写真部室再訪                                                         2009-11-21



RICOH GX200

■上の写真は、古いネガからではない。数週間前に、昔の写真部仲間と片平町の写真部の部室を数十年ぶりに訪問したときに、「デジカメ」で撮影したものだ。写真部の入口ドアは多分50年もの間、変わることなくそこにあった。鍵の掛ったドアの横の窓は、昔のままに開いた。目の前の蜘蛛は、若き日、真夏の蒸し暑く酢酸臭い暗室から、まばゆい炎天に出たときと同じように、そこにいた。あの頃の、くさむらの草いきれが蘇った。

■鹿児島在住のO君が、発起人で、1970年頃学生時代を過ごした写真部仲間が、2009年11月7日の夜、卒業以来初めて仙台に集まった。H君、O君、Y君、S君、N君、T君、M君、私の8人だった。H君は卒業以来39年ぶりの再訪ということで、あまりの変わりようにすっかり戸惑っていた。変わっていないのは我々自身で、時間の壁を越えて、懐かしい思い出話しに浸っていた。下の写真は、O君が保管していた写真部アルバムのコピーを撮影したもの。
私が卒業した年、東京で開いたOB会だと思う たぶん私が2年のときに行った野蒜海岸

M君のNikon D3+Nikkor 28mm/2.8でセルフタイマ撮影。さすがM君、ただの記念写真にしていない。

■片平町からタクシーで川内に向かった。あの広々とした敷地に点々と立っていた木造校舎群は消え、狭苦しいキャンパスになっていた。新部室の入っている立派な部室専用ビルに驚く。オケ部の女子学生達が、楽器の練習をしている光景に、我々の場違いさを感じた。写真部室の中に入ってみると、その居心地の良い乱雑な雰囲気は昔ながらだ。暗室も見せてもらったが、何の面影が残っている訳でもなく、何の感傷もない。
 しかし、現役部長が待っていてくれたのが嬉しかったし、何人もの部員諸君が顔を出し、活発な活動の様子が感じられ、たのもしかった。何より、未だに銀塩フィルムのカメラを使っていて、現像、焼き付け、パネル貼りという伝統技能を継承していることに驚いた。カラーの現像もできるようになっていた。部室に来る前は、「きっと暗室はなくなって、パソコンとプリンタが置いてあるぞ。」などと言っていたが、失礼いたしました。
 なぜ、いまだに銀塩にこだわるのか?という重要な質問をし忘れたが、質問しなくて良かったかもしれない。







【カメラの触感】