アメリカ西海岸紀行
 
 
1997年8月13日
 出発の朝。十分早く起きたはずであったが、最後まで所持品が決まらず、家を出るのが遅くなってしまった。駅で時刻表を見ると、池袋での乗り換えがぎりぎりであることがわかる。いつもどうして、こうも焦らなくてはならないのかと思いつつ、これまでの経験がまったく生かされていないことを深く反省する。池袋で大きな荷物を持ちながら、走り、どうにか池袋発成田エクスプレスに飛び乗った。実は、友人が用意したエクスプレスは、新宿乗車であったが、どうせ池袋始発なのだから、池袋から新宿までの切符を買えば文句はなかろうと考えた。
 成田までJRを使うのは今回が初めてになる。成田エクスプレスは、新宿で停車し、渋谷、品川と周り東京駅に到着する。どう考えても、新宿から中央線を通るほうが近いと思うが、どうやら東京駅で横須賀線の地下ホームに着けたいこと、そこで横浜から来たエクスプレスと連結したいことなどからこういう遠回りになったと想像する。エクスプレスは、対面4座席のシートを採用しており、広々感もあり、座り心地も京成スカイライナーよりも良い。千円以上高いのもこれなら許せるが、しかし、対面シートにも欠点がある。前の座席に座った男女は、どうやら新婚カップルのようで、目のやり場に困る。それに、こちらの会話も弾まないのである。
 この列車、全席指定で自由席はないはずであるが、乗ってしまえば許されるようで、デッキに数人立っている。車掌も降りろとは言わず、特急券を売っている。特急券さえ買ってもらえれば、乗車はかまわないということだ。
 エクスプレスは、遠回りした割にはかなり速い。列車の間隔の問題で、1時間前に第一ターミナル駅に到着した。時間つぶしの必要がある。相変わらず4階出発ロビーのレストラン街は、長蛇の列ができているので、2階の食堂街を利用。ここは穴場。どうせ飛行機に乗ると、すぐに機内食だろうと、コーヒーで済ませたのに対し、友人の方は、はなからまずい機内食をあてにせず、スパゲッティーを食べている。
 集合時間の1時10分、ツアーカウンターへ。添乗員の付かないツアーのため、行き帰りの全行程のチケットを受け取る。説明を受けていったん解散。荷物も自分でノースウエストのカウンターへ持っていって、チェックインする。まだ時間があるので、ターミナルをぶらぶら。北ウイングは、相変わらず改装中だが、鉄骨がむき出しの状態で、かなりの大工事のようだ。空港使用料を支払うため、自動販売機で購入。いつのまのか、2,050円になっている。この半端は消費税なんだろうか。日本円なんか持っていないよというひとのために、クレジットカードでも支払えるようになったのは評価に値すると思う。
 お盆で混んでいると思い、早めに出国ロビーへ出たものの、がらがら。13日の出発は、遅いようで、お盆シーズンの海外旅行組は12日までに出国しているという。免税店の前で時間つぶし。ここで気が付いたのだが、生ビールの小ジョッキの値段、560円で外と変わらない。これって税金含まれているんじゃないでしょうか。出国しているのに。変ですね。
 手荷物検査を経て、ゲートへ進む。こちらは大混雑している。この時間帯、ノースウエストの各方面への出発が重なっているうえに、ニューヨーク行きの機体が到着していないようで、3時間出発が遅れるとのアナウンスがされている。お詫びに、ドリンクのサービスがあるようだ。騒然としていて、ロサンゼルス行き002便の搭乗開始のアナウンスがわからず、乗り込みに遅れてしまった。座席44Jは、サービスルームの横のため、2座席シート。これはラッキーだ。いすは座面が高く、足が地に届きにくい。アメリカ人サイズということか、ちょっと疲れるかもしれない。「座席において、本来遂行すべき業務に支障がある場合、座席の交換を要求する権利がある」とのアナウンス。さすがアメリカの会社、権利関係をはっきりさせている。機体はゆっくりと進み、13時55分日本を離陸した。太平洋航路は、陸地を通らずに太平洋上空を進むわけだが、当然落ちれば海の藻屑となるわけである。離陸するとすぐにドリンクのサービスがあり、1時間ぐらいで食事となる。ビーフとチキンが選択できた。選んだのは、ビーフで、角切りのビーフとニンジンなどの野菜が入ったシチュー状のものがピラフとともにプラスチックの器に盛られているもの、それに寿司とポテトサラダという変な組み合わせ。パンとクラッカーと妙に甘いケーキも付く。味は、はっきりいうと、パキスタン航空の民族料理の方がまだましといえるぐらい。日本製だろうけど、味はアメリカ人が決めるんだから、アメリカ人の味覚がよっぽど変ということなのだろう。飲み物はビールにしたが、種類が選べるようで、黒人のスチュアートが顔と顔がぶつかるくらい寄ってきて、バド、クアーズ、キリンと尋ねてくる。あまり気味のいいものではない。とりあえずクアーズにした。
 機体は、古く電気製品がだめになっている。ヘッドホーンは、音がぼそぼそしており、コードもすぐ抜ける。とても使いものにならない。読書灯も、自分の席のスイッチが隣の友人のスイッチになっており、友人のスイッチが自分の照明のものになっている。これはいったい何だろう。それに突然消えたりする。不思議だ。席の交換でも要求しようかなんて思っていたら、スチュワーデスの日本人通訳(スチュワーデスではなく、通訳業務だけをやる人のようだ)が、席の交換を申し出てきた。と言うのも、非常口のところの席は、アメリカの規則で子供を座らせられないことになっているそうで、そこの子供と代わって欲しいとのことだった。しかし、あそこは足を前に伸ばせる反面、テーブルがなく、しかもトイレの横になるので、夜中じゅう人が出入りしたり、待たれたりと、最悪の席であることを経験上知っているので、お断りした。お断りした関係上、こちらの席の交換の権利も断念する。
 食事が終わると、室内灯が消えて睡眠の時間となる。でもまだ日本時間では夕方なので全然眠くない。でも眠らないと、2日間徹夜することになる。寝よう寝ようと努力すればするほど、目がさえる。それにスチュワーデスの香水がきつくて、通る度に目が覚める。
 夜中の12時、なぜか朝食の時間となる。夕食から6時間が経過している。メニューは2つ。そばとパンのどちらかとフルーツ、ヨーグルト。パンならば納得できるが、そばとヨーグルトはどう見てもあわない気がする。当然パンを選ぶが、水分が少なくおいしくない。配っているスチュワーデスのおばさん?は、とてもぶっきらぼうで、何を言っているのかわからない。エコノミーの客なんか人間と思っていないのかもしれない。この国は、成功者は歓待を受けるが、敗北者=貧乏人=エコノミー客には冷たいのでしょう。夜中の2時半になって、ようやく時計を現地時間にあわせる。現在、朝の9時半だ。飛行機は、どんどん下降していき、ロサンゼルスの町並みが見え始める。砂漠に出現した都市は、きれいに碁盤の目のように区画整理されている。約10時間、ノンストップで飛び続けた機体は、ロサンゼルス国際空港に到着した。
 いつも思うのだが、人々が降りたあとの機内の乱雑ぶりは目を覆うばかりである。片づけるひとたちがかわいいそうなこと。料金のうちと言えばそうなのだが、ひとりひとりが思いやりを持てばすむことなのに。
 さて、飛行機からブリッジを通って空港へ。狭い通路を下っていくと入国審査場がある。どこも長蛇の列。一人一人(家族は、まとめて)かなり長く質問されているようだ。こういう時、どの列に並ぶかは、列の長さでなく、流れで判断することが重要である。係官の個人差が大きいからである。ようやく自分の番になる。聞かれたことは、「入国の目的は?」「観光」、「滞在日数は?」「5日」(帰りの航空券の提示を求められた)、「後ろに並んでいる女性は妻か」「違う」(失礼な)、ということ。ようやく入国審査も終わって、ターンテーブルで荷物を受け取り、税関では、機内で記入した申告書の提出だけ、ほとんどノーチェックで通過。到着ロビーで、ロサンゼルス担当の係員と合流。このツアー、飛行機とホテルだけが決まっているだけの自由気ままな旅であり、ロサンゼルスにしろサンフランシスコにしろ、近ツリが委託した現地の旅行会社の日本人係員が、ホテル空港間の送迎、ホテルや空港でのチェックイン、オプションの手配、簡単な市内観光のみ対応する。それでも、各自の申し込み自体、いろいろなパターンがあるので、振り分けが大変そう。ホテルグレードも違い、泊まるホテルも皆ばらばら。ロサンゼルス市内に宿泊で今日は半日市内観光がついているグループに振り分けられ、バスに乗り込む。さあ、ロサンゼルスの市内観光の始まり。
 まずは、空港からほど近いフィッシャーマンズ・ビレッジと呼ばれるところへ。ここは、ヨットハーバーを見渡す木造の桟橋を中心としたエリアである。青と白の灯台と周辺の木造の建物、色とりどりの花が咲き、空はどこまでも青い。日差しは強いが、湿気がほとんど感じられず、海からはさわやかな風が吹く。桟橋の前に並ぶ建物に入ってしまえば、ファーストフードあり、みやげもの屋ありの、どこにでもある観光スポットであるが、木製の桟橋を歩けばなんとなくノスタルジックな港町が演出されている。
