□幻想書館□
□幻想世界の都市をデザインする□
ほとんどすべてのファンタジーRPGにおいて、その世界の住人が多く住む都市がその舞台となることが多々あります。こうした場合、その都市に関する正確な知識を持つことは重要なことでしょう。都市の説明は、そこに住まう冒険者たちに生活観を持たせ、臨場感を抱かせるために必要なファクターですが、残念ながらファンタジーRPGシナリオに登場する多くの都市の説明には、いい加減なでっちあげに近い描写が多いのも事実です。その結果、ファンタジーRPGに見られる都市は、中世の人々が暮らしていた生活空間とは似ても似つかぬ現代的な感覚のそれになりがちです。そこで、古代から中世にかけての都市状況をもとにした簡易的な都市作成ガイドを作ってみました。中世的な都市のデザインの参考にしていただければ幸いです。
都市について説明していく前に、基本的な語義を決めておきます。一般的に「町」と「都市」を同義語として扱っていますが、ここでは特定の意味を持たせることにします。以下において、「小村」「町」「都市」などの語を使用した場合は、それらは表1に示している大きさと人口をもった人口集中地であることとします。表1に出てくる地域すべてを含めて表す場合は「人口集中地」の語を使用します。なお、「工業化以前」とは、西暦1500年ごろより以前、言い換えれば産業革命前の状態を意味します。
◇表1:人口集中地タイプによる人口◇
人口集中地のタイプ | 人口 | 面積(ha) |
1.小村 | 50〜 400 | 〜4 |
2.村落 | 400〜 1,000 | 4〜 |
3.町 | 1,000〜 3,000 | 10〜 |
4.小都市 | 3,000〜 10,000 | 30〜 |
5.都市 | 10,000〜100,000 | 100〜 |
6.大都市 | 100,000〜500,000 | 500〜 |
□ステップ1:気候を決める
ファンタジーRPGシナリオ中の人口集中地を設定しようとするときに、まず最初に考えなくてはならないのは、その地域の気候と地勢です。あらゆる意味において、このふたつがその地域での人口集中地の大きさと種類を決定します。つまり、都市を作ろうとするのならば、まずそれが位置する場所の気候を決めなくてはなりません。
簡略化のために、気候を下記のカテゴリーに分類します。
1.極寒気候
これは常に0℃以下の地域を表します。「工業化以前」の時代には、この気候の地域に人間の住む都市は存在しませんでしたが、貿易のために作られた「小村」だけがそのほとんど唯一といってもいい例外でしょう(人間以外の種族が作った都市となると話が違いますが……)。その「小村」も決して大きくはならず、食料供給のために他の「小都市」「都市」と接触を保っているはずです。ヴィーンランド(カナダとアメリカ合衆国北東部)への旅行の便宜を図るために作られたグリーンランドの北欧人居留地の数々は非常に短命で、人口は最大時でも数百人でした。毛皮をとるための罠猟を目的とする小村(例えば北スカンジナヴィアやロシアなどのもの)も、同様に決して大型にはならず、食料・産業製品・再植民(極寒地では死亡率、乳児死亡率が上昇します)の面で、温暖地域にある他の都市に常に依存しています。極寒地域でもっとも広がりうる文明の姿は、イヌイットや北シベリアの民族に似たものでしょう。
2.北方気候
「北方気候」でもっとも良く知られているのはスカンジナヴィアと南アラスカでしょう。そこでは植物成長に好適な期間が短く、冬は長くて厳しい。普通、「小都市」がここで見られる最大の人口集中地ですが、「都市」のカテゴリーの下の方になんとか入るものもごくたまに見られます。例えば、ストックホルムの人口は18世紀まで5万人に届きませんでした。また、中世においてスカンジナヴィアの国々の全人口は250万人を超えることは滅多にありませんでした。原始的な農耕と漁業で、「北方気候」地域で大人口を養うことは不可能だったのです(ただし、定期的に略奪を行なうヴァイキング方式であれば、奴隷と富の永続的な流入を元にして人口集中地の限界を押し上げることも可能です)。
3.温帯気候
