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連載最終回(?) 「うまい話にゃ裏がある」
悪徳商法が摘発されると皆言いますが、「悪徳政治」にだまされてからでは遅い!
〜矛盾だらけ、聞こえだけいい政策は聞き飽きた〜


2009年8月27日 のほほ


1.幽霊の正体見たり枯れ尾花 −地方分権

自治体病院全国大会2007 「地域医療再生フォーラ ム」における国際基督教大学教養学部 教授 八代 尚宏 氏の発言
(出典 慶応大学商学部教授 権丈善一氏のサイトより)

…そこはいろんな国の補助金を増やすということではなくて、できるだけ交付税とか包括的な形で地方に財源を移転する。その結果、病院に重点を置く地域は、そこに地方が自由に資源を投入できるようにする。極端なことをいえば、農業補助金を削って病院の方に回すということができるようなやり方を今一生懸命やっているわけです。ただ、力及ばずしてどこまでできるかわかり
ませんが、それはまさに地方分権で考える問題ではないかと思います。ですから、財源は限られているわけですから、農業も道路も鉄道も病院もというわけにはいかないわけで、私は、まさしくあらゆるものを犠牲にしても、病院の方に資源配分が向けられるような地方分権を実現するべきだというふうに考えています。
(強調は引用者による)

…病院に行くまでの道路がでこぼこになっていたりして。(ぼそ)

 右から左まで、ほぼすべての政党が地方分権を絶対善として主張している。
 その理由としては、「地域が自主的な財源を持ち、規制などの国からの押しつけがなくなれば、地域の住民が望んだことが実現できる」「特性を生かした地域作りが実現し、過疎化などの問題が解決できる」といったものが挙げられ、地方分権が実現しさえすればバラ色の未来があるかのように言われているわけだが、独自の政策を実行するため必要な財源に「余裕がある」のは都市部のごく一部だけ。
 論より証拠、かつて「三位一体の改革」により、国に入っていた所得税が減税される代わりに、地方の収入となる住民税が増税されたにもかかわらず、財政難におちいる自治体は後を絶たないのだ。
 そうなると、引用した八代氏の発言にあるとおり、地方が自主的に決めた政策を実現するためには「どこかを削るしかない」ということになる。「地方分権」を唱える人は、そういう実情をどれだけ説明しているだろう。

 そこで反論として出てくるのは、
・役所の経費節減、公務員の人件費削減
・さらに国から地方へ財源を移す、あるいは国への支出(直轄負担金など)を減らす
 というあたりがお約束。

 しかし、役所の仕事で生計を立てている企業はどうなる?公務員もしょせんは住民、減給や免職になれば消費が落ち込む。
 また、地方への財源移転をやったところで、根本的解決にはならない。大企業も誘致できず住民も少ない過疎地の自治体は、住民からバカ高い税金を徴収するしか途はないだろう。
 そして直轄負担金の廃止は、国が行っている公共事業が縮小することにつながる。公共事業というと「無駄な」が枕詞になっている感があるが*0、川の堤防維持やすでにある幹線道路の管理は誰がやるのか。誰がやるにしても資金が無ければレベルの低下はさけられまい。(たとえば「雑草の除草は年1回だけ、あるいは苦情を受けないとやらない、道路の舗装はぼろぼろにならないと更新しない、など)
 こうやって荒廃し、衰退する地域には企業も寄りつかず、ますます過疎化が進むことになるだろう。

 つまるところ、地方分権も昨今流行りの「自己責任」論であり、貧乏な地方は滅びるしかなくなるのだ。
 そういった問題点を指摘せずに地方分権を推進しようとする政治家、マスメディアの罪は重い。


2.さらに問題が −国のかたちを揺るがす地方分権

 今回の総選挙で政権交代を主張する側は、「政治主導を実現するため」中央省庁の幹部人事に介入することを公約としている。
 このような「政治任用」では、アメリカで見られるように公務員の大半が政権交代とともに入れ替わるわけだが、日本でも戦前にそのような光景が見られた。それは「大正デモクラシー」と言われた時代、当時の2大政党である政友会と民政党が頻繁に政権交代を行っていた頃のことである。
 そのころ、府県の知事や職員は「官選」、すなわち国(内務省)が任免権を有するする国家公務員(当時は「官吏」と呼んだ)だった。「官吏」の任用・異動にあたっては、現在のような政治的に中立な制度ではなかったため、政権を取った政党は、府県知事に自分の党寄りの人物をつけた。これは、選挙活動を取り締まる警察を指揮する知事を味方につけるためだった。(反対党の選挙活動を妨害することができた)
 さらに、「我田引鉄」と言われたように、自分の党の支持者が多い地域で公共事業(当時の公共事業と言えば鉄道の敷設だった)を優先的に行うため、「官吏」をあやつるためでもあった。 

