誰も覚えていない写真集「状況」                           2001-8-10 


■東松照明らが結成した全日本写真学生連盟であるが、Googleで「全日本学生写真連盟」と叩いても何もでてこない。9件ヒットしたが、きちんとした情報は何もない。さびしい。

    #古い体質 *)例会で、相手の全人格まで批判するような写真の批評をする
    # 噂では昔の全日本学生写真連盟の合宿もこの系統。その日の日中
    # 撮影したフィルムをすぐ現像、ベタまであげて(キャビネまで伸ばす?)
    # それを壁一面にはって、一人ずつ批評する。凄いらしい

という、どなたかの投稿が、妙になつかしく感じる。自分自身は、1967年頃に全日(全日本学生写真連盟)の地方支部の委員をしていただけであるから、全日のことを正しく語る資格はない。全日の合宿に自分の写真は提出したことはあるが、合宿に直接参加したことはないという程度である。その合宿の中から生まれたのが、「状況」という文庫本サイズの写真集である。それが上の写真である。今でも私の手元にあって、時々バラバラとページをめくっている。現在でも活躍されている写真評論家の福島辰夫が指導して製作されたものである。1965年版の巻末に福島は以下のように記述している。

■P180 「1965〜66の状況−写真でなにができるか−」
            (以下の引用中 ……部は、文章を省略させていただいている。)

 ここなん年かの間に、”われわれの思想は”致命的な混乱を示しつづけた。1960年以降、”挫折”し、あるいはその結果としての”挫折感”のなかに、自分を閉じこめてしまった人たちにとっても、そうでない人たちにとっても、また、私たちのように、1960年前後を、表現の各分野で、時代の要求する、もっとも鮮鋭な問題の解決のために働いてきたものたちにとっても以後、今日までの時期を、思想の解体と不毛の時期と呼ぶことに、反対はしないだろう。…
 
 …この新しく組織づけられた破壊力をまえに、われわれはなにをすべきなのか。なにができることなのか。その作業は、どこから、どのように手をつけていったらいいのか。…
 
 …1965年のはじめから、全日本学生写真連盟の人たちと私は、”われわれ”の事態をかえるための、かなりはげしい動きを起こした。私たちのあらゆる事態を分析し、計量し、克明な検討を加え、実行案をたて、実際活動を、最後の最後まで実現するシツヨウな作業にとりかかったのである。

 …この自分自身にむかってのたたかいを、私たちは油断なく、ゆるみない持続のなかでやりきっていかなければならないのだ、私たちの、写真を撮り、写真を考える行為のなかで、−またサークルのあり方や、その組織、運営の実際のなかで−あるいは、例会、共同制作といった直接的な活動のなかで、−すべて具体的に、またきわめて現実的に行われなければならないのだ。

 …キャンペーン「状況1965」の活動の全般を通じて、画期的なできごとだったことは、、信州八ヶ岳でひらかれた写真選択のための合宿である。これは全国からの連盟会員の自由参加というかたちで行われた。集まった人数は三十数人だが、二千五百余点の写真を1人1人が見ては考え見ては考え、一枚一枚の写真の問題点を明確にしながら、同時に自己の意識変革を、自分自身の力でなしとげていく−そのためのしくみと運営の方法が発見されたのである。その状況がどんなものであったか−それをありありと描き、あるいは、そこで起こったことの意味を細部まで明らかにすることはたいへん困難な仕事に属するが、この合宿に参加した人ならば、だれ1人例外なく、三泊四日の日程をこえて、四泊五日にもちこまれたこの合宿の時間のなかで行われた猛烈な精神の作業とその持続を、自分のなかで、ほとんど肉体的にといってもいいほどの確かさで、想起することができるであろう。

■非常に長い引用になり、クレームがきそうだが、そもそも「状況」という写真集には、写真とほぼ同量の文章が掲載されており、その大半が、同時代の文章の引用であり、これを許容するならば、本文章の引用についても、お目こぼしいただけるのではないか。
 福島辰夫は、当時思想において吉本隆明があった立場に、写真界では立っていた。今読んでも、その気負いが新鮮で、皮肉ではなしに、本当に写真には何かでできる力があると感じられる。しかし現実はこの気負いが大きかった分だけ、写真には何もできないというある意味で当り前のことをつきつけられて、その後の写真が、コンテンポラリーだとかいって、写真に写っていないことを言葉で表現する、あるいはアンガジュすることのほうが写真をとることより意義があるというような方向に落ち込んでいって、結局写真にとってもっとも大事なマニエラを捨ててしまって、社会に対して、とことん影響力を失っていくことになったという意味での影響力は大きかった。
 なにより、そんな風に福島の影響を受けた世代が、今わずかな余裕を持つようになってライカだなどとクラシックカメラを追いまわしているのである。写真はどこにっいた。

■写真集「状況」は1065年版は、第1作ということもあって、インパクトが強い。たしかに東松照明や、川田喜久治のまねをしたような写真ばかりだが、それらをまねすることによってはじめて、自分の表出ができそうな気分というのはよく分かる。しかし1966年版になると、前年度の形式だけが踏襲され、その内容は似たり寄ったり。前に進むというより、エネルギーが内在化して、狭いカルトのなかでしか通用しない、なにより写真を撮った本人の意思とは関係のない用語的写真になってしまった。だから、次の1967年版が発行されたか、私の記憶がない。

■以上、語られることのない写真集の話しであったが、学生写真、アマチュア写真の歴史を語る上で、重要な事件であったことは間違いない。どなたかご専門の方によって、きちんとまとめていただければ、同時代に生きた人間としてうれしい。


【2013−9−1】追記
 忘れられていた学生写真の時代を、写真の転換点と位置付けた回顧展が東京都写真美術館で開催された。全日の写真のほとんどは、その後著名になった方を除いて無名化され、組み写真の一部に記号化されている。さらに政治運動の手段としての位置付けが強調されていた。学生の写真自体は当時はもっとざらざらと強烈なイメージだったけれど、半世紀近くたって見ると、むしろ自信なく弱弱しげであった。
 


<切り抜き>2013年7月11日(木)日本経済新聞 朝刊

   
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【カメラの触感】