長さが同じくらいではっきりと別れた四季を持ち、十分な植物生育期、十分な降雪がある地域です。アメリカ北部と北ヨーロッパの大部分がこのカテゴリーに入ります。「温帯気候」地域では人口集中地のすべてのタイプが存在できます。しかし、「工業化以前」の時代においては、「温帯気候」地域に「大都市」が作られたことはなかったというのが実情です。なぜならば、人口50万人の都市を維持するためには、海や河によって遠く離れた農業地域から産物を集めることはもちろん、そんな人口集中地を養う農業地域には1年に2、3回の収穫を上げられる能力が必要だったからです。
4.温和気候
長い植物生育期と低温の冬を持ち、しかも大降雪は滅多にない地域です。一年を通じて各種農作物の収穫が可能であることが多いです。このような地域の例としては、南ヨーロッパの地中海沿岸地方やアメリカ南部(南カリフォルニアがその一例)が挙げられます。すべての人口集中地が存在可能です。
5.熱帯気候
一年のほとんどが植物生育期であり、たいてい雨期と乾期(「小雨期」でしかないことが多い)に分かれる地域です。すべての人口集中地が存在可能です。「工業化以前」には、「温和気候」地域と「熱帯気候」地域にのみ「大都市」が作られました。南インド、熱帯アフリカ、そして南アメリカと東南アジアの一部が「熱帯気候」に当てはまります。
6.半乾燥気候
年の一時期に、収穫一回に十分なだけの降雨がありますが、本当に農業的な成功を収めるためには大規模な灌漑が必要な地域です。中東の大部分とアメリカ中部の乾燥地帯がこの気候のいい例です。「大都市」はこういった地域によく見られましたが、必ずといっていいほど大河や大規模の灌漑、海港と結びついていました。
7.乾燥気候
わずかに植物生育期・雨期はあるものの、その他の期間は長期の旱魃に近い状態にある地域です。こういった地域の人口集中地は「町」までのタイプに限られるのがほとんどですが、河と灌漑を伴った特殊な条件下では「都市」も存在しえます。通常、遊牧生活が「乾燥地域」での文化形態となります。
8.砂漠気候
降雨がなく、生命を養うことができない地域です。「工業化以前」の時代には「小村」すら存在しませんでした。サハラ地域、サウジアラビア、そしてその他の大砂漠がこの「砂漠気候」地域となります。
「工業化以前」の時代における気候による人口集中地の制限を、それぞれの地域の人口集中地1箇所あたりの最大人口として表2にまとめました。このステップ1では、デザインしようとする人口集中地が位置する地域の気候を決定しました。表2の制限が破られるのは非常に特殊な条件下での状況の場合のみです。表2の数値はそれぞれの地域での最大値であることにも注意してください。平均値は最大値よりもかなり下であり、歴史上この最大値まで達した都市はほんのわずかでした(「工業化以前」の時代すべてを通して、地球上にあった「大都市」は1ダース程度であったと思われます)。
◇表2:気候区分による最大人口◇
気候区分 | 最大人口 | 備考 |
1.極寒気候 | 300 | |
2.北方気候 | 20,000 | |
3.温帯気候 | 100,000 | |
4.温和気候 | 500,000 | |
5.熱帯気候 | 500,000 | |
6.半乾燥気候 | 500,000 | 大規模灌漑による |
7.乾燥気候 | 10,000 | |
8.砂漠気候 | 0 |
□ステップ2:地勢を決める
ファンタジーRPGを目的とする場合、各種の地勢は以下の大まかなカテゴリーに分類できます。
1.高山地域
非常に山がちの地域で、渓谷が散在しています。人口の大部分が渓谷に住んでいます。インカ文明、チベット文化、ネパール文化が「高山地域」での文明の例として挙げられます。
2.山岳地域
大きな山々がある地域ですが、平地などの場所も散在し、渓谷や肥沃な土地もかなり存在します。アフガニスタン、ヒンズークシ、モロッコのアトラス山脈地域、カフカス山脈地域、およびスペイン・南フランス・イタリア・ギリシャなどがその例となります。
3.平野地域
起伏して連なる丘、草地を伴った森林地域、そして大農業に適した平野地域。ヨーロッパとアメリカ大陸の大部分がこのカテゴリーに属します。
4.ステップ地域