 戦後、地方自治が憲法で保障され、地方自治体の長は選挙で選ばれることとなった。また、国や地方自治体の職員を任用したり異動させる際には、政治的に中立な制度により行われるため、表だって政治介入を行うことはできなくなった。政権党が自分の主張する政策を実現するには、その政策を法律にさだめ、それを公務員に執行させるという枠組みの中で行うことになっている。

 次期政権与党となるであろう側が言う「政治主導」とは、戦前のような状態にすることを意図しているわけでは無いだろうが、公約した政策を行うときはどうするつもりなのだろう。
 どういうことかというと、徹底した地方分権を行い、国の権限を地方自治体(次期政権与党の公約では市町村などの「基礎的自治体」が受け皿となるらしい)に委ねたとき、国が全国一律で政策を展開できるのだろうか。
 たとえば、「最低賃金を全国一律に千円とする」と決めたとしよう。ところが、ある自治体は「うちの市は企業を誘致するにあたって人件費が安いことを売りにしているので、最低賃金は700円にする」と主張したらどうなるのか。

 「国会が法律を制定すればいい。国の法律で決まったことを、地方が勝手に変えることはできない」
 もしそう言うのなら、「ぼったくりバー」と言われた直轄負担金はどうだろうか。れっきとした国の法律である「道路法」に定められたことを、地方自治体が支払を拒否することは認められるのだろうか。

道路法(昭和二十七年六月十日法律第百八十号)
(国道の管理に関する費用)
第五十条  国道の新設又は改築に要する費用は、国土交通大臣が当該新設又は改築を行う場合においては国がその三分の二を、都道府県がその三分の一を負担し、都道府県が当該新設又は改築を行う場合においては国及び当該都道府県がそれぞれその二分の一を負担するものとする。
2  国道の維持、修繕その他の管理に要する費用は、指定区間内の国道に係るものにあつては国がその十分の五・五を、都道府県がその十分の四・五を負担し、指定区間外の国道に係るものにあつては都道府県の負担とする。ただし、第十三条第二項の規定による指定区間内の国道の維持、修繕及び災害復旧以外の管理に要する費用は、当該都道府県又は指定市の負担とする。 (次項以下省略)

 直轄負担金の問題が契機となって、全国知事会は「国と地方自治体の事前協議の場を設置しろ」と要求しており、現政権与党も次期政権与党となるであろう側もそれを受け入れる方針だ。
 その「協議の場」で、国の打ち出した政策に地方が異議を唱えたらどうするのか。「法律で決まっているからやるんだ」と国が押し切るのか。それとも地方が反対していることは一切行わないのか。*1

 国が決めたことに従い、地方が経費を負担して行っているのは公共事業だけではない。健康保険制度も生活保護もある。
 国と地方の立ち位置が変わったとき、全国一律で行うべきことが実行できなくなる可能性があるのだ。

3.老人をいじめたいのか、守りたいのか −後期高齢者医療制度への反対と年金の「世代間格差」議論をすることの矛盾

 すでに落ち着いた感がある「後期高齢者医療制度(長寿医療制度)」だが、野党側は格好のネタとして政権公約に取り上げている。廃止、挙げ句の果てには「高齢者医療は無料にします」と公約している党もある。
 もともとこの制度は、急激な高齢者の増加により現役世代(掛金を納めている人たち)の負担がどんどん重くなることから、高齢者にも費用を負担してもらおうと決められたものだった。また、子供が会社勤めをしていて健康保険の被扶養者になっている高齢者(掛金を負担しない)と、子供の被扶養者にならず自分で国民健康保険に加入している高齢者(掛金を負担する)との格差をなくす目的もあった。
 この制度は小泉内閣で決められたものだが、当時はほとんど問題にならなかった。ところが、制度が実際に動き出すにあたって、政府側の周知不足と野党*2のキャンペーンにより非難の的となった。制度が始まった時の安倍政権の求心力が低下していたことも原因だろう*3
 「年金から天引きする」という掛金の徴収方法も、「老人いじめ」という感情的非難のもととなり、のちに天引き以外の方法で支払うことも認められるようになった。だが、本人に納付書を発行しても、納付書をなくしたり支払を忘れたり…といった事態が続出していたと思うのだが。