 ここアメリカは、フリーウエーと呼ばれる高速道路が発達している。ロサンゼルスという街にも数多くのフリーウエーが交差している。まさに自動車社会。偶数の番号が、アメリカ国土を東西に結ぶ道路という決まりになっている。フリーというだけあって、確かに無料であり、料金所というものは存在しない。では、本当に無料なのかと言われれば、答えは、否。ガソリン代には、高速代が付加してある。それでもガソリン代は安く、およそ日本の5分の1というところ。実は、アメリカは産油国なのであり、ロサンゼルス近郊でも石油がでている。それでも、アメリカは中東から安い原油を輸入している。国産の石油を温存し、掘り尽くすことは決してない。豊かな資源を持つアメリカは、いかなる状況に置かれても対応可な超大国なのである。
 ここロサンゼルスの自動車は、断然トヨタが強く、ついでホンダという感じ。日本車が愛用される理由は、「壊れない」ということらしい。壊れることにより、修理などで自分の貴重な時間がとられるのを最も嫌うという国民性が現れている。雄大な国土を持つアメリカらしく、大型の車が多いのも特徴。日本車でも、欧州で人気の小型カローラより大型のカムリの方が人気がある。かつてスペースユーティリティの優位性からアメリカでもてはやされたワゴンは、今では、ほとんど見られない。ワゴンが主軸のスバルは苦戦し、トヨタカムリワゴン、ホンダアコードワゴンもアメリカ生産を打ち切っている。代わって登場したのが、トヨタエスティマに刺激され続々と登場した多座席のミニバンである。この分野では、フォードが強いようだ。大型のオフロード4輪駆動車(4WD)もかなり見られるが、日本のように自然に親しむ、自然と一体となる(そうでない人も多いが)なんていう生やさしいものではなく、自然への挑戦、これがもてはやされる最大の理由である。ここ西海岸も一歩街をでれば、西部時代そのままの荒野なのである。一方、こうした新車だけでなく、古い車を大事に乗っている人もかなりいる。ワックスなどかかっておらず、ぶつかって壊れたままの車も結構見られた。
 バスは、センチュリー・シティーを通過する。20世紀フォックス社のスタジオ周辺に広がる高層オフィスビル群。都市計画に基づき配置された建物が整然と並び、人工都市のイメージが強い。しかし、一つ一つの建物を見ると、個性的で、なんと日本人建築家による設計が多いという。日本の建築美術も外国では高く評価されているようだ。
 バスは、ロデオ・ドライブと呼ばれる、有名ブティックが集まったショッピングスポットに到着する。ちなみなロサンゼルスっ子は、ここはとても高いと知っているので、ウインドショッピングだけだそうだ。石畳の小道、店先に並ぶテーブルとチェアー、花壇に咲き乱れる色とりどりの花々、そして強い日差しと青い空。ヨーロッパと見間違うばかりの町並みがそこにある。まあ、聞けばイタリアをモデルに作ってあるそうで、そういえば入り口はローマのスペイン階段みない造りになっている。その入り口を見下ろすところにあるのが、ビバリーヒリズの象徴、リージェント・ビバリー・ウィルシャー・ホテルである。プリティー・ウーマンなどの数々の映画の舞台となった超高級ホテルで、総大理石造りのロビーが圧巻とか。外見では、1階部分と最上階に施された装飾が高級感を醸し出している。ちなみに昭和天皇も泊まっている。
 この辺、ロサンゼルス市とビバリーヒリズ市が入り組んでいるが、見分け方がある。それは消火栓の違いである。ロサンゼルス市の消火栓は黄色に塗られており、ビバリーヒルズ市は、銀色になっている。よく注意して見るとどちらの市に今いるかわかるのである。
 バスは、ビバリー・ヒルズの高級住宅街を左手に見ながらハリウッドに向けて走る。アメリカで一番、ロールスロイスの保有台数が多い街と言われ、並木道が見事に整備され、家が見えないぐらいの敷地が延々と丘の上まで続く。有名スターをはじめ著名人が居を構えるこの地区へは、居住者以外の車両は入れない。丘の一番上に見えるのが、トップガンで大成功をおさめたトム・クルーズ氏の館だそうだ。
 サンセット大通りをどんどん走る。ハリウッドらしく、道の両側には、音楽、映画関係の大きな看板が立ち並ぶ。あまり看板の目立たないアメリカにしては珍しい景観である。レコーディングスタジオや大小のライブスタジオが見える。有名スターが無名時代活躍したスタジオが今なお活動しているそうだ。
 到着したのは、ハリウッドのマンズ・チャイニーズ・シアター。建物は、中国の寺院を模した映画館で、西洋人オーナーの考える中国に対するイメージがこんなものかと思うような奇妙な建物である。現在も封切館として営業中であるが、有名なのは、入り口前広場に並ぶ有名人スターの手形・足形である。マリリン・モンローもあればドナルドダックもある。結構見ていて飽きない。それにしても日本人観光客がやたらと多い。修学旅行であろうか、知っているスターを見つける度にきゃーきゃー騒ぐ女の子たちの黄色い声がロサンゼルスにこだまする。
 次にリトル東京でバスはとまる。北米最大の日本人街といわれているが、あまりに広く閑散とした感じ。オニズカストリートでバスを降りたが、ここには、スペースシャトルの爆発事故で亡くなった日系人オニズカ氏の記念碑とスペースシャトルの模型がある。この周辺は、ビジネス街ということもあり、あまり人も歩いていない。ここで自由に食事、ということであったが、ファーストフードもなく、そば屋しか見あたらない。何か、いまさらそばなんか食べたくないという感じで、ウインドショッピングに走る。松坂屋、横浜おかだやなどが出店している。
 そして再びバスに乗って、ホテルへ。このツアーは、宿泊するホテルのランクで料金が違う。リトル東京の近くニューオータニで下車した人たちもいたが、我々スタンダードコースは、これもリトル東京の中のミヤコインで降りる。バスは、もっと遠くのホテルの人を送るため去っていった。このホテルで降りたのは我々2人と女性2人組である。ホテルでは、ツアーデスクに日本人が常駐しており、この人が説明にあたり、チェックイン。近ツリが運行しているシャトルバスの乗車券を渡され、明日の日程について説明があった。女性組の方は、明日のユニバーサルスタジオツアーのオプションを申し込んでいるようで、こちらは、グランドキャニオンツアーである。
 ミヤコイン、このホテルは、都ホテルの系列ではあると思うが、「イン」と名が付くように、いわば安宿。1階には、コンビニ風の売店兼みやげ物屋と「おかだや」、それにスポーツ用品店がある。部屋の冷蔵庫の飲み物は高いので、この売店で買ってくださいとツアーデスクのお兄さんは親切に教えてくれた。ブランドものを扱う「横浜おかだや」、日本でそんなに有名でしたっけ。ホテルのキーはカード式になっているが、建物は古く、それを買い取って改装したのだろう。部屋は驚くほど広く、ベッドはダブルサイズでツインとなっている。ヨーロッパとは違うスケールを実感。
 まだ3時である。時間があるので、しばらく休憩してから、ユニバーサルスタジオへ行くことにした。ガイドブックでは夏は10時までやっているように書いてあるが、ツアーデスクは7時までじゃないかと言う。ユニバーサルスタジオにどうしても行きたい映画きちがいの友人と、子供だましのアトラクションより夜景を見たい自分と、二人の希望が食い違い、かなりもめた。最後には、一か八かスタジオに行ってみるしかないということになる。といっても交通手段がない。デスクの人に聞くと、タクシーで片道30ドルするという。まあ、行ってみようか。ホテルの前に黄色いタクシーが何台か停まっている。その先頭に、交渉。ホントかどうか、20ドルでいいようだ。二人で、このタクシーに飛び乗る。黄色いタクシー、映画でよく見るように屋根に看板をのせたワゴン型のタクシーである。前席との間にアクリルのしきりがあって、穴のあいた窓がついている。シートは、黒の皮調でぶかぶかという感じ。座るとどっぷり沈み込んでしまう。窓は小さく感じる。車は走り出す。さっきの女性二人が道を歩いているのが見えた。危なくないのかな。車は、フリーウエーにのり、どんどん進んでいく。窓は全開で、風は容赦なく吹き込んでくる。このやわらかい乗り心地、ごぼごぼ響くように回るアメリカ車のエンジン、荒れたフリーウエーをショックもなく我々を運んでいく、ここアメリカにおけるアメリカ車の出来には関心させられた。
