□幻想書館□
□中世日本の年中行事□
中古から中世にかけての日本の行事は主に中国から渡ってきた儀式・行事をベースに古代からの日本独自の思想と組み合わさり独自の進化を遂げていきました。
今回は、そうした中世日本の宮廷行事を中心とした年中行事をご紹介しようと思います。
□春季の行事 (1〜3月)
・四方拝 (元日)
元旦の朝(寅の刻:午前4時ころ)、天皇が清涼殿の東庭で、天地四方・山陵の祖先の神霊に拝礼し、天災を祓い、天下泰平を祈る儀式。
・朝拝 (元日)
元旦の朝、皇太子以下の諸官が、大極殿で天皇に新年の賀を申し上げる儀式。朝賀ともいいます。後に小朝拝に統合されます。
・小朝拝 (元日)
朝拝の後、清涼殿の東庭で行われた、諸臣の天皇に対する拝賀。
・元旦節会 (元日)
元日の午後、豊楽院(後に紫宸殿)で宴が開かれました。
・歯固 (元日〜3日)
この歯とは齢の意味で、齢をかためる――年を重ねるの意だったようです。正月の三が日に、長生と健康を願い、イノシシ、シカ、押しアユ、大根、ウリなどを食べたようです。
・朝覲行幸 (1月2日)
大体この日に行われます。天皇が院や皇太后、つまり自分の親に新年の挨拶をしに行くことです。
・叙位 (5日ごろ)
天皇が自ら位を授ける儀式で、1月5日または6日に行われます。ただし、この儀式は五位以上が対象です。六位以下は大臣たちの相談によって、天皇の意思とはほとんど関わりなく授けられます。
・望粥節句 (1月5日)
もちがゆの節句。小豆粥を食べ健康を願う節句。後に音から餅入りの雑煮を食べるようになります。
・白馬節会 (1月7日)
あおうまのせちえ、と読みます。邪気を祓うという青馬(濃い黒毛の馬)を、左右の馬寮より21馬、豊楽院または紫宸殿の前庭に引き出して、天皇のご覧に入れる。その後は宴会となります。後に白馬を使うようになり、表記だけが変わりますが、読みはそのまま残りました。
青馬を使うのは、陰陽思想では馬は陽であり、五行思想において青は春に通じるとされていたことから。
・人日 (1月7日)
じんじつ。七種(七草)の節句ともいいます。春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れた粥を食べ、万病除けとしました。
・除目 (1月11〜13日)
県召除目(あがためしのじもく)または、春の除目ともいいます。地方官である国司の任命が行われました。国司職は、その派遣される国の格によって、ランクや収入に差が大きいため、中級貴族はこの結果に一喜一憂したようです。除目の名は、前官を除き、新しい者を目する(任命する)ことを示します。また秋には、司召除目が行われます。
・踏歌節会 (1月14〜16日)
14日(15日)に男踏歌。16日に女踏歌。催馬楽(さいばら)などを歌い、足を踏み鳴らすように舞いながら巡回する行事です。催馬楽とは、奈良時代の民謡で、平安時代に雅楽楽器の伴奏歌曲として作曲されました。打楽器を用いませんが、第一歌手が笏拍子を叩いて拍子をとります。
・子日遊 (最初の子の日)
小松引き、子忌みとも。野山に出かけて、小松の枝を引きながら、若菜摘みなどをして遊宴しました。松は長寿の象徴でもあり、長生と健康を願う儀式でもあったようです。
・左義長 (1月15日)
さぎちょう。三毬杖とも。毬杖(ぎじょう)を三つ作るところからこう呼ばれます。正月15日・18日の朝に行われた厄払いの儀式です。宮廷では清涼殿の庭上に青竹を三本束ねて立て、これに扇子、短冊、天皇の書初めなどを結びつけて、陰陽師などが歌い囃してこれを焼きました。
民間でも書初めや門松、注連縄など焼き、それで焼いた餅を食べれば年中の病を除くとされました。後世のどんど焼きです。
・射礼 (1月17日)
