語彙の森DICTIONARY out of focus
更新日 2017-8-31   計20語
新着語
ヨーロッパ、弱い船長、横瀬浦の洗礼、予定の意味、様式、ヨンロンイ、余のバルト海、ヨシフ・ジュガシヴィリ、夜のパリ、幼名真魚、夜汽車、余剰個体、予言の自己成就、ヨーロッパの誕生、用不用説、横にすべる表面、

様式(441)
 ある時代にある機式が優勢であるということの背後には、その様式を採るその時代の芸術家たちの生に対する姿勢があらわれているのであり、それは一歩進めていえば、その様式にはその時代全体の意識構造が反映しているということである。さまざまな様式の現出とは、それぞれある一定の方向に表出した普遍的な人間性のひとつの様態であり、それはまた、大きな歴史の流れの中の一局面にはかならないのである。…作風とは技術の問題ではなく洞祭力の問題だから。だから作風とは、この世界がわれわれに現われるその現われ方に見られる質的な差異−−もし芸術が存在しなかったなら、各人の永遠の秘密として残るであろうあの差異−−を顕示することにほかならないが、この顕示は直後の意識的方法によっては不可能であろう。(『失われた時を求めて』井上究一郎訳)

用途発明(136)  
 DDTがすでに存在する場合に、それが殺虫力を有することを新たに「発見」したとき これを用途発明と呼ぶ。選択発明というのは、ある複数の組合せの構造が殺虫剤として特 許化している場合に、そのうちの特定の組み合せで人間への顕著な無害性が発見された場 合、この後者にも特許を付与する考え方。

用不用説(253)
 ラマルクの進化機構の仮説は不十分なものであった。ラマルクは、ある生物にとって必要で使用頻度の高い器官は発達し、不必要で使用頻度の低い器官は退化して、そのような変化が子孫に遺伝すると考えた。用不用説の最大の難点は、獲得形質の遺伝が不可欠なことである。

幼名真魚(330)
 宝亀(774)年6月、讃岐国多度郡弘田郷屏風ヶ浦に、父佐伯田公善通、母玉依御前の嫡男として生まれ、幼名は「真魚」(まお)。…さて「真魚」、後の「空海」の改名の変遷を改めてたどれば、19で「無空」、20で「教海」と変え、その後「如空」に改め、22にしてようやく沙門「空海」を名のったことになっている。…無空、教海、如空には、残念にも一字ずつ、つかみどころが垣間見える。だが空海の二文字には、そのつかみどころがまったくない。

夜汽車(331)内田百聞
 海との境目と思われる辺りを、窓の明るい夜汽車が何本も云ったり来たりした。夜汽車が波打際を走って行くのを外から眺めるとしみじした気持ちがする。遠くから見る程趣きか深い。…蛍の火が列になって流れて行った様であった。

予言の自己成就(290)
 たとえ噂=予言に根拠がなくとも、その予言によって現実がつくりだされることがあることをR・K・マートンは、予言の自己成就と定義した。

横瀬浦の洗礼(527)
 1563年には、大村純忠が重臣25人といっしょに横瀬浦で洗礼をうけ、後年大村領内に六万人のキリシタンを持っきっかけとなった。純忠はまた大名で洗礼をうけた最初の人として記録される。同じ年五烏と島原半島に、1566年には天草島に、1567年には長崎に、アルメイダによってそれぞれキリシタンの伝道が開始され、この地方が日木キリシタンの中心になる基礎がつくられはじめた。1570年、日本には40の教会があって三万人のキリシタンがいた。

横にすべる表面(136) 和辻哲郎
 ナポリの国立美術館の<シヌエッサのヴィナス>は1911年にナポリ近郊で発掘され、帝国時代の作とされているが、……その美しさは<ミロのヴィナス>の比でなく、この美術館の他の作品全部を持ってきてもこの彫刻より軽い。…肉体の表面が横にすべっているという漢字は寸毫もない。あらゆる点が中から湧き出してわれわれの方に向いている。内が完全に外に現われ、外は完全に内を現している。人間のいのちの美しさ、いのちの担っている深い力、それをこれほどまでに形に具現したことは驚くべきことである。そういういのちの秘密を肉体から引き離した領域に求めるようになると、このような表現を不可能になる。内は隠れたものとなり、外はただ包むものとなる。表面は横にすべってしまう。

