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バブルの亡霊、未だ 2004年7月26日 のほほ |
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先日の参院選で自民党は1議席を減らしたが、連立与党・公明党が総価学会票で議席を維持したため、小泉首相の責任問題とはならなかった。 それどころか、党内では森派議員が増加したのに対し、「抵抗勢力」の牙城・橋本派が退潮傾向。小泉首相が取り立てた竹中平蔵氏が当選したこともあり、小泉首相の強気発言が相次いでいる。 ここにきて特に顕著なのが、「郵政民営化」関係。内閣改造では、「民営化に反対する人は大臣にしない」など、首相就任前からこの問題だけには異常な執着心を示す小泉氏の面目躍如といったところだ。 首相としては、急落した支持率を回復させようと、自分が「改革派」であるところを見せたいのが本音かもしれないが、郵政民営化が本当に改革の名に値するのか、何のための民営化なのか、以前から筆者は疑問に思っているところである。 そもそも、郵政民営化を主張する人たちは、何を目的としているのか? 1.民間の運送業・金融業を圧迫するような郵政事業はなくすべきだ。 2.赤字を垂れ流す、非効率な郵政事業は財政を圧迫している。民営化すれば利益を上げられるようになる。 3.財政投融資など、不透明な公金運用をなくすため、民営化すべきだ。 いずれも、マスコミ報道などでよく見られる主張である。 だが、3については、民営化しなくとも制度を改めれば済む話ではないのか? 1についても、民営化しただけでは「巨大官業」が「巨大企業」になるだけで、NTTのように競争を阻害する要因になることが予想される。「郵便」「貯金」「保険」を分割する案が出ているが、結局は各分野で巨大企業として君臨することに変わりはない。 「そうだとしても、郵政事業だけ国が保証するという不公平が解消される」という主張もありうるが、じゃあ敵対する民間企業はそんなに不利なのか?と聞きたい。 貯金は、郵便貯金の限度額は1千万円であり、すでにペイオフが適用されたのと同じである。ATMサービスが民間に比べて有利だと文句を言うなら、銀行間のネットワークで手数料を取るのをやめればいい。 郵便について言えば、民間企業が独自で「全国津々浦々のユニバーサルサービス」を実現できないのは自明である。先般の親書便解放の一件でも明らかだ。利用者にしてみても、山の中に「郵政」「民間」のポストが2つ設置されることにメリットがあるとは思えない。ここは、郵政事業の持つネットワークを民間に開放すればいいのではないか? つまり、拠点間の輸送や都市部の配送を民間に任せ、それ以外の民間では採算がとれない分野を郵政が行えばいい。この方法なら、「ニッテイ=日本郵便逓送」のようなファミリー企業が暴利をむさぼるような現状も打破でき、一石二鳥である。 (簡易保険についてはよくわからないが、これはやめても=民営化してもいいのかな?) さて、本題は2である。 いったい、民営化というのはそれほどまでに神通力があるのか?社会保険庁の件でもそうだが、民間人をトップにしたところで、何が変わるのか。民営化して利益が上がるなら、つぶれる会社があるのは何なのか。 公社化した郵政事業は、かずかずの努力で経営状況を改善させたが、それとて公社化することである程度のフリーハンドを与えられたのが大きいと考える。要は制度である。 国鉄の民営化は、硬直化した労使関係を打破するという特殊事情(+社会党つぶしという裏事情)があったのであり、すべての事例にあてはめようとするのは間違いだ。 つらつら書いてきたが、民営化論者がねらっているのは、 4.民営化することで株を市場に放出でき、売却益で財政が潤う。ついでに、株式市場を活性化できる。 ということではないか。 道路公団民営化もそうだが、そのまま民営化しても利益が出るという試算が出てくること自体、「官業=赤字」という2の論理は崩壊していると言わざるを得ない。 あるいは「粉飾試算」で、投資家の目を欺こうとしているのかもしれないが。 未だにNTTフィーバーが忘れられない連中が霞ヶ関にも永田町にも兜町にもうようよしているらしい。 バブル崩壊から15年近く、まだまだ思考の正常化への道のりは遠い。 |
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