『ぜいとぅーん』14号(2004年4月)

滞在記

アラビア語とヘブライ語

「シンディアナ」のハダス(ユダヤ人)の家に泊まったときのこと。ハダスの娘で中学生のケセムが、アラビア語で話しかけてきました。ハダスが以前アラビア語を教えようとしたときにはあまり積極的には覚えなかったと聞いていたのでちょっとびっくり。そして、公立のユダヤ系の中学校でもアラビア語が義務化されていると聞いてさらに驚きました。5、6年前から中学校でのみ週5時間のアラビア語が義務付けられたのだそうです。

もちろん、ユダヤ人がアラビア語を勉強することだけを見れば、悪いことではないはずです。占領下のパレスチナ人に接する機会のない一般のユダヤ人は、イスラエル国内のアラブ系市民として存在しているパレスチナ人にすら向き合おうとはしていません。マイノリティの言葉を学ぶことは、その存在を認めて、平等な社会を目指す第一歩だと言えます。「シンディアナ」のユダヤ人が全員アラビア語を話すのもそのためです。

しかし、いまのイスラエル社会を見たときに、学校でのアラビア語教育導入を手放しで喜ぶことができません。それは、より効率的な「支配の手段」に思われるからです。ユダヤ人がアラビア語を実際に使っているのを多く目にするのは、パレスチナ自治区の中でイスラエル占領軍がパレスチナ人に対して取り調べをするときです。検問所では、徴兵されたユダヤ人の若者(しかも中東出身ではなくヨーロッパ系)がアラビア語でパレスチナ人に質問をしたり怒鳴ったりしています。「そこで止まれ」「一人ずつ来い」「身分証を出せ」「どこに住んでいる?」「どこに行く?」等々。また、イスラエル国内のアラブ人も皮肉を込めてこう言うことがしばしばです。「アラビア語も公用語と言うが、イスラエル国家がアラビア語を必要とするのは税金を徴収するときだけだ」と。

植民地支配において、つねに言語が支配の道具になります。支配側が地元の言語を学び利用し、そして逆に地元の人びとに支配者の言語を強制する。それはパレスチナ/イスラエルにおいても変わりありません。

イスラエル国内のパレスチナ人にはヘブライ語が完全に義務化されており、いまヘブライ語なしに彼らの生活は成り立ちません。特に若い世代では、アラビア語での会話の中にも不意にヘブライ語の単語やフレーズが混じるのもよく聞かれます。しかし、3月20日にイスラエル内のパレスチナ人の町ヤーファで開かれたイラク開戦1年の反戦集会で印象的なことがありました。イスラエル内のパレスチナ人の村ウンム・ル・ファヘムから参加した20代の若者らが、集会の中でヘブライ語の風刺コントや詩の朗読を、スタッフからアラビア語に通訳をしてもらっていたのです。若い世代ではほぼ完全にヘブライ語を解するものだと思っていたのですが、村の中だけで暮らす限りはほとんどヘブライ語を用いる機会はなく、学校で習った程度では忘れてしまうというのです。

「土地の日」デモとマスコミ

3月30日は「土地の日」でした。1976年に起きたガリラヤ地方の村の土地接収に抗議をしたデモと、イスラエルによる弾圧に端を発するこの日には、毎年各地でデモが行なわれます。今年僕は、友人がエルサレムでの呼びかけ人になった西岸のベイト・ドゥッコ村でのデモに参加しました。ラマッラー近郊の山中の美しい小さな村に人びとが集まったのは、今まさにそこにイスラエルによって「分離壁」が建設されようとしているからです。地元の人を中心にしたデモに、僕らはエルサレムから乗り合いタクシー二台で駆けつけ合流しました。

パレスチナの春は、丘に野生のアネモネやポピーがたくさん咲き、とても美しい季節です。しかし、遠巻きにイスラエル兵が監視をするその建設予定地は、もしかすると来年は近づくことすらできないかもしれないのです。朝から、子どもから老人までが総出で集まりました。でも、どうすれば壁建設を止めることができるのでしょう、、、

ところで、そのデモを取材していたマスコミの動きがやや奇妙に映りました。3月21日のイスラエル軍によるハマースの指導者ヤーシーンの暗殺を受けて、パレスチナで「何か」が起こることを「期待」して、ジャーナリストの数が急増しました。「何か」とはつまり、抗議デモや自爆攻撃などの「絵になる」出来事のことでしょう。デモについてきた多くのジャーナリストは、タイヤを燃やす場面や、デモのリーダーがマイクを通して熱く叫ぶ場面、そして男性らが並んでお祈りをする場面などに、一斉にカメラを向けました。しかも、お互いにファインダーに入らないように、一つの角度から並んで。まるで記念撮影会のようでした。こうしてステレオタイプが作られていくのかなぁと思いながら、奇妙な感覚で僕はそれを眺めていました。

こうしたマスコミらは、ヤーシーン殺害の抗議デモなどでも、黒ずくめや迷彩服で機関銃を肩に担ぎ「復讐」を誓う男たちばかりを強調します。彼らは確かに「絵になる」し、「報復合戦」という構図や「武装組織ハマース」というイメージにも合致しているでしょう。しかし、ハマースを支持している人びとが、武装闘争や自爆を支持しているわけではありません。一番大きな要因は自治政府の独裁と腐敗に対する批判です。「和平の恩恵」は自治政府関係者のみに独占され、批判者は弾圧をされる。それに対して、貧困層のために病院や幼稚園・学校を経営するハマースに民衆の支持が集まるのは、当然のことです。それをあたかも武装闘争を人びとが支持しているかのように報じるのは、非常に偏っているし、特にオスロ合意以降の問題を隠蔽することになると思います。

イラクが比較的「平穏」に見えた3月半ばまでイラクにいたジャーナリストらが、大挙してパレスチナに来ています。イラクは静かで「つまらない」から、と。皮肉なことに、3月の末からイラクの状況はいっそう深刻さを増しています。ハマースの猛反撃がなく、いまのところ「平穏」に見えるパレスチナに背を向けて、多くのジャーナリストらは、いまごろ慌ててイラクに舞い戻っていることでしょう。しかし、いずれの地においても彼らは、構造的な問題の本質を理解することはないのでしょう。(敬称略)

(早尾貴紀)