2001-10-14作成

パリ・マレ地区の3軒つながりの中古カメラ屋
 ■ 2001年5月末、パリ出張の唯一の休日の土曜日に、市内を駆け足で回った。目的はカメラ屋ではなかったが、偶然見つけました。バスティーユ広場からヴォージュ広場まで歩いて、四方を矩形のアパルトマンに囲まれた、ごくごく普段着の公園のたたずまいを見る。そのまま、地下鉄のバスティーユに戻ろうとして、大通りの逆方向を眺めた瞬間、多くの看板の中、小さいけれど、見逃せない看板を見つけた。我ながら恐るべき特徴認知機能である。
■それが、下の写真のローライの看板。通りの名は「Boulevard Beaumarchais」(ボーマルシェ大通り)です。最寄の地下鉄は「CHEMIN VERT」と言うより、地下鉄の出口の階段を上がったところがカメラ屋である。ここは数軒おきに3店のカメラ屋がならんでおり、左から「大型カメラ」「ライカ中心小型カメラ」「ローライ等の中型カメラ」という具合に種類別になっている。
■真中の小型カメラの店を覗く。かなり、ここは安い。ということで、とりあえず記念に買おうと、店に入る。その瞬間、既に店内にいた客四・五人が一斉に振り向いた。全部、日本人だった。彼らは、手持ち無沙汰な様子で、たった一人しかいない店員が、相手をしてくれるのを待っているのだ。その店員は、先客のM3を買おうというフランス人を相手にしていて、日本人など相手にしない。これらの皆さんが順に買っていったら、私の順番になったころには、めぼしいものはなくなってしまうことは、瞬時に判断できる。よって買わずに帰った。
地図 ローライの看板


(2009-1-16)追記
アンリ・カルティエ・ブレッソン伝:柏倉康夫,青土社,2007年1刷 から以下の文章を発見。

… 「マルセイユでは、わずかな給付金でなんとかやっていけた。それで楽しみながら仕事をした。私はライカを見つけたばかりで、それは私の眼の延長となり、以来いちども手放したことはない。繰りひろげられる生の一瞬を「罠にかけて」、一枚の写真に捉えようと、毎日街を緊張した気持で歩きまわった。」 
 パリのバスティーユ広場から北のラ・レピュブリック広場へのびるシュマン・ヴェール大通りの両側には、中古カメラを売買する店がずらりとならんでいる。その東側(ラ・レビュブリック広場にむかって右側) の中ほどに 「ライカ」 の専門店があり、後年ここにはカルティエ=プレッソンがよくやってきて、愛用のカメラの修理を頼んだという。そんな事実を示すように、店の奥にはガラスケースに入った一台のライカM3が飾られている。そしてそこには、かつてカルティエ=プレッソンが使ったカメラであると記されている。彼はマルセイユで最初のライカを手にしたときから亡くなるまで、写真はすべてライカで撮影したが、その間、いく台のライカを使いこなしたのであろう。




【海外旅行のための中古カメラ屋探し】