茶谷シャッター                                     2005-1-10 



■カメラレビューNo.16(1981-3)に茶屋薫重(チャタニクンジュ)氏の晩年の肖像画像を発見した。町の発明家的な頑固さや、コパルと10年もの特許係争を続けた執念を感じさせないおだやかな表情である。
 国産カメラ開発物語(小倉磐夫)には、以下のように縦走りシャッターの発明者として紹介されている。「フィルム画面の長辺を走るライカ方式に対し、短辺を走ればシャッター速度が上がると考えられるから、縦走りシャッターのアイデアはいろいろあった。…ゴールドバーグの近著などには、この縦走りシャッターをコパルタイプ・フォーカルプレーンシャッターとしてある。しかしコパル以前に基本原理を考案したのは関西のエフシー製作所の茶谷薫重前社長だという…。茶谷の卓抜なアイデアは踏切の遮断機の昇降からきているという。茶谷個人名の10件の特許と多くの実用新案からなる縦走りシャッターの発明は、実用化という段階でマミヤを経由してシャッター専門メーカー、コパルの手に委ねられる。…そのコパルは数年後、独自の実用新案を出して、ロイヤリティーを払わなくなった。茶谷は10年間訴訟で争うが体力負けしてしまう。」


1981年当時84歳

株式会社エフシー製作所は、現像機や印画紙乾燥機のメーカして現存する。学生時代に部室にあったドラム式乾燥機は同社のものであったらしい。ただ、手入れが悪く、均一な印画光沢が得られなくて苦労した記憶がある。同社の社歴によれば、「1960年に研究部でメタル・フォーカル・プレーンシャッターを開発。発明者、茶谷薫重(チャタニクンジュ)第1回全国発明コンクールで発明協会賞受賞。」とある。また別のサイトでは、1961年の日本精機学会第3回明石賞を「カメラ・シャッタ、コパルスケヤの設計、研究、試作」でコパルの技術者と共同受賞していることが知られる。共同受賞者は笠井正人(コパル)、茶谷薫重(F・C製作所)、前原春一(コパル)、吉松 明(コパル)、早水湛雄(コパル)、岡部 克彦(コパル)である。
 このことから、茶谷とコパルの関係は当初は良好であったはずだ考えられる。にも関わらず、後年コパルが茶谷の特許を回避し、「世界初の縦走りシャッタ」の公式の歴史から茶谷の痕跡を消しさることができたのは何故であろうか。茶谷の特許の書き方がうまくなかったのだろうか。どうも、大メーカ対下請けメーカの関係が見え隠れする。現代であれば、日亜化学と中村課長の関係のように、別な展開になったろう。日亜は現在でも中村特許を使わずに青色LEDを製造していると主張している。

■縦走りシャッタは、コンタックスの鎧戸方式で古くからあるから、縦走りいう広い概念では特許確立は困難である。平板をアームで吊り下げて、これを開閉するという点に新規性がある。カメラレビューNo.2(1978-2)には、「メタルシャッターの歩み(満岡久)」いう記事が掲載されていて、1953年4月に小西六の設計者松田保久によって、細長い金属薄板をパンタグラフ状の支えでつないで走行させる方法が実用新案に出願されているとある。それが1955年のコニカFのメタルシャッタとして結実するが、モジュール構造になっていなかった。フォーカルプレーン・シャッタもモジュール化できなかったので、シャッタ専業メーカの出る幕はなかったのだが、コパルはこのメタル・シャッタのモジュール化を実現することで、事業的に成功した。
 何度も書いているが、新技術の開発には多くの技術者と企業の競争と努力の所産であるから、その成功を一人に帰することはできないという事例であった。
 ただ、「茶谷シャッター」いう言葉は歴史に残したい。ということでこの文章を書いた。



【カメラの触感】