 遠くになるにしたがって、だんだん不安になる。フリーウエーを降り、ホテルが見え、坂を上っていくと、「ユニバーサル」の文字が。やっと安心。チップを含め22ドル払ってタクシーを降りる。入場料は、36ドル。かなり高い、ゲートを入り、人気ナンバーワンのアトラクション、ジェラシックパークへ一直線。このスタジオは山の上にあるので、一番奥の方にあるエスカレータを乗り継いで、どんどんと下っていくと、ジェラシックパークの森がある。他のE.Tなどのアトラクションには長蛇の列ができているのに、ここは並んでいないなと思った。ら、大間違い。待ち時間40分の表示。森の中に、ぐるぐると列ができている。最後尾につく。ご丁寧に、霧まで吹いて、ジャングルの雰囲気を出している。ジグザグと何度も折り返し、少しずつだが進んでいく。アトラクションに乗るために並ぶなんて、日本だけかと思っていたら、こちらの人も結構律儀に待っている。ところどころに、モニターが置いてあって、映画の紹介やアトラクションの注意が放映されている。30分ぐらいで、ようやく順番がまわってくる。水の上をボートが動き、まわりに恐竜が動いているというたわいもないアトラクション。どう見てもユネスコ村の恐竜村のほうがリアルだと思う。ところが、次第に雰囲気が怪しくなり、映画のとおり恐竜が襲いかかってくる。そして、最後に、・・・落ちるんですね。水の中に。そう、ディズニーランドのスプラッシュマウンテンのよう。でも、かぶる水の量が違うんです。ほとんどの人がずぶぬれになるわけで、アメリカ的といえばアメリカ的ですが。気候が乾燥しているので、すぐ乾いてしまうから、こういうアトラクションができるのですが、日本でやったら不評だと思う。出口に、ジェラシックパークグッツが売られており、ここでしか買えないものばかりなので結構なひとだかり。おもしろいものがあった。1セント硬貨を入れると、それを押しつぶして、記念メダルを作る機械。こんなもの、合法なのでしょうか。
 再びエスカレータをどんどん上る。青い空に乾燥した大地、そして点在する緑、さわやかな風が気持ちよい。上から見る展望は最高だ。ようやく遅い昼食と相成った。ローストビーフとチーズのサンドイッチを身振り手振りで注文。ドリンクはシングルといわないと巨大なコップででてくる。どうもアメリカはパンがおいしくない。ライ麦パンである。
 続いて、トラムツアーというものに乗ることにした。また、エスカレータで下っていくと長蛇の列であった。待ち時間30分とある。6時30分までと書かれており、もう終わり近いはずなのに。さっきのように、行ったり来たりのジグザグ。あまりに暇なので、人間ウオッチング。アメリカ人は、男も女も、白人も黒人も、大人も子供も、ビア樽のような体型の人が多いことに気がついた。これほど健康にうるさい国民がどうしてこうなってしまったのだろうか。ジャンクフード、カウチポテト、そして車社会が生み出した、富と引き替えに手にした不健康ということだろう。アメリカ人は、お金をかけて太り、お金をかけてやせようと努力する。ジムや健康機器産業が盛んなのがアメリカなのである。もう一つ気になったのが、女性の下着。こちらの人は、見えていたってまったく気にしていない。日本だったら、ブラジャーのひもなんか見えていたら、だらしないと思われるのに、こちらでは、ひもはもちろんのこと、なんでもありの状態。暑いんだからいいでしょ、という感じで堂々と見せている。レース部分をうまく見せているので、もしかしたら、最新のファッションかもしれない。それから、日本人観光客のファッションで気になったのは、ジーンズ、Tシャツでラフを装っていて、ブランドもののカバン、これはどうみてもおかしい。そしておもしろいのは韓国人。この暑いのにスーツを着込んでいる。商用で来たついでだろうか。
 ようやくトラムと呼ばれる屋根だけのオープンなバスに乗り込む。予定時間を超え40分以上待った。このトラム、動力が付いているのは先頭だけで、残りの3台はそれに連結されている。最初は、山を下っていき、スタジオの倉庫の間を通っていく。なんかつまらないものに時間をかけてしまったなと思った。そのうち、撮影のセットを通り、アトラクションへ。西部劇の劇あり、火災の中を通り、地下での地震のシーン、キングコングに襲われたり、鉄砲水に襲われたり、橋が揺れたり、十戒のシーンのように海(池)が割れ、その間を通ったり、火山の噴火に巻き込まれたり、最後にはジョーズに水をかけられる。そういったいくつものアトラクションをトラムに乗って楽しめる。1時間くらいかかるが、けっこう楽しめた。
 友人は、3大人気のアトラクションのうち、これで2つを制覇したので、残るバック・ツー・ザ・フューチャーにも乗りたいと主張した。こっちは、夜景が見たいから、近ツリのシャトルバスに乗り、帰ろうと主張。バック・ツー・ザ・フューチャーの待ち時間が50分だから、スタジオ発のシャトルバスには間に合わない。ということで、お互い、自由行動にすることにした。
 まだ、ちょっと時間があるので、夕食をここで。アメリカっぽく、ビールにハンバーガー。ハンバーガーが4.9ドルもした。観光地だから高いのかなと思ったが、出てきたものを見てびっくり。すごく大きいダブルバーガー。通常のマックの3倍はあると思う。
 時間調整でスタジオをふらふら歩き出口へ。近ツリのシャトルバスは、ゲートのロータリーに来るはず。タクシー乗り場には長蛇の列。こんな山の上まではタクシーが来ないのだろう。日本だったら、タクシーの方が金になるからといって上ってくるだろうが、アメリカは違うようだ。儲かってもめんどくさいことはしないのが国民性。不安だったが、ロデオ・ドライブ発のシャトルバスは、10分遅れでやってきた。不安に思った人々がかなりいたようで、何人か乗り込んできた。話を聞いていると、朝からツアーでやってきて、すべてのアトラクションを見尽くしたとか。すごいですね。
 このシャトルバスの最終便は、夜景も見れるように、グリフィス天文台をわざわざ経由する。この山の上からは、ロサンゼルスの夜景がきれいに輝いていた。碁盤の目のように整然と輝いている。しばし呆然と眺めていた。そして、ふたたびバスでダウンタウンまで戻り、バスは、各ホテルをまわってくれる。この近ツリ運行のシャトルバスは、日本人観光客にとって便利な乗り物となっている。
 友人も、まもなく戻ってくる。タクシーに乗れなかっただろうと聞いたら、近くのホテルまで下りて、呼んでもらったとのこと。なかなか賢い。夜間割り増しで30ドルかかったそうだ。友人は、ホテルにあるスパに行くため、部屋を出ていった。
 長い長い一日がようやく終わった。
 
8月14日
 今日は、グランド・キャニオンの一日ツアーである。8時にロビー集合となっている。迎えには、アメリカ製ミニバンがやってくる。運転席・助手席の他に3列シートがあり、2列は3人掛け、最後列に4人座ると12人乗ることができる。日本人の女性係員より、まず聞かれたことは、体重であった。重すぎると危険ですか、と聞いたところ、プロペラが2つあるから大丈夫とのこと。答えになっていないと思うが。途中、ニューオータニで家族4人を拾い、その後、別のホテルで2人を拾い、フリーウエーで空港へ。空港は、昨日の国際空港とは違い、郊外にあるプライベート用の飛行場のようだ。フリーウエーの道は、アスファルトだかコンクリートだかわからない路面で、継ぎ目が多く、けっこう荒れている。最新のアメリカ製の車は、ユーザーのヨーロッパ指向を受けて、かなり硬めのサスペンションを使っているため、突き上げが多く実に乗り心地が悪い。そのうえ、トラック派生のシャーシにがらんどうの空間を載せたミニバンという車は、振動を抑えるうえで、圧倒的に不利であり、乗り心地は、現在の技術では乗用車以下なのである。昨日乗ったタクシーのように、ふわふわの古いアメ車の方が、こうした荒れた路面には適していると思う。
 フリーウエーへの進入も、日本とは逆である。日本の場合、流出が先で、その後に流入となるが、こちらは、まず流入があって、そのまま流入の車線がしばらくすると流出につながる。つまり、流入から流出までは、1車線多くなることになる。その間に、流入した車は、他の車線に動き、そして流出する車は、その車線に入ってくる。多少交錯が心配されるが、意外にスムーズに流れている。ジャンクションも3車線と2車線が交われば、単純に5車線道路となり、その後必要に応じて、流出を機会に車線の減少を実施する。無理な合流がないため、流れはスムーズで、どこもだいたい5車線の道路となっている。それでも朝のラッシュのためかところどころ渋滞していた。ここは自動車の国、アメリカである。ちなみに制限速度は、75マイル(約120キロ)となっている。
 フリーウエーを降りて、空港近くのホテルで4名を乗せた。ほとんどぎゅうぎゅう詰め状態である。はたして小型飛行機にのれるのか不安。もしかしたら、1機だけじゃないのではないかと初めて思った次第である。空港に到着。空港といっても、小型機が並ぶ小さな空港。事務所のような待合室で待たせられる。ドリンクはフリー。しばらくするとあっちこっちから日本人観光客が集まってくる。係員から、我々二人に、別の飛行機に乗ってくれという。通常、6人乗りで飛ぶが、今日は満員のため副操縦席も使って7人乗りでフライトしたいそうだ。奇数になってしまうので、グループを分けなければならないと言う。赤の他人同士だから目をつけられたのだろう。そのかわり、副操縦席に座ってもらうのでとのこと。おいしい話なので、その場で了承。5機のセスナで飛ぶこととなっている。出発前にミーティングがある。耳栓が配られ、地図を前にフライト計画、そして揺れに対する汚物処理まで事細かに説明する。特に帰りが揺れるとのこと。いまだ飛行機が落ちて死んだ人はいないそうだが、心臓麻痺で亡くなった人はいるとか。
