辺境写真家デジレ・シャルネ          2000-7-13 


■はじめてマヤ遺跡の写真撮影に成功し、その本を出版したのはデジレ・シャルネである。ダゲレオ・タイプが発明されて30年もたっていない。カメラ・オブスキュラは絵画の補助手段としての模写ツールであったし、ダゲレオ・タイプも当初、絵画的表現を目差していた。カメラはまだ、カメラの本質的な機能を生かす被写体に出会うことがなかった。

■ このカメラの持つ描写力を生かす方向として注目されたのが、戦場と辺境であった。しかし、湿式コロディオン板では、湿式原版を作ってこれを乾燥しない間に撮影をして、さらに現像するという作業を戦場で行うことは、単に勇気だけでは行うことは不可能であった。一方、新大陸を再発見したヨーロパ人は、写真の発明以前、発見した現場を美麗なスケッチで残したが、あまりにも身勝手でロマン的な絵画描写によって、あやまったイメージを伝えてしまった。

■ デジレ・シャルネはカメラを持った探検家なのか、写真家が探検に出かけたのかは分からない。辺境あるいは遺跡について絵画よりカメラの方が真実を伝え得ることを示したことで、カメラの力を生かす道を方向付けたと言える。彼は1859年、1800kgの荷物とともにメキシコ・シティからオアハカに向かった。荷物の多くは写真機、スタンド、暗室の他に大量の薬品やガラス板であった。そしてミトラ、パレンケ、ウシュマル、チチェン・イツァ等を取り上げた「アメリカの古代都市と遺跡」という大型写真集を1863年に発表する。


■上の写真は、チチェン・イツァの「教会」と呼ばれる神殿で1860年、シャルネが撮影したものである。以上「マヤ文明−失われた都市を求めて:ボーデ,ピカソ,創元社(1300円),1991年初版」による。