『ぜいとぅーん』13号

ハイファから

田浪亜央江
(2002年のシンディアナ・メンバー来日イベント、本の出版などを一緒に行ないました。現在ハイファ大に在学中です。)

昨年10月からハイファに滞在している。ここでの生活について、何でも好きなことを書いて下さい、と言われた。実を言うと今は東京に一時的に戻っているところで、東京の街を歩くとつくづく呑気でのんびりしていていいなあ、なんてことを思ってしまう。他人に相互に無関心であることからくる開放感ですかね。イスラエルでの生活が私を疲れさせるのは、コミュニティの小ささとも無縁ではないということが、東京に戻ると実感できる。だからイスラエル社会の「見えかた」は、東京出身者と、農村出身者と、仙台という地方都市出身者とでは、また全然違うのだろうな、とは思う。

ハイファは人口およそ28万人、そのうちアラブ人の人口は3万人だと言われる。ハイファ大学にアラブ人学生が占める割合は3割弱で、人口比にくらべて多いのは、ガリレア地方一帯の町や村から通学してくるアラブ人学生が多いからだ。男の学生はマイカー持ちも案外多い。他の学生は、バスと乗り合いタクシーを乗り継いで通う。これは片道2時間以上かかることもあって、かなり骨が折れる。寮に入っている学生もいるし、大学近くのドゥルーズの村に下宿するケースもある。

さてある日、私が授業の後そのまま教室に残っていると、ベールを被った女の学生が話しかけてきた。彼女は熱心なムスリムで、お祈りをするための空き教室を探していたのだ。一昨年来日したサーミヤさんの実家がある、マジュダル・クルムから通ってきているとのこと。話しているうちに何と彼女はサーミヤさんを知っているばかりでなく、彼女の夫の実家のようすまで思い出した。「裏がお墓で、一階にお店の入ってるうちだよねえ」。彼女と話して面白かったのは、彼女は熱心なムスリムのくせに(?)ユダヤ人学生に好意を持っていて、自分以外のアラブ人学生とのつき合い方の難しさを私に訴えたことだ。「ユダヤ人の学生は、例えばノートを貸してくれたらそれで済む。アラブ人の学生は、私についての何らかの考えを抱いて、他の人とのうわさ話の材料にするんだよ」。この気持ち、わかります。

私のルームメイトのアラブ人女性は、ナザレ出身のキリスト教徒だ。彼女はお人形のように可愛らしくて、働きながら勉強をするつもりで、今年から大学院に登録した。結局事情があって解雇され、新しい仕事がなかなか見つからず、しかも寒くなってから何度も風邪をひくしで、機嫌が悪いことが多かった。「おまけに付き合ってた彼氏とも別れたし、実家の父親とは長らく喧嘩して口も聞かなかったし、2003年は最悪の年だった」と彼女は言う。でも友だちは男女ともに多く、いつも誰か来ているか、彼女がどこかの家に遊びに行ってることが多い。

私が彼女のプライバシーまで明かすのは、彼女の生活ぶりもやはり、ハイファに暮らすアラブ人の、特に若い女性の一種の典型だと思えるからで、それに対して私は限りない共感と共に近親憎悪的な気持ちさえ抱くからだ。大学進学時にハイファに来て以来、自分の生活はすっかり変わり、もはや家族と共に暮らすことは不可能だ、と彼女は言う。「全くやっかいな社会だよ。私はナザレではタバコだって吸わない」。しかし週末には洗濯物をまとめて実家に帰り、母親の手料理をタッパーに入れて大量に持ち帰ってくる。彼女が私と住むことを決めたのは、どうやら私が外国人であることも大きいようだ。アラブ人の女同士が住み、お互いの生活ぶり、特に人間関係を知れば、何かとやっかいごとの種になるからだ。

自分の生まれ育った社会への嫌悪と愛着、そこから自由になろうと挑戦をしてもがきながら、当初のもくろみ通りにはなかなかうまくいかず、それでも毎日どうにか生きている、という者どうしの暗黙の、信頼関係というより共犯関係と言いますかねえ。それが私と、ハイファに生きている彼女たちとをつないでいる、細いが確かな糸なのだ、……なーんて納得してしまうのは、あまりにも独りよがりかもしれないけれど。