じゃらい。建礼門前で、親王以下五位以上の者、および六衛府の者たちに行われた弓術の公事。
・賭弓 (1月18日)
のりゆみ。弓場殿で、左右の近衛府・兵衛府の舎人たちが、天皇の前で弓術の腕を競い合う行事。観客たちは賭けの名のとおり、どちらが勝つかを賭けたようです。勝ち方の大将は自邸において宴を設け、射手をねぎらいました。これを還饗(かえりあるじ)あるいは還立(かえりだち)といいます。
・内宴 (1月20〜23日のうちの子の日)
仁寿殿で催される宮中のうちうちの宴会。私宴とはいえ、大臣たちも参加するクラスの宴会で、管弦の楽を奏で、参会者は題を与えられて詩歌を作りました。
・卯杖・卯槌 (最初の卯の日)
正月の最初の卯の日に、卯杖や卯槌を献上したり、贈り物にする習慣です。
もとは古代中国の魔除けの風習であり、卯杖は柊や棗、桃、椿、梅などを材料にしてつくった長さ5尺3寸(約160cm)ほどの木の棒で、室内の壁などに面して置かれたようです。また、卯槌とは桃の木と五色の紐でつくったお守りのことです。四角柱状に切った桃の木の中心部に五色の組糸10筋を通してつくったもので、室内の柱にかけたり、腰につけたりすることで、災いを避けることができると考えられていました。
後世では初卯の日となり、大阪の住吉神社、江戸亀戸の妙義神社に参拝して、卯の札を受ける習わしへ変わっていきます。
・越年祭 (2月4日)
としごいのまつり。祈年祭とも。天候の順調、五穀豊穣を祈るために神祇官や国司の庁で行われた諸神を祭る儀式。これに新嘗祭と季夏、季冬の月次祭を合わせて、「四箇祭」といいます。官祭の中でも特に重要なもののひとつです。
・涅槃会 (2月15日)
ねはんのえ。常楽会、涅槃忌、涅槃講などとも呼ばれます。釈迦の入滅を追悼して行う法会。
・初午 (最初の午の日)
各地の稲荷社で祭りが行われます。二の午、三の午なども行われました。
・釈奠 (最初の丁の日)
せきてん。孔子を祭る儀式。日本でも唐の制度にならって、二月と八月の最初の丁の日に行いました。文武天皇の大宝元年(701年)二月、大学寮で行われたのが始まり。応仁の乱で中絶しましたが、江戸時代に入り儒学の振興にともなって再興しました。
・春日祭 (最初の申の日)
奈良の春日大社の祭り。有力貴族である藤原氏の氏神であり、摂関家を含めた各藤原氏が春日詣を行いました。また天皇もたびたび御幸を行っています。貞観元年(859年)より2月と11月の両季に行うようになります。
・直物除目 (不定期)
なおしもののじもく。正月に行った県召除目の補正を行ったりします。
・季の御読経 (不定期)
きのみどきょう。春と秋で二回行われます。2月と8月、または3月と9月に紫宸殿にて『大般若経』を講じます。この時は百名を超える僧侶が招聘されます。後世、大貴族が個々に行うようになります。
・曲水宴 (3月3日)
ごくすいのえん、あるいはきょくすいのえん。上巳の節句に行われた行事。元は中国の厄払いでしたが、遊びの行事になりました。参加者は庭の小流に沿って所々に席を作り、上流から流した杯が前を通り過ぎないうちに詩歌を詠じ、すぐさま杯を取り上げて酒を飲みます。後で別堂に宴を設けて、各人の作を披露しあいます。
・上巳の節句 (最初の巳の日)
川辺で宴を行い、人形を流すことによって身についた厄を祓いました。後に人形を流すことを止め、飾りつけるようになり弥生の節句、つまり雛祭りに変わっていきます。
・御灯 (3月3日)
3月と9月の3日に北斗星に燈火を奉ります。
・石清水八幡宮臨時祭 (二度目の午の日)
石清水八幡宮の祭礼で、八月の放生会(ほうじょうえ)に対して臨時祭といいます。賀茂神社の祭りを「北祭」と呼ぶのに対して、「南祭」と呼ばれました。