背の高い草に覆われ、農業に適した完全に平坦な平地です。ロシアのステップ地域とアメリカ合衆国の平野がその例となります。
5.河川地域
洪水を起こすことなどによって大規模灌漑や稲作農業に十分な水を供給してくれる大河を中心とした文明地です。この大河は他のタイプの地域を通って流れていることが多いです。そういった河川の例としては、中国の黄河と揚子江、東南アジアのメコン川、インドのガンジス川とインダス川、中東のナイル川とオクソス川(現在のアムダリヤ川)とチグリス・ユーフラテス川、ヨーロッパのドナウ川、南北アメリカ大陸のミシシッピー川とアマゾン川、アフリカのコンゴ川が挙げられます。
6.沿岸地域
海に面した地域です。全体として平坦で滑らかな土地であることが多いですが、ノルウェーのフィヨルドのように起伏に富んだところや山がちなところもあります。
7.オアシス地域
本来ならば「乾燥気候」や「砂漠気候」ですが、数多くの井戸や自然の泉などによって豊富な水を供給されている地域であり、場合によっては非常に広い範囲にわたる場合もあります。アラビアのメッカやメディナが特に有名ですが、オアシス地域に作られた都市の中で最大のものはダマスカスでしょう。
これらの地勢から分類された各地域区分は、表2の気候区分と重なって存在しています。「砂漠気候」である「高山地域」(チャドのティベスティ高原、南アルジェリアのアハガル高原――ただし、雨がほとんど降らない「砂漠気候」地域でも、山々に囲まれていれば周りよりは乾燥の度合いが少なくなります)や、「乾燥気候」にある「河川地域」(エジプトのナイル川流域)、「熱帯気候」にある「河川地域」(コンゴ川やアマゾン川の流域など)を設定することも可能です。「北方気候」での「ステップ地域」はツンドラとなります。気象条件と社会レベルさえ許せばどんな地勢にでも「都市」サイズ(人口10万人)までの人口集中地は存在可能なので、地勢データの表は特に作りません。ですが、「工業化以前」の時代においては、すべての「大都市」が海岸、あるいは航行可能な河川に面していたということは重要です(ローマにはテベレ川、ロンドンにはテムズ川、パリにはセーヌ川、コンスタンティノープルにはボスポラス海峡、カイロにはナイル川、バグダッドにはチグリス川、デリーにはジャムナ川がありました)。ヒマラヤ山脈中のチベット帝国の首都ラサ、アンデス山脈中のインカ帝国の首都クスコ、乾燥地帯のダマスカス、ヒンズークシ山脈中のカズナ朝の首都カズナ、ステップ地帯のカラコルムなど、どんな地勢にも大きな都市は存在してきましたが、これらの人口集中地が「大都市」規模まで拡大していたとしても、それは「大都市」としての最低レベル(おそらく100,000〜150,000人)で、しかもしのような大人口が維持できたのは非常に豊かだったわずかな期間だけのことでしょう。
□ステップ3:文明の社会・経済レベルを決める
大きな人口集中地は他の人口集中地との協調関係を発展させているのが常でした。大きな都市は数多くの“衛星”都市を持っていました。人口が30,000から10,000人の小さな都市も、半径20〜30km以内に百ほどの“衛星”「町」「村落」「小村」を持ち、それらは都市の農業基盤の役割を果たしていました。そして、農業が大きく発展していた地域での「都市―農村人口比」(「小村」「村落」「町」に住む人口と「小都市」「都市」「大都市」に住む人口の比)はおよそ4対1でした。言い換えれば、「工業化以前」の時代では、最良の条件にあったところでは人口の80%が農村部に住み、20%が都市部に住んでいたことになります。しかし、この人口比が常に成立していたのはオリエント(極東・インド・中東)だけであり、西ヨーロッパでの人口比は9対1以上、つまり人口の90〜95%は農村部に住んでいました。このことから、ファンタジー世界を形成していく上で、重要な要素は農業の発展度ということになります。やや、強引ではありますが、文明の社会・経済レベルを以下の5種のクラスに分類します。
1.遊牧生活
例:トルクメン族、フン族、アヴァール族、モンゴル族、ベドウィン=アラブ族
