演奏を聴かせたのは当然だが、だからといって、フィルハーモニア管弦楽団と録音したこの協奏曲や『トリスタンとイゾルデ』には「フルトヴェングラー臭が弱い」と言うのは幼稚な類型化であって、ベルクソンの言葉を借りるなら、「逆行的に自分自身の形状を過去の中に創造」しているにすぎないということを知るべきだろう。

デュランダル(386)
 ロンスヴォーに戦死したロランの愛剣。 「やよ! デュランダルよ、汝はいかに美しく、清らに白きことぞ!」「陽に映えて、汝はかくも輝く、炎と燃ゆ!」 「シャルルかつて、モリエーヌの谷にありき。」 「ときに、神、天より、天使によりて王に伝う、汝を勇敢なる隊長の伯に与うぺしと。」 指輪物語のアラゴルンの愛剣「アンデュリル」は、この剣を踏まえた語感である。

デュルケーム「社会経済論」(506)
 デュルケームの名を高からしめた「機械的連帯から有機的連帯へ」という社会変動図式を提示したこの書の冒頭で、彼は分業の機能は何であるかという問いを立て、これに対して二とおりの答えが可能であるとした。第一の答えは、分業は生産力を高め、社会を物質的に豊かにし、文明を進歩させるというものである。
 第二の答えは、分業は道徳的特性を有していて、分化によって相互に異質なものとなった諸部分を統合し、社会の全体としての統一を確保するような新しい連帯の原理をつくり出すというものである。
この二つの機能のうち、第一の機能は古典派経済学によって強調されて周知のものとなったが、第二の機能はデュルケーム以前には明示的に指摘されることがなかった。
 社会の進化段階が上昇すると分業化が進行するために個性の伸張がすすみ、集合意識は弱体化して個人意識が集合意識の束縛から解放されるようになる。個人意識が優勢になれば、機械的連帯は崩壊せざるを得ず、かくして個々人はバラバラになり、社会そのものが道徳的拘束力を失って解体に瀕する。ここにいたって、この解体を防止して、新しい形態の連帯をつくり出すのが、上述した分業の第二の機能にほかならない。

テーラヴァーダ(511)
 南方仏教圏においては、われわれ日本人が使用している意味での、いわゆる宗派というものは存在しない。かれらの仏教は、紀元前三世紀にアショーカ王の王子マヒンダ長老が初めてスリランカに伝えた上座分別説部という、部派仏教の一派である。現在、南方仏教をさして、テーラヴァーダ(上座部)というのは、その意味である。紀元前後、大乗仏教が興起したとき大乗仏教の側から、在来の保守的な部派仏教の諸派を一括して小乗仏教と蔑称した。その中の一派がテーラヴァーダであり、他の部派はみなその後滅んでしまった。このような南方仏教、つまりテーラヴァーダはゴータマ・ブッダいらいの保守伝統を堅持し、大乗仏教の進歩的性格とまったく対照的である。テーラヴアーダの仏教教団は出家者と在家信者から構成されているが、その特色とするところは、出家者優位という点にある。

デラックス・ライカ(61)P.23  
1929年のクリスマスに発売されたライカT(A型)の限定版。金属部は梨地金メッ キで、4種のとかげ皮張り。

テルコンタール(274)指輪物語
「しかしもしわが家系が創立されたなら、その王家の名称は馳夫としよう。これも古代語でいえば、響きはそう悪くない。わたしもわたしの世継たちもみなテルコンタールを名乗ろう。」

デルフォイの巫女(258)
 システィナ礼拝堂の天井画でもっとも目立つ美貌の女性。たぶんミケランジェロのモナリザである。目元が涼しく、どこかボーイッシュな面影を漂わせる健康的美人である。ミケランジャロは子供のころに離別した母親のことを語っていない。また同性愛的性癖は事実として伝えられている。そのような心情が、あまり屈折しないで表出された、男性的筋肉を持ちながら、母性より少女的な表情になったのではないかと思われる

テルプシトン(375)
 テルミンのバリエーション「テルプシトン」は演奏表現の可能性を大きく広げるものであった。テルミンでいうところのアンテナは床下に埋め込まれた鉄板に置き換えられ、一畳ほどのプラットホーム上で身体を動かすと、それに呼応して音高が変化した。テルプシトンは身体表現と音楽とを直接結びつけ、芸術表現の可能性を広げただけでなく、ダンサーが演奏者にもなり得るという、表現者の意識変革を生み出すきっかけともなつた。