ヨシフ・ジュガシヴィリ(421)
 スターリンの本名。ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。1879年12月21日(旧暦12月6日)に生まれる。この誕生日の日付を世界の多くの百科事典に見出すだろう。
…今わたしは有名な党中央アルヒーフに座っている。わたしの前にはゴリのウスペンスキー寺院の戸籍簿からのヨシフ・ジュガシヴィリの誕生に関する項の抜書きのフォトコピー。
「1878年12月6日に生まれ、17日に洗礼を受けた。父はゴリ町の住民で農民ヴィッサリオン・イワノヴィチ・ジュガシヴィリ、母はその正妻エカテリーナ・ゲオルギエヴナ。」そう、彼の公式の誕生日は担造されたものだ。

余剰個体(306)
 ツンドラに夏が訪れ、食料が豊富になった。どの動物も一年のこの時期に個体数が最大になった。個体数の数学には非情な法則があり、これら大量の余剰個体は、つぎの繁殖期までに親の代替分を除いてすべて犠牲になる定めになっていた。余剰植物は、レミングとハタネズミとホッキョクウサギとカリブーの犠牲になった。レミングとハタネズミとホッキョクウサギとカリブーの余剰個体は、ホッキョクギツネとイタチとオオカミの犠牲になった。そしてかならず最後には、バクテリアと腐敗微生物がすべての犠牲を受けいれ、サイクルが完結した。

予定説(35)
 1517年ヴュッテンブルグ教会の門扉に「95ケ状の提題」をルターが貼り出すとき に宗教改革が始まった。改革者ルターであっても、その意外な保守性を示す「秩序は神に よって予定的に定められている。よって精神において限りなく自由な存在であるキリス ト者であっても、いかなる専制といえどもこれへの反乱は正当化できないとして、下層農 民の抑圧を容認した。カルヴァンにとっての予定説はさらに冷厳で、「人類の一部は確実 に救済されるが、その他は永遠に見捨てられることが予定つけられている」 宗教改革がヒューマニズムとは別次元にあることの証左。

予定の意味(467)
 「私たちは、神が個々の人間についてしようとしたことを定める神の思慮を「予定」とよぶ。なぜなら神は、すべての人間を平等な状態につくったのではなく、あるものを永遠の生命であるものを永遠の断罪へと定めたのだから。このように、人間がつくられている目的にしたがって、人間は死または生に定められているというのである。(キリスト教綱要)
 ここにみられるように、カルヴァンは、選ばれたもの、選ばれなかった者、がともに、神の摂理いいかえればどちらも神の栄光をあらわすものであると、考えている


夜と霧(52)
 フランクルの原著名は「強制収容所における一心理学者の体験」。犯罪容疑者は夜間秘密裏に捕縛し強制収容所におくり、その安否や居所を家族親戚に知らせない、こうやって ユダヤ人が家族ぐるみ一夜にして消え失せた。これがヒトラーの「夜と霧」命令である 。

ヨナ(198)  
 神はイスラエルの預言者ヨナに大いなる都アッシリアのニネベに行って、「人々に悔い 改めよと伝えよ」と命じた。これら逆らって海に出たヨナは神の意志によって嵐の海で怪 魚に呑まれる。怪魚の中で再び神の声を聞いた時、今度は逆らうことなくニネベに 向かったヨナは「40日でニネベは滅ぶ」と人々に悔い改めを求めた。しかし神は自ら命 を与えたものを惜しみ、ニネベを滅ぼすことをしなかった。 宙返りの育夫は「よな」であって、神はこの話しに結末をつけていない、滅亡への神の 意志があるはずと考えた。

余のバルト海(422)
 こうしてクリミア戦争が始まった。さてニコライ(T世)がヨーロッパ随一とみなしていたロシア軍は、瞬く間に敗北した。なぜなら彼の軍は、ナポレオンT世時代の装備でナポレオンV世の兵士たちと戦っていたからだ。彼の海軍も、また絶望的に時代遅れだった。どうやら彼の軍が強いのは、パレードの舞台かそれとも御用ジャーナリストの記事の中だけのことだつたようだ。敵は六万のフランス・イギリス軍をクリミアに上陸させ、ニコライの軍を(黒海のロシア最重要な港)セヴァストーポリで包囲してしまった。「表層の帝国」は「粘土の足の巨人」にすぎなかったのである。やがてお気に入りのアレクサンドリア離宮の書斎の窓から、皇帝は双眼鏡で敵の艦隊がすぐそばに、「余のバルト海」に浮かんでいるのを見るようになる。