遊牧生活は原始的生活手段と思われがちですが、よく調べれば、遊牧生活こそが、農業や商業都市を維持していけないほど土地生産性の低い地域にもっとも適した生活手段であることがわかります。完全な遊牧社会というものは存在せず、遊牧民は遊牧地周辺の人口集中地と相互に依存しながら暮らしていました。この人口集中地はたいてい交易の中心地となりましたが、小型の「都市」サイズ以上の規模になることは稀でした。ただし、遊牧民が連合して遊牧民帝国(モンゴル族、フン族、アラブ族など)を作った場合は正真正銘の都市ができましたが、これも数世代の間しか持ちませんでした。マホメット以後のメッカ、モンゴル帝国時代のカラコルムがその例です。それでもメッカはエジプトから紅海、ナイル運河を渡ってくる穀物に頼らなければなりませんでした。気象条件の悪い地域の遊牧社会では、長期間にわたって大きな人口集中地を維持することができなかったのです。
2.“半”遊牧生活
例:ケルト人、初期のスラヴ人、チュートン人、初期のヴァイキング族(船による“放牧”)、北米インディアン、アフリカ・バンツー族の大部分
半永久的な人口集中地に住んで農耕しますが、そこの土地が痩せてしまうと移動する生活です。一部族全体が新たな土地に移住することが多く、他の部族やより開発された土地に大掛かりな略奪をすることもあります。この種の生活での最大規模の人口集中地は、ごく少数の例外を除き小さな「都市」タイプでした。
3.原始的農業生活
例:暗黒時代(西暦500〜1000年ごろ)の西ヨーロッパ、南インド、ロシア、中世を通じての東ヨーロッパ、ニジェール川流域を中心としたガーナ・ソンガイ・マリのアフリカ=ニグロ諸王国
全住民が定住し、そのうちほとんどの者が原始的な農業(効率の悪い犂、胸がい[挽き具で肩にあたる部分]が未発明、多圃式が導入されていないなど)を営んでいます。収穫高は非常に低いです(1ブッシェルの植え付けに対して、2〜4ブッシェルの収穫、通常は人口の95%が農作業に従事しています)。
4.進歩的農業生活
例:ローマ帝国、オリエントの多くの地域、中世後期(西暦1000〜1500年)の西ヨーロッパ、ビザンチン帝国
技術的・社会的農業進歩が単位面積あたりの収穫量を増やし、同一面積の養える人口が増えたために、人口集中地のサイズ上限が上昇した社会です。
5.集約的農業生活
例:エジプト、イラク、オクサス川流域、インドのパンジャブ・ガンジス地方、揚子江・黄河の大河文明、その他の地方でもよく一時的に集約的農業生活となることがあります(特にチュニジアやシリアなどの「半乾燥気候」地域で)。
上記のような地域ではたいてい大規模灌漑が行なわれていますが、それを運営するためには中央集権化された政治機構の大きな関与が必要です。集約的農業社会は非常に微妙で、高い生産性を維持するためには巧みな管理が欠かせません。高い生産性が維持されている限り、集約的農業社会はすばらしい成果を上げることができます。例えば、エジプトではせいぜい35,000平方キロ(3,500,000ヘクタール)の農地しかありませんでしたが、その人口は4〜5百万人を保ち続けていました(つまり、農地1ヘクタールあたり1.5人。同時期のヨーロッパでは3〜10ヘクタールにつき1人でした)。集約的農業の恩恵による豊富な農産物によって、こうした地域では「大都市」を比較的簡単に維持できました。エジプトは、その歴史をほとんど通じて、人口30万人を超える「大都市」ひとつを養い続けてきました――アレクサンドリア、ローマ、そしてコンスタンティノープルはすべてエジプトの穀物に頼っていました。中世のカイロはその絶頂期には50万人もの人口を抱え、世界でももっとも大きく豊かな都市のひとつでした。中国・インド・中東が何千年もの間実践してきた集約的農業システムをヨーロッパが取り入れたのは中世の終わりごろでした。
このステップでは、作ろうとする都市が属す文明の社会・経済レベルを決めます。もし「大都市」をひとつ作ろうとするのならば、「進歩的農業生活」あるいは「集約的農業生活」を基盤とした文明が必要となるでしょう。「半遊牧生活」のヴァイキングは、「大都市」を作るのに必要な社会的・政治的・工学的技術を持っていなかったのです。表3には、文明の社会・経済レベルに関する主要なデータをまとめました。