テレオノミー(294)ロジェ・カイヨワ
 科学は偶然と必然の作用だけで、生命の世界を完全に解き明かすことに成功していません。偶然と必然に加えてテレオノミー(種族維持的合目的性)というような神秘的な概念を科学は好んでつくり出します。すなわち、極限の目的への内在的な指向性、好結果を生む複雑さにおのずから向かうほとんど説明できない何らかの傾向が、偶然と必然と同様に生命の世界では働いていると考えています。

デ・レ・メタリカ(33)
 ダ・ビンチ以降16世紀最大の技術者といわれるザクセン人ゲオルグ・アグリコラの著 作。ゲーテが座右に置いた。

テロメア(240)p.328
 クローン羊ドリーが生まれたとき、ドリーは大人の羊のクローンであるので、生まれたときから遺伝的に歳をとっていると主張する学者がいた。その根拠は、染色体の末端にテロメアと呼ばれるDNA連続物があって、このテロメアは細胞分裂のたびに短縮する、すなわち老化に伴って、テロメアが短縮し、これが何もなくなったとき、細胞とその人間は死にいたる。うまれたばかりのドリーのテロメアは大人のように、テロメアが磨り減っているので、早死にするという考えかたである。

テロメア(512)
 環状DNAの場合は、ぐるっと回って完全な輪ができ上がるが、線状の場合はそれができない。RNAプライマーを失ったDNAの末端箇所は、DNAポリメラーゼが埋めることができないのだ。つまり複製のたびにこの部分が短くなっていくということになる。
このDNAの端の部分は、TTAGGGという六つの塩基の、数十から数千の繰り返しで構成されている。テロメアと呼ばれる部分である。このテロメアの部分が短くなると、細胞は分裂する能力を失ってしまう。ヒトの細胞も無限の分裂をすることはできない。何回分裂できるかは生物によって異なるが、ヒトの場合は約60回といわれている。寿命の長い動物ほど、可能な分裂回数が多いことが知られている。


テロワール(358)
 道一本隔てただけで味が変わってしまうのは「テロワール」のせいだといわれています。…テロワールとはフランスにおける原産地統制呼称法の基礎になっているコンセプトで、特定地域や畑、および畑の一区画の個性のことをいいます。これらの個性を形成しているのは土壌構成と畑の傾斜、気温や降水量など、葡萄樹をとりまく様々な条件の微妙な差異とされています。例えば、シャブリというブルゴーニュ北部の辛口白ワインにみられるテロワールは石灰系土壌に由来する「火打ち石」の香りで、確かに良くつくられたシャブリには「燻したような香り」があります。ですから、そのような個性をもつ白ワインを産する地区一帯を原産地呼称上「シャブリ」と呼んだわけです。

電気椅子(13)    
2200V。  

天球の回転について(189)  
 地動説に関するコペルニクスの主著。1543年刊行。コペルニクスは生前、法王庁か ら異端視させることはなかったが、その時点でその概念の意味が理解されなかったもので あった。コペルニクスの発想は古代ギリシャのアリスタルコスの地動説の再興でもあり、 天体が透明な30層の球層にくっついて回るという有限の球体宇宙に留まるものであった。

電撃戦モデル(157)  
100人のパレオインディアンがエドモントン付近に出現したのが1万1500年前。 これが大型哺乳類を追って前線を作りながら南下しねメキシコ湾に到着するのに350年 、南米大陸の南端に到着するのに1000年しかかからなかったというコンピュータ・モ デル。

天才のなかった時代(562)
 応仁の乱は日本史上最大の山来事であると喝破した内藤湖南の史論は極めて独創的であった。なぜ内藤は応仁の乱に他の戦乱とは異なる特別な意義を見いだしたのか。それは、応仁の乱が旧体制を徹底的に破壊したからこそ新時代が切り開かれた、と考えたからである。
 内藤は「足利時代は全く天才のなかった時代であったから、応仁以後百年間というものは争乱の収まる時期がなく、戦乱が相続いて居った」と言う。しかし内藤は、それまでの史家と異なり、英雄の不在と戦乱の頻発を嘆かない。むしろ、それゆえにこそ「最下級の者があらゆる古来の秩序を破壊する」下克上が盛んになったのだと説く。


テンソル(100)
n次元空間で定義され、いくつかの成分の組で表される量のうち、座標変換に対する成 分の変換関係が、直交座標系で点がXiで表せるとき、そのn個の積、Xi(1)・Xi (2)・……に対応するAi(1)・Ai(2)・……がn階テンソル。零階テンソルは スカラー、1階はベクトル。