 一方、年金制度の危機を言い立てて「抜本改革」を主張する政党・政治家も多数存在する。
 その内容を聞いていると、「危機」の内容が誤解や曲解によるものだったり、「抜本改革」の内容がお粗末だったりであきれてしまうが、年金記録の紛失問題で生じている社会保険庁への国民的不人気の中にあっては受けがいいようだ。*4
 その中に「世代間格差」を取り上げている勢力がある。すなわち「現在年金を受け取っている世代には手厚い支給がなされているが、将来年金を受け取る世代はあまり支給されない。不公平だ」という議論*5。しまいには若い世代に「君たちが老人になったら年金は破綻しているから受け取れないよ」と言って、年金に加入させる気を失わせるような罪作りな人間もいる*6

 わけがわからないのは、「後期高齢者医療制度」と「年金の世代間格差」を批判する人は同じであることが多いことだ。かたや「後期高齢者」いじめをやめろ、と言った人物が一方では「年寄りは年金をもらいすぎだ」と言う。あなたは老人をいじめたいのか、守りたいのか。
 一貫した価値観を持たず、現行制度を批判するために都合のいいところだけをつまみ食いしていることを表す、いい例である。


4.「ためにする」批判が自分の首を絞める

1930年、第58帝国議会のロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐる論議では軍縮問題を内閣が云々することは天皇の統帥権の干犯に当たるとして濱口内閣を攻撃、濱口首相狙撃事件の遠因となった(なお、狙撃事件後傷の癒えぬ濱口に執拗な登院要求を行った。濱口は登院の5ヶ月後に死去している)。統帥権干犯論は議会の軍に対するコントロールを弱めるものであった為、これを根拠として軍部が政府決定や方針を無視して暴走し始め、以後、政府はそれを止める手段を失うことになって行く。鳩山は対立する立憲民政党政府を苦しめることを企図したようだが、議員としては政争に明け暮れて大局を見失っていたことになる。
                   −Wikipedia 鳩山一郎 より (強調は引用者による)

 次期首相の座に最も近い人物は、この鳩山一郎の孫に当たる。*7
 「祖父と孫が同じことをしている」と言って批判したいのではない。なぜなら、政治家は「票が取れる」ことをまず第一に考えて行動する種類の人間だ。誰でも失業することは怖いのだ。この祖父と孫が似ているのだとすると、それは血統によるものではなく、政治家特有の考え方によるのだろう。
 当時、「統帥権干犯論」や「天皇機関説の批判」*8を唱えたのは、何も野党に限ったものではなく当時の新聞も大挙して同調していたのだ。こうして時代の空気が作られ、それを敏感に感じ取った政治家は「自分たちの首を絞める」と知りながら、票を失うのが怖くて空気を読んだ。そしてこの国は戦争に突き進んでいった。

 願わくば、現在の日本国民が歴史から学び、過ちを繰り返さないことを。



[脚注]

*0 公共事業はまがりなりにも資産(ストック)を残すが、単なるばらまき(例:農家への補助金)は消費されておわり。最悪の場合何も残らない。
*1 マスコミのみなさん、まさか「自民党が政権を握っている限りは国の言うことを聞くな、地方の意見を聞け。でも民主党が政権を取ったら国の意見に従え」なんて言わないよね?
*2 野党に肩入れするマスコミの働きも大きかったと思う。
*3 要するに小泉に比べて安倍に国民的人気がなかった。
*4 話の途中で唐突に、年金記録問題が登場してたな。あの問題は、水戸黄門の印籠みたいなもので、年金論で形勢不利になると、民主党はすぐに「この年金記録問題が目に入らぬか!」と持ちだしてきて、オーディエンスは、はっは〜っと畏まってしまう威力を持っているんだよな。(8/6権丈教授HPより) 
*5 「損をしている」現役世代は、「得をしている」老人世代の負担によって育てられて大人になった。この一点だけ考えてもわかるように、世代間格差を論じるのであれば年金だけでなく社会保障、経済活動すべてを見渡す必要がある。
*6 払った方がお得→朝日新聞(2005年7月10日)「選択のとき――保険料の未納 続けますか?」
*7 ちなみに、よく知られていることだが、麻生太郎は吉田茂の外孫である。鳩山一郎の前任首相は吉田茂だった。
*8 天皇機関説が問題となった当時、野党だった政友会は、天皇機関説の提唱者で政府の要職にあった人物たちを失脚させ、岡田内閣を倒すことを目論んだ。



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