 自分は4号機。四は「死」につながるから、日本だったら使わないと思う。呼ばれて7名が、事務所を出るとパイロットが待っている。背の高い黒いサングラスをした男で、かっこいい。係員から、もしパイロットに万が一のことがあったらよろしくと言われた。パイロットが一人なんだから、笑い事ではない。小型セスナまで歩く。機の前で全員で記念写真。たぶん落ちたら新聞を飾る写真になることだろう。さて、乗り込み。入り口を開けるとその扉が階段になっている仕組み。副操縦席に乗る自分が、一番最初に乗り込む。部屋はものすごく狭いく、幅は自動車ぐらいしかない。レバーをまたいで副操縦席へ。前には操縦桿と足下にはペダルがついている。ボードには、計器がぎっちり詰まり、前なんか見えない。横のガラスには、開閉可能な扉がついている。最後にパイロットが乗り込み、チェック表を見ながら、エンジンを片方づつ始動させ、念入りに計器をチェックしている。管制塔と無線連絡。滑走路をひょこひょこ進み、順番に飛び立っていく。
 今度が自分の機の番だ。パイロットが小窓を閉めるように指示。エンジンがひときわ高く唸り、機は動き出す。すぐに飛び上がった。目の前の操縦桿が思いっきり引かれており、さわらないように手をどかす。どんどんあがっていく。景色は斜めのまま高度を上げていく。下には、ロサンゼルス郊外の住宅地が見える。どの家にもプールがあるのがよく見える。機は、かまわずどんどんあがっていき、しばらくすると水平飛行になる。パイロットは、計器を絶え間なく確認し、数字が表示されているスイッチをこまめに動かし、休んでいる暇はない。単調に飛行を続けるが、時々上下左右に揺られ、パイロットが建て直しをはかる。ストンと落ちることもある。レールがなく命の保証がないだけ、そこらのジェットコースターよりも怖い。気流などの影響を受けるようだ。下は、延々と荒野が広がり、時たま道路や水路が小さく確認できる。緑はまったくない。飛行コースの説明の際、言っていた、エドワード空軍基地と思われる滑走路が見えた。そう、スペースシャトルが帰還する滑走路である。オニズカ氏も本来ならここに降り立って、喝采を浴びたことだろう。
 1時間ほど飛行を続けると、岩山が見え出す。すると飛行機の揺れは大きくなる。さらに30分ほど飛ぶと、左手に赤い谷が見えてくる。巨大な割れ目が、赤く、青い空に映し出される。機は、だんだん高度を落とし、ぽつぽつと荒野に生える木々が見える。高度を落とすときが、操縦では一番難しいと言われている。パイロットは、ショックがないように努めるが、どうしてもストンと落ちてしまう。機は、無事に滑走路を滑り降りた。駐機場には、たくさんのセスナが並んでいる。パイロットは、無線で指示を仰ぎ、駐機場へ。最初にパイロットが降り、続いて皆降りる。降りると、扉を閉めて、ターミナルのほうへ。こういう感覚は、まるで自動車と同じ。パイロットはターミナルで帰りまで休み。片道2時間、往復で4時間の勤務、ツアー代からすると、一日10万円はもらっていると推測され、月収は200万を超えると思われる。5機に分乗したツアー客は、黄色い観光バスへ。ガイドはロサンゼルスから付き添った係員が行う。通常、このバス会社は、運転手がガイドも務めるが、残念ながら日本語はできない。このバス会社、グランド・キャニオン観光の草分け的存在で、数々の特権があるそうだ。その一つが、車で入れないところまで行けるというもの。
 バスは、空港からしばらく走り、公園の入り口で停まる。ガイドが人数分入園料を払っているようだ。国立公園の管理官は、強大な権限を持っており、警官と同じ、拳銃も携帯している。ボーイスカウトのような制服がかっこいい。
 グランド・キャニオン駅が見える。列車で来る人の入り口になるわけだが、1日1便で、これを使う人はほとんどいないので、現在はほとんど観光用。駅の近くに、エル・トバールという唯一のホテルがある。この公園内には、ロッジならたくさんあるが、ホテルとなるとここしかない。部屋からは、グランド・キャニオンが一望できる。5年前から予約を入れないと泊まれないし、金額もかなりのもの。昭和天皇も宿泊している。ここから西に折れ、最初に訪れたところが、ホピポイント。ここは通常、夏期は車が入れないが、このバス会社だけは特別。その昔、ここに住んでいたインディアンがホピ族であり、ホピは平和を意味するインディアンの言葉。名前のとおり、この部族は西部開拓民を攻撃することもなく、友好的であったそうで、現在は、公園外の居住区に移されている。公園にするから出ていけというのもあまりな話と思うが。
 展望台からの眺めは最高である。180度、幾層にも見える赤い断崖が目に飛び込んでくる。ガイドが、こういうことは危険ですからやめましょうと、手すりのない断崖の縁に立って言っている。景観を守るため柵を作っていない箇所があるのだ。ここは、ほんとうに危ないらしく、よく落ちるそうで、落ちたらほとんど助からない。谷底までは、1000メートルあり、風が吹き上げる。あまりの雄大さのため、距離感覚が麻痺している。谷の向こう側まで、なんと16キロもあるそうだ。こちら側がサウス・リムと呼ばれ、観光施設はほとんどこちら側、反対側のノース・リムへは、谷を下り、吊り橋を渡って、再び上っていくか、5時間かけて車でぐるっとまわるしかない。谷に下りるのも一苦労で、山小屋がいくつかあるので2泊しないと向こう側へは行けない。グランド・キャニオンのツアーでは、激流下りが有名だが、これもレベルによりいろいろ、キャンプをしつつ1ヶ月かけて下るものから、数日で下る安全なものまで多々ある。また、谷底に降りるラバ・ツーというラクダとロバのあいの子で下りるツアーもあるが、英語が必すうで、このラバ、英語でなければ指示どおり動かないそうだ。
 そしてようやく食事の時間。ロッジでバイキング形式での食事だが、ガイドが実に親切で、ここに何がある、ここではこれを取れと細かく大声で指示している。日本人は、外国でも懸命にがんばっている。食事もそこそこに、ロッジのみやげもの屋に。インディアンの作った作品が数多くある。ガイドが、早めにレジへといった理由がわかった。レジがのんびりしているのだ。雄大な環境にいると、気持ちまで雄大にになるようだ。
 食事後、ヤババイ博物館へバスで移動。この博物館、展望台兼博物館になっており、ここで出土した化石が展示されているが、やっぱり展望台が魅力的。ホピポイントとは違った角度で谷を見渡せる。ガイドの説明によれば、谷をわたる道が見えるとのこと。確かに小さく見えるが、吊り橋は発見できなかった。
 続いて、マザーポイント。こちらは、唯一、インディアンとは関係ない言葉が地名となったポイントである。マザーさん、この公園の初代園長だそうで、公園整備に尽力されたとのこと。こういう雄大な風景のもと仕事ができるなんてすばらしいしゃないですか。日本の国立公園でもいいですから、文部省と環境庁がいっしょになれば、公園管理官になれるのに、とか。このポイント、絵になる風景で、結構有名な写真家がいたりするそうだ。
 バスは、空港へ戻っていく。キャニオン滞在は4時間あまりだった。夕焼けのグランド・キャニオンは、最高だそうだが、時間の都合、1日のツアーでは決して見ることはできない。ロサンゼルスから、車で16時間。今度は、夕焼けを是非見てみたいものだ。
 空港で、一休みし、それぞれのパイロットのもとへ集まる。気がつかなかったが、このツアーには、女性パイロットもいたようだ。アメリカは、女性もこういった生命をかける仕事にまで進出している。というよりは、女性だと肩肘張らずに、男性と対等に勝負しているという感じ。
 ターミナルから、歩いて飛行機へ。見ると、自動車みたいにガラスに日除けをつけている。ほんとうに自動車感覚である。燃料は、いつのまにか満タンになっている(燃料系は、副操縦士側についているのでわかったのである)。パイロットは、チェックリストを見ながら、エンジンを始動。足下のペダルは、陸走でも使うようだ。そして、次々と離陸していく。帰りの方が揺れるという。それは、砂漠が熱せられて、上昇気流が発生するからだ。さあ、どれだけ揺れるか楽しみ?。今度は、右側(自分の方)にグランド・キャニオンが見えるが、日差しの関係で、かすんで見え、行きほどの感動はない。所々で上昇気流が発生しているのが見える。雲が地面から沸き立ち、上空に向けてひらいている。パイロットは、よく確認しつつ、上昇気流を避けて飛行を続ける。思ったほど揺れない。下は灼熱の砂漠である。光る物体が見えた。鏡をたくさん集めたようなもので、どうやら太陽光発電所のようだ。後ろを振り向くと、みなさん疲れているようで、ぐっすりとお休みしている。まさか、副操縦士は寝るわけにはいかないでしょう。
 ロサンゼルスに近づくと、パイロットは地図のようなもので、空港への進入ルートを確認している。目標物もないこの大空でよくわかるものだと感心。住宅街を下っていき、機が下を向くと、ようやく正面に滑走路が見えた。まるで、ゲーム感覚で、ゆっくりと着陸。
