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国民国家とオリンピック

2000年9月25日 のほほ


本音で行く。
オリンピックは嫌いだ。
なぜなら、楽しみにしていた大河ドラマが、高橋某の金メダルのせいで潰れたからだ。

そもそも、現在のオリンピックに感動も何もあったもんじゃない。
サマランチの方針により、高度に商品化されたショー。
次から次へと出てくるドーピング。
かつての共産圏国家では、人体改造の挙げ句、廃人となった選手もいるという。

「日本は違う」
そうかな?
かつての円谷選手の如く、国家を代表するという重圧に耐えかねて自殺した人もいる。
「今の世の中は違う。選手が自分のために全力を出して挑んでいるんだ。応援してやらなきゃ失礼だ」
・・・はぁ。ですが、その選手を普段から応援していたわけでもないし、まして知己でも親類でもない。
オリンピックに出たから、いきなり応援するのは気が引ける。
サッカーに関しては、普段から関心があったから応援もしたけど。

今回、最も気にくわないのは、自国贔屓のあまりに他国人審判が気に食わず、大使館に抗議する手合いがいることだ。
「愛国心は、悪党の最後のよりどころ」
である。
たとえ誤審であっても、その人の属する国家に責任があるわけじゃない。
もしあったとしても、それは日本という国が嫌われている証左ではないか。

そもそも、人間が生きていくにあたって「国家」などという代物を意識するようになったのは、近代ヨーロッパで「国民国家」の概念が成立して以降である。日本では、最初に国家レベルで物を言ったのは坂本龍馬らしいが、それは当時の最先端、まさにメトロポリタンである。
地域の共同体→国家と視野が拡がってきた人類だが、そこからなかなか一歩が踏み出せない。二度の世界大戦を経てもなお、国家至上主義から抜けきれないでいる。

来世紀からは、オリンピックも国家代表の戦いではなく、純粋にスポーツ選手代表の闘いになってくれれば、まだ見る気にもなるのだが…

私怨から発したとはいえ、最近のオリンピックには関心が沸かないのは事実。
なんだか舞台裏を垣間見てしまったような気分だからか。
審判と言えば、プロ野球のスコアラーは、各球団の息がかかっているというのは本当なのか?
いずれにしろジャイアンツは嫌い。権力というものには常に嫌悪感がある。



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