夜のパリ(403)
 カルティエ=プレッソンが、このころ親しくなった写真家のなかでもっとも注目していたのがブラッサイである。十歳年長のブラッサイは、ハンガリー(現在はルーマニア) のトランシルバニアの生まれで、父はフランス文学の教授であった。本名はジュラ・ハラースといい、1923年にフランスに移住してきた。彼が写真をはじめたのは、ドイツの雑誌に書いた記事の挿絵として写真が必要になり、経費を削減するために、カメラを知人のケルテスから借りたのがきっかけであった。このときケルテスから写真の手ほどきもうけたという。
 ブラッサイはモンパルナスを中心とした夜のパリ、そこで展開される人間くさい光景に魅せられた。それを表現するために、写真を撮ることを思いたった。彼は大型のビューカメラと三脚、マグネシュウム・フラッシュをもって盛り場を歩き、時間をかけて撮影対象と眠懇になり、被写体がカメラを意識しなくなる瞬間をまってシャッターを切った。


ヨーロッパ(560)
 ヨーロッパという言葉の一般の用法があいまいを極めているので注意を要します。しかし、もっとも大事なのは、シャルルマーニュのヨーロッパつまり再興されたローマ帝国は、ヨーロッパの個別国家に歴史的に先行するということです。イギリス、フランス、ドイツ等の国々は、それらが集まってヨーロッパをなしているのではなく、ヨーロッパという歴史的先行条件があってはじめて各個の国々でありえたということです。これは中世を考える上で決定的に重要であるとともに、大戦後のECもこの歴史的事実に基づくことによってその存在を主張しうることです。これほど重要でありながら一般の人によっても専門家によっても、これほどに理解されていない事実はありません。
 ヨーロッパが元来ひとつであり、カトリック世界であるとしますと、そこに封建社会が生まれてくる場合、この封建関係が必ずしも国境にさえぎられることがないのはむしろ当然だといえます。

ヨーロッパの誕生(265)p.11
 ヨーロッパということばは、もともとギリシャ神話に登場するフェニキアの王女エウロパに由来する古代ギリシャ人の地理的概念であった。この言葉はギリシャ中部を意味した。やがて、古代ギリシャ人は自分をとりまく世界をアジア、アフリカ、ヨーロッパと分割し、ギリシャを含む地中海の北側の地域であると理解された。
実際のヨーロッパの誕生は、476年に西ローマ帝国が崩壊した後、800年にカール大帝(シャルルマーニュ)が神聖ローマ帝国の皇帝になったときと言える。


弱い船長(558)
 「弱い船長は、自分を強いと言ってくれる人間なら誰にでも影響されてしまう。おべっかや耳打ちのすべてに耳を傾ける。なぜなら、真実はいずれにせよ彼の敵だからね」 「さて、どうしてあの船長は弱かったんだと思う?」 リチャードソンがそう問いかけ、すぐに自分で答えた。「信仰の祝福がなかったんだ。主の導きに従わない者は、船を導くこともできない」。…このリチャードソンという男がそれほど信仰深いのなら、扱うのは楽ではない。…神がなにを望むかについては、あまりにも多くの解釈が成り立つからだ。
 ジョンは宗教を、洞察と秩序を保つためには総体的に有用なものと見なしていた。だが、燃えるように情熱的な預言者や信奉者は、少々不気味だった。そこでジョンは、こう答えるに留めた。「船を導くとは、航海術のことです。それ以上は、私にはわかりません」


ヨンロンイ(427)
 黄教授は1999年2月、英国、米国、日本、ニュージーランドに続き世界で五番目に体細胞を使ったクローンに成功したと発表した。京畿道華城にある牧場でクローン乳牛の「ヨンロンイ」が生まれたのだ。当時のカンチャンヒ科学技術部長官が、韓国の科学技術が「玲瀧として(ヨンロンヒ)輝け」という意味をこめてつけた名前だという。黄教授側の説明では、「クローニングの方法は、あらかじめ核を除去した卵子に、他の牛の子宮細胞から取り出した核を移植し、電気ショックで融合した後、代理母の子宮に着床させたもので、クローン羊のドリーのクローニング方法と同じ」だが、「細胞が融合する前に、六つの主要な伝染病や遺伝性奇形が発生する可能性を事前に検索することで、優良牛を大量にクローニングできる道が開けた」というものだった。
 黄教授の言う通り体細胞のクローニングが成功したとするなら、体細胞が取り出された牛とヨンロンイの細胞の核にあるDNAは完璧に一致し、その一方で細胞核の周りにあるミトコンドリアDNAは異なっていなくてはならない。ところが、それらを調査したというデータがないのだ。




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