マニエリストとしての篠山紀信                              2000-8-20 


■北井一夫の「村へ」を見直す(この件は別に書きます)ために、アサヒカメラの1975年〜76年の各号をパラパラめくっている中で篠山紀信の2組の写真が目についた。1つは「筑豊」、もう1つは「家」である。タイトルから予想される通り、土門拳の「筑豊の子供たち」、東松照明の「家」を下敷きにしていることは容易に推察される。いずれも大型カメラによるカラー精密描写で自己の美意識を出してしまっているので、対象の訴える力は弱い。それぞれ土門や東松が撮影した1960年頃から15年を経て、「筑豊」と「家」がモチーフとしてどのような意味をもっているか篠山は考えていないかに感じられる。一言で言うと気楽で美しい写真である。篠山を「筑豊」と「家」に突き動かしたものが何か分からない。

■1970年以降,国内で最も才能豊かな写真家は篠山紀信であるとされている。日芸の卒業製作(昭和37年卒)で、各写真家自身の肖像を、それぞれその写真家の特徴的な表現手法を徹底的に模倣して撮影したが、その人を食ったやり口が話題になった。その出発において、モチーフよりマニエラ(手法)に執着している。これが篠山をマニエリストと呼ぶ所以である。

■マンネリズムの語源となったマニエリズムは、現代芸術において決して卑下されていない。マニエリストの元祖はミケランジェロであるから、篠山紀信は写真界のミケランジェロだと言っているに等しい。美術の世界では同一のモチーフを多くの作家が描くが、写真にはモチーフの先取権が存在するようである。だから他人のモチーフを表現する限り、それが表現において先行者を越えていたとしても、歴史的には淘汰されてしまう。だから篠山紀信の代表作は何かというと、意外と思いつかないということになる。

■今いま私が興味があるのは天才である篠山紀信さんが、本当はどんな写真を撮りたいかということ。下の写真は、私が最も篠山紀信さんらしいと思う初期の写真です。

[トレーニングパンツと作業衣のための習作]
リンホフテヒニカ・スーパーアンギュロン65mmF8・トライX
アサヒカメラ年鑑1965年版(朝日新聞社)より




【カメラの触感】