なお、この祭りで奉納される歌舞は、二月中にその楽人や舞人などの選定を行い、祭りに先立つ30日前に楽所の場所を取り決めて練習を行いました。これを調楽といいます。さらに祭りの前日ないし二日前、辰か巳の日に練習した歌舞の出来映えを検するために、試楽が清涼殿の東庭で行われました。
□夏季の行事 (4〜6月)
・更衣 (4月1日)
ころもがえ。4月と10月の年二回行われる。四月はこれまでの冬装束を夏物に替え、室内の几帳や壁代などの調度類も全て夏用に改めます。10月は反対に冬物に替えます。
・孟夏旬 (4月1日)
もうかのじゅん。もとは、毎月1、11、21日に天皇が紫宸殿に出御して政事をみた後、群臣に宴を賜うことが行われていました(旬儀)。しかし、平安前期には衰退し、10世紀には4月1日、10月1日の年2回のみとなり、天皇の出御がない場合も増えます。
出御がない場合は、「平座」といい。平座の時は、公卿は紫宸殿ではなく、宜陽殿に入り宴を行いました。
・灌仏会 (4月8日)
釈迦の誕生を祝って行う法会です。釈迦誕生のときに、天から竜が下って甘露を注いだという故事にちなんで、釈迦像に五色の水を注ぎます。仏生会(ぶっしょうえ)、花祭ともいいます。
・斎院御禊 (二番目の午、または未の日)
さいいんのごけい。賀茂祭に先立って、賀茂の斎院が賀茂川で行う禊(みそぎ)。禊というのは川の水などで身を洗い清めて身のけがれとか罪を洗い流すことを言います。
・賀茂祭 (二番目の酉の日)
京都の賀茂神社の例祭。当日は、冠や中車、門などを葵で飾ったことから、葵祭りともいいます。また、石清水八幡宮の臨時祭を「南祭」といったのに対して、「北祭」ともいいました。単に「祭」と言った際は、この賀茂祭を指します。
・端午節会 (5月5日)
五節会・五節句のひとつ。の邪気を祓うために、屋根に菖蒲を葺き、冠にも菖蒲をつけ、また薬玉を飾ったりしました。宮中では、天皇に菖蒲を献上し、天皇からは薬玉を賜り、宴を行いました。その後、騎射や競馬をご覧になります。この節会は、「午」と「五」の音が通じることから、5日に固定されるようになります。
・賀茂競馬 (5月5日)
上賀茂神社の年中行事として行われた競馬。騎手20人を左右に分け、左は赤袍、右は黒袍を着て競争します。
・騎射 (5月5、6日)
5日に左近衛府の、6日に右近衛府の馬場で、騎射を行います。これが今日に伝わる流鏑馬へとなっていきます。
・神今食 (6月11日)
じんこんじき、じんこじき、または、かむいまけ、とも。祈念のために本来は月ごとに奉る祭幣を、6月、12月の二季に諸社に奉幣し、国家の安泰、五穀豊穣を祈願した。これを月次祭(つきなみのまつり)といいます。その夜に、この神今食が行われました。
この祭りは、祖神である天照大神を神嘉殿に請じ、天皇自ら火を改めて新たに炊いだ飯を神に供え、また天皇自らも食します。この神事の模様は、新嘗祭と同様ですが、それとは異なり、その年の新穀を用いない点が違います。
・祇園会 (6月14日)
祇園祭ともいいます。京都の祇園社(八坂神社)の例祭です。
・大祓 (6月30日)
半年間の穢れを祓う儀式。六月祓(みなつきばらえ)・名越祓(なごしのはらえ)・夏祓(なつばらえ)ともいいます。また、この日、宮中では天皇、中宮、皇太子の背丈に合わせて竹を折って穢れを祓う「節折(よおり)」という儀式が行われました。
□秋季の行事 (7〜9月)
・乞巧奠 (7月7日)
きこうでん。五節会のひとつ。七夕のことで、牽牛星・織女星を祭り、裁縫・書道・音楽・詩歌などの技芸の上達を祈りました。宮中では、清涼殿の東庭で供物をして、詩歌の宴が催されました。
・盂蘭盆会 (7月15日)
うらぼんえ。飲食物を供え、祖先の霊を供養する行事です。釈迦の弟子、目連の死んだ母が餓鬼道に落ち、倒懸という逆さ釣りの刑罰を受けていたのを、夢で知った目連が釈迦の教えに従い百味飲食の供養を行い、その境遇から救ったという故事によります。