 着陸して、事務所前で駐機すると、エンジンをぱっと切る。パイロットが降り、そのまますたこらと戻ってしまう。記念写真を撮ろうと思った人たちはがっかり。事務所に入ると、行きに撮った写真ができている。パイロットのサイン入りである。10ドル。まあ、こうした写真としては安いほうではないか。ここで、オプション代の320ドルを支払う。再び、行きに迎えに来たのと同じ黒のミニバンでホテルへ。ひとり具合の悪くなった女性がいて、助手席を倒して座らせる。
 ミヤコインへ到着。さあ、夕食はどうするか。リトル東京に位置しているため、アメリカっぽいレストランは見あたらない。フーァストフードもない。とりあえず、ぶらぶらと歩く。寿司屋、そば屋、焼き鳥から小判焼きまでなんでもある。日本よりも日本らしい店の造。結局、日本食は食べたくないので、中華ということになった。「こう楽」と看板のかかった店に入る。メニューも日本語だし、店員も日本人。コックだけが黒人。新聞まで日本のものだ。甲子園は相変わらずやっているし、ヤクルトがトップで巨人は最下位のまま。レバにら炒めが4.9ドル、ビールが2ドル。チップだの消費税だのがあるから会計は難しい。店員の日本人のお姉さんが、小銭を全部見せろという。どうせ使い道ないから使っちゃいな、ということらしい。これでだいぶ小銭が減った。消費税には困り者だ。額面と違うということは、旅行者に小銭を用意させる時間を与えない。結局、大きい札を出して、小銭がどんどん貯まっていく。
 友人は、帰りにホテルの前にある、派手な色使いで、ビデオありますと書いてあるあやしげな「ファミリーマート」へ行った。結果、たしかに裏ビデオもあったが、それよりも日本のテレビを録画したビデオがたくさん並べてあったそうだ。ロサンゼルス駐在の日本人が、日本の番組を見たいとき、ここを訪れるのだろう。そして日本製のお菓子なども扱っている。まあ、普通の店ではないかとのこと。彼は、ご丁寧に、裏ビデオありますという店までのぞいた。通常の日本製Hビデオが置いてあったそうだ。単身赴任向けということであろう。
 さて、ホテルに戻り、切手を買おうと思った。1階ロビーに販売機があったが、これが定価販売ではない。日本まで50セントの切手、この販売機では、4枚3ドルで売っている。ご丁寧に、定価購入を希望する者は郵便局で買えと日本語で書いてある。確かに、ガイドブックにもホテルで買うと高いと書いてあるわけだが。
 このホテルのうり、スパ(浴場)に出かける。2階にあるスパは、入浴料が10ドルもするが、ものはためし。アメリカのスパは水着を着なければだめと思ったが、見るとみな裸で入っている。まあ、リトル東京の中の日系ホテルだから、宿泊者も日本人しかいないというところか。サウナ、シャワー、温度の違ったいくつかの浴槽、マッサージルームがある。マッサージルーム(別料金)は、下着をつけろの書いてあって、マッサージを担当するアメリカ人への配慮かもしれない。浴槽も一つに一人しか入れない小さなもの。同時に多人数が水につかる習慣はないのだろう。ラドンを発生する機械がちゃんとある。
 
8月15日
 今日は、朝が早い。5時30分にモーニングコール、6時30分にロビー集合である。このあいだの女の子2人もいっしょの行程である。迎えのミニバンに乗り、ホテルをいくつか回って空港へ。このミニバン、10人以下だと、非常に便利な乗り物である。女性係員が運転手も兼ねている。空港の道路は、大渋滞。ロサンゼルス空港には、8つのターミナルがあって、無数のパーキングビルが見える。車社会だから、列車で来るという発想がないのだろう。てんでばらばらに荷物を下ろしたり、別れを惜しんだりしている。この空港は、全米第2の過密空港だそうだ。
 サンフランシスコ行き、ユナイテッド2012便は、9時00分の出発。係員がボードをチェック、出発が未定になっている。遅れそうですね、とのこと。飛ばなかったら電話してくださいと言い残して彼女は去っていった。ユナイテッドのシャトルと呼ばれる便は、遅れたりキャンセルしたりすることが多いらしい。こんなことだからユナイテッドは評判が悪いそうだが、移動手段がこれしかないから、みんな我慢しているそうだ。時間があるので、バーガーキングに入る。自分で好きなものをとってレジで払う形式。ハンバーガーだと思って取ったら、中はソーセージだった。朝食メニューだからかな。
 昨日書いた手紙を出す。ポストの場所を聞いたが、みんなが指し示す方角には、ゴミ箱しかない。よく見ると、レターオンリーと刻印がされているので、とりあえず入れてみた。日本に届くかが心配。友人も切手の自動販売機で切手を購入しようとしたが、コインを受けつけず、札を入れたが、こんどは切手が取り出せない。詰まってしまったようだ。でも、これはどうやら無理矢理に引っ張って取り出すものらしい。
 みやげもの屋では、ドジャースのグッツが並ぶ。ロサンゼルスは、今、野茂が大人気だそうだが、ちょうど2日前負けてしまっている。オプションで野球観戦ツアーもあるようだが、食事もついてなく、野茂登板も保証されていないのに、70ドルは、どうみても高すぎる。
 ようやく出発時刻が10時30分に変更された旨、ゲートの案内に表示された。ユナイテッドは、まったくひどい会社である。黒人のスチュワーデスは、リンゴをかじりながら、文句をいっている乗客の対応をしているし、パイロットと思われる男性は、ラフなシャツに帽子をかぶるといった格好。たるんでいるとしか思えない。10時10分、ゲートで係員が一席ぶって(遅れたくせに偉そうにアナウンスしている)からようやく搭乗となる。ゾーンごとに乗り込むらしいが、みんないらだているので、もうごったがい。出発時間の30分になる前に、乗り込みが完了、すると、すぐ動き出す。さすがシャトル便だけある。ものすごいスピードで空港を走り出し、急に曲がったと思ったら急加速、あっという間に離陸してしまった。なんたる早業。ボーイング737は急上昇を得意としていることもあり、どんどん高度を上げていく。水平になるとスチュワーデスが、ドリンクの注文を取りに来る。それを控えていて、あとでトレーにのせて、どんどん配っていく。確かに効率的ではある。1時間後の11時30分にサンフランシスコに到着する。
 サンフランシスコの係員は、待っていてくれた。こちらは、ロサンゼルスとは別の会社が委託されている。サンフランシスコは、とても風が冷たい。聞くと、夜はもっと寒くなるとか。現在この空港は、工事中のため、車が止められない。そのため、ちょっと歩いて待機。ようやくバスがやってくる。後ろに荷物室がある小型のバスである。バスは、空港から、中心部に向けて走り出す。空港は、晴れているが、中心部は霧に包まれている。サンフランシスコの夏は寒い。沖合を寒流が流れ、冷たい風が吹き寄せる。そして内陸の砂漠から暖かい風が流れ込んで、サンフランシスコに霧が発生する。観光のベストシーズンは秋から冬にかけてで、晴天が続く。夏の間は寒いので、サンフランシスコ人は、ハワイに4時間かけて飛び、バカンスを楽しむそうだ。
 この街の車は、ロサンゼルスと比べ、きれいである。霧は、塩分を含んでおり、すぐに錆びてしまうため、ワックスは欠かさないそうだ。狭い土地に多くの人が住んでいるため、家は密着して建てられるのが特徴。長屋のように見えて、実はそれぞれ独立している。裏には小さな庭があり、近所の迷惑など無視してバーベキューなどをするそうだ。
 バスは、最初、ツイン・ピークスというサンフランシスコが一望できる山に向かう。当然、霧で何も見えない。本来だと、すばらしい港町の景色が一望できるはずだったが、夏ではほとんど無理。ちなみに、同名のテレビドラマは、こことは関係ないそうだ。山を下り、ゴールデン・ゲート・パークを通過する。車が多数駐車していが、ここは路上駐車可だそうだ。狭い土地を有効利用できるというのが理由らしい。それから、坂が多いこの街でしかみられない駐車の仕方もある。道に対して直角に止める方法で、これはブレーキがゆるんで車が落ちてくるのを防止するためであり、坂が急なところでは、いたるところで見られる。このパークには、日本庭園も見えるが、これは万博で作られたものだそうだ。
 そして、有名なゴールデン・ゲート・ブリッジに到着。霧が橋のタワー上部を流れる。見晴らしはまあまあ。風が冷たい。設計者の銅像とともに、ワイヤーの断面も展示してある。遠くには、中心部のビル街、そしてアルカトラズ島も見える。ゴールドラッシュでできたこの街、ゴールデンという地名が多い。この橋も当初はゴールドに塗る計画だったそうだ。しかし、ゴールドだと霧で見えないということから、この赤になったそうだ。
 バスは、プレシディオと呼ばれる軍事基地、マリーナ地区を通り、フィッシャーマンズ・ワーフへ。ここで、食事を兼ねた休憩。漁港が観光スポットとなったところで、潮の香りが漂っている。潮の香りといえば聞こえがいいが、つまりは生臭いのである。蟹や魚介類が、露天で売られている。蟹好きの友人は、蟹を買い込んで食べている。こちらは、蟹が好きではないので、とりあえずクラムチャウダーを食べる。パンをくりぬいて作った器に、貝のシチューがはいっている。皆、器は残しているが、自分は半分ほどかじって食べた。味がしみこんでいておいしい。