天台智顕(147)  
6世紀の中国の仏教思想家。彼は菩薩や仏の境地を説かない。好んで人間の救われざる 苦悩の相、煩悩の相を凝視し、内省的哲学を確立した。十界互具の思想は10の世界があ って、各世界にまた10の世界がある、すなわち仏の世界であってさえ、そこには仏から 地獄までの世界があると考える。未完の「魔訶止観」は自らの不可思議な心を見よ、心の おりなす世界を観察せよ、そしてたけり狂う心を静めて悟りに入れと説く。  

天道(てんとう)(528)
イエズス会が布教活動のために日本語を理解すべく蓄積した、厖大な研究の成果ともいうべき、1603年刊行の『日葡辞書』には、「天道」という見出しがあり、次のように記されている。
天道……天の道、または(天の)秩序と摂理。以前は、この語で我々はデウスを呼ぶのが普通であった。けれども(その時にも)異教徒は(上記の)第一の意味以上に思い至っていたとは思われない。
…日本人の「天道」の観念を、イエズス会がキリスト教の神デウスを表すのに使っていたという記述がひときわ注目される


伝統(120)  
ウイーン・フィルのカペルマイスターになったマーラーが、ゲミュートリッヒカイトな ウイーン流演奏に対して「お前たちが伝統と言っているのは実際にはお前たちのだらしな さなのだ。」といってウイーン流の慣習的演奏に対して、演奏の正確さを求めた。

■テンプル騎士団(350)
 第1次十字軍によって確保された細い帯のような巡礼の道は、危険と悲惨に満ちあふれていたのである。いくら注意をしても、警告を発しても、続々と犠牲者が出る。1118年、この巡礼の被害を見かねて、その保護に乗り出した無名の一老騎士があった。無名といっても、れっきとしたフランスの貴族シャンパーニュ伯の家臣、パイヤン城主のユーグという騎士であった。もうすでに60の坂を越したかと思われる年齢ながら、…このユーグ・ド・バイヤンがその無二の親友ジョフロワ・ド・サントメールを語らって、ただ二人、ごく小人数の部隊を指揮して、この魔の巡礼路に沿って旅行者の護衛を始めたのである。…間もなく、巡礼たちの間でそのかくれた善業が噂となり、いつしかユーグは、「信仰の鎧で身を固めた老武士」とか、「さまよえる巡礼者を見守る伝説の騎士」とか呼ばれるようになった。…エルサレム王ボードワン2世は、…ユーグ・ド・パイヤソの美挙に感じて、その崇高な任務を遂行するために必要な物的援助を惜しまなかった。…なかでも、かれらの居住する宿舎として王宮内の一角が与えられたことは、永く歴史に残る出来事となった。なぜなら、その場所こそ、その後200年にわたって、かれらの誇り高い団体の呼び名となる「ソロモン神殿」跡であった。

テンペラ画(259)
ニカワ、卵、植物性の油、水を混ぜた溶剤で顔料を溶くのがテンペラ画法。ニカワや卵といった動物性たんぱく質は、酸化して乾燥すると凝固する。その性質を接着剤として利用し、絵の具を画面に食い付かせるわけだが、これは基底材が板の場合にこそ有効である。レオナルドはこの新しい画法を「最後の晩餐」で漆喰壁において試みるという冒険を1495年に行った。一方、1508年に着手したミケランジェロのシスティーナの天井画は、古典的技法であるフレスコ画で描いた。それが、今日見るそれぞれの修復結果の差である。ミラノで見た最後の晩餐は剥落が進みまるで印象派の点描のようだった。

テンポの伸縮(385)
 たとえば『ニュルンベルクの名歌手』前奏曲を演奏するとき、フルトヴュングラーは荘重な導入部と、それに続くホ長調の主題を自然に連結するために、そしてホ長調の主題の抒情的な性格を予感させるために、主題が始まる直前でわずかにテンポを落としている(比較のために言えば、トスカニーこは同じ個所でテンポをまったく変化させない)。これこそワグナーが創始し、まさしくこの『名歌手』前奏曲を例に取って説明したテンポの伸縮にほかならない。指揮法に関するワーグナーの著作に衝撃を受けたフルトヴュングラーは、このテンポの伸縮と内発的なリズムの生起をどのようにオーケストラに伝達すればよいか悩んだすえ、さまざまな風説を生んだ悪評高い指揮法を編み出すことになる。しかし、音楽を有機的な生命体とみなした彼は、棒さばきというテクニックそのものを重要視しなかったし、それはワーグナーも同様だったのである。「彼の長い指揮棒の奇妙で意味ありげな動きは楽員達を困惑させ、彼等の混乱は、この音楽を支配しているのは縦線ではなく楽句、あるいは旋律、あるいは楽譜に書かれていない表情なのだということを彼等が理解し始めるまで続いた」。「彼」とはフルトヴュングラーのことではない。ワーグナーのことである。




【語彙の森】