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もうアホか、バカかと。

2005年5月10日 のほほ


尼崎列車脱線事故以降、JR西日本(以下「JRW」)へのバッシングたるや、相当のものだ。
「速度超過した(と思われる)運転士」や「虚言に満ちた証言をしていた車掌や社長」を批判するだけならともかく、事故原因と無関係なことをさも原因のようにほじくり返して、傷口に塩をすり込む。
たとえば、「当該列車にたまたま乗っていた移動途中の運転士が、事故現場を横目にそのまま目的地に行った」だの(その場にいてどれほどの役に立つのか?それよりも運転士不在で他線の列車が運休するほうが問題)、
「直接関係のない部署で事故後にレクレーションや懇親会をやっていた」だの(自粛すべきとの意見はわかるが、事故の原因と無関係な部分を探しだして「非難のための非難」をやっているようにしか見えない)、
「JRWの幹部連が政治家と会食していた」だの(NHKが鬼の首を取ったように報道していたのには爆笑。安倍晋三に頭が上がらないくせに何を言う。これぞ目糞鼻糞)、
おかげで、JRWの現業社員へのいやがらせや暴力が後を絶たないという。
日本人の悪しき習性である「袋だたき」には食傷気味である。

そもそも、事故の背景には、「ダイヤ絶対主義」があり、さらにそのダイヤ自体も、安全面を後回しにした「スピードアップ・過密ダイヤ」だったことにあるのではないか。
そしてそれは、利用者が求めていたから生み出されたのではなかったか。

朝の貴重な時間を1分でも有効に活用したい通勤客は、ぎりぎりのタイミングでの乗り換えをねらう。そのとき、乗った電車が1分遅れれば、もう乗り換えができない。その結果、1分の遅れも許されないという厳しい欲求が鉄道会社に求められる……これはまさに、3月までの筆者そのものだ。
そういう利用者のニーズが、つまるところ今回の事故の遠因だと、否定しきれる人はいるだろうか。

そして、「民営化」というもののとらえ方。「利益第一主義」をJRW批判の文句にするのであれば、昨今の「民営化万能論」を、同じようになぜ批判できないのか。
「民営化」が「利益第一主義」を目指したものではない、というならば、では「民営化」の目的は何なのか。
せめてその程度のことを、マスメディアは小泉に、竹中に、猪瀬になぜ問えないのか。
まったく怠慢としかいいようはない。

いずれにしても、マスメディア・鉄道利用者ともに、単なるJRW叩きに終始することなく、物事の本質を見極めることが必要だ。




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