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大蔵・財務官僚の悲願(小泉論3)

2001年12月22日 のほほ


小泉改革で目玉とされているものが「公共事業の見直し」である。建設族の利権の温床であるとされる道路特定財源の一般財源化、赤字を抱える道路公団・国際空港公団の民営化、来年度予算の公共事業費一律削減、などである。
公共事業ネガティブキャンペーンを張るマスメディアと、それに影響された人々は、一斉に小泉支持を叫び、反対する人々を「抵抗勢力」と決めつけた。

しかし、冷静に考えると、これらの政策が本当に国民のためになるのか疑問である。
まず、道路特定財源について。この道路特定財源とは、「日本列島改造」をぶち挙げた田中角栄が提唱して成立した道路整備特別会計を指す。車に乗る人から、ガソリン税・自動車重量税を徴収し、それを財源に道路整備を行うというものである。高度成長期、急速に進むモータリゼーションに対応しきれなかった道路整備が、この制度によって一気に進展した。
だが、道路特定財源が、政治家の利益誘導に利用されたことも否定できない。それに加えて、ゼネコンによる政治家への不正献金、談合事件の摘発、財政赤字なのに繰り返される景気刺激のための「非効率な」公共事業などが、マスメディアや国民の公共事業への不審を招いた。
「公共事業は族議員やゼネコンの食い物になっている」
「公共事業こそが膨大な財政赤字の元凶だ」
というわけである。
一方、これらの資金を公共事業以外に使用したい…それが大蔵(財務)官僚の悲願であった。
予算をすべて握っていると思われがちな大蔵(財務)官僚だが、特別会計については、その使途が法律で決まっているから、自由に使うことができない。湯水のようにわき出る「魔法の壺」ともいえるこの財源を手に入れることは、バブル崩壊以降の財政難にあえぐ一般会計をにぎる大蔵(財務)官僚としては、絶対に達成すべき目標だったのである。

「施設の使用者から金を取り、その金を施設のために使う」という考えは、至極当たり前のことである。
問題は、
「道路を利用するのが自動車に乗る人だけなのか」
「税の負担額は適当な水準か」
そして、
「道路整備は今後も必要なのか」
という点であろう。

最初の問題については、確かに道路を使う人は自動車に乗る人だけではないと思う。歩道を歩く人、自転車に乗る人、さらには、その道路で運ばれた商品を買う消費者も、みんな道路の恩恵を受けている。
だから、自動車ユーザーは自分たちだけが税金を負担することに疑問を抱いている(ただし、道路整備特別会計には一般会計からも資金を繰り入れているので、厳密には自動車ユーザーだけが財源を負担しているわけではない)。

2番目の問題は、課税方法の複雑さも絡んでくる(暫定税率。詳細はこちら。それにしても、法律における「当分の間」ってどのくらいなんだろう)。そのあたりのことは本質からそれるのでここでは論じないが、石油業界は「ガソリン税は高すぎる」というキャンペーンをしている。
しかし、よく比較されるアメリカのガソリンの安さは、あの国の無駄使い文化を象徴するものであるし、この国のガソリンが高いがゆえに、車種を選ぶ際に燃費を重視するという、誇るべき「省エネ文化」が根付いたのだと思う。そもそも、あと数十年で原油が枯渇するというのに「もっと安くしてもっと無駄遣いしてください」なんて言うのは、自分で自分の首を絞めるものではなかろうか。

個人的意見としては、重い車ほど道路を傷めるのだから、自動車の重さに応じて課税する自動車重量税は存続させるが、その使い道は既存道路の維持修繕等に限定するべきだと思う。
そして、ガソリン税は、環境保護のための目的税として存続させるが、バイパス整備などの渋滞解消につながる新規の道路整備や、市街地の道路以外の交通機関(路面電車や新交通システム)の整備には使用できるようにする。これらは、自動車による環境汚染を軽減できるからである。
どのような事業が環境改善に有益か、どのような事業に予算を配分するかは、政策の問題である。

一般財源化で喜ぶのは、新たな財源の確保により発言力を増す大蔵(財務)官僚と、これらの財源を整備新幹線などに使用(今のところは使わないと言っているが)することにより、地元への利益誘導を図る政治家、そして都市再生に名を借りた乱開発(超高層オフィスビルや、非人間的な超高層マンションを建設=それこそテロの標的になったらどうする)を行い、利権をあさる業者たちだけではないだろうか。
そして、開発業者が資金を調達するのは…銀行である。ちゃーんと「大蔵(財務)族」「銀行族」に有利なようになっているのだ。

3番目の、そして最も本質的な問題だが、これは高速道路整備にもかかる話なので、道路公団民営化とあわせて論じたい。



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