表3の読み方の例:歴史上、「原始的農業生活」社会では都市の人口が40,000人を超えることは稀で、その規模に達した都市は少ないです。「原始的農業生活」社会では、人口の90〜95%が小さな人口集中地、つまり人口3,000人未満の人口集中地に居住していました。
◇表3:社会レベルによる最大人口◇
社会レベル | 人口集中地 最大人口 |
小型人口集中地 の割合※ |
1.遊牧生活 | 10,000 | 95% |
2.半遊牧生活 | 20,000 | 95% |
3.原始的農業生活 | 40,000 | 90〜95% |
4.進歩的農業生活 | 500,000 | 85〜95% |
5.集約的農業生活 | 500,000 | 80〜95% |
※「小村」「村落」「町」に住む人口の割合
□ステップ4:人口集中地の人口を決める
これはステップ1〜3が完了してから確定することができます。人口集中地の人口は表2と表3で示された範囲内で自由に設定してもらってかまいません。
以下に2例を挙げてみましょう。
例1:巨大な「大都市」を設定する場合
表2によれば、歴史的には「大都市」は「温帯気候」「熱帯気候」あるいは大規模灌漑を伴った「半乾燥気候」のみに存在しています。そのため、作ろうとしている都市の気候をこの3種の内どれかに設定する必要があります。一方、表3によれば文明の社会・経済レベルは「進歩的農業生活」あるいは「集約的農業生活」のどちらかでなくてはいけません。この環境及び社会的条件でのみ「大都市」は存在できたのです。
例2:ヴァイキングたちの都市を設定する場合
ヴァイキングたちの居住する地域は「北方気候」です。また社会・経済レベルは「半遊牧生活」です。このことを考慮して表2と表3を見ると、ヴァイキング型文明は人口20,000人を超える都市を持ちえず、全人口の95%程度は人口3,000人未満の小さな人口集中地に住むことが分かります(ちなみにスカンジナヴィア地方が「半遊牧生活」から「原始的農業生活」に移行したのは西暦1100年以降であり、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの“半”温帯気候地域――つまり南端部――だけに人口2万人を超える人口集中地が作られました)。つまり、ヴァイキングの掠奪集団が住むローマ規模の都市を「北方気候」地域に作ることは、歴史的に見ると地勢・経済の面から不可能ということになります。
□ステップ5:人口集中地の物理的なサイズを決める
このステップにはふたつのやり方があります。まず、すでに人口集中地の詳細と大まかな面積を決めている時。この場合は、その面積の人口集中地にどれだけの人口が相応しいかを決定する手段が必要です。一方、詳細は白紙の状態で、その人口集中地に必要な人口だけが決まっている時。この場合、それだけの人口を納められる面積を決定する手段が必要です。
まず、第一の場合を考えてみます。
歴史上、都市の物理的サイズと人口の間には、ある程度の一定した比率がありました。そして、この比率を上下させるふたつの大きな要因がありました。第一の要因は、文明の社会レベル(表3に要約しています)です。基本的に、社会レベルが高い文明ほど人口密度は高くなります。これは建築技術と社会の組織化の結果であることが多いです。建築技術が高ければ高層建築が可能(ローマやカイロの建物は4〜5階建てでした)となりますし、食糧や水などの必需品は社会が組織化されればされるほど効果的に都市にもたらされるので、大人口が存在できるのです。第二の要因は、庭園・宮殿・大寺院などの公開地が都市に占める面積です。
まず最初に都市の面積を測らなくてはなりませんが、これは簡単な幾何学でできます。1,000m*1,000mの完全な正方形をした境界線をもつ「ゾリャブルク」市を例として仮定します。市の面積は1,000,000平方mとなります。しかし、歴史では都市の面積にヘクタール(ha)を使用することが多いです。1ha=10,000平方mです。「ゾリャブルク」市の面積は、1,000,000を10,000で割って、100haとなります。さて、100haの「ゾリャブルク」市にはどれだけの人口が居住可能となるでしょうか? まず、「ゾリャブルク」市の属する文明の社会レベルを決めなくてはいけません。「ゾリャブルク」市は巨大なメトロポリスなので、「集約的農業生活」レベル(表3の5.)にあるとします。ここまで決まったら、表4を参照します。
