ルドルフとヴァンデルスレブのテッサー          2000-9-10 


■パウル・ルドルフ(Paul Rudolph 1858--1935)はアッベの助手としてツァイスに入社した。エルンスト・ヴァンデルスレブ(1879--1963 Ernst Wandersleb)もルドルフの助手としてツァイスに入社。二人ともイエナ大学卒である。この二人がアッベ以降の戦前ツァイスの写真レンズの技術を牽引した。

ルドルフ(1905) ヴァンデルスレブ(1959)
写真レンズの歴史:キングズレー,朝日ソノラマ (p236,P255) より

■1902年、ヴァンデルスレブ入社翌年の23歳のとき、この二人が開発したのがテッサーF6.3である。テッサー(tessar)は4枚構成レンズであることから、ギリシャ語の4を表す言葉を借用して名付けられたとのこと。ちなみに調べると、ギリシャ語で0.1.2.3…10はミデン、エナ、ディオ、トゥリア、テッセラ、ペンデ、エクシ、エフタ、オクト、エンネア、デカである。

■ルドルフはテッサーを特許申請し、その特許請求範囲は「それぞれに2枚のレンズからなる2つの群が絞り幕により分けられ、一つの群には一組の向かい合った面があってその屈折率は負であり、他の群には貼り合わせ面があり、その屈折率は正であるような、レンズ4枚からなるしすてむで球面収差、色集さ、非点収差を補正したもの。」である。ライツのマックス・ベレークの名レンズエルマーはこの特許の権利消失と同時に開発されたテッサー型レンズである。また現在にいたるまで、F:2.8程度の明るさのカメラにはこのタイプが多用されている。

■テーラーのトリプレットにヒントを得たとか、自分の過去の設計ウナーの前群とプロターの後群を組み合わせたといわれている。ダルメイアをやめたアルディスがスティグマティック・レンズを改良する方法として、凸レンズの形をした空気間隔が球面収差の補正効果があることを発見したのを聞いたルドルフが、それをまねてウナーを作り、その前群を使いさらに彼のアナスチグマットであるプロターの後群の強い集光性の貼り合せ面が他の収差補正効果があることから、これらを組合わせて、前群、後群ともに収差の除去に成功したのである。すなわち前側から「前凸」「空気間隔」「両凹」「絞り」「両凹両凸貼り合せ」という3群4枚レンズがテッサーの構成となる。コンタフレックスのテッサーf:2.8は前玉を取り外して画角変更用コンバージョンレンズを取り付ける設計となっているが、前玉が空気間隔を持って独立しているテッサーの特徴を利用したものである。


カール・ツァイス:小林孝久,朝日新聞社 (p.107) より