□幻想書館□


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□メガテニストに関する一考察□

 本稿において、本書とは、井上順孝著『若者と現代宗教 ―失われた座標軸』1999年筑摩書房を指すものとする。

 本書の中で、井上順孝は、伝統宗教は風化してゆくがその宗教がもっていた信仰の形であるとか神話であるとかといった情報のみが一人歩きしてゆく現象を論じている。
私は5年程前からインターネットを頻繁に利用して情報を収集するようになった。宗教団体のホームページを見て回る事も多い。しかし、特に目に付くのは、信仰から離れて宗教情報のみを専門に扱い、データベースを公開しているサイトの多さである。神話・呪術・社寺などが多い。それらのサイトには極稀であるがかなり専門職、顔負けの情報を掲載しているサイトもある。ここに「専門知の逆転現象」を見る事ができる。そのようなサイトの中の神話関連サイトの掲示板に書き込みをする等して参加してみると、参加者の多くは、10代後半から30代中盤にかけての人々であると思われた。

 サイトによっては、「投稿によって神話事典をつくりあげよう」という主旨サイトも見受けられる。掲示板には「インド神話の宗教ページを作りました」というような紹介から「八幡神について教えて下さい」「天使についての情報求む」といったような情報を求めるものまでさまざまである。ここで紹介されたページを巡ってみると、ホームページをつくったきっかけがゲームの登場人物に関して調べた事がきっかけとなって興味を抱くようになったケースが少なくない事がわかった。また、事典の投稿執筆者紹介欄を見ると、同様であり、「自分はメガテニストである。」「メガテン」という言葉が多く見られた。
 「メガテン」とは、「女神転生」というコンピューターゲームの略である。その愛好者は「メガテニスト」と呼ばれる。このゲームはいわゆるファミコン時代からあるが、もっとも愛好され、後の基盤となっているのが、1992年に(株)アトラスより発売された『真・女神転生』シリーズである。このゲームの最大の特徴は、ゲーム中に登場するモンスター(ゲーム中では敵を「悪魔」味方を「仲魔」と呼ばれるが、この本稿ではモンスターに統一する。)のほとんどが、実際の神話や伝説に典拠を求める事ができると言う点でる。
  主な舞台は、そのモンスター達が跳梁跋扈する東京である。そこで「メシア教」と呼ばれる教団は「カテドラル」を建設し、「千年王国」建国することを目標に活動している。対して「千年王国」建国を阻止する集団(「ガイア教」)がある。その二者を中心としてモンスターや人々は「神々の黄昏」のような戦争を繰り広げるのである。主人公は各自の判断でどちらの道も選ぶ事ができる。そして「黙示録」の時代は訪れ、「ハルマゲドン」が行なわれ、最終的に「審判の日」が訪れる。(以上は『真・女神転生RPG 世紀末サバイバルガイド』(1994年 株)アスペクト)の「世界概論」から筆者が要約した。)ここまで書いただけでも、通常の生活では耳にしない宗教あるいは神話の用語が出ている。このゲームをプレイした人間は、特にやりこんだ人間は、嫌でも神話や伝説に登場する神々やこのような用語の名前に接し、覚えてゆくのである。また、メガテニストたちは、その典拠を実際にあたってゆくと言う行動も起こす。このゲームのキャラクターデザインを担当した金子一馬は、『金子一馬グラフィックス 女神転生黙示録』(1999年 アトラス)のインタビューの中で、「そうですね。今でこそ、幻想世界がどうのファンタジーがどこうの・・・・・という本が出ているけれど、ゲームでそういうネタが扱われるようになって、ようやく定着してきたものでしょう。僕がこの仕事を始めた当時は北欧神話なんて普通の人は知らなかった。バルタン星人ならば知っているけれどね。そういう時代の中で、馴染みのない神話や宗教からネタを引っ張って来なければならなかったんです。なんとか形にしなけりゃならない、と躍起になってた。ただ、当時はインド系神話ならインド人を描いてりゃいいんじゃないの、で通用したんです。インド系の天女とかなら、インドの女の人を描いて、浮かせれば、それらしく見えちゃう。でもね、ロールプレイングゲームとかファンタジーゲームのおかげで、そういった情報が広まって、みんな詳しくなった。だからそうした情報とは違うところを徐々に攻めてみようと思っているんです。」と述べている。メガテニスト達が情報を収集し、詳しくなってゆく事は金子一馬の指摘通りであるが、どのようにして情報を集めてゆくのであろうか。インターネットは勿論であるが、『真・女神転生RPG 世紀末サバイバルガイド』(1994年 株)アスペクト)には、参考文献が挙げられている。それを見ると『新共同訳聖書(旧約聖書続編つき)』(日本聖書協会)『聖書偽外典』(教文館)『コーラン』(中央公論社)『エジプトの神話』(青土社)『ヒンドゥーの神々』(せりか書房)『エッダ』(新潮社)『北欧神話』(東京書籍)『道教の神々』(平河出版社)『古事記』(角川文庫)『日本書紀』(平凡社東洋文庫)『神社祭神事典』(展望社)『ラヴクラフト全集』(東京創元文庫)『法の書』(国書刊行会)『魔術の歴史』(筑摩書房)『妖術師・秘術師・錬金術の博物館』(法政大学出版局)『高等魔術の教理と祭儀』(人文書院)『シャマニズム』(三省堂)『悠久なる魔術』(新紀元社)『ムーンチャイルド』(東京創元社文庫)などが目につく。本の内容の質は別として、これだけの本を全て読破したとすれば、相当の知識がつくはずである。そして、その中から「千年王国」「神々の黄昏」「ハルマゲドン」「カテドラル」などの用語を解釈し、知識としてゆくのである。問題点としては、そのベースに宗教や学問、信仰ではなく、ゲームが存在するという点である。
 次にゲーム中に登場するモンスターの代表的なものを挙げてみる。ヴィシュヌ、インドラ、フドウミョウオウ、オーディン、ラクシュミ、キクリヒメ、サラスバティ、クシナダヒメ、アメノウズメ、シヴァ、マハカーラ、ビシャモンテン、タケミカヅチ、タケミナカタ、オオモノヌシ、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ケルプ、アナンタ、カーリー、マーラ、バエル、ダゴン、クーフーリン、アスタロト、スルト、ドウマン、アスラオウ、この全てに対し適切な解説を加えることをどれだけの人間ができるだろうか。一般的な「メガテニスト」ならば、いとも簡単に答えられるに違い無い。この中には、実際に現代においても信仰の対象となっているものが少なからず含まれる。この信仰の対象に関する情報をウルトラマンブームの頃の怪獣のデータであるとか、ガンダムブームの頃のモビルスーツと呼ばれるロボットの情報と同列にしか認識していない。この是非を問う事はこの本稿の目的では無い。言える事は、「メガテニスト」達は「断片的な知をランダムに受け入れ」ており、「宗教に関する知識面での『不安定な構造』」にある可能性がある、と言う事である。今回は「メガテニスト」を中心に述べたが、最近、宗教用語が頻繁に漫画やアニメに登場するようになった。数年前に大流行した『新世紀エヴァンゲリオン』がその最たる例であり、「アダム」「リリス」「ロンギヌスの槍」「ドグマ」「死海文書」などの語が溢れていた。これらの語の元の意味をどれだけ知っていかがファンの間で一種のステータスにもなっていた。なかでも「死海文書」にはストーリーの謎をとく鍵があるとされ、関連書籍が書店に平積みにされた。現在は古書店に多く出回っている。