表4を使用するにあたっては、その都市の人口密度が「疎」「並」「密」のどれに当たるかを決める必要があります。これはやや適当な区分方法ではありますが、以下の条件を基準とします。
(1)近時に劇的な人口減少――疫病や飢饉、攻囲/征服が近い過去にあれば、人口は低い区分に入ります。
(2)市壁内部に広い庭園があったり、競技場、教会、演習場などの公開場があれば人口は低い区分に入ります。
(3)支配者の巨大な宮殿や巨大軍事施設があるか、あるいは富裕階級の別荘が多くある場合、人口は低い区分に入ります。
(4)住民のほとんどが4階建て以上の建築物に住んでいる(「進歩的農業生活」あるいは「集約的農業生活」社会のみで可能)なら、人口はひとつ上の区分に入ります。
(5)人口の大部分が非常に密集状態で惨めに暮らしているのなら、人口はひとつ上の区分に入ります。
一般的にいって、(2)か(3)の施設が都市面積に占める割合が25%未満であればその都市は「密」であり、25〜35%なら「並」、35%を超えるなら「疎」となります。さらに(1)の条件が当てはまれば、さらに1ランク落ちます。
州都「ゾリャブルク」市は面積の25〜35%が寺院・宮殿・軍事施設に占められていますので「並」の区分に入ります。「集約的農業生活」と並みの人口密度から、1haあたり150人の数字が得られるので、面積100haの「ゾリャブルク」市の人口は15,000人となり、「都市」(表1の5.)の下位に位置することとなります。
次は、都市の設計はしていませんが必要な人口だけが分かっている場合ですが、次のようにだいたいの面積を決めればいいでしょう。最初に社会レベル(表3)を決めて、次に前のように過密の度合いを決めます。最後に表4で1haあたりの人口密度を参照してそれで予定の人口を割れば、都市の面積(ha)が出ます。
例として人口20,000人の「ウィリアムスプリング」市を作成してみましょう。「ウィリアムスプリング」市は「原始的農業生活」社会です。この市の面積は人口密度が「疎」であれば266ha(20,000/75)、「並」なら200ha、「密」なら160haとなります。
表4は、存在可能な最大人口密度を表しているもので、これを超える人口集約地を作るとバランスがおかしくなりますが、下回ることはあり得ます。例えば、西暦1453年にコンスタンティノープルがオスマン=トルコに占領された時の都市人口は約4万人でしたが、市壁はこの都市が最大約50万人の頃とまったく同じでした。市の大部分は廃墟となっており、多くの建物は打ち捨てられ、人々は市壁の中の土地を耕作していたのです。
◇表4:社会レベル別の人口密度◇
社会レベル | 疎 | 並 | 密 |
1.遊牧生活 | 50 | 60 | 75 |
2.半遊牧生活 | 50 | 65 | 80 |
3.原始的農業生活 | 70 | 85 | 100 |
4.進歩的農業生活 | 100 | 125 | 150 |
5.集約的農業生活 | 100 | 150 | 200 |
□ステップ6:階級構成を決める
人口集中地の大きさと人口が決まれば、階級構成と人口の内訳を計算することになります。表5は財産による階級の都市人口に占める割合の概要となります。
「富裕階級」に属する者が費やすのは収入の10〜33%、「中流階級」は20〜50%、「下層階級」は60〜80%で、「極貧階級」は常に飢えています。
表6は職業による人口の内訳です。これと表5はいずれも大きな人口集中地(「小都市」以上)にのみ当てはまります。小型の人口集約地では人口の80%ほどが農業に関わります。
また、数値は概算値であり、実際のパーセンテージは大きく変動することもあり得ます。さらに、表6は全労働人口に関してのものです。中世の人口集中地人口のうち約50%は被扶養者(子供・病人・老人)でした。