 目の前に、アルカトラズ島がみえる。かつて脱獄不可能と言われた凶悪犯用の監獄だったところで、アル・カポネも収監されていた。泳げば脱獄できそうな気がするが、ここの水は冷たく、潮の流れがとても早いので、泳ぐことは無理らしい。島は現在、観光地となっており、ツアーもある。
 昼食タイムを終え、バスは、ダウンタウンへ。チャイナタウンを通り、ジャパンタウンへ向かう。1906年の地震による火災の被害がなかったチャイナタウンには、昔ながらの建物が数多く残る。ジャパンタウンには、ミヤコインがあり、そこに泊まる人のチェクインのため、しばらく停車。こじんまりとしており、鳥居型の門や五重塔があるぐらい。ところが建物に入るとびっくり。近鉄デパートになっており、食堂街が、日本の路地のようになっている。もっと先には映画館もあるそうだ。たいしたものだ。
 次に、日航ホテルの人のチェックインの時間を利用して、免税店で下車。ここは、どこにでもあるデューティー・フリー・ショッパーズの店で、1階の買い物はその場で、2階の買い物は空港渡しとなる。金額を見る限りアメリカは、それほど安いところではないように思った。
 ホテルカリフォルニアンというところが宿泊先になる。先日来の女の子組もここ。暗いロビーは、装飾がいかにも古く由緒がありそう。ケーブルカーの1日乗車券をもらい、明後日の集合時間を確認。日本で手配できなかった明日のヨセミテ国立公園のオプションを手配してもらった。120ドルを現金で支払う。女の子たちは、明日はアルカトラズ島のツアーへ行くようだ。このホテルでは、チェックインのとき、クレジットカードの番号を登録する。ようは有料金庫やテレビ、電話代などを払わずに出ていってしまうことを防止するためだそうだ。日本人ツアーによくあるらしい。金庫は有料だが、使ったほうがいいという。金庫に入れて置かずになくなっても、ホテルは責任をとらない。
 エレベーターは、がくんがくん動き、危なっかしい。部屋に入ると、カビ臭い。ドアは、いまどきオートロックでもない。それでも部屋は大きく、ダブルベッドのツインがおさまっている。風呂・トイレもすごく大きく古い。荷物は、あとでボーイが運んでくることになっていたが、いっこうに来ない。もしかして、と思ったら扉の外に置いてあった。なんとも危なっかしい。
 頭が痛い。すこし具合が悪いようだ。寒暖の差が激しいから、風邪をひいたのかもしれない。もしかしたら、昼の貝にあたったのかも。しばらく休んで、せっかくだから夜のサンフランシスコにくりだす。昼間に増して、とても寒い。長袖を持ってこなかったのは、今回の旅の最大の失敗である。明日は、乗れそうもないので、ケーブルカー1日券を使ってしまうことにする。ホテルをユニオン・スクエアの方に向かって歩き、パウエル・ストリートを下るとすぐにケーブルカーの出発点がある。長蛇の列ができており、ほとんどが観光客のようだ。ケーブルカーが入ってくると、大きな黒人と小柄のおっさんの組み合わせ(なぜかどの車もおなじ組み合わせ)がおり、車体を手で回転台に乗せ、一生懸命車体を押して回す。そして登りの線路まで押し出す。これで、この小柄な男が車体真ん中にあるレバーで、回転しているケーブルをつかんだり離したりして山を登っていくわけである。ブレーキは、後ろに乗る黒人の大男が担当、切符の販売もこの男が行う。
 3台目でやっと乗り込めた。デッキから身を乗り出すのが観光客っぽくていいと思うが、寒さと頭痛で苦しかったので、中のいすに腰を降ろす。超満員のため、何も見えない。それでも、傾斜は実感できる。座っている人もずり落ちるぐらいきついもので、この町は、ほんとうにアップダウンが多い街だと実感できた。途中、停まると、多くの人が乗ってくる。果たして、料金を正しく払っているのか疑問に思った。丘の上、世界で最も曲がりくねった道といわれるロンバート・ストリートの真上でも停まってくれた。確かに5メートルおきにくねくねとまがっており、花壇がきれいである。下に向かって港町がひらけている。そして、しばらくいくとケーブルカーはなぜか停止。大男が降りろという。全員、降りた。数メートル空で動かし、また乗れという。つまりは、重すぎて登り切らなかったということだ。その間、後ろにつけた車は、クラクションも鳴らさず待っている。まこともって紳士的な国である。後で聞いたところ、この街ではケーブルカーが最優先であり、運行を妨害してはいけないことになっているとか。登り切ったケーブルカーは、今度はどんどん下っていき、キャナリーと呼ばれる元デルモンテの煉瓦作りの工場(いまはブティックやギャラリー、映画館となっている)横に到着。ここからは徒歩。観光地化したベイエリアを横切る。昼に来たフィシャーマンズ・ワーフを通過、ピア43、ピア41の前を通り、目的のピア39に到着した。ピアとは桟橋のことで、特にこの39には、ブティックやレストラン、遊園地、水族館、ゲームセンターまである。ここは、100店以上集まったショッピングセンターとして、サンフランシスコ有数の観光ポイントとなっている。山の手には、コイト・タワーをはじめ、サンフランシスコ中心部の建物群が見える。夜景にはまだ早い。2階建てになった桟橋をゆっくりとウインドショッピング。突端まで出るとアルカトラズ島が目と鼻の先になる。その横は、なぜかアザラシの生息地となっており、ウェーウェーいいながら、無数に浮き島のうえに体をはべらしている。
 ここで食事をすることにした。すこしはきれいそうで、高くなさそうな店を選び中へ。魚介類は苦手だし、体調も回復していないので、グリルドサーモンサンドとビールという組み合わせにした。友人は、豪華に海老(蟹と海老はどうしても食べたいと言っていたので)、それにサーモンバーガー、クラムチャウダーという注文。案の定、食べきれない量で、サーモンバーガーを一口かじっただけで、残している。ところで、グリルドサーモンというとかっこいいが、見ると単なる焼き鮭、日本旅館の朝食メニューとかわりがない。それをパンで包んであるわけである。まあ、それでも冷凍せず陸揚げされる活きの良さということで、納得することにした。しめて50ドル。自分のは15ドルくらい。チップを払って店を出る。すっかり暗くなっている。中心部の夜景が湾に映って、この港町はきれいに輝いている。アザラシはまだ鳴いている。ピア39は、メリーゴーランドなどがにぎやかで、店々の照明も港町の雰囲気を醸し出している。
 ピア39を離れ、フィシャーマンズ・ワーフのにぎやかなショッピング街を通り、ケーブルカーの回転場へ。キャナリーなどライトアップされているが、回転場あたりは、暗く寂しい。と思ったら、長蛇の列。どうやらケーブルカーが来ないようだ。1台は停まっているが動く気配はない。ようやく出発するが、後続はまだ引き込み線に待機中。この車両も回転台に入り方向転換するものの、客を乗せずに走り去った。回送か。乗客からブーイング。次もなかなか動かない。引き込み線には数台いるが、動かない。そもそも時刻表なんてものはないのではないかと思った。ようやく1台が動き始めると、拍手。それでも列の4分の1しか乗れない。かなり時間がたってから出発。これの繰り返し。とうとう1時間も並んでしまった。冷たい風が身にしみる。人がたくさん待っていて、列車があるんだから動かせばいいものを、二人の男は、車内でくつろいる。気ままな仕事をしているものだ。もう労働時間が終わった、あとはサービスさ、ということだろうか。これがアメリカの労働意欲というものか。リムジンに乗らないかと声をかけている男がいる。リムジンとは、アメリカ製大型車を改造し、車室を大きく取って豪華なソファーを入れた車。夜になると着飾った男女がこれに乗って観光スポットを回っている。10時すぎると需要が減るのだろうか、営業活動をしている。まさに市場原理が働いている。
 ようやくケーブルカーに乗り込む。なかなか、動かなかった理由がわかった。この込んだ客室の中で、大男が切符を売っている。もう少し、何か別の方法を考えたらどうだろうか。ケーブルカーは坂を上り、そして下る。ロンバート・ストリートでまた停車。下に見える夜景がとてもきれいだ。アップダウンを繰り返し、ユニオン・スクエアを通り、終点へ。なかなかおもしろい乗り物であった。
 ホテルへ向かう。途中、コンビニで水と明日の朝飯のパンを購入。店を出ると、黒人の乞食に話しかけられた。金がないと日本語で言う。びっくりしたが、この乞食、何カ国語もしゃべれるようで、違う人に違う言葉で話しかけている。ずいぶん勉強家だなと思ったが、そんなに努力するくらいならば働けばいいのにと思う。そう、ここサンフランシスコは、乞食が多い街だ。港町だから、漁港に行けば、食うのに困らないのだろう。フィッシャーマンズ・ワーフでも観光客の残したクラムチャウダーのパンの容器を集めている乞食がいた。白人の乞食というのはいないようだ。
 ホテルに戻り風呂。映画のシーンででてきそうな古い風呂であるが、水のでもよく流れもスムーズ。なんか不思議な気がした。風邪薬を飲んで寝る。
 
8月16日
 今日は、ヨセミテ国立公園一日ツアーである。朝8時、ロビーで待っていると、ヨセミテという女性の声、ロビーにいた何人かの日本人が集まった。しかし名簿に名前がない。近ツリのツアーだといったら、別のツアーでしょ、と言われた。