 このような情報は、宗教団体の感知しない所での情報が実際の宗教活動に影響を及ぼしかねないのである。「メガテニスト」達に代表されるゲームで神話や宗教の神々を知った人々は、宗教施設に祭られる信仰の対象をゲームの登場人物と重ね合わせて見る。それを目的としたツアーもあると聞く。宗教用語が宗教大系の中から乖離し、新たな創作の大系の中に取り込まれ、その語が再び用語のみの形となって社会に還元される。そして用語や情報のみが先走りしてゆく。そうなった場合、宗教用語は本来の信仰に関わる場で用いられた場合、あるいは信仰の対象が、はたして今までと同じように機能するだろうか。ゲーム中のデータを重ね合わせて見ると言う現象が発生すると言う現象がおこりはじめている事も事実である。その場合、もはや信仰の対象、救いを求める対象として機能しなくなるのでは無いか。そして、本当に宗教的救いが必要になった場合、そのような(宗教用語が一般化してしまった、あるいは別の大系に組み込まれて俗化した)伝統宗教に救いが求められるかどうか。また、ゲームやアニメを元とする「専門知の逆転現象」が加速する事によって、新たな神々のイメージが固まってゆき、さながら絵画に描かれる事によって天使の姿が確定していったように、結果としてそれが宗教そのものに影響を及ぼしてゆく事は無いだろうか。
 私は、文化の中で低俗視されるゲームや漫画で行なわれている事であるが、「たかが、ゲームや漫画」ではすまない。将来、日本を背負ってゆく世代には、伝統的な宗教施設や宗教は既に風景化している。幼いときから摂取する文化では無いのである。宗教者や親達が語り聞かせた因果応報の物語や昔話は既に子供達は知らないのでは無いか。その物語にとって変ったのが、ゲームや漫画なのである。かれらにとっては、それが親しみ深いものなのである。その部分を無視して、今後、伝統宗教は展開してゆけるかと考えた場合、私は否である、と結論付けたい。