註:表5、表6の「極貧」は、「はっきりとした生活手段を持たない者」のことです。これには孤老・孤児・狂人などの他に乞食・泥棒なども含まれます。
表5と表6の使用方法の参考として、先の「ゾリャブルク」市を例にしてみましょう。「ゾリャブルク」市の全人口は15,000人です。この中の7,500人は被扶養者であり、計算に入れないので7,500人が「労働力」として残ります。その実数は次の通りとなります。
・貴族:75人(夫人、17歳以上の子供・縁者などを含む。おそらく5〜10家族くらいでしょう)
・聖職者:400人
・専門職:400人(小規模小売商人も含む。大商人は10〜20%ほどで、5〜10の「一族」あるいは家族を形成しています)
・職人:600人(20〜50人からなるギルドに分かれます)
・兵士:500人(政府に属する兵士のみ。使用人階級の多くが主人の私兵の役割も果たしていました)
・使用人:1,725人
・農業従事者:1,500人
・肉体労働者:2,000人
・極貧者:1,000人
極貧者1,000人のうち25%〜50%はこの市における犯罪要素です。つまり300〜500人の犯罪者がいることになります。大部分はコソ泥なので、多くが公的な牢獄に入っていることでしょう。
人口は主従関係――誰かから直接に奉仕されているか――によっても分類できます。表7は、上層階級の人間がどれだけの人間から直接に奉仕されているかを表にしたものです。「貴族」の従者に兵士は含まれていません。また「貴族」の欄は最低値とお考えください。「聖職者」と「民間人」の欄は最大値となります。
表5〜7は人口集中地でどれだけの人間が何をしているかを細かく決める際に使ってください。キャンペーンの中核とならない人口集中地には必要ないものですが、キャラクターの行動がひとつの都市を中心になされる場合は役に立つかもしれません。例えばキャラクターたちが胡散臭い事件に巻き込まれた(あるいは自主的に参加した)ときに、都市の規模に応じた犯罪組織の大きさが概算できるでしょう。また、さまざまな人が抱える従者の概算も割り出せるでしょう。
例として、「ゾリャブルク」市を巡る冒険の中で、キャラクターたちが邪教「牙の教会」教団に関わった場合、以下のデータを決めることができます。「ゾリャブルク」市の人口は15,000人、そして宗教関係者の占める割合は3%から7%の間です。まず、人口の50%は被扶養者(子供・老人)であり、それを差し引いた7,500人の3〜7%、225〜500人が市内にいる聖職者の男女です。ここで「ゾリャブルク」市にどれだけの教団があるかを決め、その力関係に応じてこの数を配分する必要があります。その結果、「牙の教会」教団に仕える聖職者の数は200人となりました。それからその数を「ゾリャブルク」市内にある多くの修道院や寺院に分け、それぞれに使用する使用人/従者の数を加えます。ここの寺院(聖堂)はその運営に20〜50人が必要(表7)で、その内半数は聖職者、半数は使用人ですから、「牙の教会」の聖職者200人を以下のように分けます。
・高僧(司教)のいる大寺院に聖職者75人と使用人75人。
・大修道院に聖職者50人と使用人50人。
・3小寺院にそれぞれ聖職者25人と使用人25人
計200人の聖職者と200人の使用人が「ゾリャブルク」市にいます。
かくして、「牙の教会」教団の規模、使用人の人数(そのうち25%は武装して護衛の役割も果たす)、信仰の場所と数とそれぞれの陣容を決めることができました。これは「ゾリャブルク」市の実際の人口に即したもので、単なる思い付きにするものではありません。
「工業化以前」の経済では、人口が15,000人の都市で225〜500人を越える聖職者を維持することはできませんでした。このようにして、表5〜7のデータと少しの想像力があれば、ファンタジーRPG社会のそれぞれの階級の人口概数をはじき出すことができるでしょう。
都市の規模と人口増減について、大まかに把握できるように歴史上のいくつかの中世期における人口を表8にまとめました。推定人口は各歴史書によってばらばらであり、どれも正確とはいい難いですが、おおざっぱな参考にはなるでしょう。