・相撲節会 (7月26〜28日)
近衛府によって全国から集められた力士たちが、右方と左方に別れ、天皇の前で相撲を取る行事です。
・石清水放生会 (8月15日)
ほうじょうえ。石清水八幡宮の例祭。山土に鳥を放ち、川に鯉を放って功徳します。
・中秋観月 (8月15日)
8月15日夜の満月(望月)を鑑賞して、管弦の宴を催しました。
・御灯 (9月3日)
3月と9月の3日に北斗星に燈火を奉ります。
・重陽 (9月9日)
ちょうよう。菊の節句ともいいます。宮中では、紫宸殿に群臣を集めて菊酒を賜り、博士や文人から詩歌献上が行われました。また、「着綿(きせわた)」といって、前夜菊に綿を被せておき、露を含んだ綿で体を拭いて、延命を願うということが一般に行われました。
・神嘗祭 (9月16、17日)
かんなめまつり。天皇が、その年の新しい穀物で作った神酒と神饌とを伊勢神宮に奉じる祭りです。
・除目 (不定期)
司召除目(つかさめしのじもく)、または秋の除目ともいいます。京官を任命する儀式。
□冬季の行事 (10〜12月)
・更衣 (10月1日)
ころもがえ。衣装や調度を冬物に改めます。
・残菊の宴 (10月5日)
まだ咲き残っている菊を愛でて去りゆく秋を惜しむ宴を催しました。
・維摩会 (10月10〜16日)
藤原氏の氏寺である興福寺で、16日の藤原鎌足の忌日まで『維摩経』を唱えて供養します。
・玄猪 (最初の亥の日)
万病を除くために、大豆・小豆などの粉で作った亥子餅を食べる行事です。
・五節 (二番目の丑・寅・卯・辰の4日間)
国司・公卿の娘の中から選ばれた4人の舞姫(なお大嘗祭の時は5人)が宮中に召され、五節の舞を舞うのを天皇がご覧になられる儀式。なお、舞姫は丑の日に参内し、その夜に「御前の試み」があり、卯の日には舞姫に付き従う少女たちの「五節の童女御覧」がありました。寅・辰の両日には「殿上の淵酔(すいえん)」が行われ、いよいよ辰の日、豊明節会において、五節の舞が舞われました。
・新嘗祭 (二番目の卯の日)
にいなめのまつり。天皇が神嘉殿でその年の新穀を神に供える儀式です。特に天皇が即位した年に行われるものを、大嘗祭(おおなめのまつり、だいじょうさい)といいます。
・豊明節会 (二番目の辰の日)
天皇が豊楽院、または紫宸殿で新穀を食べ、皇太子以下の群臣に宴を賜ります。この時に五節の舞が舞われます。
・賀茂臨時祭 (最期の酉の日)
賀茂神社の祭礼。4月の賀茂祭りに対して臨時祭といいます。
祭りに先立つ30日前に調楽を定め、試楽などを行うのは、石清水臨時祭と同じです。当日は楽や走馬などの奉納が行われます。即日に上社より引き上げ、禁中に戻ってから還立の御神楽が行われました。
・御仏名 (12月19〜21日)
年の暮れにあたり三夜にわたって、過去・現在・未来の三世の仏の名号を唱えて、一年間の罪障を懺悔消滅させるために行う法会です。
・内侍所御神楽 (不定期)
宮中の温明殿の内侍所で12月中の吉日を選んで神楽が行われました。最初は隔年で行われていましたが、やがて毎年行われるようになります。
・荷前の使 (不定期)
のさきのつかい。吉日を選び、諸国から献上された初穂を、天皇の祖先や父母の陵墓に奉る使いを送ります。
・追儺 (晦日)
ついな。悪鬼を追い払うための行事で、鬼やらいともいいます。舎人の扮した厄病の鬼を方相氏や童子たちが桃の弓や葦の矢で追い払います。後に節分の行事となります。
・大祓 (晦日)
おおはらえ。百官が朱雀門の前に集まり、中臣氏・占部氏の祝詞で、一年の穢れを祓います。
<参考文献>
・『新編国語便覧』(東京書籍:監修 久保田淳、吉田凞生)
・『新明解古語辞典(第二版)』(三省堂:監修 金田一京助)
・『有職故実』(講談社学術文庫:石村定吉)