 しばらくすると呼びに来た男がいた。人数が少ないのか、12人乗りのミニバンであった。日航ホテルで、2組4人を乗せて、一路ヨセミテに向けて出発。ヨセミテは、ここから320キロも離れているという。休憩をいれて4時間はかかるであろう。いわば東京から仙台の蔵王観光に行くようなものだ。
 昨日のケーブルカー転回場を通過。黒人がたくさんたむろしている。ガイドが言う。こんなこと言うと人種差別になるが、黒人は街を汚くしている。たしかに、ゴミを捨て、街を散らかしているのも黒人であり、乞食になるのも黒人。これは人種や貧困以前の持って生まれた美意識に関する性格の問題ではないかと思った。
 車は、ベイブリッジを渡る。サンフランシスコとオークランドを結ぶ全長13.6キロのこの橋は、なんと昭和11年に完成したものであり、上下2段でそれぞれ5車線の車道を持っている。こんなものを戦前に作れる国と戦争をした日本、これじゃあ勝てるわけないとつくずく思った。
 オークランドは、現在、サンフランシスコの外港として多くの貨物船が到着するベイエリアとなっている。もう、ベイブリッジを渡ると、そこには霧がない。晴天が続く。このフリーウエーの80号線、どこまでも行くとニューヨークに到達するという。広大な国、アメリカ。とはいっても、このフリーウエーには日本のようなサービスエリアはない。休みたいときは、降りて、モーテルに入ればいいし、お腹がすけばレストランもある、ガソリンスタンドだってどこにでもある。ようはフリーだから、どこのインターチェンジで降りてのっても、タダということである。どこで降りればスタンドがあるか、インターチェンジに親切に表示してある。
 そして、長距離ドライブが必須のアメリカでは、車にクルーズ機構がついている。一定速度で走行中にスイッチを入れると、アクセルを踏まなくても同じ速度で走り続ける。ブレーキを踏むと、解除されるという機構。アメリカ製だけでなく、輸入されてくる日本車だってついているとのこと。これは足が疲れない、とっても便利な機構である。しかし、車線が少なく、車間の速度差が大きい日本では用をなさないということで、普及しなかったものだ。
 車を見ているとナンバープレートがいろいろあるのに気がつく。アメリカでは、州ごとに色も形も違い、書いてある内容さえ違う。カリフォルニア州では、州名と番号しか書かれておらず、特別料金を払うと番号に自分の名前を入れることも可能とか。色違いは、古い車で、年代により色分けしている。それにしても白地にカリフォルニアとイタリック体で書かれているのは、実におしゃれである。
 フリーウエーに平行してバートと呼ばれる列車が走っている。サンフランシスコとオークランドなどを結んでいる列車で、集中制御式による自動運転を行っている。電気は、銀座線のように横から取り、景観を守っているとか。そして、この列車、サンフランシスコに働く労働者の足になっている。労働者の多くは、狭い都心部には住まず、ベイエリアなどに居住しており、車やこのバートを使って通ってくるわけだ。バートの各駅には、広大な駐車場があり、通勤者はそこに車を置いて、バートに乗り換え都心に入ってくる。サンフランシスコに入ってしまえば、交通機関が発達しているので、車はいらない。車なしで生活できる都市は、アメリカでは、ここサンフランシスコとニューヨークだけだという。
 車は、どんどん郊外へ向かう。あたりは、丘のつらなる草原となる。草が枯れているため、一見砂漠のようだ。このあたりは、雨期と乾期が分かれており、雨期となる春には、青々とした草原が見られるとのこと。現在の枯れた状態を、ゴールデングランドと呼ぶそうだ。そうこうするうちに風車が見えてくる。サンフランシスコ名物の風力発電所である。昼から夕方にかけての風をひろって発電をするそうだが、朝だというのに、もう回っている。
 フリーウエーを降り、フルーツストアーで一休み。この店は、近隣の果樹農家が出資して作ったストアーで、新鮮なフルーツからジュースまで、いろいろ取りそろえている。他のツアーも立ち寄っているし、中国人のツアーもいる。ツアーでは、必ずここに立ち寄る契約になっているようだ。でも、レジがのろいので、買う気をなくさせる。
 再びフリーウエーにのり、一路ヨセミテへ。そしてフリーウエーを降りると、ヨセミテ街道と呼ばれる一本道に入る。どんどん進んで、ヨセミテの手前の村マリポサで給油する。この村、よき時代のアメリカを今なお残している。ガソリンスタンドには、大型バイクの列、どのひともいい年のおじさんたち。ものすごい音を響かせ、走り去った。アメリカでは、不良中年が暴走族をやるようだ。
 川沿いに道はくねくねとなり、両側の山が厳しくなってくる。いよいよヨセミテだ。公園の入り口にはゲートがあり、料金を取られる。ここからが、公園管理官の管理下になる。まず最初に訪れたのが、トンネル・ビューと呼ばれるポイント。岩をくりぬいて作ったトンネルの前にあるところからこの名がついた。景色がすばらしく、ここに展望台ができた。正面のはるか向こうに岩山を半分に割ったような山、ハーフ・ドームが見え、風が吹くと花嫁のベールのように見えるブライダルベール滝も視野に入っている。青い空、白い岩山、黒い岩肌に白い滝、そしてびっちりと緑でひきつめられた針葉樹林帯。グランド・キャニオンとはまた違った自然美がここにある。グランド・キャニオンが自然の荒々しさを表現したアメリカ的な観光地であるのに対し、ヨセミテは、日本人の感性にぴったりの自然美が表現されている。
 バスで、再び下り、岩山エル・キャピタンを左手、ブライダルベール滝を右手に見えるところへ。迫る岩肌がものすごく迫力がある。逆光で見にくいものの、滝も見事にベールがひるがえっている。続いて、川とハーフドームがよく見える地点で下車。橋の上からは、川の水が緑に輝き、正面には堂々と白いハーフ・ドームがそびえる。空はどこまでも青く、針葉樹林は日に照らされて緑を発している。
 そして、バスは昼食地点のヨセミテ・ビレッジへ。ここで弁当をもらって、2時間あまりの休憩。ロッジの中庭で弁当を食べているのは、日本人ツアー。ここで弁当を食べるのが、すべての日本人ツアーの行動パターンになっているようだ。この中庭、日本人だらけで妙である。ロッジのみやげものを見て、目星をつけたうえで、ヨセミテ滝を目指した。ビレッジからは、10数分で登れるところに、ヨセミテ滝はある。小さいようではあるが、実は北アメリカで最も落差の大きい滝であり、三段に分かれて落ちてくる。5から6月は、水量が多く谷に轟音が響きわたるが、今はそれほどでもない。行こうと思えば滝壺まで行けるが、途中でやめて戻った。ロッジのみやげ物屋でおみやげを買い、水を購入して車へ戻る。
 車は、エル・キャピンの真下で停まり、岩場見物。岩登りの人たちがへばりついているのが見える。アメリカ人が、望遠鏡を固定して、見ている。みんな見せてもらった。なぜ人は岩に登るのか、それはそこに岩があるからだ。続いて、この谷が最も美しく見える地点、ヨセミテ・バレーに到着。青い空、白い雲、両側に岩山が開き、川と緑の草原のコントラストがとてもすばらしいところ。絵はがきもここから撮られたものが多い。
 車は、帰路につく。帰りは、ドライブインで休憩を入れる。ここは、トラックの連中が集まって、作ったというストアーで、果物の他にドリンクやアイスクリームなどの品揃えがいい。友人は、ルートビアというアメリカにしかない(なぜか青山の紀伊国屋にはあるそうだ)炭酸飲料を見つけたといってよろこんでいる。他のツアー(日本人もそれ以外も)もやってきたので、店内もそしてトイレも大混乱となっている。
 車は、延々とフリーウエーを走り続ける。巨大なスーパーを見つけた。外で売っているのは、車である。日本では、車を買う場合、まず注文し、それを工場に発注して組み立て後、納車される仕組みになっているが、こちらは、輸入車も国産車(アメリカ車)も組み立てられた後に、展示場に並べられ売られる。買う方は、少しずつ違う仕様を見ながら、足りないものは取り付けてもらい、その場で買って帰るわけである。いろいろなメーカーのものを取りそろえているところも多い。ナンバーはというと、その後、陸運局から送られてくるので、それを自分でネジを止めるだけという。なんと悠長な。だから、ナンバーがついていない車は新車ということになる。
 ベイブリッジまでは、雲一つない晴天である。サンフランシスコ郊外の風車は元気にまわっている。ベイブリッジを渡るころから、雲ゆきが怪しくなる。渋滞だ。料金所によるものらしい。ベイブリッジを渡るには、料金が必要になるが、我々の車は、横道にそれて、迂回、するとなんと料金所を通らないではないか。不思議だ。車に多人数乗っていると取られないのかもしれないが、この点は不明。サンフランシスコに入る時は、ベイブリッジの上の段を走る。橋から眺めるサンフランシスコの摩天楼は霧にかすんで、すばらしい景色である。中間地点にトレジャー・アイランドという島があるが、ここからの夜景が最高だそうだ。本当は、ディナークルーズのオプションで夜景も見たいところだが、男二人で行ってもムードないし、しょせんスーツなんか持ってきていないからあきらめた。さすがアメリカ、マナーがうるさい。ちょっとしたところなら、ノーネクタイでは入れないのである。ディナークルーズも同じで、観光客はいざしらず、地元の人たちは、このときとばかりにおめかしして望むそうである。