註:西暦110年以前のヨーロッパには人口2万人を超えるキリスト教徒の都市は存在しなかったと思われます。ローマ衰亡後のキリスト教ヨーロッパ諸国の中で最初に人口10万人に達した都市は1300年頃のパリです。
◇表5:階級別の人口割合◇
階級 | 全人口中に占める割合 |
富裕階級 | 2〜3% |
中流階級 | 10〜20% |
下層階級 | 50〜65% |
極貧階級 | 10〜25% |
◇表6:職業別の人口割合◇
職業 | 人口に占める割合 |
貴族 | 0.5〜1% |
聖職者 | 3〜7% |
専門職※ | 3〜5% |
商人 | 3〜7% |
職人 | 5〜10% |
兵士 | 4〜7% |
使用人 | 15〜20% |
農業従事者 | 15〜25% |
肉体労働者 | 20〜35% |
極貧者 | 10〜25% |
※法律家・医師・書記・教師など
◇表7:従者
職業 | 従者の数 | |
貴族 | 王(King) | 200〜500※1 |
公爵(Duke) | 30〜50 | |
伯爵(Count/Earl) | 10〜30 | |
男爵(Baron) | 5〜15 | |
聖職者 | 司教(Bishop) | 40〜200※2 |
聖堂(Cathedral) | 20〜50 | |
修道院(Monastery) | 20〜100 | |
民間人 | 商人 | 5〜50 |
ギルド組合員 | 1〜10 | |
大農場主 | 1〜10 | |
専門職 | 1〜5 |
※1.王の地位によって大きく異なる。イスラムの王の中には大宮殿の中に5万人もの使用人を従えていた者もいました。
※2.「聖職者」に仕える者の30〜60%は実際の聖職者であり、残りはその他の使用人となります。
◇表8:歴史上の人口(推定人口)◇
都市 | 西暦 | 推定人口 |
アーヘン | 810頃 | 10,000 |
〜15,000 | ||
フローレンス (疫病後) |
1200 | 20,000 |
1300 | 95,000 | |
1400 | 55,000 | |
ローマ | 100 | 500,000 |
500 | 50,000? | |
1300 | 40,000 | |
1400 | 50,000 | |
ロンドン | 1200 | 15,000 |
1300 | 30,000 | |
1400 | 60,000 | |
コンスタンティノープル | 500 | 500,000 |
750 | 70,000 | |
1000 | 300,000 | |
バグダッド | 800 | 500,000+ |
1100 | 100,000 | |
カイロ/フスタット(古いカイロ) | 1000 | 200,000 |
1180 | 300,000 | |
1300 | 500,000 |
以上の6段階の基本ステップを踏まえてデザインすれば、ある程度は現実的で、ちゃんと歴史的に整合性の取れた機能的な都市が作ることができると思います。ゲームマスターをする上での都市デザインの参考になれば幸いです。
<参考文献>
・『高等世界史精図』 鈴木成高、守屋美都雄(帝国書院)
・『世界史年表・地図』 亀井高孝、三上次男、林健太郎、堀米庸三(吉川弘文館)
・『図解地図で見るイギリスの歴史―大航海時代から産業革命まで』 ブラック・ジェレミー(原書房)
・『図説都市の歴史1〜4』 川添登、木村尚三郎監訳(東京書籍)
・『中世後期イタリアの商業と都市』 斉藤寛海(知泉書館)
・『中世への旅 都市と庶民』 ハインリヒ・プレティヒャ著、関楠生訳(白水社)
・『中世ヨーロッパの都市世界』 河原温(山川出版社)
・『中世ヨーロッパの農村生活』 ジョセフ・ギース/フランシス・ギース著、青島淑子訳(講談社学術文庫)
・『中世ヨーロッパ都市の生活』 ジョセフ・ギース/フランシス・ギース著、青島淑子訳(講談社学術文庫)
・『中世ヨーロッパを生きる』 甚野尚志、堀越宏一編集(東京大学出版会)
・『中世ヨーロッパの農村社会』 堀越宏一(山川出版社)
・『都市を読む・イタリア』 陣内秀信(法政大学出版局)
・『民族の世界地図』 21世紀研究会編(文春新書)
・『ヨーロッパの集落デザイン』 井上裕、井上浩子(グラフィック社)