日本のバルナック・米谷美久             2000-10-1 


■日本カメラ技術史で開発当事者である技術者の名前はあまり出てくることはない。ニコンFを設計した人がいるのだから、その人はどんな人だろうと思うが、それを知ることはできない。このように組織で設計する日本の会社風土にあって、その名が伝説的に語られる唯一の設計者がオリンパスの米谷美久ではないかと思う。ペン、ペンF、OMシリーズの開発者である。

■米谷美久こそ日本のバルナックである。バルナックであるためには、「新たなフィルム・フォーマットを創出し、それだけでなくそれに相応しいカメラのスタイリングを確立すること」を成し遂げなければならない。米谷にとって、それが「ハーフサイズ版とペンF」の機構である。ペン・シリーズは間違いなく、バルナックのカメラより大量に販売されたが、それだけではいかにも日本的な低価格・高品質設計としてしか評価されない。そこにペンFである。ペンFこそ、日本製カメラの中でどこから見てもドイツカメラの模倣のあとを残さない初めてのカメラであった。さらに言えば、その後、だれもマネをすることができなかったという意味で二重に独創的なカメラである。

■ ロータリー・シャッターはマーキュリーが先輩だが、1/500ストロボ同調のために開角度170度固定で、その代り動作速度可変という巧妙な設計はすごい。ミラー長さを短くすると必然的にファインダー光路を一旦横に導かなければならないのでペンタプリズムは使えなくなる。ハーフサイズカメラとしての小型化のために背の高いペンタプリズムを廃止したのではないが、結果として、これがぺんFのフラットな外観とレンズが向かって右側に片寄った美しいパッケージングに貢献している。軍艦部のメッキカバーを右側だけ下に長く伸ばすデザインは、無駄なものはついていないという意志を示している。


■上の写真は「ノスタルジックカメラマクロ図鑑Vol.W,ネコパブリッシング,1997年,1714円」より引用させていただいた米谷氏の近影である。小柄で穏やかな物腰はバルナックを彷彿とさせる。p.100からの[小さなカメラの大いなる歴史,オリンパスペンハリーズの全て]という題のコーナーにある。以下の文章も同書の引用である。

■ 「1933年、香川県観音寺市郊外の大野原町の醤油醸造会社の家に生まれる。幼少時から家のライカVfで写真日記を撮り、豆カメラの分解・改造に熱中。「恵まれた環境でした」とご本人の弁。早稲田大学第一理工学部を卒業、1956年にオリンパスに入社。…」 入社4年目の1959年にペンを発売、ペンFは8年目に
発売されている。