 霧にかすむサンフランシスコに到着。午後ちょうど7時である。4時間かかっていることになる。ホテルまで送ってもらい、これでツアーは終わり。車を出る。寒い。
 さあ、夕食。お金もなくなったので、アメリカっぽくマクドナルドでディナーということにした。場所は、昨日のケーブルカーの転回所近く、隣がバーガーキングである。店にはいると、奥がかなり深い構造になっている。日本のようにたくさんの人が並んで、ごったがいしている。日本と同じ、バリューセットが存在する。こちらでは、バリューミールズと呼んでいる。他の人の対応を見ると、番号を言って、飲み物を指定するだけのようだ。自分も、番号をいって、コークと言う。もって帰るかどうかと聞くので、ヒヤーと言うと理解したようで、ちゃんとトレーにダブルバーガーのセットがコーク付きでのせられる。本当に簡単である。お金はというと、日本と同じように税込みで金額が表示されるので、用意しているうちに、その金額を用意すればいい。このセット税込み3.79ドルである。ドリンクもポテトもLサイズなので、本当に安くてお得。味はというと、日本とまったく同じ。
 食後、冷たい夜風に吹かれて、ユニオン・スクエアを散策。黒人たちがたむろしていて不気味である。このあたり、高級ホテルが並び、ホテルから出てきた観光客はみなきちんとた身なりをしている。ドアマンからして気品がただよう。一方で乞食も多い。アメリカは、実力社会であり、勝ったものと負けたものの差が大きい。ガイドさんにしろ、ジャパンタウンの店員さんにしろ、日本人もがんばれ。
 ユニオン・スクエア近くの本屋で時間つぶし。4階建ての本屋は、ありとあらゆるもの、書籍からレコード、ビデオ、そしてパソコンソフトまで取りそろえている。スケルトンという骸骨をリアルに再現する人体観察のパソコンソフトがおもしろそうだったが、お金がないから買うのをやめた。その他、日本の上空を飛ぶフライトシュミレーターのソフトもおもしろそう。パッケージには、なぜかフジヤマと鳥居が描かれている。マッキントッシュは、もうほとんど絶滅寸前の扱い方。そのコーナーを見ている客は日本人だった。
 帰り道、じゃらじゃらとお金の入った箱を持った、乞食が寄ってくる。実に、サンフランシスコの乞食は積極的である。昨日のコンビニで水とカリフォルニアワインを買って帰る。安ホテルで、隣の建物の壁しか見えない窓に向かって、カリフォルニア最後の夜に乾杯。
 
8月17日
 今日は、10時集合だから、ゆっくりできる。ちょっと早起きして散歩。昨日のマックに行くと、ちゃんとモーニングセットがある。こちらも番号を言えばすむが、このセットは飲み物により金額が違ってくるようになっている。ソーセージマフィンセットとコーヒーのシングル。これで税込み2.74ドル。日本より少し安いぐらいか。揚げたてのポテトがおいしい。
 まだ時間があるので、ユニオン・スクエアのあたりを散策。このあたり高級ブティックが並ぶが、今日は日曜日なので開店が午後からのところが多い。上から電源をとるトロリーバスが走っている。ケーブルカーに似せた観光用のバスも走っている。チャイナタウンの門のところまで行って写真。門のところで、外国人に写真を撮られた。きっと、家に帰って、中国の門と中国人なんて言って、友達に写真を見せるのだろう。手紙を出そうとポストを探す。路地にあるポストは、ロサンゼルス空港のポストにまして、本当にゴミ箱みたいである。
 10時前にホテルに戻る。9時には荷物が降りているはずであったが、見あたらないので、部屋に戻ると、ちゃんとまだ置いてある。仕方がないので、自分でおろす。そして係員が迎えにくる。女の子二人も今日いっしょに帰国のようだが、荷物が下りていないと知っておおあわてで部屋に戻った。
 ミニバンは、日航ホテルに寄って、4人家族を拾い、空港へ。空港に向かうフリーウエー、街を離れるにしたがって、天気は良くなり、左手にはあざやかなグリーンの海がきらきら光り輝いている。空港が近づいてくる。新たにターミナルを新設するなど、空港拡張工事が大工事であることがわかる。空港に到着。出発までかなりの時間がある。航空券をまだもらっていないので、飛行機の便名が書いてあるシールを服にはってもらう。これで、免税店にフリーで入れるそうだ。すべてのドル・セントを使い切ろうと、店をかけずり回るが、消費税がかかるため、ますます半端が出て、思うようになくならない。空港の売店も免税扱いのデューティー・フリー・ショップと税込みの普通のショップとがあり、どうもアメリカの税制はよくわからない。酒、たばこ、香水、化粧品、ブランドものは免税店で購入できるが、その場ではもらえず、搭乗ゲートでの渡しとなる。その他小物、チョコ、お菓子などは、税金がかかるが、その場で渡される。チョコにいたっては、両方で買えるからややこしい。ちなみにサンフランシスコの有名なチョコは、See’sだそうだ。
 レストランに例のルートビアがあったので、飲んでみることにした。お金に余裕があったのでミドルサイズを注文(といってもミドルのコップに自分で注いでレジに持っていくのだが)してしまった。あまりおいしくないので後悔。好みの問題もあるが、これならドクターペッパーの方が十分おいしと思う。
 お菓子の自動販売機を見つけた。税込み価格で表示されているので、コインの消化にはもってこいである。細かいお金をつぎ込んで、m&mのチョコを買う。免税店での買い物は、もうドルがないのでカードで決済。購入した商品は、その場では渡してもらえない。本当に大丈夫だろうか。
 集合時間に集まる。係員より航空券をもらう。そして出国ゲートへ。出国といっても、入国の時のような厳しい審査もない。手荷物検査をすると、それで終わり。もうそこは搭乗口となっている。自分の乗る飛行機の搭乗口の前に、免税商品が並べられ、そこにさっきの購入の証明を持っていくと、そこで自分の商品を渡してもらえる。こんな制度は初めてである。この制度では、時間が迫るともう免税店では買い物ができなくなる。現に、我々の前に出発するJALのお客が、免税店でもう買えませんと店員に怒られていた。
 搭乗ゲートからノースウエスト機へ乗り込む。満席のようだ。ツアーの女の子たちとはまったく席が違う。後ろからは中国語が聞こえてくる。成田でトランジットするのであろう。行きと同じく権利だのなんだのと言っているが、この満員状態で本当に席を代えてくれるのか疑問に思った。機は午後1時55分に動き出す。滑走路は、何機か並んでおり、かなり込んでいるようで、待機が続き、なかなか飛び立たない。ようやく滑走路を滑り出し、アメリカの大地を離れたのは午後2時25分のこと。飛行時間は10時間弱。今日のサンフランシスコは晴れている。海がきれいに輝いている。
 行きとは違って、時差ボケを解消するためには、寝てはいけない。とはいっても疲れているのでうとうと。食事は、エビとチキンを選べる。今度はチキンを選択。チキンときしめんみたいなパスタ、まずまずのところ。いつもながらケーキがどうして、こうも甘いのかわからない。これもアメリカ人の味覚なのであろう。暇なので映画を見る。沈黙のなんとかという潜水艦の映画で、なぜか字幕は中国語、これじゃなんだかよくわからない。漢字と英単語、そして画面を突き合わせ、すじはなんとか把握できたが、どうやら重い話であることはわかった。ああ疲れた。次の話も、音楽の教師の話であまりおもしろそうではないので、とうとう寝てしまった。ラストだけ見て、すじも知らないのに涙ぐむ。スチュワーデスが一生懸命免税品の販売をしている。もうお金がないので、用はない。8万円をドルに替えて持っていったわけだが、ほぼ全部使い切ったわけである。午後11時になると朝食?に。今度はパンの軽食。12時になり、日本時間が発表になったので、時計を日本時間にあわせる。18日の午後4時とのこと。何か1日飛んでしまったようで、損をした感じがする。
 
8月18日
 飛行機は、無事、4時26分に成田の地に足をつけた。ブリッジを渡り、いいかげんな検疫検査所を素通りし、入国審査。パスポートを見せ無言でパス。ターンテーブル場へ降りていき、荷物が出てくるのを待っている。すごい人混み。それになかなか出てこない。ようやく出てきて、それを引っ張り税関へ。仕事かと聞かれたので、観光と答える。それでおしまい。扉を出ると、ロビーである。帰りはスカイライナーで帰ることにした。エクスプレスが満員だというのに、なぜか安いスカイライナーの方はいつも空席がある。多少揺れは大きいが、本数も多く、時間はほとんど変わらないし、座席間の空間も余裕があっていい。
 窓から見える景色が、実に日本的である。家々は小さく、統一感がなく、電線が無数に走ってアンテナが生えている。これ、どうにかならないものだろうかと考えつつ、日暮里で乗り換える。7時近くで、通勤客が多く申し訳ない。