現地報告:早尾貴紀


シンディアナ&オリーブ

 パレスチナ・オリーブで扱っているオイルは、デイル・ハンナという村から来ています。でも、「ガリラヤのシンディアナ」では、そこ以外にも、北部のパレスチナ人の村のいくつかから仕入れています。そのうちの二つの村が、いわゆる「グリーンライン」(1949,37年の中東戦争休戦ライン)のパレスチナ側にあります。地図をご参照ください。

 トゥルカレムの北側に、バーカ・シャルキーヤ村とカッフィーン村があります。昨年日本に来た「ガリラヤのシンディアナ」のハダスさんは、農家一軒一軒の味見と品質検査をひじょうにしっかりとしています。彼女も、デイル・ハンナのフセインさんのオイルが最高だと言っていますが、この二つの村のオイルにも高い評価をしていました。

 ところが、このグリーンラインからややパレスチナ側にずれたところに、イスラエルは分断壁・フェンスをつくっています。カルキリヤとトゥルカレムの周辺地域ではすでに完成し、さらにいま北側に壁を延ばしているところです。問題はいろいろあるのですが、深刻な問題は、この壁はいくつかのユダヤ人入植地をイスラエル側に組み入れるために、パレスチナ側の内部に食い込んで建設され、パレスチナ人の土地が壁の両側に分断されてしまっていることです。この壁は、「パレスチナ人がイスラエルに入ることを阻止する防衛壁だ」と言われていますが、実のところは境界線を変更し土地を大規模に収奪するためのものであることは多くの人が指摘するところです。

 パレスチナの被害は甚大です。壁建設のために、数千本ものオリーブの樹が切り倒されました。また、バーカ・シャルキーヤ村は、グリーンラインの東側にありながら壁の西側に置かれます。しかし、オリーブ畑が壁の向こう側(東側)に切り離されてしまい、自分の畑に行くことが困難になっています。もちろん、グリーンラインと壁のあいだに置かれているパレスチナ人らは、事実上パレスチナ側から切り離されながらも、もちろんイスラエルからも排除されたままで、まったくの無権利状態にさらされています。

 カッフィーン村は、そのすぐ西側に壁を建設されました。そこからオリーブを運び出すことがひじょうに難しくなっています。従来、こうした村にとっては、イスラエルが彼らの収穫の主要な出荷先でした。まだ建設途中だった今シーズンは、検問やバリケードを避けて山道を抜けて出荷できましたが、この壁が完成した来シーズンはどうなってしまうのか、地元の人々は不安の中で生活しています。

 ちなみに、オリーブは収穫後その日のうちに摘み取った実をプレス工場に運び込まなければ酸化が進んでしまい、エクストラ・バージン・オイルになりません。プレス工場はいくつかの村に一つしかないものなので、場所によっては畑とプレス工場のあいだに壁を入れられてしまう。今回は、素早くオリーブを運ぶために、「ガリラヤのシンディアナ」は抜け道から運び込む人を余分に雇うことになりました。

 壁は、親戚どうし、農家と畑、畑と工場を次々と分断してしまっています。

ナーブルス&石けん工場続報

 表紙の傘をさしている女の子らの写真は、ナーブルス旧市街(古い階段とアーチの組み合わせが美しく、街全体が遺跡のよう-築数百年の石作りの家に今も人々が住んでいます)で撮りました。女の子らが立っている場所は、イスラエル軍がつくった道路封鎖のための土盛りバリケードの上。学校の行き帰りに自分らの身長以上もある山を乗り越えていきます。この場所はナーブルス旧市街の出入り口のひとつにあたり、イスラエル軍が人や物の通行を妨害するためにバリケードをつくったのです。

 このバリケードがつくられた道路の目の前の家に、食事に招かれました。数日前、そのバリケードがつくられた日にイスラエル兵10数名に踏み込まれて、家の中でマシンガンを乱射されたうえに、壁の一部を爆破されたそうです。とりあえずベニア板で穴をふさいでいましたが、壁にあいた銃跡は寝たきりのおじいさんのベッドの上方にまでありました。その部屋で、家族のみんなと食事をしましたが、道路をはさんで向かいの叔父の家が一年前に完全に破壊されてしまったために、二家族がその家に住んでおり、小さな子からおじいさん・おばあさんまで、20人ほどがそこに集まりました。

 ナーブルスの旧市街と言えば、オリーブ石けん工場が有名ですが、パレスチナ・オリーブ石けんをつくっている工場ももともと旧市街にありました。しかし、先代の工場主のときに規模拡張のため旧市街から少しはずれたところに工場を移設しました。さらにいまの工場主は、ナブルス近郊にもっと大きな工場をつくりましたが、それが完成したのが2000年の秋のこと。直後に第二次インティファーダとそれに対するイスラエルの弾圧・封鎖が始まり、なんと一度も最新の工場を操業させることができないでいるのです。

 そういう事情もあって、僕が滞在していた2月に、またナーブルスの石けん工場を訪問したところ、工場の隣の空き倉庫を借りて、工場の拡大をはかっていました(といっても、兄弟らと6人ほどで働く小さな工場です)。壁一枚はさんで隣なので、壁の一部をぶち抜いて、作業スペースを広くしようとしていました。もちろん、外出禁止令はまだ断続的に出されているし、製品の出荷は検問所で完全に禁止されています。そういう状況下でも、仕事はけっしてあきらめないし(週に3日程度は様子を見て工場を動かしています)、抜け道の山越えで出荷も試みています。今度のオリーブ石けんもそうして届いたものです。

 さらに、工場主からは、「いま新しいことを始めようとしているんだ」と言われました。広くしたスペースで、別の伝統的な製造工程を取り入れた、新しい製造ラインを導入したいと言うのです。残念ながら、2月は外出禁止令がまた厳しくなり、資材や機材の搬入ができず、その作業は予想以上に遅れてしまい、それを見てくることはできませんでした。でも、その仕事への情熱には、ほんとうに頭が下がる思いです。そういう点では、表紙の写真の女の子たちを見ても、雨の中ぬかるむ土盛りバリケードを乗り越えて学校へ通う姿は、とても印象的でした。

 

パレスチナでは冬の終わりから春にかけて、野生のシクラメンやアネモネ、ポピーなどじゅうたんのように花が咲きます。アーモンドの花は遠目には桜のようです。