コニカのヒットメーカー                               2002-6-29 


■コニカ(前小西六写真工業)は、チェリー手提暗箱やミニマム・アイデアなど、日本の小型カメラ草創期からのリーダ企業だが、何故か高額カメラで成功例が少ないために、ブランド・イメージは必ずしも高くない。技術開発のユニークさはマミヤと双璧だし、ピッカリコニカとジャピンコニカをはじめとしてコンパクト・カメラの電子化において圧倒的な成功を市場で収めている。その立役者が内田康男さんであるらしい。以下、「商品開発のはなし;内田康男,日科技連」から引用させていただく。

■1931年生まれ、東工大工学部機械工学科出身で、カメラ技術部時代に、ピッカリコニカ(コニカC35EF)とジャスピンコニカ(コニカC35AF)などのカメラ開発の指揮を取り、1981年科学技術長官賞を受賞した。このような技術的成功者の書いた本は、一般に自信に満ち溢れてうんざりさせるものだが、それがない。ピッカリコニカについては「…幸い、ストロボ専門メーカーのフジミ光機の佐藤氏(現社長)というよき理解者を得て、1975年に商品化に成功した。」と書く。この短い表現から、このフジミ光機の小型ストロボ開発へのなみなみならない苦労が偲ばれる。またジャスピンのときは、1年遅れでオートボーイを出したキャノンに対して、「とくにキャノンは、ハネウェルのモジュールで追随せず、赤外線をダイオードを遣って発光させ、その反射光を赤外線センサーで三角測量する方式……」と、ライバルの技術を認める。多分、特許に苦労したのだろう。


■内田さんが開発を担当されたものに、ストロボ内蔵(ピッカリコニカ)、オートデート(ピッカリコニカ)、AF(ジャスピンコニカ)、フィルム自動装填(コニカFS−1)、フィルム自動送り(コニカFS−1)がある。全て「世界初」であるとされている。
内田さんは、その成功の仕組みを二つに分類してくれる。「…私は商品の開発には二つの型があると思う。ひとつは、技術予測などから、当然その課題が明快に設定され、技術的に困難な度合が高いために、多くの人が永い間かかって、やっと商品化に成功する、という型。これをジャスピン型という。それに対し、技術的困難度はそれほどではないが、誰もそういうニーズに気がつかないか、そういう商品コンセプトになかなか到達できないケースがある。これをピッカリ型という。」


……以下、同書からの語彙を引用する。表現が平易で、つい読み飛ばしてしまうが、先輩技術者の後輩へのメッセージとして読むと、商品開発に対する姿勢は学ぶべき点が多い良い本である。

ヴィトローナ(285)
研究ノートを繰ってみると、ストロボをカメラの中に組み込んでみよう、という発想は1967年頃から出てきている。実はそれよりさらに数年前に、ドイツのフォクトレンデルというメーカーから、ストロボを組み込んだカメラ「ヴィトローナ」が発表されている。しかし、大きく重いカメラで、電源はカメラの下にグリップとして取り付けられていた。…商品として全く注目されないですぐに消えてしまった。

技術革新(285)
ピッカリコニカの場合には、小さくまとめるという困難はいくつかあったが、さほどの技術革新を必要としたわけではない。しかしそのような商品はだれも挑戦しなかったし、でき上がってみたらヒット商品になり、今日ではコンパクトカメラの常識になってしまっている。他にこのような例をあげるとすれば、ソニーのウォークマンであろう。技術革新がなかった、などと言える立場ではないが、開発段階では社内に反対の声があり、マーケティングの苦労はされたようである。しかし技術的には、さほど困難なものではなかったといってよいだろう。

思想をもったカメラ(285)
ピッカリコニカの試作品を販売に提示し、価格の設定を議論したことがあった。原価の推定額からすると。四万五千円以上で売らねばならない…。…その試作機は、それまでのカメラとストロボを組み合わせただけなので、レンズは明るさF1.8であり、シャッターも1秒から500分の1秒までついている。しかし、今やストロボはいつでも使えるのである。…レンズの明るさF2.8、シャッタ速度125分の1秒のみというカメラは、当時の流行からかけ離れたものであったが、幸い雑誌「写真工業」の新製品診断室では、「思想のあるカメラ」と評価され、市場にも受け入れられ、従来のカメラのイメージを完全に変えてしまった。

徳山村のおばあちゃん(285)
岐阜県と福井県の県境、ダムで沈む自らのふるさと徳山村をピッカリコニカで撮り続けた増山たづ子さん。…「ここが無くなってしまうかと思うと、昭和16年に召集で南方に征き、20年5月29日にインパール作戦に参加して、一小隊の半分が英軍の戦車にふみにじられて行方不明になりました夫が、横井さんや小野田さんの事もありますので、夢に見たであろう故郷ん゛無くなってしまったら、どう説明していいか分かりませんし、写真で見て貰えば分かりますので、どこを見ても懐かしい所ばかりなので、数だけで三万枚写しました。これから写す写真は、つらい写真ばかりになり、家を壊したり、焼いたりするのを写さなければなりませんが、これも大事な故郷のお葬式ですので、最後まで写し続けたいと思います…」

第二登(285)
「ヒマラヤの未踏峰のどれかを、誰かがはじめて登頂に成功したとする。彼、またはその隊が、登頂記録をいっさいまだ発表していないとしても、つまり、どのルートのどこに、どんな危険があるか、というような情報が、まだ何もわかっていなくても、誰かがその頂上に立った、という情報があるだけで、第二登以降ははるかに容易に頂上に立つことができるものだ。」と西堀栄三郎先生は話してくださった。

ミドルアウト(285)
ある国際会議で、アメリカのパネラーがこの問題を取り上げた。彼は、トップダウンも、ボトムアップも、それぞれ一長一短があるので、「ミドルアウト」こそ、最も良いコンセプトであると結論づけていた。つまり、商品企画を提案するのは、ある程度のキャリアをもち、現場の情報にも精通していて、問題意識を十分にもち始めたミドルが、自分の考えを、自信と情熱をもって上と下へ爆発させることが、最も有力であり価値がある。

リスク(285)
コニカのカメラ技術部長であった内田康男は当時の富岡社長から、ハネウェルのAFモジュールを技術導入する許可を得るときに言われる。「オートフォーカスを組み込んだ商品は、まだ世の中にでていない。その最初の商品は販売面でもリスクはある。経営の立場から、そのリスクを最小限にするには、そのとき会社がもっている最も強い商品に組み込むことだ。それはピッカリコニカだ。」…こうして5万ドルで技術開示を受けて、世界最初のAFカメラ、ジャスピンコニカが誕生する。




【カメラの触感】