<オリーブ収穫>


(早尾、6月よりエルサレム在住)

 11月はオリーブの収穫期。僕はヨルダン川西岸のオリーブ収穫に参加しました。

 僕が西岸のオリーブ収穫に出かけたことには理由があります。西岸地区の中には、ユダヤ教徒(ユダヤ系イスラエル人)の入植地がたくさんあります。それらはしばしばパレスチナ人のオリーブ畑に隣接していたり、またオリーブ畑を見下ろせる高い位置にあります。オリーブ収穫のこの時期、農作業をしているパレスチナ人らに入植者がしばしば発砲をしたり、投石をしたりして、農作業を妨害します。発砲は威嚇が多いですが、ときには射殺されることもあります。こうして農作業を妨害した後に、入植者がオリーブを盗んで採っていくということもあります。こうしたことを防ぐために、イスラエル人や外国人がいっしょにオリーブ畑に入り、いっしょに作業するのです。

 僕がこれまで行ったのは、北部ナーブルス近くのアイナブスという村と、これもそこから遠くないヤヌーンという村です。いずれも、イスラエル内のいくつかの平和団体(ピース・ナウやグッシュ・シャロームなど)が協力して呼びかけて市民ボランティアを募ったもので、200人くらいの参加者がありました。近隣のいくつかの村に分散して、収穫作業にあたりました。

 アイナブスのオリーブ畑は両側を山に挟まれた深い渓谷にあり、感動的なまでに美しい風景です。が、悲しいことにその両わきの山頂にユダヤ教徒の入植地があり、イスラエル人や外国人がいようとも、入植地の威嚇発砲は続きました。渓谷であるために、銃声が響き渡り、恐怖を倍増させます。入植地の近くには数名のイスラエル兵も見えましたが、彼らは一切動くことなく、発砲を制止しようとはしませんでした。

 この美しい渓谷の急な斜面をパレスチナのおばさんらはつっかけサンダルで軽々と上り下りします。ボランティアらはその後を、運動靴を履いて、息を切らせながらついていきました。そして、道具や収穫したオリーブを運ぶロバさんも軽快な足取りで登り降りしていました。本当に美しい風景です。銃撃さえなければ。

 もう一つの僕が行ったヤヌーン村は、人口150人くらいのとても小さな村です。「まんが日本昔話」に出てくるようなのどかなところです。ひなびた集落とその周囲に広がる山、その斜面にオリーブ畑。アイナブスとはまた一味違う世界が広がっています。ここには羊も多く、剪定と収穫の便を兼ねて切り落としたオリーブの高枝の葉に羊が群がっていました。が、度重なる入植者による攻撃に住民が耐えきれなくなり、先月とうとう全員が村を放棄して隣の町に移住するという、とんでもない事態にまで発展しました。そのために、ここにもイスラエル人・外国人の支援が入り、農作業の手伝いをしながら入植者の襲撃に警戒します。

 ところが、僕は行った前の週にはオリーブ収穫をしている外国人もろとも村人が襲われ、数名が重傷を負うという事件が発生しました。さいわい僕が収穫作業を手伝ったときには問題は起きませんでしたが、直接的な攻撃以外に、夜にオリーブの木を切り倒す、井戸にゴミを投げ入れるなどの嫌がらせも絶えず、24時間体制の警戒が必要な状況が続いています。

 オリーブは繊細な実です。漬物にするために収穫するタイミング、オイルをとるために収穫するタイミングがそれぞれあります。そしてそれを逃すともう収穫ができなくなります。この2年、情勢の悪化で西岸のオリーブの収穫量が連続して大幅に減っており、今年はさらにそれを下回るという予測が出ています。「入植者からの攻撃をイスラエル軍が完全に止めることができず危険だから」という理由で、西岸全土で軍がオリーブ収穫を禁止するという、奇妙なことまで起きています。しかし、時期を失すれば、農家は一年の収入を失うほどの打撃を受けます。死活問題です。そんな命令を守ってはいられません。西岸のオリーブをめぐる攻防は、ますます深刻化しています。

イスラエル人入植者によるパレスチナ人のオリーブ収穫の妨害、それを守ろうとする平和団体の活動は何年も前から続いています。また、第一次インティファーダの頃から、働き手が政治犯として捕まるなどして人手が足りない家庭の収穫を学生が手伝う、といった活動もありました。私は短期留学(ヨルダン川西岸地区)していた1998年当時、学生議会が組織した収穫の活動に参加しました(学生たちにはボランティア単位の一つになっていました)。夫を亡くし、ビルゼイト大学で掃除婦として働き(その後よく学内で出会いました)子どもの学費を稼いでいる女性のオリーブ収穫の手伝いでした。(皆川)